『ジャンプ』単行本カバー

ジャンプ感想集

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「ジャンプ」を読みま・・・・

dance
2004.03.05

「ジャンプ」を読みました。佐藤正午の小説を読んだのははじめてですが、面白かっ たですよ、とこんな風な感想をここに送って、佐藤正午本人に目を通してもらえるの かな、もらえたら嬉しいな、という気持ちで書いています。

文庫本の解説には「主人公の三谷に感情移入できるかできないかで、(読者は)共 感派と反発派にわかれたようだ」とありました。「男が必ずしも三谷に共感をおぼえ るわけでもなく、女が必ずしも反発するわけでもない」。僕は男ですが、主人公に共 感をおぼえることはありませんでした。致命的なカクテルをたとえ飲んでしまっても、 僕なら姿を消した彼女を待たずに飛行機に乗ることはしないでしょう。この種の懸案 事項を先送りすることはないでしょう。

僕はこの小説を、姿を消してしまった南雲みはるを主人公として読みました。彼女 の方がより僕自身に近い存在でした。語り手の三谷は、この女性を映す鏡でした。

南雲みはるをもっと描写してくれたら良かったのにな、と欲求不満に近い思いを抱 いて本を閉じ、その欲求のままパソコンを立ち上げゴーグルで佐藤正午の他作品を検 索し更にここに感想文まで書いてしまいました。他の作品も是非読んでみたいと欲求 しています。


佐藤正午氏の本を・・・

みなみ
2001.12.15

佐藤正午氏の本を「ジャンプ」一冊しか読まぬのに このような感想文を書くことをお許しください。

他の感想文を読んでからとも思いましたが 自分の感想を書きたいので、読むのはこれを書いてからにしようと思います。

端的に私の疑問をぶつけますと 彼女(南雲みはる)の足取りを丁寧に後追いする割には その考察において、「彼女が自分のことを好きである」という前提で 推理を進めた形跡はありませんね? どうして、そういう考察をしないのでしょう? それが作者の意図的なものであるのかどうかも知りたくあります。

私にとって南雲は理解できない女ではなく 妻の座をしとめた鈴乃木よりは理解しやすく、心の流れなどわかります。 好きな男性・・・少しずつ距離を縮めてこれからという展開のときに 結婚うんぬんの手紙を他の女性からもらったら、そりゃー旅にも出たくなりますよ。

当の男性には会いたくはないですね。 若さと言うのはお互い(男女とも)そういうことではないでしょうか?

さて、作者の意図的なものであれば(少なくとも登場人物にはそう言う設定で考えた と・・・) 少々がっかりせざるをえません。 従来の「男」ってものを感じてしまうからです。 自分が意思的に選択をしない女との結婚はある意味「楽」ですからね〜 自分が翻弄された相手と一緒に暮らすよりは 彼方において想うってありがちじゃないですか? 意地悪な言い方をしてしまえば 自分で「強いては選択をしていない生き方」を 男というのは望んでいるような気がするんですけどね(笑) だから、あえて「自分のことが好き」って前提で進まないのでしょうか? この辺が私には謎です!

読後感として残ったものは、、最初の疑問の延長でありますが 主人公の南雲に対しても、鈴乃木に対しても原始的な初期衝動に似た 感情が欠如していることですね。

でも、興味を持ったので他の作品も読もうと思っています。 なにやら、まとまらない文章ですし、勝手なことを書いてしまい失礼いたしました。


出張先の米沢の本屋で・・・

sato hiroshi tukasa
2001.08.22

出張先の米沢の本屋で柳美里と石原都知事にはさまれた「ジャンプ」を見つけ、 即買ってしまった。 仕事の合間、車のハンドルに乗せながら赤信号のたび数行ずつ読む。 佐藤正午は4冊目だが、主人公が下戸なのはめずらしい。 失踪する彼女はけっこう 飲める。 わたしとうちの家内の関係に似ていてついはまり込んで読んでしまった。 米沢市内のパスタやでピザとジンジャエールの夕食とりながら半分読んだ。 ホテルに帰り、最後まで一気に読んじゃった。ああもったいない。(笑)

でもそんな偶然あるわけないよね。 りんごを買いに出て行ったきり五年も帰ってこ ない。 この小説はそのことを柱に、日常のけっこうあたりまえの忙しさを淡々と語ってい る。 一晩彼女が帰ってこないにもかかわらず札幌に出張しちゃう男に同情する。 仕事をこなしながらも時々いなくなった女を思い出し、行方をさぐろうとする。 あくまでも仕事の合間に、である。 そこがはがゆくもあり、リアルでもある。 男 の論理だとは思うが、気にいった女が自分だけに安否も告げず、なぜ失踪しなければ ならないのかを突き止めたい。 それも日常のなかの限られた時間を使って。日曜日 には元の彼女とたびたび会いながら、(わたしは彼を責めたりしない) 実際なさそうだけど偶然が重なればひょっとするとあるかな? を書いてしまう厚顔 (失礼)が小説家には必要なんだね。

気がつくとこの物語には悪いやつが(私の嫌いなタイプの人物も)いない。 夫を亡くしたみはるの同級生も、その夫も、夫の前婦まで、同情こそすれ憎めない 人々で描かれている。 個人的に「あさひ」のママにはぜひ会ってみたい。 マスターが元気だった頃に通い たかった。

三谷純之輔がみはるを思う気持ちなんて「愛」とよべるほどのものじゃなかったん だ。 一緒にいればこそ少しずつ育つものだと思うしそれが現実だ。

ついつい主人公に共感してしまう単純な読者でありました。 つぎは「Y」だ!

失踪もの。そんなジャンルが・・・

はやし
2001.08.04

失踪もの。そんなジャンルがあるのかどうかは解からないけれど、僕が読んだ本の中には 以外と多い。代表は村上春樹。奥さんが失踪する。彼女が失踪する。彼女達が失踪する。 彼の作品はとにかくまず失踪する。 大事なのは村上春樹の主人公は、探さざるおえない状況に(外からの圧力に)追いこまれ るまで、自分の意思では絶対に探さないと言う事だ。 たいていはビールを飲んでいるか、スパゲティーをゆでている。

そして、この『ジャンプ』の主人公、三谷純之輔は回りに引っ張られながらも自らの意思 でちゃんと探す。なんだかんだで不器用にも一生懸命探す。ふわふわしていて優柔普段に 見えるけれど、村上春樹の主人公より間違い無く男らしい。 もうひとつ違うのは、失踪した人間が奥さんでもなければはっきりとした彼女でもないと いうところだ。

「はあ、ようやくここまで持ってきた。もうほんのちょっとで俺のもんだ。」
長期戦だったけれど、どうやら後一歩で彼女をものに出来る。 ゲームで言えばとうとう自分の勝ちパターンにもってくる事が出来た。 9回裏、後は佐々木を投入してゲームセット。勝利の酒をあびるほど飲んでやる。

ところが一つの理由で自分の勝ちパターンをはずしてしまう。それが印象的な1行めだ。 「一杯のカクテルがときには人の運命を変えることもある」
物語を動かす最初の1行であるとともに、 三谷純之輔がこの物語の最後に、自らを納得させるための言い分でもある。

自分のミスをあげるとするとただひとつだ。あのバカ強いカクテルを飲んでしまったこと。 それによって彼女が失踪する原因を作り、あがないがたい感情に陥ってしまう。

ゲームセットの前に彼女は試合放棄をしてしまう(失踪してしまう)のだ。 「おいおい、ちょっと待ってくれ。どういうこっちゃ」
ここまできて試合放棄はないだろう!? 勝ちでもいいし、いいよ負けだって。とにかくはっきりと決着をつけさせてくれ。

探す。
探す。
探す。

頑張れ、僕等の三谷純之輔!

しかし、あるところで足跡は途絶えてしまう。しかもどうやら元気でやってるらしい。 みんな僕と彼女を会わせたくないようだ。いいでしょう。ええ、いいですよ。 時の流れというのは、だんだんと物事を遠くに運んでいく。 まあ、試合放棄ってことでいいか。ってことになっていく。 人生ってそういうもんだろう。 そうやって5年の月日が流れてしまう。

ところがだ。
実は9回裏2死から、 打率1割だいの守備要員に代打逆転サヨナラ満塁弾をくらっていた事を知る。

それに気づかなかったのは、三谷純之輔1人だった。

カクテルのせいにでもしたくなるってもんだ。

色々な人達と関わって生きてきたし、これからも生きていく。 その中で、付き合い続けている人はわずかではないのか。 ほとんどは2度と会わない人になってしまう。

遠く離れていった人。
遠く離してしまった人。

その中には、今でもあの時ああしていれば、いやああいう事がなければ、と悔やむ気持ち を持っている人がいるものだ。 この『ジャンプ』を読んで、僕はある人の事を思いだして胸がつまったのです。

これはぜひ読みましょう。


「ジャンプ」の感想

はるる
2001.05.10

この本を読む前に、レビューなどを見て、 ああ、この本は「彼女が失踪してしまった彼が、 彼女との過去を振り返ったり、悩んだりして 次第にそのことを受け入れていく物語り」なのね、と思っていました。

確かに、あらすじにすればそのとおりでした。でも、 ある日突然、姿が見えなくなり、 理由も痕跡も見付からないまま、それっきり戻ってこない、 そういう「失踪」では、なかったのですね。

彼女の決断と行動は、 結果的には、物事が丸くおさまる方向へ決着したけれども、 「そんなのあり?」って、思いました。

なぜなら、彼女と彼の物語を、 彼女だけが判断し、決めてしまったからです。 彼は、それを受け入れるしか、なかった。 彼女が、苦しまなかったとは、いえません。 もうひとりの彼女が、苦しまなかったとは、いえません。 でも、彼は「起きた事」を、ただ受け入れていくしかないのです。

そんな男なのだから? 失踪した彼女を探しながらも、もうひとりの彼女と会っているような男。 緊急事態なのでは、というときにも、仕事を優先するような男。 そんな男でも、彼女達には、きちんと向き合って欲しかったです。 他人の人生を、自分の行動で左右しようなんて。

やっと彼女の「失踪」を受け入れ、新しい生活に踏み出した彼が ずっと手に入れられなかった「答え」を得たとき もう一度、彼は彼女達の選択を「受け入れる」・・・

物語に仕掛けられた謎は、残念ながら予想通りのものでした。 でも、彼女が彼に残した謎は、あまりにも残酷です。

正直申し上げて、この物語は、私には苦しすぎました。 ただ、いつも通りのshogo節を味わえて、安心しました。 やっぱり好きです。(笑)

とてもエネルギッシュで存在感のある女性、諦めているような、 淡々とした、惰性に身を任せている男性。 でも、そのどちらも案外しぶとくて、 しっかりと、明日につながる毎日を生き続ける・・・

彼らの、ちょっと皮肉な、すねたような軽口を いつも小さな感動とともに、味わっています。 そしてなぜか、主題とは関係のない、いくつかの場面を 頭の中に刻み込んでしまって、忘れられません。 この「語り」を求めて、私はまた次の一冊を、探しに行くのです。


『ジャンプ』感想文・≪時には辛口感想も≫

みや
2001.05.09

 どんなものにも得意・不得意、好き・嫌いが あるものです。
創る側としてみれば、それこそ血肉を削るような思いをして 生みだしているのにも関わらず、 評価をする側はお気楽に甲乙・優劣を付けるものです。

 書評なんていうものは、今の今まで全くと言っていいほど 興味の無いものでした。
「ヒトがどう思おうが、感じようが、そんなのどうでもいいじゃない。 “自分が読んで、どう思ったか” それが大事であって、他人が感じた事をわざわざ読むことはないでしょ」
私はそんなふうに考えていました。
ところが最近になって、ふと書評というものに目を通すようになり、 書評もまた、手紙やメール同様、いかに相手を考えているか、 いかに真剣な思い入れがあるか、読んでみると実によく 分かるということに気がつきました。 私は手紙やメールを贈るのも頂くのも好きですが、 やはり、こういったものの全体の文面から人柄って出るものです。

 さて、そんなわけで、評論家・一般読者の方の『ジャンプ』に対する 書評を他サイトでいくつか見てみたところ、先に述べた 「得意・不得意、好き・嫌い」的ニュアンスのコメントはあったものの、 私が抱いた『ジャンプ』への感想を今のところ私自身は 見つけてはいないので、(生意気にも) あえてここに認め<したため>たいと思います。

 
 付き合っている彼女、あるいは彼が、突然「りんごを買ってくる。 すぐ戻る」と言い残して理由も解からず居なくなってしまったら、 誰だって狼狽し、混乱するでしょう。日が経つにつれ、不安や疑問で 苦しみ、残された者はこの思いを払拭したい、答えを見つけて 出口を見つけたい、そう考えるのも当然です。読み手の方によっては、
「残された者の気持ちが解かる。その頃を思い出して 苦しむ気持ち、よく解かる」
というような感想をもって、自分の “してきた恋 ” に 当てはめがちだけれど、私は何だかそれとは少し違うような気がしました。
『ジャンプ』の、残された主人公の気持ち、 これは誰もが経験したことがあるであろう “恋を失った時の痛手 (困惑)” とは全くニュアンスが違うのではないか? 私はそう思いました。と、いうより『ジャンプ』における 主人公の人物表現からは、 “愛する恋人を突然失った、 彼の心の痛手(困惑)” がいまいち伝わってこなかったのです。 それに伴い、なぜそこまで失踪した彼女の足跡を追うのか、 ちょっと不自然な印象が残り、疑問さえも湧いてきました。
主人公以外の登場人物の言動には納得も出来たし、 人物設定に関しても問題は無いと思います。 作品全体としては物語として完成しているし、 最後の思いがけない結末も、ワザが利いてるなと思いました。 しかし、読後のこの、どこかスッキリしない感じは何なんだろう? と気になったので考えてみたのです。お寿司を見つめながら。

 小説というものは、その中の登場人物、 主に主人公に読み手が感情移入できないと「おもしろい」とは 感じることはできません。言い換えれば、感情移入できて はじめて、その作品を「おもしろい」と感じることができますね。 もしかしたら私の読解力が乏しいせいなのかもしれませんが、私自身が 抱いた読後のスッキリしない感、は、ここにありました。

 『ジャンプ』は完成された作品ですが、ある表現描写が 欠落しています。そのために私は主人公に感情移入できず、 疑問が残りました。それは、主人公の彼女・南雲みはるに対する彼自身の、 愛情描写だと思われます。

 主人公は失踪してしまう彼女と、後に自分の妻になる彼女を いわば天秤に掛けていました。二股です。 愛情を量ることが出来るのならば、どちらかというと 失踪してしまう彼女のほうに、主人公は愛情をもっていたのでしょう。  『ジャンプ』の中の表現から受け取ることの出来る印象は、 主人公は、付き合い始めて数ヶ月の(後に失踪してしまう) 彼女と、今はなかなか良いカンジである。彼女の部屋にも行ったし、 これから先の事は分からないけれど、多分これからも付き合ってゆきたい… そんな彼の気持ちが受けとれます。 しかし、『ジャンプ』の中の描写だけでは、私が受けとることの出来る 主人公の彼女に対する気持ちは、ここまでです。 作者が意図的に、主人公の気持ちを軽いもの、彼女に対する カジュアルな気持ちとして描いているのかもしれませんが、 それでも、疑問は残ります。これでは主人公の気持ちの入れ込みようが 納得できないのです。

 数ヶ月付き合った程度で、そんなにも 足跡を追うものだろうか?5年後にも、それまでの期間にも、失踪した 彼女の事をチラっと思い出すにしても、主人公のように執拗なほどには ならないのではないか?南雲みはるの姉に、引きずられるようにして 行動してしまう主人公の優柔不断さや成り行き的要素で 物語を進めてゆくにしても、少々強引な感があるのは拭えないような気がしました。
これが付き合いの長い恋人であるとか、夫婦あるいは肉親である のなら、ここまでの主人公の執拗な思い入れも理解できます。 ところが付き合って数ヶ月。付き合い期間は関係なくとも、また、 彼女の方が彼に一線を引いていたにしても、いかに彼が彼女を想っていたか、 愛し合った描写が無い限り、主人公への感情移入は難しいと思われました。  こんなにも主人公は彼女を想っていた、だからこそいつまでも彼女を 忘れられなかった。愛情描写が描かれていれば、もっと自然に、 あるいはもっとドラマティックに5年後の結末へとつながっていったのではな いか。 私はそんなふうに感じました。

 しかしながら、女は男よりも実ははるかに強く、したたかなんだという事、 正午せんせは知っているんだなぁ…と妙にフクザツな思いでした(笑)。

あ、と、とはいえ『ジャンプ』面白いですから、買ってない人は 是非本屋さんへ。(ちょっと強引カナ?笑)

私の『ありすさ』感想文に比べると、かなり長文です。 最後までお付き合いくださいました方方、ありがとうございました。 これはいわゆる「褒めちぎり感想文」ではないので、 読んでくださった佐藤正午フリークの方、あるいは 佐藤正午氏ご本人でももちろん結構ですので、 この感想文に対する苦情・批判・問い合わせ(?) などありましたら、是非、お願い致します。 でも基本的には『ありすさ』感想文の気持ちなので。


ジャンプおよびありのすさびの感想

のりこ
2001.04.07

日経の書評で佐藤正午さんを知り、とりあえず、この2冊を読みました。

初めにジャンプ。これは読み始めて、最初はあれこれってミステリー?と思っていた のですが。 なんと最後まで読むと初めてわかる以外な結末。 女のしたたかさ、ずるさ、潔さ、それがちゃんとわかっている男がいるの?
これは驚きました。 男は絶対理解できないだろうなと思っていたのに。

これは油断ならないぞ!と思いつつ、私のは「ありのすさび」に。 たくまざるユーモアもセンスには感心しつつもっと引き連けられたのは過ぎ去りし恋 に関するエッセー。 もう共感しまくりです。 なるほどね。同年代だわ。 みょうに納得してしまいました。 これからしばらく「佐藤正午」の世界にはまりそうです。


ハードカバーの帯には・・・

こがゆき
2000/09/31

ハードカバーの帯には、失踪をテーマに、現代女性の「意志」を描く。と書かれて いる。まあ、本を読んで感じることってのは人それぞれなんだけど、ちょっとわたしの 感じることと違うな、とまず思った。

たしかに失踪をテーマにしているのだけど、わたしの胸に迫るのは、失踪されて取 り残された主人公の胸のうちだった。人を失うのは悲しい。そこに理由がなく。自分 の落ち度もないとすれば。去っていった者よりも取り残された方がずっと悲しい。 八日め、十四日め、一ヶ月、半年、五年後。誰かを失った人間にとっては、この日数 というのが、嫌というほど身にしみるのだと思う。最初の衝撃は薄れてゆくものの、 これくらいの期間で、一度ならず何度も立ち止まる。もう忘れてもいい頃なのに、振 り返るように思い出してしまう。それくらいの時期の、それに見合った心情がいつも 描かれている。

糸をたぐり寄せるように、足跡が見つけられてゆくが、それと同時に、いつまでも 見つけられない苛立ちもそこにはある。この苛立ちが胸を打つ。大切な男と別れたとき、 わたしは何度もこんなふうにくり返したのだと、思い出してしまった。

南雲みはると五年後に再会を果たした主人公の台詞が、印象的だった。残された自分 は「自信喪失で、芯のないりんごのようだった」と言う。「五年間、解答欄はブラン クのままだった。ずっと疑問が解けないままだった」とも。そうだよ、もっともっと 言ってやれ。この苛立ちを言葉にできないまま、一度も再 会できない人間たちが世の中にはたくさんいるんだ。わたしのかわりに、それができ なかった読者のかわりに、きちんとした言葉でその気持ちを伝えてくれ、と。読み手 の力の入るくだりだ。

もちろんみはるはそんなに悪いことをしたなんて思っていない。 彼女は雲が風に流されるように、西へと移動していっただけだ。それに、主人公に だって落ち度がないわけではない。落ち度がないどころか、原因は彼の方にある。 けれども、それすらも気付かない。不可抗力の空しさがそこにはある。

最後のどんでん返しは、意外でもあり、恐ろしくもあった。女ってのは、こんな恐 ろしい愛仕方をするんだなあ。

シークアンドファインドの形式を取りながら、次々と足どりを追ってゆける作品。 だがそれ以上に、その時その時の心情が、素晴らしくよく描かれていた。 だらしなさも、情けなさも、不注意さも。男のそういう部分を描かせたらこの人し かいない、というくらいに。存分に味わえた作品だった。


読み始めていつもと・・・

kanami
2000/09/25

読み始めていつもと違うと思う。 用意周到なミステリーがこれから展開されると予告されるのだ。 そして物語は、女の失踪から始まる。 次々と女の周辺にあたる主人公は女の行動の謎に悩まされる。 そして、そのうちに女が親しかった人々に会っていて、 自分にだけ連絡がないことを知り、呆然とするのだ。 そして謎は深まり、しかしながら時が過ぎ行く。

二十代の若いビジネスマン向けの雑誌の連載だったせいか、 東京、横浜で展開される場面が多く、 また登場する店や小物の名前がいかにも同時代都会的である。 女を捜す過程で、主人公は仕事に忙殺されている。 しかもいなくなった肝心のときでさえ、 仕事優先にしてしまったくらいである。 まさに、仕事を全うしてゆく若きサラリーマンの姿である。

そして、主人公はいなくなった女を捜しているのにもかかわらず、 実は乗らない様子なのではあるが、別の女とも関係していた。 これが、男の盲点である。 気が入っていないつもりであっても事実は事実である。 ほとんど失踪した女と同時進行である。 その1回きりの付き合いだったはずの女とはきれない。 失踪した女を気にしながら、そして次第に忘れていったとしても、 男は自分自身を振りかえる余裕がないのだ。 仕事に忙殺される身は、それじたいが本人に満足感を与える。 女との付き合いさえも、 しっかり自分の思い通りにしているように思ってしまう。 ところが、そうではないのだ。 もうすでに女の手の内にいたのである。

女の失踪は、あまりにも唐突であったが、 それはいつかありうる単なる人生の選択だったのだ。

土地は東京から果ては沖縄まで飛ぶ。 そして、文字だけであるがイタリアという海外のことまで。 次回作は海外進出に違いない。

主人公は女に去られたあと人生の選択をしている。 それぞれが選び取った人生を、まちがってはいないというところが、 物語としての正当性を感じる。 誰もそうとは知らずに正しい選択を繰り返しているのだ。 そして、もし間違えたときには、いつでもそれは修正できる。 いつでも望みはあるのだと、なぜか思わされた。

世紀末の佐藤正午はやはり一味違う。 21世紀の作品がますます期待される。

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