【主な登場人物】
兄貴 連れ 造り酒屋の親爺 造り酒屋の若い衆
【事の成り行き】
泊りがけであろうが、日帰りであろうが目的はたいがい町の散策、という
のがわたしの旅行です。海外へは一度っきりしか行ったことが無いのですけ
ど、やっぱり印象強く残っているのは自由行動時間に散策した町の裏通りの、
そこで生活している人々が集う雑貨屋や大衆食堂の汚れ加減で、名所観光や
ディナークルージングなんかよりずっと目鼻がヒクヒクしてました。
逆に言えば、見知らない町裏なら海外であろうが他府県であろうが隣り町
であろうが構わないわけで、今日もいまさっき隣り町の商店街の外れに自家
製ドーナツ屋を見付けて五個百円のそれを二袋買い求め、貧相なグルマン気
分を味わったところです。
学生時分に地方都市へ旅行すると、必ずジャズ喫茶を見付け出しました。
メインの通りからひと筋奥へ入り、飲み屋さんが途切れるあたりに見当をつ
けると、過たずあの怪しい匂いが漂ってくるのです。
店に入っても流れる曲はもちろん著名なジャズレコードですし、オーダー
は珈琲に決まっていましたから、何も旅行に出てまでジャズ喫茶を探し出す
必然はないと思うのですけど、あのジャズ喫茶っていうのはその町の裏通り
の汚れや匂いが凝縮されて詰まっているという、ゆや、興味の対象のショー
トカット・アイコンだったのかもしれません。
いま、全国どこへ行っても駅前に立っただけではどこがどこやら区別がつ
かないほど均質化されてしまいましたが、ひと筋ふた筋裏を覗いて、ポツリ
とその町の元色のような染みを見付け出す瞬間のワクワク感、これがあるか
らわざわざ出歩いてしまうのでしょう。
* * * * *
えぇ〜「うんつく酒」といぅみょ〜な外題でございますが、古典落語でご
ざいます。お時間に合わしまして一席聞いていただきます。
「旅人は雪呉竹に群雀、泊まりては立ち泊まりては立ち」これは昔の旅で、
今はそんな悠長な旅はもぉ誰もいたしません。何しろ東京へ日帰りがでける
といぅ恐ろしぃことになってしまいましたが。
十返舎一九といぅ人の作の「東海道中膝栗毛」弥次郎兵衛、喜多八。あぁ
いぅ気分で歩いて旅をすりゃ面白いこともあると思います。そのかわりまた、
苦労のこともございましょ〜が、ま、とにかく旅はやっぱりボチボチと東海
道五十三次、中仙道といぅよぉな道を歩く方が、わたくしは面白いと思いま
す。
* * * * *
■おい……、おい……●な、何や?■「何や」て、おかしぃ具合やないか、
しっかり歩かんかい。フラフラふらふらと顔の色もよぉないが、どぉしてん?
●もぉ具合が悪ぅてなぁ、往生(おぉ〜じょ〜)してんねや。
■ははぁ〜分かった、夕べの酒やな。しょ〜のない男やで、あの宿屋の酒、
何ちゅうもん呑ましやがってん、俺ひと口呑んで吐き出そかと思たがな。あ
の悪い酒をばしょ〜もないおなごを捉まえて、ウダウダうだうだ言ぃもって
だいぶ呑みよったが、気ぃ付けや旅先やで、二人が旅してお前がもしも患う
ちゅなことあったら、おら困るやろ。薬持ってへんのんか?
●薬はなぁ、大阪発つときに「水に当たらんよぉに」言ぅてな、薬くれてん
ねん■ちょ〜どえぇ、それ飲み●けど、夕べの酒が悪ぅてこないなってんね
んで、それに水当たりの?■飲まなしょがないがな、無いよりましやがな。
「酒は米の水」ちゅうぐらいやさかいな、まぁ何とか効くや分からへん。
●あかん、そんなもん飲んだかてとてもこらあかん■ほな、どないすんねん?
●えらい済まんけど兄貴、もぉ一杯酒が呑めんやろか?■そぉいぅやっちゃ
お前わ。酒のためにそない悪なって、また酒とはどぉや●さぁ、あの夕べの
酒が悪かったんでこんなケッタイな気持ちになってんねんがな、冷やでも構
わんからグ〜ッと大きな湯飲みに一杯呑んだら、前のやつがバァ〜ッと共に
発散すると思うねやがな、一杯呑ましてくれ。
■「呑ましてくれ」っちゅうたかてお前、野辺やで。家が一軒もあれへんが
な。まぁ、家のあるとこへでも行て酒屋があったら……、おい、おい●え?
■向こ見てみ●どこ?■俺の指の先や●あぁ、お前の指の先。やっぱり爪生
えてるなぁ■当たり前や、どこ見てんねや。爪の先の見当見ぃっちゅうねん、
白壁がチラチラとこぉ見え出したなぁ。
●はぁはぁ■頼んない返事やなぁ、向こぉの白壁がチラチラとお前の目に見
えんか?●いや、白壁は見えたんや■ほなそれでえぇねや●けどお前が「白
壁がチラチラ、チラチラ」言ぅさかいに「チラチラ」を探してんねや■そん
なもんあるか、おかしなこと言ぅな……。あれがどぉも造り酒屋に違いない
と、俺は思う。
●お前、この街道知ってるのんか?■知らんがな。知らんけどもな、たいが
いまぁ家の建ち方で宮寺、大百姓、造り酒屋ちゅうよぉなことは分かるでな。
あの大きなうちの後ろにズ〜ッと白壁の蔵が並んだぁる、どぉしても造り酒
屋や。まぁとにかく元気出して歩け……
* * * * *
■どや、造り酒屋や●うわぁ〜、兄貴目が高いなぁ、ホンに大きな造り酒屋
やなぁ。見てみぃ兄貴、あの大きな四斗樽(しとだる)を■お前のアホは底が
抜けたぁんなぁ、四斗樽に大きぃ四斗樽も小さい四斗樽もあるかい。四斗が
入るさかい四斗樽やないかい●あそぉか、ほなあの大きな樽はあら何や?
■あれは酒造る樽や「コキン」ちゅうてな●そぉか、後ろから割木で突っ張
りしたぁるが、あらやっぱりこきんよぉにか?■おかしぃ洒落を言ぅな。造
り酒屋で一合や二合の酒を呑ますことはすまいけどもな、まぁ何とか一杯ぐ
らい呑ましてもらえ●そぉか、ほなわし先入るわ……
●こんにちわぁ◆あぁビックリした、えぇ具合にウトウトとしてたがな……
見慣れん人じゃが、何じゃな?●お前とこ酒屋やなぁ◆はぁはぁ、ご覧の通
りの造り酒屋じゃ●そや思て来たんや。造り酒屋ではやなぁ、一合二合ちゅ
な酒は売らんわ◆当たり前じゃがな、居酒屋と間違ごぉたら困る。痩せても
枯れても造り酒屋じゃ、一合二合ちゅな酒売れるかい。
●さぁ、そらちゃんと心得てるわ。かたまった酒買おと思て来てんで◆「か
たまった酒」とは嬉しぃことを言ぅてくれる、まぁ掛けとぉくれ。何ぼほど
買ぉとくなさる?●そぉやなぁ、五合(ごんごぉ)どや、五合◆何ぼじゃちぃ
なさる?●五ん合ぉ、五合とかたまったら売るやろ。
◆何を言ぅのじゃアホ、造り酒屋じゃでうちは。居酒屋と間違ごぉたら困るっ
ちゅうねがな、五合や一升てな端(はした)酒が売れるかい●あそぉか、一升
も端酒か。ほたら二升か三升(さんじぉ)やったら売るか?◆二升や三升、一
斗や二斗ちゅな端酒は売れんわい。去(い)んどぉくれ。
●そぉすっと親っさん、何ぼやったら売ってくれんねん?◆そぉやなぁ、どぉ
少のぉても馬に何樽(なんだ)、何ぼ車、船に何艘なら買ぉてもらおかい●ふ、
船に何ぞぉ? 兄貴来てくれ■そっち寄ってぇ、お前のものの言ぃ方が悪い、
俺に任しとけ……
■親っさんこんにちわ、結構なお天気で◆はい、天気がよぉて結構じゃ■立
派なこってやすなぁ◆何が?■いやぁ〜、わたしなぁ、あっちこっち旅をし
まんねやが、言ぅと失礼(ひつれぇ)ですけど、こんな草深いとこでこんな立
派なお造り酒屋があるとは思いませなんだんです。こいでお宅は何枚ほどお
造りになります?
◆こらどぉも恐れ入ったなぁ、何枚ちゅなこと聞かれると恥ずかしぃ。酒塩
(さかしょ)を造るぐらいで……■いやぁなかなかどぉも、こらわたしの友達
でおま◆あぁ、お前さんのお連れさんか、面白い人じゃなぁ。
■へぇ、ちょっと人間が変わってまんので。ところが酒となると目も鼻もな
い男で、表通りますとえぇ匂いがこぉピンと来ましたんでな「素通りがでけ
ん」ちぃますねん。お造り酒屋さして五合、一升の酒は売ってくれと言ぅ方
が間違ぉとります。重々そいつは心得とりますけども、そこのところをひと
つどぉぞ曲げてお願いしたいので……
◆いや、曲げてもろても延びてもろても売るこたぁでけん。どぉぞ帰(かい)っ
とくなされ■あそぉか、ほたらいったい何ぼほどやったら売ってくれんねん?
◆今もそのお連れさんに言ぅたんじゃ、馬に何樽、何ぼ車、船に何艘なら売
ろかい■何お? 船に何艘? けっ、ドうんつく◆あれ?「ドうんつく」?
怒りましたなぁ。
■「怒りましたなぁ」何をぬかしてけつかる。怒らんといられるかい、これ
が……。われとこが造り酒屋やと思やこそ、下から頼んでんのじゃい、ドう
んつくめが。こんな田舎ではなぁ、このぐらいの酒屋をば蔵元とか大酒屋と
言ぅか知らんけども、大阪ではなぁ、そんなことは言わんねで。このくらい
の酒屋なら箒で掃いて淀川へ放り込むほどあるわい、ドうんつくめが。何か
しやがんねん、われもボ〜ッとせんと言ぅたれ。
●言ぅ、いぅ、言ぅたらいでかいコラ。オッサン、せやんな■何が「せや」
か分かれへんがな、しっかり言ぅたれ●何かしやがんねんドうんつく、ドう
んつくめが。われとこが造り酒屋やと思うさかいドうんつく、な、そやから
頼んでんのじゃいドうんつく、何かしやがんねん。旅してる人間じゃ、こっ
ちは。旅してる人間が道中で酒が呑みたいさかいいぅて、船に何艘ちゅうよぉ
な酒をば買ぉてそれを馬の背中へ乗せたかて、こら何ぼ馬かてそら乗らんぞ。
馬がへたると思う。
■何をぬかしてけつかんねん、もっとしっかり言ぅたれ●やい親爺、えらい
邪魔したなぁさいなら■早よこっち出て来い●行かいでかい、こらドうんつ
くめが「スゥ〜ッ」じゃ。
◆おい、誰ぞ居てへんのか?★へぃ、居てま◆おぉ、次助やないかい★ホゲ
タの達者なやつでんなぁ、お腹立ちで?◆あぁ、おらよっぽど腹が立ったん
じゃ。こぉせぇ、蔵行て若いやつらにそぉ言え「今のやつ、この庭へ引き戻
すさかい、戻ったらかまわんさかい割木で殴り倒せ。死んだかて俺が引き受
けたさかい構わん」ちゅうて言ぅてこい★へ、よろしおます……。
★へ、行て来ました◆どやった?★みな割木一本下げてなぁ、向こぉ鉢巻で
用意しました◆そぉか、ほな向こぉ行くやつ呼べ「一合でも二合でもお酒を
ばお呑ませします。どぉぞ戻ってくだされ」とな、悟られんよぉにあんじょ〜
頼め★へっ、よろしおます……
★大阪の衆やぁ〜〜い!■呼んでけつかるな……、何じゃ〜〜い?★うちの
旦那がそぉ申しましたんで「一合でも二合でも呑んでいただきます。どぉぞ
もぉいっぺんこっちへお戻りを〜〜」
■おい聞ぃたか、俺がポンポンッと言ぅてやったらビックリしやがって「一
合でも二合でも呑ます」ちゅうやないかい、あとへ戻って呑も。何? 怖い?
何が怖い、弱いやっちゃなぁ俺に付いて来い……
■親っさん、呑ますつもりかい?◆まぁ掛けとぉくれ、わしゃ今日はなぁ何
とのぉイライラとして虫の居所が悪かったんや、まぁ堪忍しとくなされ。し
かしなぁ、お前さん方も随分もの言ぅのん下手じゃなぁ、入ったときに「何
枚造る」ちゅなこと言ぅたお前さんじゃ、それがお前、造り酒屋で「一升二
升の酒くれ」そんなこと言ぅたってダメじゃ。
◆これから先もあるこっちゃ、田舎へ行て造り酒屋のうちで呑みたいと思た
らなぁ嘘も方便じゃ「お前とこにはえぇ酒が出来るそぉなが、ちょっと利き
酒を」とな、利き酒と言われたら一升呑まれよぉが二升呑まれよぉが、鐚銭
(びたせん)一文もらう気遣いないねん。今度からそぉいぅ風に言ぅたらどぉ
じゃ。
■そぉか、それ知らんもんやさかいな。いや、実はなあんたとこにえぇ酒が
出来るそぉなさかいな、ちょっと一升ほど利き酒を◆面白い人やなぁ、今こ
こで言ぅてもらわんかてえぇのじゃ、よそ行てそれを言えっちゅうのじゃ。
次助、酒こっち持って来い……。えらい大きな湯飲みで悪いけども、冷やで
も構わんか? そぉか、ほなわしが注ぐさかい。
■おっと、えらいありがとぉ存じます(クィ、クィ、クィ、プハァ〜)あぁ〜
えぇ酒や、さぁお前も●おおけに、へぇ、えぇ色してんなぁえぇ匂いや。こ
れやったら偉そぉに言わなんだらよかった。屁ぇだけでもかまさなんだらよ
かったんやけど……(クゥ、クゥ、クゥ)うわァ〜、えぇ酒やなぁ美味い酒や
なぁ。
◆美味いか?●美味いなんて、こんな美味い酒◆美味かったら結構じゃ、腹
いっぱい呑んどけ。なぁ、その酒がお前ら二人の末期の酒じゃ●ま、末期の
酒っちゅうと?◆バタバタ騒ぐな! やい、用意がよかったら出て来い!
二十人あまりの若いやつが割木持ってグルッと取り巻いた。アホが腰抜か
しよったんで、
◆立て、こら。弱いガッキャなぁ、へたったりすな■やい、お前ら何かい、
大勢寄ってそんなもん持って、わいら二人をどぉするつもりや?◆バタバタ
騒ぐな、今さら騒いだかてあっかい、わいら俺を見損ないやがったな。
◆おらぁ、今は歳取ってこぉして仏のよぉになってるがなぁ、若い時分には
随分極道もして匕首(あいくち)の下くぐってきた人間じゃわい。いろいろな
間違いもこしらえて妙ょ〜な言ぃ草も言われたが、わいらみたいなケッタイ
なこと言われたことないのんじゃ。
◆俺の顔見て「ドうんつく」ちぃやがったな、どぉいぅ訳で俺が「ドうんつ
く」や? その「ドうんつく」の因縁を説け。その説き方によったら、おの
れ無事で出られると思うな! 「ドうんつく」の因縁を説け!
■ほぉそぉか……、ドうんつく言ぅた。それが為にこんな大仰なことしてん
のんかい。よし、説いて聞かしたら。お前も俺を見違ごぉとんねんな、俺は
こんなひ若い人間やけど、これでも大阪へ帰ったら兄貴とか親分とか人に言
われてる人間じゃ。匕首の二十本や三十本、おらぁ決して恐れはせんで。
■怖おぉて言ぃ訳すんねや無いねんさかい「聞かしてくれ」とぬかすさかい
聞かしたる。聞きさらせ!◆われ、えらい元気やなぁ、早いとこぬかせ■親
爺、われの後ろに紙に書いて張ったぁるもん何や?◆これは日本の長者番付
じゃ。
■長者番付? そんなことぬかすさかいことが間違うわい。こんなとこでは
長者番付と言ぅか知らんが、大阪ではそぉは言わんねん「うんつく番付」ちゅ
うねん、それをば◆何じゃ?「うんつく番付」おのれ、苦しさに余ってしょ〜
もないこと。
■誰が苦しさに余ってしょ〜もないこと言ぅねん、怖おぉて言ぃ訳すんねや
無いわい、聞かしてくれとぬかすさかい聞かしたんのじゃ。東と西とに分け
たぁるが、東の方の大関が三井八郎右衛門、西の大関は大阪の鴻池善右衛門
やろ◆よぉ知ってんなぁ■そんなこと知らいで「ドうんつく」の因縁が説け
るか。東の三井さんを聞かしたら。
■三井さんといぅ人はな、今でこそ長者番付の東の大関に座るよぉな人やが、
その人の先祖といぅのがなぁ越後の国の浪人じゃ、六部となって日本回国し
た。回りまわって出て来たんが伊勢の松阪。松阪へ入った時分にはもぉずん
ぶりと日は暮れ、自分らが泊まるよぉな安宿は一軒もなし、ある大家を見込
んで「今晩一晩お宿のご無心を」
■そこの主が「いつもでしたら宿はさしていただきますが、ここ四、五日の
あいだはどぉも与太人さんをお泊めすることがでけん、取り込みがあるので
な。こぉしたらどぉじゃ、この町に大きな古い家がある、そこが空家じゃ。
空家じゃによって人は住んでない、そこで二日泊まろが三日泊まろがお前さ
んの随意、食べもんはわしの方から送ってあげる。そぉしたらどぉじゃ」
■「あぁ結構なこって、お願いしたい」「それから六部さん言ぅとくがな、
そのうちは化け物が出るといぅて人が怖がってよぉ住まんのじゃ。お前さん、
化けもんが出ても構わんかい?」「どぉいたしまして、わたしは六十六部と
なって日本回国するぐらいの人間、化け物が怖おぉてどぉしましょ。そんな
ことを聞きましたらなおさらのこと、どぉぞはばかりながらご案内を」「よ
し、その度胸なら……」
■と、食べ物をこしらえてもろぉて大勢の若いやつが風呂敷包みにして六部
をそこへ案内した。表まで来ると、もぉ若いやつらほぉほぉの体じゃ。「六
部さん、内らへ入ることはよぉせんでな、さぁ、これでゆっくり……」六部
が風呂敷を下げて庭に入ると、庭には草がぼぉぼぉと生えたぁる。座敷へ上
がる、床が腐って踏み抜くばかり、あたりの壁は破れ果てて何ともいえん妙
な臭い「なるほど、こら化け物が出るかも分からんわい」
■と、腹ごしらえを十分にして一服してると、宵のうちは何事もないねん。
「ん〜〜ん、出そぉなもんじゃ」と、思ぉて昼のくたぶれでウツウツっとし
かけると、六部の前へ火の玉がボッ「あ、出よった。これか」火の玉を見て
ると、六部のぐるりをグルグルぐるぐるグルと舞い掛けた。段々その舞い方
が早よなって遂には裏口へスパ〜ッとその火の玉が出た。六部もあとから出
ると、裏に大きな井戸がある。井戸の中へ火の玉がス〜〜ッ。
■「この井戸にいわくがあるわい」と井戸を眺めると、東がス〜ッと白んで
きた。大勢の若いもんが「やぁ気の毒に、夕べの六部さんはもぉ冷とぉなっ
てるじゃろぉ」と見ると、悠々と煙草吸ぅてる「お六さん、変わったことあ
りませなんだか?」「いや、こぉこぉこぉいぅ訳じゃ。あの井戸が怪しぃ、
井戸替えをしてもらいたい」
■「どぉいたしまして。庭へひと足入っても祟りがあるといぅ怖いうち、井
戸替えなんか出来ません」「いや大丈夫、わたくしが井戸の底へ入ります」
と、六部が井戸の底へ入って井戸替えをした。出て来たんが金じゃ、しかも
その金が三千両。つまり、金の精が人に見てもらいとぉて火の玉となって出
よったが、怖がって誰もよぉそれを見届けなんだ。
■「こら結構なことじゃ」と、その金をそのまま懐へ入れると役所へ届けた
が、役人が困った「受け取る人がない、持ち主の無い金、これは天から六部
に授かったものじゃ」と、ポ〜〜ンとお下げ渡し、三千両の分限者となった
なぁ。
■「こんな金がありながら六部するに至らん」と、松阪でひと商売が呉服屋
じゃ。その呉服屋がドンドンどんどんドンドンと出世をしたんじゃ。なぁ親
爺ここやで……
■金を貯めたい、金が大事やといぅので食ぅもんもよぉ食わんと始末をして、
落語ひとつよぉ聞きに行かんと、わずかな金を積み上げたヤツは小金は出来
るか知らんが大金はでけんなぁ。大金をしょ〜と思たら運が付かなんだらで
きんぞ。
■松阪へその先祖が入ったのが運の付きはじめ、化け物が出るうち承知で泊
まった、運に運が付いた。井戸替えをした、三千両の金上がった、運に運に
運が付いたんじゃ。呉服屋してバッタリとへたったらそれまでやが、ドンド
ンどんどんドンドン繁盛した、運に運に運に運が付いたさかいに日本一の長
者となったんじゃ。
■それで大阪では三井のことを長者とか金持ちとか言わんねん「ドうんつく」
とこぉ言ぅのじゃ。嘘やと思うな、三井のしるし「井桁」の中に「三」の字
が書いたぁるなぁ、井戸の底から三千両の金が上がって、それが元手であれ
だけの長者になったので「井桁に三」が三井のしるしじゃ、分かったか。
■われとこかてそやろが、始めからこんな立派な造り酒屋やなかろが、われ
の親父か爺か曾爺か知らんけれども、些細なとこからやってきたのが、運に
運に運に運が付いてこれだけの立派な造り酒屋になりさらしたんじゃ。われ
とこそれで「ドうんつく」ちゅうてやったんじゃ「長者」ちゅうてやったん
じゃ。長者言われて腹が立つのんかい? ドうんつく!
◆やぁ〜、堪忍しとくなされ、もぉ田舎もんの悲しさじゃ「ドうんつく」と
言ぅたんで悪いこと言ぅたと思たんじゃ。えらい勘違いしました、どぉぞ堪
忍しとくなはれ、この通り謝る■ことさえ分かったら謝らいでえぇけどな、
そこらのガァガァ言ぅてけつかる若いやつ何や?
◆こいつらみな、うちの若いやつらでな■そぉか、そろいも揃ろた「ドうん
つく面」してるわい◆こいつら、ドうんつく面か。みなお礼を申せ、蔵行て
仕事せぇ■親っさん、暖簾(のぉれん)のとこから誰や顔出したなぁ?◆あぁ、
あらせがれの嫁じゃ■そぉか「メうんつく」か◆メうんつくとは有難いなぁ。
■お、可愛(かい)らしぃ子ぉが帰って来たなぁ?◆可愛らしぃことあるかい、
この鼻垂れの腕白で困ってんのじゃ、孫じゃ■あぁ孫か、こいつ「コうんつ
く」やなぁ◆コうんつくとは有難いなぁ。こいつ、大きなったらドうんつく
になるじゃろか?■なるとも、こいつら金箔付きのドうんつくになるで。
◆金箔付きとは有難い、よぉみな誉めとくなはった。どぉじゃ、二、三日逗
留してウンと酒を……■いや、そんなわけにいかんねん。何じゃ急くよぉな
急かんよぉな旅してんねやさかいな。今日はこれで立つことにする◆そぉか
いな、二、三日逗留してくれりゃえぇのに。それじゃまぁ待っとぉくれ……
◆次助よ、大きな瓢箪に酒いっぱい、こっち持って来い……。客人、これ荷
物になって悪いけどもな、道で喉が渇いたら水の代わりになと思て、呑んどぉ
くれ■そぉか、すまんなぁ親っさん、こんな立派な瓢箪付きに。ほなまぁこ
れだけは頂戴するで◆今度この街道を通るちゅうなことがあったら、そのと
きにはゆっくりと逗留してや■どぉも、ありがとぉ……
* * * * *
■早よ来い●怖わぁ〜、こわぁ〜、わいもぉ今日はあかん思たがな。命助かっ
た。けど、わいが兄貴兄貴と言ぅて立てるだけの値打ちがあるなぁお前、偉
いなぁお前。お前がペラペラ〜ッとしゃべったんであの親爺、ペコペコお辞
儀しやがって謝って瓢箪付きの酒までくれやがった。お前は偉い。わしゃ改
めて感心したが、何か、あれホンマのことか?
■何がい?●「何がい」て、お前が「三井のドうんつく」のいわれ■そんな
ことホンマか嘘か分かるかい●「分かるかい」て、お前ペラペラッと言ぅた
やないかい■あれは俺が大阪で落語聞きに行たら、噺家があんなこと言ぃよっ
たんじゃ。なぁ、それを俺が覚えてたんや。
●おぉ、噺家があんなこと言ぃよったか……、そぉすると、噺家ちゅうやつ
は為んなること言ぅなぁ■噺家は為になること言ぅで、噺家っちゅうよぉな
もんはなぁ、ゲラゲラげらげらと笑ろて聞ぃてたかてあかんねで、味おぉて
あんじょ〜聞くと、落語といぅものはゆぅにゆわれん味のあるもんやさかい、
えぇか、お前も大阪へ帰ったらなぁ、浄瑠璃や芝居そんなことやめて、落語
聞け。
●そぉするとも。そぉか、落語がそれほど為になることとは、俺は思わなん
だが……、ほなまぁそぉいぅことにするわ■そぉせぇ、そぉせぇ。
と言ぅてると、後ろの方から「大阪の衆や〜〜い」
●あかん、兄貴来よったで。あの親爺の人相が変わってるよぉに思うが……
感づいてわいら二人を殴りに来たんとちゃうか■ビクビクすな、弱いガキなぁ
あの庭であんだけのやつらにあんなもん持って取り巻かれたらちょっと危な
いけども、こんなとこ親爺が二匹や三匹来やがったかて、蹴り倒して逃げた
かて知れたぁるわい。弱いこと言ぅな。
■親っさん、まだ何ぞ用でも残ったぁんのかい?◆なんの、残ったぁるもん
かい。どぉも先ほどはなぁ、田舎もんの悲しさに勘違いしてあんなことをし
たんじゃが、わしも腹からの悪人じゃないのじゃ。どぉぞ堪忍しとぉくれや
■そんな丁寧に謝ってもらわんでも構わんで◆ありがとぉなぁ、大阪のお方
は腹が太い、腹も立てんとそぉして堪忍してくれたが、どぉもありがと。
■しかし、どぉいぅ訳で呼び止めたんや?◆他でもないがな、お前さん方大
阪の人じゃっちゅうたなぁ。旅もそらまぁよかろぉ「可愛ぃ子には旅をさせ」
若い身空や旅をして苦労を舐め、いろいろとして人間をこしらえ上げる。こ
ら、えぇには違いないこっちゃけどもな、もぉ旅といぅよぉなことはえぇ加
減思い切ってしもて、早よ大阪へ帰って一生懸命ウンと働きなされや。
◆人間は働かなあかんで、ややこしぃことして、楽して金儲けよなんて思た
かて、そいつはダメじゃ。そんなことが成功する気遣いないのじゃ。ウンと
骨身を惜しまず、汗をかいて貯めた金こそホントの値打(ねぐち)ちのある金
や。旅はえぇ加減にやめて早よ大阪に帰ってウンと働いて三井さんとこ、ま
たわしとこのよぉに、お前さん方も「ドうんつく」に早よぉなりなされや。
■聞ぃたか、まだあんなことぬかしてけつかる……。おい親爺、えらい折角
やけどなぁ、わいら二人は「ドうんつく」ちゅなことは大嫌いじゃわい。
【さげ】
◆あぁそぉかい、生まれ付きの貧乏人はしょ〜のないもんじゃのぉ。
【プロパティ】
うんつく=アホ。間抜け。「運尽く」か?
見当=大よその方向・方角。
酒塩(さかしお)=食物を煮る時、味付けのために加える酒。
ホゲタ(頬桁)=頬骨。転じて、悪口、口のわるいこと。
鐚銭(びたせん)=粗悪な銭。特に室町時代の永楽銭以外の私鋳銭。江戸時
代は寛永通宝鋳造後の鉄銭をいった。びた。びたぜに。
三井八郎右衛門=「三越」の創業者。三井越後守高安の子、則兵衛高俊の
とき松阪で質屋・酒屋を始めた。江戸へ出て呉服店越後屋を開業「現
金安売無掛値」の革新商法で成功し、同時に両替店を創設した。
鴻池善右衛門=江戸時代の大阪の豪商。二代を除き歴代善右衛門と称した。
初代正成(?〜1693)は1656年両替店を開く。三代宗利は家業を発展さ
せ諸国三十二藩と取り引きし、また1707年河内国若江郡(東大阪市)に
鴻池新田を開いた。
六部=六十六部:法華経を六十六部書き写し日本全国六十六か国の国々の
霊場に一部ずつ奉納してまわった行脚僧。巡礼姿で米銭を請い歩いた
一種の乞食。
与太人=でたらめ。よた者。素行不良者。ならず者。愚か者。
分限者=金持ち。財産家。
気遣い=心配。おそれ。懸念。
音源:橘ノ円都 1967/03/25 NHK放送演芸会
特別謝恩:Yさん、資料聴取させていただきありがとうございました。
「東の旅」シリーズ
東の旅発端 → 七 度 狐 → 鯉津栄之助 → うんつく酒 →
常太夫義太夫 → 軽 業 → 軽業講釈 → 三人旅浮之尼買 →
軽 石 屁 → 矢 橋 船 → 宿 屋 町 → こぶ弁慶 → 三 十 石
【作成メモ】
●参 照 演 者:main=橘ノ円都 sub=*
●main高座記録日:1967/03/25 ●音 源 名:NHK放送演芸会
●ファイル公開日:2002/12/22 ●江戸落語相当:長者番付
●更 新 日:2002/12/22 ●リクエスト数:
●注 意 事 項:内容を削除、追加、改訂している部分があります。
記録日のmain演者によるさげを採用しました。
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