【上方落語メモ第7集】その328

強  情  灸


【主な登場人物】
 辰っつぁん  熊はん

【事の成り行き】
 社会に出てはじめの一年間、営業職として他人の飯を食わせていただきま
した。ごく普通の一般会社勤め人としてはネクタイ・スーツがユニフォーム
のようなもので、ギュッと首根っこを締め付けられ、とても楽とは言えない
にもかかわらず馴染まされるのにそんなに時間はかかりませんでした。

 ところが一旦染み込んだ慣れを元に戻すとなると、これが大変なんですね。
一年を過ぎて版下職人として働くようになって、仕事の能率を上げるために
は首まわり、腕まわり、なるたけ楽に動く服装が良いはずなのに、スーツを
着ないことには気持ちが落ち着かなくなってました。結局、馴染むまでにか
かった時間の数倍、二年近くかかって完全に解放されるまで、週のうち数回
はネクタイを絞めていたような気がします。

 ズボンからシャツを出して着る派か、中へ入れる派か、これで年代という
か若さ加減が分かると言います。もちろんわたしは入れる派ですけど、夏場
家に居て気分がだらけているときには出す派です。さすがに外出するときに
はゾベリと外によう出しません。

 出す派、出さない派どっちがどうという正解を導くのは服飾史家にお任せ
しとくとして、年代が特定できるほど固定一般化されたスタイルということ
は、これはもうファッションと言うよりフォーム=様式に限りなく近い状態
でしょうね。

 このフォームに馴染んでしまうと、先にも言いましたように抜け出すには
相当のエネルギーを必要とするでしょう。それが証拠に最近、スーツ姿でシャ
ツをゾベリとズボンから出してネクタイをだらしなく緩め、靴のかかとを引
きずりながら携帯片手にうつむいて歩く、こんなジェネレーションが出現し
てきたようです。

 「ファッションだ、文句あっか?」オジンを自認し始めたわたしは反論す
る主張なんか持ち合わせませんので「そんなもんですか」なのですけど、自
らは強情にシャツをズボンの中へ入れている今日この頃です。

             * * * * *

■おい、辰ッ、辰やないかい。どこ行きや、ちょっと寄っていったらどない
や?●あ、こら熊か■「熊か」やないがな、どないしてんボォ〜ッとした顔
して?●いや実はな、こないだからちょっと体の具合が悪かったもんやさか
いにな、灸(やいと)据えに行ったんや。

■ほぉ、灸か。いやいや、おかしな按摩するぐらいやったら、灸の方がよぉ
効くてなこと言ぅさかいなぁ。で、何やその手に持ってる袋は?●これか、
こらお前モグサやがな■あなるほどなぁ、灸屋だけで据えるんやのぉて家帰っ
ても据えよっちゅう魂胆かい。

●いや、そぉいぅ魂胆でもないねんけどな、実を言ぅとな、ここんとこちょっ
と灸屋に顔出しでけんことになってんねん■「顔出しがでけん」そら話が穏
やかやないがな、何ぞあったんか?

●話せんと分からんねんけどな、こないだからずっと頭が重たかったもんや
さかいに、関口の隠居はんとこへ相談に行たんや。ほな「お前そら肩が凝っ
てるんやで、肩凝りといぅのは万病の元やさかいに治さんといかん。灸でも
据えに行たらどないや」っちゅうんでね、隣り町にある灸四郎ちゅう灸屋教
えてもろたんや。

■あぁ、あの熱いっちゅうんで有名な灸屋か●そぉやがな、まぁその代わり
よぉ効くちゅうねんけどな。行たところがえらい人や、わしゃあんなもん年
寄りしか据えへんもんやと思てたけど違うなぁ、この頃また流行ってるか何
かして、わいらぐらいの若い人間もぎょ〜さん来てんねやがな。そぉそぉ、
中には若い女ごも来てんねで。

■ほぉ、若い女ごも来てんのん?●来てんねやがな。まぁぎょ〜さん居とっ
たけど中に一人だけ別嬪が居とったなぁ、年の頃なら二十四、五、六、七、
八、九■どこまで行くねんな●色の抜けるよぉに白い、どことなしに愛嬌の
あるえぇ年増や。わしゃこの女ご見れただけでも灸屋来た甲斐があったなと
思たなぁ。

■お前、何を考えてんねんやらしぃやっちゃなぁ。でどないしてん?●さぁ、
この女ごに会えたんはえぇねんけど、いまも言ぅよぉにえらい人やろ、お前
も知ってるよぉにわしゃイラチやがな、待ってんのがだれるがな。どないし
たろか知らんホンマにもぉ……、イライラキョロキョロしとったんや。ほん
だらその年増が「ちょっとお兄さん、ちょっとお兄さん」わいに声かけよん
ねん。

■ほぉ●「何だんねん?」ちゅうたら「お兄さん、えらいお急ぎの様子でご
ざいますけれども、何でございましたらわたしの番と代わりまひょか。いえ、
わたしも据えるつもりで来ましてんけれども、最前から人さんのん見てます
とどぉも熱いよぉに思えて、据えそびれておりますのん。よかったら番代わ
りまひょか?」と、こない言ぅねん。

●「そらえらい厚かましおまんなぁ」「厚かましいことおませんわ、わたし
の方からお頼みしてまんねんさかいに」と、ニィ〜ッと笑ろた顔がね、たま
らんねん……■よだれを拭け、よだれをホンマにもぉ。ほんでどないしてん?
●さぁ「ほんだら、えらい済んまへんなぁ」ちゅうて代わってもろたと思いぃ
な。そぉこぉするうちに奥の方から「次のお方」て呼びよんねん、わいの番
やがな。

●「ほんだら姐さん、お先ぃ失礼さしていただきます」ちょっとかっこつけ
て中へシュッと入って行ったってん。この女ごが後ろで見てるかいなぁ思た
ら、着物脱ぐのも力が入るで。シュッと着物を脱いでケツをパッとまくって
決まったとこなんかは、まぁお前にも見したかったなぁ。

■見とないわ、そんな汚いもん。誰が見たいねんホンマに●ほんだら周りの
連中が焼餅半分に何やゴチャゴチャ言ぅとんねん「もし、あの男えらい粋がっ
て入りよりましたけども、よぉ辛抱しよりまっしゃろか?」「あきまへんあ
きまへん、そんなもん皮切りで泣き声上げよりまっせ」こんなこと言ぅとん
ねん。

●その声がわいの耳にチラッと入ったもんやさかい、この辺の線プチップチ
プチ、五本ほど切れたがな。ましてやこれ、番代わってくれた女ごに対して
もあとへ寄られへん、そやろ。

●灸屋がモグサと線香持って後ろへ回りよったもんやさかいに「おい、お前
とこきょう何ぼほど据えるつもりやねん?」「へぇ、きょうはとりあえず三
十三ほど据えさしていただきます」「何? たったの三十三かい。おらこぉ
見えても忙しぃ人間じゃ、一つずつボチボチ据えてたんでは夜が明けてしま
うわい。かまへん、三十三、いっぺんに据えてくれ」

●向こぉへ聞こえるよぉに大きな声で言ぅたったんや。ほんだらまぁその女
ご「まぁ男らしぃお人やこと、わたしもおんなじ所帯の苦労するんやったら
こんな男気のある人と、ひと苦労もふた苦労もしてみたいわ」

■何かいな、その女ごそんなこと言ぃよったんかいな?●さぁ、言ぃたそぉ
な顔してこっち見とんねん■言ぅたんと違うんかいな●顔見たら分かるがな、
腹で言ぅとるがな、目ぇ見たら分かるがな。ほたら灸屋が「兄さんにぃさん、
そんな無茶なことやめときなはれ。三十三もいっぺんに据えたらかえって体
に毒でっせ。悪いこと言わしまへん、そんな無茶なことはやめときなはれ」

●と、わしゃ言ぅてくれるもんやと思うがな。あんなとこで迂闊に冗談言ぅ
もんやあれへんで、シャレが分からんねがな「さよか」言ぅなり、三十三の
モグサ背中へペペペペペッ早いの何の、もの言ぅ間も何もあれへんがな。据
えたと思たら今度は火ぃや、線香の火をシュシュシュシュ……

●しばらくしたらジュワァ〜ッと熱なってくんねがな「うぅ〜ッ」っと熱い
んやけど、この女ごの手前辛抱せんとしゃ〜ないやろ「ん〜ッん〜ッ……」
けどお前、背中で三十三の火がいっぺんに燃えてる、背中で焚き火してるよぉ
なもんやがな。

●しまいに辛抱たまらんよぉになって「熱っつぅ〜ッ」一間ほど飛び上がっ
たなぁ。そこらのもんバンバン、バババババッ蹴り倒して表へシュ〜ッと飛
んで出た。あんときわしゃつくづくカチカチ山の狸の気持ちが分かったなぁ。

■何をしょ〜もないこと言ぅとんねん●それからかっこ悪ぅて、向こぉの灸
屋顔出しでけんねがな。ほんでこないしてちょっとずつ買ぉて来て、隣りの
お婆んに据えてもろてんねがな■ケッタイなやっちゃなぁ、お前わ。たかが
灸やないかい、しっかりせんかい。

●「たかが灸」ちゅうけどねぇ、あんな熱いもんないよ。おら背中に爆弾が
落ちたんか思たがな■何を言ぅてんねん、あんなもん皮の上チリチリチリッ
と焼くだけのことやがな●せやけど、そのチリチリが熱いねんさかい■「熱
い熱い」言ぅけどなぁ、熱いさかい効くよぉになったぁんねん、熱なかった
らすでにもぉシビレたぁんねやがな。

●お前はねぇ、据えたことないさかいそんな気楽なことが言えるんや。おら
現に背中に三十三個の灸……■おいおいおい、いま聞き捨てならんこと言ぃ
やがったなこいつ。えッ、わいが「灸を据えたことがない」やと。言ぅて悪
いけどなぁ、おら子どもの時分から灸は据え慣れてる、据えすぎてるっちゅ
うやっちゃ。おかしなこと言わんといてくれ。

●そぉ言ぅとお前、子どもの時分、寝ションベン垂れしてお婆んに据えてもぉ
てたなぁ■やかましわアホ。お前らみたいなあんな豆粒みたいなんと違うぞ、
わしらこんな大きな灸でなかったらもぉ効かんよぉな体になってんねんさか
いな●あのねぇ、その豆粒みたいなんが、かえって熱いねんさかい。

■まだぬかしてけつかるな、よっしゃ、そのモグサちょっとこっちかせ●え?
■モグサをこっちへかせっちゅうねん●こんなもん、どないすんねん?■ホ
ンマもんの灸ちゅうんはこぉいぅ風に据えるといぅ見本を見したるさかい、
こっちかせちゅうねん●そんなことできるのんか?

■でけんのん か? か? 何かしてけつかんねん、こっちかせアンダラ。
このモグサをやなぁ、こぉしてこぉみな出して、こぉしてこぉ……、よぉほ
ぐすねん●おい、お前それみないっぺんに据えるつもりか? それ、やめと
いた方がえぇのんちゃうか、そら無茶やで。

■何かしてけつかんねん、これから「ビックリ据え」っちゅうのん見したる
さかいよぉ見とけアホ。これをこぉよぉほぐして、形をこぉ……、整えてや
ねぇ●うわぁ〜ッ、何やソフトクリームみたいなもん作ったなぁ、ちょっと
こぉトッピングしょ〜か?

■アホなこと言ぅてんと、ちょっと線香に火ぃ点けてこっち持って来い●お
前、それホンマにやる気ぃか? それやめといた方がえぇで無茶や■何かし
てけつかんねん、俺が承知で俺の腕でやるちゅうてんねやないか、誰に文句
言われる筋合いあるかい、こっちかせ。

■えぇか、ひととこへ点けたんでは火の下りが悪いさかいに、周りにズ〜ッ
と点けていくんやないか、こぉズ〜ッと。見てみぃお前、勢いよぉ煙が出て
来たやろ「わが胸の燃ゆる思いにくらぶれば、煙は失せし桜島山よ」これを
我々の方では「桜島据え」っちゅうねん、よぉ覚えとけ。

■おいッ、ボォ〜っとしてんとそっちから吹け、風送れっちゅうねん。火が
よぉ下りるよぉに、フッフッフゥ〜ッ……、お前らこんな灸の一つや二つで
ギャ〜ギャ〜ぬかすなよ。むかし石川五右衛門といぅ盗賊は京都の三条の河
原で釜茹での刑に遭ぉたっちゅうねん。釜茹での刑、熱いねんぞ。

■こぉ釜に油を張って、その中へタプンと入れられて、下からボワァ火ぃ焚
き付けられんねん。ゆわば人間の天ぷらじゃ、グラグラッグラグラッ油が煮
えたぎってる中、五右衛門は涼しぃ顔して辞世の句を詠んだっちゅうなぁ。

■「石川や、浜の真砂は尽きぬとも、われ泣きぬれて蟹とたわむる」●あの
ね、お言葉返すよぉですけどね、それ啄木の歌と違うか?■やかましわい。
おんなじ石川やないかいゴジャゴジャぬかすなアホ。それから比べたらこん
なもん、屁ぇみたいなもんじゃアホ。お前なぁ、釜茹での刑に遭ぉて涼しぃ
顔してたんやで。男っちゅうもんは少々我慢するっちゅうことせなんだらどぉ
すんねや。

■こんな灸の一つや、二つで、お前……、石川五右衛門を見習え五右衛門を。
釜茹での、刑に、遭ぉて……、吹くなアホ。風送るなアホ。こんなもんお前、
自然と下りる火でなかったら……、はははっ、はははははッ

●何がおかしぃねんな? 熱いねんやろ、熱いねやろ?■何言ぅてけつかん
ねん、いまピッと来たとこじゃ。石川五右衛門はお前、釜茹での刑に遭ぉて、
ぱ、ぴ、ぷ、ぺ、は、へ、ほ……、ぴぃ〜ッ、ぴぃ〜ッ、ぴぃ〜〜ッ

●何やねんな? 熱いのんとちゃうん?■はんにょん、にゃん、にぇん、は
んにょん、ぴぃ〜ッ、ぴぃ〜ッ……、あぁ冷たい!●強情なやっちゃなぁ、
熱かってんやろお前?


【さげ】
■熱ないわい、わいは熱ないけど五右衛門はさぞかし熱かったやろなぁ。


【プロパティ】
 関口の隠居=都丸さんの師匠、桂ざこばさんの本名は関口弘。
 イラチ=短気。
 石川五右衛門=安土桃山時代の伝説的な盗賊。1594年、子とともに釜煎り
   の刑に処せられたという。歌舞伎「楼門五三桐」ほか多くの作品の題
   材とされた。
 音源:桂都丸 2003/05/15 上方演芸ホール(NHK)



【作成メモ】  ●参 照 演 者:main=桂都丸 sub=*  ●main高座記録日:2003/05/15  ●音  源  名:上方演芸ホール(NHK)  ●ファイル公開日:2003/11/16  ●江戸落語相当:*  ●更  新  日:2003/12/07  ●リクエスト数:rakug328  ●注 意 事 項:内容を削除、追加、改訂している部分があります。           記録日のmain演者によるさげを採用しました。

GO TOP   前ページ   次ページ   落語目次