【主な登場人物】
床屋に集まるオッサンと若いもん
【事の成り行き】
床屋、今はもうそんな呼び方しません。わたしの世代なら散髪屋、これも
もうあまり呼ばなくなったようです。今ならさしずめヘヤーサロン、カット
サロンと呼ぶのでしょうか。植木いじりがガーデニングになったようなもん
か。
いつも綺麗にされてる方なら月に二度、三度は整髪に通われるようですが、
わたしのように鬱陶しくなったら切るというライフスタイルを通していると、
三か月に一度、ヘタをすれば四か月に一度ということもあります。こうなる
と整髪、調髪なんてものではなく、やっぱり散髪がふさわしいように思いま
す。
今でこそ、平日昼前の空いた時間を見計らって飛び込めばスッと取り掛かっ
てもらえるので、待ち時間の退屈を過ごさなくてもよくなりました。休日に
しか時間が取れなかった頃は、待ち客が椅子にズラッと並んで、いつ来るか
分からない順番をひたすら耐える時間の長かったこと、それであんまり散髪
は好きではありません。
待つのが嫌なので比較的空いているのはいつ頃か尋ねると、給料日前が狙
い目と教えていただけました。まさかこの裕福な時代に給料日前に散髪代に
事欠く人がいるとは、意外な答えに驚きつつも、ある種新鮮な国民実態に触
れる思いがしたもんです。昔も今も浮世と散髪屋さんは濃い〜ぃ関係がある
んですね。
* * * * *
男の髪型、昔はちょん髷。鬢付(びんつけ)やなんかでコテコテに固めまし
てな、こんなとこ剃ってしもて鉄火巻きみたいなもんこしらえて乗せてもら
う。でっさかいに、やってもらうのに時間がかかります。
待ってる人が退屈をせんよぉに、昔は床屋さんまいりますと碁盤、将棋盤、
草双紙、双六、講釈の速記本、遊び道具が揃ろとります。いまでも散髪屋さ
ん行きますとテレビが置いてあったり、ラジオが置いてあったり、週刊誌が
置いたぁる。
昔はそぉいぅもんがないから碁盤、将棋盤、草双紙、双六、講釈の速記本。
町内の若いやつが暇なと、別に頭やってもらうわけやのぉても、髭剃っても
らうわけやのぉても、床屋寄って遊んでた、のんびりした時代ですなぁ。
床屋さんの待合室、真ん中に大ぉきな火鉢がド〜ンとこぉ置いてある。あ
の火鉢ちゅうんは妙なもんでんなぁ、暑い寒(さぶ)いにかかわらず、火が入っ
てると入ってないとにかかわらず、火鉢があるとみなこの火鉢の周りへ何と
なくこぉ寄って来るんですなぁ。
あれあの、暑い寒いあんまり関係ないです。火ぃが入ってなくても火鉢が
あると、なんか火鉢の周り寄って来る。火鉢が真ん中にあって人間みな壁へ
へん張り付いてるちゅなことないんで。で、床屋さん、大きな大和(だいわ)
の火鉢、綺麗ぇに灰が掻きならしてましてな。
で、この五徳が入ってましてね、で、この薬缶がかかってる。南部鉄の鉄
瓶とかね、それから銅(あか)の薬缶。銅の薬缶なんてのはこのごろあんまり
のぉなりました。昔は銅で槌目の茶瓶とかね、なかに真鍮で瓢箪型なんての
が、もぉこぉなると珍品ですなぁ。
でっさかいに、親っさんとか小僧がヒマにあかして磨く。親っさん自慢。
ピカピカ顔が写るんです。こぉいぅのが五徳の上へ乗せたぁる。ピカピカ光
りますから顔が写ってね、そぉなると馬鹿がおのれの顔を写してるやつがあ
る。
相手が瓢箪型ですから、上へもってっても下へもってっても具合が悪い。
ちょ〜ど遊園地のマジックミラーの前へ立ったよぉなもんでね、相手の形が
変わらなんだら顔の方で加減せなしょがないっちゅうやつでね……、だんだ
ん妙な顔なりよる。
またこっちの方では薬缶の口からシュンシュン、シュンシュン湯気が吹き
出てる、吹き出てる湯気を中へ吹き込んでる馬鹿がある。ふぅ〜ッ、ふぅ〜ッ
吹いてるあいだはよろしぃ、息を休めるもんでっさかいに湯気の返りが来て
口火傷しとぉる。ふぅ〜ッ、ふぅ〜ッ……、ひぃ〜ッ! 猫みたいなやつが
できてます。
なかにはこの、順番待ってるあいだに髭抜いてるやつがあるんですなぁ。
もぉすぐ順番が来たら剃ってもらう髭、待ってるあいだに抜いたかてしょが
なかろと思うんですけど……、抜いただけではオモロない、前の障子へこの
髭植えとぉる……
ただ植えただけではオモロないっちゅうんで、植えた髭で絵ェ描きはじめ
よったんですなぁ……。富士山が出来上がって、松林が出来上がって、で、
向こぉ向きの坊(ぼん)さん「富士見の西行」ちょっと粋な図柄ですけども、
この西行法師にあと杖一本持たしたら終いっちゅうとこで髭がのぉなった。
「えらいことしたなぁ、ちぃ〜と長い髭が一本あったら出来上がんねんけ
どなぁ……、全然のぉなったなぁ。順番来たかて剃るとこあれへんねん……」
隣りの人、長い鼻毛一本出してグォ〜ッ……、転寝(うたたね)してるとこ、
プッチン「あ〜ッ、出来たできた」出来た方はよろしぃ、鼻毛抜かれた方は
たまらん「ヘ〜ックショッン! へぇ〜ッ……、器用なもんだんなぁ」鼻毛
抜かれて誉めてるやつがある。
なかにはまた、この隅の方で将棋指してるやつがある。床屋の隅っこで将
棋指すやつにあんまり強いやつはないんです。相手が勝ってるかおのれが勝っ
てるか、指してる本人にも分からんちゅなね。もぉこぉなると将棋やないで
すなぁ、木屑の押し合いみたいなことして遊んでます。
●オッサン、お手には?■ひとの手ぇちゅなもんは、いっぺん聞ぃたら覚え
とけ。上手な人は盤を睨んでるだけで相手の手の内が分かるっちゅうねん。
お前ら手ぇばっかり聞ぃてるやないかアホ。俺とこか……、金桂(きんけぇ)
の王やないか●お、おぉ〜……、オッサン王さん持ってるのん?
■アホやなぁお前も、さっき俺が王手飛車かけたやろ。お前、飛車取られた
らかなんちゅうて飛車逃げたさかい、おら王さん取ったんやないかい●王さ
ん取ったんか、どぉりで俺とこ王さんないなぁおかしぃなぁ思て……、まぁ
王さんぐらいなかったかて、こたえへんけどねぇ。
●オッサン、オッサンとこも王さんあれへん。オッサンとこの王さんどない
なってん?■俺とこの王さんかえ、詰められたらかなんさかい、袂入れて隠
したぁる●そんなことしないなオッサン。
ワァワァ言ぅてます。
■おい、おいッ●へ?■「へ」やないがな、柱の向こぉ側で本読んでるオッ
サン誰や?●「柱の向こぉ側?」あぁ、あら割木屋のオッサンや■「割木屋
のオッサン」……? 割木屋のオッサン、字ぃ知らんちゅう評判やで●そや、
あのオッサン字ぃ知らんねん。仮名が拾い読みできる程度しか分かれへんね
んけどなぁ、こぉやって若いもんが寄ってると、知ったかぶりして本読みよ
んねん。
■ほぉ、あのオッサン知ったかぶりか。オモロイ、今日はひとつあのオッサ
ンからこぉて遊ぼ●そんなことすな、年寄りからかうてなかわいそぉや■何
なとせな退屈や、俺に任しとけ。怒らさんよぉになぶってくるさかい……
■オッサン、オッサン……、へっへっへっ、オッサン★誰やおい? そんな
とこから妙な雁首突き出すな、ビックリするやないか。なんか用か?■「な
んか用か」て、オッサン何してまんねん?★「何してまんねん」て、見て分
からんか。こぉやって本開いてたら、本読んでんねやないか。
■本読んでんのは分かってます。本読んでんのは分かってますねん。オッサ
ンひとり本読んでてもしょがおまへんやろ、みな退屈してまんねん、若いも
んは。大ぉきな声で読んで聞かしとくなはれな。大ぉきな声で読んでもろた
ら、オッサンも楽しめてみんなも楽しめる、一石二鳥ちゅうやっちゃ。なぁ
オッサン、頼んまっさ。読めまんにゃろ?
★こら、何ちゅうものの言ぃ方さらす「読めまんにゃろ」人を疑う言ぃ方さ
らすな。何かしとぉる、俺は読めるがな。俺は読めるがな。俺は……■大き
な声出さいでも、読めんねやったら結構、読んどくなはれ★おら、おら、俺
は読めるけどもや、お前らが聞ぃても分からんわい。
■分からん本てなあるかい、オッサンが読んで分かるのにわしらが読んで分
かるわい。そら何の本や?★「何の本」て、こら講釈や■「講釈」? 講釈
やみな好きや、なぁ? みな、講釈好きや言ぅてます。講談金出してでも聴
きに行こかちゅうもん、ここでただで読んでいただけるんやったらありがた
い、みな喜んでますわ。読んどくなはれ親っさん。で、外題何です?
★「外題」……? そぉいぅこと言ぅさかい嫌いやねん俺、お前らが居てる
と知ったら、本読むんやなかったんや俺は。なんじゃらとそばへ来てゴジャ
ゴジャ言ぅて……、読むよむ、読んだらえぇねやろ。読むけど、その代わり
お前ら大人しぃ聞けよ。ゴジャゴジャ言ぅたら、おらじきにやめてしまうぞ。
★あのな、上手な人が読んだら「立て板に水」言ぅやろ。立て板に水っちゅ
うたら染み込む間ぁがあんねん、わいら読み出したらとまらへんぞ「立て板
に玉」ダララララ〜ッと転がりだしたらとまれへんねんさかい「オッサンあ
れは何でした?」と、あとから聞ぃても知らんぞ。一か所につき一回しか読
まんぞ俺は。あとで聞くな。ゴジャゴジャ言ぅたらじきにやめんぞ。
★黙って聞けよ……、ウォッホン、おぉ〜、おぉ〜ッ、フンッ、フンッ、ゴ
ジャゴジャ言ぅな。ウォッホン、黙って聞け……。喧しぃ!■何も言ぅてへ
んやないか★言ぃ出したらうるさいさかい、先怒っとくねん。黙って聞け。
ウォッホン、ウォッホン、あぁ〜、あぁ〜ッ、ウォッホン、おぉ〜ッ、旅行
けばぁ〜、駿河の国にぃ〜、茶の香りぃ〜。名代なり東海道♪
■浪花節か、オッサン?★やかましぃ、喉の調子調べてんねん。ウォッホン、
あぁ〜、あぁ〜ッ……、かぁ〜ッ、ペッ!■汚いなぁ、汚いやないかオッサ
ン★やいやい言ぅな、やいやい。ウォッホン、あぁ〜、あぁ〜ッ……
★えぇ〜〜ッ、と■わぁ〜ッ、えらいオッサン「えぇ〜」が長いねぇ★柄の
長い方が汲みやすいねん■杓みたいに言ぅてる■講釈、いぅて杓みたいなも
んじゃ、黙って聞けアホ。ウォッホン、あぁ〜、あぁ〜ッ……、はじめはこ
ら「あ」か……、あッ、あッ、あッ■からすやがなオッサン「あぁあぁ」ど
ないなってんねん?
★喧しぃ言ぅな「あぁ〜、わんわんわんわん、わんわん」■犬かオッサン?
それわ★喧しぃ「あぁ〜、あんあんあんあん、あんねあんねあんねぇ。あね
が、あねがかか、あねがかか」■妹が二号★「あねがうわぁ、あねがうわぁ、
わねがわ」あぁ、姉川っちゅう河やこれは。誰や妹の心配したやつは……
★「あねがわ、あねがわのか、かつ、かつせ、せん、のぉ、こ、と、なり」
と■領収書みたいやねぇオッサン。オッサンさっきどない言ぅた? 立て板
に玉やったやないかいな、何が立て板に玉や、横板に鳥もちや。あっちにベ
チャッ、こっちにベチャッ、ちょっとも早いことあれへん。オッサン「早い
こといく」っちゅうたやろ、早いこといけ。
★や、や、喧しわい「早やいこといけ、早いこといけ」て、そない早いこと
いくかい、アホか。そらお前ら若いもんは早いこといくか知らんけど、もぉ
この歳になりゃそない早いこと……■何の話やオッサン?★喧しぃ言ぅな、
だんだん早やなるぞ。早やなってからビックリしたって知らんぞ。
★「たぁ、たたたたっ、たぁ、たたたっ」■分かれへんやないか★ほらみぃ、
ちょっと早やなったら分かれへん、ざまみぃ「このと、このと、このと、ま
からまから、このときまっから、ぶらぶらぶらぶら。くわぁ〜、わわわ、く
わぁ〜わわわっ。トラジトラジ」■そんなとこ「トラジ」出てくるんか?
★知れたこっちゃ、世界的な名曲じゃこんなもん。どこでかって歌うわ「こ
のとき、まからじぶらぶら、くわぁ〜くわぁくわぁ、くわぁ〜くわぁくわぁ、
こけぇ〜こぉこぉこぉ、こけぇ〜こぉこぉこぉ」■何でやねんオッサン、さっ
きから聞ぃてたら「太閤記・姉川の合戦」と違うか? 姉川の合戦ときたら、
たいがいのことは分かってんねん。真柄十郎左衛門と違うか、その「トラジ
こけこっこ」ちゅうやつわ。
★知ってたら読ますなアホ。読んでんのは俺で聞ぃてんのはお前やないか。
読んでる俺より聞ぃてるお前の方が先分かるっちゅうのはどぉいぅわけや、
何ぬかしとぉんねん……。なにぃ、真柄十郎左衛門? ホンマか……「ま、
が、ら、じ、ふ、ら、ふ……」あッそぉか「まがら」と「らぁ」でいっぺん
切らないかんねんなぁ。
★「まからじ」と「じぃ」までいくさかい「ふらふ」とこぉ……、喧しぃ、
やかましぃわい「まがら、まがら、じゆうらふさ。まま、まがらじゅ〜ろぉ
ざえもんは」と、こぉいたらえぇんやろ、ざまみやがれ。
★「真柄十郎左衛門は、このとき、このときて、このときて、ときてと、て
とてとてとてと、トテチテタッ!」■何やオッサン、それわ……?
【さげ】
おなじみの「浮世床」でございます。
【プロパティ】
草双紙=江戸中期から明治の初めにかけて作られた挿絵主体の仮名書きの
読み物。
大和(だいわ)の火鉢=大和火鉢:江戸火鉢に対し、関西で多く使われた木
製テーブル形状の火鉢。江戸火鉢(長火鉢)が方形なのに対し、縁が外
へ張り出しているのが特徴。
五徳=火鉢の灰の中に据えて鉄瓶や釜などをのせる三本足の輪形の台。主
に鉄製。陶製のものもある。
南部鉄瓶=南部藩、今の盛岡の特産品。
槌目=槌目地:地金を打延ばした鎚の跡を残して仕上げてあるもの。故意
に槌で打ち地紋とする。
富士見西行=西行法師が富士を見つめている後ろ姿。画題
トラジ=朝鮮の民謡。三拍子のリズムをもつ。トラジは桔梗の花。
姉川の合戦=1570年6月、滋賀県姉川流域で織田信長・徳川家康の連合軍
が浅井長政・朝倉義景の連合軍を破った戦い。
真柄十郎左衛門=越前・朝倉家の家臣。五尺三寸の大刀を用い姉川合戦で
活躍するも戦死。
音源:露の五郎 2003/05/24 平成紅梅亭(YTV)
【作成メモ】
●参 照 演 者:main=露の五郎 sub=*
●main高座記録日:2003/05/24 ●音 源 名:平成紅梅亭(YTV)
●ファイル公開日:2004/05/23 ●江戸落語相当:*
●更 新 日:2004/06/06 ●リクエスト数:
●注 意 事 項:内容を削除、追加、改訂している部分があります。
記録日のmain演者によるさげを採用しました。
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