【主な登場人物】
犬の三兄弟(くろ、ぶち、しろ) 常吉 旦さん
太兵衛(今橋・鴻池善右衛門の手代)
【事の成り行き】
宇宙物理学者の解説など聞いてますと、この地球は絶妙のバランスで出来
上がっていると言います。ほんの少し太陽に近くても遠くても、生命が生ま
れることはなかったのだそうです。
その太陽と地球との距離は他の惑星同士の距離で決まり、惑星の距離は恒
星同士の距離で決まり、またその恒星間の距離は銀河間の距離、そしてその
大元は最初のビッグバンのときにぶっ飛ばされた速度と角度によるというか
ら、偶然の結果がもたらした必然らしいのです。
まぁ、これは宇宙を物理学的に理論立てて解釈しようという計算から導き
出された説明なのでしょうが、地球の住人、人間の世界についてもこのビッ
グバンから始まる必然が当てはまるのかと考えると、何じゃ面白いことにな
ります。
もし、この世が物理学的絶妙のバランス作用で成り立っているとしたなら、
すべての現象は始まりから予約されていた軌跡を描いて動いている、言い換
えれば、人は決められた運命をただ忠実に生きているだけ、ということにな
るのでしょう。占星術なんちゅうのはこんな考えからきてるんでしょうね。
ところが体感上、わたしを含めて皆さん方それぞれが、それぞれの考えで
勝手気まま、好き放題に動き回っているとしか見えないのですが、どうです。
それとも、勝手気まま好き放題、泣いたり笑ったりも宇宙の歴史の中に組み
込まれた必然なのでしょうか。どんなに宇宙物理学者があがいても、そこま
では計算できんやろ。さように人間世界の不思議は奥深い、そしてオモロイ。
(2003/04/20)
* * * * *
■常吉、ちょっと起きとぉくれ。いやいや、まだ起きる時間じゃありゃせん
が、年取ると夜聡(ざと)ぉなってどもならん。最前からウツラウツラとして、
もひとつよぉ寝られなんだんじゃ。表へさして何じゃ置いてくよぉな音がし
たんじゃで、拾い屋が紙屑でも置いて行たんかも分からんが、紙屑じゃちゅ
うのでまた誰ぞが焚き火でもしたらどもならんがな。
■よそさんからのもらい火、こら仕方がないとして、うちからは火ぃ出しと
もないでな。こなた眠たかろぉがちょっと見てきてくれんかいな●かしこま
りましてございます。すぐに行て参じますので……
●旦さん、えらいこってござります。表に捨て子がしてござりますので■捨
て子が、えらいこっちゃないかいな。どんなあんばいや?●あのぉ、ミカン
カゴに入れてね、ほんでボロ切れでくるんだぁりますんです■何じゃて、ミ
カンカゴに入れてボロ切れでくるんである、こらまた酷いこっちゃないかい
な。よくせきお困りになったお方に違いありゃせんが。
●あのぉ、これ返してきまひょか旦さん、よかったら?■何じゃて?●返し
てきまひょかい、これ?■無茶言ぅたらどんならんなぁ、捨て子どこへ返し
に……、あぁ、聞ぃたことがありますで、子どもを捨てなはった親御はな、
やっぱりその子どもが内らへ入れてもらうまでは気になって、その場をよぉ
立ち去らずに遠くの方から、こぉ見え隠れして見てなさるといぅこと聞ぃた
ことがあるが、それらしぃお方の影でもござんのか?
●どなたもおいでやおまへん■どこへ返しに行こちゅうねん?●お隣りさん
です■え?●お隣りさん■何でお隣りさんが捨て子なさる?●いぃえ、お隣
りさんがしはったわけやないんで、お隣りさんの前へ捨ててあったんですね
ん。先起きてどぉやら見付けはったらしぃんです。ズズズズ、ズッと引きずっ
た形が地べたへはっきり付いとりますので分かるんです。
■お隣りさんのなさりそぉなこっちゃなぁ、町内一の始末屋やさかいなぁ向
こぉわ……。いやいや、そぉして念を入れて連れて来られたもんなら放っと
くわけにいきゃせん、こっち入れてやんなされ●あのぉ旦さん、何でござい
ます、ご兄弟がござりますが■ご、ご兄弟が? 何人ござんねん?●三匹で
す。
■これ! 何ちゅうことを言ぃなさる「三匹」やなんて犬の仔みたいに●旦
さん、これ犬の仔ですけど■アホ……、それを先言わんかいな、わたしゃ人
間の児(やや)じゃとばっかり思てビックリしたじゃないかいな。犬の仔かい
な、やれやれホッとひと安心じゃが、犬じゃといぅても生きもんじゃ、放っ
とくわけにいきゃせん、こっち入れてやんなはれ……。常吉どんなあんばい
じゃ?
●わ、わ、わぁ〜ッ、旦さんこれね、今の今まで親の元に居ったんでっせ、
コロコロしてまっしゃないか。三匹いてまんねんけど、これ白と黒とマンダ
ラなってまっしゃろ、こんなんブチ犬ですけどね、こんなんちょいちょいい
てますねん。
●わぁ今度のやつ真っ白けだんなぁ、頭の天辺から尾の先まで真っ白です。
こんなん尾も白い犬ちゅうてね、おもしろい犬、面白い犬……。わぁ〜、こ
いつ真っ白と反対に真っ黒けですわ、頭の天辺から足の先まで真っ黒けでっ
しゃないか、あ痛たたた……、噛みよった、こんなん喧嘩なんか強いんでっ
せ。ホレ見てみなはれ言わんこっちゃない尾ぉかて左巻いたぁる。旦さんこ
の犬わたいにおくなはれ。
■何を言ぅのじゃ、丁稚奉公してて犬もろてどないしょ〜ちゅうねん? 無
茶言ぅたらどんならんなぁ。ほぉ〜ッ、可愛ぃもんじゃなぁこぉして見ると、
コロコロころころとして。どないぞして大きぃしてやらにゃならんのじゃが
わたしゃこの歳になるまで犬の仔一匹、猫の仔一匹大きしたことがない。
●旦さん、わたいうちのお父っつぁん飼ぉてましたよってよぉ知ってまんね
ん。わたい小(ち)さい時分に世話したことおまっせ。こんな小さい時分はね、
まだご飯よぉ食べしまへんよってね、おかいさんして鰹かけてやったり、ほ
んでまた炊き込みしてオジヤみたいにしてやって大きしまんねんで。
■なかなか手間のかかるこっちゃなぁ。常吉、こなたが飽かずに世話をする
といぅのなら飼ぉてやってもえぇで●旦さん、わたい一生懸命世話しまっさ
かい飼ぉてやっとくなはれ!
縁といぅものは面白いもんでございまして、これが縁になりましてこの三
匹の仔犬がお店へ居ついたわけでございます。犬の仔でございますから、も
のの十日もいたしますといぅとすっかりお店の人にも慣れまして、表でもっ
て荷造りをしてますといぅと、足もとをばコロコロころころじゃれ回る。丁
稚さん、子ども(衆)っさんがお使いにまいりますといぅと、そのあとを付い
てまいりましてちゃ〜んとお供をして帰ってくる。
すっかりこの家(や)の一員になりかけました、さてある日のこってござい
ます。
▲えぇ、ご免を■へっ▲主さんわ?■わたくしが……▲まことにつかんこと
をお尋んねしますが、表で遊んどります三匹の仔犬、あれはこちらさんの?
■へぇ、今では手前どもの犬ちゅうことになっとりますんですが、どぉぞ粗
相でもあったんなら、畜生のことじゃで堪忍してやってもらいたいので▲さ
よぉではござりません、実はあの中の一匹をば頂戴でけんものかと思て、お
願いに上がりましたよぉなこってござります。
■あ、さよか、いやぁ〜よぉ来とくなさった、喜んどりますのじゃ。とりあ
えず三匹飼ぉたもんの、商人(あきんど)の家に犬が三匹も居るとややこしぃ
てどもならんでな、どなたぞ一匹でも二匹でももろてくださるお方が現われ
りゃと思て、心待ちにいたしとりました。結構でございます、どぉぞどぉぞ
持ってお帰り。
▲早速のご承引ありがとぉございます。あの中で全身真っ黒の犬がござりま
すが、あれが頂戴でけんものかと思いまして■何です、クロですか? クロ
がお気に入りなさった。ははハァ〜ッ、誰の思いもおんなじこっちゃ、うち
の子ども連中も、あれ一番可愛がっとります「クロ、クロ」ちゅうてな。そ
んなことちょっとも構やせん、どぉぞ連れてお帰りを。
▲ありがとぉございます。帰りまして主に申しますれば、いかほど喜びます
ことでございましょ〜。本日はこのとおり通りがかりでございますで、一度
帰りまして日を選んで、吉日を選びましていただきに上がりたいと思います
ので、その節にはなにぶんよろしゅ〜、さいならごめん。
■アホ……。常吉、犬可愛がるのもたいがいにしときなはれ、どんならんで
ホンマにもぉ。今のお方何言ぃに来たんじゃあれ、ご近所で評判してござん
のじゃ、うちがあんまり犬可愛がり過ぎるでな「向こぉ行て犬のこと、たい
そぉに言ぅてやったら喜びよるで」なんて「その喜ぶ顔見て笑ろてよかい」
てなことで、なぶりに来なさったんじゃ。
■そぉじゃないかい、今のお人何言ぅて帰ったんじゃ、たかだか犬一匹もら
うのに何じゃて「帰りまして主に申しましたら、いかほど喜びますことでご
ざいましょ」いかほども、たこほどもあるかコラ……。何じゃて「今日は通
りがかり、いっぺん帰って吉日を選んでいただきに上がります」何で犬もら
うのに吉日を選ばんならんねん、どんならんでホンマにもぉ。なぶんに来な
さったんじゃ。犬可愛がるのもたいがいにしときなされ。
こんなことがございまして、ものの十日もいたしましたある日のこってご
ざいます。こないだ「犬をくれ」とお越しになったお方が、今日はまた紋付
きに羽織・袴でございまして、手には白扇を持ちまして……
▲これはこれは主さんでございますか、先日はまことに失礼(ひつれぇ)をい
たしました。本日お約束の犬を頂戴に上がりましてございます……。あぁ、
これこれ、それこっちにな……。えぇ、これらの品はまことに失礼ではござ
いますが、手土産代わりといぅことでお受け取りいただきとぉ存じますので。
■あんさん、こないだ「犬をくれ」と言ぅてお越しになったお方ですなぁ、
お身なりが違ごとりましたんでお見それいたしました。あのせつ確かに「犬
さし上げる」と申しましたが、都合によりあの話、変改(へんがい)にさして
もらいまひょ。
▲変改とおっしゃいますと? 何やらお気に……■あぁ、気に障りました、
えらさわりに障りましたわい。何じゃいこれ、わたしねぇこの界隈年古ぅ住
んどりますねん。ちょっとご近所で名前言ぅてもらや大抵ぇのお方ご存じ、
まぁはばかりながら信用といぅよぉなものもいささか頂戴いたしとります。
■わたしゃこの歳なるまで犬の仔一匹、猫の仔一匹もろたことも、上げた
こともないがなぁ、ものには程、相場といぅものがおのずとある。それ、あ
んさんがな、じゃこ一掴み、鰹節一本持ってお越しになったんなら「どぉぞ
どぉぞ連れてお帰えり。可愛がっとぉくなはれ」ちゅなことで上げるが……
■何でござりまんねんこれわ……、些少の品じゃとおっしゃった、手土産が
わりとおっしゃった、些少じゃとおっしゃったが、些少じゃござりませんで
これ。何でござりますねんこれ……、鰹節が一箱、反物が二反、酒が三升付
いてまんなぁ。
■あのなぁ「向こぉの家は拾ろた犬で物もろた、金儲けした、物儲けした」
てなこと言われたんではな、表大手振って歩くことできませんのじゃ。察す
るところ医者が手ぇ放した病人でもおありになって、しょ〜もない易者、八
卦見にでも見てもろたら「全身真っ黒の犬の生き肝とってのませれば、ひょっ
と治るや分からん」ちゅなこと言われてお越しになったんかと思う。三日で
も飼や情といぅもんが移ります。そんなむごたらしぃ目に遭わせとない、こ
れ持ってさっさと帰っとくなはれ。
▲これはこれは、言葉が行き届きませぇでまことに失礼をいたしました。決
してそのよぉな話ではございません。実は手前、今橋に住んどります鴻池善
右衛門の所の手代で、太兵衛と申すもんでございます。こないだうちから、
うちの坊(ぼん)が黒い犬を飼ぉてはりましてな「クロよクロよ」ちゅうて可
愛がったはったんでおますけれども、これが悪いことに病気でゴロッと死ん
でしまいましてな。
▲こらいかんちゅうので、よぉ似た犬を持って帰りましても、どっかやっぱ
り違うんですなぁ「これはクロと違う、クロはどこ行た? クロを返せ」と
大変なむずがりよぉで。そんなことが元でひょっと病気にでもなられたらと、
主はじめ手前ども心配いたしておりましたんでございます。
▲こないだこちらの表通らしていただきましたら、あの黒犬、あれがうちの
クロにもぉ生き写しでございます。これならと思いましてお願いに上がりま
したところが、あの通り早速のご承引で、帰りまして主に申しますといぅと、
ことのほかの喜びよぉで「すぐにでもいただきに上がれ」と申しましたんで
ござりますけども、そんなんで前の犬が病気で死にましたよぉなことから、
日を選ばしてもらいましたよぉなこってございます。
▲さよぉなことでございますので、これらの品はでございますなぁ、手前ど
もの主の「喜び」といぅことで、お腹立ちでもございましょ〜が、曲げてお
受け取り願わしゅ〜存ずるのでございます。また、あの犬も雄犬のことでご
ざりますれば、手前どもに養子にいただきますよぉなもの、できますれば以
後は親戚付き合いを……
■わぁ、わっ、わっ、わっ……、無茶言ぅてもろたらどんならん。鴻池はん
と親戚付き合いでけますか。さよか、相手は鴻池はんでおまっか。それわそ
れわ早合点いたしまして、まことに相済まんこって。それやったらこれくら
いのことはありますわ。そらなぁ、うちがじゃこ一掴み持って行くのとおん
なじこっちゃ、鴻池はんにしたら。
■さよか、これはこれは、そのよぉなお話でございましたか。それにしても
あの犬は幸せもんじゃないかいな、日本一の金満家のところへもらわれて行
くのじゃ。お帰りになられましたら、どぉぞ旦さんによろしゅおっしゃって
いたきますよぉに。まぁ、こんなことは言ぅまでもないこってございますけ
れども、どぉぞ可愛がってやっていただきますよぉなことに。
▲心得ております。それとまた、あちらへお越しになりました節にはどぉぞ
お立ち寄りを……。こりゃこりゃ、乗り物をこれへ……
立派な輿(こし)がそれへデ〜ン、座ったのでございます。四隅に金具が打っ
たぁる、中に緞子(どんす)の布団。この上へこのクロを乗せましたが、こい
つもきのうまでは炭俵の上か何かで寝てたやつでございますから、何ぼドン
スかフェンスか知りませんけど、そんなものは気持ちのえぇはずのもんやご
ざいません、妙な顔して座っとぉります。
前と後ろから二ぁりの人間がヒョイと担ぎ上げる「それでは失礼、さいな
らごめん」悠々と今橋のご本宅へさしてご帰館でございます。
* * * * *
さぁて、これを坊に見せますといぅと「クロが帰った、クロが帰った。ど
こ行てたんや、クロクロクロクロ……」もぉ大喜びでございまして、いち時
に元気を取り戻したのでございます。親旦さん、親御といたしましてはその
喜びといぅものはひと通りやございません。
今度この犬にもしものことがあったら大変やといぅので、医者が三人かか
りっ切りでございます。朝からちょっとクッシャミをしたといぅては薬を飲
まし、オナラをせんといぅては注射を打ち、大変な気の遣いよぉで、広いひ
ろいお庭をば放し飼いでございます。
滋養のある結構なもんば〜っかり食べさしてもらうもんでございすから、
筋骨隆々、大ぉきなおぉきな逞しぃたくましぃ犬に成長いたします。ちょっ
と表に出ますと近所の犬と喧嘩のひとつもいたしますが、ただの一度として
負けたことがない、全戦全勝でございます「鴻池のクロ」と申しますといぅ
と、もぉ船場中の犬で知らんものはない、この噂はどんどん広まりまして、
ついには大阪一の犬の大将にまで成長いたしたのでございます。
さて、この「クロ」といぅのがなかなかよぉでけた犬(おとこ)でございま
して、大将として威張るばっかりやございません。若いもんの面倒も良く見
ますので、若いものももぉ「若大将、大将、親方、親っさん、兄さん、兄貴」
と言ぅては寄ってまいるのでございます。
▲なぁ道修町◆何や平野町?▲何じゃで、一丁目と三丁目の喧嘩やけれども
なぁ◆あぁ、あいつらわしらが間に入ってやったんやけれども、未だに道で
会ぉたら「ウ〜ウ〜」いぅとんなぁ、どんならんでホンマにもぉ。いつまで
もなぁ、あんなことではどんならん。こらもぉ鴻池の大将にでも間に入って
もらわなしゃ〜ないなぁ▲そんなこっちゃなぁ、ほなまぁ一緒に連れてこか。
▲大将、こんちわ。こんちわ■おぉ何じゃいな、誰や思たら町内の若いもん
かいな。まぁ、こっち入り。どぉしたっちゅうねん?▲実わ……■あ、あ〜、
あ、あ〜……、何じゃいなまた喧嘩かいな、どんならんなぁホンマにもぉ。
一丁目と三丁目連れて来てんのかいな、こっち入れてやらんか。
■こら、一丁目に三丁目。いつまでも子どもやないねで「噛まれた夜も寝に
くいが、噛んだ夜も寝にくい」っちゅうてな、喧嘩して得になることは何一
つないねやさかいに、ましてこぉして友達が間入ってくれてんねやないかい、
いつまでも根ぇ残して「あの時のあのことが……」なんてグジグジ言ぅてる
よぉな、それは男らしゅ〜ない。
■あっさりときのうまでのことは水に流して、また明日に向かって立ち向か
うといぅ、その明るく生きるといぅことを心がけにゃならん、どんならんで
ホンマにもぉ。今度はこのとぉりわたしが間に入ったんやさかいなぁ、この
後にまた蒸し返すてなことがあったら、今度はわたしが許さん。分かったな。
★まことに相済まんことでございます■分かりゃそれでえぇ。何かないか?
え? 饅頭がある? もっちゃりしてるが何でもかまわん持って来てやれ、
おまえらで食べたらえぇ。こぉこぉこぉ、どっちが先食べてもえぇやないか、
またそんなことで喧嘩してんのか……。うまかった? よっしゃ、もぉ喧嘩
すんねやないぞ★まことに相済まんことで……
なんてね、たいてぇの揉め事はここへ持って来ると片が付いてしまうので
ございます。さて、こんなことがございましたある年の春先のことでござい
ます。今日は朝からまことにお天気がよろしゅ〜ございます。お日ぃさんが
ポッカポッカ、ポッカポッカ……、鴻池の大将、久し振りに世間の様子を見
てみよぉといぅので、広いひろいお庭をばトットコとっとこ、トットコとっ
とこ、トットコとっとこ、トットコとっとこ……
トットコとっとこ、トットコとっとこ、トットコとっとこ出てまいります
といぅとご門の敷居の所へ、こぉあご乗せまして「世情の様子はいかがであ
ろぉ?」キョロキョロしとぉりますといぅと、向こぉからやってまいりまし
たんが骨と皮、ガリガリに痩せましてね、ところどころ毛が抜けとぉりまし
て、病犬、病気といぅことが一目で分るよぉな犬がヒョロヒョロひょろひょ
ろやってまいります。
▲おい、一丁目◆何や、三丁目?▲知らんやっちゃなぁ、土地のもんやない
なぁ◆黙って通りよるなぁ、挨拶もせんなぁ、いっぺん、いてまおか?▲い
てまお、いてまお。よし腕力でいこ……
なんてね、犬はたいてぇ腕力でございますが。前と後ろから「ワ、ワ、ワ、
ワ、ワ、ワ、ワ、ワ、ワン……」もとより病犬でございます、たまったもん
やない「キャインキャイン、キャイン、キャイン、キャイン……」
■こらこらこら、お前ら何をしてんねん▲あっ大将、まことに相済まんこと
でございます(前足で、林家三平師匠の格好)■お前らなんでもこれ(同じく)
やないかい……、見てみぃ、見りゃ相手は病犬やないかい、弱いもんいじめ
するちゅな一番いかんこっちゃないか▲別に弱いもんいじめちゅうわけやな
いんでっけどね、挨拶もせんと通りますので、いっぺん、いてまえちゅうて。
■こぉこぉこぉ「いてまえ」? 船場のもんが「いてまえ」てな、そんな品
のない言葉使うんもんやないがな、どんならんでホンマにもぉ。お前もなぁ、
ちょっと挨拶して通らないかんやないかいな。念が足らんちゅうのはそこの
ことを言ぅねん、これから気ぃ付けなあかんで●危ないとこ助けていただき
まして、まことにありがとぉございます。
■別に殊更にそぉして礼言われると、かえってこっちもオイドこそばいが、
お前どっから来たんや?●へぇ、あのぉ、今宮からまいりましたんでござい
ます■ほぉ今宮から、遠いとっから来たんやなぁ。何でやまた?●まことに
面目(めんぼく)ない話ですけどね、もぉここんとこしばらくこれといぅもん
食べてないんで、お腹ペコペコに減らしてましたんです。今から考えたら船
場の丁稚さんでしたんですねぇ、向こぉへお使いに行って帰り道にお芋さん
買わはりましてね、それ帰りしな歩きながら食べたはったんですけどね、付
いて歩いてましたら皮ピャッと放ってくれはるんです。
●その皮いただきましてまた付いて行たら、また次の皮ピャッと放ってくれ
はって、次々皮いただいてしまいにはヘタのとこピャッと放ってくれはった
んですねん。ここ一番ぎょ〜さん身が付いてて一番美味しぃんです「ここ一
番美味しぃとこや」と思ていただきましたら、二つ目のお芋さんにかからは
りましてん。
●また次々と皮いただきまして、しまいにまた「ヘタ」ピャ〜ッと放ってく
れはりまして「わぁ〜、ここ一番美味しぃとこや」と思てそれいただきまし
てね、ふと気が付いたら……、船場まで来とりましたんです。お芋さんにつ
られて船場まで来たんでんねん。
■ほぉ〜ッ、よくせきお腹空かしてたんやなぁ、そぉか。で、お前だいたい
今宮のもんか?●いぃえぇ、生まれは船場でんねん■船場。土地のもんやな
いかい。船場はどこや?●小さい時分のことです。あんまりハッキリ憶えて
ないんですけど、南本町間違いないんです。質屋(ひちや)はんがおましてね、
筋向かいに大ぉきな大ぉきな用水桶のあったん憶えてます。
■南本町、質屋の筋向かいの大ぉきな大ぉきな用水桶……? 耳寄りの話や
なぁ。兄弟なかったか?●おました。一番上のお兄さん幸せなお方でねぇ、
鴻池さんへもらわれて行かはりましたんです。その次の兄さん、達者な犬で
した。お元気な方でしたけど、お元気過ぎたんですかねぇ、ある日のこと表
へピャ〜っと飛んで出はったら、向こぉから荷車がガラガラ、ガラガラ、ガ
ラガラ、バンッ! キャイ〜ン……、と言ぅたんがこの世の別れであえない
最期を遂げましてございます。
●それで、わたいだけ飼ぉてもぉとりましたんですけど、悪い友達がでけま
して、拾い食いや盗み食いの味憶えまして……■おいおいアホ、あんな結構
なとこに飼ぉてもぉてて盗み食いするとは何事や●悪いことっちゅうんはお
もしろいことですよってね、段々だんだんあちこちのゴミ箱荒らすよぉんな
る、遠いとこ行くよぉんなる……、罰当たったんです。
●こぉして、あっちこっち毛が抜けて病犬なってしもたんです……。ほなね、
今まで可愛がってくれたはった丁稚さんね、わたい自転車の後ろ乗せて遠い
とぉいとこ連れて行きはったんです。ほんでそこへパッと置いてね、ビャ〜ッ
と走りはったんで「慌てもんやなぁ、丁稚さんわてまだ乗ってしまへんで」
ちゅうて大きな声出したん、知らぁ〜ん顔してシャ〜ッと行ってしもたんで
す。
●大将もご承知のよぉに、わたいら遠くへ行きますときあっちこっちオシッ
コかけて行きますよってね、少々遠くへ行きましても帰れますけれども、そ
のとき自転車の後ろへ乗せられたもんですよってにオシッコかけてなかった
んです。どっちがどっちや分からんのですけど「確かこっちのほぉやったか
な」と思てトットコとっとこ歩いてましたら、おいおいと日が暮れてまいり
まして、それでも「こっちの方やったかな」トットコとっとこ歩いてました
ら、夜中からシトシトしとしと雨降ってまいりまして、ピシャピシャぴしゃ
ぴしゃ、トットコとっとこ、ピシャピシャ、ぴしゃぴしゃ、トットコとっと
こ……。
●と、よぉよぉに明け方になりまして、わたしたどり着いたんです「ただ今
帰りました」大きな声出しましたら、ガラッと戸ぉ開いて丁稚さん出て来て
「こらぁ、病犬汚いわいあっち行けぇ」棒でビャ〜ッと追いはったんです。
そのときわたい「何や、きのう自転車乗せて遠いとこ連れてかはったんは、
わたいを捨てに行かはったんやなぁ……」ちゅうことに初めて気が付いたん
です。面目ないことです、帰って来ることなかったんです。
●しゃ〜ないさかい、それからあっち行たりこっち行たりしまんねけれど、
子どもが出て来て「病犬汚いわい、病気の犬あっち行け」て、棒で追ぉたり
石ぶつけたりして遊んでくれしまへんのが一番情けないんです。でまぁとり
あえず今んとこは今宮に居るよぉなことです。えらい長いことおしゃべりし
まして、まことに相済まんことです。
■……、おい一丁目に三丁目聞ぃてくれ。こら、俺が小さい時分に別れた俺
の弟やがな●えっ、あんさん鴻池の兄さんですか?! 面目ない■何が面目
ないことあるかい、面目ないのはこっちやないかい。お前みたいな弟がある
と分かったら世間に対して尾ぉが上がらんやないか、どんならんでホンマに
もぉ。
■まぁしかし心柄とは言ぃながらえらい目に遭ぉたんやなぁ。今までのこと
は今までのこっちゃ、ここへ来たからにはもぉ決してそんなえらい目には遭
わしゃせん。何じゃ病や言ぅたなぁ、うちの旦さんえぇ旦さんやさかいなぁ、
言ぅて医者にもかけてやろ。何やったら有馬の方へ十日ほど温泉つかりに行
くか? 一丁目に三丁目、わし同様可愛がってやってもらいたい。
▲わぁ〜ッ、大将の弟はんでしたんかいな、知らんこととは言ぃながらえら
い失礼いたしまして。えらいもんでんねぇ、争えんもんです、そぉ言われて
みると鼻筋のとこやみなよぉ似てますねぇ■ベンチャラのつもりかいな、そ
れ……。そや「お腹空かしてる」っちゅうたなぁ、何ぞもぉて来るよって待っ
てぇよ。
言ぅてますといぅと、奥の方から「コイコイコイコイッ……」「おっ、旦
さんちょ〜ど呼んでござる、何ぞもろて来たるよって、待ってぇよ」大ぉき
なおぉきな太いふとい尾を振ってダ〜ッと走り込みますといぅと、何やらく
わえて帰ってまいります。
■さぁ弟、これ食べ●ウワァ〜ッ、兄さん、これ何です?■「鯛の浜焼」や
●「鯛の浜焼」そんな結構なもんがあるといぅことは風の便りに薄々聞ぃて
ましたんですけど、ヘェ〜これがその……。どぉぞ、兄さん先お食べ、余り
ましたらわたし骨いただきますので。
■アホなこと言ぅな、鯛の骨てなそんな堅いもんが食べられるかい。お前の
ためにもろて来てやったんや、遠慮することない、お前が先食べたらえぇね
ん●わたし先いただいてよろしぃんですか、頂戴します。わぁ、これ兄さん
の器ですか、漆の塗りで上等ですなぁ。わたいらいつもスリ鉢の欠けたよぉ
なんばっかりで食べてますよってに、舌やみなザザザザになってますわ……
頂戴いたします。
言ぅてますと、また奥の方から「コイコイコイコイッ……」「また呼んで
ござるな、よぉし、また何ぞもろて来たるよって待ってぇよ」大ぉきなおぉ
きな太いふとい尾を振ってダ〜ッと走り込みますといぅと、また何やらくわ
えて帰ってまいります。
■さぁ弟、これ食べ●兄さん、これ何です?■これは「う巻き」や●「う巻
き」ちゅうたらどんなもんです?■うなぎを卵で巻いたぁんねん●ウワァ〜ッ
うなぎだけでも美味しぃ卵だけでも美味しぃのに、うなぎが卵で巻いたぁる
やなんて……。どぉぞ、お兄さん先お食べ、余りましたらわたし頂戴します。
■いっぺんいっぺん、そんないらん気ぃ遣わいでもえぇねん、どんならんで
ホンマにもぉ。お前のためにもろて来てやったんや、わたしはもぉ毎晩まい
ばん、毎日まいにちこんなん、いつもいつもやからもぉ食べ飽きてんねん。
実のところは今晩あたりあっさりと奈良漬で茶漬けが食べたい思てるんや、
遠慮せんと食べたらえぇねん●さよか、ほな頂戴します。
言ぅてますといぅと、また奥の方から「コイコイコイコイッ……」
■また呼んでござるな、今度はお汁のもんか何かもろて来たるよって待ってぇ
よ……
大ぉきなおぉきな尾を振って、ダァ〜ッと走り込みますといぅと、今度は
尾を下げてシオシオと帰ってまいりましたんで。
●兄さん、今度何くれはりました?■それがな、今度は何にもくれはれへん
●そぉかて、今「コイコイコイコイッ」言ぅてはりましたがな。
【さげ】
■うん、坊にオシッコさしてはったんや。
【プロパティ】
夜聡い(よざとい)=少しの物音にすぐ目覚めること。
拾い屋=屑ものを拾って歩くのを商売にしている人。
どもならん=仕方がない。どうにもならない。しょうがない。どうしよう
もない。どうにもならぬ。ドウモナラヌ→ドモナラン→ドムナラン→
ドンナラン。
よくせき=他に方法がなく、やむをえないさま。よくよく。
おかいさん=粥。カユ→カイになる例としてカユイ→カイイ。お芋さん、
飴ちゃん、など物にさんちゃん付けするのは大阪言葉の特徴。面白い
言葉として、ご飯より柔らかく、お粥よりかたい飯を「おかいのあね
さん」と呼ぶ。
オジヤ=雑炊。ジヤジヤと煮える音、もしくはジワジワと柔らかく炊いた
意か? 牡蠣雑炊など高級な食材を使ったものはオジヤとは言わない。
承引=承諾して引き受けること。
なぶる=さわる・いじる・もてあそぶ・おもちゃにする。さらに、からか
う・嘲弄する。
変改(へんがい)=取消し、破談、破約、心変りなどの意。
えらさわり=えらい+障り:おおいに、ひどく障りがある。同様に「えら
上り」おおいに上る「えらしんど」おおいに疲れた、などが作れる。
えらい=たいへん。おおいに。ひどく。同じ意味で「いかい」という言葉
があるが、これは京言葉。「でっかい」は「どいかい」「どえらい」
などからの派生らしい。
はばかりながら=おそれおおいことですが。失礼ですが。出過ぎたことで
すが。「はばかりさん=ごくろうさま」とはまた別の言葉。
鴻池善右衛門=江戸時代の大坂の豪商。2代を除き歴代善右衛門と称した。
初代正成(?−1693)は1656年両替店を開く。3代宗利は家業を発展さ
せ諸国32藩と取り引きし、また1707年河内国若江郡(今の東大阪市)に
鴻池新田を開いた。
手代=商家の使用人で丁稚と番頭の中間の身分の者。
金満家=大金持ち。財産家。
緞子(どんす)=繻子(しゅす)織りのひとつ。たて繻子の地にその裏組織の
よこ繻子で文様を表した光沢のある絹織物。帯地などに使う。室町中
期、中国から渡来。
モッチャリ=もっさり:無粋・野暮くさい・パッとしない・映えないこと。
いてまう=いってしまう→いてしまう→いてまう:目的を達しようとする
こと。ここでは「やっつけてしまう」の意として用いる。ほかに「死
んでしまった」「失神してしまった」などもイテマウ。
念が足らん=心配りがない。
オイドこそばい=面映い。てれくさい。
用水桶=消防用水をためておく大きなおけ。
心柄=自分の心から、そうなること。自業自得。
べんちゃら=おべっか。追従(ついしょう)。世辞。おもねりへつらうこと。
口先ばかりのお世辞を言って相手にへつらうこと。弁巧をもってチャ
ラチャラ言う意から出た言葉か。東京ではおもに上役におべっかを使
ういやなやつの意に用いているが、大阪ではその意味がずっと軽くなっ
て、単なる世辞の意に使う。
鯛の浜焼=新鮮な尾頭付きの鯛を、浜で塩焼きにしたもの。本来は製塩中
の熱い塩にとれたばかりの鯛を埋めて蒸し焼きにしたもの。
う巻き=鰻巻き:ウナギの蒲焼きを芯にして巻いた卵焼き。
しぃ〜、こいこいこい=シシ、来い来い:幼児にオシッコをさせる時の囃
しことば。
音源:桂枝雀 1984/08/14 枝雀寄席(ABC)
【作成メモ】
●参 照 演 者:main=桂枝雀 sub=桂米朝
●main高座記録日:1984/08/14 ●番 組 名:枝雀寄席(ABC)
●ファイル公開日:1997/05/18 ●江戸落語相当:大どこの犬
●更 新 日:2004/12/19 ●リクエスト数:
●注 意 事 項:内容を削除、追加、改訂している部分があります。
記録日のmain演者によるさげを採用しました。
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