トミー日記1
トミー日記は、田舎の母が愛犬トミーとの14年間に書き綴ったものです。
2001年にトミーは旅立ちましたが、ずっと母の心の中から消えずにいます。

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 トミー日記に寄せて        

 トミーが我が家にやってきたのは、長女が小学校に上がった年の五月だった。ちょうど、入学を機に、四軒長屋の文化から中古の一戸建てに引っ越したばかりで、妻が大和川で拾ってきたものだった。
 子供たちも一戸建てになったのだから飼いたいと合唱する。一戸建てとはいえ、隣りとは数十cmしか離れていないし、庭など一uほどしかない。何よりも、命の最後を看取るつらさを覚悟しなければならない。私はきっぱり反対した。

 しかし、泥んこの、まだ目が開いて間もない彼を元の河原に捨てに行くこともできず、結局、シャワーで泥を落としてやり、スポイトで牛乳を飲ませてやったのは、ほかならぬ私であった。おかげで、終生、彼は私のことを親だと思って暮らしたようだ。

 彼の名付け親は、まだ五歳だった長男である。ちなみに、トミーというのはおもちゃの会社名である。

 トミーを連れての初帰省で、彼は激しい車酔いを体験した。生後三ヶ月の彼には過酷な旅であった。以来、車に乗ったのは生涯二度しかない。川遊びにだますようにして乗せたのと、皮膚病がなかなか快方に向かわないので、獣医へ連れて行った時だけである。

 初帰省から十四年間、父と母の絆となり、私達家族と田舎の父母との絆となり、私たちを癒し、慰めてくれた。彼はまぎれもなく、家族であった。

 親不孝な息子たちに代わって、年老いた父や母につくしてくれたことを深く感謝している。
     

               50にして彷徨う息子


 ある日の朝

1.銀色の流星

 朝の五時といへばまだ明け初めたばかり。トミーを連れて追手神社に詣でて帰り道、ユーホーかと思うほどの流星が流れて消えた。
 私は、何も考えず黙々と歩いていた。ぼんやりした頭の中で、「今のは何?」と夢の中で見たような光景に、ふと我にかえると、足もとをチョロチョロとトミーが歩いていた。
           トミー 二才五ヶ月


2.古坂道(ふるさかみち)

 春は名のみの風の寒さや・・・
 古坂道をトミーと歩きながら私は活花の材料を探していた。
 枯草ばかりで、つい古坂池まで来ていた。池のほとりにネコヤナギの枝を見つけて、堅いつぼみの皮をむくと、銀色の芽が出てきた。これでも持って帰ろうと、二、三本折って道へ上がって見ると、トミーの姿が見えない。
「トミー!」
と呼んでみたが、出てこない。ふと、前方を見ると、五、六頭の猟犬に囲まれている。トミーは、仲間が来たとでもいうように、耳を立てて立っている。どうしようと思いながらも、思わず駆け寄って行くと、猟犬を呼ぶ笛の音が聞こえて、犬達は散って行った。その後をトミーは追っていた。
 それ以来、散歩は古坂道ばかり行くようになった。トミーも、親、兄弟、仲間が恋しいのだろうか。


3.ある日の朝

 この朝、トミーと私は愛情の糸で結ばれた。
 霜の降りた寒い朝、何となく重い気分で追手神社の鳥居をくぐった。
 帰りの石段を降りながら、こんな早朝に神詣でしている自分が何とも不自然で、一寸腹立たしい気もした。
「神さまはお見通しや。」
と独り言を言いながら、振り返って柏手をして、
「ごめんなさい。」
と言った。
 そして、さあ帰ろうと帰りかけてトミーがいないのに気づいた。
「トミー、帰るで。」
と言ったが、出てこない。一寸腹立たしい気持ちで千年樅の木の陰にかくれて、トミーの様子を窺っていた。
 私を見失ったトミーは、必死な顔つきで、石段を上がったり下りたりしている。可哀想になって、
「トミー、ここやで。」
と言ったが、聞こえない様子で、目の前を走ってゆく。どこへ行くのだろうと見ていると、追入(おいれ)のポストまで一目散に走って行き、戻ってきた。散歩の時に、私が葉書を入れに行くのを覚えていたらしい。
 小さなやせた身体で、目はキツネ目で、可愛さのない犬だと思っていたが、身体を一直線にして、必死な顔つきで走っていった姿は、この上もなくいとおしく、可愛かった。
「トミーはおばあちゃんのトミーやで・・・」
と言ってやると、小さい身体をすり寄せて来た。


4.お彼岸

「しばらく来んなあ」というお寺の奥さんの電話で、
「ああ、今日は彼岸の入りやなあ。」
と独り言を言いながら、日頃の月日の経ってゆくのも分からない程、内職仕事にこがれている自分に気がつく。小さい袋が千枚も注文があり、急がされて、夢中になって過ごしている自分が哀れに思はれる。
 早速、おはぎを作って仏さまに供えて、トミーを連れて久しぶりにお寺道を歩いた。
 すすきの穂が白く、瑠璃色の空の向こうに雲が流れていた。あくせくした気分がすーっと吹き飛んでいく感じがして、幼い頃の事などを思い出していた。
 ふと気がつくと、トミーがいない。
「オーイ」
と呼んだら、お寺のお墓から一目散に下りてきた。奥さんが毎日のようにお墓を掃除に来られるので、匂いが残っているのか、お寺道へ来るとお墓へ上がってゆく。時にはトミーと話しながら奥さんが下りて来られることもあった。
 トミーは身体に草の実を一杯つけて、一目散にお寺の門を入っていった。
「トミー来たの。何やら一杯みやげを持ってきたなあ」
と言って、奥さんは、トミーの身体についた草の実を取っておられた。
 なでなで地蔵さんの石段にすわって、時のたつのも忘れて話し込んだ。トミーは安心したように眠っている。
 久しぶりにのんびりとして、心楽しい一日だった。




 アヅマイチゲ

5.鳩笛

 トミーと山裾の散歩道を歩いていると、ホッホーと鳩笛が聞こえて、思はず家の方を振り返った。トミーも同じように振り返っていた。息子の鳩笛が聞こえたのかと思ったら、次にはハッキリ山の方からホッホーと聞こえて、本物の山鳩の声だと分かった。息子の鳩笛が何と良く出来ていたのだろうと感心した。
 春休みに帰ってきた時、竹箒の古い竹で何やら作っていたのが鳩笛だった。十五分程、小刀を持っていたのにとなつかしく思い浮かべる。
 この次は何を作って帰るのだろうかと楽しみ。
 「パパ、はよ帰っておいで、トミーが待っとるで・・・」
とつぶやいた。


6.アヅマイチゲ

 山裾を小リスか何かが一直線に走ったかと思うと、引き綱を振り払ってトミーが後を追っかけた。あっと言って私も急いで後を追った。
 山裾の草の中に白いものが点々と散らばっているので、そばへ行って見ると、小さな白い花がふるえるように下を向いて咲いている。何と小さな可愛い花と、しばらく見とれていた。これが天然記念物のアヅマイチゲと言う山野草だった。
 トミーの後を追っかけて、思いがけなくアヅマイチゲの花時に出逢った。
 ひっそりと短い命を純白の花びらをふるわせて咲いている風情は、忘れがたい風情として私の心に残った。

いずこにか
アヅマイチゲの咲くと言う
我いまだ見ず あこがれの花

と詠われた、未婚の女性の句をしみじみと思い出す。


7.孫たちの帰る日

 「トミー、バイバイ」
と孫たちが車の窓から手を振る。ゆっくり車が走り出す。おじいちゃんの持っている引き綱を振り払って、トミーが後を追いかけていく。
 国道のとりつけ道で車が止まり、息子が降りてきた。トミーに別れをして、引き綱をおじいちゃんに渡し、そして、国道を走り去った。
 トミーはションボリ帰ってきた。そして、国道を淋しげに見ているのだった。
「トミーは、おばあちゃんと一緒やなあ。」
と言って、頭をなでてやっても、うつろな目をして考え込んだようにしている。
「パパ(息子)のハンカチやで。」
と言って、足もとに置いてやると、足でおさえて、その上に顔をのせて目をつむった。
「トミー、おくれ。」
と手を出すと、
「ウー」
と言って、ハンカチをくわえて小屋の中へ入った。
 夜は疲れたのか、夕食後、私の横に来て眠っている。私もトミーの背中に手を置いてうたたねしていた。そしたら、背中がゆすれているので、のぞき込むと、目をつむってよく眠っている。どうやら、夢を見ているらしい。
 トミーは誰よりもパパ(息子)が好きらしい。私たちがいなかったら、国道をどこまでも追っていただろうと思うと、いじらしくてだきしめてやりたい。





 蕗のとう

8.蕗のとう

 二、三日前から降り積もった雪が、ようやくとけはじめて、山裾の土手の草がわずかに春の息吹を感じさせる。
 雪の土手道に私とトミーの足跡が残ってゆく。春一番の蕗のとうの匂いが恋しくて、雪をかき分けてみると、小さなかたい蕗のとうが芽を出している。
 可愛いその姿をしばらく見つめていた。それから、手のひらに乗せて、
「よう嗅いで見つけてや」
と言って、トミーの鼻の前に差し出した。
 二、三日後、土手を走っていたトミーが、ふと立ち止まって何かをじっと見ている。近寄って見ると、ふっくらとした蕗のとうが、かたまって顔を出している。
「まあ・・・トミー、見つけてくれたん!」
と思はず顔がほころんだ。
 そして、帰る道々、私は、好きな「歌う風」のメロディーを口ずさんでいた。トミーは、嬉しい時、足を内股にして歩く癖がある。前を歩いてゆくトミーは、内股で嬉しさうだった。私が喜んだことや、自分がほめてもらったことが分かるらしい。
 この日のお散歩は、心のなごむ楽しいひとときだった。


9.お稲荷さんになったトミー

 空が暗くなったとたんに、ゴロゴロと鳴り出して、大騒ぎで洗濯物を取り入れたり、戸を閉めたりして、家に入り、トミーを呼んだが出て来ない。仕事場の台の下や押入れやら、風呂場など、トミーの逃げ込みそうな所を探し回った。そして、・・・
「アレェー・・・」
と言って、しばらくは声も出なかった。なんと、床の間の上に、こちらを向いてすわっていたのである。掛け軸と花活けのある前にすわっている姿は、何とも異様な、そして、こっけいなものだった。
「おじいちゃん、見てみ。まるで、お稲荷さんや」
と言って、二人で笑った。 


10.トミーごめん

 夕食の最中に裏の戸が風でバタンと閉まる音がして、箸を置いて出てみると、トミーがいない。
「おじいちゃん、また裏の戸を閉め忘れとってやなぁ」
と言うと、おじいさんは慌てて暗闇の中を探しに出た。
 そして、しばらくすると、ひょっこり、トミーが姿を現したので、今度はおじいちゃんを探しに出た。
「行き違いでご飯も食べたようにない。」
と言うと、おじいさんは裏へ出た。
 トミーが叩かれたのか、キャンキャン鳴いている。トミーが悪いのやないのに・・・戸を閉め忘れたのが悪いのに。
「トミー、ごめん。」
と言って背中をなでてやったが、トミーはむくれて、小さくなって寝ていた。


11.トミー助けて

 いつもの散歩道を行くと、いきなりトミーが走り出したので、猫でも見つけたのかと思って、後を追ってみたら、国道の取り付け道の曲がり角にマリーがつながれていて、必死にトミーを呼んでいる様子。大きなトラックが曲がって来ると、ひとたまりもない所。
駆け寄って鎖を外してやると、大喜びで散歩について来ようとする。トミーは、鎖をくわえて家の方へ引っ張っていく。
「危ない、危ない。どうしたんや。」
と言っている様子。
 車でも来たら、大変なところ。よく私たちが通りかかったもんやなぁ・・・
それにしても、心ない人の仕草に腹が立った。
マリーを家に連れて帰り、犬小屋の柱につなぐと、やれやれと言った風に小屋の中に入った。
 その時のトミーの仕草を見て、私は、トミーは人間より賢くて、勇敢であるのに感心した。
 トミーは、口は利けないが、何もかも良く分かっていると思い、頼もしくてうれしかった。


 ゴロゴロがこわいトミー

12.足音

 私の足音を知っているのは、近所の犬達である。
 ジュリアは村の食料品や雑貨の店へ買い物に行く時、必ず吠え立てる。家の間をのぞくと、シッポを振って吠えている。
 ナナコは、私が足音を忍ばせて近寄っていくと、お腹を見せて流し目で私の来るのを待っている。よしよしとお腹をなでてやる。
 山裾につながれて、ピーは、姿が見えないのに、私の足音を聞いて、すごい声で吠え立てる。
 トミーが、ピーのつながれているところへ、「あそぼう」という風にノコノコと近寄って行った時、いきなり噛みついてきたことがあった。ピーが噛みついたままはなさなかったので、私は、棒切れで必死にたたいた。ピーはそれを覚えているらしい。
 この次は私が噛まれるかもしれない。


13.となりのコロ

 突然消えてしまったように死んでいったコロ。何の感情もなく、唯、「となりのコロ」というだけのなじみなのに、淋しくてむなしい。ひょっこりと帰って来るように思はれてならない。
空(から)になった犬小屋に向かって、
「コロ、水あげよか。」
と言ったら、とたんに涙が出てきた。
 そして、一週間程して、犬小屋がガタガタしているので、
「コロ、帰ってきたの?」
と言ってのぞいたら、ぬくっと知らない顔の犬が出てきた。この犬もコロと呼ばれているらしい。
 毎日、空気のように顔なじみだった、私のコロはもう帰ってこない。


14.ゴロゴロがこわいトミー

 電話のベルが鳴っている。

―モシモシ、Kですが・・・
「あゝ先生、しばらくです。」
―トミーが何かしてますね。
「聞こえてますか・・・風呂場の戸をたたいてますの」
「カミナリが鳴り出すと、こうなんです」
―ウフフ・・・はよあけてやって・・・
こんな会話のうちに、飛び上がる程大きいのが鳴り出した。トミーは風呂場へかけあがり、ガタガタふるえている。
先生、何の用事やったんやろ・・・
電話は切れている。

※先生=山野草教室の先生。息子の高校時代の後輩。