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| 2006年9月25日 後楽園ホールにて |
| 【後藤達俊の魅力】 後藤達俊の魅力、それは一言では語り尽くせませんが、敢えて集約すると、「リング上から垣間見える人間性」でしょうか。どんな仕事でもキッチリこなし、その中にもプロレスの魅力と凄みを凝縮させている。バンプ中心で試合を引っ張っていくスタイルも流石です。ヒールとしての存在感ももちろん、ラフファイトにおいても一挙手一投足が試合の流れをより濃密にしている。第一試合からメインまで全てこなせる、今となっては数少ないレスラー。 「さん」付けで呼ばれるレスラーは故ジャイアント馬場さんくらいのものですが、私は尊敬の念を込めて後藤選手、ヒロ斉藤選手のお二方も「さん」付けで呼ばせていただいています。というわけで、以下の文章は「後藤さん」表記で。 |
| 【後藤達俊の技】 後藤さんの技といえば、バックドロップを筆頭に、テクニシャン志向のマニアを唸らせるタイプのものが多い。いくつか例を挙げて、箇条書きの形で紹介させていただきたく思います。 |
| ・バックドロップ プロレス技には、演出的に技に形容詞を付けることで“凄み”を与えることがあります。 例えば、「殺人スープレックス」。これは言い換えれば、「殺人できるくらい凄いスープレックス」という意味です。 しかし、後藤さんのバックドロップには「殺人」という前置詞は必要ない。何故か。 それは、リアルに余裕で殺人が可能だから。有名な、「馳浩心臓停止事件」です。 その前に、後藤さんのバックドロップの独特のフォームについて論じておきます。通常、バックドロップといえば相手の腰に手を回し、屈伸の力を利してブリッジをきかせて後方に投げ落とします。脚を抱え込んだままホールドしてしまうバックドロップ、外国人選手が良く使用する危険度の低い背中から落とすリーガルなバックドロップなど、バックドロップのバリエーションは数え上げたらキリがありませんが、その中でも、後藤さんのバックドロップは特殊です。 何と、クラッチの位置が相手の腰ではなく、脇の下なのです。相手の片方の脇に自分の頭を差し入れ、もう片方の脇で自分の手をクラッチすると相手はどうなるか。糸で腕を吊られた操り人形をイメージしてもらえば判り易いかと思いますが、肩がすぼまった状態になり、両腕での受身が取れなくなってしまうのです。 また、脇の下で手をクラッチすると、相手を投げる際に屈伸の力があまり利かなくなります。そこを後藤さんは、重量挙げで鍛え上げた背筋力を活かして華麗なブリッジを描き、投げ落とす。その結果、相手は脳天かコメカミのあたりからマットに突き刺さることになります。 なお、このバックドロップを後藤さんは若手時代から大切に使っていますが、特筆すべきは、この強力な技を独力で習得したということ。以前、紙面にて「テーズの反りと、長州の高さを参考にした」と自らのバックドロップについて語っていましたが、「kamipro」インタビューによると、高校生時代に柔道部の顧問から「何でもいいから、俺をブン投げてみろ!」と冗談半分に言われた折、後藤さんは何とバックドロップを敢行、その顧問をKOしてしまったそうです。 そして、練習中にバックドロップでライガーの肩を破壊したのを契機に「やっぱり、バックドロップは効くんだな」と開眼。そこで独力でフォームについて研究し、マサ斉藤と長州の「引き上げて落とす」点と、ジャンボ鶴田の「弧を描く」点を取り入れ、自身を研鑽します。余談ですが、後藤さんのバックドロップは強烈なので、当然、練習では誰も受けたがらず、とにかく実戦で何度もトライし、完成度を高めたとか。興味深い逸話ですが、とはいえ、実戦でいきなり出された選手は気の毒極まりないですが… 話を元に戻しましょう。「馳浩心臓停止事件」です。 時は1990年6月12日、それは新日本プロレスの福岡大会で起こりました。タッグマッチで馳浩と対戦した後藤さんは、得意のバックドロップを仕掛けた。馳はそれを空中で身体を反転させて切り返そうとしましたが、身体が回り切らず、コメカミからモロにマットに突き刺さってしまったのです。そして試合後シャワーを浴び、後半の試合に出場する選手のセコンドに付こうと花道を歩いている際、倒れ、昏倒状態に陥りました。 リングドクターが奔走し、救急車が手配されるも、馳の心臓は一時停止。余談ですが、この際に救急車に同乗した佐々木健介は号泣していたそうです。しかし手当ての甲斐もあり、馳は一命を取りとめました。 ここまで読んでいただければお判りかと思いますが、要するに、後藤さんのバックドロップには「殺人」などという前置詞すら生ぬるい。ファンの間では「三途バックドロップ」や「地獄バックドロップ」等と呼ばれていますが、若手時代から磨いてきた刃の鋭さと説得力は半端ではない、ということですね。 ちなみに、後藤さんは馳心臓停止事件の夜、福岡のホテルで一人待機していた。そして、馳の無事を知らせる連絡が入った後、一人福岡の街へ繰り出し、屋台でラーメンを食べたそうですが、その時のラーメンは本当にうまかった、とのこと。そして、馳の復帰後、再度馳に思いっきりバックドロップを仕掛け、この夜の“亡霊”を振り払ったそうです。極めつけは、その事件の折の後藤さんのコメント: 「あれは馳が悪い。俺は殺すつもりでやった!」 本当に、見事です。プロです。受けきった馳も凄い。 また、この事件を契機に、後藤さんのバックドロップのグリップの位置は若干腰寄りに変化しました。それでも、後藤さんのバックドロップの神通力には、微塵の変化も見られません。ちなみに後藤さんは、ロックアップした瞬間に、「この相手は危険な角度で落としても大丈夫かどうか」を察知できるそうです。これもまた凄い。 余談ですが、私が見た後藤さんのバックドロップで一番印象に残っているのは、平成維震軍時代に札幌で行われた「新日正規軍 vs 維震軍 5-5マッチ」でのものです。後藤さんは確か中堅として出場、飯塚高史(当時:孝之)と対戦したのですが、ブルドッギングヘッドロックに行こうとした飯塚の身体を無理矢理引っこ抜き、凄まじい角度のバックドロップで叩き付け、瞬時にKOしてしまいました。この時のバックドロップの角度は文章では表現できないくらいの凄まじさで、場内からは歓声というより悲鳴があがっていた。受けた飯塚も賞賛したい。それ程の衝撃でした。 後藤さんいわく、「新日の選手なら100%の力で投げても、大体大丈夫。一番大丈夫なのは、エル・サムライかな」。サムライ、恐るべし。 |
| ・ラリアット 後藤さんのラリアットは、本家ハンセンのそれとは違い、腕を振り抜かずに身体ごとブチ当たります(左腕)。体重を活かしたその威力と迫力は半端ではありません。バックドロップと双璧を成す、後藤さんの必殺技。また、派生技としてフライングラリアットやフライングショルダータックルもあり。これらの犠牲になった選手も、数知れず。 |
| ・ジャーマンスープレックスホールド 滅多にお目にかかれませんが、ブリッジの華麗さと技のタイミング、および説得力は凄まじいです。 |
| ・ウイングブリーカーホールド 後藤さんがヤングライオン時代から使用しているフィニッシュムーブの一つ。うつ伏せに寝た相手の両腕をオースイスープレックス状(タイガースープレックス状)にクラッチ、そのまま前方にブリッジして相手の腕と肩を締め上げる。これも滅多に見られませんが、フィニッシュ率は極めて高し。しかし、後藤さんはブリッジを利した技の使い方が本当に巧いです。アマレス出身でもないのに、あのブリッジの華麗さは特筆モノ。 |
| ・ニードロップ 何気に、後藤さんはニードロップの名手です。仰向けに倒れた相手にリズム良くタン、タン、タンと歩み寄り、ノド〜顔面のあたりに膝をズドンと落とす。フォールを取ってもおかしくない説得力があります。かのニック・ボックウィンクルは「プロレスに地味な技は存在しない。どんな技でも、的確に決めれば試合の流れをひっくり返す事ができる」と語っていたが、後藤さんはそれを地で行っています。 |
| 【後藤達俊名言集】 後藤さんの名言といえば、やはり健介・越中組からIWGPタッグ王座を奪取した際の「何だこの2本は!」に尽きるでしょう。バックドロップで越中を沈め、ベルトを持って揚々と控え室に引き上げてきた後藤さん&小原のクレイジードッグス。そこで用意されていたのが缶ビールたった二本だったことから前述のような名言が生まれたわけですが、TV中継もされたこの日の控え室での一連のやりとり、既にプロレス史上に残る伝説と化しています。 また、後藤さんは後輩の面倒見が良いそうです。エル・サムライ選手が愛煙家なのは有名ですが、後藤さんが新日の寮長をしていた頃は喫煙をよく見逃してもらった、というエピソードもあります。そして、気に掛けている後輩をリング上で教育するのも後藤さんの役割。後藤さんのバックドロップは、ヤングライオンにとって、真のレスラーになる為の洗礼かもしれません。 |
| 【後藤達俊
その他あれこれ】 ・新日本プロレスの広島大会のとき、後藤さんが巡業メンバーから外されていた事があります。当時、平成維震軍に身を置き、スキンヘッド、眉無しという凄まじい強面で暴れまわっていた後藤さんだが、その風貌で広島の街を闊歩されては「ヤ」の付く職業の人と間違われる可能性がある、というわけで… なかなか素敵なフロントの配慮でした。この風貌の頃は、公園で昼寝をしているだけでその公園から誰もいなくなった、という事もあったそうで。 ・プロレスで団体同士の対抗戦が行われる場合、立場上後藤さんのようなレスラーがまず駆り出されます。両団体のフロントから信頼を得ている証拠ですね。それに応えるように、対抗戦においての後藤さんの暴れっぷりは本当に凄まじい。「裏・対抗戦男」です。 ・最近はレスラー各々が自分でWebサイトを運営していますが、そのコラムに後藤さんの名前が頻繁に見られます。概ね、「後藤さんに感謝したい」、「後藤さんのおかげだ」という内容。最近では井上亘選手、金本浩二選手のWebサイトで「欠場中は後藤さんにお世話になりました」的なエピソードが紹介されています。リングの中では鬼、外では紳士。これぞ後藤さん。 ・これも結構有名な話で、今更語るほどのものではないのですが、後藤さんは雑誌や新聞に掲載される写真でのポジショニングが凄まじく良い。セコンドに付いていただけでも、さりげなく写真では試合をしている選手よりも良いポジションで写っていたりする。一部からは「ポジショニングの鬼」と呼ばれています。 ・2004年11月3日に開催された、新日本プロレスの両国国技館大会において、後藤さんは突如としてトレードマークの髭を剃り落とし、金髪を黒髪に変え、正統派スタイルに変身。自己の“ヒール”という重要な要素を捨てた形となり、通常のレスラーであればそのアイデンティティーそのものすら消滅する可能性がありますが、そこはさすが後藤さん、クリーンファイトのみでもしっかりと濃密な試合を成立させてくれました。つまり後藤さんのような実力者にとっては、“ヒール”というスタイルそのものすら装飾品でしかない、という事です。「地力のあるレスラーはスタイルを選ばない」という事を、痛感させられました。 ・上記の両国国技館大会後、週ゴンのインタビューにて、後藤さんは「ベビーフェイスしかできないのは、ショッぱいってことだから」と語っています。この発言、誰も何も反論の余地はないでしょう。 |
| ※この項、私の気分で追記・修正したりします。 |