山神家の夜は早い。
 当主の亞里亞は9時ごろには寝てしまうし、夫の航はそもそもあまり帰って来たがらない。
 娘の鞠絵は母が眠るまで本を読み聞かせるのが日課だ。
 腹違いの娘、可憐はどこかに出かけてまだ帰って来ていない。
 そして、長嫡嗣子燦緒は可憐が帰るのをリビングルームでテレビを見ながら待っている。
 燦緒が勝手に定めた門限は当の昔に過ぎている。
 燦緒は遅い、遅いと何度も何度も繰り返しながら選局ボタンをいじくっている。
 時々画面が砂嵐になることもあるが、気にしない。細かい事は気にしない泰然自若とした態度が山神家の次期当主には求められるのだ。

 しばらくそうしていると、玄関前に自動車が停まる音がした。
 この家にも自動車があるが、今は航が日曜大工で作った屋根の下のひどく不格好な車庫に入っているはずだ。
 『自動』とはいうものの、勝手に走り出したという話は寡聞にして知らない。
 ましてや、あのくそうるさいのが燦緒に気付かれず出て行ったとは考えにくい。

 なんて事を考えながら立ち上がり、玄関に向かう。
 リモコンは座布団の上に放る。
 この癖でリモコンを破壊した事もあるが、気にしない。
 鞠絵に怒られても、気にしない。
 チェーンを外し、ドアを開けるとその向こうには青い乗用車が停まり、助手席の開いたドアから女性が上半身を突っ込んでいた。

「可憐ちゃん、付いたよ。立てる?」
「……うん、立てるよ」
「じゃあ悪いけど立ってもらえるかな?」
「立ってますよ」
「立ってません。あほ毛はビンビンに立ってますが」
「立ってますよう」
「立ってません。座ってます」
「立ってません」
「ええ、おっしゃる通りでござい升ね」
「お客さん終電ですよー」
「クルマだからあんま関係ないですね」
「おねーちゃんお銚子一本追加ねー一升徳利で」
「ツケはヤです。先払いでお願いします」
「はい100おくまんえん」
「あーおくちょうむりょうたいすうけいえんほど足りませんねー」
「つりはいらねーよ」
「ハァ、左様でございますか。……お、燦緒」
 そこで、ドアを開けて出てきたこの家の御長男に振り向く。
「あんたか。……そこにいるのは可憐なのか?」
「ああ、そうだよ」
 眞深が身体をずらして車内を見える様にしてやる。倒された助手席にはパステルグリーンのタオルケットに包まれた可憐が寝かされていた。
「ふらふら歩いててほっとけなかったから拾ってきた」
「ふらふらって…… 病気か何かなのか?」
 燦緒は顔色を変えるが、眞深は平然としている。
「いや……飲み過ぎだよ。でも明日の朝は辛いだろうな」
「その格好は……」
「今度からはワンピースでは飲まない様に言っとけ。そんな事よりさっさと中に運び込もうぜ。自分で言うのもなんだが寝心地悪いんだ、この車」
 何を言う、と燦緒は思った。速い代わりに揺れてうるさくて燃費が悪くハイオクしか受け付けない、左ハンドルなので亞里亞や燦緒が助手席にいないと駐車場を使うのに苦労する、ついでに一昔前のSFにでも出てきそうなかたちの航のスポーツカーと比べれば、眞深のあまり揺れないわりと静かでそこそこ燃費のよい右ハンドルのどこにでも走ってる乗用車は天使の寝床だろう。実際天使が眠るものかどうかは知らないが、なんとなく頭に浮かんだ。
「おまえ足持て」
「あ、ああ、そうだな。わかった」
 眞深に言われて激しく首を縦に振り、ミノムシ状態の可憐を二人がかりで運び出す。

 可憐は安らかに眠っている。大好きな天使様のようだ。
 母親の千影が魔術の材料を探しに行ったアマゾンで消息を絶って半年。山神に引き取られて3か月。
 実父航が可憐のために心を砕いたのは滑稽なほどだったし、燦緒や鞠絵も父ほどではないにせよ可憐の事を気遣った。亞里亞も可憐を大層可愛がった。
 にもかかわらず、可憐はいつもどこか遠慮がちだった。好きなピアノも亞里亞が弾くのがあるというのに、うるさくしては悪いとキーボードにヘッドフォンを付けて弾いている。風呂は終い湯だ。山神の養子になるのは申し訳ないと今でも佐々木姓を通している。
 その可憐がこんなにもやすらいだ顔で眠っている。
 燦緒は胸がきゅーんとなった。
「おい、お前には言うまでもないかもしれないが段差だ、気をつけろよ」
「ん? お、おう……」
 生まれ育ったこの家だが、段差の事はすっかり忘れていた。
 いや、生まれたのは市内にある山田病院なのだが。

「可憐ちゃんの寝間着どこにあるかわかるか?」
 リビングのソファーに可憐を横たえてすぐ、肩を回しながら眞深が言った。
「可憐の部屋のクローゼットだ……あ、取り込んでまだ畳んでないのが階上にある」
「じゃあ持ってきてくれ。着替えさせなきゃ」
「ああ、わかった」
 どたどたどたと足音が階段を上り、1分ほどして降りてくる。
「持ってきたぞ」
 もしかしたら鞠絵のものを持ってきたのもしれないが、仮にそうでも二人の体型はほぼ同じなので問題ないだろう。
「よし。じゃあおまえは部屋出てろ。妹の着替えが見たいなら別だが」と言いつつも、そこで言葉を切る事もなく、妹の着替えは見たくないという前提で話を進める。「あ、ちょうどいいや、これ洗面所に持ってって洗剤液に浸けとけ」
 と、二重にしたビニール袋を渡す。
「あ、ああ」
 ざっとは洗ってあるのだろう。ずっしりと重くて薄ら寒く、袋の中には水滴が付着していた。

「……みゅにゃ」
「お、気付いたか可憐?」
 燦緒が洗面所から戻ってきたところで可憐が意識を回復したらしく声を上げる。燦緒はすぐさま蛇口から直接水を汲んでコップを渡す。
 水を一気に飲み干した可憐はトロンとした目でつぶやいた。
「……おなかすいたー おちゃづけー」
「よし、ちょっと待ってろ」
 筆ペンで『のり』と書かれた名刺大の和紙が貼られた防湿容器。亞里亞の筆は何とか流師範と相当の腕前のようだが、燦緒にとっては読みにくい字にすぎない。
 その底にしましま模様のしわくちゃになった袋が転がっている。この仕舞い方は航に相違ない。
 取り出して丁寧に広げてみると中には3つほど小袋が入っていた。
 お湯は紅茶好きの亞里亞のためにいつもポットに入っている。
 可憐愛用の松竹梅の丼にたっぷり飯を盛り、素を2袋入れてお湯をなみなみとかける。
 亞里亞は朝から晩までワインを飲んで平然としているほどの酒豪なのだが、それでも飲みすぎた朝などにはこれをにこにこ食べている。可憐もそれを見ていたのだろう。
「可憐、お兄ちゃんもご相伴していいか?」
「うんいーよー。おにいちゃんも遠慮しないで飲んでね」
 可憐は上機嫌で水を注ぎながらうなずいた。
 燦緒の丼に注ぎながら。
 入りきらなかった分がちょっと溢れ出るが、そんな細かい事は気にしない。

「おにいちゃんの髪長いねー。編めるよー」
 並んでお茶漬けを啜っていると、可憐が空になった丼を置き、燦緒の髪を引っ掴んで言った。ちょっと痛い。酔っぱらいの力には加減がない。
「そうかな?」
「うん」
 言うが速いか可憐は燦緒の髪を手にとって編み始めた。
 毎日自分に施しているだけあり、酔っているとはいえ見事な手並みだ。
 お茶漬けを食べ終わるころには燦緒の後頭部には立派な三つ編みが完成していた。
「できたよー」
「お、そうか。ありがとう」
 本当はそれどころではない。
 夕食を食べた上で大盛のお茶漬けなど食べられたものか。
「くっくっく」
 視線の先を睨むと、眞深が喉で笑いながらお茶を飲んでいた。
「お前まだいたのか」
「いたともさ。可憐ちゃんが気付いた途端、私の事をすっかり忘れたみたいだな」
「まあいい、茶飲んだら帰れ。駐車違反でつかまるぞ」
「門の中に停めたから問題ないよ。それとも私を家宅侵入で告訴するか?」
「まさか…… でも家の人も心配するだろ」
「生憎うちは放任でしてね。誰も何も言わないよ。
 まあいいや。お邪魔虫はそろそろ帰るとしますか。おっと、タオルケットは返してもらうぜ」
「ああ、こちらこそそんな小汚いタオルはいらん」
「ふん、汚くて悪うございましたね」
 また笑ってから湯飲みを空にし、眞深はワンピースを翻して山神家をあとにした。


 玄関を出たところで携帯が鳴る。
「はいもしもし」
『あっ、眞深お姉ちゃん?』
「さやかか。どうした?」
『あのぉ……迎えに来てくれない? ちょっと飲み過ぎちゃって……(はーいただいま参りますのー)』
「……またかよ」
『また?』
 かまびすしい居酒屋の店内の音をBGMに、さやかが怪訝そうな声で訊く。
「さっき殿のご落胤を同じ理由でお乗せした」
『そういえば見かけたような気がしないでもないわ(ウェイトレスさんミートパイ一つチェキ)』
「それよりさやか、お前春歌ちゃんに合わせて飲んでたらいつか死ぬぞ? あの子はうわばみなんだからな。そりゃ、竜が蛇に負けるわけにはいかないという気持ちはわからないでもないけどさ」
 春歌はビール一辺倒だがビールなら何本でもいける。その髪形もあってまさに大蛇といった雰囲気だ。
『違うよ、今日は春歌ちゃんとじゃない…… 花穂とチア部に顔出しに行った帰り……ちょっと一杯のつもりで……(あたし麻婆豆腐)』
「ふん、黄金時代の部長さんも大変だな。で?」
『……駅前の修羅鬼屋まで迎えに来てくださいませんか、お姉様。……で、その……ついでに……一万円ほどお金を……』
「よく聞こえないよ。大きな声ではっきりと。はいどうぞもう一度」
『申し訳ありませんお姉様! わたくしめを迎えに来てください! その時福沢諭吉先生を持ってきてください!』
「……あのな、さやか?」
『はい……』
 さやかが縮こまるのがわかる。
「タクシー代まで飲むのはまだいい。歩いて帰ってくるなり、着払いで帰って来ればいいんだからな。だけど財布の中身以上に食べるのは人間としてどうかと思うぞ」
『……だって……花穂にいいところ見せようと思って……おごるって……言っちゃったんだもん』
 この虚栄心は姉譲りだろうか。咲耶も雛子や衛におごってはぴぃぴぃ言っている。
 いや、双子だから譲るというより同じものを持っているというべきか。
『花穂すごい食べるんだもん! そして酔うと遠慮なんかしないんだもん! もうすごいんだよ? すごくって、何がすごいって、本当に本当にすごいのよ?』
 確か春歌と初めて飲んだ時も同じ事を言っていた。
 というか、花穂との付き合いも長いのだからそろそろ学習というものをしてみても悪くないのではないか?
「はいはい…… 花穂ちゃんにも払ってもらえば? 花穂ちゃんの方が食ってるなら割り勘でも文句はないだろう」
『花穂どじだから財布忘れてきたってゆってた……』
 ……花穂ちゃんがどじだってことはチアの指導で死ぬほど理解していたはずだが……
 喉まで出かかった言葉と一緒に空気を胸の奥まで吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
「……わかったわかった。迎えに行ってはやる。だけど今回だけだよ。次からは咲耶に頼め」
『え……咲耶に……!?』
「いくらなんでもまさかこの広い世界にたった二人きりの双子の妹を取って煮て焼いて蒸して揚げて炒めて刺身にして食ったりはしないさ」
『そうかもしれないけど……』
「次がないならそんな心配は要らんだろう。そうだ、それとも今からでも咲耶に頼むか」
『やっやめてよお姉ちゃん!?』
「冗談だよ。次からは本当に気をつけるんだよ?」
『わかりました』
「じゃあ大人しくして待ってなさい。追加注文なんかするんじゃないよ?」
『はい』
「じゃあな」
 電話を切って、眞深はもう一度ため息を吐いた。
「どうせならさっき可憐ちゃんを拾った時に言って欲しかった……」
 駅前の修羅鬼屋は、山神家とは我が家を挟んで反対側だ。
 そして花穂の家……皆井家は、山神家とは駅を挟んで反対側なのだ。


 懐かしい匂いがする。
 ……辛い……舌を灼く様な……収斂する……
 どこかで嗅いだ様な……
「あ・き・お」
 名前を呼ばれている。
 背広のイメージ。
「あきおくーん」
 俺と瓜二つの体型の……
 俺と反対に浅黒い肌をした男……
「息子よ!」
 そうだ、この男は……
 山神……旧姓海神……航。
 俺の親父だ。

 目を開けると、視界いっぱいに父親の顔があった。
 かくも父親は大きな存在なのである。
「うわああああああああ!?」
「おはよう、あ・き・お。お寝坊さんだなあ、燦緒は」
 航が言葉を紡ぐたび、その口からはマウスウォッシュの匂いがこもれ出る。
「おっ、親父!? なんでいるんだ!?」
「なんでって、ここは私の家じゃないか」
 なんだよ俺がいちゃ悪いのかよと、売られていく牛の様に悲しそうで、迷子の子供の様に孤独で、捨て犬の様につぶらな瞳で燦緒を見つめる。
「オフクロの家だろ、婿養子。って、そうじゃない、なんで俺の部屋にいるんですか」
「マスターキーで開けたんだよ」
 右手人指し指で鍵束を回しながら、後ろに控える飴を銜えた奥さんと悪戯っぽく笑いあう。
「ねー」
「ねー」
「その手があったか…… いや、どういう理由で俺の部屋に」
「久しぶりに帰って来たら可愛い息子の顔がみたくなってな」
「ねー」
「ねー」
「ああそうかい」
 燦緒がぷい、と横を向いたので、その後頭部の三つ編みは航を向いた。
「おや、燦緒よ…… その後頭部の尻尾は…… おお、可憐とおそろいだな」
「……おそろい……ね……」
 髪の編み方など知らない航だが、それが娘と同じものだという事は理解できる。
 実は鞠絵ともおそろいなのだが、悲しいかな鞠絵のそれは余りにも巨大すぎて却って目に入っていなかった。
「うるさいな」
 父が三つ編みに延ばしてきた手を燦緒は振り払った。
 これは、可憐と自分とだけの絆なのである。
(そうさ、これは俺と可憐の兄妹の絆なんだ、もう一生解きはしない! 誰にも汚させない!)
 燦緒は昇り来る、雲の向こうの朝日に誓った。ちなみに今日は曇りのち雨の予報だ。

 燦緒が遊んでくれないので航と亞里亞は鞠絵のところに行った。
 鞠絵は優しい。子供の様な両親を包み込む大きさがある。それが余りにも安らげるので亞里亞は鞠絵の事をじいやと呼んでしまう。
 可憐も優しいが、頭が痛いといって寝ている。

 その頃ニュースでは、邦人がチチカカ湖で巨大ウナギを釣り上げたと報じていた。
 その名は佐々木千影。


 一週間が経った。
 三つ編みを解かなければ髪を洗えない事に気づいた燦緒は、可憐にまた結んでもらう約束を取り付けた後、意気揚々と風呂場に向かったが、既に航が入っていたので出てくるまで待っていた。しかしなかなか出てこないのであきらめて寝た。


 終了企画という事でなるべくたくさんのキャラクターを出すようにしました。
 とりあえず妹はコンプリートしてるはずです。してなかったらごめんなさい。
 また、原点にかえってお兄ちゃんと妹の話にしてみました。
 同時に、燦緒の三つ編みの理由を私なりに考えてみました。
 それがこれです。脱線しまくってしまいましたけれども。

 ちなみにタイトルは『帰って来たヨッパライ』『エデンの東』『太陽がいっぱい』のパロディです。


 シスタープリンセスリンク集『しすぷりんく』の最終企画『妹たちに愛をこめて』に投稿したものです。

 他の投稿作品は妹への愛がまっすぐに描かれていた中、コメディの本作品は異彩を放ってしまいました。
 構想では燦緒の三つ編みの理由を解き明かすシリアス作品の筈だったのですが……ね。
 通常状態ではお兄ちゃんの髪に触るなんて恐れ多いと言いそうな可憐に燦緒の髪を編んでもらうため、酔っぱらわせて理性を飛ばせたところから運命は狂い始めたのかもしれません。

 当初は可憐・燦緒・鞠絵・眞深・航だけを出す予定でしたが、亞里亞・千影と登場キャラが増え、さやかすらも出たところでこれはもしや妹全員コンプリート出来るのではあるまいかと思いつき、やっつけではありましたが全員出すことができました。

 『長嫡嗣子』は意味が重なっていますが、長子=最初に生まれた子供、嫡子=正妻との間に生まれた子供、嗣子=跡継ぎという意味合いで遣わせて頂きました。『妹姫家の人々』の眞深も長嫡嗣子になります。

 ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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