終わらない歌を歌おう すべてのクズどもの為に 〜TAKEX自伝その2〜
男子校出身の野郎には二種類のタイプがいる。男子校出身ゆえに女が苦手になるタイプと、その逆に得意になるタイプである。 共学校出身であればこの間である「普通」ってのもアリなのであるが、男子校出身者にそれはない。 必ず、どちらかになるのである。 ナゼそうなるのかについて語ると長くなるので省くが、とにかくこの二種類に分けられ、私は当然前者となってしまった・・・。 現在、私は女性は好きなのに異常に苦手である。 その基本形はこの頃に作られたのだ。 というわけでTAKEX自伝その2。高校編。
高校時代というものは、その人間の基本人格みたいなものが形成される時期だと思う。で、そんな時期に私はどうだったかというと、「ダメ人間」だった。 そう、私のダメ人生はこの時期から始まったのだ。もっとも、当時は自覚がなかったが、確実に、中学の頃とは違う自分、今に近い自分が、ここにいたと思う。
今、「自覚がなかった」と書いたが、実際にはそれどころではない。むしろ、周りをバカだと思っていた。確かに、あの高校は9割方の生徒にやる気がなく、授業中が静かだったためしがない。
私は授業が嫌いではなかったので、常にキレそうになっていたのを覚えている。 しかもこの高校、学年が変わる時に成績優秀者だけ集めた選抜クラスを作るシステムだった為、普通クラスに残るのは年々バカばっかになり、ますますバカになるという悪循環。で、私もバカクラスだった為、周りを批判する事など出来はしないのだが。
もともと、受験がイヤで推薦で入れるこの高校を選んだ、一番の馬鹿は自分なのであった。思えば中学で推薦をとる時、周りの友人からさんざん「共学にしておけ」と忠告を受けたものだ。 彼らは私の性質を私より知っていたのかもしれない。 「男子校」というところの恐ろしさは入ってみないと分からない。 私も入る前は「そういうシステムがあって、成り立ってるんやからなんとかなるやろ」 くらいに思っていた。 甘かった。 入学して、即違和感はやってきた。なにせ、この学校は先生も男子教諭しか採用しないという徹底ぶりだ。 「野郎しかいない」と言う事は、極限まで野郎を馬鹿にするのだ、と言う事を知った。 私がここで得た事はこれくらいしかない。
では面白い事が何もなかったかと言うと、それではあまりにも悲しすぎる。 高校時代、私は山岳部に入っていた。それはそこそこ楽しかった。なぜ山岳部に入ったかと言うと、運動全般が苦手な私でも山岳なら何とかなるかもしれん、と思ったのと、この高校でほとんど唯一と言っていい友人、Tと出会ったからである。
実は、高校に入って私が最初に入った部活は、「放送部」であった。実は小学生の頃から放送に興味があったのだが、私の通っていた中学では放送部がなかったので、ある意味念願の部活であった。が、その実態はあまりの規制の多さになにもできない連絡係りに過ぎず、ぜんぜん面白くなかった。
「俺は学校選びだけでなく部活でも失敗しちまったのかーッ!?」
と思っていた時、Tと出会った。出会いは遠足。みんなが普通に弁当を持ってきているなか、コイツは何を考えているのかガスコンロとナベを持ってきてラーメンを作ろうとしていた。「こいつはタダもんじゃねえ」と思っていたら、案の定タダ者ではなく、イキナリ私を山岳部に勧誘してくるではないか。そして私はその場のノリで山岳部に入る事にした。
次の登山の日にさっそく誘ってもらったのだが、ヤロウ、正確に待ち合わせ場所を私に伝えなかった為に見事に合流できず、駅で一人でウロウロした挙句に家に帰り、弁当を家で食べるという人生でも屈指の虚しい思いをしたのだが、
それでも懲りずに私は山岳部を続けた。結果は良かったと思う。今でも高校の頃の思い出といえば山岳部の思い出が9割を占めるからだ。あの日、Tと出会わなかったら私は山岳部に所属していなかったであろう。そう言った意味で、Tには感謝せねばなるまい。なにせ、「恐るべき団塊の世代」でも書いたように、私は今でもこの部活と交友があるのである。
が、私のダメ人間性を形成するのに、少なからず役に立ってくれたのもこの部活だった。そもそも顧問からしてダメ人間である。顧問のS先生、これがまた凄まじいダメ度合いで、なにせ「飽きる事に飽きた」という人である。だがそのやる気のなさと若い年齢で、我々と一番親しかった先生である。なんだかんだでお世話になりました(ぺこり)。
また、山岳にも他の野球やバスケのよいに国体やインターハイがある。が、なにせ競技自体がマイナーな為に簡単に上に進めるのである。我々のチームですら関東大会へ進めるのだから、そのレベルの低さが伺える。だから、運動部で唯一練習のない部活であり、えらいラクだった。それで賞状とかもらえたし、部活で学校も休めた。この辺、かなり職員の間で評判が悪かったようだが、ここでラクする事を覚えたような気がする。
しかし、なんと言ってもTの影響は大きいであろう。この男、世間の常識といったものが一切通用しない。私にもけっこう通用しないが、この男には負ける。なにせ後輩を登山に連れていって山の中に後輩を置いて帰ってくるくらいの男である。ある時、一泊二日で登山の大会があった。一日目の夜に、Tが「コンビニに行きたい」と言い出す。現在地は山の中のキャンプ場である。そんなものは当然ない。だが、我々は「面白そう」という理由だけで下山する事にした。
で、結局、体力的には若いのでなんとかなったのだが、カナリ怖かった。なにせ「電気」がないのである。ヘッドランプのかすかな明かりを頼りに山道を歩く事があんなに怖かったとは・・・。闇の怖さを初めて知った。で、次の日、S先生がこんな話しをしてきた。
「さっき先生方が話してたんだけど、夕べ、下の町まで行った生徒達がいたらしいぞ。馬鹿なことする生徒がいるもんだなあ」
「センセ、それ俺らっす」
ちなみにこのコンビニ行脚、ウチに高校では毎年恒例となった。馬鹿高校だと思った。
山岳部ネタは尽きないので、この辺にしておこう。
総評としては、当時の私は、今より強かった。 少なくとも、今ほど弱くはなかった。 当時は別に彼女がいなくても、周りに女の子がいなくても 面白くはなかったがツライと言うほどでもなかった。
一人でもなんとかなっていた。特に焦りもなかった。そういえば、女子とまったく接点がなかったわけでもなかった。Tが、女子高の山岳部員を紹介してくれた事があった。が、当時の私は「慌てる乞食はもらいが少ない」とかわけの分らない事を言って相手にしなかった記憶がある。
だが今は違う。明らかに焦り、寂しがり、人の目を気にしている。そのくせ結果が出せずに、ますます焦るという悪循環である。やっぱ、高校時代ってのはちょっと違うんだなあ。できれば、この頃に恋がしたかったなあ。共学に行っておくんだった。その思いが、大学は女子の比率が高いところを選ばせたのかもしれない。そして、男子校を選んだ事を真に後悔するのは卒業後、大学に入ってからなのである。
当時、私はこの高校が嫌いだったが、今にして思えばキライでもなかった。今回のタイトル、元ネタはブルーハーツの歌の歌詞だが、高校の卒業文集の「一人一言」にのっけた言葉である。クラスメイトに、「このクズどもって俺らの事?」笑いながらと聞かれてドキリとしたのも、今では良い思い出である。彼らの為に、歌おうではないか。終わらない歌を。
高校編 完
注釈:
※キレそうに・・・ちなみに、授業が嫌いではなかったのは勉強が好きだったからではなく、家で勉強したくないから学校で勉強は済ませたかっただけである。
※男子教諭しか採用しない・・・男女雇用機会均等法に触れるとかで、このポリシーはその後撤回された。私の卒業と同時に。
※面白くなかった・・・ただ、私が一年の時の部長はすげえ人だった。この学校で一番尊敬できる人であったのは間違いない。
※Tと出会った。・・・Tとは今だに僅かながら交友がある。趣味も考え方も性格も俺とは正反対なのだが、なぜお互い付き合って来れたのかは謎。あ、お互いダメ人間だからか。謎解明。
※S先生・・・正確に言うと、もう一人N先生という顧問がいて、S先生は副顧問だった。N先生もしょーもない人だったが別に仲良くなかったので割愛。オヤジギャグのセンスは屈指のモノがあったが。
※関東大会・・・もっともここでボロ負けするのだが。通学路がすでに山岳の連中には負けるぜ。
※下山する・・・といっても高尾山の裏山なんだけど。それでも普通は歩こうとはしない距離である。
※相手にしなかった・・・この男、中学時代で懲りてなかったのか。なんか今の俺があるのも自業自得気がしてきた。