なあ 映画を見ようじゃないか!

 さて、誰も見ないと思ったら意外と好評で作者がとまどっているこのコーナー。さっそく第三回を始めたいと思うのだが、予告と内容が違うので驚かれた諸兄もおられるかもしれない。一応説明をしておくと、それには以下のようないきさつがあったのである。

TAKEX「さて、次のテーマはマンガについて思ってた事でも書くか・・・」

TAKEXの内なる声「ちょっと待て。せっかく読んでくれてる人もいるみたいだし。最初の頃はもっと最初のうちはそんなマニアックなテーマは避けた方が良いぞ」

「んな事言ったって、俺の存在自体マニアックなもんだし。それに、しょっぱなからおっさんの話をしてる時点でつかみは絶望的っていうか」

「そう言わずに、もっと分りやすいテーマにするよう頑張れ。映画の話なんかどうだ?ありがちだし」

「俺のキライな言葉の一番目は「ありがち」で二番目は「頑張る」なんだぜー!」

「・・最近、見た映画とかないのか?」

「映画はラブコメとホラーとSFとアクションは見ない事にしている」

「ようするに、ほとんど見てないのだな・・・」

「いや、まて・・・一つ!俺に心に衝撃を与えた映画があったぞ・・・!!」

「よし、では今回はその映画について書くのだ!」

「うい。あと、君はもう登場しないでね。俺がアブない人だと思われるから」

「もう手遅れだと思うが」

 と言うわけで(どういう訳だ)、今回は急遽映画の話題にする事にした。ただ、その問題の映画というものを見たのはもう5年以上も前で、ストーリーや細かい展開などはほとんど覚えていない。だが、当時高校生だった私が後の人生観に影響を受けるほどに与えられたあの衝撃は覚えている。その映画のタイトルは「アマデウス」と言う・・・

 時は1923年。ウィーンの精神病院で一人の老人が自殺を図る。男の名はサリエリ。そして、彼の回想から物語りは始まる・・(以下はTAKEXのおぼろげな記憶でストーリーを再現しております。間違ってても怒らないでね)。

 彼は若い頃、宮廷で音楽家をしていた。宮廷音楽家といったら、そりゃエリートである。彼の人生は、それなりに順調であったと言えよう。だが、ある日を境にその平穏は失われる。「あの男」がやって来たのだ。その男は下品で、軟派で、お調子者で、そのくせ人から好かれる容姿と凄まじいまでの才能を持っていた。真面目で地味なサリエリとは肌が会うはずもないのだが、彼は皆に気に入られ、それがサリエリには面白くなかった。その男の名はヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト。あの天才、モーツァルトである。

 モーツァルトが現れてから、彼の生活は一変する。なにせ、オイシイところはみんなモーツァルトが持っていくのだ。そりゃ、ブッちぎりの才能を持つモーツァルトなのだから当然と言えば当然なのだが、サリエリはそうは思わなかった。所詮こんなものは一過性のブームにすぎない、とちょっと前のアメリカ人がポケモンブームに対して思っていたような印象しか持っていなかった。時間がたてば、あの男も馬脚をあらわし、堅実な才能を持った私が再び脚光を浴びる時が来るだろう。その程度に考えていた。サリエリとモーツァルトの才能は、ドリアン助川と小室哲哉ほども離れていたのだが、彼がそんな事に気がつくはずもなかったのである。そんなある日、自分が作曲を担当していたあるオペラ歌手の女性とモーツァルトの話になった。サリエリは彼女を好きだった。彼女の方は作曲家と歌手としての関係としか認識していなかったようだが、サリエリの方は二人はすでに未来日記状態ぐらいに思っていた。

女「最近、モーツァルトさんが人気あるじゃない?彼の作る曲ってとってもステキなのよ。私も彼の曲で歌ってみたいわ」

自分の前で他の男を褒められて気分を害しない男はいない。それも自分が嫌っている相手であればなおさらだ。っていうかそんな事にも気を回してもらえない時点で、サリエリは自分がキャイーンの天野君程度にしか見られていない事に気がつくべきだったのだが。

サリエリ「ああ、あんなのは一時期の流行にすぎんよ。そんな事より、オペラも近い。練習を始めよう・・・」

そして、彼女は本番の舞台で歌っていた。モーツァルトの舞台で。彼女はサリエリよりもモーツァルトを選んだ。いや、彼女でなくても、可能であれば誰だってドリアンよりも小室の舞台に出たいと思うだろう。幸せそうで、楽しそうな舞台の彼女の姿を、サリエリはジッと舞台の袖で見つめていた。この時、彼は悟った。彼がいる限り、自分に再び陽が当たることはないと・・・。

 モーツアルトと言えば聖人のようなイメージを持っている方もいるかもしれないが、実際は、彼はかなり遊び人で、妻がいるにも関わらず多くの女友達とも遊び歩いていた。当時、貴族達は仮面パーティをよくしていた。これだとお互いの素性がバレないので、その場限りの楽しみを求める貴族達には好都合だった。ある時、サリエリはモーツァルトがある仮面パーティに参加するという事を聞く。当然、真面目なサリエリはそんなパーティになど参加した事はない。が、モーツァルトはパーティでどんな風にふるまっているのか知りたいと思った。で、よせば良いのに自分も仮面をつけてそのパーティにこっそり参加するのだった。

 仮面をつけているので、自分がサリエリだと回りにバレる事はない。が、モーツァルトの方は下品な笑い声とでかい喋り声でスグ彼だと分った。仮面がまったく意味をなしていない。さて、なにを話しているのかにゃ?

モーツァルト「あのさ、サリエリっているじゃん?やつの事好きなやついる?いないよねえ!なんか根暗で陰気くさくてさあ、いつも偉そうにしてるけど、ムカつくよねえ、ヘラヘラ。ねえ、君もそう思うだろ?」

と、事もあろうにサリエリにまで同意を求めて来た。ここでサリエリが仮面をいきなり取り、「この俺の名を言ってみろーッ!」とでも叫んだら歴史は変わったかも知れないが、彼にそんな勇気があるはずもなく、「そ、そうだよね。ムカつくッスよね。」くらいに答えるしかなかった。そのうちにモーツァルトは調子に乗って「サリエリのマネー!」などとやって笑いをとっている。サリエリは、人知れず、パーティ会場から去るのだった。

 一事が万事、こんな調子である。サリエリにとって、やるせない毎日が続いていた。自分だって一角の音楽家なのだ。なのになぜ、自分は屈辱を受け続けねばならんのか・・・。ある日、モーツァルトが危篤だと言う知らせを受ける。危篤・・?あのガキ、ついにくたばりやがるか・・・ククク・・・そう思いながらも、彼は病床のモーツァルトに会いに行く。彼は一つの企みを思いついていた。モーツァルト才能を盗むチャンスだと思ったのだった・・・。

 病床での彼は、あまりにも弱弱しく、いつもの不敵で自信に満ち溢れた彼とは大違いだった。彼はサリエリに作曲を手伝ってくれと頼む。願ってもないチャンスだ。うまくいけば、この曲まるごとパクれるかもしんない。そう思って、彼の言われるままに楽譜を書くサリエリ。サリエリの親切に心打たれたモーツァルトは、自分の心を少しづつ吐露していく。自分は孤独だったと。誰も自分の苦悩は理解してくれないと。そして、しっかり者のサリエリが羨ましかったと・・・そして、彼はサリエリに対してこう言った。

「ボク達、親友だよね」

哀しい話である。「ごんぎつね」のより哀しい話である。ああ、なぜ神は「才能」などと言うものを人に与えたもうたのだろうか。それのおかげで、どんなにその与えられた本人や回りの人間達が苦悩せねばならぬ事か。もちろん、苦悩するのは直接関わりを持つ一部の人間であって、大多数の人間達はその才能に感動し、恩恵を受ける事ができるのだが。もっとも、別に歴史を超えるほどの天才的な才能でなくてもかまわない。人は、決して平等ではない。生まれつき、特別なモノを持って生まれてくる人たちはいる。そして、そういったモノを何も持って生まれて来ない者も。「天才」を除いて、大多数の人間は「その他大勢」にまぎれなくてはならないのだが、その「その他大勢」の中でさえ、この差は生じているのだ。だが、何も持って生まれて来なかった者とて、そう簡単に諦める事などできない。結局、諦めたフリしかできない。だが、夢はいつだって見てしまう。捨てきる事なんてできやしない。だったら、諦めない方がいい。サリエリは、結局「諦めたフリ」をしていた。モーツァルトの才能に嫉妬する事しかできなかった。その才能を越えようとは思わなかった。だが、サリエリにそれを言うのは確かに酷だ。なぜなら、モーツァルトの才能はあまりに圧倒的だったから。「才能」。それは時としてあまりに残酷なものとなる。その事をここまでリアルに、ここまで哀しく、ここまで美しく描いた映画は、私はこれしか知らない。

 モーツァルトの親友宣言を受けたサリエリ。その言葉は、彼の逆鱗に触れるに充分なものだった。「親友!?バカかおめえは!俺が、今までどれだけ貴様にバカにされていたと思っているのだ!貴様のせいで、どれだけの屈辱を受けたと思っているのだッ!俺は、貴様が死ぬ事を祈って生きてきたッ!そして、今その願いがかなおうとしているのだ・・!」サリエリは、まるで堰を切ったように、モーツァルトを罵った。別に、今となっては彼が憎かった訳ではないのかもしれない。ただ、みじめな自分の姿が許せなかっただけかもしれない。だが、自分でもどうする事もできなかった・・・・。

 親友だと思っていた男から、そこまで激しい憎しみを向けられたモーツァルトは、激しいショックを受けた。それは病気で弱っていたモーツァルトにトドメを指すに充分なものだった。それから間もなく、モーツァルトは死んだ。サリエリもまた、心のバランスを崩し、やがて精神病院へと収容される。そして、冒頭の自殺未遂を起こした。その時、彼はこう語った。「モーツァルトを殺したのは私だ・・・」と。それが、彼が彼の人生の苦悩を表現するのに精一杯の言葉であった・・・

アマデウス:1984年作品。アカデミー賞8部門受賞。
監督:ミロシュ・フォアマン
原作:ピーター・シェイファー
出演:F・マーレイ・エイブラハム/トム・ハルス/エリザベス・ベリッジ

注:物語冒頭の部分と、上の映画のデータはインターネットで調べたらなんとか分った。が、物語の内容にかんしては記憶がおぼろげのためかなり自信がない。まあ、興味をもったらビデオ屋で探して見る事をオススメする。160分もあるので、めっちゃ長いけど。今回はなんか重たくなってしまったので、次回は軽いテーマにしようと思う。っていうか!映画の話題にしたらかえってとっつきにくくなったじゃねえか!

「まあ、そんな時もあるさ。次回頑張れ。」

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お詫び(7/20):この文章を書いた後、妹が見つけてきてくれたので7年ぶりにこの映画を見ました。多少の記憶違いがあるであろう事は覚悟してましたが・・・ラストのモーツァルトの死ぬくだり、ぜんぜん違いますね。俺が見た他の映画か漫画と混ざってしまったのか!?あるいは俺の妄想か・・・なんでここまで違ってしまったのやら・・・^^;申し訳ございません。以後、気をつけます。
映画の方は、ハッキリ言って面白いので、ビデオ屋などで見つけたら見るように。2時間40分あるけど。サリエリいわく「凡庸なる者」の苦悩が痛いほど分るでしょう。「歴史は、敗者の屈辱に名を与えない」という萩尾望都の漫画の言葉を思い出しました。
ちなみに、上で書きそびれたんですけど、「アマデウス」とは「神に愛されし者」と言う意味だそうす。皮肉ですね。