男の戦い

 昔から、「父親と息子」をテーマにした物語は多い。男とは人間関係が不器用なものだが、こと親子関係ほど難しいものは、男にとってあまりあるまい。「母と娘」であったら、けっこう仲が良いのも珍しくないと思うが、オヤジとラブラブな男ってのは見た事がない。これは国や文化が変わっても同じ事が言えそうだ。息子にとっては親父は勝たなければならない存在であり、親父にとって息子は負けるわけにはいかない相手である。そしてお互いに愛情があっても、決して理解しあえる事のない関係だと思う。最後まで戦い続けなければいけないのが、父と息子なのだ。というわけで、今回は「父と子」がテーマ。

 さて、話は変わるが、以前、とあるサイトで「ゲームはストリーテラーとしては三流だ」との意見を読んだ事がある。なるほど、確かに思いかえしてみれば、私は人より多くゲームをやってきたと思うけど、心に残るほどのストーリーって少ない。演出が良かったり、ゲームとして面白かったのはたくさんあるけど、ストーリー全体、となるとけっこうスカスカなものが多いな、という印象はある。
  しかしそんな中、私の人生観にまで影響を与えた超絶なストーリーのゲームが二つある。一つは「タクティクス・オウガ」。そしてもう一つのゲームは、「街」である。
  この「街」には隠しシナリオも合わせると全部で10人もの主人公が出てくる。そしてそれぞれがお互いに知らない所で影響を与え合いながらも、基本的に独立したストーリーとなっている。そして、その中に「花火」という話がある。お互いに愛し合いながらも、憎しみ合う事しかできなかった、哀しい親子の話である。

 ある日、高峰厚士は息子の夢を見て目を覚ました。いつのまにか何を考えているか分らなくなり、ついには家を出ていってしまった息子。その息子の、まだ可愛かった頃の夢を。昔はあんなに可愛かったのに、好きだった花火を買っていってやると、あんなに楽しそうにしていた、可愛い子だったのに。彼は息子の裏切りが許せなかった。そして、その息子の隆士が、ある日なぜかフラリと家に帰ってきた日の話から、「花火」は始まる。
 その男、 高峰隆士もまた、なぜ自分がこの家に帰ってきたのか理解できなかった。彼は子供の頃から何かにとりつかれたように体を鍛え、ある時突然大学を休学し、フランスに渡り外人部隊に入っていた。そして軍の休暇を利用してなぜかフラフラと日本へ帰って来てしまっていた。彼は、居場所を探していた。子供の頃、家にそれを見つけられず、その後も、日本でそれを見つける事はできなかった。そして、フランスに渡った。しかし、そこにも彼の居場所はなかった。
 彼は、父親が嫌いだった。一流企業の重役で、家族の事を顧みず、幼い頃の自分にもかまってくれなかった。そして、大人になり父の会社が軍需産業にまで手を出している事を知り、ますます憎むべき存在となっていた。だが、彼はいつのまにか自分の家に帰って来てしまっていた。それはなぜなのか、自分でも分らなかった。

 数年ぶりに顔を合わせる、父と息子。しかし当然、和解などできるハズもなく、狂喜する妻と娘を無視してひどい言葉を息子に浴びせる厚士。ついにキレてしまった隆士は、父親を病院送りにするまでボコボコにした挙句、再び家を出ていってしまった。
 病院のベッドの上で、厚士はは目を覚ました。側では、妻が泣いている。なぜ泣くのか、妻に聞くと、妻は答えた。
「・・・だって、あなたが可愛そうで・・・・」
なぜ可愛そうだと思うのだ?と妻に厚士は聞いた。
「・・・あなた、ずっとうわ言を言ってたわ。『隆ちゃん、花火だよ、おまえの好きな花火だよ』って・・・。その隆士に、こんなになるまで殴られるなんて・・・」
 ・・・その後もベッドの上で、様々な事を考える厚士。そして、彼はある決心をした・・・。

 たびたび話が変わって恐縮だが、なぜ男は世代を越えた関係が下手なのか?それは、男は「一代限り」の生き物だからだと思う。女は家庭を「維持する」のが仕事なら、男は家庭を「作る」事が、DNAに命じられた仕事だと思う。だから女は親とも子供ともある程度仲良くできるのだが、男にはけっこうそれが難しい。また、その世代の文化や価値観の影響を受けやすいのも、男性の特徴だろう。もしタイムマシンがあったとして、100年前の人間と会う事ができた場合、男同士より女同士の方が打ち解け合いやすいと思う。男はその時代により作られるが、女は常に「女」であり、その本質は変わらないからだ。

 だから、男の場合、親子ほどに歳が離れてしまうと、当然理解しあうのは難しい。爆風スランプに「昨日のレジタンス」という歌がある。これは、やはり親父と理解しあえず、ついに決別してしまうが、理解しあいたいと思っている息子の歌である。この歌に、こんな歌詞が出てくる。
 「もしも友達なら素直に 語り合える事も できたのか」
 また、さだまさしの、タイトルは忘れたがある歌では、やはり理解しあえない父と子を歌っている。そして父親が死んだ後、彼が現像し忘れた写真のフィルムが出てきた。それを現像して見ると、それは彼がこっそりと写していた家族の写真だった。それを見て、息子は、生まれて初めて父と出会った気がした、と、そんな歌である。
 父と息子の関係とは、そんなものだと思う。さらに歌の話が続くが、井上陽水は親父とケンカして、勘当されていたのはご存知だろうか。そんな彼が、再び父と再会したのは、父の葬式の時だった。そんな彼が、その帰らぬ人となった父親の葬儀の席で作ったのが、「夢の中へ」であるそうだ。それを知って、私はこの歌がすごく好きになった。

 さて、「花火」の話に戻ろう。厚士が病院のベッドの上でした決心とは、息子の為に花火を上げる事だった。彼の持てる権力、財力のすべてを使って、日本のあらゆる都市に、息子の好きだった花火を打ち上げる事。それを実行に移す事を、彼は決心したのだった。
  おそらくもう会う事はないだろう息子。その息子に対して、それが厚士ができる精一杯の事だった。

 そして、10月15日AM8:00、花火は打ち上げられた。夜の空を埋め尽くさんばかりの花火が、日本の空に打ち上げられ続けた。彼の娘が、尋ねた。
「なんで今日の、この時間を花火の時間にしたの?」
それに彼の妻が、泣きながら答えた。
「・・・10月15日のこの時間はね、隆ちゃんが、生まれた時間なのよ・・・」

 しかし、10月15日AM8:00は、その息子、高峰隆士がある不幸な事件により死にゆく瞬間でもあった。彼は死にゆく意識の中で、花火を見る事ができたのだろうか。最後の意識の中で、父の意思を感じる事ができたのだろうか。
 しかし、実は、彼は花火なんて好きじゃなかった。それなのに、彼の父は、息子は花火が好きなのだと勘違いしていたのだ。彼は花火なんて好きじゃなかった。花火をする時だけ一緒にいてくれる、彼の父親が好きだったのだ。父が一緒にいてくれるから、彼は花火の時に喜んでいたのだ。そしてその事に、父も息子も、最後まで気がつかなかった。

 彼らは最後まで、お互いを理解する事がなかった。しかし、最後まで、お互いを愛していた。そしてその事に、自分たちも気がつかないでいた。この悲劇は、この高峰親子だけでなく、あらゆる父と息子にありうる話しだな、と思った。そして、理解しあえない相手の事を愛せるのだから、不器用な男も良いのかな、と思ったりした。

 

忘れられはしないよ
歌を選んだ時
黙って部屋を出た
父の背中

〜爆風スランプ 「昨日のレジスタンス」より〜

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