去り逝く友への手紙

 ある日、会社から帰ろうとしていると、珍しく私の電話が鳴った。相手は大学時代の友人のMだった。「珍しいな?こいつが俺に電話してくるなんて・・・」と思い、なんとなくイヤな予感がしつつ、電話に出た。受話器の向こうからMの声がする。

「・・・あ、伊藤・・・?如月(仮名)がさあ・・・」

ここで出された如月という名前、この瞬間に「あ、もしかして」と思った。

「死んだって」

・・・驚き半分、冷静さ半分で、「あ、そうなの」とよく分らない返事をしてしまう。とりあえず、俺らのグループはその日いったん集まる事になった。

 待ち合わせ場所に行くと、10人くらいが集まっていた。スーツ姿が多く、「みんな卒業してからちゃんと社会人やってるんだなあ」とちょっと感動する。冠婚葬祭のお約束ではあるが、半同窓会状態となる。
 とりあえず、メシでも食いにそこらの店へ。そして、如月の話になる。自殺だった。それほど驚きはなかった。「そうか。やっぱりな。」と思った。ただ、その時期がちょっと早かったので、少し戸惑った。
 会社の無断欠勤が続いて、不信に思った会社の人が部屋を見に行ったら、首を吊ってたそうだ。季節はもう初夏だと言うのに・・・最後まで迷惑な方法を選ぶヤツだ。当然、遺族ではない我々に正確な死亡推定時刻は分らないのだが、我々にはいつ死んだのかなんとなく分った。ヤツのページの掲示板に、最後の書き込みがあったから。もっとも、それが「最後の書き込み」だったのだと、皆この時に分ったのだが。

 しばらくは適当に世間話などしていたが、やがて明日の葬式の話になった。うむ、友として葬式くらいは出てやらねばなるまい。が、彼の地元は兵庫だと言う。兵庫〜!?こりゃ無理だな、 と思ったら、俺以外はほとんど皆行くという。行かない俺が薄情者みたいだ(薄情者なのだが)。ここはなんとかフォローを入れねばならない。
「よし、みんなヤツの為に兵庫まで行くわけだし、金もかかるだろう。今日のメシ代は俺がおごろう!」
・・・伝票を見て顔面蒼白になる。しまった、人数を考えていなかった・・・。

 その後、また他の友人から、「如月が自殺したって!?」と電話がある。そう言えば、俺は卒業以来如月達とは会ってなかったが、皆は卒業後もちょくちょく会ってたようだ。友情が垣間見られる。しかし、当然だけどみんな大騒ぎだな。不謹慎だけど、「お祭りみたいだな」と思った。ちなみに、翌日の葬式当日、俺は部屋で駄文を書いていた。うむ、我ながら呆れるほどの薄情っぷりである。

 それから半年以上たったある日。また、久々に大学の友人と飲む機会があった。その時、友人が何気なく言った。

「そーいや、最近、如月から連絡無いけど、ヤツは元気にしてる?」

・・・そーか、コイツは知らなかったんだっけ。飲みの席だったし、「なにゆうてるねん、如月はもう死にましたがな!」と漫才風に誤魔化して教えてあげたが、人が死ぬってのはこーゆー事なんだなあ、と思った。しかし皮肉なものだ。なぜなら、この時の集まりもまた、後輩(俺は知らない人だったが)が事故死した直後だったからだ。

 で、つい最近。私はICQを二つ持っているのだが、古い方のICQを整理していたら、如月との会話が見つかった。なんか、会話らしい会話はしてなかった。そーいえば、俺とヤツはよく似たタイプの人間でありながら、両極端のタイプであったと思う。だから、いつもあまり会話は続かなかったような気がする。
 卑屈で、弱気で、自虐的な部分は似ていたが、ヤツは少し優しすぎた。俺のように皮肉で誤魔化すような事をしてなかった。思い返せば、レティクルとヤツのページとは相互リンクも張ってあったし、ウチのページの投稿第一号はヤツからだったのだから、因縁浅からぬものがあるといえばあった。

 だから当然、ヤツの死も、素直には受け取らなかった。「ああ、そんなもんだな」で済ませた。前にも駄文で書いた気もするが、世の中というのおは誰もがシアワセになれるようにはできていない。子供の頃は、大人になればだれでも結婚して家庭を持つのだと思っていたが、実際には一部の人間が脱落している。そして、一度「普通ルート」から脱落し、「普通じゃないルート」にも乗れなかった人間は、ひたすら年をとって死ぬまで凌ぐしかない。それは「負け犬ルート」と呼べるかもしれない。
 俺は学生時代にずーっとファミレスでバイトしていたので、何百人、いや千人以上の人間の顔を見てきた。そして、「負けた」人の顔、孤独で、敗北のオーラが漂っている老人の顔も、やっぱりたくさん見てきた。彼らは、せんでもいい苦労をいつからしてるのだろう?報われぬ努力を、いつから続けていたのだろう。そしてなぜ、彼らはシアワセになれないのか?
 答えは簡単だ。「ズレて」いたからだ。一度「ズレて」しまうと、その修正は容易ではない。「ズレて」しまうというのは、「普通だ」とか「普通じゃない」以上の根本的な問題だ。なぜなら、一度「ズレて」しまうと、そのままだとどーにもならないし、努力をしてもその方向性が間違ってるからどーにも良い結果が出ず、ますますどーにもならなくなる、という悪循環にハマってしまう。そして悪循環ほど人を無気力にするものはない。無気力になれば、人はマスマス駄目にになっていく。

 俺も世間から「ズレて」しまっているので、「ズレた」人間の気持ちはよく分る。如月も、自分で「ズレた」と思ったのだろう。っていうか、「ズレ」てた。だとしたら、人生をやめるという決断を非難する気はない。書いてて思い出したが、俺はむしろそれをヤツに薦めた事があるような気がする。まあ、如月がなぜ死んだか、そんな事の真相は永久に誰にも分らないけどね。遺書はなかったらしいし。面白いもので、友人達と「ヤツはなぜ死んだか?」の議論をすると、皆自分の悩みをヤツに投影してくる。「いや、それはおまえの悩みだろ」とツッコミたくなってしまう。かくいう俺もその一人で、「絶対女絡みだって!彼女イナイ歴22年だったし」と力説してたりするのだが。

 自殺に対しては賛否両論あるだろうが、俺は決して全否定はしない派だ。全肯定もしないけどね。少なくとも、ヤツの自殺は否定しない。「しょうがないな」と思う。無責任に「生きてれば良い事もあるさ」とは、言えない。無さそうだったから。世の中、不公平なものだと知っているから。苦労して、ハンデ背負って、「それでも」生きていたいと思う人だけ生きてりゃいいと思う。そうでない人を生かしつづける権利など誰にも無いだろう。人は有り余ってるしな。
 そういえば、生前、ヤツは言っていたそうだ。「生きていくのに理由が必要なように、死ぬのにも理由が必要だ」と。違うよ、如月。「死に匹敵する理由」なんてありえないように、「生きていく理由になりえるもの」もまた、無いんだよ。「生きる」事自体を、どうとらえるかなんだよ。そして物事と言うものは、得てして考え出すと悪い方へ悪い方へと向かってしまうものなんだよ。だから、そういう事は考えないで済むのがベストなんだよ。まあ、俺らはイヤというほどそういう事を考えてしまったので、袋小路に入ってしまったのだが。
 そしてたぶん、「考えて」しまったのは、「なにも無かった」からなんだよな。今現在苦労してる人間とかだったら、そーゆー事考えてる余裕ないもんな。俺らには「良い事がないのと同じくらいに悪い事も起きなかった」。平坦で、何も無い。それが一番人を追い詰めるんだよね。 先日、ボーっとラジオ聞いてたらもの知り顔で(顔見えないけど)コメンテーターが言っていた。「良い事は長く続かないけど、悪い事も長く続かないんですよねー。」そーだよ、その通りだよ。多くの人間にとって、一番長く続くのは「なにも無い時期」だよ。それが一番、人を腐らせるんだよ。静かに病んで行くには、充分な環境なんだよ。

 っていうか、話戻るけど、結局キサマも死に匹敵する理由なんてないまま死んだんじゃないのか?分らんけどさ。ま、その事に関しては突っ込まないけど。今を生きてるヤツが、無責任にギャーギャー言う事じゃねえしな。ま、「絶望」と言う名の「死に至る病」にとりつかれた者は、「愛」か「神」にすがるしか助かる方法は無いと、キュルケゴールも言ってるしね。「愛」も「神」も、俺らには無縁だからなあ。ところで、俺の持論だと、男だったら、「仕事」か「女」かどっちか充実してれば充分満足した人生になり得ると思う。女の場合は分らんけど。今回のテーマと関係ないが。

 長くなってしまったが、まとめると、「俺は貴様の死を否定しない」という事だ。でも、たまに、当時のグループで集まったりすると、フト「やつも生きてりゃ呼べたのに」と思ったりする。そーいえば、共通の友人であるL=Rは、最近、夢で如月に会ったらしい。なんか、「こっちはええでー。家賃も安いし〜。」とか言って喜んでたらしい。アホだ。天国に行ってまで家賃を気にしてるのかヤツは。ヤツらしいが。っていうか、俺は是非「彼女できた?」と聞いて欲しかったのだが、L=Rは聞かなかったらしい。なんでも「それはきいちゃいけない気がした」とか。ふん、ヌルイな。如月、今度は俺の夢に出なさい。彼女できたか聞いてやるから。そう、おまえとは話したい事が、今になってたくさんあるのだから。今回の駄文の感想も、是非聞きたかったりするのだから。なぜなら、やっぱり俺とおまえは、同じタイプの人間だったと思うから。そして、友人を一人失ったんだな、と言う事に、十ヶ月かけて気がついているところなのだから・・・。

 去り逝く友へ、今回の駄文を捧ぐ。

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