サラリーマンのドラマ
2000年4月、私は、あるプログラムの会社に入社し、サラリーマンとなった。大学を卒業して、就職する。何の事は無い、ごくごく普通のルートだった。私は、特に仕事としてやりたい事もなかったし、これといった夢も無かった。適当に就職活動をして、適当に人材を集めていた情報処理業界に引っかかったのは、むしろ当然と言えるだろう。
「サラリーマン」。日本で一番、ありふれた職業。であるが、子供の頃から「俺はサラリーマンになる!」と夢見てるヤツはあまりいないだろう。まあ、具体的に「○○の会社に入る!」ってヤツはいるだろうけどね。漠然とした「サラリーマン」に憧れるヤツは、少数だと思う。が、実際には、大多数の人間は、漠然と「サラリーマン」になる。これは何を意味するのだろうか。
読者の中で、学生の方々は、少し考えて欲しい。自分は、将来にどんな夢を見ているか。どんな人生を送りたいのか。その夢のために、今、何かをしているか。
現在、すでに学生でない方は、思い出して欲しい。昔の自分は、どんな夢を見ていたか。「今」の自分は、その理想の姿と言えるのかどうか。
説教くさいと思うけど、そんな事を考えながら読んで頂けると、今回の駄文も無駄では無いと思う。
社会人として仕事をしていて、最初に気づいた学生の頃との大きな違いは、「ドミノがどこまでも倒れていく」という事であった。私は浅慮で向こう見ずな性格だったので、学生時代、いろんな人に迷惑をかけてきた。そう、さながらみんなが並べているドミノを、不注意で倒してしまう様に。だが、所詮、学生時代に倒したドミノは、どこかで止まる。それは「学校」だったり「サークル」だったりしたけれど、どこかの壁で止まるのだ。みんながボーッとしていても。
が、社会人になってからドミノを倒してしまうと、止めてくれる壁が無い。自分でダッシュして止めに行かない限り、基本的にドミノは倒れつづけていく。もちろん、会社のフォローと言うものもあるが、それが出てくるのはドミノが散々に倒れてからで、そこからの修復は容易ではなかったりする。そして、何度もドミノを倒していくうちに、自然と、臆病になっていく。ドミノを倒さない様に、足元を見ながら歩くようになる。学生の頃の様に、自由に闊歩する事ができなくなっている自分に、気がついたりする。
壁に遮られ、自由を制限される学生と、壁がなくなっているからこそ、自由に動けない社会人。どちらが良いのか、単純に答えを出す事はできないだろう。だが、一つ言える事がある。「無いものねだりをするやつは、馬鹿だ」という事だ。力の無いものは自分を環境に合わせるしかないし、力のあるものは自分に合った環境を作り出していく。それは学生も社会人も変わりはない。
また、私とて、偉そうな事を書いてはいるが、今でもドミノを倒している。足元にビクビクしながら、踵でドミノを倒している。それはまだ真剣味が足りないと言う事で、まだ学生気分でいる事の証と言えるのかもしれない。
私が今の会社に入って、研修期間が半年ほどあった。ホントは研修は三ヶ月なのだが、その後もなかなか仕事が回ってこなかったので、結局は半年は仕事はしなかった。細かい仕事は夏ごろからポツポツあったが、本格的に仕事に入ったのは10月からだった。
10月からの仕事は、それまでとはうってかわってハードなものになった。まあ、先輩に言わせればハードでもなんでもないんだろうけど、新人がイキナリ与えられた仕事にしてはハードだったと思う。実際、今になって上司も「あの時は、無理でもしょうがないかな、と思った」とか無責任な事を言っている。ま、今の私もコレを新人の後輩に任せるなんてしたくないけど。
ただ、確かによい経験はさせてもらった。会社の同期の中では、一番私がいろいろやったと思う。ウチの会社からそのシステムの現場に行ってたのって私一人だったし。って、同期が何やってるかよく知らんけど。まあ、少なくともそう思いこめる環境だった。
だが、私は良い経験をさせてもらったが、周りにはえらい迷惑をかけ続けた。いや、今もかけ続けてるんだけど。ドミノは倒しまくった。システム全体はけっこうでかいプロジェクトで、いろんな会社の人が集まってた。その中である時は助け合いある時は擦り付け合いながら仕事してたのだが、どー考えても私が一番ブッチギリで迷惑かけてた。しかも他社の方々であり、私より干支がひと周りかそれ以上年上の人たちだ。どー考えても、私が若いから、新人だから、ビジネスとは別に大目にみてもらってた所があるのは否めない。
ある日曜日、あるプロジェクトの追い込みの真っ最中で、私はユーザーの会社に休日出勤をしていた。そんな時、システムのバグを見つける。まあ、追いこみ時期にはよくある事(じゃダメなんだけど)だ。が、ちょっと見て思った。「これは××社の担当してるトコだ!」と、そっこー担当者にTEL。日曜日で向こうは休んでいたというのに、即呼び出す。・・・が。もっとよく見てみたら、私が原因のバグだった。真っ青になる私。急いでもう一度さっき呼び出してしまった人に電話するも、つながらず。
結局、来て頂いたその場で平謝り。向こうは笑って許してくれた上、その後の仕事も手伝って下さったが、自分より15も年上の人間を休日に呼び出した上、実は自分のせいだったと判明した時の申し訳なさはハンパではなかったりする。これが同僚ならメシでも奢るところなのであるが、年収は俺の3倍はある人(推定)にそれもアレだと思い、結局謝りまくってその日は終わったが、まったく、少しは落ちつけと自分に言いたい。
こんな事もあった。やっぱりシステムの稼動直前。連日、深夜に渡る作業をスタッフ一同続けていた。そんなある週末、その日は予定より早く終わりそうだった。「あー、今日こそは早く帰れそうですねー。」と、和やかなムードになるマシンルーム。私の気持ちも軽やかだ。・・が、次の瞬間、青ざめる私。「・・・すいません、バグでました・・・」泣きそうな声で報告する私。やっぱり泣きそうになる同業他社&ユーザー会社の方々。
しかし、ここまではよくある事(俺だから)。トラブルはこれから。そのエラーは、どーしても本社に帰らなければ直せない個所であった。が、もう夜でそんな時間はない。仕方がないので、本社にTELし、帰ろうとしていた同僚をつかまえ、電話で説明して私のパソコンを立ち上げてもらいソースを治してもらう。
これも、たった一行直すのに一時間くらいかかったのだが、ようやく終わったのでひと安心。「よし、さっそくメールでこっちに送ってくれ!!」息巻く私。「あ、それ無理。実は明日ウチのビル停電で、メールサーバ落としちゃった。俺じゃ立ち上げられない。」絶望的な報告をしてくれる同僚。
・・・これなら最初っから俺が会社に戻ってれば早かったんじゃないか!?完全にパニくる私。「・・・持ってきて」「え?」「圧縮すればフロッピーに入る!今からタクシーでここまで持ってきてくれええ!!」
結局、その日は作業は終わらず、休日出勤で対応したが・・・。同僚には、その日にタクシーで持ってこさせてしまった。我ながらホレボレする傍若無人ぶりである。
まあ、他にも例をあげたらキリがないほど、周りの方々には迷惑かけまくってきた。それでも、私が「若いから」許してもらえて来たのだろう。トラブルがそれぞれのビジネスや生活に影響を与えているであろう事を考えると、心苦しいばかりだ。
本当なら、これからは今まで迷惑をかけていた方々、自分を助けてくれていた方々にご恩返しをするべく、粉骨砕身、頑張るのがスジなのであろう。が、本当に申し訳なく思うのだが、それは果たせそうにない。なぜなら、この業界から身を引く決心が、固まりつつあるからだ。
まだ半年しか仕事してないのに、何をバカな!と思われるかもしれない。俺もそう思う。結論を出すのは早い、と説得する、上司の気持ちも分る。だが、そういう問題ではないのだ。
理由はいくつかある。一つは、毎日毎日パソコンと向かい合う生活が、俺には毒だ、という事。なにせ家に帰ってからもパソコンで遊んでいるのだ。生きてる間中パソコンだ。風呂や食事と言った、生活最低限の時間以外、モニターの前にいない事はない。パソコンの電源をつけて一日が始まり、パソコンの電源を落とし一日が終わる。これが一年続いたら、すっかりテクノ依存症になってしまった。鬱もひどくなる一方だ。これはこれ異常続けたら心がヤバイ、と思った。
そもそも、私のようにもともと人間関係が苦手な男が、プログラマのような職業についたらますます症状が悪化するのは目に見えていた。安易な就職活動のツケが回ってきたと言わざるを得ない。
また、私の中で「焦り」があるのも、要因の一つとなっているだろう。私はもうじき24になる。24、と言ったらまだまだ若い。社会に出れば分るが、20代前半なんてのは新入生でチヤホヤされまくりなのである。
もちろん、私も、24はまだ若いと思う。確かに、思う。だが、「若い」と言われる最後の時期だとも、思う。そりゃ、50、60の人間から見れば、30も40もヒヨッコ同然だろう。だが、そういう「相対的」な若さではない。私が感じるのは、「絶対的」な若さだ。人間、20を過ぎれば老いて行くようにできているのだ。
私は学生時代、大学四年で卒業するまでずーっとファミレスで働いていた。けっこう長くいたので、何十人かの人間に仕事を教えていた。ファミレスのバイトなんて、それこそ高校生から30過ぎのおばちゃんまで、幅広い年齢の人が入ってくるのだが、明かに覚えるスピードが違う。多少個人差はあるとはいえ、明かに違う。高校生達はスポンジが水を吸収する如く覚えるのが早いのだが、20代半ばあたりからレンガに水をかけてるくらい反応が遅い。ま、この辺の感想は私のバイアス入ってるだろうが、10代と20代ではぜんぜん吸収力が違う、というのはホントだと思う。
そりゃ、それでも20代のうちはどうって事はない。まだまだ学習能力は高いと言えるだろう。だが、リミットが近づいている事が、確実にプレッシャーとなってのしかかる。10代の頃に比べて記憶力が落ちたとか、感受性が鈍くなったとか、そーゆー事がすげー敏感に気になる。そしてそれが二度と取り戻せないもので、今後も失い続ける一方であり、しかも10代の頃にそれを活かしてなにも手に入れてない、という事実が、ひたすらに私を焦らせる。そして、マスコミやネットなどでは、私よりずっと年下の人間が成功しまくっている。そして、自分の自信となるようなものを何も持っていない私は、それらの事実に焦りまくるのだ。
そう、「なにも手に入れていない」のだ。10代、20代で掴んだもの、手に入れたものを、伸ばし、成長させて行くのが、30代、40代の人生だと思う。よっぽど才能に恵まれれば10代、20代で成功を掴む事もできるだろうが、それはむしろ例外だ。20代くらいなら、まだまだ成功していなくてぜんぜん普通だ。だが、後の人生で成功できるかどうか、それは20代で決まると思う。何か新しい事を覚えようと思ったら、ほとんどこの時期がラストチャンスだからだ。
別にこれは仕事関係に限らない。私は趣味もこれといったものがないし、友人も少ない。恋人もいなければ思い出すらない。「今まで、何をしていたんだ!?」と思う。たぶん、オナニーしかしてなかったんだろう。と、ギャグで無しに切実に思う。
だから、私には、もう無駄な時間など残されていないと思う。10代の貴重な時期を無駄に使ったツケが回ってきていると思う。まだ、若い。そう、「まだ」若い。今のうちに・・・「今」のうちに、何かを掴みたい。自分に合った仕事がしたい。人生を潤わせる趣味が欲しい。自分に誇れる恋人に会いたい。何か一つでいい。「オレは青春でこれを手に入れたぞ」と言えるものが欲しいのだ。
さっき、「無いものねだりをするやつは、馬鹿だ」と書いた。そして、どうやら今の環境に、私は合わせられないらしい。だから、私に合った環境を、私は探さねばならない。そして、まずは仕事を変えよう、と思った。
たぶん、言い訳なんだろうと言う事は分る。全て、後ヅケの理由なんだろう、と言う事も分る。だが、今のままじゃダメだ、と言う事も、痛烈に分る。「どうせ仕事を変えるにしても、今辞めたんじゃ何も残らない。せめて後一年いれば、他の業界へ行っても経験がプラスとなって活きてくるだろう」と、私の上司は私を説得した。この上司は、私も今まで散々世話になってきた人だ。言いたい事は分る。でも、そういう問題じゃない。そういうところは、すでに通り過ぎているのだ。
「今の職場が合わないからって別の職場へ行っても、そこでもまた合わないと感じるだけだ。」とも言われた。確かにそれも納得できる。逃げたって、何の解決にもならないなんて事は、流石に分っているつもりだ。だが、それもまた、通りすぎた部分の話なのだ。分ってる、言い訳だって事は。だけど、今のまま動かなければ、それこそなんにも変わらない。それはもっとよく分ってる。今までそうやって、ずーっとダラダラ生きてきたのだから。そして、変われるうちに変わらなきゃいけない、という事に、遅まきながら気がついただけなのだ。そして、「今、変わらないとオワリ」という事は、今、痛感している事なのだ。
そして、夏より、職場が変わり、ぜんぜん違う職種になる予定だ。新しい職種は、今までの職種とはぜんぜん関係ない。ちょっとかじっただけの私の今の職種の知識など、まったく無駄となるであろう。それは今の会社にとっても悲しいだろうが、私にとってもリスクなのだ。だが、今や過去を惜しんで未来を失うような事はしたくない。「逃げる」のはよくない事だと思う。だが、「逃げ腰」で続けるよりは、いっそ逃げた方が良い。今のままでは、「病気」が進行するのは何よりも確実だから。
新しい職種は、二年前の就職活動の頃にはまったく活動していなかった職種になる。もちろん、前々から興味はあったし、やってみたいとは思っていたけれど、それがホントーに自分に適職なのかは、分らない。多分、それは誰にも分らないだろう。
今、「やりたい」と思った。それが、「焦り」から出た「言い訳」に過ぎないのか、今の自分と向き合って出した答えなのか、それは後の人生で分ることだろう。どちらにせよ、もう戻れない決断をしているという事は、分っている。
新しい職場では、とりあえずバイトから入る事になると思う。最終的には当然、社員を目指す。そうなると、私はサラリーマンになる。カテゴリーとしての肩書きは、今と同じになる。が、私の中での意味はぜんぜん違う。なってみないと分らないけれども、今の時点では、まったく違うものだ。それは自分の意思から出た行動で掴み取ったものになるだろうから。
だが、だからといって、漠然とサラリーマンになり、続けている人達が下だとも、私は思わない。最初に、「日本で一番多いのはサラリーマンだ」と書いた。それも、おそらく「漠然と」なった人たちだ。だが、それを続けて行くのは、やはりスゴイ事なのだと、今にして、実感として思う。外から見れば、その他大勢に過ぎないかもしれない。他者の興味を引くことなど、無いかもしれない。実際、私もそうだった。
だが、その中にもドラマがある。他者にとってはどうでもよい事かもしれないけれど、社会人の織り成すドラマは、そのまま社会へとつながって行く。そういった、様々なドラマが折り重なって、今の社会が作られており、私達はそこで生きている。そして「サラリーマンのドラマ」は、いつだって重たく、たいていの場合、暗い。たぶん、それが「生きる」と言う事なんだと思う。
私のサラリーマン生活で今まで関わって来た方々、これから関わるであろう方々に、今回の駄文を捧ぐ。
(・・・しかし、毎回思ってたけど、こんなもん捧げられてもしゃーないよな)