家族の肖像
小学生の頃、誰でも「家族」をテーマにした作文を書いた事があるだろう。「うちのおとーさんは何々をしている人です」とかね。あれって、子供の頃は自分の家族もある程度客観的に見てるから書けるのだが、大人になっていろいろ主観的な目で家族を見るようになると、書くのがむずいむずい。しかも当の家族がココを読んでるとなると尚更だ。でも書く。第五部の大テーマから考えると、今回のテーマは避けては通れない小テーマだと言えるだろうからだ(なんだそりゃ)。それはそれとして、この文章を読んでいる諸兄らも、自分の家族をテーマに文章を書いて見ると良い。普段考えなかった事を、いろいろと考えると思う。
1977年6月19日。私は、東京のある家庭に長男として生まれた。父、母、祖父、祖母と揃っていて、二年後には妹も生まれた。その後、両親が離婚する事もなく、家はそこそこ裕福で、大きな事件や事故にも巻き込まれなかったのだから、「絵に描いたような」シアワセな家族だったと言えるだろう。「家族」というシステムで見るなら、これといった欠点が見つからない。(私という存在さえなければ。)
親戚などを広く見渡してみても、全体的にウチの家系はカタイ職業が多い。医者や教師が多いようだ。祖父も教師だったし。私も私の父もサラリーマンであるが、これはウチの家系だとちょっと珍しかったりする。職業は違えど、やっぱりお堅い家系である事は間違いないようで、父の性格もやっぱり堅い。ただ、堅い人間とは時として理想主義者で非現実的だったりするものだが、変にドライでリアリストな所があるのが、ウチの家系の特徴だったりする。しかしこのような家系なのになぜ俺のようないい加減な人間が生まれてしまったのか?理解に苦しむところではある。
もっとも、父の場合は、若い頃は会社辞めて外国行ったり、日本に帰って会社作って潰したりと、それなりに波乱万丈な人生を送っているようなので、その辺の反動で堅くなってしまったのかも知れない。とはいえ、現在は有名企業にいる(定年間近)わけだし、有名大学出てるのだから、やっぱエリートと言えるのだろうか。ハッキリ言って、俺はこの人の事をあんまりよく知らない。だが、この人も俺の事をぜんぜん知らないだろう。ま、親子っつうのはそういうモンだと思っているが。
が、先日、大阪できりおと飲んだ時にそういう話しをしたら、「たまには、おとんと飲みにいかなアカン」と言われた。それはそれでおもろいと思い、さっそく実行した。昼間に電話して、その日の夜に飲む事になり、寿司屋に連れてってもらう。そこでいろいろ話しをしたが・・・・
うん、確かに今まで知らなかった事を知れたので、面白かった。だけど、「価値観がぜんぜん違うにゃー」という事を再認識する事にもなった。お互い、理解しあえる事っつうのは無いのだろう。ま、親子っつうのはそういうモンだと思う。
次に母親についてだが、私から見ると何気に不憫だと思う。我が家で一番発言権が無い。我が家のあらゆる家事を一手に引きうけているのだから、この人がいないとウチの家庭は成り立たないのだが、一番自己主張の無い人だと思う。それでもなんかニコニコして幸せそうなのが謎だ。
しかもうちの両親、お互い50過ぎてるというのに今だにラブラブだ。最近は20年連れ添って離婚、というケースも増えていると言うのに、そんなのどこ吹く風である。子供の頃はそれで良いと思っていたが、最近はちょっとムカつく。子供の頃も、母親が完全に父親の支配化にあったので、苦労した記憶がある。普段、父は家にいなかったが、その目であり耳である母がいる限り油断はできないのである。もっとも、逆に考えると、父さえ味方につけてしまえば母の意見は無きも同然だったので、その点ではラクだったのだが。
祖父は、激動の昭和を生き抜いて来た割に、今はおとなしいじいさんになってしまったので、その威厳を感じさせない。法事などで挨拶をさせるとそれなりの話をするので、なるほど、昔、教師やってたのはダテではないな、と思わせる。長年連れ添った祖母が一昨年他界したので、それは寂しい思いをしていると思う。でも、80年も生きると人間どんな心境になるのか、ハッキリ言って想像もつかん。
祖母は、上でも書いたように既に他界してしまっているのだが、私の人格形成に与えた影響は家族でもっとも大きいのではないだろうか?私は、いわゆる「おばあちゃん子」だったのだ。今になるとイヤな肩書きではあるのだが、過去は変えられないのでしょーがない。とにかく、この人は私を溺愛してくれた。孫の中で一番可愛い、と公言してはばからなかった。それを他の孫達にまで言ってたのだから、何を考えていたのだ、と思う。
流石の私も、成長するにつれ祖母からは離れていったのだが、それでも私の事は一番気にしてくれていたようだ。中学くらいからか、そんな祖母ともすっかりコミュニケーションをとらなくなり、朝と帰りに窓で顔を合わせるくらいになってしまっていた。そして大学生になり、ちょうど、「僕に踏まれた町と〜(中編)」のエピソードの時期の事である。祖母が、母にこんな事を言ったそうだ。
「あの子、なんか悩んでるんじゃなぁい?悪い女に引っかかってるみたいなんだけど」
なにィィイイ!?朝夕の挨拶しか会話が無いのに、なぜそこまで分る!?「悩んでる」事くらいは様子で分るのかもしれんが、なぜその内容まで!?人間、80年も生きると霊能力でもつくのか!?この時は、流石の私もビビった・・・もとい、祖母の愛を感じたのだった。
後、残る家族は妹なのだが・・・流石に、本人がここを読んでるので堪忍してください。一つ言うと、今は仲が良いと思いますが、仲良くなったのはお互い二十歳をこえてからくらいですよ。それまではお互い会話も無かったですし。って、なぜ敬語で喋ってるのだ私は。あと、子供の頃もめっちゃ仲良かったみたいなのだが・・・私は子供の頃の事はぜんぜん覚えてないのである。が、妹は子供の頃の事もキッチリ覚えていやがる。それで、今にして聞くと「嘘ぉ!?」と言いたくなるエピソードが妹の口から続々出て来たりするのだが、ここには書かない。
まあ、一通り家族の事を書いて見たが、ごくフツーの、ごくシアワセな家族である事が分って頂けたと思う。私は家を出ようと思っているのだが、それが周りに理解されないのもうなずける。ちなみに、私の住んでいるあたりは、いわゆる「東京下町」という所である。千葉と東京の境目である。この「下町」という世界では、ウチのような家族はちょっと特殊だったりする。何が特殊って、この「中流っぷり」が、ちょっと周りから浮いてたりする。まあ、私の家族であるので、当然、人付き合いは得意ではないのだが、それもやっぱ、ちょっと浮いてる。
もちろん、ウチみたいな家はウチ以外にもあるが、少ない。私が思うに、「中流風家庭」か「下町風家庭」かの見分け方って、「子供が自分の部屋を持っているか否か」でだいたい分ると思う。地方に住んでいる人は意外に思うかもしれないが、私の住んでいるあたりでは、「自分の部屋」なんて無いのが普通だった。私の友人など、結婚するまで自分の部屋が無かった。だから、結婚平均年齢も低く、20くらいでとっとと結婚してしまう。農村か、ここは。
そんな中、たくましく根付いているウチの家族は強いのかも知れないなあ、と思うと共に、私はこの町から去ろうとしてるし、やっぱ根付いてないのかも、とも思った。でもま、間違い無く、私が24年間生きてきて、一番世話になったのはうちの家族だ。家族じゃなかったら、私のような人間と長くはやってけないだろう。それでも見捨てず付き合ってくれてるのだから、感謝せねばなるまいと思う(何も分ってないだけとも言えるが)。家から犯罪者が出ると、その家族まで凄まじい損害を受けるが、そんな被害だけは、私の家族に受けさせちゃならないと思う。
私の家族に、今回の駄文を捧ぐ。