僕の右手を知りませんか

 僕の話を聞いてくれ 笑い飛ばしても良いから
 ブルースにとりつかれたら チェインギャングは歌い出す
 仮面をつけて生きるのは 息苦しくてしょうがない
 いつもどこでも誰とでも 笑顔でなんかいられない

 「ブルーハーツ」が好きである。いや、正確には「好きだった」と言うべきだろうか? 一番ハマっていた中学から高校にかけての頃には毎日の様に聴いていたものだが、いつ頃からかサッパリ聴かなくなってしまった。今でも私の部屋にはブルーハーツのアルバムが全て揃ってはいるが、もう何年も聴いてはいない。だが、もう何年も聴いていないハズなのにフト気がつくと口ずさんでいたりする。自分にとってブルーハーツとはそんな存在なのだ。だから、「好きだった」と過去形にする必要はないかもしれない。今更聴く気も起きないのも事実だが、決して忘れる事は無いであろう自分にとっての名曲達だからだ。それは、昔の自分を支えてくれた古き友のようなものなのだ。

 寂しい夜を 何度過ごしても
 切ない朝を 何度迎えても
 出かけよう
 さあ 出かけよう

 ブルーハーツの歌を今になって聴かなくなってしまった理由の一つは、歌詞があまりにもストレートすぎてこっちがこっぱずかしくなってしまうのである。しかし、またそこがブルーハーツの魅力でもある。ただ、文字通り「やらしさも汚らしさも むきだしにして」いるためにかなり男性的な歌詞になっていると思う。尾崎豊のようにキレイな(というと語弊があるかもしれんが)歌詞では決してなく、ただただ正直でそれゆえに好きになれない人も少なくないであろう。その正直さが、好きな人にはこの上ないのである。
  そりゃ、今になれば歌詞に指摘できる個所がある事も分る。それは間違ってるかもしれないと思う事もある。だが、少なくとも当時はそうは思わなかった。そして少年の頃の自分は今より前向きで、今より必至こいて生きていたと思う。そんな昔の自分の気持ちを代弁してくれていたようなブルーハーツを今更非難する気になれるハズもなく、むしろかえってなつかしく、切ない気持ちになれたりするのである。

 すべての僕のような ロクデナシの為に
 この星はグルグルと回る
 劣等生で充分だ
 はみだし者でかまわない

 大学に入り、ブルーハーツは聴かなくなり、筋肉少女帯やサザンにハマり・・・すっかりヒネクレ者になってしまったよーな気がする。世の中なんてそんなもんさ。それで諦めて生きているような気がする。ブルーハーツの曲も暗い情熱ではあるが、それでも前向きである。今の自分に必要なのは、このような賢くない前向きさなのかもしれない。そんな事を考えながら、だましだまし頑張っている社会人なりたての今日この頃でした。

 いつか いつでもいいから
 強い風ならば 
 僕を抱えて 吹き飛ばしてよ
 できれば南の方へ

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