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まずは件の句をご紹介しましょう。
リムスキー・コルサコフ青林檎雨弾き 加藤楸邨
私は俳壇には全く疎いのですが、このあまり関連のないと思われる分野にリムスキー=コルサコフの名前が登場しているのは、意外であると同時に一ファンとしてうれしくもありますね。
いくら私が俳諧に疎いとはいってもこの句が五・七・五調ではないことくらいは分かりますが、さて、この俳句の意味するところや、どのような評価がなされているのかについては全くお手上げです。ということで、この句を「味わう」というレベルには全然ありませんが、判明しているところだけを簡単に記しておきます。
- 句集『起伏』より。昭和24年7月刊。この時期楸邨は病を患い療養中であったという。
- 季語は「青林檎」で、季節は夏。
- 戦後間もないこの時期は、リムスキー=コルサコフの自伝や教科書が現在とは違って市中によく出回っていたようである。当時日本で作曲を志していた人は、たいてい彼の教科書にお世話になっているはずだ。
今わかっているのはこの程度の事柄です。さて、句中の「リムスキー・コルサコフ」とは自伝などからうかがえる彼の生き様のことなのか、彼の曲を指しているのか。曲とすれば、どの曲なのか。なぜ「青林檎」なのか、なぜ「雨弾き」なのか....。
山里での療養。梅雨空。薄暗い部屋。開け放した縁側の戸の向こうだけが明るく、雨に打たれる林檎の木が見える。まだ青い実が雨を弾いている。何もかも暗く重い中でこの青い果実だけが生命力がみなぎっている。雨音に混じって聞こえてくるのはリムスキー=コルサコフの曲。幾多の困難を不屈の精神力で乗り切った人物。彼の作品もまた永遠の生命を持つ。かたや私は?私の作品は....?
私の勝手な解釈を書きました。どなたかご存じの方がいらっしゃいましたらご一報いただけると幸いです。
※このページをご覧になられた方から「短歌にも出てますよ」と教えていただきました。ここでお礼を申し上げるとともに、みなさんにご紹介します。
牛舎のスピーカーよりリムスキー・コルサコフきかすよき乳垂れと
小池光歌集『草の庭』(砂子屋書房)
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