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07 色聴と《シェヘラザード》

リムスキー=コルサコフ(あるいはベルリオーズやラヴェル、レスピーギなどでもそうですが)の作品を評して「色彩豊かな」などという言い方をよくします。わたしたちはそういった表現を何の抵抗感もなく受け入れていますが、ここでいう「色彩」とはいったい何のことかと考えていくとかなり奥深いものがあります。つまり、発音体それぞれに特有な音の感じをまさしく「音色」と言うがごとく、音と色の関係には密接なつながりがあるというお話です。


一般に音楽作品を評して色彩豊かという場合には、使用されている音色が豊富で、しかもそれらがそれぞれで際立つように上手くオーケストレーションされているということであって、実際に音から「色」が見えるわけではありません。「水彩画のような」「原色を塗りたくったような」などと言ったりしますが、基本的には比喩に過ぎないと考えた方がいいでしょう。

しかし、人によっては「音」を聞くと本当に「色」が見えるというのです。
「色聴(現象)」といいますが、このような感覚を身につけている人を心理学上では「色聴所有者」と呼んでおり、かなり昔から様々な研究がされてきたようです。ただし、色聴所有者の比率はかなり低いらしく、しかも個人差が大きいということで、結論的には音と色の普遍的相関関係を見いだすまでには至っていないと思われます



私の場合、ドは茶色、レは薄い黄色、ミは濃いオレンジ色、ファは透明な褐色....とこれはお察しのとおりドレミの歌の連想ですよね。ファが透明な褐色というのは「ファーはファンタのファー」からです(ちなみにソは「そーめん」。以下「ラーメン」「しるこ」と続きます)。

まあ、ネタくさい話はさておき、ラについてだけは私の個人的な印象では赤ワインのごとく透明な赤紫のイメージになります。これが色聴なのかどうかは怪しいですが、ラ → オーボエの音合わせ → オーケストラ → コンサートホール → サントリー → ワイン (→ (゚Д゚)ウマー)という連想の流れが出来上がっているのかもしれません。

色聴のことを調べると必ず出てくるカール・ジーツという人の説によると、音階による色聴は、ドは赤を、レはすみれ色、ミは黄金色、ファはピンク、ソは空色、ラは黄色、シは銅色ということになるのだそうです。若い女性の甲高い声を「黄色い声」というのはラの音だという根拠のようにされている説でもあるようですが、少なくともラについてだけは、私は黄色でなく赤紫のようなイメージがあるので、この説にあまり賛成はできません。



ようやく《シェヘラザード》になりますが、音と色の関係について具体的に作品に反映させようとした作曲家ということでは、まずスクリャービンを思い浮かべます。

しかし彼に先駆けてリムスキー=コルサコフもそういう試みをしていたという話が知られています。彼の代表作《シェヘラザード》は「色彩豊かな」管弦楽曲として有名ですが、この作品は純粋に様々な楽器(群)の発する音の効果的な組み合わせをねらったということだけでなく、実際に特定の調を特定の色に結びつけて作曲されていたというのです。

一つ注意したのは、「調と色の関係」であって、先のようにドは赤、レはスミレ色....というように絶対的な音の高さに特定の色を対応させるということではなく、ハ長調なら白色、ニ長調なら黄色...という具合にある特定の音の配列に固有の色彩が結びついているという主張のようなのです。

さて《シェヘラザード》ですが具体的には、ホ長調を明るい水色、ロ長調を濃い水色、変ホ長調を灰色がかった濃い水色、ヘ長調を緑色、イ長調をバラ色に関連づけられているとのです(J.バクスト著『ロシア・ソヴィエト音楽史』森田稔訳 音楽之友社 1971)。私には残念ながら《シェヘラザード》を聴いていてもこのような色が見えてはきませんが、水色系の調が多いのは《シェヘラザード》の様々な「海」の表現と結びついているためなのでしょうかね。

この説の出所ですが、ヤストレブツェフの書いた伝記にリムスキー自身が語った内容として言及されている箇所があります。しかし、少なくとも自伝や『管弦楽法原理』『和声楽教程』といったリムスキーの著作にはそうした記述は見当たりません(と思います)。また、ディアギレフの伝記等に、パリの万博会場に演奏旅行に来ていたリムスキー=コルサコフとスクリャービンが、「光の調」をめぐってカフェで論争したというような記述がみられるので、両者が独自の概念を持ち、議論を戦わせていたということは事実だったようです。

ネットで検索すると、調と色の関係について考察したページを見つけることができます(例えばこちら http://www.thereminvox.com/printstory/28)。
リムスキー=コルサコフとスクリャービンのそれぞれの「調と色の関係」もわかります。これらを見ると、両者で共通する要素もありますが、例えばハ長調についてリムスキーは白、スクリャービンは赤というように全く異なる部分もありますね。

2人の感覚(とお互いの相違点)も興味深いですが、そのことでパリの街角で論争している2人の姿も想像してみると何だかおかしいです。居合わせたラフマニノフが「まあまあ」と2人を調停したそうですから、かなり白熱したものだったみたいですね。リムスキーはスクリャービンのことを半き○がいと思っていたらしいですから、「こいつは手に負えん」と困惑顔だったかもしれません。

 

 


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