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リムスキー=コルサコフの歩んできた「国民主義」的作曲家という立場から少し離れて、「明らかに矛盾しなければ」として挑んだ自由な音楽。どうやらこれが《セルヴィリア》を書こうとした一つの理由のようです。彼の主張する「ビザンチン音楽の反響」が古代ローマ時代の音楽を正確に再現しているかどうかは、作曲者自ら語るとおり「誰も聴いたことがない」ために確かめようがありませんが、この歌劇の一風変わったスタイルはなかなか興味深いものがあります。ここでは《セルヴィリア》の音楽について考えてみます。

 

量産時代の悲劇

リムスキー=コルサコフの全15作に及ぶ一連の歌劇の流れを捉えようとした場合、作曲年代順に3作ごとに区切ってみると理解がしやすいように思われます。

すなわち、最初の3作──《プスコフの娘》から《雪娘》までを、自己のスタイルを確立するに至った時期(これを仮に「初期」と呼びましょう)、次の《サトコ》までの3作を、ワーグナーの影響下での大管弦楽による色彩感豊かな叙事的作品群とする「中期」、さらに次の《皇帝の花嫁》までの3作は、一転して心理描写に重きを置いたドラマチックな展開をねらった「後期」、といった具合にです。

しかも面白いことに、最後の第15作目となる《金鶏》も含めると、各時期の最後の作品、つまり3作ごとにリムスキーの代表作と呼ばれるような歌劇が誕生していることに気付きます。これは、図らずも几帳面そのものであった彼の性格を反映しているようで興味深いのですが、この「法則」が必ずしも当てはまらない時期の作品群、つまり、先ほどあえて触れなかった《皇帝の花嫁》以降の歌劇については、もう少し別の角度から考えてみる必要があります。

リムスキーの晩年期は、ほとんど毎年のように新作歌劇を発表していた、いわば「量産」の時代でした。
この時期の歌劇を「晩期」のものとして順に並べると、《サルタン皇帝の物語》(1900年)、《セルヴィリア》(1901年)、《不死身のカシチェイ》(1902年)、《パン・ヴォエヴォーダ》(1903年)、《見えざる町キーテジの物語》(1905年)、《金鶏》(1907年)となりますが、この6作品を3作品ずつに分けてしまうのはどうも具合が悪いようです。しかし、よく見てみるとやはり「法則」らしきものが存在していることに気付くのです。

まず、最後の2作《見えざる町キーテジの物語》《金鶏》は、ともにリムスキーの歌劇の中では傑作とされている作品です。ことに《キーテジ》に対する評価は近年急速に高まってきていると言えるでしょう。リムスキー=コルサコフの歌劇作曲家の集大成が、この2作品に結実しているとしても過言ではありません。

残った4作品についてですが、手がかりになるのは《皇帝の花嫁》です。
つまり、《セルヴィリア》も《パン・ヴォエヴォーダ》も《皇帝の花嫁》から派生した作品であることを知っていれば、この時期は《皇帝の花嫁》で確立した様式を軸にしながら、《カシチェイ》のような新たな方向を模索した時期であると結論づけることができます。

また、誤解を恐れずに言えば、熟達した作曲技法に寄るところも多いとはいえ、《皇帝の花嫁》のような鋳型があったからこそ「量産」体制が可能になったのであり、この事実は同じ鋳型から出された製品──《セルヴィリア》と《パン・ヴォエヴォーダ》の評価が共に低いこと──これらが数あるリムスキーの歌劇作品の中でも、最低ランクに位置していることと無関係ではないように思われます。

《セルヴィリア》に関して言えば、リムスキー=コルサコフの歌劇の中でこの作品のみが、全曲録音される機会に恵まれないという、不幸な運命を背負うことになってしまっているのです。

 

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