
第70回報告「グリーフケア2」 晩秋というか初冬というか。どんよりとした雲、いつ降り出すかわからないよう な新潟の冬の空模様です。 今年はちょっと冬の到来が早いみたいな気がします。地球温暖化と言いつつもどう なっているんでしょうね。 第70回目のワークショップを11月20日の第3金曜日に、いつもの新潟市の関 屋地区公民館に会場を戻して開催いたしました。 今回のテーマは、「グリーフワークの2」ということでした。 今回の参加者は、私を入れて7名。 グリーフケアを初めて取り上げたときに、「時間が不足ですね。またやらないとい けないですね。」とおっしゃって下さった方もご参加いただきました。 前にグリーフケアを取り上げたときに、おいでになっていない方もいらっしゃった ので、簡単にグリーフケアのおさらいをやりました。 前回のグリーフケアの時も、このような問題だとなかなか発言が出てこないのでは ないのかな?と思ってはじめるのですが、始めるとみなさんいろんなご意見を出し て下さるのです。 それもご自身のことやら、自分の身近な人の話など、どんどん発言があって。 ほんとに事前の想像と、実際にやってみると違うものだと思います。 今回は、私は日本全国各地で、実際にグリーフケア、グリーフワークのための集ま りや、講習会をやっている団体などを紹介しました。 いろいろな活動があるのですが、同じ境遇の人が集まって、自分の喪失、悲しみを 語り合う、聞きあうという会合が目につきます。 やはり、変な言い方かもしれませんが「同病相哀れむ」というようなことが、深い 喪失感に打ちひしがれている方には大事なのかもしれません。 そして、自分の悲しみを口に出す、話をする、聞いてもらう、ということで、薄皮 をはぐように、深い喪失感が薄れていくのでしょう。 残念ながら、新潟ではそういう会合が行われているのかどうか、見つけられません でした。 ただ、このワークショップもそういうニーズがあれば、お手伝いしてゆきたいと思 っています。 今回の議論の初めは、男性などが伴侶に先立たれて、即生活に困ること。 たとえば炊事洗濯などの家事ですね。 そして会社以外の人間関係の繋がりを持つことが下手というような話もでました。 だんだん、そういうことから、話が心の問題、深い喪失感を持った人にどう対処し ていったらいいのか?どうしてあげるのが一番いいのか?というような話に変わっ てゆきました。 仲の良い友人が奥さんを亡くされて、老人ホームに入って。「たまに出てこい よ。」と言っても言葉を濁して、ひきこもっているようになっている。自分として はどうしたらいいのか考えあぐねている。というような話。 とてもデリケートな問題なので、踏み込みすぎて傷つけるのもいけないし。 と言って何にもしないといこともできないし。という迷いはには、みなさん同意し ていました。 昔は、大家族でもあり、地域のコミュニティーもあり、また一連の法要まで含めた 葬送の儀礼が、グリーフケアにもなっていたわけです。 今はそういうことが全部希薄になり、家族も二人で暮らしていた、というようなこ とも増えていて、喪失の悲しみということに改めて向き合わなくてはならなくなっ たとも言えるのでしょう。 あと重要なのは、自死の場合です。この自死が遺族に残す影響というのは、とても 大きいわけです。 自分が何とかしてあげられなかったのか?自分に原因があるのではないか?という ような煩悶に悩むことも多いわけです。 この夏、自殺した友人があって、その奥さんが、事業やらいろんなことの後始末を みんなやって、困ったときにメールが来て、それに答えてはいるけれど、というよ うな状況が続いている。 友人たちは偲ぶ会をやって集まろうよ。そこに奥さんも来てもらって、という話に なっているが、それをやることが慰めになるのかどうか、迷っている。 という相談も出て、参加者がいろいろ意見を出してくれました。 参加者の中に、お子様を亡くされて、私が早い頃、葬儀をさせてもらった方がいま した。 その方が、葬儀の後、このワークショップの案内のはがきが毎月毎月届く。 すぐには参加できなかったけれど、毎月毎月届くことが、遠くでドアをノックして いるような気がして、忘れていないよと言ってくれているようでありがたかった。 と言って下さいました。 その言葉を聞いて、私はほんとにうれしくてありがたくて。 目頭が熱くなる思いでした。 これだけでもこのワークショップを毎月毎月70回も開催してきたかいがあったな あ、と感謝いたしました。 そういう話だけでなく脱線も少々ありました。 三日後に死ぬとなったら何をするか?というようなこと。 また、40代で癌と壮絶に戦っている新潟在住の女性の話も出ました。 そして最後は、死生観というような話に及びました。 昔は、宗教というような、死んだらどうなる、という話が生活にしっかり根付いて いて、そういうことが、しっかり話をされていた。 今は、そういうことが全くない。 そういうことも喪失の悲哀から抜け出せない人が増えている一因か?というような 意見が出ました。 ここで私は、私の生死観、死んでも終わりではないという立場からの意見を言わせ てもらいました。 すると、全く別の死生観を持つ人が、別の立場から、しっかりと生きて人々との温 かい繋がりを持つことが大事なことだ、という話をして下さいました。 私は死で無に帰する、という考え方の人が、より良く生きるという生き方をしてい ることが、実に立派だなあと思うのです。 私が、今の生死観を持つに至ったのは、無に帰すのなら何故苦しんで生きなきゃな らないのか? 正直者が馬鹿を見るような世界を受け入れられなかったからなんです。 そんな生死観の話が出たところで時間となりました。 来月は12月です。 恒例となってきた感じですから、来月は忘年会とすることにします。 ある方から事前に電話で「来月は忘年会ですよね?」と聞かれたりしていましたか らね。それで忘年会とさせていただきます。 ▼第71回ワークショップ開催ご案内 テーマ:「2009年忘年会」 日 時:平成21年12月18日(金)午後6時半から 会 場:韓流晩餐「けなり」 新潟市中央区弁天1-1-26 オセオ弁天3F TEL 025−288−1800 地図は http://www.week.co.jp/komachi/gw/itp-pc_gw.php?ip=00013028 参加費:4000円。 ご参加くださる方は、080−5077−3325に申し込んでください。 人数の取りまとめもございます。 12月12日(土)午後6時までにお願い致します。 第69回報告「私の心に残る葬儀」 一段と秋が深まってきていますね。 お彼岸の中日もひと月前位に通過して、もう日がずっと短くなっています。 そして10月。今年も残すところあと・・なんて言葉が出るのももうすぐですね。 一年がほんとに早く感じます。 第69回目のワークショップを10月16日の第3金曜日に、いつもの新潟市の関 屋地区公民館は使えなかったため、会場を礎町のクロスパルの中央公民館に変えて の開催となりました。 この中央公民館での開催は二回目です。 前回は祝日でさらに昼間の開催でした。 その時は、開催の条件がいつものと大分違うので、初めて参加してくださる方が何 人かいらっしゃいました。 今回は、いつもと同じ、平日の夜。それも会場が違うということで、期待に反して 参加者はわたしと、もうお一人の二名だけという開催になりました。 今回のテーマは「私の心に残る葬儀」ということでした。 今回ご参加の方は、碓氷さんという新潟で一人で葬儀の企画やら相談、また葬儀の 施行もやっていらっしゃる方です。 わたしと同じような志を持って、仕事をしてこられた方で、ごく最近葬儀の事務所 を立ち上げて、本格的に新潟の葬儀事情を変えて行こうと、奮闘していらっしゃる 方です。 最近は、ほとんど毎回ワークショップに参加してくださっているのです。 今回はその方との差しでの話になったわけです。 ワークショップが始まると、碓氷さんの方から、私、熊木自身の心に残る葬儀を聞 かれました。 そう聞かれまして、私はまずはじめに、若くして亡くなった私のラグビーの友人の 話をしました。 彼は学生時代からスポーツマンで、男気があって、意志が強くて、自分に厳しくて。 とても多くの友人を持った男でした。 そんな彼は若くして喉頭ガンになり、声帯を取って最後は筆談になり。というよう な厳しい闘病生活を送りました。 彼は一日もトレーニングを欠かさず、若い者にも体力負けなどしないような頑健な 男でした。 その彼がガンに侵され40代という若さで亡くなったのです。 彼が筆談で私に言ったことが今でも忘れられません。 「体力があるということと、健康であると言うことは、全く違う、と言うことがや っとわかったよ。」彼は言ったのです。 これは大事な言葉ですよね。 彼の葬儀は、新潟でも広めの葬儀場で行われたのですが、それでも会場に入りきれ ないくらいの多くの友人が詰めかけ、別れを悲しんだのです。ほんとうに多くの友 が義理でもなんでもなく、心からのお別れを言いに集まった葬儀だったなあと思い ます。 それともう一つ、私がさせてもらった私の友人の葬儀の話もさせてもらいました。 私が葬儀の仕事を始めてまだ間もないころに、青山火葬場の式場で行なった葬儀の 話なのです。 やはり彼も私のラグビーの仲間でした。 その時も多くの仲間が参列して、別れを惜しんで故人のいろいろなエピソードを語 りあい、夜遅くまで酒を酌み交わし亡き友を偲んだのです。 そして翌朝の告別式には、最後の別れに参加したいと言う仲間が集い、お釜の前ま でみんなで送りました。最後にはお釜の前で、ラグビー式のエールをみんなで唱和 して泣きながら荼毘に付したのです。 私はその二つの話で、家族は勿論ですが、家族の以外の知人友人が、お別れを言っ て自分の中で亡き人と決別する。 そういうことの大事さを思い知ったという話をさせてもらいました。 一方碓氷さんも、新潟のあちこちの葬儀のやり方を聞かせてくれました。 通夜の翌朝、葬儀の前にお骨にして、お骨で葬儀をやる地方の話。 また、お通夜の前にもうお骨にしてしまう地域も見つけたそうです。 さらに葬式の飾りなどを、ひとつづつみんなが持って、行列を作り、お寺まで行進 してゆく地域の話。葬列と言われるものですね。 それをまだしっかりやっている地域があるそうです。 やはり葬儀というのは、一番地域性が残っているものなのですよね。 そういうところに葬儀屋が入り込んでくると、葬儀屋は自分たちの都合で、大事な 地域の特色を壊してゆく、というのがパターンのようです。 そういう、地域性はなんとしても大事にしたいものですけれどね。 さらに、私は私の父の葬儀のことも話しました。 私の父は69歳で亡くなりました。私が35歳の時です。 参列者は、私や母に、口々に「お父さんに世話になった。」「いいおやじだっ た。」と私たちの知らない父親の話を大勢の人が語ってくれるのです。 そして、そういう家族が知らない父親の一面を聞かせてもらう。いい人だったお世 話になったとお礼を言われる。 そういう言葉の一つ一つが、どれほど私や母の慰めになり、癒しになったか知れま せん。 そういうことが葬儀にとても大事なことなんではないか、ということをその時初め て知ったのです。 また、それまで私は、この葬儀に私なんかが参列して、悪いのではないかな?と思 うことがあったのです。 自分はではとても近しく感じているわけだけれど、遺族にとっては、何でお前が? と思われたりはしないかな?と気にすることもあったのです。 でも、自分が父親の葬儀で感じたことは、来てくださった方すべてがありがたい、 来てくださってありがとう。と心から思えたのです。 だから、くよくよ考えず、自分がその人の葬儀に出てお別れを言いたい、という気 持ちに対して素直になればいいのだと、その時思ったのです。 それは今でも変わっていません。 そしてそれが私の葬儀というものに対する気持ち、姿勢です。 しっかりとお別れをして、遺族ときちんとお話して慰め、亡き人の話をする。 これが参列者としてとても大事なことだと思っているのです。一方そうしてもらう ことが、遺族にとってとても大事な癒しになるのだ、ということなのです。 私がやる葬儀は、今言ったことを大事にできる葬儀。それをきちんとやってあげた いなといつも思っているのです。 そんな話を碓氷さんと二人で話をして、お互い共感をいたしました。 で新潟の葬儀の現状を考えるに、もっともっと葬儀に関する選択肢を広げるお手伝 いをしてゆかないと駄目だねと話しました。 碓氷さんは、遺族の人がこういう風にしたいという考えを聞いて、葬儀の企画をき ちんと立てて、遺族の考えをしっかり実現してゆく。 そういう葬儀の企画のお手伝いを中心的な活動にしたい、そう考えていらっしゃる ようです。 ぜひ、碓氷さんがそういうお仕事をやっているということをご理解ください。 そしてそういうことを必要としている方に、是非紹介をしてやってください。 碓氷さんの連絡先は、090−2624−5601 http://www14.ocn.ne.jp/~sousai/ となっております。 さて、次回のテーマですが、「グリーフワークの2」といたします。 前回の同じテーマの時に、まだまだ時間が足りないと言われております。 もう一度グリーフワークのお勉強をいたしましょう。 ▼第70回ワークショップ開催ご案内 テーマ:「グリーフワークの2」 日 時:平成21年11月20日(金)午後6時半から8時半まで 会 場:新潟市関屋地区公民館 一階 集会室 新潟市関屋昭和町3−148−1 TEL 025−266−4939 駐車場はありますが、駐車したら事務室に連絡が必要です。 バスは信濃町線他関屋昭和町バス停徒歩3分です。 またはJR越後線関屋駅徒歩10分です。 参加費:資料代、通信費として300円。 (次回の開催案内をはがきで差し上げます。) 第68回報告「グリーフケア」 すっかり秋ですね。20世紀梨が美味しいです。 わたしは今くらいの季節の新潟が一番好きです。 空がどこまでも青く、空気が澄み渡っている感じです。 第68回目のワークショップを9月18日の第3金曜日に、いつものように新潟市 の関屋地区公民館で開催しました。 今回のテーマは「グリーフケア」でした。 参加者は私を入れて8名。女性2名、男性6名。男性が多めの夜でした。 初めてご参加の方もいて、楽しいワークショップとなりました。 テーマのグリーフケア、またはグリーフワークでもよいと思います。 なかなか聞きなれない方が多い言葉ではないでしょうか。 「悲嘆の回復」というような訳し方もあります。 身近な人、それもとても身近な人を亡くしての、深い喪失感、悲しみからの回復。 ということになりましょうか。 いつものテーマであると、わたしもそれほど下調べしたりということもないのです が、今回のグリーフケア、グリーフワークとなるとちょっと勉強しないと。と思っ て、下調べをしました。 ネットを使って簡潔にまとめられた説明がないかな。と探しました。 それで、ホスピスというかガン末期の緩和ケアのことについて書かれたサイトで、 医療者向けにグリーフケアを解説している文章を見つけました。 それをちょっと拝借して、説明資料として使わせてもらいました。 興味のある方もいるかと思いますので、URLを書いておきましょう。 http://www.hospice.jp/related_group/griefcare.html これを参考にさせていただきました。 まず最初に、この文章の中で、私がこの辺がいいかなと見当つけたあたり何箇所か を読ませてもらいました。 悲嘆の回復に個人個人による差がとても大きいということ。 そして、男性にとって配偶者を失うことの重大さ。女性にとって子供を失うことの 重大さなども、読ませてもらいました。 地震などの仮設住宅での孤独死は、圧倒的に独身男性が多い。 そしてアルコール依存症などアルコールにまつわる孤独死が多いなど、参加者も 「それはありうるなあ。」というような言葉も発せられました。 何項目か読ませてもらって、意見交換となりましたが、とても活発な意見が交わさ れました。 グリーフワークのこと、というよりもそれにまつわるというか、関係したような話 が多くされたように思います。 また、肉親の死がこれほど大きな喪失感を与えるということについて、一般的には まだまだ理解されてないようです。 こういうことも起こるのだという、あらかじめ知識を持っている。自分もそうなる 可能性があるんだ。と知っておくことがとても大事なのではないかという意見も出 ました。 確かにそうですね。他人に対しても、何をいつまでもくよくよしているんだ、など という無理解な発言が状況を悪くする原因にもなるわけです。 グリーフワークにたいする基礎的な知識を持つということの大事さを、みなさん共 有できたようです。 私が今葬儀の仕事をやるようになったそもそものきっかけは、私がいつも話をする ような生死観を話してあげることで、すこしは大事な方を亡くして嘆いている人の 力になってあげられるのではないか。嘆きを少しは軽くしてあげられるのではない か。と考えたのがはじまりなんです。 ところが、実際に葬儀の仕事となると、なかなかグリーフケアまではできない現実 があります。 お骨にしたところで終わり。というのが現実である仕事なんです。 短時間でグリーフケアが出来るほどの信頼感を築くということは、今のような仕事 の流れではなかなか難しいというのが現実です。 もう一つ、このワークショップも大事な肉親を亡くしたような方が、いろいろな話 ができる場になるかな?と思ってはじめたということもあります。 今のところ、そういう方が来てくださって、力になってあげるという働きもできて いないわけですが。 しかし、私の活動の根っこに、このグリーフワーク、グリーフケアというものがあ るというのは私の正直なところなんです。大きな目標ということわけです。 そもそも葬儀というものの本質に、グリーフケア的な面があるはずだし、なければ おかしい。しかし今の葬儀は、葬儀屋の自分たち本位のペースで、遺族の心のケア が全くおざなりにされている、というようなは意見もありました。 参加者で葬儀関係の仕事をしている方は、できるだけ遺族に泣いてもらうように、 葬儀を進めるという話をしてくださいました。 泣くことによってストレスが発散されて、グリーフワークの一助になる。と信じて そうしているというお話でした。 演出過剰のいやらしいような泣かせの葬儀は願い下げです。 しかし葬儀のやり方でグリーフケアにもなるはず。 死者としっかりお別れをする、参列者と悲しみを共感共有することで癒しになるは ずだ。というような意見も多く出されました。 今回はグリーフケアという話題を中心に大きな同心円を書いて、多角的ないろんな 方面からそのグリーフケアについて話をしたという感じのワークショップでした。 時間を過ぎましたが、なかなか終われなくて、時間が伸びてしまいました。 それほど熱心に皆さん話をし、話を聞かせてもらいました。 そして、おわりになってある参加者は、「このテーマはまだまだ、深くて、食い足 りないというテーマですねえ。」という言葉を発して帰られました。 私も確かにそう思います。また近いうちに取り上げたいと思います。 次回のワークショップですが、会場が今回だけ変わります。 関屋地区公民館が使えませんので、10月だけ、礎小学校跡のクロスパル内の中央 公民館にて、行います。 中央公民館303号室です。 お間違えないようお願い致します。 さて、テーマですが、「私の心に残る葬儀」といたします。 ▼第69回ワークショップ開催ご案内 テーマ:「私の心に残る葬儀」 日 時:平成21年10月16日(金)午後6時半から8時半まで 会 場:新潟市中央公民館 303号室 〒951-8055 新潟市中央区礎町通3ノ町2086 TEL 025-224-2088 駐車場はありますが、有料となります。 なるべく公共交通にておいでください。 〈バス〉古町方面行き 「礎町」または「本町」下車 徒歩3〜5分 参加費:資料代、通信費として300円。 (次回の開催案内をはがきで差し上げます。) 第67回報告「臓器移植、献体考えていますか?」 お盆も過ぎまして今年は冷夏で終わるようですね。 甲子園では新潟勢かってない、日本文理高校の大活躍も、今年の夏の大きな話題で したね。 さて、第67回目のワークショップを8月21日の第3金曜日に、いつものように 新潟市の関屋地区公民館で開催しました。 今回のテーマは「臓器移植、献体考えていますか?」ということでした。 参加者は私を入れて8名。 初めておいでの方も一名居られてなかなか活発な話ができました。 久しぶりにご参加くださったMさんは、大きな荷物を会場に持ち込んで、われわれ に美味しいコーヒーを差し入れてくださいました。 そのコーヒーを飲みながらの話となりました。 いつもなら、話題があちこちに飛んで、収拾がつかなくなることもあるくらいの、 このワークショップ。 ところが今回の話題は、ずっとテーマに沿った話が続きました。 ちょっと葬儀のやり方の話などが話題になりましたが、それをまたテーマに戻すと あとはずっとテーマに沿った話に終始しました。 とても珍しいことです。テーマの特殊性のせいでしょうか。 この話題、遺体をどう認識しているか、肉体をどう認識しているか、ひいては生死 観をどうとらえているか。という深い話を抜きにして考えられないわけです。 そんなせいもあって、みなさん真剣にテーマと取り組んでいただいたということな のかな?と考えているのです。 解散前の国会で臓器移植法案の改正が行われました。 そこでの改正点は、臓器移植の意思決定が本人だったのが、家族の承諾になりまし た。 家族というのが実はどこまでをいうのかというのが、はっきりうたわれていないの でこれからの問題になるのでしょうが。 後大きな改正は15歳未満の臓器移植が可能になったという点でしょうか。 まあ、これらのことについての経過説明やら、解説など、私が知る限りの事柄の話 をさせていただきました。 それと日本の臓器移植の問題点、現状なども話をさせていただきました。 献体のこともたくさん話題になりました。 献体のことにとても興味を持たれて、事前に新潟大学まで行って、献体についての お話を聞いて来た方がいらっしゃいました。 その方は医学の為に遺体を提供するという、崇高な精神に基づく行為という説明を 受け、感銘されておられました。 それなのに私は、お金のことばかり言って、お金掛けたくない人が献体しようと、 最近希望者が増加している、なんて下世話な話ばかりしてしまいました。 昔はなかなか献体をしようという方は多くはなかったのです。 それが今は、献体希望はかなり増えてきています。新潟はまだまだそれほど目立っ て増えていないようですが。 献体希望が増えてきたというのは、金銭的な問題ということもありましょうが、生 死観、遺体に対する認識もかなり変化してきたということが言えるのでしょう。 ところで臓器移植に話題を戻して言うと、日本はホントに数が少ないのですねえ。 世界的には比べようがないくらい少ないわけです。 それで、外国に行って高い手術代を払って、臓器移植手術を受けているというのが 現状ですね。 この度の法改正でどのように変わるのでしょうか、変わらないのでしょうか。 見守っていきたいです。 私は、今でも自分の臓器が使えるならばすべて使ってもらってください。という考 えです。 新しい保険証の裏にもそのように意思表示しています。 ですから、献体はできないわけです。 臓器移植した遺体は献体できないですからね。 私は肉体はあくまでも、私の本質の単なる乗り物であって、肉体が自分そのもので はないという考えですから、死んで自分の本質が抜け出てしまった遺体は、もう自 分が脱ぎ捨てた物という考え方の人間ですからね。 最後に参加者の一人が発言されました。 「自分が死んだら、必要な人がいれば臓器移植に使ってもらってもいいです。自分 の妻が亡くなって、意思確認していなくて臓器をくださいと言われたら、ちょっと 待ってよ。うんとは言いたくないなあ。 自分の子供が臓器移植手術を受けないと生きれないと言うことになったら、何とし ても臓器をもらって手術をしてあげたい。 ということで、自分の考えが八つ裂き状態なんですねえ。」ということでした。 でもそれが普通の人の考えなんだろうなあと思います。 みなさんも同感の意を表していました。 二時間みっちりとテーマに沿って考えたワークショップでした。 さて、次回のワークショップですが。 グリーフケアということについて、考えて見たいと思います。 大切な人を亡くして悲嘆にくれているところから、死を受け入れて回復していく過 程を周りはどうケアして、または自力でそれをやっていくのか。 悲嘆回復と言う言い方もされるグリーフケアについて、話し合って勉強してみたい と思います。 簡単なテーマではありませんが、是非取り上げて見たいと思っておりました。 奮ってご参加ください。 ▼第68回ワークショップ開催ご案内 テーマ:「グリーフケア」 日 時:平成21年9月18日(金)午後6時半から8時半まで 会 場:新潟市関屋地区公民館 一階 集会室 新潟市関屋昭和町3−148−1 TEL 025−266−4939 駐車場はありますが、駐車したら事務室に連絡が必要です。 バスは信濃町線他関屋昭和町バス停徒歩3分です。 またはJR越後線関屋駅徒歩10分です。 参加費:資料代、通信費として300円。 (次回の開催案内をはがきで差し上げます。) 第66回報告「実際に言い残しノート書いてみましょう」 夏ですね。第66回目のワークショップを7月17日。 第3金曜日にいつものように新潟市の関屋地区公民館で開催しました。 今回は「実際に言い残しノート書いてみましょう」ということで、実際にみなさん に、書くという作業をしてもらおうという企画でした。 で、参加者は、Uさんという葬儀関係のお仕事をしている方。そして私と私の妻。 この3人だけということでした。 言い残しノート、10冊ほど用意して行ったのですが肩すかしでしたね。 いままでにもずっと言い残しノート配布してきていますから、もう書き上げている 方が多かったのでしょう。 そして、書く内容で困ったこともなく、すんなりと書きあげることができたのでし ょう。 そんなこともあって、きょうの回はパス。という方が多かったのかな? なんて想像をしているのですが、さて真実はどうなんでしょうか? 時間前に私は会場に着きまして、いつもなら机をみんな下げて、椅子を車座という か円形に並べて、会場作りをします。 今回は、書くという作業を前提なので、いつもスクール形式に並んでいる机椅子を そのままに動かさずに置きました。 そして開始までまだ時間があるので、私の言い残しノートを書くことにしました。 もうすんなりと書いて、5分とかからずに書き終えました。 まあ、ずっとワークショップで話をしたり仕事しながら考えているので、どうとい うこともなく書きあげました。 まあ、自分ではいつも言っている通り、思っている通りに書きました。ところがこ れがあとでちょっと問題になってしまいました。 そうするうちに、開始の時間に、まずUさんがおいでになり、しばらく情報交換を しました。 前回に、新潟の亀貝地区に浄土真宗のお寺で、檀家であるなしにかかわらず、金銭 のことは言わないで、葬儀や通夜をしてくださるお寺がある。 さらに供養塔に合同で、ということになりますが、安価で納骨まで面倒を見てくだ さるお寺だという情報をUさんにお知らせしてありました。 彼は実際にそのお寺を訪ねて、いろいろ細かいことを聞いてきたということで、詳 細を話して下さいました。 基本的にまったく聞いていた通りのお寺で、銭金でなくやってくださるそうです。 法名のことやら、実際にいくらくらいなのか?などなどいろいろと聞かせてもらい ました。 そういうお寺さんもあるんだなあ、とちょっとうれしくなりました。 いやな金取り主義のお寺ばかり見聞きしているものですからね。 ちょっと浮世離れしたようなご住職だったそうです。 まあ、ここで詳しく書くことはしません。 もし、どうしてもという方がいらっしゃったらお問い合わせください。 また、Uさんは、新潟の青山斎場にも電話して、お骨を拾わなくてもいいのかどう かの確認も、改めてしてくださったということです。 それは、間違いなくできるということでした。 そして拾わなかったお骨はどうするのか?なども聞いたようですが、明確な答えは なかったようです。 そして、地方による収骨の違いをいろいろ話しました。 その地方差は何だろうといろいろ思いつくまま話しましたが、これはもう少し調査 研究が必要な事柄ということになりました。 そんな話をしているうち私の妻が遅れて参加しました。 それから、テーマの言い残しノートの話に移っていきました。 Uさんは、病院から家に搬送してもらって、IWハーパーを準備して、それで口を 湿らす、または焼香、または献花を来た人の好みでやってもらう。 それで一晩お別れしてもらったら、次の日火葬をする、というようなことだとか。 私は、基本的に何にもしない。 青山斎場の式場を借りてもらって、釜に入る前に意志のある人は来てもらってお別 れして、釜に入れてもらって。 お骨はまったく拾わずに煙になって終わり。 と基本的にそんなことですというと、私の妻が「そんなことで、周りの縁者が許さ ない。困るのは私だ。」ということで強硬な反発が出てきました。 まったく、自分が考えているだけで細かな詰めを家族内でやっていないということ が鮮明になったわけです。 とは言え、わたしの計画自体もどうしてもこれでなければいけない、と言う思い込 みがあるものでないわけです。 出来るだけ残った人に負担がかからなければ良いなあと思っているわけなのです。 死んでしまっている私は、どういう葬儀であってもわからないわけだし、基本的に 葬儀は残された人の為にあるといっても良いわけです。 だから、全く私の書いたやり方が受け入れ難かったら、無視して自分たちが思うよ うにやってもらって構わない。といいました。 しかし、それもまた困るようで。 私の言い残しノートは、もう少し家族内での話し合いが必要なようです。 私はどうも一人勝手なところがありますからねえ。 この一人勝手がなかなか治らないのですよね。 また、私のノートには臓器移植のことを書きました。 今回臓器移植法が改正されました。改正によって自分の意志ではなくて、家族の承 諾で移植ができるようになりました。 私はいつも移植OKのカードを所持しています。保険証の裏にも移植OKと書いて あります。今回の改正でカードは必要なくなるのかもしれませんが、どうなるので しょう。 私の臓器で助かる命があるのなら、いくらでも使ってもらおうと思っているわけで す。これは今回の法改正でも全く変わりません。 そのことをノートには書いたわけです。 でも、どうして臓器移植法案をああいう風に、脳死が人間の死というような報道の しかたをするのでしょうかね? あくまでも、臓器移植をするという意志を表示した場合に脳死判定をして、脳死を 人の死とする、ということなだけですよね。 そうしないと、臓器を取り出した医師が、殺人の容疑で起訴されちゃうわけですか らね。 あくまでも臓器移植を同意した場合のみのことがらですよね。 脳死は人の死ではないと思っている人は、臓器移植は絶対にしない。 脳死判定もしないでくれ。とそれこそ言い残しノートに書いて、家族にきちんと言 っておけばいいわけですよね。 私は臓器移植の希望があって、脳死を私の死として受け入れようと思っているとい うことなんです。 それに家族が同意してくれるかどうか。これも、しっかり話をしておかないと駄目 な事柄ですね。 ワークショップの話に戻りましょう。 そのあと、火葬後にお別れ会をするとして、どんな会場が使えるか、というような 話をしました。 お骨を持って行けるような会場はどこ?お別れ会にお骨がいるの?遺影だけでいい のでは?などいろいろな話も出ました。 ホテルでは?焼香は無理でもお骨は大丈夫でしょう。葬儀会館なら、お骨も焼香も 大丈夫でしょう。などなどいろいろの場所検討もしました。 さて、次回のワークショップは8月です。 第3金曜日は21日となります。 テーマは「臓器移植、献体考えてます?」 でやりたいと思います。 臓器移植法も改正になりました。そんなこともあって違うものですが臓器移植、そ して献体について考えて見ましょう。 ▼第67回ワークショップ開催ご案内 テーマ:「臓器移植、献体考えてます?」 日 時:平成21年8月21日(金)午後6時半から8時半まで 会 場:新潟市関屋地区公民館 一階 集会室 新潟市関屋昭和町3−148−1 TEL 025−266−4939 駐車場はありますが、駐車したら事務室に連絡が必要です。 バスは信濃町線他関屋昭和町バス停徒歩3分です。 またはJR越後線関屋駅徒歩10分です。 参加費:資料代、通信費として300円。 (次回の開催案内をはがきで差し上げます。) 第65回報告「死が怖いですか?なぜでしょうね」 6月のワークショップを開催しました。 いつものように第3金曜日。今月は19日に、新潟市の関屋地区公民館での開催で した。 今回のテーマは「死が怖いですか?なぜでしょうね」でした。 今回の参加者は私を入れて7人。 初めてご参加くださった方、久しぶりにご参加の方、などいらっしゃったので、ま た最初に簡単な自己紹介をしてもらってから始めたわけです。 テーマは上記のようだったのですが、今回もテーマ以外の話に話題がどんどん飛ん で行きました。 というのは、今回初めてご参加の方が、一昨年に私に電話で葬儀の相談をして来ら れた方だったのです。 その時の相談内容は、全く会ったこともなく顔も知らない叔父が亡くなった、とい うことで、どうしたらいいのか私に電話で相談をして来てくださったのです。 私には、サイトを見ていただいて、電話やメール、手紙などで葬儀などに関する相 談が舞い込みます。 日本の全国各地から、遠くは九州や山陰からもいただくことがありました。 でもやはり、新潟の方が何といっても数では多いわけなのですが。 その中の一人の方が、相談をして無事葬儀をやることができたからということで、 今回お礼を言いにワークショップ来てくださったのです。 前々から出席して、お礼を言わなくてはと思っていてくださったのだとか。 それでも仕事の関係でなかなか参加できなかったのですが、やっと時間が取れたと いうことでこの日参加して下さいました。 失礼ながら、私もちょっと記憶が薄れていて、その時の具体的な相談内容が思い出 せなかったのです。 それで、その時の状態と、どんな相談をしたのか。そして私がどう答えて、実際に どのように葬儀を執り行ったのかを話してもらいました。 ご参加くださった他の方々も、その時のことにとても興味を持たれて、たくさん質 問をされていました。 そのあと、別の方から、長野県佐久地方の葬儀に参加された経験が話されました。 通夜よりも葬儀に会葬者がたくさん参列すること。香典の額がかなり低額なこと。 会葬者の焼香が終わるまで、読経が始まらないこと、などなど新潟や東京の葬儀で は経験がなかった事柄がたくさん出されました。 そして、長野では新生活運動というのがかつてあったようです。 長野県は、葬儀が派手という地域も多くあると聞いています。 ですから、その佐久地方がその運動が根付いた地域なのではないか、という意見も 出されておりました。 なかなか冠婚葬祭で旧弊を変えてゆくというのは、簡単なことではありません。 そしてまた、すべてを変えることがいいことでもない、という面もあります。 その辺のバランスを取りながら、今の人たちの気持ちや今の生活に合ったやり方を 作ってゆくことが必要だと思いますね。 しかし、今はそういう変化の大きなうねりが起きている時代だと思います。 こういう仕事を私が今していて、肌に感じています。 時代が動いている、旧来のやり方を葬儀屋が、自分たちの都合のよいよう勝手に変 えてきた。 それを今また否定されて、消費者による新しいうねりが出てきている。これを私は 実感しているのです。 この夜に一番のターゲットになったのは仏教の僧侶の堕落。まあすべての僧侶だそ うだというのではないですが、人の足元を見て、お墓をいわば人質にとって、露骨 な金の無心など平気でする今の僧侶。 どうしたら、そういう心無いお寺と縁を切ることができるか。というような話もさ れました。 縁を切るにも多額のお金がいる、という意見もありました。 それにはびっくりしましたが、その辺は正確さを期すためにもう少し調査を必要と すると思っています。 「死が怖いか?」というテーマについては、何度か行きつ戻りつというようなこと で話題には出ました。 死ぬ前の痛みの問題、痴呆になって自分を失っていく怖さ、など死そのものでなく て、死に伴って起きるであろうことに対する怖さ、それを怖いと感じている方が多 いようでした。 死自体を怖いと思っている人はそう多くなかったようで、僧侶に対する怒り、葬儀 のことに対する興味がすぐにまた吹きあがって、そちらのほうに話題が流れて行っ たわけです。 でも、この会はそれでいいのです。 参加者が一番話し合いたいこと、興味を持っていること、それに応えてゆくことが 一番重要だと思っているのです。 テーマは話のとっかかり、という程度でもいいかな?と思っているのです。 さて、次回は7月。 第3金曜日は17日となります。 テーマは「実際に言い残しノート書いてみましょう」 ということで、わたしが言い残しノート持参します。 それに一時間くらい実際に書き始めてみましょう。 そして書き始めると、いろんな質問やら意見考えが出てくると思います。 それを話し合ってみましょう。 一時間で書き上げられないわけですが、書き始めることが大事かと思います。 ▼第66回ワークショップ開催ご案内 テーマ:「実際に言い残しノート書いてみましょう」 日 時:平成21年7月17日(金)午後6時半から8時半まで 会 場:新潟市関屋地区公民館 一階 集会室 新潟市関屋昭和町3−148−1 TEL 025−266−4939 駐車場はありますが、駐車したら事務室に連絡が必要です。 バスは信濃町線他関屋昭和町バス停徒歩3分です。 またはJR越後線関屋駅徒歩10分です。 参加費:資料代、通信費として300円。 (次回の開催案内をはがきで差し上げます。) 第64回報告「新潟の葬儀状況を変えるには?」 5月のワークショップをいつものように第3金曜日。15日に、新潟市の関屋 地区公民館で、夜6時半から開催しました。。 今回の参加者は、私を入れて5人。 今回はテーマから大きく外れて、話題があちこちすることなく、新潟の葬儀事情、 そしてこれからどういう風になっていくのが良いのか。 そして私がどういう活動をしてゆきたいか、などをずっと語り合った会となりまし た。 時間もあっという間に過ぎ、気がつくともう八時半。 そう言えば今日は話題があちこちに飛ばなかったですねえ、とみなさんで笑ったわ けです。 テーマは「新潟の葬儀状況を変えるには?」というものでした。 参加者は、樹木葬のできる墓地を新潟に作る運動をしている方、そしてご自分で独 立して葬儀関係の仕事をしておられる方、などかなり突っ込んだ話ができるような メンバーだったと言えます。 新潟の葬儀状況は、完全な寡占状態になっています。 昔からの葬儀屋さんはどんどん無くなって、互助会系の有名企業が新潟の葬儀の半 分以上をやっていると言う状況です。 そういう状況の中で、どのようにして自分が思うような葬儀をやっていくか。 そう言う観点で、新潟で葬儀の仕事をしている方の参考意見などを聞きながら、相 当突っ込んだ話をしました。 どの葬儀屋を使うと、そしてどのような交渉の仕方でやると、自分の思うような葬 儀に近いものを実現できるか。 それを具体的な名前も出しながら、細かな話しもしました。 友人は実際に、こうこうこういう風な葬儀を30万でやったのです。 だから新潟の過半の葬儀をする有名企業も、30万でやって欲しいと言えばやって くれるでしょう。という意見の方も居りました。 私や、新潟で葬儀をしている人の意見は、それはなかなか難しいのではないか。 特別な諸条件があって、その30万の葬儀が実現したとしか考えられないケースだ と思う。とか葬儀の内容の吟味までやりました。 やはり今までも話してきたように、亡くなってからバタバタしても、なかなか思う ようにはいかない 事前にしっかりと計画をたて、遺族家族などと話し合いをして、業者からも事前見 積を取って準備をしておかないとなかなかうまく行かない。 そうしておないと、結局時間が無いと言うことで妥協することになる。という基本 的なことに戻るわけです。 次に、私が新潟に戻ってきて、新潟でどういう活動をしたいのか。と言うような話 になってきました。 私は、私がその方の葬儀そするしないに関わらず、葬儀の相談に乗ったり、また私 に葬儀をして欲しいと言う人がいたら、葬儀のお手伝いをとしてあげたりと言う活 動をしたいわけです。 でも、会社を興して葬儀屋さんを開業するつもりは無いのです。 私は、「葬儀屋のやる居酒屋」なるものを開いて、葬儀の相談をしたい人がいつで もそこにきて来て、気軽に相談をしてもらえるような場を作りたい。 もし話がうまくまとまって、葬儀をお願いします、ということになれば勿論葬儀も やりましょう。と言うようなスタンスです。 相談がメインと言うことになるでしょ うか。 そんな話をさせてもらいました。その居酒屋も普通の居酒屋でなくて、ちょっと風 変わりなお店にする計画なんですけれどね。どう風変わりかはワークショップでは お話をしました。 まあこれを読んでくださるみなさんに、その詳しい内容というのは、今後のお楽し みと言うことにしておきましょう。 参加者からは、その居酒屋に対していろんな意見が出されました。 ネーミングが良くない。とか、場所は何処の辺がいい。とか、メニューに相談料い くら、とか企画料いくらとか、しっかり書くべきだ。とか。 今葬儀の仕事をやっている方は、自分は葬儀の企画を作っていくほうに力を入れた いということでした。それなら居酒屋も協力してやれるかもしれないねえ、なんて 話も出ました。 気軽に来て、葬儀の話を聞ける、相談が出来る。そういう場があるのはいいことじ ゃあないかな?と思うのです。 お酒はどうもと言う人もいるので、昼間は喫茶店にして相談受けたら?なんていう 意見も出ました。 まあ、私の計画としては、今すぐにという考えではなくて、もう少し先にと思って いるのですが、そろそろ具体的なプランを作らないと駄目かな、なんて今回のワー クショップで思い始めたわけです。 と言うような話の内容でびっしり二時間。 話題があちこちすることも無く、真剣に話し合いをしたワークショップでした。 さて次回のワークショップですが、葬儀の話ばかり出来たので、ちょっと死そのも のの話題を取り上げてみましょう。 ぜひご参加ください。 ▼第65回ワークショップ開催ご案内 テーマ:「死が怖いですか?なぜでしょうね」 日 時:平成21年6月19日(金)午後6時半から8時半まで 会 場:新潟市関屋地区公民館 一階 集会室 新潟市関屋昭和町3−148−1 TEL 025−266−4939 駐車場はありますが、駐車したら事務室に連絡が必要です。 バスは信濃町線他関屋昭和町バス停徒歩3分です。 またはJR越後線関屋駅徒歩10分です。 参加費:資料代、通信費として300円。 (次回の開催案内をはがきで差し上げます。) 第63回報告「遺体の処置はどうあるべきか?」 4月のワークショップを第3金曜日17日に、またいつものように新潟市の関屋 地区公民館で、夜6時半から開催しました。。 今回の参加者は、私を入れて3人。一人は私の妻でしたから実質ご参加、お一人。 ちょっと人数的にはさびしい人数で行われました。 テーマは「遺体の処置はどうあるべきか?」というものでした。 ご参加のお一人は、「テーマが『遺体の処置』ということで、私もちょっと気後れ して、参加しようかどうか迷いましたよ。」というお話です。 なるほど、遺体の処置というのは、ちょっときつい言葉でのテーマ設定だったな? もう少し普通の言い方、普通の言葉使いをするべきだったかな?と思いました。 葬儀関係者だと、ごく普通の言い方なのですが、普段は言わない言い方ですよね。 業界用語に近いかもしれませんね。 ちょっと反省をしました。 これからも、一般的な普通の言い方を心がけていきたいと思うわけです。 とは言え、そのテーマで話を進めさせていただきました。 映画「おくりびと」で話題になった、納棺師。 彼らが映画の中でやっていたやり方を解説させていただきました。 あれは清拭ということを、様式的に高めて、儀式にまで仕上げたわけですよね。 新潟でも葬儀屋さんのK社が、一時丁寧な清拭で話題となり、顧客を増やしたこと などもみなさん承知のことでした。 また湯灌というものも、説明させてもらいました。 寝たきり老人の向けの家庭での入浴サービスと同様の設備を組み込んだ車両などを 使って、亡くなった人を洗い清めるというやり方です。 これは江戸の昔から行われていた湯灌を現代に移して、今流に洗いなおして、儀式 として高めて、行なわれはじめたものと言えると思います。 それと、エンバーミングをいう最近の遺体の処置方法の事柄もお話しさせてもらい ました。 新潟ではまだまだ例が少ないやり方ですが、遺体に防腐処置をほどこしてドライア イスを使わなくても、遺体の痛みの進行が大変に遅くなるという、欧米から入って きた処置法です。 また腐敗防止とともに、必要によって損傷した遺体の修復などが伴う場合もありま す。その損傷も原因はいろいろ考えられますが、とにかく生前の姿に近い形で対面 して貰うという考え方での、修復です。 ですから、事故での損傷、長患いでのやつれ等、いろいろな対応があるわけです。 参加者の方々は、それを全く知ご存じない方も居られて、いろいろ質問がされまし た。 その折に、遺体からの病気などの感染の話もありうるという話もさせてもらいまし た。 そう感染予防としてもエンバーミングが有効であるということなのです。 その辺も意外と知られていない事柄なのだなあと、再認識したわけです。 遺体からの感染もありうるということは、知っておいたほうが良い事柄だろうと思 われます。 伝染性の病気などで亡くなった時には、特に注意をすることが大事かと思います。 取りすがって泣いたり、口付けしたり、また遺体から出る体液に触れたり、という ようなことは極力避け、手洗いなどしっかりすることが良いと思います。 特に肝炎系の感染症や、ウイルス性の感染症などで亡くなられた場合、気をつける に越したことはないと思います。 また、葬儀屋さんが遺体をゴム手袋をして遺体に触れると、それに対して遺族が感 情的になったりすることもままあるわけです。 この辺も上記のような感染という事情もあるわけで、私としてはぜひご理解をいた だきたいことでもあります。 というような、事柄を私の説明やら質疑応答などで、じっくりとすすめさせてもら いました。 今回は、人数も少なく、話題がちょっと重めのせいもあるのか、いつものような話 題の飛躍も少なく、じっくりと一人一人十分にお話ができたと思います。 そしていろいろお話が出た最後に、新潟での葬儀に選択肢がいかにも少なすぎる。 新潟市は一社で半分以上の葬儀をやっている全くの寡占状態である。そして昔から の葬儀屋がどんどんつぶれて行っている状態です。これはあまりいい状態とはとて も思えない。 もう少し、消費者にたくさんの選択肢があって、自分の考えに近い葬儀することが 可能な選択することができる。そんな状況にしていきたいものだ、という考えで参 加者のみなさんが一致したわけです。 私も、新潟の葬儀状況が、多くの選択肢があって自分の思い通りの葬儀が苦労無く 出来る、と言う状況になるように頑張りたいと思っているのです。 次回は、そういう新潟の葬儀状況を変えてゆくにはどうしたらよいか、さらに私、 熊木はどう活動していったらいいのか、皆さんからご意見ご指導をいただきたいと 思っております。 ▼第64回ワークショップ開催ご案内 テーマ:「新潟の葬儀状況を変えるには?」 日 時:平成21年5月15日(金)午後6時半から8時半まで 会 場:新潟市関屋地区公民館 一階 集会室 新潟市関屋昭和町3−148−1 TEL 025−266−4939 駐車場はありますが、駐車したら事務室に連絡が必要です。 バスは信濃町線他関屋昭和町バス停徒歩3分です。 またはJR越後線関屋駅徒歩10分です。 参加費:資料代、通信費として300円。 (次回の開催案内をはがきで差し上げます。) 第62回報告「亡くなった、さて何をどうしたら?」パート2 3月のワークショップを、開催しました。 定例の第三金曜日3月20日は、春分の日でした。ワークショップを60回余りや ってきていますが、第三金曜日が祝日に当たるのは初めてのようです。 困ったことに、いつもの会場である、新潟市の関屋地区公民館が、祝日のため閉館 日となっているのです。 あわてて別の会場を探しました。そして礎小学校の跡地にできた新しい会館に移転 した中央公民館を取ることができました。 でも、その中央公民館も祝日のため夜間は閉館。 そこで仕方なく、時間も夕方3時から、場所も初めての中央公民館と初めてずくし での開催となりました。 今回は第62回目。春三月、春分の日の開催とあいなりました。 テーマは、「亡くなった、さて何をどうしたら?パート2」です。 今回は参加者は私を入れて6名でした。 先回2月の、同じテーマの時と重複しているメンバーは、私ともう一人。 他の4人は先回は参加のない方々でした。 そうそう、祝日、それも夕方開催ということのせいか、初参加の方が二人。 案内は貰っていたけれどなかなか出られなかった。 今回は出られるということで初参加してくださったそうです。 テーマは同じでも、話の内容って、参加者によって変わるものだなあ。と当たり前 のことを改めて知ったワークショップとなりました。 先回と同じ事柄が話されたのは検視のこと。 つまり医者が死亡診断書を書けないような時は、警察に連絡しなければいけない、 ということ。例えば病気でなくて、家で誰かが亡くなったような時ですね。 昨日まで元気にしていた人が、朝起きて来ない。行ってみたら亡くなっていた。 こういうときは警察の管轄になるわけですね。 これは、前回も話題になりました。 そして海外の検視と日本の検視の違い。日本の検視の危うさ。そして司法解剖のこ となども話に出たわけです。 そして初参加者の人が、「家人が亡くなったら、必ずしなくてはいけないことにど んなことがあるか?」という質問がありました。その質問からいろいろな話が出て きました。 必ずしなければいけないことは、死亡届を出して、火葬許可証を取って、ちゃんと 火葬をしなければいけない。ということくらいでしょうか。 あとは、絶対に必要ということはほとんどないだろうと思います。 そこから、棺の話やら火葬の話、お骨拾いの話、お墓の話、散骨の話、お坊さんの 話、お経の話などなど次々に話題が広がっていきました。 そんな時に、「男寺」「女寺」という話になったのです。 私も寡聞にして知らなかったのですが、新潟の一部の地域に、先祖代々の一家の男 性が入る「男寺」と呼ばれる菩提寺。また女性が入る「女寺」と呼ばれる菩提寺。 一家で二つの菩提寺を持っている。そういう風習があるというのです。 その二つの菩提寺は宗派が違っていることもあるそうです。 それで、このお寺は男寺専門とかいうことはなくて、ある家はその寺が男寺だけれ ど、別の家ではその寺が女寺、ということもあるだとか。 話をしてくれた方は、新津白根地域にそういう男寺女寺という二つの菩提寺を持っ ている家が多い、という話をしてくれました。 新潟市のすぐ近くの地域というか、今では新潟市の一部になっている地域ですが、 そんな近いところでの習慣を初めて知ったわけです。 へえそんなことがあるんだ、と話してくださった人以外はみんなびっくりでした。 その他にも、葬儀をどうしたいのか、また残る家人にそれをどう伝えるか? 葬儀は誰のためのものか?などいろいろ多岐にわたって話されました。 今回はいつものように、あっちこちに話題が葬儀や死に関係なく飛び続ける、とい うことが少なかったです。ほとんど葬儀や死にまつわる話題に終始しました。 ずっと案内だけさせていただいた方が二人も来てくださって、ずっと思っていたこ となどを質問したり、発言したりしてくださったせいでしょうか。 広くというより、深く話がされたなという感じを持ちました。 参加者が違うと、同じ話をしても、考え方もとらえ方も違うので、とても面白いの です。 まあ全部残らず出席しているのが、わたしだけですから、そういう比較ができるの は私一人なのでしょうが、とても面白いですよ。 ほんとに一番勉強させてもらっているのが私なんですよね。 春分の日の開催ということで、そんなことを改めて教えて貰ったワークショップで した。 その日は終わってから食事会、ということでそそくさと終わりまして、古町方面へ と向かったのでありました。 お酒たっぷり飲んで、楽しく過ごしたわけです。 さて次回ですが、いつもどおりに、第3金曜日夜、新潟市関屋地区公民館での開催 となります。 テーマは「遺体の処置はどうあるべきか?」にします。 映画「おくりびと」が話題になりました。 遺体の処置の話などさせてもらいたいと思っています。 ▼第63回ワークショップ開催ご案内 テーマ:「遺体の処置はどうあるべきか?」 日 時:平成21年4月17日(金)午後6時半から8時半まで 会 場:新潟市関屋地区公民館 一階 集会室 新潟市関屋昭和町3−148−1 TEL 025−266−4939 駐車場はありますが、駐車したら事務室に連絡が必要です。 バスは信濃町線他関屋昭和町バス停徒歩3分です。 またはJR越後線関屋駅徒歩10分です。 参加費:資料代、通信費として300円。 (次回の開催案内をはがきで差し上げます。) 第61回報告「亡くなった、さて何をどうしたら?」 2月のワークショップは、20日。第三金曜日にいつものように、新潟市の関屋 地区公民館で開催いたしました。 今回は第61回目のワークショップということになります。 テーマは、「亡くなった、さて何をどうしたら?」です。 今回は、初めてご参加の方がお一人いらっしゃいました。ワークショップをやって いるのは、ずっと前からご存じだった方ですが、どんな会なのか一回出てみようと 思ってご参加くださったそうです。 その方のほかにも、みなさん悪天候の中にもかかわらずご参加くださいました。 私も入れて全部で8名。いつにもまして活発に意見交換をすることができました。 ありがたいことです。 まずはじめは、テーマに沿った話で始まりました。 「近しい方が、お亡くなりになった。いったい何をどうしたらいいのか、すぐに思 いつかれますか?」という私の問いです。 はじめに、最近知人のご主人がお亡くなりになって、その知人がどうされたかを話 してくだった方がおられました。 まず病院からすぐに葬儀屋に連絡して。 その葬儀屋の式場に搬送してご安置。 そこで簡素な思い通りのお別れをされたというお話を聞かせてもらいまいした。 やはり、しっかりと意志を持つ、こうやりたいという考えを持つことの大事さを改 めて知るわけです。 それと病院で亡くなった時など、あらかじめ、どの葬儀社に搬送を依頼するのかを しっかりと決めておくことも大事になります。 病院が出入りの葬儀社などを紹介することもあります。 遺体の搬送をしてもらうことが、即葬儀社を決定することに直結する例が大半なの です。 ですから、搬送をどうするのか。 ここをいいかげんにしないことが大切かと思われます。 また、病院でなく、自宅で、それも医者に診てもらっていない方が、事故などで突 然に亡くなったときどうするか? その辺をお聞きしましたところ、警察に連絡ということを、大方の方がおっしゃっ たのは正解です。 まあ、医者に連絡しても、医者が自分で経過など見ておらず、死亡診断書が書けな い場合は、警察に連絡をすることになります。 そして、事件性があるかないか警察が判断します。 そして、そういう時には死亡診断書ではなくて死亡検案書という書類で死亡を確認 することになります。 もちろん警察だけでなく、監察医という医師に立会いを求めますし、ことによって は司法解剖をいう手段を取ることもあります。 ここで、時津風部屋での事件なども話も出て、みなさんすんなりと理解をされたよ うです。 警察が事件性があることを見逃す、というような可能性もありうる。そういう状況 を、これでいいのだろうか?という疑義も出てきたわけです。 日本の検視の現状は、諸外国に比べて、CTスキャンなどの使用についてなど、い ろいろ遅れている面があるようです。 としばらくは、テーマに沿った話が行われていたのですが、いつものこの会のよう に、いろいろな方向への飛躍がどんどんと行われました。 特に今日は、参加メンバーがいろいろと多彩な方々だったので、話の飛躍が大きく、 実になるほど、そういうことかあ、というようなお話もたくさん聞くことができま した。 農家の方も来てくださって、米の自給率の問題、食品安全の問題、農業政策そのも のの話など、多岐にわたって聞かせてくださいました。 突然、ある男性参加者が女性参加者に対して、「私の妻は、金銭的なことをすべて 私に任せっきり頼りっきりで、妻が、『ひとりで残るのは嫌だ。あなた絶対に私よ り後に死んでくれ。私を一人残して死なないでくれ。』と言われているのです。よ その家庭はどんなふうなんでしょうか?」という問いが発せられました。 この質問からもう、全員の方が口々に発言し、一時は収拾がつかないほど。 そしてこういう問題は各家庭で違いますしねえ。 それまで、あまり発言のなかった初参加者も、この話題で口火を切って、発言を始 められました。 まあそれから、年金の話題、中川外務大臣の酩酊会見の話題、アルコール中毒の話 題、などなどいろいろな話題で侃々諤々。 いろいろな意見が飛び交い、実に活発な会となりました。 予定の時間内には終わらず、若干伸びてしまいました。 しかし、新しい方が来られるということは、実に楽しいことですね。 新しい参加者によって、新しい刺激があるわけで、今までにない話も出てくるよう になるわけですね。 今回は参加者も8名と少なすぎず多すぎず。 そして、いろいろな立場の方が参加されて、それぞれの立場から、多面的なお話し してくださる。 ほんとに、充実した楽しい二時間でありました。 さて、次回3月のワークショップですが、第3金曜日、20日は祝日です。 祝日は関屋地区公民館が休館日となります。 困ったことです。 どうしようかと迷った挙句、中央公民館で、午後3時から5時までの二時間、会場 が取れました。 それ以外は取れませんでしたし、第3金曜日は私の都合でちょっと動かせませんの で、これで決めさせてもらいました。 日時:3月20日金曜日 午後3時から5時まで 会場:中央公民館 新潟市中央区礎町通3ノ町2086番地 クロスパル内 (ネクスト21の裏ではありません。クロスパルの中です。ご注意ください) 旧礎小学校跡です。 駐車場は有料となります。バスは礎町または本町バス停から徒歩5分 TEL 025−224−2088 テーマは話し足りないので、もう一度「亡くなった、さて何をどうしたら?」でど うか?というご意見に従って、そのパート2とさせてもらいます。 なお、5時に終わりますので、ワークショップ終了後、ご一緒に会食など、と思っ ております。ぜひそちらもご参加ください。、詳細は当日ということで。 第60回報告「還暦後の素敵な人生の過ごし方、教えてください」 1月のワークショップ。またいつものように、新潟市の関屋地区公民館で開催い たしました。 今回で第60回目のワークショップということになります。 新潟の冬、天候は相変わらずの荒れ模様。 そんな中、私を入れて5名のご参加をいただいてはじまりました。 テーマは、「還暦後の素敵な人生の過ごし方、教えてください」です。 このテーマは、12月の忘年会の時に、出席者9名中、なんと4名がこの丑年に還 暦を迎える。 つまり私と同級であるということが判明しまして、話が盛り上がったわけです。 そんなことで、人生の先輩に還暦後の人生の素敵な過ごし方を教えていただこう、 ということでこのテーマにさせていただいたわけです。 話のスタートは、誠に順調。 人生の大先輩、K氏から話を聞かせてもらいました。 県立女子短大と新潟大学で講座を受けているとか。それも半年で1000円だそう で、まあ破格に安い料金で講座を受けることができるのだそうです。 安いのは県短で、新潟大学はもう少し高いらしいのですが。 でも、メディア論の講座とか、ブログ作成の講座とか大変ですよと言いながらも、 楽しい様子を話してくださいました。 とにかく時間がたっぷりあるわけで、その時間をどう過ごすか。 それが大事な生活の仕方になるということなのだとか。 それもなるべくお金を使わずに、安く楽しく、たっぷりある時間を過ごす工夫が必 要になるのだそうです。 と、この辺までは、格調高く始まったわけです。 還暦になったから、生活ががらりと変わることはないわけだとか。 生活が一変するのはやはり仕事をリタイアして、毎日が日曜日という状態になった ときだそうです。それはそうですよね。 そこから、お金は少ないのに時間はたっぷりある。いかにその時間すごすか、時間 をつぶすか。そこをどう工夫しながらやってゆくか。 これがキーポイントのようです。 今の私のように、もう自分の時間がない。思うように休みも取れない。というよう な状態の者から見たら、ちょっと想像もつかないことになるわけです。 うらやましくもあり、自分がもしそうなったらどうするのだろう? 初めの一カ月や半年は、なんとかしても、それがずっと死ぬまでそういう状態とい うときに、私はどうするんだろうなあ、と思ってしまいました。 それから、お金の話になり、宝くじの話やら、年金や健康保険の不満、政治や行政 への不満などもう出てくる出てくる。 みなさん言いたいことがたくさんあって、あちこちで隣同士の会話が行われて、話 のまとまりがつかなくなるような場面も出てくるような状況でした。 やはり、年金生活が目の前に来ると、お金の心配、そして自分の健康の心配。 また、自分の親や配偶者の健康の心配。 自分が一人取り残された時の心配など、若い頃には思いもしなかったような具体的 な事柄が頭を駆け巡るわけですね。 そういう中でも、生活を楽しんで、生き生きと楽しく生きてゆくにはどうしたらい いのでしょう? お金があればそれでいい、ということはないですよね。いかに人との繋がりを持ち 続けながら、楽しく生活をしてゆく計画を、還暦のころから具体的にしっかりとや っていかなくてはいけないわけですね。 そのためにもこういうワークショップみたいな、忌憚なくいろいろ話ができる機会 はなかなか貴重だなあ。 と改めて思うわけです。 このワークショップお得意の脱線話は、尽きることなくたった五人で、もう際限な いくらい続きました。 なかなか今回のワークショップをまとめるのは大変ですが、参加者の人たちは、自 分なりの老後の計画をしなくては、と心に芽生えてきたのでは?と思っています。 結局自分自身で考えて、決めてゆくしかないわけですからね。 基本的な情報や、自分の環境要因をしっかり把握して、その上で自分の老後の人生 を自分でいかに設計してゆくか。 それの良いきっかけの一つが、還暦なのかもしれません。 もちろん、それより早く始められればもっといいのですが、人間なかなかお尻に火 がつかないと動けないわけですからね。 私も年金の請求用紙が送られてきていまして、年金受給年齢が近付いて来ているん だなあ、と実感している昨今です。 どういう風に自分の生活を組み立てて、その上にひとつでもふたつでもなにか、果 実のようなものを実らせることができるように生きてゆきたいと思うこの頃です。 さて、来月二月のワークショップは2月20日になります。 場所はいつものように新潟市関屋地区公民館。 テーマは「亡くなった、さて何をどうしたら?」です。 大事な配偶者や親が亡くなった時に、茫然自失です。でも次ぎにやるべきことが山 積しています。何をどうしたら良いのか。 その辺を話していきましょう。 皆さんのご参加お待ちしています 第59回報告「大忘年会」 12月のワークショップは、ワークショップ開催5年経過記念、大忘年会という ことで行われました。 このワークショップを始めたのが、5年前2003年の12月でした。 どこまで続けることができるのか?人が来てくださるのか?と不安ながらも始めて 5年間。 私が旅行で居なくて二回だけ休ませてもらいましたが、それ以外はずっと休むこと なく続けることができました。 これはもうひとえに参加してくださる方々、ご支援くださる方々のおかげです。 本当にありがとうございます。ただただ感謝するのみであります。 皆様のニーズがあって、ご参加くださる方がある限り、継続して行こうと腹を決め ております。 どうぞ、ご自分の中でワークショップに出てみようかな、出たいなというニーズが 湧いてきたらどうぞお出かけください。 自分にそういうニーズがなくて、このワークショップに義理で出ても、仕方がない と思います。 ご自分のニーズがあって参加してこそ、何かを得られるのではないかと思います。 そういうことで、わたしも細く長く続けてまいりますので、今後ともよろしくお願 いたします。 ということで、ここから大忘年会の報告になるわけです。 新潟駅南の「Rococo」というお店で開催いたしました。 参加は私も含めて、総勢9名。女性6名男性3名。大変楽しい時間を過ごしました。 自己紹介がてら、今年一年を振り返ってのスピーチを順番でやりました。 なんとそこで年齢が発覚し、私の同級同年齢がなんと4名もいることが判明。 来年赤ちゃんちゃんこだねえ、と笑いあいました。 私はどうも女性を若く見るようでして、若々しいお二人の女性がわたしと同年齢と 知り、びっくりしたわけです。 まあそんなこんなで、時間一杯飲んで話して笑って、それでも足りずに喫茶店に入 って。 そんな楽しい忘年会でございました。 またこういう機会もたまには設営したいと思います。 その節には、どうぞご参加くださいませ。 さて、次回のワークショップ。第60回となります。 場所はいつもの通り、新潟市関屋地区公民館となります。 テーマは「還暦後の素敵な人生の過ごし方、教えてください」です。 先ほども書きましたように、来年私は還暦です。 還暦過ぎても、充実した人生を送る先達がたくさん居られます。 ぜひ、還暦後の人生の生き方などご教授いただきたいと思います。 みなさまも振るってご参加ください。 第58回報告「自殺は何故いけないのか?」 11月のワークショップ、荒れ気味の天候の中ご参加いただきました。 通算で第58回目。丸5年経過したわけです。途中私の都合で二回お休み。 第一回目は5年前の12月だったわけです。 次回の12月からは6年目に突入するということになります。 ほんとに長く続けることができて、うれしいです。 すこしでもお役に立てていただければ望外の喜びです。 今回もいつものように第3金曜日。11月21日に開催をいたしました。 場所は、いつものように関屋地区公民館でした。 参加者は私を含めて8名。男性5名女性3名というメンバーでした。 今回は私の長男と妻も参加してくれました。 今回のテーマは「自殺は何故いけないのか?」というものです。 ちょっと重いテーマでしたがみなさんそれぞれに意見をお持ちで、大変活発に議論 することができました。 まず、私のほうから、今回のテーマに自殺を取り上げたことについて話をさせても らいました。 自殺者の数が年間3万人を超えて何年か経つこと、そして中高年の自殺が多い日本 の事情。さらに男性が多いという現実。 とくに中高年の自殺が多い新潟県の状況などなど。 自殺を減らそう、という国などの対策もあるのですが、まったく効果が出ていませ ん。 日本には昔から、切腹とか殉死とか、自殺を美化する流れがあることも否定できま せん。 「自殺はこうこう、こういう理由で決してやってはいけないよ。と説得力を持って 話すことができるかな?そういう理由ってあるのかな?」 私は以前に自殺はなぜいけないか?というテーマの本を見て、他人にそれを納得さ せるのは難しいなあ、と思っていたのです。 それを皆さんにぶつけて、皆さんの考えを聞かせてもらいたかったのです。 口火を切って話をしてくださった方のお話です。 大変身近な人々が自殺をしている。それも一人二人というような数じゃあなくて、 かなりの数の人が自殺に追い込まれている。 自殺はとても身近な問題で、自分自身病気を苦にして、「もう死んでしまおうか な。」と思ったこともある。という話をしてくださいました。 確かに中高年の自殺の理由は、病気を苦にして、それに経済的な理由が原因と思わ れる自殺が多いのです。 それに対していろいろな角度からみなさんの意見が話されました。 なかなか重い話題だと思っていたのですが、みなさんそれぞれ思いがあるようで、 活発な発言をしてくださいました。 さらにさらに話題は、いつものように話題はあちこちに飛ぶこと、とてもすごくて。 厚生元次官が殺害されたというような事件も起こっていて、政治や行政にまつわる 話もどんどん話されました。 また自殺の話題に戻って、「生きていればいやでも死ぬんだから、わざわざ今自殺 しなくても、そのうち死ぬことになるんだから。」という発言もあり、みんな納得。 でも、自殺しようと言う人には説得力無いよねえ。という発言にもみんなまた納得。 自殺を思いとどまらせることの難しさはみな思いは同じようです。 とはいえ、自殺した人の周りの人たち、特に遺族の方々に残る影響。心の傷の大き さ、何故助けてあげられなかったのか?という自責の念は、とてもはかり知ること ができないくらいの大きさだということです。 未成年の子どもが、父の自殺で受けた心の傷を癒す団体の活動のドキュメンタリー 番組の話も出ました。 とは言え、周りの人がかわいそうだからという説得も、自殺を決意した人には届か ないだろうと思われます。 また、うつ病と自殺の話もされました。この病気と自殺とも関連は、これからもも っと解明されていかなければいけないだろうと思います。 また、自殺は先進国に多く、今日明日の食べ物も手に入らず、必死で生きている国 では、自殺はほとんどない、という事実も、なるほどねえと考えさせられます。 じゃあ、動物は自殺するのか?というような疑問も出され、集団自殺する動物の話 も出ました。 しかし、そういう種の数の調整のような、集団自殺と今話題にしている個人の自殺 とは話が違うのだろうという、これはみなさんも納得です。 私が自殺は考えない理由、それをお話しさせてもらいました。 まあ私も会社潰したり、自己破産したり、自殺しそうな場面には遭遇してきました しね。 私はいつも言っていますが、輪廻転生を信じているというか、そういう考え方を採 用しています。 その考え方によれば、自殺は一回の人生の機会を無駄にしている、と考えるのです。 自殺したら今回の人生はテーマをクリアできないので、もう一回同じテーマで人生 をやり直し。そう考えます。 私は生きること、人生は根源的にはつらいこと、苦だと感じています。 もう一度生まれてきて、赤ん坊からやり直すのはなかなかつらいよねえ、と思いま す。 だから、一回一回の人生を無駄にしたくない。きっちり生きて、自分で決めたテー マをクリアしたい。だから無駄に自殺なんてしていられない。 これが私の自殺に関する考え方です。 この考え方を話したら、またまた疑問やら反論やらが多く、納得ガッテンはいただ けませんでした。 とはいえ、今回のテーマはいろいろ考えさせるテーマでありましたし、みなさん何 かしらお考えやら体験やらお持ちで、とてもいいワークショップになったと大変喜 んでおります。 さて、次回は12月19日の開催となります。 先ほども書いたように、いよいよ6年目に突入ということもありまして、たまには 飲みましょうという参加者のお考えもあり、今回は忘年会とさせていただきます。 テーマは特にもうけません。純粋に会話とお酒を楽しみたいと思っております。 どうぞお気軽にご参加いただきたいと思います。 日時は12月19日金曜日、午後6時30分開始。 場所は新潟駅南口から徒歩5分。「RoCoco」新潟市中央区米山3−1−15 (電話025−290−6699) 会費は飲み放題で4000円です。 今回は申し込みをしていただきます。予約の関係がございますからね。 申し込み締め切りは、12月17日水曜日中。 電話080−5077−3325か、メールYFA37012@nifty.comでわたし宛に申し 込んでください。 申し込み多数の場合は、事前に締め切ることがございますのでお早めに。 楽しくやりたいと思います。 ぜひご参加ください。お待ちしております。 第57回報告「私の健康法」 10月のワークショップ、は通算で第57回目。 いつものように第3金曜日。10月の17日に開催をいたしました。 場所は、これもいつものように関屋地区公民館でした。 参加者は私を含めて5名。男性2名女性3名というメンバーです。 今回のテーマは「私の健康法」というものです。 「死のテーマばかりじゃなくて、たまにはこういうのもいいなあと参加してみまし た。」と言ってくださる方もいらっしゃいました。 いつもはちょっと重過ぎるのかなあ? わたしも健康については、ずいぶん気にかけているのです。 「健康オタク」と自称してみたり、「健康のためなら死んでもいい。」なんて冗談 を言うくらいなんです。 私はお金のかかるサプリメントとか、トクホ商品などは、一切取ったことがありま せんし、取るつもりもないわけなんです。 今回参加の人たちも、そういう医薬品とか健康食品とか、そういうものに頼ってい る方はまったくいらっしゃいませんでした。 しかし、そういう方面の研究もある程度必要なのかもしれません。しかし私自身ま ったく手が付いていませんし、そのうちそちらの方面の大家も存じ上げていますの で、手をつけてみたいなあとも思っております。 今回参加の方がたは、通勤時、自転車を使って毎日走っている。またかなりの長距 離を自転車で走破したり、または歩いたり。 またある方は、登山が趣味で日本100名山のうちの96山を踏破したという。 すごいですねえ。 またある方はダンスで汗を流していらっしゃるとか。 そういう楽しみながら体を動かすことは、ストレスの発散にもなって、ストレスが たまらず、健康でいられるのではないでしょうか。 ある方は、アルコールと、そのアルコールを飲みながらの会話で、日ごろのストレ スを発散させていらっしゃるという方もいらっしゃいました。 そこで私は、40歳代で亡くなった友人の話をさせてもらいました。 若いころからずっとスポーツをやっていて、40代になっても毎日毎日トレーニン グを欠かさず、月がでない日があっても、彼が信濃川の土手を走っている姿を見な い日はない、というくらい鍛えていた男です。 若い者にも体力で負けたとか、引けを取ったとかいうことはほとんどないと豪語し ておりました。 しかしその彼が若くしてガンに冒され、声帯を取ってしまって、筆談で私に言って いた言葉を今でも忘れません。 「熊木よ、体力と健康って別物なんだよなあ。」という言葉なんです。 彼は体力がある、体力を維持していることイコール健康だと思っていた。 しかし、体力と健康はイコールではない、ということを病気になってわかったと言 ったのですね。 その話をみなさんにしたところ、キョトンとなされて、皆さん反論されました。 体力と健康はほとんど同じ意味なのではないか? まったく同じではないにしろ、ほとんどオーバーラップしているんじゃないか?と いう意見のようです。 体力があるから絶対病気にならないということじゃあないわけだけれど、体力がな ければ、それは健康とは言えないでしょう。ということのようです。 私のお話は皆さんには、受け入れてもらえないようでした。 しかし、「私も体力があるということと、健康であるということは違う。」という 考えなのです。 体力があっても病気にはなるし、体の鍛えすぎはかえって病気の元、不健康の元く らいに考えています。 一芸に秀でて、オリンピックに出るような人は、もう不健康そのもの。ほとんど身 体壊していると思っています。 特定のスポーツのしすぎは、身体のバランスを壊すと思っています。 「それじゃあ、熊木さんはどんな健康法をしているんですか? 熊木さんは気功にも参加されていましたよね。」と私をよくご存知の方が聞かれま した。 それで私は自分がやっている、毎朝のヨガみたいな体操、瞑想、最近さぼっていま すが歩行、の話をさせてもらいました。 身体と心のバランスが大事だと思っていること。 気功とかヨガとか、東洋的な身体観に基づいた体技がいいのではないか?という話 をさせてもらいました。 心からというか、霊的身体から健康にならないと、身体も健康にはならないと思い ます。これをいうとちょっと訳が分からないかもしれませんが。 そういう理由で瞑想とか、坐禅とか、気功などが重要になってくるのではないかと 思うのです。 その他、私は甲田光雄医師の本をたくさん読んで、その影響で一日一食にしている のです。 その話をしたら、もうみなさんから大ブーイング。そんなことが健康にいいわけが ない。と大合唱です。 私もいろいろ反論しますが、一日一食なんてと、とてもとても聞いてもらえるもの ではありませんした。 「健康で、美味しいもの食べて。これがなくちゃあ生きてる甲斐がないよ。」とい う皆様の気持ちを代弁された発言で会は終了となりました。 とはいえ、健康オタクのわたしが、一日一食をやめるつもりは全くないのですけれ どね。 次回は、11月21日の開催となります。 テーマは「自殺は何故いけないのか?」です。 ちょっと重いテーマですよねえ。どんな話になるのでしょうか? みなさまのご参加、ぜひぜひお待ちしております。 わたし一人でどうなるテーマではありませんからね。 第56回報告「臨死体験ありますか?」 9月のワークショップ、いつものように第3金曜日。9月の19日に開催をいた しました。 通算で第56回目。場所は、いつものように関屋地区公民館でした。 参加者は私を含めて5名。男性3名女性2名というメンバーです。 テーマは「臨死体験ありますか?」という、ちょっと唐突なテーマでした。 今回はテーマが葬儀とは関係ないことだったので、葬儀の話は最初の雑談の時に、 参加者の一人が持って来てくださった、K葬儀店の葬儀事前予約のパンフレットの 話。また、青山斎場でやる葬儀の話をしたくらいでした。 あとは、もっぱら葬儀とは関係ない話に終始しました。 まず、わたしが臨死体験ということについての若干の資料を作ってきましたので、 それをお渡しして臨死体験というのはどういうものなのか。どういう体験を臨死体 験と言って、いつくらいから話題になったのか、など概要を話をさせてもらって始 めたわけです。 残念ながら、参加者で典型的な臨死体験を体験した方はいらっしゃいませんでした。 でも、臨死体験とは言えないかもしれないけれど、冬の道で滑って転び、一瞬意識 が身体から抜けたような感じがして、体が全く動かず痛みも全く感じなかった。 という体験を話してくださった方がいらっしゃいました。 いくつか参加者から質問が出ましたが本人も、いやそんなに臨死体験と言えるよう な事柄じゃあありませんと、盛んにおっしゃっていました。 しかし、打ち所が悪ければ死んでしまっても不思議ではないような大きな事故で、 今はお元気になられていることはほんとによかったですよね。 さらに、臨死体験を肯定する立場、否定する立場両方あってまだまだ論争が続いて いて、今だはっきりしていない。という両方の立場を説明させていただきました。 臨死体験に特有な事柄、それは臨死でないときでも、脳への刺激とか薬物とかとい うようなもので起こることが知られているということもお話ししました。 要するに、臨死体験を肯定するか否定するか、ということは死後の世界、肉体が死 んでも魂というか霊は残るということを肯定するか否定するか、ということになる わけですね。 参加者のなかではっきり否定される方が、おひとり。私は肯定派。ほかの方は態度 鮮明にせずというような配分だったでしょうか。 ある方は映画にもなった、小説の「西の魔女が死んだ」の心に響いた一節を読んで くださいました。 それは魂の成長のために肉体を持って生まれてくるという考え方をベースにしてい る文章でした。 それは私がずっと研究してきている、スピリチュアリズムの考え方ととても似た考 えなものですから、それからはスピリチュアリズムの話に傾倒していきました。 それで、私がスピリチュアリズムの講習会などに参加した体験談やら、霊能者に見 てもらった時の話などさせてもらいました。 それから、私がスピリチュアリズムと出会ったきっかけ。また影響を受けた書物な どいろいろお話させてもらいました。 いつも言うのですが、それがほんとかどうか、それは私もわかりません。私には霊 能力もありませんし。 でも、より良く生きる、という観点からして、わたしは人生一度だけ、という考え 方だと駄目なんです。あまりにも人生不条理だと思って、生きることの価値が見い だせないのです。 でも、何度も何度も生きなおして、魂の成長をめざして精進するんだ、という考え 方だと、「よし頑張ってしっかり生きよう」と思えるんです。 それで、わたしは「人間と言うものは輪廻転生して、何度も何度も生まれ変わって くるんだ。」という考え方を採用しているわけです。 そんな話をしたところで時間切れとなったわけです。 今回は私がちょっとしゃべりすぎたかもしれませんね。 さて10月のワークショップは、やはり第3金曜日に開催します。 10月17日。新潟市関屋地区公民館で午後6時30分より第57回ということで 開催させていただきます。 テーマは「私の健康法」です。健やかに老後を生きるために、健康で老いるために、 健康法をみなさん心がけていると思うのです。それをみんなで披露しましょう。 次回も多くの参加者をお待ちしております。 第55回報告「お盆に先祖が帰ってくる?」 8月のワークショップ、通算で第55回目です。 今回もいつものとおり第3金曜日、8月15日。お盆休みの最中の開催です。 お盆休みはどうかなあ?と思いつつも、第3金曜日開催を崩さず、休みだから普段 来れない人が、逆に来てくれるかも。 という淡い期待を持ちつつ、開催をしたのでした。 場所は、いつものように関屋地区公民館。 今日はこのワークショップ開催以来初めて一人も来てくれなくて、帰るのかなあ? なんて前日は思っていたのですが、開催日になって「今日行きますから。」という うれしい電話も入りました、ありがたいことです。 参加者は私を含めて4名。会場に入られるとき、「今日は参加はいかがですか?」 と言って入ってこられる方もいて、来場者を心配いただいていたようです。 しかし、とにかく開催できましてほっとしたわけです。 4名ですから、「お盆に先祖が帰ってくる?」と言うテーマではありますが、話題 はいつものようにあちらに飛びこちらに飛びだったわけです。 テーマがテーマですから、幽霊を見る能力の話も出ました。 その4人の中にはそういう霊視能力のある人はいないようで、残念ながら「見た ぞ」と言う体験話は聞けませんでした。 そういう話から幽体離脱の話にも飛びまして、参加者の一人が大怪我をされたとき に、自分を上から俯瞰したというような記憶がある、と言うお話をして下さいまし た。 それは臨死体験かもしれない、ということでみなさん興味津々、私も興味津々で聞 かせて聞かせてと質問攻めにあいました。 それから、湯灌、エンバーミングというような、遺体の処置について、一体それは どういうものなのか、基本的な知識をお知らせしました。 新潟の場合、他の地域の場合、そして新潟の葬儀社は一般的にどのようにしている のか。と言うような話もされました。 また昔はどうだったのか?というようなこともひとしきり話されました。 葬儀、葬儀関連のいろいろの風習儀式、やはり基本的に、「死の恐怖」というもの が根底にあるのではないか?死者が蘇る、また動き出すということに根源的な恐怖 を持っているのではないか? でも、どうして死者がまた動き出すと怖いのだろう?と疑問が出ましたが、それに はなかなか誰も答えることができませんでした。 私の知人が先日、棺を個人で買いたいと、新潟の葬儀社に言ったら断られた。と言 うような話から、なぜ棺を売らないのか?というような話もされました。 棺だけは売らない。葬儀をすることがメインのしごとなので、とにかく葬儀をさせ てくれということが、表向きなんだろう。 でも棺の原価を知られたくない、と言う理由も見え隠れしているのではないか? と言う意見もありました。これはなかなかいいところ突いているかな?と私も思い ます。 棺を売る会社でも、きっと売らないだろう。葬儀社の仕事の邪魔をするような行為 だから、きっと売ってくれないと思う。と言う意見が大半です。 自宅から離れている、白根あたりの仏壇屋で、棺も扱っているところがあるから、 そういう会社に直接当たれば、一軒くらい応じてくれるところがあるかも。という いろいろな意見考えが示されました。 私からインターネットサイトで、三重県の業者が、自分自身で葬儀を出す方法を書 いたパンフレット込みで、棺を全国通販している。とちょっと紹介させてもらいま した。 みなさん、へえ、ということでさほど興味は示されませんでした。 それと情報提供ということで、参加者の一人が、新潟の亀貝のお寺で、お金のない 人、生活保護の人の葬儀を、びっくりするような低廉な価格で通夜葬儀の司式をし て下さるお寺様があるということで、そこを訪ねてお話を聞いたという話をして下 さいました。 司式ですから、お経を読んでくれて仏弟子にして下さるということなんですね。 葬儀はそれだけで済みませんから、どうしても葬儀社をからめることになるのでは ありますけれどね。お坊さんだけで葬儀は出来ませんから。 そういう奇特な偉いお坊さんも新潟の地にいらっしゃるということなんですね。お 寺の名前など聞かせてもらっています。もし知りたい方がいられたらお教えします ので、メールをください。 とわずか四人でしたが、あっという間の二時間でたのしいひと時を過ごさせていた だきました。 9月はやはり第3金曜日、9月19日。新潟市関屋地区公民館で午後6時30分よ り第56回。開催させていただきます。 テーマは「臨死体験ありますか?」です。臨死体験ある人、ぜひお話聞かせて下さ い。お願いします。 第54回報告「葬儀費用いくら払ってるの?」 7月のワークショップは通算で第54回目でした。 今回もいつものとおり第3金曜日、7月18日、新潟市の関屋地区公民館において 開催いたしました。 今回の参加者は私を含めて4名でした。 参加者は全員男性。これは珍しいことでした。 どちらかと言うと女性の参加者が多めで、女性だけ参加しての開催ということはあ ったと思うのですが。 今回のように男性だけでのワークショップは、私の記憶では確か初めてのことです。 今回は、最近熱心にご参加下さっている方と、久しぶりに来て下さった方。 そしてホームページを見て今回初めて参加して下さった方と。 参加者は全員初対面、という最近では珍しいワークショップでした。 今回も前回と同じく、日本消費者協会が4年に一度やっている、「葬儀についての 意識調査アンケート」をもとにしてお話を進めました。 今回は葬儀費用について話をすることにしました。資料として意識調査の葬儀費用 にいくら払ったのか?という部分をコピーして配布させてもらいました。 日本全国からの回答ですが、アンケートに答えてくれた数の中で、実際に葬儀を出 した、そして費用について答えることができるという対象者が少なく、平均値を出 すと言うような作業では疑問がある回答数です。 しかし、実際にどれくらい費用として支払ったか、そういうサンプル数がどういう 具合に分布しているのか?などはわかります。 そしてそれが地域別にまとめられています。 そういう資料を見ながら、話を進めさせていただきました。 言えることは、実に費用はさまざま。ばらばらであると言うことです。1000万 以上出したと言う葬儀もあれば、10万以下と言う葬儀もあったと言うことです。 そしてこれだけのお金を良く払っているなあ、と言うのが正直な感想です。これだ け支払うのはなかなか大変だろうなあと、率直に思います。 また、お寺にいくら払ったか?という資料もありました。それにもいろいろな意見 が交わされました。 このままでは、お寺は人々から見放されていくのじゃあないだろうか?それもそう 遠いことではない。というような意見も出ていました。 それと、飲食などの接待的費用の地方別の資料もありました。新潟の入っている中 部A。これが他の地域に比べて支払額の多い葬儀が多数を占めているんですよね。 この資料では新潟単独という数字はありませんが、参加者は、確かに新潟は接待的 費用は多いかもしれないなあ。そう感じていました。 どうして新潟はそういう接待的な費用が多いのかな?ということを考えてみました。 私はちょうど、火曜日水曜日と新潟市の比較的大きな葬儀に出てきました。 屋台こそ出ていませんでしたが、ラーメンなども出てきていました。 ちょっと前までは、屋台だとかラーメンとかは、通夜振る舞いには考えも付かない ことだったと思います。 で、すごく良いとか、これは必要だなあ、と思えるならばいいのです。 しかしどう考えても、必要のない余計なものじゃあないかなあ?と思うわけです。 これは新潟の葬儀の半分くらいをやる、寡占状態の会社が、結婚式場部門も持って いて、給食部門の効率化、高採算化を狙って葬儀の飲食を高くしているのじゃあな いか?というような勘繰りをしたくなる、と言う意見にはみなさん、そうだねえと 賛同しているようでした。 この資料に基づいて、葬儀のことをいろいろな面から参加者の意見が相次ぎました。 今回初めて参加して下さった方は、葬儀関係にお勤めしていた経験もあり、今も葬 儀業界にかかわっていると言う方だったのです。 その方がわたしのホームページを見ていただき、共感するところもあるということ で今回参加して下さったのです。 その方から新潟の葬儀の特徴や、地域でのやり方の変化など、いろいろ教えていた だきました。 いつもの私だけの見方でなく、別の見方も提示して下さって、とても有意義であっ たと思います。 最近は家族葬ということで、家族だけでひっそりとやろうと考えている方が多いけ れど、費用を掛けないでやるやり方はいくらでもあります。 人が生きてきたと言うことは、家族だけじゃあない人との繋がりの中で生きてきて いるわけです。そういう方々とのお別れ、そして家族がそういう人たちから故人に ついての話を聞き、慰めを貰っての癒し、そして新しい生活への踏み出し。 葬儀が持つそういう面も、決してないがしろにして欲しくない。と言う私の考え方 をまた話させてもらって、みなさんに頷いていただきました。 次回は、第3金曜日は、8月の15日。お盆休みの最中になります。私もここは別 の日にしたほうがいいのかな?とも思いましたがお盆の最中もかえって良いのかも 知れないと、変えることなく第3金曜日15日にやることにしました。 普段これない方も来て下さるかもなんて期待も持っています。 「お盆に先祖が帰ってくる?」と言うテーマでいかがでしょう。このテーマからど んな風に発展するか、楽しみですねえ。 ぜひ、お誘いあわせの上ご参加いただきたいと思います。 第53回報告「葬儀についての意識調査結果」 ワークショップ第53回目を、今回も第3金曜日、6月20日、新潟市の関屋地 区公民館において開催いたしました。 今回の参加者は私を含めて6名でした。 今回は私が、日本消費者協会が4年に一度やっている、「葬儀についての意識調査 アンケート」の第8回目の報告を入手しました。 2007年の12月にまとまった報告です。 これをもとにしていろいろな話をしてみようという企画でした。 報告は数字をまとめたもの、そして文章書き込みで答えたものをそのまま載せた部 分など、かなり大部なものとなっています。 それで、その報告の最後のまとめと設問をあらかじめコピーしておいて、それを参 加者に配布させてもらいました。 その資料を見てもらって、興味ある設問について、さらに詳しく見てもらって突っ 込んだ話し合いをしたいと思っておりました。 やはりみなさん、葬儀にかかる費用など、具体的な数字について初めは興味をもた れたようです。そして具体的な数値を質問などが出て、それに答えたりしていたわ けです。 しかし、このサンプルは日本全国のモニターからそれなりの回答はあるのですが、 そのうち近3年に葬儀に参列した人。さらに費用の内容までしっかり答えられる人 となるとかなりサンプル数が低いわけです。 ですから、数字としては信頼性に乏しい。特に地方別の平均など出してもどこまで 意味があるのかなあ?と思われるようなサンプル数だという認識を持つことは必要 だと思います。 まあ地方別は信頼性は低くても、全体的な傾向ということでは、傾向など見ること はできます。しかしこの報告の数字をもって、どの地方は葬儀費用に金を掛けると か、そういう断定はなかなか難しいなあと思うわけです。 けれども、そういう具体的な数字。お寺にいくら払ったか?とか、飲食など接待的 な費用はいくらか?とかそういう設問や数字を見ていると、普段のワークショップ ではなかなか話しあわれないような具体的なことが、どんどん話題に出てきて話が 進んでいくのです。 通夜ぶるまいはどうするのが普通なのか?また実際にどうしたらいいのか? 自分は通夜で、通夜ぶるまいの席に出るか出ないか?とかここでもそれぞれ自分の 考えを話し合いました。 ある人は自分が参加した通夜で、喪主が「今夜は、遺族の疲労がピークになってい るし、家族だけで最後の夜を過ごしたいので、通夜ぶるまいはしない。」という説 明をきちんとして、通夜の飲食無しという葬儀があったけれどかえって気持ちが良 かったとか、具体的なはなしがどんどん話されました。 通夜ぶるまいの話もそうですが、同時に返礼品のはなしも、かなり突っ込んで話さ れました。 どういう返礼品の仕方があって、どういう考え方がいいんだろう。といろいろな意 見が出されました。 ●私のほうからも、まったく香典を受け取らず、返礼品も返さない。 ●香典は受け取って一定金額の商品券を返す。 ●香典は受け取って、一人ひとりには返さず、団体などに寄付をして返礼品の代わ りとする。 というような三通りではどれがいいですか? と言うような問いもさせてもらいました。 どれがいいという結論は勿論出ませんでしたが、事前にしっかりと考えておいて、 根回しというか、こういう意志でこういう風にさせてもらいますということを会葬 者にきちんと伝えるような努力をすればどのやり方でもいいのではないか。と言う ようなことだったと思います。 そして、最近葬儀をされた方もどんどん自分の体験を話して下さって、今回は具体 性を持ったはなしが突っ込んですることができたワークショップでした。 通夜ぶるまいことを話題にしているときの話で、私が死んだ時は、青山火葬場の朝 一番の釜を取っておいて、夕方から三々五々集まってきて、持込やら買出しなどで 夜通し酒飲みながらワイワイとみんなで話しをする。 次の日の朝、「おい、時間だよ。」ということで、そこにいる人たちが釜まで柩を 押していって、釜に入れて、ハイさよなら。そしてお骨は拾わないで帰ってくる。 そんなのがいいなあ。と言ったら誰からも賛成は得られませんでしたけれどねえ。 駄目ですかね。 最初計画したときは、報告書に基づいた話で終始するかと思ったのですが、報告書 に基づいた話は最初の15分くらい。あとは報告書に触発されて、今までにないく らいの具体性を持った話が止めどもなく出てきたという、思わぬ有意義な会になっ たと思っております。 次回は7月18日。新潟市の関屋地区公民館において、54回目のワークショップ 開催します。 テーマは「葬儀費用いくら払ってるの?」です。 今回も使った日本消費者協会の「葬儀についてのアンケート調査報告書」の中から 葬儀費用の具体的な数字をきちんと見てもらって、検討を加えて行きたいと思って おります。今回は詳しい数字を見てもらうことはできなかったので、次回項目を狭 めて具体的な数字を見ていただきます。 第52回報告「自分の葬儀でしてほしいこと。してほしくないこと。パート2」 ワークショップ第52回目を、いつものように第3金曜、5月16日、新潟市の 関屋地区公民館において開催いたしました。 今回の参加者は私を含めて7名。 先回のように大勢の方がご参加くださるものスリリングと言うか、どんなことにな るかな?と楽しいのですが、今回くらいの人数で、じっくり話をするのも楽しいも のなんです。 先回のワークショップの最後近くになって、ある参加者が「自分はもう死んでいて どうでもいいんだから、残ったものが良いと思うように好きにやってもらって構わ ない。そう言い残して逝きたいと思っている。」と言う発言がありました。 その話が深まらないで時間切れになってしまったのでした。 これはちょっと残念だなあ、と思っていまして今回のテーマも、前回と同じ「自分 の葬儀でしてほしいこと。してほしくないこと。パート2」というこ とで進めさせていただきました。 実は前回、初めて参加してくださった方が、ワークショップのあと、急に倒れてお 亡くなりになったということをお聞きしました。 まだまだ若くて、元気そうにしていらっしゃった方です。ご夫婦でご参加してくだ さいました。 そんな話をちょっとさせていただいたら、その亡くなった方を前からご存知の方が いて、びっくりされて知人の方に電話を入れて確認を取っていらっしゃいました。 この会にご参加くださって、死のことやら葬儀のことなど、少しは関心を持たれ、 考えてくださったんだろうと思います。 ご夫婦でご参加くださったので、会の後ご夫婦で会話もなさったんだろうと思いま す。 何か、なくなる前にワークショップにご参加いただいたということに、不思議さを 感じるのです。 この会が何かの形で、お役にたっているとしたらありがたいなあと思うのです。 いつも言っているのですが、この会はいままで52回、参加者がゼロで、今日は開 催できないな、と私がトボトボ帰ってきた、と言うことがまだないんです。 必ず、少なくともお一人はご参加くださるのです。 そして、そのお一人の時と言うのは、その方がじっくり相談をしたいなあと思って いる時だったりするのです。 なにかめぐり合わせというか、配剤があるのかなあ?なんて勝手に思っているので す。 さて、今回のワークショップです。 残った家族が思うようにやってもらいたい。と言う発言をもう一度していただいて、 そこからスタートいたしました。 その方は、葬儀のこと、お墓のことなど、娘さんが一人だけいらっしゃるというご 自分の家族構成などもご紹介くださり、自分の考えなどをお話してくださいました。 そして、自分はこう思うんだということを、奥さんやお嬢さんにお話していらっし ゃるし、家族の考えもいろいろ聞いていらっしゃるということです。 そこまでやっていての発言であれば、まことに納得のいく話です。 なかなかそこまで、具体的に話し合いが進んでいると言うご家庭は多くないと思い ます。ぜひこれを読んでいただいている方もご家庭での話し合いをしていただきた いものです。 私が投げかけた質問があります。自分の死に顔を見てほしくないですか?見てもら っても平気ですか? 今は葬儀屋が、とにかく遺族を泣かそう泣かそうということで、わたしにすれば結 構いやらしい演出まですることがあります。 最後のお別れで、遺体との対面を演出する場合がほとんどです。 遺体は損傷が早く、死因の病気などによっては、生前を偲ぶことも困難な遺体も多 いわけです。そういう遺体を演出ということで一律に扱うのはどんなものなんだろ う。という疑問が私にはあったわけです。 女性の参加者は、死に顔は見てもらいたくない。と言う人が多いようです。 遺族は見るのは当たり前だけれど、普通の会葬者には見てほしくない。 元気だった頃の写真でお面を作って、それを被って棺に入っているところを見てほ しい。と言うような意見もありました。 男性は、自分が見られると言うことに関しては、あまり意見はありませんでしたが、 自分はもう義理での葬儀の参加はしない。親しい友人の葬儀には、最後のお別れに 駆けつける。そして、必ず顔を見せてもらう。 どんな容貌になっていようと、どんな死に顔であろうとそれが、友人との最後の別 れなんだから。 自分は最後の対面をするために葬儀に行くと言ってもいいと思う。と話されました。 その方は、骨葬で、もうお骨になった形の偲ぶ会などがあったとして、そういう会 に参加するかどうか分からない。ともおっしゃいました。 自分の死に顔を見られたくない人は、きちんと言い残ししておかないと、思い通り には行かないと思います。 そういう希望の方は、ぜひ言い残しをしておいてください。 その他、いろいろな地域の葬儀のやり方の違いなど話しました。集合写真を撮るよ うな地域とか。 葬儀のやり方は、地域のいろいろなやり方があって、それなりの意味がしっかりと あった。 そしてその地域できっちり伝わっていた。 それが、都市化などで葬儀屋が取り仕切るようになり、葬儀屋が自分たちの都合な どでやりやすいようにどんどん変化させてきた。 そういうことなんだと思います。 まあ、昔のやり方が良くて、今の葬儀屋がやるやり方が良くないということではな いです。 時代も変わっているわけですし、昔ながらのやり方の意味の元がもうなくなってい るわけです。 葬儀屋の言うことが絶対ではない、ということを知ってほしいわけです。 と、今回もたっぷり二時間、いろいろなお話をさせていただきました。 充実の二時間でした。 次回は6月20日。新潟市の関屋地区公民館において、53回目のワークショップ 開催します。 テーマは「葬儀についての意識調査結果」です。 私がこのたび、日本消費者協会の「葬儀についてのアンケート調査報告書」を入手 しました。その調査報告などと中心に資料を見ながらお話させていただきます。 第51回報告「自分の葬儀でしてほしいこと。してほしくないこと。」 ワークショップ第51回目。4月18日、新潟市の関屋地区公民館において開催 いたしました。 今回は私の不手際で、ご案内は一階の集会室でしたが、実際の会場は三階の工作室 でした。 いつものように集会室に行って、迷う方がいらっしゃらないかと気になりながらの 開催でありました。 参加者は私を入れて、なんと15名。 私の想像をはるかに超えた人数が集まってくださいました。椅子が足りなくなって バタバタと椅子を並べること二回。 ちょっとびっくりでした。 でもこれだけの人数が来てくださると、一人一人の発言機会が少なくなって、一言 もお話をすることなく、聞くだけで帰る人が出るようなことがないようしたいなあ。 そう思いながら、進行させて頂きました。 久しぶりでご参加くださった方も何人か居られましたし、初めてご参加の方も4名。 やはり初めての方が来て下さることはいいことです。 話題やお話の考え方など、新しい切り口を見せて頂けるので、ワークショップの中 身に厚みが出てきます。同じ方との話だけでは、気がつかない見方、考え方を教え て頂けます。 今回のテーマは「自分の葬儀でしてほしいこと。してほしくないこと。」というこ とで行いました。 このテーマに興味を持っておいでくださった方も多かったと思いますが、人数も多 くいつものように話題があちこちに行って、テーマを深めることが出来なかったの はひとえに私の進行の稚拙なせいであります。 今回の参加者は、いろんなことに関わっている方が多く、それぞれのいろいろな話 を聞かせてもらうことが出来ました。 それが今回の特徴でもあるかなと思います。 樹木葬霊園設置で活動している方、散骨の自由を守る活動をされている方、キリス ト教の葬儀の仕事をしておられた方、他にもいろいろな活動をしている方、またご く最近に、葬儀を行なった体験を持っている方などなど多士済々でした。 そしてそれぞれの活動の話とか、体験の話などしてくださって、今回の内容は実に 多くの事を網羅して話し合われたということが出来ます。 また、初めてご参加の方も、しっかりとご自分の考え方、また疑問などをどんどん 話してくださって、話が大いに盛り上がったわけです。 あっという間の二時間でありました。 久しぶりにご参加くださったYさん。ご自分が死んだ時にはこうして欲しいと、き っちり文章にしてある方なんです。 先日ご長男と葬儀について話し合ったら、「お母さんの考えている通りにやります よ。」と言われたそうで、とてもうれしかったとお話になりました。 さらに、毎月月経をあげに来ていたお寺も、もう来なくなったと喜んでいられまし た。はっきりもう来ないで下さいと言ってあったのに、それからもしばらく来てい たそうです。でも諦めたのか、やっと来なくなったんだそうです。なんか押し売り みたいですね。来ないでくれと、はっきり言えるというのはたいしたものですね。 また、自分の葬儀は香典をもらわずにやって欲しいと思っているのだけれど、それ は可能ですか?というような質問もありました。 それは十分可能ですということを実例などを引いて話をさせてもらいました。 いろいろな葬儀のやり方の話も出ました。お骨にしてから葬儀をする骨葬の話。 新潟県でも阿賀野川の北のほうは通夜のあと次の日の朝火葬にして、その後葬儀を する習慣なども披露されました。 また、ある葬儀会館で祭壇も通夜が無く、遺体を前にして丸テーブルを囲み、初め から飲食をしながら、各人の故人の思い出を話す、といった形式の通夜に出た経験 を話してくださった方がいました。 そういう形式の通夜が中心で、告別式のほうは簡素に出棺をして、荼毘に付しただ けということでした。 ちなみにその人の一周忌は、今度はホテルで会費制にて行われたとか。 遺体を置いて、ホテルでの会食は無理なので、葬儀会館を使ったと言うことなんで しょうね。 新潟の葬儀の実態をいうか、葬儀事情も情報交換されました。 新潟の葬儀は飲食の費用が多く、葬儀にお金を掛ける県にランクされている事。 新潟の葬儀はほとんど寡占状態になっていて、小さい葬儀屋がバタバタ廃業してい るような事情。そして葬儀の選択肢がとても狭いと言う事情なども話されました。 それで、私自身が新潟での葬儀にどのように関わってくれるのか?と言うきつい質 問も出されました。 私の今の状況をお話して、今は無料電話相談だけにさせてもらっていることをお話 しました。 しかし、電話で葬儀に対するご希望を聞かせてもらえば、その希望を叶えるにはど ういう業者にどのように相談したらよいかアドバイスさせてもらっている。 それでほぼ希望どおりの葬儀は、やっていただけると思っている。 と話をさせてもらいました。 行く行くは、新潟で簡素なもしくは思い通りの葬儀を、一からしっかりとお手伝い をさせていただきたい。 新潟の葬儀事情の中で、一つの選択肢を提供してゆきたいと言う思いはさらに強く なってきています。 それは何時になるのか?それはまだ明確に言うことが出来ないのは残念なのですが。 ワークショップも最後近くになって、ある参加者が「自分はもう死んでいてどうで もいいんだから、残ったものが良いと思うように好きにやってもらって構わない。 そう言い残して逝きたいと思っている。」と言う発言がありました。 その意見には反論も出てきました。 そう言って逝かれたのでは、残されたほうが困る。個人の意志だからこのように簡 素にします。と言えなくなる。簡素にするのも葬儀をしないのも、結局残された者 の意志では、回りは納得しない。だから、結局普通の葬儀をするしかなくなる、と 言う反論でした。 あああ、残念、時間切れとなったんです。 面白くなりそうなところだったのにねえ。 皆さんはどう思いますか?どちらもなるほどと思える点がありますよね。 次回はこの辺を深めて行きましょうか。 次回は「自分の葬儀でしてほしいこと。してほしくないこと。パート2」というこ とにしましょう。 ぜひみなさんご参加いただきたいと存じます。 お待ちしております。 次回は5月16日第3金曜日。午後6時半から。いつものように新潟市関屋地区公 民館にて行います。 第50回報告「大きい葬儀、小さい葬儀」 2月のワークショップは私の都合で一回お休みをさせていただきました。 二月の第3金曜日は、私の個人的な都合で不在でありまして休みとさせていただき ました。 今回は3月21日、新潟市の関屋地区公民館で第50回目のワークショップを開催 いたしました。 参加者は、私を含めて7名。遅れてもわざわざ駆けつけてくださった方も居て、い つもながらありがたいことです。 テーマは「大きな葬儀、小さな葬儀」と言うテーマで行いました。 大きい葬儀とか、小さい葬儀というのは、イメージとしては分からないわけではな いのですが、どうも具体性に乏しい言い方ではあります。 とは言え、私が決めたテーマですから誰に文句を言うことも出来ないわけですが。 大きいと言えば、参列者が多くて祭壇も大きく、かかる費用も結構な金額になる葬 儀というようなことになりましょうか。 小さい葬儀と言うことになれば、その反対に、参列者が身内だけもしくはごくごく 少人数。無駄を省いて簡素な葬儀というイメージになると思います。 そして、今は「家族葬」とか「密葬」と言うような言い方で、小さな葬儀を志向す る人がだんだん増えてきつつある、と言う状況なんだと思います。 参列者は家族だけと決めて、他の人に亡くなったことも知らせず、とにかくひっそ りとすませてしまおう。と言う考えの方が増えつつありますが、私はまずその辺か ら異論を出させてもらいました。 亡くなった方がもう大変なご高齢で、親戚も少なく長い病院生活で近所との交友も なく、と言うような状況で、遺族の方も現役を退いていて、亡くなった方と同居も していなかった。 というような状況なら、これは必然的に小さな内々の葬儀になると思います。 わたしは、お別れに来たい人もいるのに、無理やり小さな葬儀にしようとお知らせ もせず、会葬も断ってやるようなことは、いかがなものか?という立場でお話をさ せていただきました。 その辺から口火を切って、みなさんいろいろな意見を出してくださいました。 勿論、会社の経営者とか、社会的に活躍をされている人は、小さい葬儀なんて言っ ても周りが許さないわけですし、そうなれば家族の意思とは別のところで事は運ん で行きます。そういう場合は我々の考えているのとはちょっと違うということでし ょう。 とにかく無駄なこと、世間的な体面だけで無意味だと思うようなことはしたくない。 新潟のお斉(おとき)と言うのにはどうしてもなじめない。ごかな食事に引き出物 まで出るけれど、ああいうことって必要あるのでしょうか。 親しくしていただいた方の葬儀でお斉に出てくれと言われて、周りの人から三万円 包まないといけないと言われて、びっくりしました。この地方ではそういうものか と従ったけれど、やはりお斉というものはどうしても理解できない。 お斉はやる必要ないし、やるならもっと簡素に、葬儀が終わったことに対するお礼 と慰労なんだろうからお金なんか貰わずにやったらどうか。と言う意見がありまし た。 新潟は飲食に結構お金がかかって、葬儀費用が全国的にも高い地域です。 この辺も地域の習慣もありますが、業者に乗せられている面もあり、生活習慣とし て変えてゆく事項かもしれません。 北海道などは、あくまでも相互扶助。香典を出すと返礼品もなく、領収書をくれる だけとか聞きます。それはいいことだと参加者の方々は賛同していました。 飲食とか、返礼品とか、そういうものが業者のおいしいところと言えるわけで、そ ういうところをしっかりと勧められて、だんだん派手になってゆく。 自分の意思に反して出費がかさんでくる。そういう流れだと思うのです。 その辺を、よく考えて、会葬者に対してあまり失礼にならないような工夫してゆく ことも大事だろうと思います。 そして業者にノーと言うこと。こういう風にしてください。ということ。これが大 事なことでしょう。業者の言いなりにならずに、自分で考えた自分のやり方を通す。 それが大事なことだろうと思います。 しかし、なかなか自分一人だけ、北海道流にやるということは難しいことです。 いかに自分の生活している地域の中でギクシャシャクしないで、そして華美になら ず、気持ちの良いお別れにしてゆくか。その辺をしっかりと考える必要があるのだ ろうと思います。 私は青山火葬場の式場とか、遺体が置けて泊まれるような場所を借りて、遺体を囲 んで思い出などを話し、遺族に慰めを言い、お酒がほしい人は持参して、何か食べ たい人は持参して、語り慰める。 泊まりも出来るので、泊まれる人は遺体を前にして語り明かす。そして次の日、荼 毘に付す。そして改めて偲ぶ会などを必要に応じてやる。そんなのではどうかな? と提案しましたら、かなりの反対意見もいただきました。 それと、旦那様が生前葬をやった、Kさんが参加してくださって一周忌がもう過ぎ たこと。そして現在の気持ちなど話しをしてくださいました。 やはり一年が過ぎて、いろいろな気持ちの変化があり、その辺は経験していないと 分からないなあと思わされました。 それにしても、49日だとか一周忌だとか、そういう昔から決まっている節目節目 と言うのは、人の気持ちの変化に沿っているようで、よく考えられているなあと思 います。 そして、友人たくさん呼んですでに生前葬もやったということで、葬儀は家族だけ でなさってわけです。それがご近所でも共感を持ってくれる人が居て、わざわざお 話を聞きに来る方とか、「実際にそういうやり方も出来るんだ。」と眼から鱗だと いってくださる人が多くてびっくりされていました。 そう思っていてもやれないよね、と思っている人がいかに多いかを知らされたと言 っていました。 今回も二時間いろいろな話をしました。話が飛んで日銀総裁の話やら、チベットの 話まで。 とても楽しい二時間でした。 次回開催は4月18日。第三金曜日です。 場所もいつものように、新潟市の関屋地区公民館にて行います。 テーマは「自分の葬儀でしてほしいこと。してほしくないこと。」ということにし ます。 いろんな考え方、感じ方のお話が聞けると思います。 また楽しい話をしましょう。 気軽にご参加ください。 第49回報告「今年は、これをやっておきたい」 年が改まりました。2008年。平成も20年となりました。 早いです。自分の中ではついこの間平成になったようなきがしているんですが、も う20年とはねえ。 その2008年1月の19日、第三金曜日。第49回目のワークショップ開催しま した。 寒波襲来の寒い中、わたしを含めて4名の参加をいただいての開催となりました。 その日の昼間に、わたしの携帯に旧知のKさんより電話があり、今回初めてだけれ ど参加しますという連絡をいただきました。。 お電話いただいたときから、今日のテーマは「今年は、これをやっておきたい」だ けれど、このテーマは置いておいてKさんが聞きたいこと話したいことをまずお聞 きして、それに沿ってワークショップを進めよう。と思っていました。 会場にはKさんが一番最初においでになりました。 そこで、お話をちょっとお聞きすると「仕事も今はしていなくて、最近ちょっと健 康にも自信が持てなくなって、妻や娘に自分の葬儀のことを話したりする。」 「自分としては、うちうちで家族だけで通夜をやって、他に誰も呼ばなくて良いと 思っているんだけれど。」というようなことから話が始まりました。 わたしは、葬儀は亡くなった人のためという面もあるが、それよりも残された遺族 のためという面が大きいのです。ですからご家族の意見も大事にしないといけませ ん。 また、人間は家族だけで生きているわけじゃあないです。親戚、友人知人、ご近所 また仕事の付合いなど、いろいろな方との繋がりの中で生きてきたわけです。 そういう繋がりの人たちに、亡くなったことを知らせて、お別れしてもらう、また 生前の交誼を感謝する、という葬儀の持つ一面も無視できないのではないですか? という話もさせてもらいました。 そして、亡き人と交誼があった方々から、いろいろな話を聞かせてもらう、自分の 知らない一面を聞かせてもらう、というようなことが遺族にとって、死という事実 を受け入れて、大きな事態に対する自分自身の対応が出来るようになりまた心の癒 しになるという面も葬儀が持つ大きな一面だということを知ってほしいとも申し上 げました。 そういう面を考えて葬儀をやることが、即お金がかかるということとは直接には繋 がらないということ。お金をかけなくともいろいろな形の葬儀をやることは十分可 能だということをお話もさせてもらいました。 そうこうするうちに、他のお二人が順次到着されて、わたしとKさんの話に加わっ てきてくださいました。 わたしとKさん二人の話でなくなったので、わたしも聞き役になって、みなさんの 話し合いを聞かせてもらうようにしました。 葬儀のはなし、お墓の話、お寺さまの話といろいろな疑問やら考えをそれぞれの方 が話をされました。 転勤族の方もおられて、新潟の葬儀のお斉(おとき)についての不思議なども話さ れました。 「お斉に着いてくれと言われて、回りの人から『そう言われたら、3万包んで行か ないといけない。』そう言われてびっくりした。そしてご馳走になったうえにお土 産まで持たされた。あれはやりすぎ。もっと質素でいいと思う。」 というような新潟の葬儀の習慣についての意見も出されました。 また別の参加者が、ご主人の生前葬のはなし、そして亡くなって実際にやったこと 困ったこと、そして菩提寺とのバトルなど経験に即した貴重な話もしてくださいま した。 葬儀屋に依頼するときの注意事項なども話してくれました。葬儀屋さんの言いなり にならずに、自分の思うような葬儀を葬儀屋さんにしてもらうことは十分可能だと いうことそのためには、自分がどうしたらいいかという話もしてくださいました。 Kさんもとても、興味深く感心して聞いて、質問もたくさんしていました。 わたしも、自分が携わったいろいろな葬儀についてのはなしもさせてもらいました。 とにかく、葬儀には必ずこうしなければならないということもないし、今はいろん なことが出来るようになってきています。 だから、まず奥さんお子さんと自分の葬儀はこうしたいということをよく話合って をしてください。 そして、よく話合って結論が出たら、奥さんやお子さんがそのことを実行するため の手助けのため、自分の意志の表明としてこういう葬儀をするようにということを、 文書に書き残してください。 といういつもの話をしっかり理解していただきました。 Kさんがおっしゃったのは、こういう葬儀やらお墓の話など、もっと生前からオー プンにきちんと話をしないといけないことがらですよねえ。 しかし、残念ながら、そういうことがらを勉強したり話しをする場所も機会もなか なかない、というのが実情なんですよねえ。とつぶやいておられました。 わたしもそう思います。 このワークショップのことを一人でも多くの人に知ってもらって、気軽に参加して もらいたいものだなあと改めて感じています。 二月のワークショップは、私の私用の為、どうしても日程が取れませんので、申し 訳ありませんがお休みをさせていただきます。 それで次回開催は3月21日。第三金曜日です。 場所もいつものように、新潟市の関屋地区公民館にて行います。 テーマは「大きい葬儀小さい葬儀」ということにします。 最近、家族葬で密葬でと考える人が多くなりました。しかしそこにはいろいろな誤 解やら、一面的な見方とかも散見されます。 大きな葬儀と小さな葬儀の違いを徹底比較してみたいと思います。 また楽しい話をしましょう。 気軽にご参加ください。 第48回報告「心と身体」 12月の21日、第三金曜日。第48回目のワークショップ開催しました。 このワークショップを始めたのが、ちょうど4年前の12月。 途中で一回、わたしの所用のために休んだ回が一回あったので、まる4年経過して 47回。 今回が5年目に突入で48回という事です。 みなさんのご協力があって、何とかかんとかここまでこぎつけた感じです。 今日は誰も来ないかな?と思うときでも誰かしら来てくださって話をしていってく ださいました。 ほんとにありがたいなあと感じています。ひとえにご支援いただいている皆さんに 感謝あるのみです。 今回は、12月。年の終わりに行ってやろうか。というような方がお集まりくださ ったのか、わたしを入れて7名の方々でお話をさせてもらいました。 テーマは、なかなか大きい「心と身体」というものです。どんなことになるか、わ たしも恐る恐るという感じではあったのです。 会はいつものように、テーマに沿ったような話から入り、どんどん膨らんでいろん な話に飛んでいく。また軌道修正するけれど、制御の効かない馬車のように思い思 いの方向にいってしまう。 そんな会でした。とはいえ、まったくテーマに縁のない話という事でもないのです。 どこかで、繋がっているというような話なんです。みなさん慣れているというか、 テーマを無視することなく飛躍するのですねえ。 しかし、このテーマはこれからどんどん深めていかないといけないテーマです。 とてもとても一回や二回で何とかなるようなテーマではありません。 いや、これから一生かけて、自分の生き方を深めてゆく、という形で進めていかな ければいけないテーマだと改めて思いました。 さてこのテーマ、心というところからもう定義が難しい。 心というのは、大脳の働きなのか。大脳の働きだとして、それだけなのか。 精神とか、魂、とか霊魂とか、いうものは、心という範疇には入るのかはいらない のか?心と精神と、どう違ってどう同じなのか? もうそこから難しいです。 身体というか健康は心のありかたによって、大きく左右される。これはもう最近で は、誰も否定する事ではありません。 しかし、心も身体のありようによって、大きく左右されます。 心を鍛えるために、身体をいじめる。身体を使って心の在り様を変えてゆく。これ も古代から行われている事です。 ヨガとか気功とかは身体から入って心の在り様気持ちの持ち方を変えてゆくものだ とわたしは思っています。 瞑想とか、座禅とかは身体を鎮めて行って、心の部分を意識してコントロールして いくものかなあ、と言うのが私の理解です。 身体だけ見ていく、また心というか気持ちというかそれだけで人間を考えてゆく事 は間違っていると思います。 その両方をバランスよくコントロールしていくことが出来れば、とってもすばらし い事だと思うのです。そう簡単なことではありませんけれど。 今回は、ほんとにいろんな話をしました。 最初はうらやましいご夫婦関係の話からはじまりました。それからフーチ、ダウジ ングの話。老眼の話。男女差の話。昔と今の比較。外国との比較。もう書き切れま せん。 で、今回の結論めいた話は、老化、加齢で身体が思うようにならなくなること。病 気でも同じことですが、それを嫌だ嫌だと嘆くのではなくて、それを受け入れて上 手に付き合っていく事が大事。 なんでも受け入れる事。そこからでないとものごと始まらない。老化や病気と喧嘩 しても駄目、受け入れるところから始めよう。 今回の、そう大きな年齢差のない参加者の共通の話題が老化であったわけです。 そして私が老化を受け入れようとしていない。老化とむきになって戦っている。そ れはよくないんじゃあないの?と鋭く指摘されました。 もう、定刻になっても話が終わらなくて、10分以上タイムオーバーして、そこで 参加者の携帯が鳴って、「ああもう行かなくちゃあ。」というところで、終了とな りました。それがなければ、まだまだ続きそうな楽しい会でした。 お酒の入らない忘年会のようでもありました。 次回は新年、1月18日。第三金曜日です。場所もいつものように、新潟市の関屋 地区公民館。 テーマは「今年は、これをやっておきたい」ということにします。 新年にあたり、そろそろこれをやっておかないとということをお聞かせください。 もういつお迎えが来てもいいようにですねえ、考えて見ましょう。 まあ、また楽しい話をしましょう。 気軽にご参加ください。 第47回報告{いい葬儀屋の見分け方」 11月の16日。第三金曜日にいつものようにワークショップ開催しました。 会場は関屋地区公民館にもどりまして、一階の集会室にて開催しました。 今回は、私を入れて3名の参加者。とても少人数の会となりました。 そのうちのお一人が、先回の「樹木葬」の霊園を新潟でも作ろうと運動しているN さんでした。 そのNさんから、先月からの運動の経過などじっくりと話してもらいました。 ここに、Nさんの運動のホームページをご紹介しておきましょう。 http://www12.ocn.ne.jp/~tomo1023/ となっています。 ワークショップの前日の15日に、運動の会合が開かれています。 私も参加要請されたのですが、残念ながら新潟に居なかったので、参加することが 出来ませんでした。 その会合もなかなか盛会だったようですし、運動も進展をしているようです。 今は、霊園の設置主体として、新潟市になってもらおうと言うことで活動中なので す。 それで、いろいろなつてを頼って、複数の市議会議員などを通じて市の担当部署の 担当者に直接会って話をする機会を得ることができた、ということでした。 担当者は、大変熱心に話を聞いてくださったようです。 新潟市は、今市営の霊園が満杯になり、市民の要望も高く、三年以内を目途に新霊 園を建設しようということで、計画中だというのです。 丁度いいタイミングで来られましたねえ、と言われたそうです。 担当者は、樹木葬霊園のことも知っていて、横浜市ですでに建設運営されているこ とも知っていたと言うことです。 そして、Nさんに具体的にどのような樹木葬霊園を要望しているか?また建設予定 地として良い場所が特定しているのか?と聞かれたそうです。 Nさんたちはその用意がなかったので、紙に漫画のようなイメージ図を描いて説明 をしたということです。場所に関しても一つ二つ具体的な場所をあげてはおいたよ うですが、特にそこにこだわるものではない由言ったとのことです。 しかし、イメージ図については、ただ丸や四角を殴り書きのように描いただけのも のなので、準備不足をちょっと後悔したと言うことです。 それでまた、友人知人のつてを頼ってそういう事柄に長けた人に頼んで、今しっか りしたイメージ図をイラストのようにして描いてもらっているところだそうです。 そのイラストが出来たら、またそれを市の担当者に手渡してくるのだそうです。 参加者は、霊園について、報告を聞いていろいろ話をしました。 私は、区画割などせずに、一つの小山に散骨のようにして、小山全体が合同慰霊碑 とするような、合葬型散骨型がいいと思うのだけれど、それは一般市民に感情的な ところで受け入れられないかもしれないなあ。と思います。 Nさんは小さな区画を決めて、そこに遺骨を埋めて、小さなプレートを目印に付け るくらいが良いのでは?というお考えのようです。 その辺は市役所の担当者が、計画中の霊園の一部に、樹木葬霊園を作ろうと決意す るか?どのような樹木葬霊園を採用するか?またその計画を上司や市議会などが、 了承するか。などこれからまだまだ紆余曲折があると思いますが、多くの市民の要 望、それも具体的な要望が大きな力になると思います。 新潟市民で、樹木葬霊園を新潟でも作ったらいいと思われる方は、ぜひその賛同の 意志や、具体的な考えを運動に寄せていただければと思っています。 私は、こういう選択肢が多くなることがよいことだと思うのです。 お寺にある、石で作ったお墓だけがお墓ではなくて、人々に、より多くの選択肢が あって、自分の考えによって選ぶことが出来るということが、良いことだと思うの です。 というような話ですっかり盛り上がって、良い葬儀屋の選び方については、ほとん ど話すことがありませんでした。またこの話題はいつか別の時間にやることにしま しょう。 次回は12月の21日となります。 もう、押し詰まって来ていますね。 次回で、このワークショップも5年目に突入します。 年末でもあり、忘年(望年)ワークショップでもあります。 テーマはとんでもなく大変だと思いますが「心と身体」というテーマをかかげて話 を進めたいと思います。 このテーマ。大きすぎてどんなことになるのか、まだ見えていません。 しかし、このとんでもないテーマに噛り付いて、少しでも齧り始めたいと思ってい ます。 興味のある方ぜひご参加ください。 第46回報告「樹木葬について考えよう」 10月の19日の第三金曜日。第46回目のワークショップ開催しました。 いつもの新潟市の関屋地区公民館は、文化祭のため使用ができません。 それで、今回はちょっと趣向を変えて、古町の居酒屋の個室で開催をいたしました。 そして、テーマは「樹木葬について考えよう」と言うものです。 よくワークショップに参加してくださっているNさんが、新潟にも樹木葬が出来る 霊園を作りましょうという運動を始めています。 そのNさんがワークショップでも樹木葬を取り上げてほしい、と言うご要望があり まして今回のテーマにいたしました。 ここに、Nさんの運動のホームページをご紹介しておきましょう。 http://www12.ocn.ne.jp/~tomo1023/ となっています。 参加者は私を入れて7名。 始めの30分くらいはお酒を入れずに話をして、そして飲みながら話を。と思って いたのですが、まあいいじゃあないの。というようなことで、はじめからすぐにお 酒を飲みながらの話になりました。 樹木葬といういう概念はみなさん、大まかには理解しているようでした。 全国的に見てみると、宗教法人などが墓地の販売の目新しい形として、墓石の代わ りに樹木を植えると言う形での樹木葬霊園もあります。 また、横浜市のように地方自治体が主体になって開発する樹木葬霊園もあります。 形も、区画を購入して、墓石の代わりに樹木を植えると言うような、占有型という ようなもの。 また区画は明確にしないで、合葬式というか共同使用型のものなどいろいろとあり、 樹木葬という概念、形式は一様ではなく、さまざまな形があると言うことです。 また、かかる費用もその形によってお値段はピンきりです。 以上の霊園型は、地目も墓地になっていて、完全な霊園開発と言う形をとります。 その場合、遺骨は散骨ではなく、骨壷に入れて、またはそのまま粉末にせずに地中 に埋葬と言うような形をとるようです。 それ以外では、散骨型と言ってもいいと思うのですが、墓地と地目を変えずに樹木 がたくさん自生する、林のようなになっている小山などを、地主の了解のもとで遺 骨を粉末にして散骨する。 というやりかたもあります。 Nさん達がやっている、新潟に作ろうとしている樹木葬は、横浜型の地方自治体に よる、霊園形式の樹木葬霊園を作ろう。 市営霊園の一部を樹木葬用に作ってほしい。というもののようです。 お墓の概念はいま大変流動化しています。 誰が守るのか?維持管理できるのか?家族制度の変化がいよいよお墓にも及んでき ている、と言う言い方も出来ると思うのです。 核家族化、少子化の時代に、昔ながらの墓のシステムがついて行けずに崩壊が始ま っていると言うことなんだと思います。 そういう墓の変化のひとつの方向が、樹木葬なんだと思うのです。散骨への興味、 人気も同じ流れと言えるでしょう。 これもよく実態を知って、自分の考え、自分の生活環境に合うのか?などで考えて ゆくことが大事だろうと思います。 今回のワークショップはお酒も入って、皆さんの口も滑らか。私の口も、普段はな るべく自分の話は少なめにしようと思っているのですが、今回はたくさん話をしま した。 後半は実に楽しい雑談大会。とはいえ、テーマとまったくかけ離れた話は出なかっ たことはしっかりと言っておかなければなりません。 お酒は生ビールが一番人気。酒の肴では、「秋刀魚の炙り棒寿司」が一番人気でし た。 楽しい居酒屋ワークショップでした。 さてさて、次回の開催ですが、11月16日。第三金曜日です。 場所はまた、新潟市の関屋地区公民館に戻ります。 テーマは「いい葬儀屋の見分け方」です。 葬儀屋に世話にならなくても葬儀出せます。と私が言ってもそれはよほど根性据え ないと出来ないというのは事実です。 では、出来るだけ自分の希望を叶えてくれる、いい葬儀屋を見つける。 これが大事だと思います。 でも、これも実はかなり難しい問題ではあるのです。 これを皆さんと考えて行きたいと思います。 ぜひご参加ください。 第45回報告「遊びをせんとや生まれけん」 9月の21日の第三金曜日。第45回目のワークショップ開催しました。 いつものように、会場は新潟市の関屋地区公民館です。 今回は私を含めて、6名の参加者で行われました。 テーマは「遊びをせんとや生まれけん。」ということでした。 ある参加者が、前回の終わりに「遊びと言うと自分の年代は、どうしても罪悪感が つきまとって遊びを楽しむことができない。ぜひ、遊びと言うものをテーマに取り 上げてほしい。」というご希望でした。 ご希望は何でも取り入れるワークショップですから、それいただきましょう、とい うことでこの「遊びをせんとや生まれけん。」と言うテーマにして、今回のご案内 をいたしました。 まあ、いままでのテーマでも話はあちこち、いろんな話が沸くように出てきたので すが、この「遊び」と言うテーマで話をしたら、まあ出るわ出るわ、私の司会の手 綱などはまったく効かないくらいに、皆さんいろいろな発言を活発にしてください ました。 山登りの話、パソコンの話、ギャンブルの話、男女差の話、遊びの定義、お金をも らったら、遊びではない?政治の話、日本の単一な価値観の話、日本とアメリカと ヨーロッパの文化比較、その他いろいろ。そしてお見合いの話。 と出た話題について、書いていますが、みなさん想像が付きますか? 私は、遊びと仕事って峻別できるのかな?遊ぶがごとく働きたいなあ、と思ってい るのですが、それについて発言したら、皆さんから猛反発をいただきました。 お金をもらったら、それは遊びじゃあない。ということなんですね。 私は遊びでお金をもらってもいいんじゃあないかなあ?と思うのですがねえ。 遊びもお金をもらったら、責任が伴ってもう仕事であって遊びとは言い難い。とい う人が多かったのです。 中年以降の人が遊びと言う言葉について、少々罪悪感を持っていてなかなか没頭で きないという人がいます。 そして特に男性は肩書きや会社名がない、名刺なしの新しいコミュニケーションを 作るのが下手な人が多いようです。肩書き無しの、個人対個人の新しい人間関係を 作るのが苦手な人が多いわけですね。 その辺は、自分で意識して変えていかないと、リタイアして十分時間が出来てきた 時に適応できなくなる可能性は高いですよね。 女性は、新しい人間関係を作るのは不得手ではないと思われますが、遊ぶと言うこ とに罪悪感を持っている人は、それを拭い去っていかないと、上手に楽しく時間を 使う妨げになるかもしれませんね。 または、上手に遊ぶがごとく、仕事を楽しくやることができれば、それはそれで素 敵なことじゃあないかな、と私は思います。 遊ぶことは人間本来の生活であって、日常なのです。 日本はなにか生真面目で、仕事第一。休むことも後ろめたいと言うようなところが ありますが、そこはもっとおおらかに、遊ぶのが人間。人間らしさの根源は遊びに あるんだ。と言うくらいに思ってもいいと思います。 大人になっても遊ぶのは、人間くらいではないでしょうか?(これは正しいかどう か未確認)遊びは人間にとって、人間らしさを保持してゆく鍵なんではないでしょ うか。 さらに、日本人は遊びまで、時間に追いかけられて、せわしなく。そして遊ばせて もらうためにお金を使って。遊ばせてくれる施設でないと遊ぶことができなくて。 日本人はとても遊ぶことが下手になっていると思います。それがすべてのことに通 じて、思考の幅が狭くなって、ピリピリしてきている一因でもあるような気がしま す。 もっとみんな上手に遊ぶことができるようにならないといけないのかもしれません。 人間、遊ぶために生まれてきた。という昔の人の考え方もあります。「遊びをせん とや生まれけん。」などはそういうことですよね。 「人生は、生活のためにしなければならない仕事で中断される快楽である。」と言 うような言葉があったような。(記憶に頼っていますので、正確ではないと思われ ます) 遊ぶことが人間の本義、本態である。と言う考えが昔からあったのです。 それをもう一度、少しだけでも見直すことも、今の時代には大事なことなのかもし れません。 次回は、これまた参加者の希望で「樹木葬について考えよう」と言うテーマにしま す。 新潟でも樹木葬を取り上げて、熱心に活動を始められた方達がいます。 その活動中の人に来ていただいて、樹木葬について理解を深めたいと思います。 ぜひご参加ください。 なお、次回10月はいつもの公民館が使えません。 それで、新潟市古町通り7番町の「北の家族」で個室を取りました。 ここで一杯やりながらワークショップ開催したいと思います。会費は実費精算とな ります。 ぜひご参加ください。今回は事前に参加表明してくださると助かります。 北の家族 新潟市古町通り7番町998−1CS新潟ビル地下一階 電話025−225−7701です。地下のため私の携帯は繋がりませ ん。 第44回報告「お経と焼香なしで、葬儀で一体なにする?」 8月の17日第三金曜日。第44回目のワークショップ開催しました。 いつものように、新潟市の関屋地区公民館です。 今回は私を含めて、6名の参加者で行われました。 テーマは「お経と焼香なしで、葬儀で一体なにする?」と言うものでした。 もう、葬式にはお経と焼香がつき物。 葬儀に出ること、葬儀に参列することイコール、香典を置いてくること、焼香をす ること。 と言うイメージを持つ人が多いことは確かだと思います。 私は、もうそろそろお坊さんにお経を読んでもらうような葬式は、やめてもいいん じゃないのと思っている男です。 「そう言うけれどほんとに、お坊さんにお経を読んでもらわないで、そして焼香も しないで、通夜や葬式が出来るの?」と思う人も多いと思うのです。 それだから、お坊さんに来てもらって葬儀をしている人が多いわけですね。 私はたくさん葬儀をやっていますし、葬儀のお手伝いもしますが、無宗教で、お坊 さんに来てもらわない葬儀と言うのは、まだまだ多くはありません。 そして、無宗教葬というのは、おうおうにして時間をもてあますことが多いのです。 参加している人も、どうしたらいいかわからずオロオロしている。そんな感じなの です。 また、通夜一時間、葬式一時のタイムスケジュールも、お坊さんがお経を読んで焼 香してと言う前提に立って、決まっているんだろうと思うのです。 私は、故人の考え意志、遺族の考え意志で、葬儀の内容、やり方、時間など、まっ たく自由でもいいと思うのです。 とはいえ、まったく自由に自分たちで短時間のうちに企画して、それを実行する。 これも、なかなか大変で実現できる人はごく少数だろうと思われます。 葬儀社にしても、その希望や意志を聞いて、短時間のうちに企画を立てて実行する ということは、ほとんどの葬儀社は実行不可能だと思われます。 また、それだけの企画実務能力を持った葬儀担当者がどれだけいるんだろうと心細 く思わざるを得ないのが現状です。 そんな状況の中で、あなたは自分の葬儀、家族の葬儀をどのようにやりたいです か? やはりお経と焼香がいいですか?そんな考えを持ってこのテーマを決めたわけです。 やはり、いつものワークショップのとおりに、このテーマに付かず離れず。話題は あちこちに飛んで・・・。ということで、またまた楽しくいろいろな話が飛び出し てきたわけです。 まず、東京では、遺体を預かってくれるところがあって、4割の人が病院から自宅 に戻らず火葬場に行って骨になって戻ってくると聞いたけど? というような質問があって、新潟じゃあそういうことは不可能だわよね。というお尋ねです。 いえいえ、新潟でもそれをやることは可能です。自宅に連れて帰れないと言うよう な事情のときは、それなりに預かってくれる葬儀社もあるし、火葬場でもやり方に よっては自宅に戻らずにやることは可能とお話しました。 そんな質疑応答から、もうみなさんいいたいこと聞きたいことはたくさんあって、 ということで6名とちょうどいい人数なので、発言機会も多くたっぷりとお話が出 来ました。 私も自分が経験した、無宗教の葬儀の様子や、どんなやり方をした人がいたかなど、 具体的な話もさせていただきました。 また、無宗教葬ということではないですが、葬儀社が独断の自分勝手な企画セレモ ニーを押し付けてきたりすることもままあります。 これも困ったものです。結婚式場と葬儀業と両方やっているところは、経営資源の 有効活用で、結婚式のやり方を葬儀に持ち込んで来るすることもあるんです。 たとえば、通夜に屋台を出してくるなどというのは、その一例だと言えるでしょう。 そういう、経営サイドの都合を押し付けてくると言うのはいかがなものかなあ?と 思います。 あとは、宗教の話もたくさん出ました。キリスト教ではどういう葬儀をやるのか? 焼香というのはどういう意味があるのか? 焼香は仏教だけか?とかいろいろ出ました。 最後に、どういう葬儀をやるにしても、明確なこういう葬儀をしたいと言う考えに 至ることは、ある意味思想の問題になってくる。 単に安上がりに、とかというだけでは、思い通りの葬儀はなかなかやり切らないと 思います。 ある思想に基づく明確な考え意志がないと、なかなか思い通りの葬儀をやりきるこ とは難しい。ということを改めて感じたわけです。 そのためには、こういうワークショップに出るなどして、自分の思想考えを明確に していくことが大事なんだろうと思います。 さて、次回はやはり、第三金曜日9月21日に新潟市の関屋地区公民館で行います。 テーマはいつもとちょっと違って、「遊びをせんとや生まれけん」です。 ちょうど、こういうワークショップに興味を持つ年代は、リタイアしたり、リタイ アが近かったり。 時間をどう使うか?と言う問題に直面してきます。 そのときに、「遊び」ということにどう向き合うか。「遊び」ということに良いイ メージを持てない世代でもあります。 もっと「遊び」ということに正面から取り組んでみたい。そんな話をしてみたいと 参加者からのリクエストがありまして、このテーマにさせてもらいます。 どうぞ、奮ってご参加してください。 第43回報告「男性にとって老後を生きるために必要なこと」 7月のワークショップ開催しました。 いつものように、新潟市の関屋地区公民館です。 開催案内のはがきを出したところ、旧知のKさんから電話があり「毎回はがきを送 ってもらって、ありがとう。一度顔を出したいなあと思っていましたが、今月は行 きます。よろしく。」と連絡が入りました。 ありがたいことです。また、旧知のKさんにお会いできるということで、楽しみに しておりました。 今月は第三金曜日は20日。いつもは一階の集会室での開催ですが、今回は選挙の せいもあるのか、公民館の都合で三階の工作室での開催でした。 会場に30分前くらいに着いて、私は机をみんな後ろに下げてしまいます。そして 椅子だけ10個くらい出して、その椅子を丸く並べて置きます。 直径3−4メートルのサークル状にみなさんに座ってもらって、話をしてもらうの です。 机が前にないので、メモを取ることなくみなさん話に入り込んでくれます。 いつものように準備をして待っていましたら、電話をくれたK氏が来てくれました。 懐かしいので、いろいろな四方山話を二人で始めたのです。 時間が来ましたが、他の人が来る様子がないのです。 しばらく待ちましたが、他の参加者はないようなので、K氏との話を続けました。 いろいろな話を聞かせてくれましたし、いろいろな質問も受けました。 K氏は活動的な方なので、ご自分がやっていること、最近やったこと、などを写真 などを見せてくれながら話をしました。 それで約一時間半。いろいろお話をさせていただきました。 他の参加者もないし、はなしも切りのいいところになりましたので、K氏は「今日 はこの辺で切り上げます。また他の参加者がいる時に来たいです。」と言って、力 強い握手をして帰っていかれました。 43回目の開催でしたが、参加者が一人というのは初めて?いや二回目ですね。 まあ、今まで参加者なしでずっと待っていて終わった、ということもなく、一人で も参加していただいて、こうして継続してきたのが、不思議と言うかありがたいこ とであります。 参加者がお一人のときは、その人とじっくり二人だけで話すべきときに、つまり起 こるべくして起こっている、ということになるのかなあ、なんて思っています。 今回はテーマが無理だったかな?とか地震が影響?とか考えないでもないのですが、 まあそんなこと考えずに、自分自信が飽きずに継続していくだけだなあと思ってい ます。 次回もまたテーマを決めて、告知をして一人でも二人でも来て下さる人がいるうち は楽しんでやっていこうと思っています。 ということで、次回はお盆が終わってすぐになりますが、8月の17日金曜日にい つものように開催いたします。 テーマは「お経と焼香なしで、葬儀で一体なにする?」ということでやります。 お坊さんがお経上げて、焼香してというのが通夜、葬儀の定番です。じゃあ、お経 と焼香なしで葬儀が出来るの?なしにして、一体何をするの?ということを考えて 行きましょう。 私は、仏教信者以外の人は、お寺と縁を切ってもいいんじゃないの?という考えを 持っています。 あまりにも、今のお寺の中に、宗教者とは言い難い、許されないような考え方を持 つお坊さんがいます。いつまでもそういうお寺と縁を持ち続けると言うのは、考え てもいいんじゃないの?と思っているのです。 でも、お坊さんがいないと葬式が出せないと思っている人も多いのも事実。その辺 を考えて行きましょう。 もちろん仏教信者のかたが、仏教式の葬儀をあげることに反対しているわけではな いので、そこは誤解なさらないように。 じゃあ、8月17日。お待ちしています。 第42回報告「余命半年。さてどう生きますか?」 5月のワークショップは、私の個人的な用事で開催をお休みさせていただきまし た。 4月は居酒屋「鳥の歌」での勉強会でしたから、関屋地区公民館でのワークショッ プは3月以来ということになりました。 回数は通算、第42回目のワークショップです。 久しぶりの開催は、楽しみでもあり、誰も来ないかもしれない、という気持ちもち ょっぴりあって期待と不安というと大げさですが、ちょっと緊張します。 でも、開始時間となると「鳥の歌」で初めて参加してくださった人が、今度は公民 館に来てくださったり、久しぶりの方がお顔を見せてくださったりとうれしい限り でした。 今回は私を含めて6名の参加者でした。 話を深めるには最適な人数と言えると思います。一人ひとりの発言機会が多く、ま た機会が多いだけに自由な発言が出来て、話題から離れた会話も増えるというダイ ナミックというか楽しみも増えるわけです。 今回のテーマは「余命半年。さてどう生きますか?」というテーマです。 もちろん寝たきりで、余命半年ということもあるでしょうけれど、ある程度の行動 活動ができて、余命半年と宣告されたとしたら、という前提で話を進めることにし ました。 なかなかみなさん、想像しにくいことだと見えて発言が出てきません。 でもだんだんとひとつの発言がまた次の発言を引き出して、もう止まらないという ような活発な話し合いになりました。 「結局、お金残しても仕方ないし、使うことが出来るお金を見極めて、旅に出たり 遣り残したことをやる、遊ぶことになる。」という発言が出て、みなさんもそうか なあという感じでうなづいて、次々と発言が相次いだのです。 今回の話題の飛躍は、いつもよりも大変に大きく、あちこちと飛び回りました。 はじめの雑談で、今「内観」に凝っていて東京に内観をやりに行くという方からお はなしをうかがっていました。 その内観についての話も何度も出ました。 さらに、老後のお金というような意味もあり、昨今の一番の話題で、年金、社会保 険庁の話もみなさん言いたいことがたくさんあるようで、発言が続きます。 そして、遊びということをどう考えるか。 また、遊びということに関して、男女の性差について大きな話題にもなりました。 女性がとにかく不利だという発言に対して、いや男性のほうがはるかに適応性柔軟 性がなくて生きにくいというような議論が続いたように思います。 老後は女性は元気だけれど、男性は仕事がなくなったとたんに自分をなくしてしま う、という人が多いことは確かなようです。 男性はもっと考えていかないと、老後を生きるのは難しいなあと、改めて思います。 誰にも知られず死んで行く孤独死は男性に圧倒的に多いそうです。考えさせられま すね。 男性は仕事以外で、友達などを作る、コミュニケーション能力不足の人がとても多 いと言われています。 その点女性は、コミュニケーション能力は大いに勝っていると思います。 老後女性は活発で元気。老後の男性は、元気がなくて、妻にへばりついて濡れ落ち 葉。 老後の男性は、大いに考え、自己改革する必要がありそうです。 私の場合、どうなんだろうと考えて発言させてもらいました。 私が今余命半年、と言われたら、やっぱり仕事を続けて、今までと変わりのない毎 日を過ごすと思う。と言ったら、遊びも知らない朴念仁であるかのように言われて しまいました。 やりたいことがあるなら、余命半年と言われなくてもやったほうがいいわけだし、 元気な今しないということは、余命半年になってわざわざ始めるような価値のある ようなこととは思えない。 と私は思うわけです。 余命半年で特別なことするというのは、今がいかに自分を偽って生きているように 思うのは、間違っていますかねえ。 遊びって一体なんだろう?とちょっとわからなくなりました。 私は死ぬと言うことが特別なこととあまり思わないわけです。 死んで自分本来の姿に戻る。本来居るところに戻る、と思っていますから、余命半 年でもそう変わったことしないんじゃあないかなあと思うわけです。 どうもこれは、参加者には理解されなかったようです。まあ理解しろと言うほうが 無理な話ではありますね。 何度も言いますが、皆さんがいろいろなことをたくさん話して、とても楽しい時間でした。 次回は7月20日に開催となります。 テーマは「男性にとって老後を生きるために必要なこと」ということでお話をしま しょう。 会場はいつものように、関屋地区公民館ですが、いつもの集会室から、工作室に場 所を移します。 どうぞみなさん、奮って参加してください。 特に男性の方には、ぜひ出ていただきたいものです。 お待ちしております。 第41回報告「手作り葬式を考えてみよう」 今月、4月のワークショップは、ちょっと変則的開催でした。 いつもの関屋地区公民館ではなく、「鳥の歌」という居酒屋さんの小部屋で行いま した。 回数は通算、第41回目のワークショップです。 私の古い友人で、新潟市本町にある居酒屋「鳥の歌」のオーナーの早津さんから、 自分の店で葬儀の話をしてくれないか。という依頼がありました。 わたしははじめは、ワークショップとは別に、その会をお受けしましょうと考えて いました。 しかし、だんだん日程が取れなくなってきました。 それで4月のワークショップと共催という形にして、居酒屋さんで勉強会をやり、 そのあとまだやったことのない、懇親会もやるという形も、たまにはいいのかも。 そう思って、こういう形をとったのでした。 今回は初めて参加くださったのが、オーナー含めて4名。全部で私も入れて11名 の勉強会でした。 ほかの客さんもいたので、お店の奥の、別室で勉強会を開催しました。 いつものように、私だけが話すのではなくて、皆さんがいろいろ話をしていく、と いうスタイルです。 ちょっと狭い目の部屋で、10名の人が思い思いにいろいろな話をしてくださいま した。 テーマはありましたが、それに固執することもなかったわけですし、約半分が初め ての方ということもあって、皆さんの興味は多岐に渡り、そして皆さんたくさんお 話してくださって、あっという間に時間が過ぎてしまいました。 樹木葬の話、というとわかりにくですが、桜の木の下に自分のお骨を撒いてほしい、 という希望を強くお持ちの方がいらっしゃいました。 その話題から、散骨の話、お墓に納骨する話、などお骨にまつわる話題が、一番活 発に話されたように感じます。 みなさん、お骨をどうするか、お墓をどうするか、核家族少子化の時代、みなさん いろいろとお考えがあるものです。 散骨の仕方、撒くには細かく砕かなくてはいけなくて、その具体的な方法まで、話 がされました。 遺骨に対する考え方も、十人十色。少しづつニュアンスが違うなあと面白く聞かせ てもらいました。 私はこう思う、いや私はと、いつもよりも活発に議論が活発になり、沸騰しそうに なったときに、遅れて先日ご主人の葬儀と49日法要を済ませたばかりの方が来ら れました。 そして、その方の葬儀のこと、お寺様のとのすったもんだ、葬儀屋さんとの行き違 いなど話をしてくれました。 やはり、経験、実体験は強いですねえ。 みなさん聞き耳を立てて、しっかりと聞いていました。そして質問が出ても、すぐ に生の体験で答えてくれます。最後はピシッと締まったよい勉強会になりました。 その後の懇親会。全員参加で、お腹も減っていますし、ガツガツ食べて、グイグイ 飲んで、笑って、語って、楽しいひと時をすごしました。 お酒が入ると、また個人的にいろんな話ができて、そちらも有意義だったと感じま した。 私もついつい飲みすぎてしまった夜でした。 次回は6月になります。5月は私ののっぴきならない個人的な用事で、ワークショ ップ開催することができません。 それで、お休みにさせていただきます。 6月の第三金曜日、15日に新潟市の関屋地区公民館で開催いたしますのが、第4 2回目のワークショップとなります。 テーマは「余命半年、さてどう生きます?」ということにします。 なかなか考えたこともないことだと思いますが、ちょっと考えてみましょう。 今日と同じように生きる、と言える?言えない?ということは? どうぞみなさん、お出かけください。 第40回報告「私の老後の計画〜こんな風に暮らしたい〜」 3月のワークショップ、開催しました。またいつものように、ご報告いたします。 3月16日、今回も新潟市の関屋地区公民館でした。 参加者は私を入れて7人。春が近づいてきたせいでしょうか。少し参加してくださ る人が増えてきました。冬眠あけ?っていうような気持ちになってきました。 ずっと葬式の話が続いてきましたので、ここらでちょっと話題を変えました。 「私の老後の計画〜こんな風に暮らしたい〜」と言うテーマです。 老後の話、となりますと、やはり政治的な話になりやすいですよね。 年金が生活の大きな支えになる、ということもあります。 そしてその年金が、どんどん細くなっていくと言う現実。 これが、これから老後を迎える人たちに、不安を与えていて、どうしても政治不信 やら、どうしようもない無力感や不満をつのらせているわけです。 当然、そういう政治的な話も出ました。 年金制度に関する不満。 政治家や公務員に対する、不公平感に根ざした怒りなど、うっぷうんを晴らすよう に吹き上がります。 しかし、政治的な話だけでは終わりません。 もう話は、あちこち飛びます。 そして、もうすでに老年を迎えられて、老後を生きている大先輩も参加くださって いましたので、その方の話なども面白おかしく聞かせていただきました。 参加者の中で、もう老年になった、父との確執がある、というような生々しい話が 飛び出して、世代論やら、同居の話など、相談会のようにまた分析をするようなこ とも話し合われました。 私はもう少し、夢でもいいから楽しい老後の計画などを話してもらおうと思うので すが、なかなかそんな、夢物語などには興味を示していただけませんでした。 やはり現実に即した、自分の身の回りの事柄をテーマにして、真剣な討論が交わさ れました。 とはいえ、そんな青筋立てて議論したのではなくて、笑いながら、冗談も交えてや んわりとしかし、率直に話し合われたわけです。 みなさん、それぞれ事情は違いながら、真剣に精一杯自分の人生を生きているなあ と、当たり前のことではありますが、改めて感じることが出来たワークショップで した。 そして、今日も参加してくださっていた、旦那さんが生前葬を実行して闘病してい た方が、最後にお話くださいました。 ご主人は、頑張っておられましたが、3月に入ってお亡くなりになられたというこ とです。 そして、事前に色々計画して、手配していた通りに、内々の親しい人たちだけで葬 儀をすまされたということです。 そして、今日はいろいろこのワークショップで励ましてくれた方々にお礼のつもりでと、お菓子を持参してくださいました。 そのお菓子を、みんなでありがたく頂いたのです。 会の最後に、全員でご主人の冥福を祈って黙祷を捧げたのでした。 奥さんは、まだまだ気持ちの整理がつかない、ということですが、それは当然のこ とだと思います。 あとは、時間の経過と、ワークショップのような場に無理でない程度に出て、だん だんだんだん少しずつ。と言うことですよね。と言う話で、頷いておられました。 無理をせず。泣きながら笑いながら、だんだんと少しずつ。 元気になっていただきたいと心から願うばかりです。 第39回報告「今の葬儀であなたが考えるこれだけははずせない事柄」 2月のワークショップ、開催しました。 2月16日、新潟市の関屋地区公民館でした。 参加者は私を入れて4人とちょっとこじんまりとした会でした。 この所、冬なので日の暮れも早く、参加者がちょっと減っていますね。 また、暖かくなるにつれて新しい方も含めて、来ていただけるようにと願っており ます。 さて、今回はご参加くださった方がコーヒーメーカーをわざわざお持ちくださって 温かいコーヒーを淹れてくださいました。 普段は椅子で輪を作るようにして座ってお話しするのですが、今回はコーヒーが出 てきたものですから、急遽机を出して、4人向かい合って、喫茶店で茶話会をやっ ているような雰囲気でお話をさせてもらいました。 一人は旦那さんが生前葬をやられた方。告知から10ヶ月経過して、いよいよその 時が近づいてきている、というお話を伺いました。 先回持って帰られた「言いのこしノート」を広げて、一項目ずつご主人と話をして、 こうしたらいいねえ、と書き込んであるということです。 そして、こういう風にするつもり、ということをお話してくださいました。 家族と旦那さんの兄弟だけに知らせて、自宅で葬儀を行なう。 祭壇も作らず、遺影に花を飾る程度のものにする。 近所への告知もしないで出棺まで自宅に安置して、自宅から火葬場に行って荼毘に 付す。 というような計画をお話してくださいました。 又もう一人、一人暮らしをしている母親が、もう高齢な上、大分弱ってきていて自 分はもう覚悟を決めた。 そして万一の時にはどういう風にしようかと、色々考えている最中だということで、 自分の考えが、実際に現実が目の前に来るといろいろとあれこれ考えることがあっ て迷っている、と言うお話です。 確かに、自分だけの考えでは通らない面もあり、現実に葬儀ということになると、 思ってもいなかったことが出てきたりと、難しい面もあるようです。 生前葬を体験した奥さんはもう腹は決まっている。もうこれでいくと迷いも無いか ら大丈夫、と話してくれました。 そういう話をしながら、話題はいつものように、政治経済文化などなどあらゆる方 面に飛び回り、まあコーヒーを飲みながらの茶話会、雑談会というような楽しい時 間を過ごすことが出来ました。 そんなこんなでその日はワークショップを終わりました。 次の日に生前葬のKさんから電話がありました。 いよいよ弱ってきているので、事前の準備をと思って、葬儀社に電話をかけて、こ ういう風にやりたい、と希望をきちんと伝えたところ、快く引き受けてくれました。 ところが、お墓があるお寺に電話をしたところ、とんでもないと怒り出して、ずい ぶん叱られてしまった。というのです。 これから、電話では埒が開かないから、お寺に出向いてお話をしてきます。と言う ことなのです。 私も、お寺にお墓があるというのは人質取られているようなものだから、余程気を つけてやらないと、と言うアドバイスはしていたものの、Kさんはそれほどお寺の ことは気にかけていなかったようです。 翌日又電話をくださいましたが、6時にお伺いして、10時まで延々と説教された ようです。仏教はそんなものじゃあないんだ。仏弟子になるんだからそれなりのき ちんとした形式を踏まなくてはいけないんだ、とこちらの希望なんて聞く耳持たな い。それが嫌なら他の寺に行け、その際はお墓も置いておけない。ともう大変だっ たということです。 まあ、自宅で身内だけと言うことでやるけれど、やらないつもりだった通夜葬儀も お坊さん二人に来てもらってやってもらうことにしたと言うのです。 そして包み物はこういう風にするんです、と指導もきちんと入ったそうです。 私がもう少し、お寺には十分注意をするように、くどい位言ってあげればよかった なあ、と反省しました。とは言え、注意してもそのお寺ではどうにもならなかった とは思いますが。 やはり簡素にするために、ネックになる最大のものはお寺であるということが、ま すますはっきりしました。 お寺にお墓がある場合が特にそういうことが言えます。 お墓があると、そのお寺の言いなりになってしまいますからね。 お寺にお墓がある人で、無宗教でとか、簡素な葬儀をと考えていらっしゃる方は、 良く作戦を立てないといけませんね。まず、お寺がどういう考えのお寺であるかお 話を伺って見極めることが大事ですねえ。 今回はワークショップも大事だったのですが、その後の話もとても大事だと思った ので書かせてもらいました。 次回は3月16日金曜日。新潟市関屋地区公民会において。 午後6時半から8時半までいつものように開催します。 テーマは「私の老後の計画〜こんな風に暮らしたい〜」。 もう悠々自適の方は、その暮らしぶりなどお話聞かせてください。 みなさんのご参加お待ちしております。 第38回報告「今の葬儀であなたが考えるこれだけははずせない事柄」 1月のワークショップ、開催しました。 1月19日、新潟市の関屋地区公民館でした。 テーマは、「今の葬儀であなたが考えるこれだけははずせない事柄」ということだ ったのですが、またこのテーマは先送りになりました。 というのも、実は今回は、新年初めてのワークショップで、どういう理由か参加者 がお一人。 それも、ご主人が生前葬をなさったその奥さんだけがご出席、というワークショッ プだったのです。 時間よりちょっと早めにおいでになったので、「その後、ご主人のお加減はいかが ですか?」というような雑談を始めたんです。 「やはりだんだん弱ってきているなあというのは、見ていてわかるのですよねえ。 そろそろいざと言う時にどうしたらいいか、自分でも考えなくちゃと思っているん です。」とおっしゃるのです。 そんな雑談しているうちに、定刻を過ぎてしまいました。 でも、今日の様子からすると、どうも他に参加者がなさそうなんです。 それで、「じゃあ今日は二人で、万一の時にはどうしたらいいか、考えて行きまし ょう。」と話をすると、「わたしも、会に邪魔になるといけないので、別の時間を 取って相談しようと思っていたんですが、今でよければ相談させてください。」と いうことで、いろいろ疑問なこと、などを聞きながら話を進めて行ったわけです。 わたしは最近「言いのこしノート」と言うものを作りました。 自分が万一の時に、葬儀を中心に、遺言のような法的なものでなく、私的に言いの こしができるような項目をまとめて、それにそって考えて書いてゆくと、だいたい 大事なことが書き残せている、と言うノートなんです。 それをお渡しして、話を聞いていきました。 実際に亡くなられたとして、そのときまず何をするか。と言うようなことから、具 体的な話を進めていきました。 そして、葬儀を実際にどの程度にしたいのか。家族葬でやりたいと言うことだけれ ど、具体的にはどうなのか。 祭壇は作るのか?会場は借りるのか?お経は読んでもらうのか?親戚は呼ぶのか? 知人は呼ぶのか?などなど細かな事を尋ねていきました。 そして、逆に奥さんからはこういうことは出来るのか?こういうやり方以外にない のか?とか、質問も具体的に出てきました。 と色々話してゆくうちに、ご主人と奥さんの考え方のすり合わせがまだ出来ていな いということが分かりました。 まずそこが一番大事なところじゃあないですか。ということで、「言いのこしノー ト」が出てきたのです。 まず、ご主人とこのノートの項目にそって、話をして、奥さんが今現在考えている 方法でいいのか? ご主人がどうしてもこうやって貰いたいということがあるのか? など確認する必要があると、奥さんも了解したわけです。 例えば、お経はどうするのか?菩提寺があるけれど、普通の葬式をしないのであれ ば、お墓がお寺にあるのだから、お寺様にも事前に相談をして了解を取らなければ いけないという話も出ました。 ご主人と葬儀の方針が決まったら、それを葬儀屋に事前に相談して、万一の時には この葬儀屋さんを呼べば良い、と決めておくのが良いねえ。と言う話も出ました。 そんなこんなで、自宅で元気な時の写真を飾って、その周りを花で少しだけ飾って もらって、お坊さんには枕経くらいを読んでもらって、自宅で家族、近しい親戚な どで遺体をお守りをして亡き人を偲ぶ。それが通夜。 次の日自宅から出棺してみんなで火葬場に行って荼毘に付す。というような骨格を 奥さんは考えました。 それでいいかどうかを、ご主人と話をすると言うことになったのです。 話をしながらご主人にノートを書いてもらうということになりました。 「こういうふうに、葬儀のこととかを、本人とちゃんと話ができるというのは、な かなか出来ることじゃあないですねえ。」と奥さんはおっしゃっていました。 「こういう話が出来るということは、会に出ていたこと、ご主人がああいう性格だ ったことなど色々な条件が重なり合った、珍しいケースではないでしょうか?」と 言うおはなしにわたしもそのとおりだと思いました。 そして、「ガンで死ぬと言うことは、大変だけれど、考え方によっては心の準備も その他のいろんな準備も、本人だけでなく回りもできるので良いことかもしれな い。」と言う発言もしてくれました。 たった二人で話した二時間。 あっという間に過ぎてしまいました。 奥さんには、わたしと相談したいというニーズがあって、それが思いがけない形で 実現した。 何かの配慮があるような気がしたのは、わたしだけなのでしょうか? 第37回報告「今の葬儀であなたが考えるこれだけははずせない事柄」 12月のワークショップ、開催しました。 12月15日、新潟市の関屋地区公民館でした。 今回は師走の忙しい中ではありながらもご参加いただき、私を入れて6名のでの開 催となりました。 4年目に突入ということで、第37回目のワークショップです。 テーマは、「今の葬儀であなたが考えるこれだけははずせない事柄」ということだ ったのですが、このテーマには全く一回も触れず。 別の話をやってしまったというワークショップでした。 それも参加者全員の関心が、他のことにありましたので、その事をずっと話してい て私は特にテーマに触れることはしませんでした。 それほど、みなさんが感心を持たれたこととは、一体何だったと思いますか? 前にも何回か、Xさんということで、生前葬のをおやりになった方の話をしてきま したよね。 今年の7月、第32回のワークショップで取り上げました。ご存じない方はご参照 ください。 私は今までは、Xさんとしてお名前は伏せてきましたが、今回からはお名前を書か せてもらいます。 その方は新潟市在住の鍵谷敏昭さん(64歳)と言う方です。 どうして、ここでお名前を出したかと言うと、鍵谷さんが6月の生前葬に続いて、 この11月に「最後の晩餐」ということで、親しいお仲間と最後のお別れをやって、 その後病院に入院されているのです。 その鍵谷さんの「生前葬」のこと、「最後の晩餐」のことを、地元紙である新潟日 報が詳しく取材し、実名入りで写真付きで12月4日付けの紙上で取り上げたので す。 新聞記者は本当に実名入りでいいのか?とご本人に確認しましたが、全く意に介さ ず実名で結構です、ということで実名入りの記事になりました。 それで私も、匿名よりもかえって実名の方がご本人の意に沿うのかな、と思って今 回から実名で書かせていただいているのです。 その記事を私が入手して、ワークショップに持参しました。 参加者に回覧してもらいました。 まだ見ていないと言う方が多くて、みなさん食い入るように記事を読んでいました。 そして、鍵谷さんの奥さんは今回もご参加くださったのです。 それで、みなさん「最後の晩餐」のお話、その後の体調や様子などをいろいろ聞か せてもらったのです。 「最後の晩餐」にはまた全国から友人知人が、駆けつけてくれたそうです。 東京から来てくれたある女性は、「生前葬」にも参加して今回はさすがにご主人に 「新潟に行く。」とは言い辛く、案内だけ見せたそうです。 ご主人は「最後だから、精一杯おしゃれして行ってあげなさい。」と言ってくれた そうです。 その方は、朝美容院に行って頭をセットして、精一杯のオシャレをして駆けつけて きて下さった、というようなエピソードも紹介してくださいました。 5月に余命三ヶ月から半年と宣告され、間に合うかなと心配しつつも今年の6月に 「生前葬」を友人たちの力強い協力を得て開催されました。 その後もお元気で、好きな絵を描き続け、この11月に「最後の晩餐」を開いて、 今入院中です。 しかし、まだまだ生命力と言うか、生きる意欲が旺盛で、ぜひもう一度退院して、 大好きなレオナルド・ダ・ヴィンチを訪ねるイタリア旅行がしたい、と奥さんにも 友人たちにも言っているのだとか。 友人たちもそのイタリア旅行を応援しようと、同行を申し出る人、カンパを申し出 る人などが多数いると聞きました。 そんな話に、もうワークショップに参加の人も興奮気味です。 私もイタリア旅行にカンパしたいと申し出る人もいました。 ぜひ、イタリア旅行してもらいたい。いや、絶対に行けますよ。と励ましをみなさ んおっしゃっていました。 奥さんも、ほんとにこのワークショップで勉強させてもらってよかった。 ご主人の死を自分もしっかりと慌てることなく受け入れることが出来たし、「生前 葬」ということを聞かせてもらって、それをご主人に提案することも出来た。 ほんとにここに来ていてよかったと、改めておっしゃっていただきました。 もし出来ることならば、わたしもそういう風に最後を迎えたい。参加した人の正直 な気持ちです。 でも自分は出来るだろうか? 生前葬や最後の晩餐に来てくれる友人がいるんだろうか? 絵を描いたりイタリアに行きたいという最後の人生をぶつけることやり遂げる対象 があるだろうか?と自問自答するのです。 やはり、いかに生きて来たか。生きてどのように人と交わってきたか。 そこが大事だなあと改めて思い、果たして自分は今、そのように生きているのか? と思いをめぐらす。 思いをめぐらしつつ、時間が来て、テーマに一度も触れることなく終了となったの でした。 第36回報告「骨葬シリーズ2。今の葬儀の嫌なところ」 11月のワークショップを、11月17日にいつものように、新潟市関屋地区公民 館において開催いたしました。 今回で第36回目。 つまり、丸々三年間開催を続けてこられたと言うことです。 平成15年12月に第一回目を始めてから、この11月で丸三年と言うことです。 始めは参加者は来てくれるかな?など心配しながら。 また、雨や雪の夜、今日は参加者がいないかなあ?などと心配したことも一度や二 度ではありません。 けれど、いつでもどなたかが参加してくださって、一度も参加者ゼロのため開催中 止、ということもなく、ずっと開催継続をしてこれた。これは私にとってみたら、 奇跡のようなことです。 ほんとに、ひとえに参加してくださったみなさま、また参加は出来なかったけれど、 気にかけて人に紹介してくださったり色々な形でご支援くださった方々のおかげと、 心から感謝をいたします。 これからも、継続してまいりたいと思っております。 相変わらずのご支援、よろしくお願い申し上げます。 さて、今回のワークショップ。テーマは「骨葬シリーズ2。今の葬儀の嫌なとこ ろ」というものでした。 参加者は私を含めて、6名。雑談をしながら始まります。 まず、今回のシリーズ二回目をする発端となった「死顔を見たいものかどうか?」 ということをみなさまに聞いてみました。 最近は棺に花入れをして、最後のお別れで死顔を見るというのは、普通になりまし たが、わたしの感覚では、以前は死顔をいうのは、近親者とか余程近しい人しか見 なかったように思います。 普通の参列者は、死顔を見るのは嫌がる人も多かろうということで、あまりお見せ しなかった、と感じています。 また、欧米は土葬と言うこともあり、死顔は見せるために、しっかりと整えます。 デスマスクを取ると言うこともあるくらいです。 死顔や遺体を整えるための専門家「エンバーマー」と言うような職業もあり、資格 制度もあります。 日本では「自分の死顔は絶対に見せるな。」と遺言して死んだ人も有名無名を問わ ずたくさん居ります。 この辺の文化の違いは、民族差もさることながら、日本でも時代によってかなりぶ れていると思います。 そんな話題から、話はどんどん発展していきました。 はては、今の子供の虐待、折檻死、そしてイジメなどの話までどんどん展開してい きます。 その辺の話も死だけのことではありませんが、死についての我々の考え方取り扱い 方なども、一因となっているのでは?と思っている方が多いようです。 話は、拡大して、また戻り、又拡大して戻りしていましたが、みなさんが多く感じ ているのは、通夜が意味意義を失って、告別式を二回やっているようなものだ。 もう少し通夜の意義と言うものを考えて、通夜が本来持っていた役割をもう一度再 認識して考えていくことが大事なんではないか。という共通認識が出来てきました。 通夜は、近しい人が遺体を守ってその傍に集まり、最後のお別れをして、故人の死 を自分の中で受け入れていく。昔話などしながら、泣いたり笑ったりして、癒され ていく。そういう面が薄れてしまって本来告別式に来るような、義理でやってくる 会葬者の対応でてんてこ舞いになっている。ということなんです。 ここで参加者から、最近参列した新潟で著名な方の通夜の話が披露されました。 突然の死だったそうで、高齢の奥様も動転して、大変お疲れだったそうです。 それで喪主のご長男が高齢の母の疲れや動転を理由に、新潟で通夜には必ず付き物 の「通夜振舞い」をやらないので了解して欲しい、と言うご挨拶をされて、通夜の 読経が終わってそれで終わり。参列者も了解して帰っていかれたとか。 おおむね評判も良かったそうです。 この辺もこれからの通夜のあり方を考えるひとつの手がかりになるかもしれません ね。新潟の「通夜振舞い」でやられているような、豪勢な食べ物や屋台まで出るよ うなやり方が、ほんとうに必要なのか。単に葬儀社の都合なのではないか?など検 討すべき点は多いなあと思います。 最後に、私の考え方の元になる、スピリチュアリズムから見て、通夜葬儀供養をど う見るかということを、最近話題のE氏が書いたものがあったので、それをご参考 までにご披露しました。 そしたら、披露した内容についての関連質問やら、意見。そのほかの雑談など話が 止まらなくなって時間をかなりオーバーしてしまいました。 またまた実に楽しい時間を持つことができました。 さて次回は4年目に突入ということになります。 テーマは「今の葬儀であなたが考えるこれだけははずせない事柄」ということでや らせてもらいます。 これは骨葬シリーズ3ということになりますか。今の葬儀再検証。と言う風にお考 えください。 皆さんのご参加お持ちしています。 第35回報告「骨葬を提案します。まず火葬を先に」 10月のワークショップを、10月20日に開催いたしました。 第35回目でした。 今回は、参加者は私を入れて4名。 最近はこれくらいの参加者で、じっくりと話し込む。そういうワークショップが定着してきています。 人数も少ないですから、一人あたりの話しをする持ち時間もたっぷりとあります。私も司会進行に力を置くと言うよりも、結構いろいろ話しをさせてもらっています。 そして、聞きたい事も充分に聞く事が出来るわけで、2時間という時間をたっぷり使っているという感じです。 4人でも、最後には時間が足りなくて、5分10分と終わりの時間が延びてしまう。というくらいじっくり話し込んでしまっています。楽しくも充実した時間を過ごしていると言う事が出来ましょう。 今回も、ご主人が癌で余命告知をされて生前葬を行った、Xさんが参加してくださいました。 それで、「ご主人のご様態はいかがですか?」ということで、近況をお話ししてくださいました。 やはり少しずつ弱ってきているということだそうです。しかし絵を描くという制作意欲は衰えず、絵の制作や、また展覧会の表彰式などへの出席を楽しんでいるそうです。今度は飛行機で、尾道での展覧会のテープカットに招待されているそうで、それに行くことを楽しみにしていらっしゃるとか。 11月には生前葬ではなくて「最後の晩餐会」を親しい友人とやる計画だそうです。その後、医者から入院するようにと約束をさせられているのだそうです。 ご家族も、内心はらはらしながらも、好きなことをやっていることを喜んでいらっしゃるようでした。 Xさんからは、このワークショップで死と言うことをあらかじめ考えるようにしていたこと、そしていろいろな人の話を聞かせてもらっていることで、突然のご主人の死の宣告に対して冷静にしっかりと受け止めることが出来た。とてもありがたく思っているということを言っていただきました。 しかし、生前葬などやって奇跡が起こるかと思って期待したこともあったけれど、奇跡は起きなかったようです。と言う言葉に、確かにそういう大きな奇跡は起きなかったかもしれないけれど、4月の段階で早くて三ヶ月、持って半年と言われて、すでに半年たった今もそうして精力的に絵を描き続けているというのは奇跡と言っても良いんじゃないですか?というのが参加者みなさんの気持ちでした。 あとは、とにかく残った時間を、絵を描くなどやりたいことを精一杯やって、充実した時間を過ごしてもらいたいと祈らずには居られません。 絵を描くというご趣味があって、最後は充実した時間を過ごせましたねえ。ということから、普段も自分らしく充実して生きていなければ、突然死を目の前にして、急に充実した時間を過ごし始めるなんてことは出来るわけがない。普段のときに、しっかりと生きていないといけないという、ごく当たり前だけれど、なかなか出来にくいことを改めて思い知ったわけです。 今回のテーマは「骨葬を提案します。まず火葬を先に」でした。 近況のお話にだいぶ時間を割きまして、やっとという感じで骨葬の話しに進んでいきました。 一般的には骨葬と言う言葉はあまり使いませんが、通夜をやった翌日、告別式の前に火葬をしてしまって、お骨の状態になってから告別式をする。そういうやり方を骨葬と言います。 新潟県でも県北の方にそういう習慣がありますし、全国的にも骨葬でやるのが当たり前という地方はかなりあります。 私の提案は、この骨葬。お骨にしてしまってから告別式をやる。これをそのままのやり方でやるのではなくて、現代にマッチした新しい葬儀の形として取り上げてみてはいかが?と言うことなのです。 まず、身内、近しい人が通夜を行い、遺体と最後の別れをする。翌日火葬場へ行って火葬をする。 そしてそのあと、どのような形式で告別式、お別れをするか決めて、場所も斎場などのこだわらず自由に選んで、参加者の都合の良い日取りを決めて、告別式をやる。その式は遺骸でなくお骨で行われる。そういう提案でした。 普通、社葬などは、まずうちうちで密葬をやり、お骨になったあとで正式な社葬、と言う段取りになります。これも骨葬と言えば言えると思います。 まず、今の葬儀の、通夜と告別式の違いが無くなってきていること、本来は通夜と告別式はそれぞれどういう意味合いをもつものか話し合われました。通夜の告別式化がすすみ、本来の通夜としての意味が薄れてきている。告別式が昼間に行われるので、遺族、親戚縁者だけの火葬前のお別れになってしまっている告別式。その辺も見直しが必要なのかもしれません。 そして見直す際には、骨葬という選択肢も充分にあり得ると思うのです。 今のままの通夜告別式は、あまりに形骸化して、中身の薄いものになってしまっています。 一人の死には、肉体的な死、霊的な死、社会的な死、などなどいろいろな側面があります。そして死という重大な事態を遺族は受け入れて、乗り越えなくてはなりません。また社会的にその死を告知して、みんなに知ってもらい、新たな環境、関係を構築しなければなりません。 そのような多くの意味を持つ死に関する儀式、葬儀告別式。それを有意義な中身のあるものにする必要があると思います。残された人にとって、やってよかったというものにしなければなりません。 そういう新しい葬儀を作り出していく時に、現代にマッチしてやりやすくて有意義な葬儀をする為にぜひ、骨葬を見直してもらいたい、というのが私の気持ちなのです。 しかし、まだまだ時間が足りませんでした。 やはり、参列者はみんな、身体のあるうちに対面してお別れしたい、と言う気持ちがある。骨葬ではそれができないではないか。と言うような意見もいただきました。 一方では、私は死んだ顔を見られたくない、と言う参加者もいました。 まだまだこのテーマは、突っ込みが足りません。 まだまだ深める必要があります。 骨葬を話しながら、今行われている葬儀の洗い直しもしている、そんな状態で、まだまだ時間が必要だと感じています。これをこれから時間をかけて話を進めることが、とても重要だと思います。 それが、今の葬儀を見直し、新しい葬儀を作っていく事になる。そんな期待をしています。 で、今後もこの骨葬について、というか今の葬儀を見直す。という作業を続けていくことにしております。 是非皆様もご参加くださって、ご意見をいただきたいと存じます。 来月は11月17日金曜日(第三金曜日)が第36回目のワークショップになります。 テーマは「骨葬シリーズ2。今の葬儀の嫌なところ」というテーマで行こうと思います。 ぜひ、ご参加ください。 36回と言うことですが、ありがたいことにポシャリもせずに三年間続いたことになります。 皆様のおかげです。 今後もご支援宜しくお願いもうしあげます。 第34回報告「互助会葬儀、徹底研究!」 9月のワークショップを、9月15日に開催いたしました。 第34回目となりました。 秋の連休の前日だったせいか、それともテーマが今ひとつだったせいか、参加者はかなり少な目で、私も入れて、4名でした。 今回のテーマは「互助会葬儀、徹底研究」でした。 メンバーは4名ですから堅苦しくなく、気軽なおしゃべりという雰囲気で終始しました。 まずテーマから入りました。これは当然ですよね。 葬祭互助会の歴史だとか、あちこちで起こって居るトラブルなど、私が調べてきた事をお話ししました。 参加者は互助会については聞いた事はあるけれど、加入もしていないし、詳しく知らない。 という方々ですから、ほとんど聞き役、質問役。で私が説明する。と言う形の進行になりました。 普通の葬儀社でも、互助会でも言える事ですが、親切できちんとしたところと、そうでないところと玉石混淆。自分の目と耳でしっかりと、業者を見極めなくてはいけない。ということは同じ事なのです。 そして、互助会を名乗っていても、株式会社です。 利益を追求する、営利企業であるということをしっかりと認識する事です。 普通の葬儀社と同じ株式会社です。互助会という方式で、事前に積み立てをしておいて、あとから役務を提供してもらう。そこが違いなのです。 普通の葬儀社は、積み立てがなく、役務を提供してもらって、その金額を支払うわけですが、互助会はこれだけの葬儀をしてあげますから、お金を積み立ててください。と言う事が違いであるということです。 で、この金額これだけの事をします、という約束が、約束する方と受ける方の食い違いが出てきてトラブルになるということが多々あるわけです。 で、日本の年寄りは、まだまだ自分の葬式の費用くらいは残しておきたい。葬式で、子供達に迷惑をかけたくない、という気持ちが強いのです。 そういう年寄りの気持ちと、その積み立てでそこそこの葬儀が出来る、と言う互助会制度とがうまくマッチして毎月2−3000円の掛け金なら払っていける、そして子供達に迷惑もかけなくて済む。 そういう年寄りの気持ちに互助会制度は支えられているのではないでしょうか。 そして、互助会制度を取る葬儀社が、そういう年寄りの健気なともいうべき、純粋な気持ちにキチンと応えているのか?そこは是非とも検証してゆくべきであろうと思うのです。 で、私が相談に乗った事がある、新潟の有名な互助会制度のA社についての事項を話させてもらいました。 祖母がもう長くないと言う状況で、祖母が互助会に入っていた、ということでA社で葬儀をしたらいいのかしない方がいいのか?と言うところからの相談でした。 お孫さんが葬儀を出さなくてはならず。お金はかけられない。という大前提があったのです。 それで私どもはA社に出向いて、その掛け金でどのような葬儀が出来て、最終的な見積はどうなるのか?という事前相談に行ったのです。 でも、なんと驚いた事に、おばあさんが亡くなってから細かな打合せをさせてください。今そういう細かなお話は出来ません。という、まことに呆れるような対応をされたのです。 せっかく積立金で囲い込みをしてきたお客を、事前相談で手の内を見せて、逃げられては困る。そういうことなのか?と痛くもない腹を探られても仕方のない様な対応でした。 先程は、加入する年寄りの互助会に入る理由、期待などを書いたわけですが、会社側からすると互助会制度はたんなる顧客の囲い込みと、資金繰りの良化のためとしか考えていないのではないか。そう思われても仕方ないでしょう。 そもそも互助会というは、祭壇がないようなコミュニティで、みんなでお金を出し合って祭壇を買って、それを葬儀を出す人たちがみんなで共同で使っていく。そういう物から発足した。と物の本には説明されています。 しかし、今の互助会制度のなかに、そういう会員互助はどこにも見あたりません。 その会社が、集めた掛け金で資金繰りが良くなって、豪華な葬儀会館を次々建設する。 詰まりなけなしのお金を掛け金として集めて、株式会社がそういう掛け金で支えられていると言う図式である、という意見に反論出来る互助会はあるのでしょうか? もちろん悪い面ばかりではない。これは確かだと思います。 きちんと理解して、互助会でこれだけの事が出来ればよい、と認識をしっかり持って、それを加入の時に説明を受けて確認をして、過大な期待を抱かずに上手に利用する。 それが出来れば悪いものではないと思います。 しかし、それを出来る人がどれくらいいるか。また互助会制度を取る会社が、互助会加入の為の営業社員をノルマ制で使い捨てのような形で、教育も充分にせずに働かせていると、加入時と話が違う、そんな説明聞いていないと言うようなトラブルは当然起きると思われます。 そして、残念ながらトラブルが起こった時に、お金はすでに払われてしまっているという、消費者としてはとても弱い立場に立たされる。と言う事になります。 解約しても満額は戻ってきませんしね。 やはり、賢い消費者になって、自分の目と耳でしっかりと調べて、十分納得して利用する。 そういうことが、一番大事な事でしょうね。 と、互助会の話しの後、4人ですから、いろんな事をおはなしました。 散骨の事やら、私の父の癌の告知の話しだとか。 そういう少人数での死に関するいろんな話しが、良いんですよね。聞きたい事もすぐに聞けるし。 でも、その少人数で話された事をここで詳しく書くと、せっかくの参加者の特典がなくなってしまう・・・。 って、嘘です。 あまりにもあの話この話しと多岐に渡ったので、わたしにはそれを書く能力がないと言う訳なんです。 次回にでも、あなたがご参加の時に、少人数だといいですね。 ぜひ、それを期待してご参加下さい。 次回は、10月22日。第三金曜日。テーマは「骨葬を提案します。まず火葬を先に」と言うテーマにします。まず、火葬を先にしてしましましょう。御骨になれば、葬儀は自由に出来ます。場所も日時も。そういう発想を転換して、価値観も転換してみませんか? ご参加お待ちしています。 第33回報告「葬儀無しの火葬だけ。どう思う?」 8月のワークショップを、8月19日に開催いたしました。 第33回目となりました。 参加者は私も入れて、8名でした。 今回のテーマは「葬儀無しの火葬だけ。どう思う?」です。 火葬だけなんて出来るの?と言う疑問を持たれた方は多かったようです。 それで、テーマを見て初めて参加してくださった方がいらっしゃいました。 まずはじめ、先回の生前葬の話しをホームページで読まれて、質問や感想が雑談形 式で語られました。 やはり、関心を持たれている話題のようです。 そのような雑談をするうちに、参加表明してくださった初めての方がいらっしゃっ て、ワークショップを始めたのです。 まず、いつものように簡単な自己紹介から。 そして、火葬だけ。葬儀はしない。 そういうことが実際にあるのか?またやるにはどうするのか? ほんとに可能なのか?など、一気に色々な疑問が吹き出ましたので、私が経験して いる事など交えながら、現状やら、やるとしたらどのようにするか。 など、お話しさせて頂きました。 ほとんどの参加者の方は、実際に火葬だけ、葬儀無し。という例が結構たくさんあ るということ。 私に現実にそのような相談がかなりあるということに、びっくりされていました。 事実、私が新潟市在住の方から相談を受けて、何軒かの葬儀屋さん、葬儀関連の業 者に「実際に火葬だけやって貰えるか?でいくらくらい掛かるか?」と問い合わせ した経験などもお話ししました。 問い合わせた全部の業者が、火葬だけでもやります。と答えた事。それにもみなさ ん驚いていました。 私は逆に、みなさんが火葬だけで葬儀無し、ということが出来ない。と思っている と言う事にびっくりしました。 そして、問い合わせた業者がだいたい20万前後で葬儀なしの火葬だけをしてくれ るという報告をさせてもらいました。 現実にどのようになるのか。 こういう場合はどうなるのか。 などみなさん、いろいろ質問をされました。 参加者の方は、みなさん何らかの形で葬儀、またはお別れの会などをしたいと考え ている方がほとんどだという状況の中で、そういう形がありうる。ということは理 解されたようです。 で、家族だけで、まず火葬をして、そこは葬儀社の手を借りてお骨にしてしまう。 そのあと、しっかり準備と計画をして偲ぶ会などを開催する。というのも十分検討 に値するやり方だという意見が出て、みなさん頷いていらっしゃいました。 遺体が無くて、お骨になっていれば、葬儀社のホールなどを借りなくても、ホテル でも居酒屋でもどこでも自由に偲ぶ会などを開催出来るわけです。 遺体があるから、会を開催する場所が限定されて、葬儀社のホールを使ったりしな くてはならないわけです。 また、青山斎場を使って、なるべく自分の手で火葬だけを行うやり方なども、お話 ししました。 しかし、やはり20万くらいなら葬儀社の方に頼んだ方が便利かな?と考える人が 多かったようです。 世の中には、葬儀を行わず、火葬だけですませる。 そういうことは、かなりの数行われています。 身寄りのわからない行き倒れとか、葬儀を上げてくれる身内のない生活保護を受け ている人などは、福祉予算から、ぎりぎりのお金がでて、火葬だけやることになり ます。 また、亡くなった人が高齢。喪主も高齢でもう年金生活者。葬儀をやっても誰も来 ないし、香典も集まらない。葬儀にお金かけられないので、火葬だけにする。とい うような経済的理由で葬儀なしの火葬だけ。 これも想像以上に多い事も事実です。 そういう葬儀には、参列者がないから、わからないだけ、ということなのです。 まあ、色々な理由はあると思いますが、葬儀なしの火葬だけ、と言う選択肢もある、 ということを知識としてわかっていることは、けっして損にはならないと思います。 ほかに、葬儀なしで火葬だけやって、お寺のお墓に入れるのか?と言うような質問 も出されました。 まあ菩提寺がある方が、火葬だけというのはなかなか無い話しだと思いますが、そ ういうときは事前にお寺さんとよく相談してみてください。というしかありません でした。 火葬の後、お骨をどうするか? これを色々考えあぐねている方は、今回の参加者ではかなりおられたようです。 散骨か、檀家でなく檀徒と言う新しい形(個人対応)で永代供養をしてくれるよう なお寺か、とみなさんの知っている知識をそこで披露しあってくれました。 みなさん、色々考えていらっしゃいますね。 最後は、遅れながらも今日も参加してくれた、ご主人の生前葬を実行に移したXさ んに生前葬の事をもっと聞きたいと言う事で質問が集中しました。 X氏は元気で絵を書いていらっしゃるそうです。 そして、はじめ生前葬に反対しておられた親戚の方が、実際に参加してどういうも のなのか理解して、ご自分も癌の告知をされていたので、生前葬をやってみなさん とお別れの会を持った、という報告がX夫人からありました。 頭で考えているより、実際に見て理解するということの力。 それを感じさせてくれるお話です。 その後、痴呆がある老人を受け入れてくれるところがない。 という現状を話してくれた方がいらっしゃいました。 なかなか大変で、難しい問題です。 時間も過ぎていましたので、それ以上つっこむ事が出来ず、いつかテーマに取り上 げないといけない問題だなあと思いつつ、ワークショップを閉会といたしました。 第32回報告「生前葬やりました。その報告」 7月のワークショップを、7月21日に開催いたしました。 第32回目となります。 参加者は私も入れて、9名でした。 今回はお約束どおり、「生前葬やりました。その報告」ということです。 ところが、その報告をしてくれるX夫人(今回生前葬をやられた方の奥さん)が 事前に連絡くださいました。 急に仕事が入って、当日は6時半に会場に行かれない。7時半くらいにならないと 参加できない。ということなんです。 それで急遽、私がまず聞き取りをさせていただいて、写真などもお借りして、先に 私が概要をお話している。 そしてX夫人が会場に来られてから質疑応答をしていただく。 と言う風にやり方を決めて、事前に聞き取りし、レジュメを作っておきました。 今回のテーマを知って、初めてご参加くださった方3名。 またこのテーマはぜひ聞きたいと、久しぶりにお出かけくださった方など、みなさ んとても関心を持ってくださってご参加くださいました。 まず私の聞き取りしたことを、会の写真を見ながら話をしました。 写真もとても楽しい会というのが伝わってくる写真です。 そして病気を感じさせないようなお元気で楽しそうな笑顔のご主人に、「この方 が?元気そうで信じられないくらい。」と言うような声がたくさん聞かれました。 その後、X夫人が来て下さって、質疑応答が始まりました。 そしてご主人の近況など聞かれることは全部答えてくださいました。 そして、こういう形で「生前葬、お別れの会」が出来たことは、本人は勿論、家族 全員にとってとてもよかった。とお話してくれました。 ご主人もこういう会がやれたことに大変に満足しているようだし、今は事後の整理 やら注文を受けた絵を描いたり充実した毎日を過ごしているということです。 事後の整理に、ご主人は参加者に写真と感謝の手紙を送ってるということです。 その感謝の手紙の中に、「自分の人生の中で出会った人々と、最後に会って心に刻 み込んで生きてきた証としたかった。今は皆様に感謝するのみです。」と言う文章 が披露されました。 ワークショップに参加して、色々お話を聞かせてもらっていたし、相談したらこう いう形の生前葬はいかが?とヒントが貰えたし、参加して勉強していてとてもよか ったと思います。と言って下さいました。 今回の生前葬は、涙と笑い、そして感動をみんなが感じることが出来た素晴らしい 会だったということで、ワークショップ参加者全員、同感したのでありました。 ここで、私が聞き取りをして作ったレジュメを載せておきます。 7月21日ワークショップ「生前葬やりました」レジュメ ■生前葬ということについての共通認識 ・「生前葬と父の本」小池百合著 出版社: fulmine (2004/04) ・余命を告知された後、命があるうちにお別れをする。 ■Xさんが生前葬をやることになった経緯 ・4月下旬に医師から本人に対して、癌により余命を3ヶ月から半年と宣告される。 胃癌が肝臓やリンパにも転移している。本人は飲食店経営64歳。すぐに店を閉め て身辺整理の後5月連休明けフラフラになって入院。家族には本人より宣告。妻、 長男23歳、次男21歳。 ・X夫人がワークショップによく参加していた。4月のワークショップでは、告知 すぐで動揺し、口に出せなかった。5月に会の中で相談。夫人や子供達の希望は家 族だけのこじんまりとした葬儀。ご主人の希望は大勢が集まる葬儀希望。この写真 使ってこのコック衣装を棺になど家族に話す。葬儀についての考えが本人と家族と に食い違いあった。家族の希望を聞いて、友人が自分たちで友人葬を出す、と話し ている。どうしようかと悩んでいた。 ・その会で「生前葬がいいのでは?」と本を紹介。みんなで生前葬のやり方など話 した。X夫人はすぐに本を取り寄せ、夫に本を見せて開催を進める。 ・Xさん、本に感激、ぜひやりたいと大変乗り気。同室の患者にも回覧した程。そ れ以降、本人と友人で計画、準備を進めた。6月25日に実施と決定して、約一ヶ 月で準備した。 ・引き出物に絵を描くのが好きで自分で書いた絵をあげようと、絵をずっと描いた。 病院の先生も協力的で出席を約束。 ■案内発送周りの反応は ・一様にびっくりした。聞いたことがない。変人だと思っていたが変わっている事 する。親戚で賛成できないと不参加表明の人もいた。 ・問い合わせいろいろあった。お坊さんは来るのか?お経をあげるのか?どんな服 装で行ったら良いのか?香典はどうしたら良いのか?などなど。 ■生前葬の実施 ・Tホテル(Xさんが修行した出身ホテル)にて夕方5時半から開始、午後8時半 まで続いた。 ・TホテルOB会、従兄弟会、飲料業組合、の三団体が中心に。全国各地から12 0名の参加者があった。案内出した人が100人聞きつけて駆けつけた人が20名 程。 ・ヨサコイソーランで始まり、手品、Xさんの挨拶、本人が司会をして各テーブル からの挨拶を貰って昔を偲んだ。その後大好きなカラオケ大会(賞品付)最後に本 人が歌い、子供達が歌い、家族四人で合唱(初めてのこと)、そして花束贈呈。ま た組合から感謝状贈呈などもあった。最後にXさんの挨拶。感極まって言葉がつま り、会場から掛け声や励ましで騒然。涙涙で締めくくった。 ・実に楽しい会だったし、涙もたくさん流した泣き笑いの会だった。 ■X夫人の感想 ・二度目の結婚式のようだった。(結婚式も引き出物はXさんの絵だった)結婚式 以来、会っていない人とも挨拶が出来た。 ・とにかく派手好きのご主人にふさわしい派手で楽しい会だった。 ・自分の知らないご主人の知り合いと、いろいろ話が出来たしお近づきになれた。 これが葬式だったらこんなにいろいろな話を笑いながら出来なかったと思う。 ・自分も子供も、今まで知らなかったご主人の友人知人、知らなかった面を沢山見 せてもらった。ご主人が温かい人たちに支えられて生きてきたことを実感し感動し た。 ・最後に盛り上がって、4人で肩を組んで歌えたのがよかった。長男とご主人はも うひとつしっくり来なかった面もあったが、一気に解けたことがうれしい。 ・ホテルと言う華やかな場でやれたのがよかった。 ・涙も出たし、笑ったし、多くの慰めをもらってそして感動した。 ・家族よりも仲間と生きてきた人。家族旅行もしたことがなかった。自由人で放浪 癖があって仲間作りをずっとしてきた人だったが、最後に家族が一つになれた。ま たそんな人だから生前葬もこのように盛大に出来たのだと思う。 ・本人は盛大な葬式が希望だが家族はそういう面を知らない。家族の希望はこじん まりとした葬式だった。亡くなってから葬儀やったらその人たちに連絡すら出来な かったと思う。今回は本人の満足度が一番大きい。とにかく良かった。 ・あの本の果たした役割は大きかった。共通認識すぐに持てた。 ■参加者の感想 ・生前葬に賛同者が多かった。自分もという人も多かった。 ・長男をご主人の知人の中に引き回して紹介してくれた人がいた。 ・ご主人の公的役目をこの会でバトンタッチできた。 ・案内状に通信欄あったがみんな励ましなど寄せてくれた。「奇跡信じる。」など も言葉もあった。 ・参加者で会の後、自分の行く先を考え、店を閉めて今後の準備始めた人がいる。 ・Xさんだからこんなことが出来たんだと思う。他の人ならこんなに人が集まらな い。 ・ホテルも大サービスしてくれた。一年後にもまだ生きているだろうから一周年記 念をやろうと言う声も。 ■Xさんは ・本人が一番乗り気だった。準備や絵を描くのに大忙し。精力的に動いた。 ・疲れたようだ。興奮と緊張だったと思う。 ・病状はまだ大きく変わっていない。絵の注文を貰ってそれを描いたり、展覧会に 出す絵描いたり、写真整理して送る準備したり、会の後も忙しく動き回っている。 気が張っているようだし好きなことに没頭して幸せだろうなあと思う。 ・挨拶の中で、本当の葬式は家族でこじんまりとやるし遺骨は散骨にすると宣言し た。 ●案内状の文章 拝啓 初夏の候皆様方におかれましては ますますご健勝のことと存じます。 この度 Xとの「感謝とお別れを楽しむ会(生前葬)」を開催する運びとなりま した。この会は本人の強い希望で縁ある人達( )他の皆様とともに大 勢の方と一緒に過ごしたいと思っております。 楽しむ会でございますので、皆様方には気軽な気持ちでご参加いただき 楽しん でいただきたいと存じます、ご参加の程よろしくお願い申し上げます。 敬具 記 日時 平成18年6月25日(日)午後5時半〜 会場 Tホテル「××の間」 会費 6000円 ※整理の都合もございますので、返信は6月15日迄にお願いします。 さて、次回のワークショップは、8月18日です。 テーマは「葬儀無しの火葬だけ。どう思う?」ということで、最近少しずつ増えている 火葬のみで済ませる。そのやり方と考え方を話し合いましょう。 第31回報告「葬儀にいくらかけるのが適正だと思いますか?」 6月のワークショップは、第31回目。 6月16日。いつものように、第三金曜日に、新潟市関屋地区公民館で行われました。 参加者は私も入れて、7名でした。 今回のテーマは「葬儀にいくらかけるのが適正だと思いますか?」でした。 ところが、今回はこのテーマに触れることは一度もなかったのです。 というのは、いつものように雑談からはじまりまして、太陽の運行など、死には あまり関係ないような話で雑談が進んでおりました。 開始時間を少し回ってから、先回も参加してくださって、ご主人が重篤な病気に かかって余命を医師から本人に対して告知された、という方(Xさんとします) が少し遅れて参加してくれたのです。 先回はその方の話から、家族葬をして送りたい、と言う希望を聞かせていただいて、 色々お話しするうちに、このサイトでもご紹介した「生前葬と父の本」にあるよう な生前葬をやってみたら?という話が出て、Xさんも乗り気になってお帰りになっ たのです。 しかし、そのあとわたしが連絡が付けられず、ずっと状況をお聞きすることが出来 なかったのです。 もし今日出てこられたらお聞きしたいなあ。 そう思っていたわけです。 そこに、ご参加いただいたものですから、うれしくなって、すぐに「生前葬の本は 探せましたか?」と声をかけたのです。 Xさんは、「はい、本屋さんで取り寄せてもらって、すぐに手に入りました。」 ということで、まず自分が読んで、それですぐにご主人に読んでもらって。 ご主人は涙を流して感激して、ぜひこういう生前葬をやりたい。と言ってくださっ たそうです。 友人にもその計画を話し、協力してもらって、会場の手配やら、招待状やら準備を どんどん進めて、6月の下旬には開催されるところまで行っているというのです。 聞いているみんなももうびっくり。 実行力のある方だとは、存じ上げていましたが、いやさすがさすが。 ご主人も、なかなかですなあ。とみんな感心しきり。 それから、質問の嵐です。 反対者はいるか?とか、友人の反応は?とか数え切れないくらいの質問が浴びせら れました。 それらを要約すると、友人たちもみな賛同してくれて、協力を惜しまなかった。 「生前葬と父の本」を見るとほとんどの人が、感激して、いいねえ、こういうのを やりたいね。という反応が大多数だとか。 ご主人は感激して、同室の患者さんたちにまで本を読ませて回ったとか。 主治医も、告知をこういう風に受け止めてた患者や家族は初めてだそうで、全面的 に協力を約束して、当日生前葬にも参加してくれることになったとか。 会費を徴収するという形で、市内のホテルで開催するとこととなって、ホテル側も 全面的に協力してくれているとか。 案内のハガキには、しっかりと「お別れの会(生前葬)」と書いたということで、 その案内はがきも見せてもらいました。 そのはがきを100枚くらい送ったけれど、ほとんどの人が参加してくれるし、 はがきがないのに聞きつけた人がぜひ参加したいと言って来ている。 さらに子供の友だちとか招待された人の家族とか想像以上の輪が広がっているとか。 でも、親戚の人の中には生前葬ということで、反対する人もいるとか。またご近所 の人で「生前葬でなくて、本当の葬儀の方に参列したい。」と言っている人がいる とか。 さまざまな波紋を起こしていることは確かなようです。 今回は「生前葬」という誤解を招きやすい事柄が、「生前葬と父の本」という本に よって各自がばらばらの理解ではなくて、一定の共通認識を持って計画し、始めら れたということがとても大きいことではないかなあ、と思います。 Xさんは、計画にはあまりタッチせず、ほとんどご本人とその友人たちで進められ ているそうです。そして、ご主人もみなさんに差し上げる絵を毎日書いて準備をし ているそうです。 しかし、ここに来て体力がガクンと落ちてちょっと心配しているということでした。 ぜひ、ここはもうひと頑張りして、元気な姿で皆さんとお別れをしてほしいなあ、 とお話を聞きながら強く思ったのです。 そして、来月のワークショップには、またXさんが参加してくれて、写真を見せて もらいながら、どうだったのか、詳しくお話してくださるという約束を取り付けた のでした。 ということで、次回のワークショップは「生前葬やりました。その報告」と題して 開催することになりました。 大変興味深い話になると思います。 ぜひ多くの方、ご参加ください。 日時は7月21日金曜日。新潟市関屋地区公民館です。 第30回ワークショップ報告「さて、ここで死ぬ。として何を言いますか?」 今回のワークショップは、5月19日。 いつものように、第三金曜日、新潟市関屋地区公民館で行われました。 回数は重ねて、ちょうど30回目です。 今回のテーマは「さて、ここで死ぬ。として何を言いますか?」でした。 今回の参加者は、私を入れて5名。それも私以外は女性だけ。というちょっと 今までには無いようなメンバー構成でした。 ところが後で考えると、このメンバーになったのは偶然なんだろうか? 何かの意志が有って、わざわざこのようなメンバーが集まったのではないか? と思われるような絶妙な参加人数であり、参加メンバーだったのです。 まずは、参加メンバーが少ないので、雑談からはじまりました。 その中のお一人が、葬儀について、それも密葬とか家族葬とか、いろいろ聞き たいようなそぶりでした。 そんなことについて、大雑把な話をしながら、雑談をしていました。 わたしは参加者はこれで終わりかなと見定めて、雑談をこの辺でと言うことで 終わりにしました。 さて、それではテーマについて話をしましょうと、私が振りを入れました。 それに対して、反応が参加者から一つ二つ有ったのですが、すぐにまた、さっ きの密葬、家族葬についての話に戻ってしまったのです。 だんだん話すうちに、先ほどから密葬についての事を聞きたがっている人が、 実は自分の旦那様が癌の告知を受けて余命も宣告されている。 それについて、自分は葬儀をどうするかとか、悩んでいると言う話になったの です。 そういう、具体的な悩みがあるのであれば、ということで、今日のテーマはも うすっ飛ばしてしまって、その人の考えや状況などをお聞きすることにしたの です。 その方も、かなり具体的に話をしてくださいました。 ご自分の考え方、ご家族の考え方、旦那様本人の考え方、そして友人などの話 などいろいろしてくださって、葬儀だけと言うよりこれからのこと全般につい てどうしたらいいのかな?と考えていらっしゃると言うことなのです。 参加者のお一人は、ご自分の葬儀をこうして欲しいという文章を紙に書いた方 がそれを見せてくださったり、ご自分の義妹がきっちりと文章化して思うよう な葬儀をするように準備してなくなられた話など、してくださいました。 そんなことで、話を進めるうちに、そういう状況であれば生前葬をやってみて はいかがです? と勧める人が出てきました。 本人が自分の病気や余命をきちんと知っていること。 家族が、死んだ後の葬儀よりも、残っている時間を有効に有意義に使いたいと 思っていること。 友人がなんとかその旦那様の力になってあげたいと考えてくださっていると言 うこと。 等を考え合わせて、生きているうちに多くの友人と最後の会に集まって、旧交 を温めサヨナラを言ったらどうか?と言う提案になったのです。 前にワークショップで紹介した「生前葬と父の本」という書籍の内容に触発さ れての提案でした。 それを聞いて相談者は、急に笑顔がほころんで、「それはとってもいい考え。 自分にも家族にも、旦那本人にもとってもいいことだと思う。」と言いました。 それからは、ああしたらいいのでは、こういうことも出来るよ。と話が弾みま した。 そして、その人は「急に忙しくなるし、先が見えてきてとってもうれしい。」 「ただじっと待つよりこういう事で、皆が同じ時間が取れることはいいかもし れない。」と早く帰ってみんなと話をして、計画してゆきたいというような笑 顔でいっぱいでした。 私たちも、これからお手伝いが出来るようなことがあれば、なんでもしましょ うということで、あっという間に時間が来てしまいました。 この生前葬はぜひ実現してもらいたいと思います。 また、どういうことになったのか、いい報告がここで出来るといいな、と思っ ています。 こういうワークショップになったことは、とてもよかったと思います。 そして、さっきも書いたように、このメンバーだったからこういう話が出来た と思います。 まさに、何かの力が働いて、今日のワークショップになったのではないか?と 思わされました。 第29回ワークショップ報告「健康で楽しい老後をすごすために」 4月21日、第三金曜日。 ワークショップの第29回目を、いつものように新潟市関屋地区公民館において開催しました。 テーマは「健康で楽しい老後をすごすために」というものでした。 参加者は、荒れ模様の天候の中、わたしを含めて9名のメンバーで開催するこ とが出来ました。 参加者の中の、M氏はいつも茶などの心遣いをしてくださるのですが、今夜は コーヒーメーカーを持ち込んでくださり、淹れ立てのコーヒーをみなさんにご 馳走してくださいました。 美味しいコーヒーで、一息入れて楽しませてもらいました。 今回の「健康で楽しい老後をすごすために」と言うテーマで行われたワークシ ョップ。 今までの例ですと、健康法やら、気持ちを若く持つ秘訣やらそんな話をしてき ました。 今回も今までのような、話が中心に進むかな?と思っていました。 ところが始まってみると大違い。 老齢化社会が進む中、団塊の世代が定年を迎えてくる昨今、日本全体を変えな くてはいけないし、当然変わってくるはずだと言うような、堅く大きな話とい うか、個人の生き方というより、政治、経済の話にまで突っ込んだ話になりま した。 しかし、老後を生きるということは、制度の問題や、政策の問題にも話を進め ないといけないことが沢山有るわけで、当然の帰結であると言えるでしょう。 まず始まりは、最近出来た「ささえあい生協」のパンフレットのタイトル「老 いることは、素晴らしいことだ。」という素敵なことばについて、皆で話しま した。 今は老いることのマイナス面ばかり強調されて、話されているけれど、老いる ことのプラス面もありますよね。ということで、いろいろ話しました。 まず、老いることは楽しいと言う人も居りました。今まで分からなかったこと が分かるようになる。 自分の親が、あのころ何を考えて何を感じていたのか、それが分かるようにな る。そして何よりも、次の世界に行くことが近づいてくることがうれしいと。 また、だんだん物が要らなくなって、お金も使わなくなる。持っているものも どんどん人にあげたり手放していって、どんどん身軽になっていく。 若いころのような、ほんとに必要かどうか分からない、社会やマスコミなどで 作られた物欲、欲望からだんだん自由になり、本当に必要なものしか欲しくな くなる。 これが実に精神衛生上もいい。と言うような意見も出ます。 そのようなことから、今の若者の、過酷な仕事中心主義。私生活の先細り。仕 事以外の繋がりの希薄さなど、危険な兆候が話されました。 いまのまま行ったら、若者はどうなってしまうんだろう。という強い危惧が感 じられます。 そして、その親の世代でもある団塊の世代が、これから定年になっていくこの 時代、今の老人政策でやっていけるのだろうか? また、老人自体も変わっていかなくてはいけない、という前向きな発言もでま した。 単に、リタイアした人として、社会におんぶに抱っこ、と言うのではなく、働 ける人は自分の能力の中で働き、お世話が必要な人はお世話を受ける。 老人と言っても、その個人差は大きく、一くくりでは見えてこない。 もっと、個人差を踏まえて、働ける人はワークシェアリングしながら働くとか、 人に自分の出来る役立ちをする。そういうことで老人も社会も変わってゆくの ではないか? 「ささえあい生協」のように。老人が老人自らを支えあったり、老人グループ で営利目的の集団が立ち上がってきてもいいはずだ。 という、団塊の世代の老齢化に期待を寄せる声が出ました。 また、日本は同じような世代で、グループが出来ているけれど、もっと世代を 超えた異世代交流のような集まりやコミュニティがもっと出てきて欲しい、と 言う期待も寄せられました。 これからの老人は、自らを助ける。そういう気概を持って、社会の有用な人材 として活躍する老人が沢山輩出してこなくてはいけないし当然排出してくるは ずである、というのもおんぶに抱っこは無理な時代になったのだから。 ということです。 最後に、歳をとっても、ボーイフレンドガールフレンドでなく、レディーフレ ンド、ジェントルマンフレンドという異性の友人を持ち、人としてますます自 分に磨きを掛けて魅力ある年寄りになって行きましょう。 と言う結論が出まして、楽しい二時間があっという間に過ぎ去ったのでした。 さて、来月は5月19日、金曜日が第30回のワークショップです。 同じ新潟市の関屋地区公民館で行います。 しかしこのワークショップは楽しいものです。テーマを決めますが、想像のと おりに話は進みません。 参加するひとの興味や考えなどで、どんどん話の幅が広がります。これが楽し さですね。 次回も一応テーマは決めますが、さてどんなことになりますやら、それはまた 来月の楽しみと言うことで。 でテーマは「さて、ここで死ぬ。として何を言いますか?」とします。 お気軽にご参加ください。 第28回ワークショップ報告「改めて葬儀通夜のやり方を考えましょう」 3月17日、第三金曜日。 ワークショップの第28回目を開催しました。 テーマは「改めて葬儀通夜のやり方を考えましょう。」ということでした。 今回は、わたしがはがきの案内の日付を3月17日とすべきを2月17日と間違えて書いてしまいました。 そのせいもあってか、来ていただいた方は私を含めて6名と少々少なめ。 開始前の雑談のときに、新潟日報に載った「最近家族葬が増えている」という記事の話になりました。 わたしは最近いつも思うんですが、家族葬ってきちんとした定義が無いと思っているんです。 言葉だけが独り歩きして、なんか家族葬という明確なものがあるように思われていますが、いくつかの葬儀業者がそういうネーミングのもとに、比較的安価な葬儀セットを商品化している。 そういうことなんだろうと思います。 そんなことから、一気に話の本題に突入したということです。 遺族の弱みに付け込んで、法外な値段を吹っかける葬儀業者もあります。 そんなことから、葬儀の値段が高い。それで安い値段で葬儀をやりたい。 人に来てもらわなくて、内々でやればお金もかからないだろう。 そういう安易な発想で、ちゃんとした考えも無く家族葬という商品に飛びつく。 これも、良し悪しだろうと思うんです。 やはり、故人の意思、遺族の考えで、どういう葬儀をするか、どういうお別れをするか。 そこをはっきりさせて、その上できちんと葬儀社と話を詰めてゆく。そういうことが大事だと思うんです。 安く上げたいということばかりで、故人の友人知人にも知らせず、ご近所にも知らせず、内々だけで済ませてしまう。 あとで聞きつけた友人知人が、お別れをしたかったのに。というような話が聞こえてきます。 死というのは、ある意味社会的な側面もあるということを理解しないといけないと思うんです。 社会の中で、多くの人々と生き抜いてきた。そして死が訪れた。それは確かに家族の人の悲しみであるわけですが、そういう社会的なつながりのあった方々にとってもつらい別れ、そして亡くなったならそのことを知りたい、またお悔やみを言いたいという別れであると思うんです。 それを、家族の都合で社会的側面を切り捨てていく、というのはある意味とても配慮の足りない行為になってしまう可能性をもっている。そう思うんです。 どうお別れするか、どう見送るか、それを普段からしっかり考えて話をしておく必要があります。 これはいつもいつも言っていることではありますが。 その後、話はお寺のあり方、お坊さんにこうあってほしいというような話などなど、少人数ながらわたしも話したい、いいやここは私がと言うような状況でした。ちょっとオーバーですが。 みなさんご自分の意見や考えを積極意的に話してくださいました。 通夜はパーティがいい。 お酒を片手に、皆といろんな思い出を語りおう。 そこで改めて懐かしい人と会える。 また既知の知人がいて、あなたはどういうつながりで?などと新しいつながりを確認したり。 そして、告別は近しい人が寄り集まって、荼毘に付される時を一緒にすごす。 そんな役割を通夜と葬儀に持たせたらいいのかな?なんて話もしました。 終わりに近づいて、通夜葬儀は、時間的な制約もあるので身内だけでやって、49日になる前の皆が集まりやすい日を選定して会費制、香典は不要という形で偲ぶ会をやりたい。 という意見の方に賛同が集まったようです。 新潟の葬儀業者。 それも互助会形式でやっている業者に、事前相談に行ったらきちんと相談に乗ってくれなくて、それは亡くなってからお話します、と手の内を明かさないような対応をされたというのです。 そういうひどい体験談を聞き、みな憤慨をしました。 そういう業者は良くないですよね。 みな万一のことを心配して聞きに行くのに、自社の商売のことばかり考えて。 もうお客になるのは決まっているんだからと、知りたいことを教えてくれないなんてひどい話だと思いました。 変に知られて、逃げられたら困る、なんて馬鹿な考えなんでしょうね。 困ったことです。 さて、来月は4月21日、金曜日が第29回のワークショップです。 同じ新潟市の関屋地区公民館で行います。 テーマは「健康で楽しい老後をすごすために」というテーマで、老後の健康管理や呆けなし老人になるための秘訣など楽しくお話しましょう。 お気軽にご参加ください。 第27回ワークショップ報告「通夜のやり方を考えましょう」 2月17日、第三金曜日。 ワークショップの第27回目を開催しました。 テーマは「通夜のやり方を考えましょう」ということでした。 今回は、新たな参加者、また久しぶりにおいでくださった参加者、など私も含めて9名の参加者で会を進めることができました。 最近続いていた、死んだらどうなる?系の話の会と、若干メンバーが違うようです。 やはり、テーマを見て、それとご自分の都合と合わせておいでいただいているようだと、改めて感じました。 まず、人が亡くなって最低何が必要なのか?と言う話からはじまりました。 初めてご参加の方で、ご自分の葬儀をどうしたらよいか、真剣に考えていらっしゃる方がおられたのです。その方からの質問で幕を開けたのです。 いつもやるはじめの私のご挨拶もそこそこ、すぐに核心に突っ込んだ話で始まったわけです。 どうしても必要なものは、死亡診断書と、棺。これさえあればということから、棺の話、死亡診断書の話、遺体搬送の話、などなど葬儀通夜にまつわるいろんな話、質問が飛び交いました。 私も知っている限りの、お答えできるだけのことはどんどん話しをさせていただきました。 私は葬儀業界に詳しいわけですが、その内幕話みたいなこともさせていただきました。 今回は「新しい通夜のやり方を考えましょう」ということでしたが、通夜葬儀の現状を知ること理解することで大半の時間を取りましたし、それでよかったなあと思います。 やはり、現状を知り、本来あるべき姿を考えてゆく。これが大事なわけです。そして一般の方にとって、葬儀葬式通夜など死にまつわる事柄は、知らないことが多いわけです。 昔であれば、生きているコミュニティーや大家族制の家庭の中で、死がとても近いところにあったわけですが、現代は死は遠いところに隠されるようになっています。死を身近に感じる機会が圧倒的に減ったわけです。 ですから、まず知ること、話の俎上にあげることが大事なわけです。 で、新しいメンバーの方も来られて、改めて現状把握をする場が持ててとても良かったと思います。 話の中で私が言ったことは、私が言っていることやっていることは、葬儀社の不要論でも葬儀通夜の不要論でもないわけです。 葬儀社を使って自分の予算に見合う送り方をしたい人がいて、葬儀社がそれをきちんとやってくれて、満足できる葬儀ができればそれでよいわけです。 でも現状は、葬儀社サイドの都合が優先しているような、頼む方が考えをなかなか生かせないような葬儀が多いわけです。 私はそれに対して、選択肢を増やす。ということをしたいわけです。できるだけ簡素な、安上がりな葬儀をしたいと思っているのに、出来ない。 そういう考えの人に、こういうやり方もありますよ、という選択肢を提案していると言う立場を話させていただきました。 でも、今回はみなさん、質問やご意見、噴出すように出てきました。 二時間があっという間に過ぎてしまったと言う印象です。 とても楽しい二時間を過ごしました。 次回は3月17日第三金曜日です。夜6時半から、関屋地区公民館で行います。 次回は、「改めて葬儀通夜のやり方を考えましょう」ということで行います。 今回は、まだまだ言い足りないこともあると思います。 で、私がこういう通夜は?と言う提案について、ご意見をいただきました。 今回は通夜にウエイトがあったわけですが、次回は告別式にウエイトをシフトして続編を話ししましょう。 もちろん、2月参加しなかった方も、話の途中からというようなことはなく、改めての話になります。 どうぞお気軽にご参加ください。 第26回ワークショップ報告 「生きるのが下手な人、生きることが苦手な人大集合」 2006年のはじめてのワークショップが、1月20日第三金曜日の夜に、開催されました。 「生きるが下手な人、生きることが苦手な人大集合」というテーマでしたが、今回は生きることが下手な人が少ないのか、参加者も少なめでした。 まあ、私が自分自身で生きるのが下手だなあと思ってきて、それも子供の頃から。どうしてもっと調子よく、世の中上手に渡れないんだろうなと考えてきました。 でも、今自分で辿りついた、生死観。死というのは肉体の滅びだけであって、生命の本質は決して死なない。 そして何度も自分でテーマを持って、自分で計画をしたプランで修行のために何度も生まれなおす。 という生死観を持ってから、自分の下手な生き方を肯定できるようになった。楽になった。という経験から、自分に否定的な人、生きるのが下手で嫌になっている人、集まってください。そんなに悲観することないですよ。と言いたかったのです。 参加者は私を入れて5名。今回も12月に引き続き、死んだらどうなる。そして何度も生きると言うことはどういうことなのか、ということについて、質問して聞きあったり、こういうことなんじゃあないか?と教えあったりしました。 私も、どうしてかな?と思ったことは、どうして計画や目的を忘れて生まれてくるんだろう。それをしっかり認識してきたほうが目的を達成しやすいのではないか? と言う疑問でした。 でも忘れているところで改めてそれを気がついて、目的達成の努力をする。それが大事なんじゃあないか。 そこで苦労するから、しっかりと身につくんじゃあないの?と言う意見に、わたしもそういうことかな。と納得しました。 裁縫もただまっすぐすんなり縫えば、糸尻の結び玉が取れれば、すっと抜けてしまう。でも、半分戻って縫う、かがり縫いをすれば、結び玉をとっても糸は抜けてこない。 と言う例えで話してくれました。 で、生きると言うことは、人と人の係わり合い。人とどう関わっていくかということが生きることです。 そこで、人に優しく、慈しみをもって温かく関わることができていけばいいのではないでしょうか。 今までの人生振り返って、ほんとにいい人に出会ってきた。感謝してもし足りないくらいだ。と言う方がいらっしゃいました。 まさに、そういう人は、自分から人といい関わりを持ち、そして周りにそういう人が集まっている。またそういういい面、いいことをきちんと見つめて認識できる人だということもできます。 そういう生き方が大事なのではないか?とあらためてみんなで確認した夜でした。 こうして、ワークショップで話をしているときは、納得して帰るんだけれど、また普段の生活をしていると、忘れてしまったり疑問が出てきたり、なかなか道は遠いです。 というお話が出ました。 生きることは今回で終わらないわけですから、あせらず、ゆっくりと自分のペースで進めばいいのではないですか?ということで笑いあったのでした。 次回は2月17日第三金曜日です。夜6時半から、関屋地区公民館で行います。 次回は、「通夜のやり方を考えましょう」ということで行います。 私は今メールマガジンでこんな通夜はどうでしょう?ということで書いています。 通夜は昔と大きく違ってきました。弔問の方も、生活の変化から、告別式よりも通夜に参列するということになってきています。 そうすると、昔と通夜のあり方は変わってきたわけです。それもどうも形式的な方向で、告別式と変わらないということになってきたわけです。 それでいいのでしょうか?もっとこうあるべきという形があるように思います。 そのへんをみなさんで考えて見ましょう。 ご参加お待ちしております。 第25回ワークショップ報告 「年忘れ大ホラ吹き大会死んだらこうなります独演会」 三年目に突入したワークショップ。年末の12月16日の第三金曜日に、いつもの関屋地区公民館で開催しました。 冷え込んで積雪も有り、まさに足元の悪い天候でした。 今日は参加者は少ないだろうなあ、と心配しておりましたが、案に相違してわたしを含めて9名の参加で、にぎやかに開催することができました。 今夜はわたしの独演会、ということです。 わたしがなぜ「死」というものについて突っ込んで勉強するようになったのか。 そして今、こうじゃあないかと考えている考え。ワークショップをはじめた思い。などなど話させてもらいました。 基本的に肉体の死はあるけれど、自分の本質である意識体は死なない。 そして何度も肉体を持って生き直す。 それは愛あふれる存在になるための学びの機会なんだということです。 いろいろな質問が出されました。 幼い子供が死ぬようなことがあるが、どう考えるべきか、とか。 縁もゆかりも無い人に行きずりに殺されるような事件は、どう考えればいいのか。 など最近の不条理な事件などを理解しかねるというようなことなんでしょう、そのような質問が多く出されました。 また、肉親の死に対して、どう考えるべきなのか。というようなことも質問が出ました。 結局、何度も死ななければ、つまり生き直さねければならないわたしたちです。 一回の死を重大に考えすぎることも間違いであって、何度も何度も生きるトータルな中で考えていかないと見えてこない。というような意見も出されました。 わたしがこのような考えになって、生きるのが楽になった。 それも生き方が下手だと思っていた自分の生き方。それでいいんだ。間違いじゃあないんだ。という自分の生き方に対する納得が得られたということ。 それがわたしにとっては一番重要なことであり、救済だったのです。 因果律、カルマの法則、正直者が馬鹿を見ない。 それは一回一回の人生で見ていたのでは、わからないことです。 何度も生きるということを、すべてトータルで見てはじめて正しいことなんだと納得がいくわけです。 人が生きる意味がしっかりと見えてくる。これが一番大事なことだと思うのです。 まあ、参加者皆さんがいろいろお考えを話してくださり、わからないことはどんどん質問してくださり、まさにお酒の入らない忘年会。そんな楽しい雰囲気のワークショップでした。 一年を締めくくるのにふさわしい楽しい会でした。 ありがとうございました。 来年もまだまだしつこく続けます。 皆様のご参加、心よりお待ちしております。 さて、来年は、1月20日の第3金曜日がワークショップです。 テーマは「生きるのが下手な人、生きることが苦手な人大集合」と題して、トーク新年会を開催いたします。 奮ってご参加ください。 第24回ワークショップ報告「自分はこんな風に死にたい」 今回は、24回目のワークショップ。ちょうど二年間続けたことになります。二年続いたことを大変うれしく思います。そしてご参加くださった方、案内を送らせていただいている方など多くの方々に感謝をします。 始める時は、誰も来てくれないんじゃあないか?一人でぽつんと部屋で待っていて終わり。そんなふうなんじゃないか?と考えておりましたが、毎回数の多い少ないはあるものの、楽しいワークショップを24回数を重ねられたこと。大変ありがたくうれしいことです。 内容もさることながら、私やご参加の方々と話すことを楽しみにして来て下さる方もいらっしゃるようで、大変ありがたいことだと感謝しております。 ご参加の方々は、明るくて楽しくて、前向きな方が多いのです。ですから毎回楽しくて気持ちの良い時間を過ごさせてもらっています。 今回は私を入れて、4名。最少記録かな?少ないだけに気心の知れた方々で、テーマからはずれて政治経済のことまで、大脱線ワークショップを楽しみました。大雑談大会だったでしょうか。 勿論テーマに即した話もしましたよ。当たり前ですが。 最近なくなった友人のまだ若すぎる死の話も出ました。最後まで自分らしくガンと闘うのでなくて受け入れながら最後を過ごした様子など聞かせてもらいました。 他にも友人知人の中から、あの方の最後はこうだったねえ、と思い出しながら何人かの死というか、死を迎える時の生き方暮らし方過ごし方など、話し合いました。 そうするうちに、そういう話の話題になっている人が、多くはガンで亡くなっている人が多いことに気が付きました。死と向かい合って最後を生きる。そのことで、われわれは色々思いを重ねたり、感銘を受けたりするのだと思い至りました。 以前にやったテーマ「死ぬなら三大疾病のどれがいいか?」というワークショップを思い出させてくれました。 私は、その時はガンで死にたい。と思いましたが、今回の話し合いでも、やはり死の準備。それはいろいろな実務的なこと、家族の気持ちの準備、そして自分の気持ちの準備も含めて、準備する時間が持てるガンで死ぬのがいいなあと、改めて思いました。 さて、次回は12月です。16日の第3金曜日に行ないます。いよいよ三年目に突入いたします。マンネリを恐れず、自分の気持ちがマンネリにならないように心しながら続けてまいります。皆様の相変わらないご支援をお願いいたします。 テーマは「年忘れ大ホラ吹き大会死んだらこうなります独演会」とちょっと年に一回の忘年会ということにして、私の死生観をちゃんとお話して見ようと思います。質問を受けながらと言う形でお話を進めたいと考えています。 ご興味がある方、お出かけになってください。 第23回ワークショップ報告「良い葬儀屋をみつけるコツ」 10月の21日、第23回ワークショップを表題の話題にて開催しました。 参加者は私を入れて7名。またまた、楽しいワークショップとなりました。 まず、先日、何度かワークショップにご参加いただいた、Sさんが急逝されたことを報告させていただきました。ワークショップに参加したことで、啓発されたことがあったようです。 ご自分が亡くなられたらこうするようにとご家族に書き残されていたそうです。葬儀は密葬と言う形で家族だけでやるように。そして、そのあと「お別れ会」と言う形で、この場所でこのようにやるように。遺骨は散骨で、半分は好きだった関屋の海に。そしてもう半分は伊豆大島に撒いてくれるように。ということだそうです。 お別れ会はこのような形でと、新聞に載せる死亡広告まで、日時を入れればいいように準備がしてあったそうです。 亡くなったら私に連絡するようにとも書いてあったそうです。 残念ながら、私も仕事の都合で、十分なお手伝いも出来なかったことが、悔やまれます。 しかし、ご遺族に散骨の方法などをお話してあげたこと。そして、ご遺族がお父様を偲びながら遺骨を粉にしたこと、関屋海岸で散骨したとたん、凪いでいた海が急に波立ったことなどで、お父さまの遺志を感じることが出来たということをお聞きし、よかったなあと感じております。 そんな報告をしたところ、まだ散骨をよく知らない方が色々ご質問をされて、改めて散骨についてレクチャーなどさせてもらいました。 また、ご自分の葬儀について、こうやりたいと決心している方が、なかなか子供さんたちの賛成を得られないという悩みを打ち明けられました。しかし、遺志をきちんと話しておくことで必ずお子さんは遺志を理解してくださるでしょう、とみなさんが励ましておられました。 また、他都市の地方公共団体などは、安い葬儀を上げるために、市民葬や区民葬等官主導で低価格葬儀の価格設定などしているのに、新潟はそういうことは民業圧迫と考えるのか介入しないと言う考え方に徹しているようです。それは、どっちの考え方が良いものなんだろうと意見も交換しました。 しかし、新潟くらいの規模の都市は、葬儀業者もそれほど多くなくて、ボッタクリでやればすぐに悪名が広がって、なかなか悪徳稼業は出来ない環境です。ですから、しっかりと自分のやりたい葬儀のやり方、予算を持ってきっちりと交渉すれば、おおよそ自分のしたい葬儀に近いものがやれるのではないか。そう思っていいとおもいます。 でも、自分の考えをしっかりと持っていないと、通夜ぶるまいに、屋台が並ぶような結婚式みたいに派手な宴会を提案されて乗っかってしまうとか、業者の言いなりになってしまって、失敗したとあとで後悔する可能性は十分あるわけです。 騙されるというより、自分が事前に準備が足りなくて、言いなりになってあとで泣く。そういうことがないように事前にしっかり計画して準備する。それさえ出来れば良い葬儀ができるし結果良い葬儀屋を見つけることになるんだと結論になりました。 次回のワークショップは11月18日金曜日です。24回目となります。 テーマは「自分はこういう風に死にたい」とします。自分の理想の死に方。そんなことをお話したいと思います。なかなか普段は話さないことですが、いろんな人のいろんな考え方をお聞かせ願いたいものです。 多くの方のご参加をお待ちしています。 第22回ワークショップ報告「葬儀を見直しましょう」 9月16日、第22回目のワークショップ開催しました。 今回は、また、「葬儀」の話に戻って、新しい方にもご参加いただきたいな。」という考えでした。 残念ながら、新しい参加者はありませんでしたが、より深まったはなしが出来たかな、と思っております。 参加者は、私を入れて5名。 何度かお顔を出していただいて、もう面識も持ち合わせている方ばかりでした。早めに来た方と檀家になっているお寺の、いつも理不尽な対応。いい加減な対応など、腹が立つを通り越してあきれている。というような雑談をしているうちに始まりました。 やはり、始まりは、その雑談から、現代のお寺の存在についての疑問や、問題などが出てきました。本当にお寺が変わらないと、人々からお寺が見捨てられてしまう時期はそう遠くなくやってくるのでは?と実感します。 また、ある参加者は、「このワークショップに出て、自分の葬儀のことも考え、それをちゃんと書いてあるのに、息子がまともに受け取ってくれない。お経なんてあげて欲しくないのに、普通の仏教式の葬儀をすすめられている。」と、笑いながら話されていました。 自分の葬儀とは言え、実際にやるのは自分ではないわけで、この辺が葬儀のむずかしいところですね。 そのあと、現代人が色々な問題点を抱えている一因には、誕生とか、死とか、人間の生活の中から隠されてしまっていることが大きいのではないか。 誕生出産とか、病気、老い、そして死。そういう人間の中の自然、というか、人間の生物的なところが生活の中から追い出されてきている。これが大きな影響があるのではないか?と危惧されている方が多かったのです。 それと、生活する能力。掃除、洗濯、炊事。仏教でいるところの作務ですよね。この作務が重要な修行になっているということは、生きていくうえでこういう生活能力がいかに重要で、人間性を形作っていくものか、ということです。 いまこういういわゆる家事が、家庭生活から追い出されつつあります。家事の外注化が進んでいます。 これも、生活の中から人間の自然が追い出されたということと同様、もしくは、もっと深刻な問題なのかもしれません。 死や葬儀を考えることから、色々なことが見えてくるものです。 それだけ、死ということは生きること、人間であることに直結した事柄であるかということです。 死を真剣に考え、人間として生きることを見つめていくことが必要だなあと改めて思いました。 次回は「良い葬儀屋を見つけるコツ」というテーマでやりたいと思います。 どんなことになりますか。 みなさん奮ってご参加ください。 10月21日。関屋地区公民館で行ないます。 第21回ワークショップ報告「死ぬまでにやっておきたいこと」 8月19日、第21回のワークショップ開催いたしました。 まだ、お盆明けでお忙しいと見えて、今回の参加者は、私を入れても5名と珍しいくらいの少人数でのワークショップとなりました。 しかし、開けてみれば少人数ならではの突っ込んだお話が出来ました。結果的にとてもよいワークショップが出来たと感謝しております。 たった5名の参加者。いつものように簡単に自己紹介をしていただきます。 ひとあたり、今回のテーマの「死ぬまでにやっておきたいこと」について話をしていただきました。 癌などで余命がはっきりしていて、後どれくらいで死ぬ、ということが分かっていれば、これとこれはやっておこう、と思えるでのでしょうけれど、そこは凡人。明日があると思う心から、やらねばならないことも明日伸ばしにして、しなければならないことも、やっておきたいことも見つからない。 という声が大きく支配的でした。 そしてある参加者が、なんとか今回の生で終わりにして、輪廻から離れて、もう生まれてこないようになりたい。 と言う発言をなさいました。 すると、ある参加者は、自分は、前世のこととか生まれ変わり、輪廻転生のことはよく分からない。分かるように教えてもらいたい。という率直な質問がなされました。 それで、私が今まで本で読んだり、先達に教えていただいたことなどで知りえた、こういうことではないか?と思われる、生きること死ぬことの摂理、というようなものを少人数だけに、じっくりと大胆に思い切って、はっきりと話をさせてもらいました。 そして、質問を受けながら、感想を聞きながら、話をさせていただきました。わたしと似たようなお考えをお持ちの方もどんどん補足してくださり、かなり突っ込んだ話が出来たと思います。 簡単に言えば、我々は自分で決めたテーマを持って、そのテーマを成し遂げるために生まれてきて生きる。そして愛あふれる存在となるために何度も何度も繰り返し生き直す。そしてテーマも生きるシナリオも生きている途中の意思決定もすべて、自分の自由意志に基づくものだと言うことです。 それについてみんなでじっくり話をしているうちに、まさに自分が決めたテーマを見つけ出し、それを遂行すること、これこそ我々が「死ぬまでにやっておかなければならないこと」そのものじゃあないか。ということになり参加者全員で納得し、あまりにもうまく出来すぎたような結論に、狐につままれたごとく、大笑いのうちに散会となりました。 たまに少人数のワークショップも悪くないものだと自己満足しております。 第20回ワークショップ報告「カッコよく老後を生きる」 7月15日、今月も第3金曜日に、関屋地区公民館でワークショップを開催いたしました。今回でちょうど20回目を数えます。参加者はわたしを入れて8名のご参加をいただきました。 今回はオシャレをして行く、という決めもありまして、わたしも出かける前にどれを着ようかあれを着てみたりこれを出して見たり、久しぶりにお頭を悩ませたわけです。 でも、この頭を使う、ということが老後には大事なことのようですね。 今まで通り、慣れたことだけ。と頭を使わないと、脳もすぐにさぼってしまって、錆付いてくるわけなんですね。 脳をサボらせない。常に新しい刺激を与えて、脳を使う。これがとっても大事なことなんですね。 開会前から、参加者のお一人が、アロマオイルを焚いてくださり、部屋にほのかな香りが立ち込めました。 女性参加者が、素敵なアオザイを着て参加してくださった方を囲んで、おしゃべりに夢中。開会が少し遅れ気味に。 というくらい、今日は、初めからみなさん、リラックスして楽しんで参加してくださり、いい雰囲気で楽しい会になりそうな予感が一杯です。 いつものように、一通り自己紹介がすみました。 参加者の中で、女性もオシャレに使える、花柄の綺麗なステッキ。それも折りたたみで長さ15センチくらいに小さくしてで持って歩ける、素敵なステッキの紹介をしていただきました。 ステッキって、男性にとってはオシャレに使うことが出来ても、女性にはちょっとね、というような茶色とか黒とかの物が多いですよね。 女性も杖を使うことが増えている現代、女性が喜んで持ち歩けるステッキ、これがなかなか売っていないんですね。 参加者にとっても評判がよくて、まだ足も何も悪くない女性が早速お買い上げでした。 「今はぜんぜん足は悪くないけれど、このステッキがあれば、足が悪くなるのも楽しみになるわ。」という、発言にまたみなさん感心しきり。 また、お孫さんから「絶対に着てね。」と手紙つきでプレゼントされた、赤いシャツを、下に白いTシャツを着たうえから羽織り、ボタンはかけず、ズボンの中にも押し込めないという、若い人の着こなしをして来て下さった方の報告。 やはり、この赤いシャツをどうやって着ようかと相当頭を使ったとのこと。 われわれの年代は、ボタンがあればしっかりボタンを全部止める。シャツはズボンの中にたくし込む。 そういういう風に着ることしか知らなかったけれど、孫から貰った一枚のシャツでいろいろな刺激を与えられた。とお話になっていました。 今回は、オシャレ、お化粧、その他などなどの大雑談大会。 楽しかったですね。 何時までも若く、カッコよく生きようと、慣れたことだけでなくて、慣れない事新しいことをやって見る。それで、脳は懸命に働いて、呆けずに若くカッコよくいられる。ということのようです。 楽しい一夜でありました。 また、先日、90歳代のお母様を亡くされた方の、顛末などのお話もいただきました。やはり葬儀は大変なことだと言う実感を語られました。 このワークショップでのいろいろな話が、気持ちの上で役に立ったと言っていただいて、ありがたく感じました。 さて、次回の第21回目は、8月19日第3金曜日となります。場所は同じく関屋地区公民館。 テーマは「死ぬまでにやっておきたいこと」です。老後をカッコよく生きる、からの繋がりで死ぬまでにこれだけはやりたい。というような、前向きの話をしてみましょう。 ぜひ、ご披露する話を持ち寄ってください。 たくさんのご参加お待ちしています。 第19回ワークショップ報告「介護について−自分も行く道」 6月17日、第3金曜日。関屋公民館で第19回目のワークショップが開催されました。 6時半はまだ明るくて、「こんばんわ」というご挨拶がふさわしくないような季節になりました。参加者は私を入れて9名です。 今回のテーマは「介護」です。初めて取り上げる問題です。 事前に、私もいろいろ調べました。介護保険やら介護施設、そして在宅介護の問題。 また介護する立場、介護される立場。実にいろいろな、多くの悩ましい問題を抱え込んでいる問題です。 これは、いったいどうなるのかな?ワークショップが問題の大きさに押しつぶされてしまうのではないかなあ、と内心戦々兢々としていた。というのが私の偽らない気持ちだったのです。 しかし、心配は杞憂でした。 いつにもまして、いろいろな素敵なお話が聞くことが出来ましたし、楽しい話題がどんどん出てきまして、次回に繋がりました。 もちろん介護についてのいろいろな困難な状況現状も勉強できました。 はじめはいつものように、簡単な自己紹介と、今回のテーマに対する、期待や考え方の発言です。一渡り発言していただいて、フリートークに入りました。現在95歳のお母様を介護している方の、現状や今までの経緯など聞かせてもらいました。 欠陥も多い介護保険であるが、家族介護ということから公的な介護という介護観の変化、、制度の変化は評価されるという認識は持つことが出来ました。 また、介護制度発足前の家族による介護。もっと言えば嫁による介護を舅、夫とやり切った女性の切実な話も聞かせていただきました。最後には死んでしまおうと思ったときに、小学生の長男の一言で死なずに今がある。という話はもらい泣きをしてしまいました。 そして、話は介護する側の話から、介護される側の痴呆予備軍をしては、いかに痴呆にならないようにするか。という話になりました。 頭を使わないといけないということで、勉強を始めた話。毎日歩いてゴミ拾いをしている話など、聞かせてもらいました。 そこで、わたしが準備した中にあった「ボケないための心がまえ」というものを披露させていただきました。読み・書き・ソロバンから始まって、楽器やカラオケなど具体的なことに及びますと、みなさん私はこれをしている。わたしはもっとこういう風にやっているなどなど素晴らしい体験習慣生き方などを口々に披露してくださいました。 あらためて、このワークショップに参加してくださっている方、特に60歳以上の参加者は、みなさん人生の達人でいらっしゃるんだなあと、敬意を表して脱帽したしだいです。 そして、次回のテーマをお聞きしました。 今回の話を踏まえて、「老後をカッコ良く生きる」ということで、みなさんそれはいいと、喜んで賛同してくださいました。 さらに、老後もお化粧、オシャレが必要。という心がまえにもありましたので、次回は年齢を気にせず精一杯の派手目のオシャレをして参加すること。という付帯テーマも付きまして盛り上がりました。 次回は、7月15日の第3金曜日、午後6時半からいつものように新潟市の関屋地区公民館で開催いたします。 オシャレして参加もお忘れなく。ファッションショーがあるかもしれません。 第18回ワークショップ報告「最近の葬式事情」 5月ワークショップは、20日に第18回目として行なわれました。 テーマは、また葬式の話に戻って「最近の葬式事情」でした。 参加者は、私を含めて11名。新しい参加者もいらっしゃいました。 いつも同じことを言いますが、このワークショップは毎回参加者も違いますし、初めてご参加の方もいらっしゃいます。同じテーマでも参加者が違うと言うことで、その回その回で出てくる話も観点も違います。その度に新しい学びがあるということです。 さらに、テーマが大きいですから、一回二時間話し合いをしたくらいで結論が出たり学びが終わるなんていうことはあり得ません。 繰り返すと言うことが、身に付けるには大事なことだと考えているのです。 今回も初参加の方が、発言をしてくださいました。 やはりこのワークショップにご参加いただく方は、興味関心を持っている上に、ご自分なりの考えを持っておられる方が多く、初参加の時から 積極的に発言してくださいます。 今回も初参加の方が、ご自分の身内の葬儀を簡素に執り行った経験をお話してくださいました。ある程度業界のことを知っておられた、しっかりとお考え意志をお持ちであったということが、思うとおりに葬儀を執り行えたと言うことだと思いました。 やはり、知識とこうしようと言う意志。これが大事だということですね。 その方の発言に触発されるように参加者の方が、葬式と言うことに対する自分の考えを披露してくださいました。私に簡素な葬儀を託すと発言されて、それを残った家のものが守ってくれるかなあと、会場の笑いを引き出した発言も、生前にしっかり書き残してご自分の意思をご家族で話し合って、理解してもらっておいてください。とお願いをした次第です。 話が一段落した後半、私が「生前葬」というテーマについて、みなさんにお尋ねしてみました。「生前葬」ということに深い興味をお持ちの方はいらっしゃいませんでした。 私は、このサイトでも紹介している、「生前葬と父の本」と言う本で紹介されている、生前葬をお知らせして見ました。 癌で告知を受けているお父さんの本を作って、その出版記念と言う形で友人知人と一堂に会して生前葬を執り行った話です。 そして本の一節で、生前葬の招待状として送られた文章を読ませてもらいました。 この本に書いてある、生前葬についてはみなさん感動し、もし自分も同じような境遇ならそういうことをやってみたい。うらやましい話だという感想を発言されました。 この話は、一般的な話として誰でもと言うわけには行かない事柄です。 まず、本人に告知された癌などの余命がわかる病気であることが必要です。まったく健康である時にやる生前葬とは、概念が違うと言えると思います。 そして友人知人などと懸命に生きた人であったという、その人の生き方も大事なことだなあと思うことです。 このような素敵な生前葬が出来た人はほんとにうらやましい限りです。 そういうことが出来るような生き方をしたいものだと思います。 次回のテーマ。これがなかなか決まらなかったのですが、初めてのテーマになりますが、自分が介護を受けるための予備知識を入れておきましょう。ということで「介護について、自分も行く道」ということにしました。 わたしもこれはよく知らない話です。しっかり準備が必要かな。と気持ちを引き締めています。 ぜひ、ご参加いただいて皆さんが持っている知識を教えていただきたいものです。 日時は6月の第3金曜日。17日午後6時半から関屋地区公民館で行ないます。 第17回ワークショップ報告「死んだらどうなる?」 4月のワークショップは17回目。15日の第三金曜日に行われました。 今回のテーマは「死んだらどうなる?」でした。 参加者は私を含めて12名。初めての方も一名いらっしゃいまして、楽しい時間をすごしました。 今回のテーマは16回に私が少し、死ぬことについての私の考えを話したところ、もう少しそういう話を聞きたい。それを聞くと楽によりよく生きられるんではないか? そういうご希望がありましたから、「死んだらどうなる?」というテーマでやらせてもらいました。 私は死んでそれっきりではない。自分の本質が身体を抜け出して、次の世界に行く。 そして、また戻ってくるんだ。まあ、簡単に言うとそうなるんですが、その話をさせてもらいました。中には、自分は死んだらそれっきりだと思うし、そう考えたほうがすっきりする。そういうご意見の方もおられ、私の考えにいくつかご質問をされ、疑問をお持ちの方もいらっしいます。 それは当然だと思います。臨死体験ではなくて、ちゃんと死んでしまってから戻ってきて話をすることが出来ないわけですから、誰もよくわからないことなんです。 私は、そう考えたほうが死が怖くなくなるし、よりよく生きられると思うのでその考え方を採用しているわけです。 正しいかどうか、真実であるかどうか、というのは私はそれほど重要ではないのではないか?そう思っています。 自分がよりよく生きられるという観点で、力になる考え方を採用すれば良いと思っています。 今回はいつもは話さないようにしている私ですが、だいぶ話をさせていただきました。 そして、質問疑問もわたしにぶつけられました。 私なりの答えをしましたが、納得行かない人もいたと思います。 こういう話ですから幽霊の話とか、霊能力の話だとかいろいろと話題は尽きずにあちこちと飛び回りました。見ることは出来ないけれど、肉親が亡くなったときに戻ってきてくれているという実感があった。というような話をしてくださった方もいらっしゃいました。 輪廻転生の話とか、死んだらどうなってどういう世界に行ってそしてどんなことがあるんだというような話は、断片的に聞いたことはあっても、まとまった一連の話として聞いたことはあまりないわけで、???ホント?という気持ちはあるものの興味を持って聞いていただきました。 じゃあ、その内容は?と聞かれましても、そこまでは報告に書くことはいたしません。 ご興味のある方は、ぜひワークショップに出ていただくか、私を呼んで聞いていただくしかないことになります。と気を持たせておきましょう。 今回も楽しく面白いワークショップでありました。 次回のテーマは久しぶりに「最近の葬式事情」と言うテーマで葬式の話を取り上げることにいたします。またまたみなさんのご参加をお待ちいたしております。 日時は5月20日第三金曜日、午後6時半から関屋公民館で行います。 第16回ワークショップ報告「故人のまつり方」 3月は数えて16回目のワークショップです。 参加者は、私を入れて10名。初参加の方が二名いらっしゃいました。 今回のテーマは、先回初参加の方の要望で「故人のまつり方」ということです。 開始の時は、そのテーマ発案者がいらっしゃっておらず、またまた発案者は出席できないと言うジンクスが生きているのかな?と思っておりましたが、少し遅れてご参加くださいました。ああ、よかった。と胸をなでおろしたわけです。 まず、テーマ発案者からのお悩みで、お墓が二つ見ていて、仏壇も二つ。そしてこれから増えそうなんだけれど子供にそれをおっかぶせるわけにも行かず困っている。 仏壇やお墓を一つにまとめようとお寺に相談したら、宗派が違うものをまとめることは出来ないと、けんもほろろの対応で困っているということです。 そんな悩みから話が始まりました。 参加者からは今の時代、少子化でお墓や仏壇を一人の子が複数見なければならない時代に、お寺が儲け主義でそんなことを言うのは許されない。と言うような発言が相次ぎます。お寺は自分達の都合、(お金の都合)ばかり言っていないで、もっとその人の立場になって考えてやらないと見捨てられる、とお寺に関してかなり手厳しい意見が続々と出ました。 ここで、初参加の方で、ご主人を亡くされた時の葬儀の持ち方、そしてお祭りすることに対する考え方、お墓に対する考え方、など貴重な体験に基づくお話をしていただきました。 また別の参加者からは、実際に自分の親の墓や仏壇をこのように扱ったというような話。 別の参加者からは、まだ存命中の親としっかり話し合って、仏壇の取り扱い、誰が面倒見るか、お寺との縁切りを通知してあると言うようなことも話が出ました。 そのようないくつかの経験談考え方を聞いて、テーマ発案者もいたく感心して、自分でどうしたいと言う気持ちをはっきりと決めて、それを持ってお寺に交渉する。そして聞き入れなければこちらの考えを通してくれるところを探す。というような自分がどうしたいのか、どうするのかを決心することが大事。ということで納得されたようです。 故人をお祭りすると言うのは、思い出す。と言うことだと思うのです。偲ぶと言ってもいいのかもしれません。そうすることが供養であるわけですし、残された遺族の癒しでもあるわけです。 命日、つまり記念日で有縁の方に寄っていただいて、故人を思い出してください、偲んでください。という心が大事だと思います。 そのために形式がどうとか、こうやらなければいけないというようなことはないと思います。気持ちの問題。 自分がこうしたいという、偲び方、思い出し方をすれば良いのだろうと思います。 また、今は新しいお祭りの仕方が模索されている時代だと思います。 ぜひ、自分がやりたい偲び方をして、故人を慰め、遺族を慰めることが大事なことだろうということになったようです。 次回のテーマは「死んだらどうなる?」です。 第15回ワークショップ報告「安楽死」 2月のワークショップ。13回目の時のリクエストにより、テーマは「安楽死」でした。 参加者は私を含めて9名。 参加者が12月とがらりと変わり、まったく新しい視点で安楽死の問題を探っていきました。 今回は、インターネットで探してご参加いただいた女性お二人がいらっしゃいまして、また新しいお話を聞かせていただき、楽しい二時間となりました。 尊厳死、安楽死の問題は、だいぶ話されてきたので、安楽死の中の一部と言ってもいい消極的安楽死と言ってもいい尊厳死は受け入れられて来ており、また自分の意思をご家族に言い置いておこう、または文章化しておこう、という意思をお持ちの方は多かったようです。 自分の死に関して、言い置いておく文書様式というか、順々に書いていけば、自分の死に対して必要なことは、書き残して置けるような物が欲しい。 という要望が出されました。 わたしも、いくつかそういうものを入手しておりますので、それらを参考に、早めに作ってみなさんに提供させていただくという、お約束をしました。 また、死という概念、意識というもの。それらが、まだまだ分からないことが多い、という現実も話し合われました。 意識がなくなっても、聴覚は働いていて、聞こえて話していることが分かる。とか。 臨死体験の話、死ぬ間際に自分が飛んでいた、と話した肉親の話など、紹介されました。 新潟日報に連載の小国病院の医師のコラムに、脳死判定を受けて臓器移植をするために早期摘出を受ける患者が、暴れるので麻酔をして摘出するのが一般的と書いてある文章を紹介しました。 これにはちょっと参加者もショックだったようで、まだまだ死というものの理解が不足しているという現状を認識することとなりました。 肉体の死はだんだんと進行して行って、あるところで不可逆的で、もう戻らないというポイントを決めて死としているわけです。 今の医学、法律では脳死ということが死となっているわけですが、それも絶対に不可逆的なものか、といえば、絶対ということではないわけです。 そこまで来ると、自分の考え、家族の考え、というものがしっかりしていることが必要だと改めて考えさせられます。 次回は、今まで取り上げなかった問題をテーマにしてみます。 「故人のまつり方」ということです。 もう亡くなってしまった人をどう偲ぶか。また宗教儀礼として、また慣習として。 これからはどうあるべきか。その辺を探っていきます。 第14回ワークショップ報告「病気になる人、ならない人」 新年第一回目のワークショップ。 テーマは「病気になる人、ならない人」という、今までとはちょっと趣を異にするテーマでした。 このワークショップは、次回のテーマを提案した人が、その時に出られなくなってしまうというジンクスめいたものがあるのです。 今回も、このジンクスは生きていまして、事前に提案した方がご欠席と言うことで、どんな風なお話になるのかな?とちょっぴりしんぱいをしてしました。 ご出席は、私を含めて8名。 少な目の人数で、みなさん十分に話し、いろいろお聞きし、和やかに笑いながら楽しいワークショップとなりました。 はじめは、なかなかとっつきにくいテーマで、どんなお話をしたらいいのか?という雰囲気でした。 しかし、みなさん、病気をお持ちの方は自分のご病気の話しをして、健康な人はご自分がなさっている健康法の話などからはじまりました。 参加の男性陣はほとんど糖尿を患っていらっしゃる方が多く、生活習慣に気をつけている方が多かったようです。 それに比して、女性陣は大きな病気を持たず、健康な方が多かったようです。 やはり、女性が健康で長生きだ、と言うような話から、その理由を探ったりもしました。 ストレス。これは実に大きなポイントですね。 病気も数値など気にしすぎると、ストレスが溜まり一段と数値が悪化するとか。 ある人は数値は気にせず、ストレスをためないようにしたら、糖尿やその他の病気を克服しつつある。 なんとしても、健康になってから死にたいものだと発言して、笑いを誘っていました。 また、ストレスの話から、日本経済の話、財政破綻の話、これから来るであろうハイパーインフレの話、日本の過去の激しいインフレの話、などなどとどまるところなく話は続いていきます。 しかし、人間はしぶといもので、そのようなインフレが来ても、みな対応し環境に順応して生きていく。 杞憂で、要らぬ心配をしてストレスためるよりも、自分の耐性に自信を持って、気持ちも穏やかにストレスをためずに生きていきましょう、ということです。 病気にはならない、病気には負けない、そういう気持ち、信念がやはり大きくものを言うんだということを、改めて確認をした夜でした。 しかし、経済問題、財政問題でも実に示唆に富む、有意義なワークショップではありました。 ハイパーインフレにはどのようにヘッジするのがよいか。話が出ましたが、ご欠席の人は聞く事が出来ずに、実に残念であります。 次回は、私の日程の都合で、第三金曜日でなく、第三木曜日とさせていただきます。 お間違いのなきように。 なおテーマはリクエストにより「安楽死」をもう一度やります。 第13回ワークショップ報告「安楽死」 二年目に入ったワークショップ。 去年の12月から始めていまして、今回が13回目です。 参加者は私を入れて、12名の方です。 今回のテーマは「安楽死」です。 なかなか大きなテーマで、とても一回でどうにかなるようなことはありえませんが、意見交換を通じて深めて行きたいということではじまりました。 安楽死と言うのは、法律で権利として認められている国や、アメリカの一部の州などありますが、まだまだ共通認識が確立していない問題です。 また、最近の話ではなくて、人間の歴史とともにあった、古くて新しい問題と言うことも出来ます。 安楽死がナチスドイツで、認められて、アウシュビッツの事件まで突き進んでしまったというしっかりと認識しなければならない歴史もあります。 そんな風ではじまったワークショップですが、二回目の参加になる、若い新潟大学の学生さんが、医学部の学生と分かったとたん、議論はヒートアップしました。 安楽死ということは、医療の現場ではどのように見られているか?という質問から始まって、矢継ぎ早の質問です。 そして、ALSという難病の人工呼吸器を装着するかどうかの、選択の問題。 難病の告知の問題などかなり専門的なことにも突き進んでいきました。 そして、医療のいろいろな問題点、疑問点、など参加者が口々に発言します。 学生さんも答えられることには丁寧に答えてくださいました。 安楽死というところからかなり離れたことまで、たくさんの意見質問が出されました。 病院の評価制度とか、医師免許のこととか、日本人の医療の受け方に対する意見とか多くの意見交換がなされました。 本当の医師の方の参加であれば、なかなか言いにくいこと、聞きにくいことなども、医学生と言うこともあって、患者の立場からの言いたいことを遠慮なく発言したり、とても得がたい有意義な時間を持つ事が出来ました。 今回も、いつものようにあっという間に時間が過ぎてしまいました。 医学生の方も、こういう会に他の学生も出てもらいたかった、とてもよかった。と言ってくださって私もありがたく思いました。 テーマの安楽死はまだまだ未消化ということで、一月置いた2月にもう一度取り上げてもらいたいと言う希望もでました。 それで二月のテーマは「安楽死」を再度取り上げます。 今回は安楽死と言うテーマの深まりは、少ししか進みませんでしたが、医療ということに関してとてもオープンな話が出来て、とても素晴らしいワークショップとなりました。 次回は、「病気になる人、ならない人」と言うテーマです。 お正月でもありますし、いつもとちょっと違う趣でやりたいと思います。 さてどんな話になりますやら。お楽しみに。 第12回ワークショップ報告「尊厳死」 毎月一回やってきた、ワークショップも、一年間続きまして、12回を迎えることが出来ました。 今回は、私を入れて13名のご参加で、「尊厳死」をテーマに行いました。 毎回、新しい方が参加してくださり、メンバーが違う、ということは本当にいいことだなあと思います。 「尊厳死」という前にも扱ったことがあるテーマですが、参加者が違うことにより、いろいろな面からの話が重なり、同じ内容にはならず、前に話したことよりも深まると言うか前に進むことができるようです。 今回も、久しぶりに来ていただいた方、初めて参加してくださった方などおいでになり、発言も活発で、学びのや気づきの多いワークショップになったことを、改めて参加者のみなさまに感謝いたします。 「尊厳死」と言うテーマは、先回、初めて参加くださった人のお父様が無宗教で、死や葬儀に関してしっかりした考えをお持ちの方だったそうです。それで、お父上の葬儀のときはみんなご自分でやられて、いろいろと考えさせられたそうです。 それもあって、自分の葬式や自分の死に方、尊厳死について、しっかりと考えておきたい。というお考えで今回の「尊厳死」と言うテーマを提起されたわけです。 今回のテーマは、自分の死に方。死を迎えるときの医療の受け方、自分の死に対する意思の伝え方、通し方。 そいういうことについて多く語られました。 尊厳死協会とか、宣言書とかいろいろありますが、そういうところに頼るのもいいのですが、やはり自分の考えをしっかりと決めて、ご夫婦で、そしてお子さんと事前にきちんと話をして自分の意思を表明し、家族の同意を取り付けておくことの重要さが、改めて確認されました。 自分で決めておいて、家族の理解と協力を得ることが出来なければ、自分の思うような死の迎え方は出来ないと、自分で認識することが大事だと思います。 医療保険の財政逼迫により、以前のようなただいたずらに生命だけを維持装置により延命させるというような医療は、出来なくなりつつあるようです。 ですからなおのこと、意思が尊重されやすくなっている状態ですから、どのような終末医療を希望するのかを、明確に伝えておく必要があると思われます。 いつものように、いろいろな話が飛び交いました。 私も、ボランティアの実習で、ホスピスなどに行って知ったことなども話をさせていただきました。 ある女性の参加者が、久しぶりに出てくださったのですが、ご高齢であるけれど白内障の手術を受けられたそうです。 とてもよく見えるようになり、人生が戻ってきたようで、また生きる力が湧き上がってこられたというお話に、感動しました。 また、初めてご参加の方から、ご自分がいろいろな方と話しをしてみて、死後が無であるかどうかは、女性がある、男性はないという方が多いそうです。 それは、女性が生命を産み出す性だからではないか? というお話をされて、みなさんから関心をもたれておりました。 ほんとに、今回もあっというまに2時間が経過しました。 みなさん、楽しく過ごして、また考えるきっかけを持てたという事で、喜んでいただいているようでした。 次回は、今回の尊厳死は一般には受け入れられつつある考えですが、まだ日本ではしっかりとした考えが定着していない「安楽死」について考えてみようということになりました。 外国では、「安楽死」する権利を認めている国もあります。ですから、日本では難しいと言うことで話題にすることを避けるということは、正しいやり方ではなかろうと言うことで次回は「安楽死」について取り組みます。 ぜひ、ご参加くださいますようにお願いいたします。 日時は第3金曜日、17日午後6時半からです。 第11回ワークショップ報告「死について知りたいこと」 10月は第3金曜日、15日に関屋公民館で、11回目のワークショップを開催いたしました。 いつもは一階の部屋なんですが、今回は3階の工作室でした。 そのせいではないと思うのですが、今回はちょっぴり参加者が少なめでした。 初めて来てくださった方が4名を含んで私も入れて8名の参加者でした。 今回はテーマは一応決めてありましたが、内容は第雑談大会にしよう、ということになっていました。初めての方も多くてどうなるかなと思いつつ、はじめたわけです。 この会はリンネの会とカタカナで書くのは何故かと聞かれたわけですが、輪廻転生の輪廻なんですが、その考えを押し付けるものでもなんでもなく、私は一応そういう考えを持って、この会を開催してゆきたいということを軽くお知らせしたいと言う意味でカタカナなんです。 で、今までも参加者からそういう発言があっても、なるべくそれに深入りしないように、そういう話題が嫌な人もいますから、なるべく誰でも参加できる話題になるようにしてきたつもりなんです。 でも今回は参加者が少なかった、ということ。大雑談大会にしようということだったことなどで私は今回は、どんな話題になってもいいかな、と思っておりました。 そしたら、まず、初参加の方が、口火を切って霊を見ることが出来る人の話を話し始めたわけです。 参加者にはそういうことに強い関心を持っていられる方も初参加でいらっしゃるようです。また別の初参加の方で、人は死ねばまったくの物質に戻って、それっきり。というお考えの方もいらっしゃいました。 こういう霊のような話は嫌悪感を感じないかと聞くと、信じはしないけれど全く平気だとおっしゃるので、今日はブレーキ無しで行くことに腹をくくったわけです。 少人数だから思い切ってやってみようと考えたのです。 いつもは聞き役の私も今回は私の考えをかなり話をしました。 私の考えは、スピリチュアリズム的な考えなのですが、参加者の中に同じような考えの方がおられて、人間は何度も繰り返し生きて因果律の中で学びを重ねてゆく。をういうことの突っ込んだ話をしました。はじめて聞く方も多く、たくさんの質問も出ました。 今回は私もかなりお話をして、司会と言う役目もちょっと忘れるくらいでして、気がついたらもう8時半の定刻になっていました。 初めての参加者も、とても面白かった、有意義だったと感想を述べていただきました。 私もほっとしました。たまにはこういうことも大事かもしれないなあ、と感じました。 次回の話になりましたが、初参加でお父様の葬儀をご自分で無宗教で出した経験のある方が「尊厳死」の話をして欲しい、ということなので、そうさせてもらうことにいたしました。 次回は11月19日金曜日。会場は関屋公民館一回の集会室です。 はがきを貰うのにいけなくて悪いねえ、と言って下さる方がいらっしゃいますが、私が勝手に送らせてもらっているので気にしないでいただきたいのです。 私がこんなことをやっていると言うことを知っていただければうれしいのです。 そして、何かのときに、死とか葬儀とかで困っている人がいて、そんな時私を思い出してもらえればこんなうれしいことはないということで、送らせてもらっているのです。 今回も私のはがきを送らせてもらっている方が、こういうことに興味をお持ちの方を連れて参加してくださいました。 こんな風に少しでも、私の知り合いの知り合いというような形で、広がっていくといいなあと夢想しつつ、勝手に送っているのです。 こんな勝手な私でございますが、嫌がらずに、お付き合いくださいませ。 第十回ワークショップ報告 「今の葬式、これでいいの?」 9月はいつものように、第三金曜日の夜に開催日を戻しまして、行いました。 今回は私を含めて、12名のご参加で開催することが出来ました。 特筆すべきことは、私がはがきを出して、開催のご案内を通知しているのですが、そのはがきでなくインターネットのホームページをご覧になってご参加くださった方が二名もいらっしゃったということです。 それも、一人はまだ現役の大学生。参加者が多様になってきて、うれしい限りです。 今回は初参加の方が、3名でした。 さて、今回は「葬式」についてでした。 まず、初参加くださったお一人の方が散骨の自由を守る、という趣旨の全国組織の団体に参加しているということで、その会の趣旨や活動内容、その方のお考えなど聞かせてもらいました。 ということで、今回はまず、遺骨の取り扱い、ということから、活発な意見交換が行われました。 初参加のもうお一方は、キリスト教関係の葬儀のお仕事をされている方で、ご自分の関係された葬式や、遺骨の扱いなど実例をいくつかお話していただきました。 遺骨の処理でいうと、新潟市の火葬場は、遺骨を拾って来なくて、斎場に処分を依頼することが出来ます。 これに関しては、賛否両論がありまして、そうしたいという方、それはちょっと異論がるという方いろいろ意見を交わしていただきました。 散骨についてもいろいろな話が出ましたが、あくまでも亡くなった本人の意思によって海とか希望の場所に散骨をするのが基本で、処理に困って散骨するのは散骨の本旨に沿っていないやり方だろう。と私は考えております。 そのあと、遺骨の話から、葬式のはなしに移っていきました。 自分で全部葬式をやろうとしている方が、棺の準備以外は全部準備が整ったということから、棺の入手の仕方なども話題にのりました。 そして、新潟市の火葬場に付属した式場の話題になり、あまりにも市民に知れらていないこと、使い勝手が悪いことなど話題が出ましたが、参加者でもそういう場所があることを知らない方が多く、いろいろと質疑やら意見が出されました。 また、亡くなった時の通知しかたで、参加者のお一人のユニークな自分の死亡の通知の仕方をご披露していただき、その考え方や死の捉え方、明るくて楽しい方法にみなさん同意できる出来ないはあっても、そういう考え方もあるんだと、目を開かれるような思いでした。 いつもながら、楽しくて明るくて笑いが絶えなくて、とても死や葬式の話をしているとは思えないような雰囲気の中で、あっという間の2時間を過ごしました。 用があって一時間で抜けさせてもらいますという予定の方が、面白くて抜けることが出来ず、用に遅刻をしてまで最後まで参加をしてくださいました。 次回のテーマをみなさんにお尋ねしましたところ、「特にテーマを決めない雑談でどうでしょう。」という意見で、「死について知りたいこと」というテーマにして、聞きたいことがある人は持ってくる。あくまでも死に関することについての雑談。ということにしました。 どうぞ、聞きたいことがある方、話したいことがある方はご参加ください。 第九回ワークショップ報告 「大論争、あなたが死ぬなら癌、脳卒中、心筋梗塞どれがいいですか?」 8月26日木曜日、関屋地区公民館で、第9回目のワークショップを開催しました。 今回はいつもの金曜日でなくて、木曜日。 金曜日はなかなか出られなくて、ということで今回来てくださった方が、二名おられました。 開催日時は難しいもので、全員が良いと言う日はないわけで、次回からも最初の決めのように第3金曜日の夜に開催していきます。 さて、今回のテーマは「大論争、あなたが死ぬとしたら癌、脳卒中、心筋梗塞どれがいいですか」とちょっとショッキングと言うか、挑発的なテーマでした。 参加者は私を含めて13人。 まずはじめ、3月のワークショップに参加してくださって、ご自分の癌との闘病の話を淡々としてくださった、原田さんがお亡くなりになった報告をさせていただきました。 みんなでご冥福をお祈りしました。 いつものように簡単な自己紹介からはじめた訳ですが、そこでもうみなさんご自分の考えを披瀝してくださいました。 三つの病気でなく、老衰で長患いでなく死にたい。そしてそうなるように日々努力している、と言う方。 ご主人が心筋梗塞で未だお元気。それを見ていると心筋梗塞がいいかな?と言う方。 考えると、そのときそのときで揺れ動くけれど、自分だけでなくて廻りの人の、肉親の死をどう受容するかと言う観点から見ると、ある程度時間がある癌がいいかな?と言う意見。 心筋梗塞、癌は痛い苦しいという可能性が大きいから、脳卒中で直らずにそのまま亡くなるのがいいのではないか?と言う意見などさまざまです。 と、どれもなるほどなあ、そういう見方もあるなあ。と考えさせられました。 死というのは、自分だけのことではなく、家族などの周りの人が自分の死をどう受け入れ乗り越えてゆくかと言うことも重要な観点だなあと教えられました。 そして、苦しみたくない、のた打ち回るような痛み苦しみから逃れたい。そう思う人が多いと言うことを改めて知ったわけです。 その後、参加者は大変ユニークな方、病気などで貴重な体験をしている方などがいらっしゃって各自の死生観、医療観などが披瀝されました。 現代西洋医学への疑問。患者を人間としてみないで、病気と言うことだけに限って対応している現代先端医学への疑問など共感を覚える発言も相次ぎました。 テーマが大論争ということですが、3つの死因には関係なく、まさに話題もあっちに飛びこっちに飛びで、私もオタオタする場面がたくさんありました。 もちろん死という大きなテーマから離れることは無かった訳ですが。 病気のこと、健康のこと、じつにさまざまな一人一人の思いこだわりが、吐露され圧倒されました。みんなこういうことについて、真剣に考え話がしたいんだなあ。 と改めて思い至るわけです。 いつもそうですが、今回も笑いが絶えず、みなさんユーモア心にあふれ、あっというまに時間となりました。 参加者の方が、「え、もう二時間たったの?」とびっくりされるくらいでした。 もちろん3大死因のうちどれが良いと言う結論など出ませんし、出そうと思ってもいませんが、他の人の意見で考えるヒントはみなさんが得られたのでは?そう感じます。 次回は9月17日第3金曜日の夜、同じく関屋公民館で開催いたします。 テーマは初参加の方からのリクエストで改めて葬式のことを取り上げることになりました。 この会は、参加者が毎回のように違うわけですし、同じテーマを何度も繰り返して取り上げて行きます。 そして、どんどん深めてゆく。そういう狙いですから、お付き合いください。 一度聞いただけでは行動になりませんが、何度も話したり聞いたりすることで確信につながり行動に変わってくると思います。よろしくおねがいします。 そいうことでテーマは「今の葬式、これでいいの?」ということにします。 奮ってご参加ください。 第八回ワークショップ報告「終末医療の受け方(新潟版)」 7月16日金曜日にいつもと同じ関屋地区公民館で、第8回目のワークショップ開催しました。参加者は8名、私を入れて9名でした。 いつもに比べると若干少なめでしたが、ご夫婦でご参加いただいたり、みなさん熱心にメモを取るなど、今回も楽しくて充実したワークショップとなりました。 今回は、新潟県内での終末医療の受け方、というテーマです。 終末医療という中でも、癌やエイズなど余命が切られて宣告を受けて最後の医療を受けると言う状況。 その中で、ホスピスや在宅で死を迎えたいと思ったときの、新潟での現状はどうなっているのかというテーマです。 今回は私が事前にかなり、勉強や調査をいたしました。 新潟の今の状態を知るために、ホスピス、在宅ケアなどインターネットで調べました。 そして、新潟で診療に当たっている医師に新潟の現状を尋ねたりしました。 まず、はじめは私が調べて来た新潟の現状を参加者にお知らせしました。 ホスピスと言うのは、通称であり、厚生労働省や健康保険上では「緩和ケア病棟」と言うのです。 看護師人数他で基準がありそれをクリアすると「緩和ケア病棟」を名乗ることが出来て保険も使えます。 保険料は一般病棟と同じ。特に緩和ケアだから高いとか安いとかは無いようです。 個室になれば差額ベッド代がかかるとか、一般病棟と同じと考えればいいようです。 新潟で現在(2004.7月)緩和ケア病棟を持ち、全国ホスピス・緩和ケア病棟連絡協議会に参加している病院は3病院あります。 この協議会は、入会にも基準がありそれをクリアして入会するようですので、それなりの権威がある協議会のようです。 ○長岡西病院 「ビハーラ」 ○南部郷厚生病院 「郷和」(さとわ) ○こばり病院 の3病院です。 ホスピスはヨーロッパでキリスト教と深い関係を持ちながら生まれ発達したものですがビハーラは仏教を背景として長岡西病院生まれたもので、今仏教系の緩和ケア病棟はこの長岡西病院と東京の立正佼成会病院の二つだけということです。 郷和は宗教色は無いようです。 こばり病院の内容については、協議会の資料にも載っていませんし、こばり病院自体のホームページも見つけられなくて、内容について不明です。 そして、私の問い合わせにお答えいただいた二人の医師からの、メールをみなさんに聞いていただきました。 それによると、今のところ新潟のホスピスの悪い話は聞いていない。 しかし、一般病棟の現状としてなかなかそういうホスピスとの連携などはうまく行っているとは言えないようです。 また各病院では疼痛管理など各病院なりでチームを編成して緩和ケアを志向しているとのことです。 しかし、まだまだ医師の個人の考え方や人柄に負うところが多いのが、現実らしいです。 そのあと私が調べた疼痛管理のことなど、聞いてもらいました。 今は、ペインクリニックが発達して、モルヒネなどの使い方が大変発達して、癌の末期にも痛みをコントロールしながら、クオリティー・オブ・ライフ(生活・生命の質)を高めることが可能であるということです。 このことを知りたい方は国立ガンセンターのホームページが詳しいです。 そのあと、みなさんでお話をいたしました。 やはり、自分がしっかりと終末医療に関する考えを持って、自分でしっかり選択をすることからでしか、望みの終末医療は受けられないと思います。 また自分がきちんと望めば、そのような手段は、まだまだ不足とは言えある、と言うことだと思います。 まだまだいろいろなことが整備される必要がありますが、自宅で死にたいと言う希望もかなえられる可能性は、出て来ています。 自分の最後をどうしたいか。どう死にたいか。 それを考えて決めておくことの大事さが、これからますます大切になってくることを、我々は知る必要があります。 報告の最後に、本を一冊紹介しておきます。 今回の調べものをする中で、出会った本です。 終末医療に大変熱心な、諏訪中央病院の鎌田實先生と、やはり死について仏教がどう関わるかを模索している、松本在住の禅宗の高橋卓志住職の往復書簡です。 終末医療のあり方、死に方、死に向かっての生き方など、医師と僧侶と言う立場で真剣に取り組んでいるお二人のいろいろ考えさせられるお話が詰まっています。 ぜひご興味がある方は読んでください。 集英社から文庫本で出ております。 「生き方のコツ、死に方の選択」と言う本です。 560円となっております。 ご参考までに。 さて、次回は私の都合でいつもの第3金曜日に開催できません。 それで、今回は金曜日でなくて、木曜日に設定してみました。 金曜日は忙しくて出られない。と言う方もいらっしゃるようです。 第4木曜日に8月はなりますので、ぜひご参加ください。 テーマは「あなたが病気で死ぬなら、ガン、脳卒中、心筋梗塞、のどれがいい?」でやります。 さかんな論争をしましょう。死に方を考えることが、死を、生きることの終わり方を考えることになりますよ。 第七回ワークショップ報告「生死観を語る」 6月18日金曜日、午後6時半からいつものように関屋地区公民館で、ワークショップが開催されました。 今回は私の長女、その友達という若い人の参加もありましたし、今までで一番多い人数の17名で開催するいことができました。 ご夫婦で参加いただいたり、毎回初参加の方がいらっしゃるし、大変うれしく感謝しております。 今回は「生死観」「死生観」どちらもでいいと思いますが、「死」ということ「生きる」ということについての考えを語ってもらおう。そういうことがテーマでした。 この死生観はかなり個人個人で違うだろう。昔ならいざしらず、現代です。価値観が多様化している時代で、ましてこのテーマですからどうなることかと思っていました。 今回の特徴は、今までの会はだいたい全員の発言がありましたが、話す人と聞く人がちょっとハッキリしていたなあ、と感じます。 私もなるべく聞き役、話の誘導役を目指しているのですが、ちょっと話をさせてもらいました。 臨死体験の話、何かの存在を感じるというような話、体外離脱の話、いろいろな話が話されました。しかしそれらも、みなさん納得ということでなく、それに疑問を投げかける人またある話題では強く反発する人、などなど、まずは話題をならべてみました。という感じだったでしょうか。 私は死んだらそれっきり、というの立場は取らないのですが、無になるといことをしっかりと受け入れている人もいて、感心させられます。私は無になってしまうということではよりよく生きられない、流されていいかげんに生きてしまいそうだと思っているものですから、無になることを粛然と受け入れ、今を懸命に生きるということに変える力を持っている人は、ほんとうに強くて立派だなあと感じます。 この日、一番意見が対立したというか、反論が強く出たのは、私が「因果応報をいうか因果律は自分一人だけのもので、親の因果は子に報いない。」ということを申し上げたときに、「むかしから日本人は自分のしたこと、生き方が子や孫に影響を及ぼしていくということで倫理観などが作られてきている。」ということで、やや強く対立したわけです。といっても常識ある方々ばかりですから、おだやかに話は行われたのですからご心配なく。 しかし、「死」はよく分からないから、今をより良く生きようと懸命にやっているということで何人かの方から、自分が今いかに充実して生きるかということで実践していることの披瀝があったり、おおいに感心させられ見習いたいものだと思った次第です。 今回はみなさんが自分の思いをわっと広げられるだけ広げた、そういう会だったようです。それは初めて「生死観」を語ったわけですから、当然のことと思います。 次回からは、生死観ということを話すときには、2−3人の方からその方の生死観を話してもらい、それを聞いてどう思ったかということを討議して深めてゆくというやり方が良いのかもしれないと考えています。 なかなか大きなテーマで、考えもまちまちで取り上げにくいテーマのようですが、避けては通れないわけですから、次回このテーマでやるときには、しっかりと準備をして話題提供者を誰かにお願いしてやろうと考えています。 またその時をご期待ください。 次回は7月16日金曜日、午後6時半から8時半まで。 場所は同じく新潟市関屋地区公民館の一階集会室です。 テーマは「終末医療について」です。ホスピスなど詳細な情報をお伝えしたり、より具体的な終末医療の受け方を考えてゆきます。 ぜひご参加ください。 第六回ワークショップ「私の葬式はこうしたい」を開催しました。 5月21日金曜日。午後6時半から関屋地区公民館で、第6回ワークショップ開催しました。 今回のテーマは「私の葬式はこうしたい」です。 参加者は、12名の参加者がおいでくださり、私と妻をいれて、合計14名で進行しました。 ご自分で「私が一番葬式が近い」などとご冗談をおっしゃる、Yさんがしっかりと自分の葬式をイメージして、きちんと文章にまとめてこられました。 いままで会で聞かれたこと、考えられたことを中心に、事細かくこのようにして欲しいと書かれて来られました。 今日のワークショップで発表しようと、いろいろ考えて、夜もなかなか寝られない日があったとか。具体的で分かりやすく、Yさんの気持ちが良く伝わって、聞き終わると涙を流す人もいて大拍手でした。 お書きになったYさんも自分の考えがよくまとまったせいか、表情も晴れ晴れとしていらっしゃいました。 あとは、息子さんたちとの話し合いが必要なわけですが、目処が立ったようでとてもよかったと思います。 みなさん、いろいろなご自分の考え方、また葬式の出し方などそれぞれにお話していただきました。 多くの方は、簡単で自分らしい式をやりたい。 華美であったり、しきたりにとらわれたような葬儀は嫌だという方が多かったようです。 しかし、その反面、葬式はなくなった人のためという面と、遺されて喪主として社会的な立場がある人のため、という面もあるという指摘がありました。 喪主が親の葬式をきちんと出せるかどうか、代を継ぐということの披露の面もあるわけで、亡くなった人の思い通りというわけには行かない。ということも無視できないようです。 やはりそれも、生前に話が出来て、これとこれはぜひやって欲しい。それ以外は妥協もしくは喪主となる人に任せる。というようなことが出来れば一番良いことだと思われます。そういうことを自然に話が出来るような関係はいいですよね。 今回はMさんが参加者にお茶のサービスをと、お茶碗から道具をわざわざ持参してくださって、紅茶出してくださり野生のミントの葉を振舞ってくださいました。 香りの高いミントを浮かべた紅茶は、美味しくて話がさらに弾んだのでした。 ありがとうございました。 さて次回のテーマですが「生死感を語ろう」です。 これはなかなか大きなテーマで語り尽くせないと思うのですが、そろそろ手を付けて見る時期かな、と思います。 6月18日金曜日午後6時半から、関屋地区公民館にて、開催します。 第五回ワークショップ「僧侶なしでやる葬式」開催しました。 4月16日金曜日。いつものように、新潟市関屋地区公民館で午後6時半から月例のワークショップを開催しました。 今日は朝から、急用による参加キャンセルが相次ぎ、あれれ?と少し心配になりましたが少ない人数でも、かえって濃密なお話が出来るかな。と開き直っていました。 ところが、時間なると参加者が増え、なんといつもと変わらないくらいの9名のご参加をいただきました。これに私と妻がはいって合計11名で行うことが出来ました。 初めて参加の方も3名。中には、参加しようと思って出かけるんだけれど、場所がわからなくて、結局たどり着けなくて二回参加できなかった。日が長くなって明るくなって町の様子が見えるようになって、三回目でやっとたどり着けた。そういう方がいらっしゃいました。 そういう方はあまりいらっしゃらないと思いますが、場所がわからないと言って気軽に私まで携帯にお電話くださればお教えいたしますので。 今回は今のお寺となんとか手を切りたい、と言う方や、葬式はしなくてもいいというご意見の方、また葬儀社を経営している方など、多士済々。いろいろなお話が飛び出してきてあっという間の二時間でした。 今の僧侶、お寺に対して批判的な意見が多く出されました。 今の坊さんには自分の葬式を取り仕切ってもらいたくない、と考えている方は少なくないです。キリスト教などには肯定的に見ている方もいらっしゃいました。でも、今の仏教が単なるお経読みと位置付けられているのでは、仏教寺院、僧侶は自分の首を締めていると認識しないと、足元はあっというまに崩れるなあ、という感じをもちます。 しかし、いやなんだけれど実際に手を切るとなると、ほんとに葬式などどうやっていいかわからない。葬式が出せるんだろうか。という獏とした不安を持つ人もおります。そういう不安にしっかり応えてやれる、人や葬儀社などの出現が必要で、また求める人と応じることの出来る人の出会いが必要だと思いました。 葬儀不要論の人も、話が進むうちに、自分らしい葬式、お別れの会などであればやりたい。商業主義に流されず、親しい人が集まるお別れを自分らしさが表現できるお別れをやりたい。そう思う人も出てきました。 葬式の話でありましたが、どうしても遺骨をどうするか。ということが大きな問題となりますのでそのことも、話に出ました。お寺にお墓が人質のようにとられて、檀家としてお寺と付き合わなければ、というとなかなか自分流にといっても、制約があります。 今回ご参加の人は、いろいろな個別の事情がありますので、私のほうから最近の遺骨の行方の情報を提供しました。 霊園などにお墓を求めることも出来ますが費用の面、また誰がその墓を守るか、と言う点で出来る方と出来ない方がいるわけです。 全国の3−400のお寺では、永代供養墓、など作って守り手のいない遺骨などを納骨させています。 また、散骨という方法もありますので、具体的な話も紹介しました。 火葬場で遺骨を拾わず処分をお願いする、ということが出来ることも紹介しました。 やはり、生前から決めておいて、こういう葬式をやってくれ、それを誰それに頼んである。遺骨はこういう風に扱ってくれ。ということを書いて、子供や周りに伝えてお願いしておくことが、なにより大事であるということです。 それがないと、残された人は、一般的な差しさわりのない方法しか取れなくなるわけです。自分がやりたい方法があれば、それを実現すべく、ちゃんとやっておくことがある。ということですね。 次回は5月21日(金曜日)午後6時半から。場所は新潟市関屋地区公民館です。 テーマは「自分の葬式はこうしたい」です。ぜい自分の葬式の台本を考えてみてください。 参加希望者はメール(YFA37012@nifty.com)か080−5077−3325まで。 お待ちしています。 第4回ワークショップ開催しました。 3月19日金曜日、午後6時半から、新潟市関屋地区公民館で、第4回のワークショップが「尊厳死と終末医療」をテーマに開催されました。 今回は参加者が10名、手伝いで私の妻と娘が討議にも参加して、私も入れて13名で話を進めることが出来ました。 ワークショップに初めての参加いただく方が4名。6名は今までに参加いただいている方です。 今回のテーマは、興味を持って下さった方が多いようで、それぞれご自分で狙いというかここが知りたい、ここを話してみたい、というポイントを持っている方が多かったように思います。 しかし、尊厳死ということ自体が、まだまだ論議の途中というか、国民的なコンセンサスが出来ていない問題でもあり、「死」ということに深くかかわる問題でもあり、簡単に答えが出るというような事柄ではありません。 しかし、大方の参加者が「死」に伴う苦痛からは逃れたい、解放されたいと思っているようです。「死」と「苦痛」というのは分かちがたいもの、恐怖の対象として感じられているようです。 家族に対することとして、尊厳死を適用するというのは参加者の中でも、意見は大きく分かれましたが、自分自身の問題としては大方の方は、過剰医療はお断りしたいという方が多かったようです。 しかし、その自分の意志をどのように言い残し実現してゆくかということでは、健康な時からしっかり話し合い、意思を明確に家族や信頼の置けるかかりつけの御医者様にお願いをしておくことが大事であろう、ということのようです。 一つの方法として、尊厳死協会の書式なども紹介されました。 参加者の中に、今ガンを持ちながら生活している参加者がおられました。 たいへんガンについて勉強して知識をもち、明確に自分の治療について、こうしてもらいたいというものをお持ちの方でした。 やはり、医者に対して、終末医療において、自分の意志を貫くというためには、それなりの勉強と、意志の強さと、身近な協力者、つまり家族や協力的に相談に乗ってくれる医者が必要だと痛感しました。 今の状況では、自分の望む終末医療を受けようと思ったら、人任せでは駄目。無理だということがはっきりしています。 これは、今までワークショップで話されてきたこと、すべてに通じると思います。 自分の最後の生き方、死に方、医療の受け方、すべて、しっかりと考え、決めてきちんと話をしておくこと。それが何より大事なことです。 さて、次回、第5回ワークショップは4月16日金曜日、午後6時半から新潟市関屋地区公民館において、開催します。 テーマは「僧侶なしでやる葬式」ということです。 これも、今回の参加者の要望によって決定したものです。 奮ってご参加ください。 参加希望者はメール(YFA37012@nifty.com)か080−5077−3325まで。 お待ちしています。 「遺書、遺言」の第3回ワークショップ2月20日、いつものように新潟市関屋地区公民館で、第3回ワークショップを開催しました。 今回のテーマは、「遺書、遺言」です。 まず、遺書というテーマですから、わたしから調べてきた、法的な遺言の説明を書いたものを配布しました。 遺書を書くことに真剣に取り組んでいたのは、子供のない方が多かったですね。 なかなか書き始められないし、公証人役場がどこにあるかすら知らない、という方も多かったです。 そして尊厳死、終末医療、延命治療に話へと、進んでいきました。 どういう風に死ぬか、生命維持装置がついていたとして、どういう時点ではずしてもらうのかというようなことは、しっかりと家族で話し合って、そしてそれを書き残しておく必要がありそうです。 また、一種の遺言かもしれない「献体や、臓器移植」などにも話は及んでいきました。 参加者の方から、死に方をご夫婦でいつも話し合っておられて、医者にも「過剰医療はいらない。」としっかり伝えていたという実話の紹介もありました。 また、その方の話で実際にご主人が亡くなられたときの話もしてくださったのですが、そこまで書くとワークショップのルールに反することになりそうなので、ここでは書きません。 まさにそういう死に方を選択するということは、生き方の選択だなあと感心させられました。 みなさん、今回のテーマは重要だとお感じだったことと、参加者の方々がみなさんよいお話をしてくださってとても楽しい一夜となりました。 最後に私のところに友人が遺書について書いてくれたメールを読んで終わりとしました。 その友人は仕事で長旅になるので40歳くらいの時に遺書を書こうとした。 というような内容のメールなんです。 さて次回は、3月19日金曜日 午後6時半から、
「死」と「死」にまつわること第二回ワークショップ開催しました。12月に引き続いて、1月16日、新潟市関屋地区公民館で第二回ワークショップを開催しました。 今回から第3金曜日、夜の6時半からということになりました。 今回のテーマは「葬儀」についてです。 やはり、葬儀社のマニュアルどおりの、商業主義的な葬儀に懐疑的な人が多かったこと。 私は「遺書」を書くこと、どんな葬儀をやるか生前から書き残すか、話をしておいて貰うこと。を提案いたしました。 私がそういう聞き取りを代行します。という話をしたら、そういうことができるならありがたいという意見もいただきました。 もっと、たくさんの話が出たのですが、あまり内容に立ち入るのは、ルール違反ですから、内容についてはこの辺にします。ただ、みなさん、とても身近なというか興味深いテーマであったようです。 次回はテーマを「遺書」についてです。 できれば自分の遺書も書いてきてくださいとお願いをしました。 第一回ワークショップ開催しました。 ご案内をしていた、12月19日金曜日の「死」と「死」にまつわることワークショップ開催しました。 当日は冬型の気圧配置になり、風が強く雨も振って荒れ模様の天候でした。 まず最初に、ルールと会の持ち方を私から簡単に話をさせてもらいました。 とにかく雑談をする気持ちでやりましょう。 次に自己紹介と、この会にどういう目的で参加してくださったか、それを話してもらいました。 ほんとに人それぞれの思い出参加してくださったのがわかりました。 それから、臨死体験の話であるとか、愛する人を亡くした人にどう接するのがいいのか?など、生々しい話も話されました。 来ていただいた方のなかで、葬儀に疑問や悩みをお持ちの方が今回は多いらしく、そのうちに葬儀の話になったら、大変に盛り上がり、いろいろな話が次から次へと出てきました。 漠然とした「死」の話というのは、自分の体験というのは多くはないし、なかなかしにくい。 それに比して、「葬儀」のことは関心が高いばかりか、実際に自分の体験などもあり、大変具体的である。ということなのでしょう。 そこで、残念ながら時間切れ。 月一回の例会は、第3金曜日、午後6時30分から2時間、8時30分まで。 ということで決めさせていただきました。 |