◆2003/7/28 夏は何処へ?と呟き乍らも映画館通い

ラピュタ阿佐ヶ谷で特集上映『日活映画製作再開50周年;戦後復活し開花した日活映画』に通っている。

【女人の館】(1954日活)を観る。
北原三枝日活入社後初主演作。神戸の丘の上に建つ洋館アパートには女性ばかりが住んでいる。男まさりの女流画家・水の江滝子、勤め先の社長の二号・関千枝子などなど。そこにひょんなことから下宿することになった青年・三國連太郎。彼を嫌う北原三枝と慈母のごとく見守る東山千栄子。たわいのない風俗ドラマ。原っぱで北原三枝と追いかけっこしてラブラブな三國連太郎。うーん、似合わない、、、

【火の鳥】(1956日活)を観る。
劇団『バラ座』の看板女優の月丘夢路は演劇と恋愛のみに生きている。燃えに燃え過ぎて周りは振り回されっぱなし。異父姉妹の山岡久乃は幼い頃から夢路に嫉妬していた。照明係の大坂志郎はその温厚な性格で夢路に好かれる。でも恋愛の対象ではなく運転手だけど。かつての恋人・三橋達也は夢路に捨てられ未練たっぷりに追い回す。今の愛人である劇団主催者伊達信とは不倫の関係。映画に進出した夢路は撮影所で出会ったニューフェイス仲代達矢と恋に落ちる。そしてお定まりの恋の逃避行。公演はすっぽかすは、学生劇団に入れ込むは、愛人の伊達信は激昂するわ、挙句の果てに仲代達矢に裏切られ大ショック。それでも夢路はめげない。抑え切れない演劇への情熱と底なしのリビドーが夢路を支える。火の鳥は死なず。恋と演劇に燃えに燃える月丘夢路。お色気たっぷりである。当時としては大胆な入浴シーンに悩殺された男性も多かったことだろう。だってさあ、、、もう「お色気ムンムン」なんだもん。大坂志郎ってけっこう不器用な役者だと認識。当時最新鋭の設備を誇った日活撮影所でのロケーション。北原三枝、長門裕之、芦川いづみ、フランキー堺などなどカメオ出演も豪華。試写室のシーンでは川島雄三監督の姿も!

【麻薬3号】(1958日活)を観る。
神戸の赤新聞(つまりタブロイド新聞)の記者・長門裕之は、ひょんなことから彼を訪ねてきた謎の女性・南田洋子と知り合い、いつしか恋に落ちる。南田洋子は行方不明の恋人を探しに神戸へ来たのだ。長門裕之に案内された町はずれのモスク。そこは阿片窟と化していた。麻薬に手を染める長門裕之を咎める南田洋子。長門裕之は暗黒街に堕ちていたのだ。南田洋子の恋人はここに出入りして殺人を犯し自首して出る。それを知った南田洋子は絶望し、長門裕之の愛情を信じて彼にすがる。やがて長門裕之も彼女とまっとうにやり直すことを夢見て足抜けを決意する。しかし暗黒街は容易に彼を手放さない。苦闘する長門裕之だったが、なんとか逃げ切ることに成功した。しかし彼の帰還を待切れなかった南田洋子は、教会の中で倒れ息を引き取る。彼女は自殺するために毒を飲んでいたのだった。神戸の町はずれに阿片窟がある。ここはカスバか? 港町神戸を舞台に異国ムードたっぷりの不思議なサスペンス映画。コメディリリーフの大坂志郎と河野秋武が良い味出している。二本柳寛の悪役ぶりは貫禄たっぷり。

下高井戸シネマ『アキ・カウリスマキ・アンコール』に通う。

【パラダイスの夕暮れ】(1986フィンランド)を観る。
観るのはニ度目だがやはり良いなあ。マッティ・ぺロンパーとカティ・オウティネンの不器用な恋愛に引き込まれる。最後の最後、別れ波止場にムード歌謡が流れるところで、思わず知らずグッ、と来てしまう。うーん、良い映画だ。

【レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ】(1989フィンランド)を観る。
吐く息さえ凍りつくツンドラ地帯で活動するロックバンド、その名もレニングラード・カウボーイズ。恐ろしく長いリーゼントにつま先の尖ったブーツ。なぜこんなところにロックバンドが?と考えてはいけない。これが映画だ。マネージャーのマッティ・ぺロンパーはつてを頼って一路アメリカへ。ニューヨークでのオーディションに臨むがみごとに大失敗。そりゃそうだ。ポルカ風のブラスロック。今ならジプシーブラス風で大人気なんだろうが、当時はただのダサいバンドだ。プロデューサーがメキシコの従兄弟の結婚式での仕事を紹介してくれたので、レニングラード・カウボーイズは一路メキシコを目指す。行く先々でのドサ回りが面白哀しい。ギャグは滑りっぱなしなんだけど最後まで観てしまう。興味深かったのは、車の窓からえんえんと映されるアメリカ郊外の風景。果てしなく続く国道の両側には同じような建て売り住宅が立ち並ぶ。ロードサイドのレストランやネオンサイン。暮れていく夕空と灯が点る民家。煤煙を吐き出す巨大な赤錆びた工場。殺風景なスーパーマーケット。日本とアメリカってどこか似てる。日本マクドナルドのオーナー藤田田が「日本はやがてアメリカになる」と確信して始めたハンバーガーチェーンが、今や日本人の生活に溶け込んでしまったように、今の日本の郊外風景はアメリカそっくり。そんなことをフィンランドの映画で知るとは思わなかったぞ。

◆2003/7/20 梅雨空の下、わたしは映画館を彷徨う

 ラピュタ阿佐ヶ谷にて【殺人狂時代】(1967東宝)観る。
 仲代達矢はうだつのあがらぬ犯罪学の講師。ある日いつものようにオンボロアパートに戻るとにこやかに笑う男が待っていた。男は殺し屋だったのだが逆にやっつけられてしまう。ところが仲代達矢が警察官を伴って部屋に戻ると死体は忽然と消えていた。雑誌記者の団玲子は仲代達矢に興味を抱き、さらにコソ泥の砂塚秀夫が加わったトリオで謎の組織を追うことになる。実は仲代達矢の身体には旧ナチスドイツの秘宝クレオパトラの涙が埋め込まれていたのだ。それを取り戻すためにドイツからやってきた元ナチス親衛隊長は、知己であるマッドサイエンティスト天本英世を利用しようとしたが、逆に天本英世にその目論みを察知され殺されてしまう。眼帯に毒針を仕込んだ女殺し屋、着流しで跛の殺し屋とおかしな連中が次々に登場。親玉が天本英世だからなあ。グロテスクなギャグの連発。ドイツ語を流暢に喋る天本英世熱演。岡本喜八らしいクールな演出が冴える。 
 アールデコ調の精神病棟(というより牢獄)の描写で感じたのだが、かつての日本映画にはこういうキ○ガイ病院の描写がごくあたりまえに存在していたということ。差別や人権への配慮が行き届いた?今、こういう描写はもとより「キ○ガイ」という単語さえ禁句だし(ゴダールの【気狂いピエロ】はどうなんだろう?)。そうなるとますますむかしの日本映画が無修正で放送電波に乗ることは無理。やはり映画館でリバイバル上映を観るしかない。そう思えば映画(に限らず演劇、小説、マンガなどすべての表現作品)の全盛期は、同時に制作者や演技者が差別や人権意識が低かった(というか無知に近かった)んだろう。これだけ放送禁止表現がメディアから締め出されてしまった現在、いくら表現の自由を謳ったところで、それに伴うリスクと闘っていかなければならない。スポンサーもつかないし、映画会社も配給会社もソッポを向く。さまざまな困難を乗り越え予算を投じて作品を完成させても、利益を回収することはおそらくほとんど無理だろう。いくらクリエイターが既成概念と闘わねばならないと言ったところで、現在の日本ではもう映画が隆盛を誇ることはない。

 銀座シネパトスにて【天使が俺を追い駈ける】(1961日活)観る。
 ツキに見放されたセールスマンの三木のり平が自殺しようとしているところに、警察に追われる殺し屋の八波むと志が飛び込んでくる。これ幸いと自分の殺しを頼むのり平に、殺し屋株式会社の八波は偽装結婚と生命保険に加入することを条件に承知する。ようやく死ねると安堵したのり平だったが、ギャンブルで大儲けするわ、薄幸なエレベーターガールの吉永小百合に求愛されるわ、突然ツキ出して大慌て。金も入ったことだしこれで殺しを取り消してもらおうとするのり平。しかし殺し屋株式会社のありかがわからない。次々と迫る殺し屋の魔の手。のり平が金持ちになったことを知って、周りの連中がみな掌を返したように厚遇しはじめる。しらけるのり平。やがて世界中の殺し屋がのり平殺しに参加するに及んで、のり平はビルからビルへと逃げ回るはめに、、、。往年のパラマント喜劇を思わせるアクションとギャグが面白い。ビルの屋上や大時計にぶら下がるシーンなど、セットでの撮影もまじえているが、身体を張っているなあ。露地の入り口に「江戸むらさき」の看板があったり、のり平が留置場で、差し入れのおにぎりを頬張る巨漢・千葉信男に江戸むらさきを勧めたり(おかずがないのデス)、、、スポンサーへのヨイショも忘れない。のり平は脇の役者であると実感。吉永小百合がキュート! この映画でのり平と吉永小百合とのキスシーンがあるが、のり平の回想によれば吉永小百合がキスシーンを嫌がってたいへんだったという。

 ・・・そうだ、日活っていうと、吉永小百合ちゃんとも出たな。『天使が俺を追いかける』っていう映画だ。まだ、あの子が子役の頃だ。僕とキスするシーンがあってさ、あの娘、嫌がって大変なんだよ。小百合のお母さんまでが「ねっ、これはお芝居なんだから。おじさんとちょっとチュッてすればすむんだから」なんて言って、小百合にやらせようとするんだけど、いざ本番になったらダメなんだ。僕もさ、そこまでやらせることはないと思って、監督に言ったんだよ。「いいじゃないか、この子、こんなに嫌がってるんだから」って言っても、監督が絶対に許さないの。井田探だよ、監督は。日活ではそんな思い出があるな。結局、どうしたのかな。オデコかなんかにチューしたんじゃなかったかな。憶えてないよ。裕次郎とか旭とかが出てくる前の日活の話だよ」(『のり平のパーッといきましょう』小学館1999)

 のり平の記憶違いだろうが、1961年はすでに裕次郎も旭も大活躍している。だいたい子役といっても吉永小百合はこの翌年、【キューポラのある街】でスターになるのだから、中学生〜高校生くらいだったはず。映画に思い入れがない、とみずから語るのり平だから、きっと適当に喋ったんだろう。

 ラピュタ阿佐ヶ谷にて【人間狩り】(1961日活)観る。
 したたかな悪党小沢榮太郎を逮捕した刑事の長門裕之だったが、狡猾なやりくちでまんまと釈放せざるをえない。ところが小沢榮太郎が、もう時効になったと思ってうっかり過去の殺人事件について口をすべらしたことから事態は急転。実は時効まで三十六時間残っていたのだ。異常なまでに犯罪を憎む長門裕之は共犯の男を追って街を彷徨う。終戦直後、実直な男大坂志郎は小沢榮太郎に唆されて窃盗の片棒を担がされ、心ならずも殺人を犯してしまった。大坂志郎は再婚し病身の妻と連れ子を立派に育て上げ、市井の片隅でひっそりと暮していた。 近所でも評判の実直な男として生きる大坂だが心の奥に澱んだ後悔の念は消えない。長門裕之は自分が死刑台に送り込んだヤクザの組長の情婦渡辺美佐子を愛人にしている。しかし渡辺美佐子は彼のもとを去ろうとする。彼女を愛していながら決して過去を許そうとしない長門裕之についていけないという。なぜ自分は犯罪を異常なまでに憎むのか、長門裕之は苦悩する。実は彼は幼い頃、強盗に母を殺されているのだった。被害者として辛酸を嘗めてきた彼は刑事になった。彼にとって犯罪は撲滅されるべきものであり、犯罪者を許すことはできるはずもない。しかしいま大坂を逮捕することは果して正しいことなのか。小沢榮太郎を逮捕するために大坂の過去の罪を暴き出す必要があるのか。何も知らない大坂の家族は破滅に追い込まれる。過去にこだわり続ける長門裕之に、渡辺美佐子も同僚の刑事梅野靖春も苦言を呈するが、彼は耳を貸そうとしない。やがて時効は近づいてくる。苦悩する長門裕之、刑事の影に怯え苦悩する大坂志郎、そして、、、
 罪は償えるのか。被害者の傷は癒えるのか。これは加害者と被害者のあいだに横たわる永遠のテーマであろう。重いテーマ、トラウマに傷ついた男女、壊れそうな家族、なんとも重苦しい気持ちが残るラスト。打楽器を駆使したアフロキューバンのリズムをバックに、乾いた都会の孤独が描き出される。犯罪を絶対に許せない刑事を演じる長門裕之を観ていると、この人かつては日本映画の大スターだったんだなあと思う。コメディからシリアスまで実に達者。噺家がマクラでよく言う「モットーが健康第一という人がいますな、健康のためなら死んでもいいってエくらい(笑)」というのがあるが、まさに長門裕之刑事は「犯罪者を牢獄に放り込むためなら死んでもいい」というタイプ。またこの渡辺美佐子が良い女なんだよな。陰のある女といえば初井言栄も巧いが、渡辺美佐子は陰のある女を演じさせたら日活一!だろう。

 ラピュタ阿佐ヶ谷にて【青空の仲間】(1955日活)観る。
 電線工手の三橋達也と伊藤雄之助は幼馴染み、互いに「南洲」「北洲」と呼び合っている。電柱の上で仕事に励んでいると、さまざまな人々の暮しが手に取るように見えて興味は尽きない。泥棒騒ぎがあったり、総理大臣が奥方とキッスをしていたり、、、彼等のアイドルは天狗食堂の看板娘・新珠三千代。ところが新珠三千代は同じく常連客の運転手・宍戸錠(若い!)に気があるらしくふたりはおもしろくない。ある日、自殺未遂の若い女性・南寿美子を助けた三橋達也は彼女と母親に気に入られ、いつしか婿入りすることを望まれて悪いきはしない。宍戸錠の恋人の存在が発覚して新珠三千代は伊藤雄之助の求婚を受け入れる。ようやくふたりも幸せになれそうな予感が。ところが、、、
 映画が始まってすぐ、俺はこの話を知っているぞ、と気づく。獅子文六の短編ではないか、と記憶が蘇ってきた。フランス人情喜劇を思わせる小品。原作では通貨単位が円ではなく銭なので、おそらく戦前の東京が舞台なんだろう。原作でも電線工夫のふたりが「東京のアパートってのは女専用なんじゃないか」と呟くくらい、当時の東京では女性の独り暮らしが増えてきたのだろう。そういえば林芙美子も大正末期から昭和初期にかけて、東京のアパートを転々としている。三橋達也と伊藤雄之助のふたりが物干台で悄然とするラストがものがなしい。

◆2003/7/13 落語は江戸前、、、か?

 小雨に煙る桜木町、横浜にぎわい座にて『立川志らく 志らくのピン』が開催される。いつものように演藝研究会会長と待ち合わせ場内へ。ここへは初めて来たのだが、広過ぎず狭過ぎず、ちょうどよい大きさのホール。ちゃんと桟敷席もあって、さすが玉置宏が席亭だけのことはあるなあ、と妙に感心。志らくのピンということで満員だろうと思っていたが、始まってみると七分の入り。こんなものなのかなあ。最初は弟子の立川志ららが『ちりとてちん』を一席。先日の末廣亭で春風亭鯉昇が演じていたネタ。『酢豆腐』と同じく梅雨時から夏にかけての噺である。続いて志らくが登場、サイコな『粗忽長屋』を熱演。『粗忽長屋』もそうだが落語にはサイコな野郎がたくさん出て来る。しかし『粗忽長屋』のサイコぶりにはちょっと対抗できるものは少ないのではないか。何しろ行き倒れの死体の“当人”を連れて来る、と言って役人を狂気の世界に引き摺りこみ、その“当人”が言いくるめられてとうとう“死んだ”ことに“気がついて”慌てて飛んでくるのである。端正な口調と早口でトントントン、と威勢のいい志らくはなかなかかっこいいぞ。前半の最後はゲストのダンカンとのトーク。もうタイガースのことを喋らないでどうする、とばかりに熱弁を奮うダンカン。もとは立川談志一門なんだよなあ、この人。それでも志の輔の兄弟子にあたるとは知らなかった。

 後半の最初は立川志ら乃で『小言幸兵衛』。改めて聴くと幸兵衛旦那も相当サイコだなあ。狂気を語る立川流、か。続いて物売りの声で最近ブレイク中?の宮田章司。年輩の御夫婦は懐かしそうに聞き入り、若い客は「こんな藝人さんがいるんだあ、面白いねえ!」と感心していた。かぼちゃ商会の歌姫黒木美佐を宮田章司に弟子入りさせたらどうか、ということで盛り上がる。相変わらず本人不在で事が進むのが演藝研究会の恐ろしいところだ。最後は志らくが『佃祭』で〆て幕。会長が感心したように「志らくってのはどっちかというと志ん朝タイプだねえ」と呟く。

 早口の江戸っ子口調で威勢の良いところ、けっこう高座姿も綺麗。髪を短く刈ったり黒紋付を着たり、妙に江戸弁を駆使したりして、江戸趣味を変に意識する若手〜中堅がたまにいるが、志らくは変に意識していない(ように思う)。それでも江戸っ子らしいのは、やはりほんとに江戸っ子なんだろう。私は古典落語に江戸らしさを求めるつもりはない。そもそも地方出身でありほんとの江戸っ子というものを知らない。知らないうえに江戸趣味もそれほどない。やれ口調がどうの「ヒ」と「シ」の区別がつかないの、そんなことはあまり気にしない。小林信彦のようなうるさ方には我慢できないのだろうが、もうホンモノの江戸弁を話す噺家なんて絶滅寸前なのではないか。よくは知らないが桂文治、三遊亭円歌くらいなもんじゃないのか。無形文化財としての江戸前を保存することには意義があると思うが、古典落語が江戸前じゃないからイケない、と貶すのはもう無理なのではないかとも思う。静岡出身の春風亭昇太は古典を演じてもじゅうぶんに客席を沸せるではないか。落語に江戸前の雰囲気を求めるのか、江戸前の雰囲気とともにギャグやストーリーを楽しみたいのか、とにかくギャグやストーリーだけ楽しみたいのか、こんなところでファンの評価が割れるのだと思う。私なんか落語というジャンルが好きなので、特に江戸前じゃなくても気にしないんだけどね。

 終演後、近くの居酒屋で焼酎。店主お薦めの麦焼酎「兼八」を呑んだら滅法美味しい。まるでグラスの中に麦畑があるようだ。濃厚な麦の味と香りが絶品。さらに原酒を呑んで絶句する。俺が今迄呑んできた麦焼酎はいったい何だったのだ? ほたるいかの沖漬けが焼酎に合って旨いのなんの。常連のおばちゃんたちがぞろぞろと店に入って来る。コーラスサークルの仲間だということで、度胸づけに一曲歌わせてくれというのだ。客はちょうど私たちふたりだけ。「がまんして聴いてくださいね(笑)」と言って一曲歌う。盛大な(二人だけだが、、、)拍手。まあこんな夜もある。

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