流れ者の物語
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その4 伝説の爺さんたち
■えー、本日はかくも大勢お集りいただきまして、まことに感謝の念に堪えないのであります。今日はこのあいだ観たすばらしい映画【永遠のモータウン】(2002米)について、一言語らせていただきたいと、まあ、斯様に思っておるのであります(まばらな拍手)。
■MUSICIAN'S MUSICIANという人たちがおります。ミュージシャンが認めるミュージシャン、玄人受けするミュージシャンとも言えましょうか。スターに比べてポピュラーな人気という点では格段に劣るが、ちょっとうるさい音楽ファンのあいだでの知名度は高い。たとえば私の大好きなライ・クーダーは、かつてはセッションギタリストとして知名度が高かったが、現在ではむしろ孤高のミュージシャンとして玄人受けするアルバムを数年に一枚発表し続けております。アメリカの大瀧詠一みたいなものでしょうか。ファンク〜ソウルミュージック界ではこういう人材が多く、1970年代のフュージョンバンドの雄「スタッフ」は、名うてのスタジオミュージシャンを集めて結成されました。リチャード・ティー(p)、スティーブ・ガッド(ds)、コーネル・デュプリー(g)といった猛者たちの名前は、1970〜1980年代のフュージョン〜ポップスのアルバムの、約80%にクレジットされているという説もございます。(ほんとかよ) あながち嘘ではありませんぞ、嘘では。はい、みなさんの御自宅にあるその頃のレコードのクレジットを御確認ください。えー、わけてもドラマーのバーナード・パーディは、あー、「ダ・チーチー」というドラムフレーズでも通用するくらいの知名度を誇っております。(わかんねーよ) えー、それでもこれらのミュージシャンは無名とは言えない。言えません。むしろアルバムやシングル一枚で消えてしまった、有象無象のスター候補たちよりは、よほど有名な存在であると言えるでありましょう。グローバー・ワシントン・Jr.(as)、デヴィッド・サンボーン(as)、マイケル・ブレッカー(ts)だって、もとはスタジオ・ミュージシャンだったのであります。数年前に世界的なブームを巻き起こしたブエナ・ビスタ・ソシアルクラブのミュージシャンたちは、戦前のキューバ音楽界で華々しい活躍を残した伝説のミュージシャンたちだった。あー、平均年齢80代という老ミュージシャンたちが文字通り世界を席巻いたしました。彼らを“発掘”したのは、さきほどご紹介いたしましたライ・クーダーだったことは、あー、よく知られております。そしてまた此処に伝説のミュージシャンたちがその姿を現したのです。それが「ザ・ファンク・ブラザース」なのであります。
■えー、皆さんは「モータウン」という言葉に聞き覚えがおありでしょうか。ソウルミュージックが好きな人なら知らないとは言えない、言わせない。言わせません! (うるせーな) ああ、ちょっと解説いたしますと、1959年にアメリカはデトロイトで設立された、ソウルやR&Bなど黒人音楽専門のレコード会社、それがモータウン・レコードです。無粋な解説をいたしますと、R&Bとはリズム・アンド・ブルーズの略語であります。うー、最近日本の若者たちの間で流行しております「R&B」は、アール・アンド・ビーであってリズム・アンド・ブルーズの略語ではない、と聞いたことがありますが、まことにもって嘆かわしい! 困ったものであります。うぉっほん、、、えー、モータウンに在籍したミュージシャンたちの名前を思いつくまま列挙してみましょう。スティーヴィー・ワンダー、シュープリームス、此処にはダイアナ・ロスが在籍しておりました、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、フォートップス、スモーキー・ロビンソン、ジャクソン・ファイヴ、、、此処にはマイケル・ジャクソンがおりましたね、、、どうです、もう音が聴こえてくるじゃありませんか。1960年代から1970年代、そう、アメリカポピュラー音楽の最後の黄金時代、ソウル〜ファンクミュージックの全盛期です。この時代にはモータウン以外でも綺羅、星のごとくスターがいた。レイ・チャールズ、B・B・キング、アルバート・キング、ジェームズ・ブラウン、アイク&ティナ・ターナー、クリフ・リチャード、フレディ・キング、キング・カーティス、そしてソウルの女王アレサ・フランクリン、、、いやはやソウルミュージック好きなら、もう涙が止まらないくらいの、、、凄玉揃いで、、、あります(泣)。うー、そういった時代、黒人音楽専門のレーベルとしてスタートし、時代とともに大発展、未来のロックミュージックの名手たちに計り知れない影響を与えたモータウン。そのモータウンサウンドを支えたミュージシャン、それが「ザ・ファンク・ブラザース」なのであります(拍手さらに少なくなる)。
■えー、うぉっほん、ごほん(咳き込む)、失礼しました。私の年代はモータウンにどっぷり浸かった経験はありません。正確に言うならば同時代としての体験はしていない。それでも1970年代後半から1980年代前半にかけて、ちょっとアメリカポピュラー音楽にかぶれた、そしてそれらのルーツであるソウルやジャズを聴き漁っていた少年たちの耳には、モータウンの影響が少なからず残っているのであります。思い起こせば、私が中学生の頃、深夜放送やFMから流れてくるソウルやブラコン、これはブラック・コンテンポラリーの略ですね、それこそ浴びるように聴いておりました。ジャズやソウル、ブラコン、R&B、、、そういえばAORというのがありましたが、あれは何だったんでしょうねえ(感慨に耽る)、、、アダルト・オリエンテッド・ロック、、、何だったんでしょうなあ。えー、そういう意味では私は保守的でありまして、パンクロックやニューウェイヴにはそれほどかぶれませんでした。YMOやプラスチックスなども聴いてはおりましたが、私の世代であれを聴かなかった中学生がおそらくおらなかったでしょう。それが流行というものです、、、だいたいアメリカ音楽は基本的に保守的でありまして、前衛は常にイギリスやフランスといったヨーロッパと決まっております、、、えー、話を元に戻します。
■ザ・ファンク・ブラザースというのはモータウンレコードのハウスバンドです。新人やベテランが新曲のレコーディングをするとき、常にそのバックを勤めたバンドであります。「マイ・ガール」「ヒート・ウェイヴ」「恋はあせらず」「ホワッツ・ゴーイン・オン」などなど、その時代を象徴するようなヒット曲の数々で、あのモータウンサウンドを奏でている。メンバーは基本的に固定でありますが、パートごとに複数のミュージシャンがおりました。たとえばキーボードプレイヤーならアール・ヴァン・ダイク、ジョー・ハンター、ジョニー・グリフィス、、、ギターならエディ・ウィリス、ジョー・メッシーナ、ロバート・ホワイトといった猛者が控えておりました。この映画を観て初めて知った名前もあれば、ああこの人はモータウンだったのか、という人もおります。アール・ヴァン・ダイクという人、1960年代のソウル・ジャズのレコードでよくその名前を目にしますなあ。コテコテ系サックス奏者のフレッド・ジャクソンが、ジャズの名門レーベル、ブルーノートに残した『フーティン・ン・トゥーティン』にもオルガンで参加しております。今回の映画パンフレットによりますと、あまりにも激しい演奏スタイルのため、彼が弾いたピアノは必ず調律し直さなければならなかった云々と書いてあります。それにしては影響を受けたピアニストがトミー・フラナガン、ハンク・ジョーンズ、バリー・ハリス、、、わりとおとなしいスタイルなのが可笑しいですな。 (わかんなーい!)ジョニー・グリフィスといえば、コテコテ系ジャズテナーの雄ジョニー・グリフィン(ts)と、名前が一字違いのミュージシャンとしても知られております、、、あー知らない人は知らなくていいです、、、ジョー・ハンター翁はハンク・バラード&ミッドナイターズに在籍しておったそうであります。
■彼らはみなミュージシャンを目指しておったわけではありません。ミュージシャンを目指しておったものもおれば、職を得るためにデトロイトにやってきたものもおります。当時のデトロイトはアメリカの自動車産業の拠点でありました。モータウンとはモーター・タウン(車の町)がその語源です。アメリカのあちこちからデトロイトにやってきた若者たちが、それぞれ得意の腕をナイトクラブで発揮していた頃に、モータウンレコードは設立されました。もともとマイナーレーベルだったモータウンレコードに集まった若者たちが、次々とスタジオを訪れる有象無象の歌手のために、一丁あがりとばかりに熱演を繰り広げておりました。そしてその音楽はラジオやシングル盤を通じて全米に広まっていきました。いや全米はおろか遠く海外に迄広まっていったのであります。スティーヴィー・ワンダー、シュープリームス、マーヴィン・ゲイ、テンプテーションズ、フォートップス、スモーキー・ロビンソン、ジャクソン・ファイヴ、、、彼らの音楽は全米、全世界に知られていきました。しかし、そのバックで流れるナイスなギターのフレーズは誰が弾いているのか、ファンキーなビートのドラムは誰なのか、そんなことは誰も知りませんでした。演奏者のクレジットがレコードに表記されることはなかったからです。彼らはみな黙々とスタジオの仕事をこなしておりました。もとよりクラブでの演奏で身を立てたいとミュージシャンの道を選んだ男たちです。デトロイトのスタジオで有象無象の歌手のバックを勤め乍らも、自分達の演奏が世界中で大評判になっていることすら知りませんでした。スターたちは名声と栄光をつかみ取りました。しかし彼らの熱演や独創的なフレーズに対する報酬はあまりにも少な過ぎました。やがてモータウンレコードはデトロイトを去りロスアンゼルスへ移転します。そして彼らは、、、置き去られてしまったのでした。映画にも出てくるエピソードですが、エレクトリックベース奏法のほとんどすべてを創造したとされる故ジェームズ・ジェマーソンは、モータウン創立25周年記念公演のチケットをダフ屋から買い、、、彼は本来招待される立場でありました、、、客席からじっとステージを見つめていたといいます。しかしそんな彼らを“発見”したドクター・リックスなる男が彼を取材し『Standing in the shadows of Motown』(邦題『伝説のモータウン・ベース ジェームズ・ジェマーソン』)という本を書き上げました。そしてその映画化が計画され完成したのがこの映画【永遠のモータウン】なのであります!
■登場する爺さんたち、実に良い顔をしております。皆さん嬉々として演奏に興じております。映画のための再結成コンサートでは大物スターのバックで大活躍であります。ジェラルド・レヴァード、ジョーン・オズボーン、ミシェル・ンデゲオチェロ、ベン・ハーパー、モンテル・ジョーダンといった中堅〜若手シンガー、そしてソウルクイーンのチャカ・カーン、神様ブーツィー・コリンズ! 名サックス奏者トム・スコット! いやあもう圧巻であります。そして印象的なのはこの伝説の爺さんたちがプライドを失っていない、ということです。「いやあおれたちのことなんて誰も覚えちゃいないよ、ハハハ」なんて戯言は決して口にしない。それどころか如何に自分たちがモータウンに貢献したのか、その代償がいかに少ないものであったか、自分たちが若手ミュージシャンの育成に燃えていたかということを、きちんと評価してもらいたかった、という熱意に燃えているのです。ベースのジェームズ・ジェマーソンが如何に天才であったのか、ということを語る場面がいくつも出てきます。まあすでに伝説と化しておりますからほんとのところはどうなのか、そのへんは幾分割り引いて考えないといけないのではないか、しかしそれも生前に正しく評価されなかったからこそ伝説に成り得るのであります。冒頭に申し上げました「MUSICIAN'S MUSICIAN」という言葉、リスナーには理解し得ない、身近にいたミュージシャンのみがそう言うことができるのではないでしょうか。それはともかく、ゴキゲンな演奏、貴重な映像がテンコ盛りのお薦め映画であります。マーヴィン・ゲイの大ヒットナンバー「ホワッツ・ゴーイン・オン」を歌うチャカ・カーン、この世のものとは思えないファッションで「ドウ・ユー・ラヴ・ミー」歌いまくるブーツィー・コリンズ、テナーサックスとバリトンサックスをゴリゴリに吹きまくるトム・スコット、、、ソウルミュージック好きなら必見であります。いや、ポピュラー音楽を愛する者はすべて観なければなりませんぞ。
■では私はこんな話はさっさと終わりにしてもう一度映画館に行ってまいります。それではみなさん、さようなら。御静聴ありがとうございました、、、あれ? 誰もいない? さては、、、みんな映画館に行ってしまいましたか、、、
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