流れ者の物語
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その5 行き当たりばったり臺灣旅行記
第一天 8月4日(水)晴
■このままでは飛行機に乗り遅れてしまう。絶対間に合わないよなあ・・・成田空港税関で長蛇の列に巻き込まれ乍らそう確信した。何しろフライトは9:40だというのに私の番が来るのはだいぶ先になる。今は9:25分、ということはあと15分しかない。海外に出かけるなどもう十数年ぶり。だからもうどういう手続きをしてどのように搭乗するかなどすっかり忘れてしまった。そうかあ、1時間前に搭乗手続きを済ませろというのはこういうことだったのだなあ・・・などとぼんやり考えていても時すでに遅し。とりあえず列を離れて空港職員に事情を話したら「ああ、、、そういうことは旅行会社の方に相談してください」と冷たくあしらわれる。ま、そりゃそうだわなあ。しかし私は旅行会社を通してはいるが基本的に添乗員無しの個人旅行なのである。しょうがないから旅行会社のオネエチャンをつかまえて事情を話す。「ああ、そういうことはお客様が御自分で交渉なさってください。みなさん順番でお待ちですので(いるのよねえこういう客、まったく面倒見切れないわよ、このタコ)」と冷たく言われる。この時点で残り時間は10分。恥も外聞も無く列の先頭に飛び込んで「すいません、10分後にフライトなので先に行かせていただけませんか」当然みな嫌アな顔をしているが、そんなことで挫けていては私の旅が頓挫してしまう。しょうがないなあとばかりに品のよい初老のご婦人が「どうぞ」と言ってくれたので、御礼のコトバもそこそこに税関を通り抜けた。そこから搭乗ロビーまで走る。運の悪いことに一番遠いところにあるのでとにかく走る走る。漸く飛行機までのバス最終便に飛び乗ることができた。いやあ、参った参った。出国手続きが終わっているのだから此処はもう国外、日頃から座右の銘である「頼れるものは自分だけ」という金言を改めて確信したのであった。いや、なに、余裕を持って搭乗手続きを済ませておけば良いだけの話、なにごとも久しぶりというのは身体が上手く反応しないものである。
■予定通り9:40に離陸。飛行機に乗るのは昨年の大阪行き以来だ。呆然としていたら、やれ麦酒を飲めだのおつまみを食えだの飯を食えだのせわしないことである。今日は4:30に家を出てきたので眠いこと夥しい。飯を食ったら眠くなって少しうたた寝をしてしまう。乗客の半数は臺灣人らしくあちこちで臺灣語が飛び交っている。日本人はビジネスマンかグループ旅行の団体で占められているようだ。飛行機は特に何事もなく臺灣の中正国際機場(空港)に着陸。臺灣との時差は1時間なので到着時刻は12:10であった。タラップを降りて税関に向かう。おお空気が違う、アジアの空気だ。なんとなく懐かしい気持になる。だらだらと歩いて税関を抜け旅行鞄を手に歩き出す。到着ロビーに旅行会社の出迎えがいてガイドのおじさん(臺灣人)が声をかけてきた。たった独りの旅行者のために世話をかけるなあ、と思いきや、他の便で到着した日本人旅行者と十把一からげにバスに乗せられた。そりゃそうだわなあ。当然のごとくあちらこちらで中国語が飛び交っている。ほとんどが臺灣語だが訛りのきつい普通話(標準語)、上海語、広東語も聴こえてくる。煙草を吸いに外へ出たら湿度の高い強烈な熱気に包まれた。ああ臺灣に来ているんだなあ・・・と実感。ぼーっとしていると計程車(タクシー)の運転手が乗らないかと声をかけてくるのでどんどん断る。漸く旅行客が揃ったのでバスに詰め込まれて臺北市内へ向かう。車窓から見える風景は赤土と椰子の木、青い空と白い雲、やたらと工事が行なわれており、近代的な高層建築が立ち並び、その合間に古ぼけた集合住宅や民居が挟まっている。満艦飾の看板が否応無しに漢語圏の雰囲気を醸し出していてしばし感慨に耽る。途中両替場に立ち寄り換銭(両替)をする。どのくらい換銭したらいいかわからないので、ガイドのオジサンに尋ねてみたらだいたい3万円くらいにしておけばいいでしょうと言われる。今回の旅はとにかく観光ツアーもへったくれもない完全フリー旅行なので、まあこれくらいでいいのだろうと思う。なんだかんだで15:00過ぎにホテル到着。臺灣車站(駅)からはだいぶ離れているが、地図で見ると臺北のほぼ中心に位置しており、まあ便利なのではないかと思うことにした。フロントでキーを受け取り部屋に入る。窓の下は人と車の波。殺風景ではあるが別にリゾート地に来たわけではないのでそんなことは気にしない。とりあえず街を散策だ。リュックを背負っていざ臺北の街へGO!
■街を歩くには裏通りから、というのが私のセオリーなので迷いもなくホテルの裏露地を行く。伊通街から四平街を抜け大通り(南京東路)を歩く。夕方の裏露地には屋台が林立し、小籠包や麺条、粥、油条、焼餅の匂いが街中に漂っている。嗚呼懐かしい匂い。体感温度は35〜36度くらいあるのではないか。あくまで湿度は高く熱気に包まれた夏の臺北の夕暮れ。数十メートル歩いただけでもう汗が滴り落ちてくる。いやあこりゃたまらん。それにしても人が多い。車が多い。そして物凄い台数のスクーター(機車)が街を走っている。1980年代の上海や北京では物凄い台数の自転車が走っていたが、それがそのままスクーターに置き換わったのが臺北なんだろうか。日本と違い臺灣の道路は左右反対である。もちろん左ハンドル。だから横断歩道を渡るときにはまごついてしまう。日本の感覚と違って思わぬところから右折・左折車が突っ込んでくるのだ。何度も轢かれそうになり乍らじっと観察しているうちに、私は臺北の歩き方を体得することができた。それは・・・
1)信号はあくまで目安であって信用してはいけない。
2)赤信号でも行けるときは行け。ただし車も同じように突っ込んで来る。
3)臺北では車が歩行者に優先する。しかし歩行者も車に負けてはいけない。
■だいたいこの3点を押さえておけばまず間違いない(何が間違いないのかよくわからんが)。街のあちこちから香辛料(醤油や八角)、香菜、韮など野菜の匂いが漂って来る。アジアが好きな人にはたまらない雰囲気だなあ。アジアが嫌いな人には別な意味でたまらないだろうが。あくまで露地はでこぼこ、近代的な商店と古い商店が立ち並んでいる。大通りの商店はほとんど日本と変わらない。マクドナルドもケンタッキーもドトールもスターバックスもある。セブンイレブンもあればファミリーマートもあちこちにある。それらの隣に老臺北の食堂や茶舗、眼鏡屋などが活気に満ち、あるいはひっそりと佇んでいる。だんだんお腹も空いて来た。道端の屋台で油条を買って食べる。ぱさぱさしてはいるが大豆と油の香りがなんともすきっ腹に効く。臺北車站の近くの大通りに出たら信号待ちのスクーターの台数が物凄い。ざっと見て40〜50台はいるだろう。いざ信号が青になると一斉にスクーターが走り出す。後から後からスクーターが飛んで来る。もう100台以上は通り過ぎていっただろう。決して暴走族の集会ではない、家路に着く臺北のサラリーマンやOLのみなさんなのである。夕暮れの臺灣車站に到着。車站の付近はさすがに繁華で、特に重慶南路の付近は夥しい店と夥しい人、人、人。ハイクラスの洋装店、宝石店から書店、CD店、老舗の商店、食堂、屋台と、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような雰囲気。街のあちこちに中華街と浅草と秋葉原がある、と思えばよろしい(あまり信用しないように)。もう臺灣語しか聴こえてこない。臺灣語はさっぱりわからない。頼れるものは自分だけ、孤独とはけっこう大変なのだがそれなりに楽しいものでもある。
■汗が滝のように流れるのでセブンイレブンにてポカリスエットを購う。23臺灣元。手に持つと何となく違和感あり。よくよく見るとこのペットボトルは600mlなのである。ちょっとだけサイズがでかい。これも南国ならでは、なのだろうか。それにしても日本のガイドブックの地図はいいかげんだ。これを信じて歩いていると必ず迷ってしまうということがわかった。ランドマークのある位置がだいたい適当なのだ。この通りだと思って歩いていくと、実は1〜2本向こうの通りだったりする。地図にある建物があったりなかったりする。縮尺も適当。しょうがないのでファミリーマートで臺北市外図を購う。うーんさすがに細かくて正確。たぶん縮尺はいいかげんだと思うが細かい露地の名前まではっきりと書いてあるので安心だ。さすがに腹が減ってきた。今夜の夕餉はどうしようかな、と暫し考えてからホテルの近く(といっても歩いて30分だが)の夜市に行くことにした。さてもう4時間ほど歩いて疲れたので、いよいよ臺北名物の新交通システム捷運(MRT)に乗って夜市を目指すことする。捷運とは要するに地下鉄のことである。1997年に開通して以来臺北市内では無くてはならない重要な交通機関。乗り物好きとしては乗らないわけにはいかない。捷運乗り場に行くとまず乗車券を買う。武骨な券売機に行き先までの料金ボタンを押し、それから料金(コイン)を入れる。紙幣は使えない。するとオレンジカード大の乗車券が発券されるのでそれを自動改札に通して乗り場へ。ホーム(月台)は日本の地下鉄とほぼ同じ。車内も地下鉄とほぼ同じ。ただし座席はプラスチックなので座り心地はいまいちかな。
■板南線という路線に乗り忠孝福興站で木柵線に乗り換え南京東路站で下車。此処から夜道を歩いて遼寧夜市へ向かう。暗い夜道をぶらぶらと歩いて行く。露地によっては真っ暗なところもあり拳銃を突き付けられてもおかしくない雰囲気。まあそうなったらそうなったでしょうがない。無人というわけではないからなあ。それにしてもひっそり閑としているなあ。ほんとに夜市などやっているのだろうか。そう思い乍らぶらぶらと歩いていくと前方に明るい通りが見えてきた。おお、あれか。だんだん近づいていくとまさにこれは夜市である。約200メートルほどの通りの両側にあるわあるわ食べ物の店だらけ。担仔麺、餃子、小籠包、魯肉飯、果汁スタンド、大きな店から小さな店まで種々雑多。どれもこれも美味しそうである。ひとしきり夜市をぶらついていたらさすがに腹が減ってきた。度小月なる店に入り担仔麺と臺灣ビールを注文する。すると店のオヤジが「この野菜も美味しいぞ、食べるか?」と勧めるのでそれも注文。箸はきちんとビニールで包装されていて思いのほか衛生には気をつけているようだ。1980年代の中国はほんとに不衛生だったからなあ。まあそれに比べればなんてことはない。担仔麺は薄い醤油味の汁に細めの麺、香辛料で炒めた挽肉、香菜が浮いていて美味しそうだ。またこの臺灣ビールが美味しいのである。日本でも中華街などで買えるが青島ビールなどよりずっと美味しい。汗をかきかき担仔麺を啜っているとおばちゃんが例の野菜炒めを持って来た。なんだろうと摘んでみたらこれが空芯菜を塩とニンニクで炒めただけのもの。そしてこれが美味しい! うーん、ビールに合うなあ、これ。料金は115臺灣元。日本円だと400円くらいか。満足して店を出る。まだまだあれも食いたいこれも食いたいという東海林さだお状態。次に八方雲集なる餃子屋に入る。「水餃子も鍋貼児(焼餃子)もあるよ、美味しいよ、何食べる?」おばちゃんがお薦めの鍋貼児に私の好きな酸辣湯を注文。春巻きのような形状の鍋貼児に酸辣湯が合う。うーん、これでもう満腹になる。独り旅だとこういうとき不便だなあ、と実感する。数人で入ればあれもこれもといろいろな料理が楽しめるわけだ。良い気持になって夜道をだらだらと歩いてホテルに戻る。ホテルのすぐ隣にの書店に入ってみる。日本文学の翻訳が充実しているが、よくよく見ると村上春樹の翻訳がずらっと並んでいる。やはり人気があるんだなあ。ちなみに村上龍は一冊もない。さすがに疲れたのでシャワーを浴びて就寝。
第ニ天 8月5日(木)晴
■9:00起床。おっと寝過ごしたかあ、と思って慌てて街へ飛び出した。早朝の屋台でお粥なんぞを啜りたかったのだがなあ、まあいいか、ぶつぶつ言い乍らぶらぶらと歩いていたら、通り沿いの店の時計が8:30を指している。???ああ、そうか時差があったんだ。目覚まし時計はまだ日本時間だったので、すると起きたのは8:00だったのか。てくてく歩いて臺灣車站へ向かう。天津街の屋台でおばちゃんから小籠包を購い食べる。臺灣人らしい顔つきのおばちゃんから「あんた中国語巧いね」と世辞を言われる。多謝。しかし暑い。さっそくコンビニでポカリスエットを購う。昨日はわずか4時間ほどのあいだに3本を飲み干してしまった。それほど汗が滝のごとく滴るのである。
■今日の予定は訪臺の目的のひとつである国家図書館見学だ。ニニ八公園の先、国民党総本部、国家音楽堂などの重要施設立ち並ぶ中山南路沿いに国家図書館はある。思ったよりは大きくない。うーん、もっと重厚な建物を想像していたのだがなあ。とはいえ東京都立中央図書館よりはずっと立派ではある。カウンターで見学したい旨を申し込んだら、図書館小姐が此処にパスポートナンバーを記入しろと言う。記入すると臨時入館証を渡され、入館ゲートを通って中に入る。国家図書館とはいえなんだか庶民的な雰囲気である。敷居が低い印象。熱心に本を読みノートを取る若者から新聞をじっくり読む初老のおじさん、机で熟睡するオネエチャンなどなど。ペットボトルを平然と持ち込んでいるが良いのかなあ、と思っていたら館内には給水機が設置されている。ほんとは閲覧室内では飲食禁止だからロビーで飲めということなんだろうな。図書館へのペットボトル持ち込み問題は臺灣にもあるぞ。1階は図書館史の展示室と自習室で、書架と閲覧席は2階以上となっている。2階は検索端末、オンラインデータベース端末、学位論文、新刊書架、参考図書コーナーで賑わっている。3階は期刊(雑誌・新聞)閲覧室とコピーコーナー、4階は視聴覚室と善本書室、5階は政府出版物、最上階の6階は日本語・韓国語書籍、藝術資料、大陸資料、漢学研究中心。善本書室は展示コーナーを兼ねていて貴重な古籍善本が展示されている。せっかくの機会なので館内をくまなく散策。最上階まで一部吹き抜けになっていて開放感があり、適度に外の光が入ってきて良い雰囲気だ。図書館の片隅で熱心に図書カードを繰る職員を発見。たぶんカードの整理をしているんだと思うが、これがまた今どき珍しい真性図書館員。髪はぼさぼさで青白い顔、痩身で眼鏡をかけた中年のおじさんだった。おお、図書館屋と呼ぶに相応しいぞ。こういう図書館員は万国共通なのか?
■国家図書館を後にして次はニニ八記念館へ向かう。日本統治時代はラジオ局だったアールデコ建築の建物がニニ八事件記念館になっている。日本の敗戦とともに連合国最高司令官マッカーサーは、中国大陸・臺灣の日本軍に対して、中国戦区最高司令官である蒋介石に降伏するよう命令した。この時点で蒋介石率いる中国国民党は毛沢東率いる中国共産党と覇権を争っていた。連合国側は中華民国を正式に認めていたのだが、国民党政権は腐敗を極め民衆の支持は清廉を旨とする中国共産党に移っていた。ある日、国民党政府が臺灣にやってきた。臺灣人は日本の植民地支配が終わり祖国の政府軍が渡臺してきたことを喜んだ。しかしこの政府は驚くほど士気が低くかつ民から貪ることを熱心に行ない、臺灣人たちはあっという間に幻滅してしまったのである。臺灣人の新しい政府に対する不満は鬱積し、1947年の2月、ほんのささいなことから民衆蜂起に繋がり、政府は無辜の臺灣人たちを大量に殺傷した。この悲劇がニニ八事件として語り継がれているのだ。やがて国共内戦に破れた蒋介石が臺灣に逃れ中華民国政府として君臨、以後1987年に解除される迄臺灣全土に戒厳令が施行されたのである。
■国立歴史博物館は改修中で参観できず。残念。腹が減ったので臺灣車站周辺をうろうろしていたら市場と食堂・屋台がひしめく通りに紛れ込んでしまう。うーん、見るものすべてが美味しそうでたまりません。行きつ戻りつした挙句、声をかけてきたおばちゃんの屋台に座る。何が美味しいのかと訪ねると「うちの名物は臭豆腐よ」と笑い乍ら言う。よくわからんがそれを注文し、小腸麺線なるものも注文してみる。臭豆腐はちょっと醗酵させた豆腐を油で素揚げして辣醤とニンニクをかけて泡菜(野菜の酢漬け)を添えたシロモノ。やや癖のある味だが美味しい。小腸麺線はモツ煮込みソバであった。冷房もへったくれもない路地裏の屋台で汗をかき乍ら食べる。これが最高に美味しい。「あんた、臺灣には何度も来てるのかい?」「・・・いいえ、臺灣には初めて来ました。昨日着いたばかりです」「そうかい・・・どう、臭豆腐は美味しい?」「はい、とても美味しいです。この辺りは毎日こんなに賑やかなのですか?」「ああ車站のそばだからねえ、昼時は大にぎわいだよ、また食べにお出で」「どうもありがとう、さようなら」まるで中国語会話教科書のようなやりとりをして席を立つ。〆て65臺灣元。昨日から気になっているのが「自助餐」という看板。眺めていると自分で食べたい菜(おかず)を皿に取ってご飯を注文して会計する、なんというかセルフサービス食堂らしい。これがまた美味しそうなのである。よし帰国するまでには必ず入ってみようと決意。
■さて昼餉も済んだし次は何処へ行こうかと暫し考えて臺灣大學を表敬訪問しようと思い立つ。せっかくだから図書館を見学したい。さて臺灣大學に行くにはまた捷運に乗らなければならない。車站から新店線というのに乗って公館という站で降りる。公館というところはさすが学生街らしくお洒落な店が林立している。さて大學は何処かと辺りを見回すと椰子の木がたくさん生えている広い敷地があった。ここに違いないと歩き出す。正門から入り敷地の案内図を確認。さすが旧臺北帝國大學、日本統治時代の荘厳なゴシック建造物がたくさん残っている。雰囲気としては東京大学に似ているなあ。それにしても実に広いキャンパスだ。どれくらい広いかというと、両側に巨大な椰子の木が並ぶ並木道があり、どうやらその突き当たりが図書館らしい。そこから歩くこと十余分。目の前に建物が見えているというのに歩けども歩けども到着しない。これぐらい広いのである。受付カウンターで、南方系の顔だちのしっかりしたオネエチャンに見学したい旨を告げると、パスポートを預ければ臨時入館証を発行するという。入館証を受け取り中に入る。最高学府らしい落ち着いた図書館。驚いたのは書架、閲覧机、椅子、受付カウンターのすべてが実に立派なものであること。黒檀というのか紫檀というのか、実に立派な木製の調度品で統一されていておみごと。これに比べると東大中央図書館の書架は味わいはあるが安っぽいなあ。二階からどんどん上にあがっていく。最上階では臺灣大學所蔵珍本東亜研究資料特展示(特別コレクションの展示)が行なわれていた。臺灣大學所蔵の古籍珍本から和刻本漢籍(日本の漢籍)までけっこう見応えのある展示。いやあ良い時に来たもんだ。特別展示記念の付箋紙をお土産に貰う。当然非売品でありこの展示期間に来た参観者しか貰えないプレミア品だ。帰ったら図書館で自慢しようと思う。しかし誰が羨ましがるだろうか、そんな奇特なやつはY姐かM嬢くらいしかいないなあ。
■図書館を辞しキャンパスの周りを散策。学生向けのお洒落な店と古くからの街並が同居していて雰囲気だ。天才書店なる書店に入って書棚を眺めていたら掘り出し物発見。魏啓仁著『世紀影歌星三脚鼎;周旋・李香蘭・白光』だ。写真が沢山載っていてこれは興味深い。1930〜40年代の中国歌謡の歌姫たちの伝記読物。付録の楽譜も充実している。おおこれは掘り出し物だ。嬉しくなってさっそくレジで会計したら、茶髪のネエチャンがなにやら箱を取り出してきた。尋ねたら300元以上お買い上げの方はスピードくじがひけると言っている。適当にひいてオネエチャンに渡したら安っぽいボールペンをくれた。更に何やら黄色いカードを寄越して、今度来たらこれを出せと言うではないか。よくよく見ると特典割り引きカードなのだった。ありがたいけど今度いつ来るかわからんぞ。交差点近くの路地裏に胡椒餅なる屋台があって賑わっていた。コレハナニカ? 早速買ってみた。どうも焼餅・・・粉を練って焼いたものを焼餅 shao-bing という・・・なのだが、牛肉と葱の餡の中に粒胡椒がたっぷり入っていて実にスパイシーで美味しい。人気商品らしいので公館にお出での際はぜひ御賞味ください。誠品書店という書店に入ってみたらこれが実にお洒落でかっこいい。店内はモダンジャズが流れており品揃えといい書棚や陳列台もハイセンス。青山ブックセンターよりずっとモダンだ。難解そうな哲学書や洋書がたくさん置かれており臺灣大學生の知的レベルの高さが伺える(あまり信用しないように)。市場をぶらぶらしていたら豆漿5元という看板があり人が群がっていた。私は行列するのが嫌いなのだがあまりにも美味しそうなので買ってみた。砂糖が入って適度に甘い豆漿(要するに豆乳)の美味しいことったらない。いつのまにか陽も暮れてきたので屋台の牛肉炒麺(焼そば)を買って公園のベンチで食べる。出来たての熱々で量もたっぷり、これで60臺灣元だからなんとも安い。
第三天 8月6日(金)晴
■8:30にホテルを出て忠孝復興站迄歩く。ビジネス街なのか乗降客が多く、それを狙ってか朝食の屋台がいっぱい出ている。私も屋台で広東粥を購い道端に座って食べる。雑穀がたくさん入っていて美味しい。さて腹ごしらえも済んだので捷運に乗って出発。今日の行き先は臺北市外の温泉街・新北投だ。臺灣は火山島で百箇所以上の温泉が確認されている。臺灣行の目的は温泉・職業棒球(プロ野球)観戦・屋台・図書館見学だったのだが、残念なことに今年はアテネ五輪のために8月の職業棒球はお休みなのであった。まあそれはまた次回以降に譲ろう。とりあえず屋台と図書館という目的は果したので、愈々温泉に浸かりに行くのである。臺北車站で淡水線に乗り換え新北投へ向かう。地下鉄は途中から地上に出て市外へと向かって行く。車窓には緑豊かな臺北郊外風景が広がっていて気持が良い。平日の午前中から郊外へ向かう捷運は空いていて、何処へ行くのか老臺北のおじいさんや、遠足であろう小学生の一団、外国人の観光客もちらほら。やがて捷運は北投站に到着する。ここから一站なのだが新北投行きに乗り換えるのだ。
■10:30新北投着。改札を出ると温泉街特有の硫黄の匂いが漂っている。おお温泉だ、温泉だ。とりあえず駅前の公園を散策していたら、温泉博物館なるものがあったので、さっそく見学しようと入り口に向かうが、なんと歴史博物館に続き此処も改修中で休館ということだ。街のいたるところに「2004臺灣観光年」というポスターが貼ってあるのになあ。昨年のうちに改修しておけよ。汗をだらだらと流し乍ら歩いているうちに、瀧之湯という古ぼけた温泉が見えてきた。やけに古いが此処は日本統治時代に日本人が建てた銭湯なのだ。それが今でもそのままの姿で営業しているのである。男湯・女湯という表示までそのまま残っているではないか。入り口で眺めていたらオバチャンが出てきて「入浴料は70元だよ」というので早速入ってみた。古色蒼然とした引き戸をガラガラと開けて驚いた。普通の感覚では脱衣所があってその奥に風呂場があるのだが、此処は脱衣所と風呂場がいっしょになっているのだ。木造の浴室はさすがに時代を感じさせる。何しろおよそ百年前の姿そのままなのだ。衣服を入れる棚に荷物を放り込み裸になっていざ入浴。大きな浴槽は二つに区切られている。とりあえずかかり湯をしてから向かって右側に入ってみる。熱い。こりゃダメだ、こちとら江戸っ子じゃねえぞお。左側は適温だったのでそちらにどっぷりと浸かる。浴室は薄暗いが天井に大きめの明かり取りの窓があって、午前中の陽光がじんわりと室内に注ぎ込んでくる。手足を伸ばして大きく溜息をつき乍らゆっくりと湯に浸かっていると、田山花袋の温泉紀行の情景が頭に浮かんできた。旅好き温泉好きの田山花袋が浸かった明治〜大正時代の日本の温泉場も、きっとこんな感じだったのだろうなあ。午前中から入っている客のほとんどがご老人。老人のコミュニティーなんだな、きっと。満足して湯から上がると汗がどんどん出て来る。ぼおっとし乍ら灼熱の街に出たところが、身体が熱を持っているらしく不思議と暑さを感じない。いやあ健康に良いなあ。散策を再開し歩いているうちに地熱谷という処に出る。百度近いお湯が湧き出ている大きな池があって、辺りには水蒸気が立ち篭めている。早い話が箱根の地獄谷だな。時計を見たら正午過ぎ、腹が減ったので街に戻って何か食べよう。公園を歩いていたら日本ではあまりみかけない蜻蛉が飛んでいたので写真を撮る。さて何を食おうかと思ってふと見ると吉野家がある。おおそうだ、臺灣吉野家に入ってみようではないか。此処には牛丼はあるかもしれないぞ。勇んで入ってみたが残念乍ら牛丼はありませんでした。その代わり鶏肉丼だの東玻肉丼だのというメニューが充実。とりあえず東玻肉丼セットを注文。東玻肉丼は肉の他に茹でたブロッコリーとニンジンが乗っている。その他、キムチ、日本風味茶碗蒸し、冰檸檬紅茶という不思議な取り合わせ。腹ごしらえも済んだところで再び捷運に乗り次の目的地・淡水へ向かう。
■やがて捷運は淡水河という東シナ海へ注ぐ河に沿って走る。緑豊かな山、ゆったりと流れる河、心がのんびりとしてくるなあ。だんだん河幅が大きくなってきて向う側に海が見えてきた。そして捷運はゆっくりと淡水の站に到着。淡水河口に開けた街でその歴史は古く、統治者はスペイン、オランダ、イギリス、日本と移り変わった。17世紀にスペイン人が建造した建物が残っていたり、19世紀に建てられた英国領事館が残っていたりする、かなりエキゾチックな街。最近ではリゾート地として発展し、週末になると観光客がどっと押し寄せてくるという。作家の藤原新也が今から30年ほど前に此処淡水を訪れたことがある。その文章を読むと当時はほんとに何も無い鄙びた街だったようだ。ところが今じゃ河口に沿って土産物屋が立ち並び、市内の露地は観光客相手の店が林立していて、いやはやその賑やかなことといったらない。とりあえず観光地をぶらぶらし乍ら市外へ向かって歩く。メインストリートを外れてどんどん歩くと古い商店やアパートが目立ちはじめ、かつての淡水の雰囲気が少しだけ残っているような気がした。行く手に大きな建物が見えてくる。近づいてみたら淡水鎮立図書館だった。ちょっと覗いてみたのだがどうということはない公立図書館で中学生や高校生が熱心に勉強に励んでいた。此処からまた更にどんどん歩いていくと坂の上に真理大學という看板があった。此処も大學があるようだ。急な坂道を登ってキャンパスに入る。カソリック教会が基になった大學らしく古い建物が残っている。小さな図書館があって此処も覗いてみようと思って近づいたが、何故か灯がついていないし人のいる気配もない。臺灣大學図書館とは打って変わってしょぼい施設だったが、ちゃんと荷物を入れるコインロッカーがあるのが面白かった。喉も乾いたところで喫茶店に入ってみる。河沿いの海湾珈琲館という店で氷珈琲。かなりお洒落な喫茶店である。店内に流れるBGMはナット・キング・コールの「Pretend」だ。そろそろ夕方に近づいてきた。站前のCD店に入って物色。白光(1940年代から活躍したジャズフィーリング溢れる歌手)や葛蘭(ごぞんじ中華マンボの女王として一部では有名)の名曲CDなどいくつか食指が動くものがあった。迷った挙句『100風華再現〜流金典藏老情歌100首』という5枚組CDを購う。1939年から1969に流行った臺灣流行歌を集めたコンピレーション。
■捷運に乗って臺北市内へ戻る。ガイドのオジサンが電話をかけてきて食事するならつき合いますよ、というのでいっしょに出かけることにした。何処か行きたいところはありますか?というので、それでは足裏マッサージに行きたいですと言って案内してもらった。屈強な臺灣のアニキが約30分かけて両足をじっくりと揉んでくれる。最初は痛いのだがだんだん気持よくなってきて、最後にはあれだけ酷使した両足がすっかり軽くなっていて驚く。足裏マッサージは凄い。料金は700臺灣元、日本円で約2000円くらいか。オジサンの案内で好記担仔麺という店に行き夕餉。人気店らしく日本のガイドブックにも紹介記事が載っていた(店内に貼ってある)。担仔麺、炒菠薐草、蒸鶏肉などを貪り食う。「私は奉天(現在の中華人民共和国瀋陽市)で生まれまして、戦争が終わってから臺灣に帰ってきたのです。私の父は早稲田大学のラグビー部員でした」「さっきタクシーのなかで話されていたのは臺灣語ですか?」「そうです、臺灣語です。私はガイドのために広東語も勉強しました。だから臺灣語、広東語、北京語(標準語)、そして日本語も話します。でも広東語は暫く使っていないのでもうだいぶ忘れてしまいました」流暢な日本語を話すガイドのオジサンであった。
第四天 8月7日(土)晴
■8:30起床。愈々最後の一日(実際には半日)である。昼過ぎにはチェックアウトしなければならない。短い時間ではあるが最後に市内を散策しようと表へ飛び出した。路地裏ゾーンをひたすら歩く。だいたい方向感覚がわかってきたので、今じぶんがだいたいどの辺にいるかがわかるようになっている。だらだらと歩いているうちに見覚えのある高い塔が見えてきた。車站のすぐそばにある高層ホテルだ。あれはランドマークだなあ。車站の周りをだらだらと歩き二日目に臭豆腐を食べた例の屋台通りに入る。ようし今日は自助餐にチャレンジだあ。通りのなかにある自助餐店に入り紙製の皿を手に取ってたくさんの種類のおかずを選ぶ。ここは店のおばちゃんに、これが欲しい頼んで皿に取ってもらうスタイル。迷った挙句、炒猪肉(豚肉)、揚鶏肉、炒青菜、炒茸白菜、米飯。店の奥の汚いテーブルでぱくぱく食べる。うーん美味しい。何度も言うようだが、いくら汚いといっても、1980年代の中国の屋台にくらべたらはるかに衛生的なのでぜんぜん平気。それにしても美味しいなあ、、、もっと滞在して毎日でも食べたいくらいである。今度来るときは一週間くらい滞在してもっとのんびり過ごしたいと思う。食後、また散策に出発。站を外れて歩いているうちに承恩門にぶつかった。ガイドブックによると此処は清国統治時代に建造され今でも残っている唯一の城門だという。なんとも武骨な構えである。門の中に入ってみたらなんとなく当時の空気が残っているような気がした。その門の向う側には旧鉄路局の建物が残っている。今では使われていないらしく半ば廃虚の雰囲気濃厚。またすぐそばに臺北郵局(郵便局)がその雄姿を見せている。たぶん日本統治時代に建てられたのであろう、ゴシック建築の荘厳な建物だ。中に入ってみたけれど旧満州中央銀行を彷彿とさせる立派な造りで雰囲気満点。チェックアウトの時刻が迫ってきたので車站前でタクシーを拾ってホテルの近くまで戻る。最後の食事ということでホテルの裏通りで刀削牛肉麺を食べる。ああこの味つけはまさに屋台風味だなあ、、、日本のレストランではここまであざとい、というか野暮ったい味つけはしないと思う。1:00チェックアウト。来たときと同じく今日の便で帰国する日本人旅行者と十把一からげにされて空港迄。搭乗手続きを済ませ税関を通る。今度は余裕を持って搭乗ロビーへ。4:30中華航空で臺灣を離れる。さらば臺灣、また来る日まで。
■臺灣の人と話をしていると、しきりに中国はダメ、臺灣は良いと言う。中国というのはすなわち大陸のことである。臺灣人は臺灣と中国大陸をはっきりと区別しているのだなあ。「臺灣人は優しいけれど中国人は優しくない」「臺灣の食事は美味しいが中国の食事は不味い」「香港なんかは泥棒だらけだ、臺灣も治安が悪くなったと言われるが、香港や中国に比べたらかわいいものです」まあ鵜呑みにはできないから、はあ、そんなもんですかねえとあいづちを打って聞いていた。私が話をした臺灣人に共通する思いがある。中国と臺灣をいっしょにしてもらっては困る、という思いだ。日本人から見たら中国も臺灣も香港もさして変わりはないのだが、実際に話をしてみるとこれがぜんぜん違う。単に資本主義と社会主義というイデオロギーの対立だけではない。ニニ八事件にも象徴されるように、戦前は大日本帝国から弾圧され、戦後は大陸からやってきた中華民国政府に弾圧され続けたのである。臺灣は臺灣人のもの、という思いはこの百年のあいだに、日本人には計り知れないほどの密度で凝縮され続けてきたのだろう。
■真夏の臺北は脳天がくらくらするほど暑かった。人は多い、車は多い、清潔なところと汚いところ、新しいところと古いところがパラレルに存在する街。一日十時間・・・これは歩き過ぎなので初心者は真似しないこと・・・は歩き回っていても飽きない街だった。正直言ってくたびれた。最初ということもあってとにかく欲張ってしまったのが敗因。次回はもっとゆっくりと街歩きをしたいと思う。しかしあれほど暑くて疲れたというのに、街を歩いているときに感じたあの爽快感はなんだったのだろう。帰国してからいろいろと考えてみたが、やはり“人がいて街がある”という部分が爽快感の源ではなかったか。日本の街は“街があって人がいる”ということを強く感じるようになった。臺北は“人の存在感が濃い”街であったが、東京は“人の存在感が薄い”街だなあ。もっとも中国人に比べて日本人は自己主張が弱いということもあるだろう。それとも臺灣人の自己主張が強過ぎるのだろうか。ともかく私は臺灣でなんだか得体の知れないパワーを貰ってきた。そんな気がする行き当たりばったり臺灣旅行記であります。
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