臺北、高雄に次ぐ臺灣第三の都市、臺中を過ぎた辺でだんだんお腹が空いてきた。「弁当! 買弁当!(お弁当はいかがですか)」タイミング良くやってきました弁当(臺灣では「便當」と書く)売り。今回の臺灣行で楽しみのひとつだったのが弁当。「弁当」という単語は紛れもなく日本統治時代の影響だ。ちなみに中國大陸にも駅売りの弁当は存在するが、こちらは「盒飯 he fang」と言い、一般的な中國語の辞書には「弁当」という単語は無い。早速買い込んで蓋を開くと、炊きたての米飯が敷き詰められた上にドカン、と猪肉排骨(豚肉のスペアリブ)が乗っかり、周囲には炒菜、醤蜑(醤油茹で玉子)、臭豆腐、そしてなぜか沢庵漬け。見た目は日本のような小奇麗さはまったく無く、まるで臺灣の雑踏のように雑然としているのだが、いかにもたったいま作りましたという温かさが嬉しい。吃驚するほど美味しいわけではないが、それでもしみじみと美味しい弁当であった。何より温かいのが嬉しい。何しろあたりは強烈な冷房で寒いくらいなのだ。そして列車の外はムシムシする熱気、このちぐはぐさがオモシロイ。そうこうしているうちにわが自強号1027高雄行は嘉義(日本統治時代の1931年、夏の甲子園大会に臺灣代表として準優勝した嘉義農林で野球ファンには有名)、臺南(臺灣で最古の街・・・京都みたいなところか)を過ぎ、愈々高雄まであと30分だ。窓の外はすっかり暗くなり駅に止まるたびにネオンに彩られた街が現れては消えてゆく。
高雄の野球は日本統治時代に始まる。当時日本では中等學校野球(現在の高校野球)、東京六大學野球全盛時代だったので当然臺灣にも野球が伝えられ、高雄でも小學校を中心に野球熱が盛んになった。やがて1945年の日本の敗戦後、日本統治時代の名称だった野球は「棒球」に変更された。それからの高雄および臺灣棒球は社会人チームが次々と結成され各地で熱戦が繰り広げられた。1960年代に入るとリトルリーグが活発になり、1970年代には世界選手権で圧倒的な強さを見せ、臺灣全土を熱狂の渦に巻き込んだ。社会人チームの強さも世界的に有名になってゆき、こうなっていくと次第に職業棒球(プロ野球)結成の気運が高まってきた。その頃、呂明賜(読売ジャイアンツ)、郭李建夫(阪神タイガース)といった選手が、日本プロ野球に移籍して大活躍したことも拍車をかけた。そして1990年に発足した中華職業棒球(CPBL)も当初は臺灣全土を熱狂の渦に巻き込んでいったが、放映権に絡む熾烈な利権獲得競争や野球賭博事件でファンが離れていくという暗い時代もあった。それでもオリンピック金メダル獲得など、臺灣棒球のレベルの高さは世界的に知られるようになった。2リーグ制から1リーグ制への移行も簡単にはいかなかったが、2001年にようやく現在の1リーグ制が実現し、臺灣職業棒球は新時代に向けて新たなスタートを切った。現在臺灣職業棒球は興農牛、兄弟象、統一獅、中信鯨、誠泰COBRAS、La New 熊の6チーム。(かつては三商虎という臺灣のタイガースが存在したのだが、1990年代のゴタゴタの末、なんと解散してしまった)このうち高雄をフランチャイズとするチームはLa New 熊(La New Bears)である。La New ってのはなんだろうと思っていたのだが、後日街を歩いていたら靴のメーカーであることが判明。帽子のマークをよくよく見ると靴をモチーフにしたものだった。現在、日本プロ野球を退団して臺灣職業棒球に活路を見い出す選手も少なくない。かつて阪急ブレーブスのドラフト1位で将来を嘱望された野中徹博(投手)が、プロではとうとう1勝もできずクビになった。その後臺灣に渡ってリリーフエースとして活躍し、テスト生として再び中日ドラゴンズに復帰し、漸く初勝利を挙げたことがあったなあ。今では何人もの選手が臺灣で活躍しているが、わけても中込伸(元阪神タイガース)は兄弟象の先発陣の一翼を担っている。テレビの中継でベンチに座っている中込を見たけど、タイガース時代よりも肥っていて相撲取りみたいな腹になっていた。だいじょうぶか?
タクシーは市街を抜けて郊外へ向かい次第に山道に入ってゆく。澄清湖は大きな湖でその周囲が自然公園になっているのだ。やがて棒球場が見えてきた。井川比佐志に礼を言ってタクシーを降りる。おおこれは昼間見た市立棒球場とは桁違いのスタジアムだ。チケット売場に行ってみるとまだ早いのか閉っていたが、それでも熱心な球迷(棒球ファン)が数十人が開門を待っていた。チケット販売など、たぶん日本と同じようなシステムなのだろうが、勝手がよくわからないのでそのへんにいるオジサンに尋ねてみた。「チケットはここで買えばいいのですか? 何時頃開きますか?」「そうだよ、うーん、たぶん5時過ぎには開くと思うよ、あんた日本人かい?」「そうです、日本から臺灣棒球を観に来ました。ところで『主隊』というのはホームチームのことですか?」「そうだ、La New 熊だよ、熊は高雄のチームなんだ」「じゃあ『客隊』というのはビジターですね」「そうさ、興農牛(興農Bulls)は昨年の優勝チームなんだ、でも今日は熊が勝つよ、なんたって僕は熊迷だからね(笑)」待つこと暫し。ようやく開門である。チケットを買ってスタジアムに入る。おお野球場だあ、日本と同じだあ。シートノックのカーン、という打球音や球場内に流れるBGMが聞こえてくる。ワクワクするなあ。ひとまずグッズ売場に走って熊と牛のグッズを購い、ついでに球場弁当と臺灣ビールを購って客席で腹ごしらえ。南國の熱気がスタジアムに充ちている。夕空に打球が上がっていく。グローブを持った少年たちが嬉々としてプレーボールを待っている。応援団がベンチの上に陣取って応援の準備に余念がない。これこれ、これなんだよなあ、ドーム球場なんかじゃ絶対味わえない雰囲気。うーん、ビールがウマイ!
La New 熊対興農牛(臺灣の新聞風に言えば「熊牛之戦」)プレーボール。前半は投手戦でちっとも点が入らない。熊隊の先発はサウスポーの呉偲佑で、ストレートとカーブのコンビネーションが絶妙。牛隊の打者はストレートに押されてフライを打ち上げるかと思えば、カーブを引っ掛けてゴロを転がし凡打の山。対して熊隊の選手もヒットは打つのだが得点に結びつかない。熊隊の選手が打席に入る度にバックスクリーンで紹介される。選手ひとりひとりにキャッチフレーズがついていて「球神」とか「鉄腕」なかには「長城」なんてのもあって面白い。漢字の國だから当然なんだが「鉄腕」なんて日本のオールドファンにはたまらないんだろうなあ。客席は満員なんてことはなく内野席が7割ほど埋まり、外野席はちょぼちょぼと本塁打ボール狙いの客が座っている。2階席もあるのだが今日は立ち入りできないらしく中継カメラが数台あるだけだ。客は老若男女、やはり若者が多いようだ。何はともあれ応援団が面白い。日本のプロ野球のように太鼓にトランペット、球団旗を振り回し、外野席を埋め尽くす大応援団、というスケールにはほど遠い。それでも日本に倣っているのだろう、応援団員は4〜5人とこじんまりしているが、ベンチの上に太鼓を置き、応援団長が客席に向けて応援をリードしている。熊隊の応援団長は神経質そうな痩せた兄チャンで、ハンドマイクを片手に「加油、加油(がんばれ、がんばれ)陳峰民! 陳峰民!」「羅得利滋(ロドリゲス?)GO! 羅得利滋GO! 羅得利滋、羅得利滋GO!GO!GO!」などと声も嗄れんばかりに絶叫し続けている。牛隊の応援団長は肥ったユーモラスな兄チャンでこちらは比較的のどかに応援している。何言ってるかわからないがときどきジョークも発しているようで、何か言う度に応援団がゲラゲラ笑っている。うーん、なんだか楽しい応援風景だ。日本の強制的な応援団よりはずっと好感が持てるぞ。後半に入ってようやく熊隊のスラッガー林智勝が3点本塁打、若き勇士陳峰民が2点本塁打、5点をリードした熊隊が呉偲佑の3安打完封で勝利した。熊隊の勝利に地元高雄のファン大喜びのなか、私はスタジアムを後にした。さてここから流しのタクシーをつかまえてホテルに帰らなくてはならない。暗い夜道をとぼとぼと大通りまで歩く。
日本統治時代の荘厳なバロック建築の建物が博物館として生まれ変わっている。漆喰の壁、巨大な石柱、丁寧なレリーフ、黒光りする階段の手すり、、、雰囲気満点。今期の展示は『地圖臺灣(Taiwan in Maps)』 地圖好きの私としては願ってもない展示だ。中世から現代に至るまでの地圖上の臺灣をテーマにした、実に見応えのある展示で楽しくなる。地圖がたくさんあって嬉しいな。ミュージアムショップにてグッズをいくつか購う。もうこれで今日の観光はほぼ終わったようなものだ。そうだ、まだ誠品書店に行ってなかった。臺北を拠点にして臺灣全土の主要都市に展開される誠品書店はその優れた品揃えとハイセンスな店鋪ですっかり気に入っているのである。ちょうど80年代のパルコブックセンター、現在のリブロやブックファーストみたいな感じかな。端から端まで見て廻り宮部みゆきの『理由』中国語版なぞ購う。すっかり暗くなってしまったので何か食べてから宿に戻ろう。もうどうでもいいや、と西馬拉雅印度餐廰という印度料理店に入る。やる気のなさそうな印僑が作るラムカレーを食べて夜の街を歩いて宿に戻る。最後の晩餐が印度カレーか、それにしても臺北は人が多くて疲れるなあ、、、今回は田舎ばっかり巡っていたせいだろう。なんだか臺灣の田舎が気に入ってしまったな。