流れ者の物語

TOP/流れ者の物語目次

その7 美麗之島FORMOSA再訪、または中年バックパッカー臺灣独り旅


◆第一天◆

8月8日(月) 突撃! 高雄の晩ご飯(成田空港〜中正國際機場〜桃園〜高雄)
 とりあえず臺灣行きのチケットを購入したものの出発時刻が成田9:20発だった。ま、朝早く成田エクスプレスかスカイライナーで行けばいいやと思ったのも束の間、チケットカウンター集合が7:20、、、間に合う電車が無い。仕方が無いので成田前泊しようとホテルを探したらどこも満員。そうかあ前泊する客が集中するんだなあ、、、などと感心している場合ではない。ネットで探しまくってようやく空いているホテルを探し出して予約できたのだった。でもって早朝ホテルの送迎車で成田空港到着。予定どおりチケットを受け取り余裕をもってチェックイン。昨年の轍は踏まぬ。飛行機は定刻出発。機内放送で落語を聴く。月亭八方『蛇含草』、林家木久蔵『昭和芸能史』、、、機内食を喰ってワインなど呑んでいるうちに中正國際機場到着。

 入國審査を通って空港に出ると、ムッとする熱気と香辛料の匂いが入り交じった空気。臺灣に来たという実感が湧く。今回は往復チケットのみで移動から宿泊からすべて自前という自由旅行なのである。リュックを背負った中年バックパッカーいざ出発。とりあえず空港から駅まで行かねばならぬ。中正國際機場から臺北に出るまでバスで1時間はかかるが、事前に調べたところ桃園という駅までなら3〜40分で行ける。とにかく南部の高雄へ向かうつもりなのでこれで行こうと決めた。インフォメーションの小姐に桃園行きのバス乗り場を尋ねたら、あそこを右に曲がってずうっと行くとバス乗り場です、料金は47元です、時間はだいたい40分くらいです、と教えてくれた。多謝。教えられたとおりに行くと桃園客運(桃園交通)バス停があり、暫く待っていたら小汚いバスがブルルン、とやってきた。運転手に「このバスは桃園行きですか?」と尋ねたら「そうだ」と言うので、よっこらしょと乗り込んで椅子に座る。乗る時に運転手が細長いプラスチック製の札を渡された。「降りるときにこれを回収するからね」ふーん、そういうシステムなのか。バスは農村地帯から次第に市街に入ってゆく。車窓から近代的なビルと古くて汚い建物が混在する風景を眺め乍ら、臺灣に来たという実感が更に強く湧いてきた。途中でふっと気がついたのだが、降りるときはどうすればいいのだ? 途中で乗客が降りたり乗ったりするのだが、運転手のアナウンスは無いしバス停の表示も無い。確かに降車ボタンはあるのだが誰も押さないで降りてゆく。まあ駅だから乗降客が多いだろうしわかるだろう、運転手が知らせてくれるだろう、いざとなったら周りの客に尋ねればいいと暢気に構えて揺られてゆく。やがてバスは街のなかに入り狭い道路をトロトロと走っていく。車窓に一瞬駅舎らしい建物が見えた。突然運転手が大声で叫んだ。「駅に着いたぞ!」降りてわかったのだが駅前が終点のバスターミナルだったのだ。ビンゴ。

 雑然とした街路を抜けて駅に向かい、駅の窓口で高雄行きの自強号(特急列車)の切符を買う。八十年代の中國大陸では、列車の切符一枚買うにも長蛇の列で、しかもあとわずかで自分の番、というときに「今日の切符は売り切れ! 無いと言ったら無い!」とひっつめ髪の小姐がキッパリと言い放ち、目の前で「売り切れ」の札を出された客と怒鳴り合ったりしていたものだが、臺灣はどうなのであろう? 窓口で駅員に「15:00発の自強号1027高雄まで1枚ください」と言ったらあっさりと売ってくれた。おお、これで今日中に高雄に着ける。月臺(プラットホーム)で電車を待っていると自強号が入線してきた。思いのほか綺麗な車内で指定の席に座る。やれやれこれから4時間半の長旅だ。ゴトン、と自強号1027高雄行は桃園駅を離れて走り出す。やがて晴れていた空が曇り始め、ビーフンで有名な新竹を過ぎたあたりから篠突くような雨になる。これがスコールとやらいうものか。やがて苗栗を過ぎた辺から雨があがり雲間から陽光、亜熱帯らしき風景が広がっているのが見えてきた。自強号は座席指定の特急列車で基本的には日本の特急と変わりない。ただ違っているのは強烈な冷房である。事前に臺灣列車事情を調べたときも、あちらこちらの文献やネット情報で「臺灣の冷房は強烈なので長袖の上着必携」と書かれていたが、なるほど数時間も半袖でではいられそうにない。早速リュックから長袖シャツを引っ張り出して羽織る。

 臺北、高雄に次ぐ臺灣第三の都市、臺中を過ぎた辺でだんだんお腹が空いてきた。「弁当! 買弁当!(お弁当はいかがですか)」タイミング良くやってきました弁当(臺灣では「便當」と書く)売り。今回の臺灣行で楽しみのひとつだったのが弁当。「弁当」という単語は紛れもなく日本統治時代の影響だ。ちなみに中國大陸にも駅売りの弁当は存在するが、こちらは「盒飯 he fang」と言い、一般的な中國語の辞書には「弁当」という単語は無い。早速買い込んで蓋を開くと、炊きたての米飯が敷き詰められた上にドカン、と猪肉排骨(豚肉のスペアリブ)が乗っかり、周囲には炒菜、醤蜑(醤油茹で玉子)、臭豆腐、そしてなぜか沢庵漬け。見た目は日本のような小奇麗さはまったく無く、まるで臺灣の雑踏のように雑然としているのだが、いかにもたったいま作りましたという温かさが嬉しい。吃驚するほど美味しいわけではないが、それでもしみじみと美味しい弁当であった。何より温かいのが嬉しい。何しろあたりは強烈な冷房で寒いくらいなのだ。そして列車の外はムシムシする熱気、このちぐはぐさがオモシロイ。そうこうしているうちにわが自強号1027高雄行は嘉義(日本統治時代の1931年、夏の甲子園大会に臺灣代表として準優勝した嘉義農林で野球ファンには有名)、臺南(臺灣で最古の街・・・京都みたいなところか)を過ぎ、愈々高雄まであと30分だ。窓の外はすっかり暗くなり駅に止まるたびにネオンに彩られた街が現れては消えてゆく。

 19:20高雄着。「各位旅客、高雄站到了、這班列車終点(乗客の皆様、高雄駅に到着しました、この列車の終点です)」 プラットホームに降り立つとムッとする熱気が肌にまとわりつく。思ったより巨大な駅。とりあえず改札に向かい外に出た。駅前の街はネオンぎらぎら、南國の熱気のなかを人と車が無数に行き交い、あの香辛料の匂いが街全体に漂っている。とりあえず宿を決めようとガイドブックでアタリをつけていた安宿を目指す。歩き出してすぐに汗が吹き出してくる。延々と歩いて番地を確かめ乍らようやく宿に辿り着いた。フロントで交渉すると1泊1000元(約3800円)という安さ。ここで4泊することにした。部屋に入ってリュックを放り出し汗を拭い人心地ついてから飯を喰いに出かける。「高雄の美味しい食べ物は何ですか」「高雄は海鮮が美味しいよ、てっとり早く何か食べたいなら六合夜市がいいよ」「ここから近いのですか?」「ホテルの前の道路をまっすぐ行けば10分」「ありがとう」というわけで六合夜市とやらに出かけてみた。ところが夕方に弁当を食べたせいか、また疲れもあるのだろう、それほど食欲が湧いてこない。夜市はとても賑やかなのだがなんかあまり面白くない。横丁の「四十年老店」という看板の炒麺(焼そば)屋台に入ってみた。炒麺が来た。一口食べる。美味しくない。店には私以外の客はいない。店主はヒマそうにぼんやりと座っている。地面に置かれた扇風機が高雄の夜の熱気をむなしく掻き回していた。

◆第二天◆

8月9日(火) 古都臺南にて小孩子に笑われる(高雄〜臺南)
 午前中にホテルを出る。適当にそのへんで油条(揚げパン)など買って食べ乍ら駅に向かい普通列車で臺南に向かう。近距離の切符はすべて自動券売機で購入。まず最初に料金ボタンを押し、次に枚数ボタンを押し、それから硬貨を入れて行き先ボタンを押すと、切符が出て来るというしかけ。普通列車はほんとに普通の列車で、横長の座席が連なり吊り輪が下がっていて日本の通勤電車と同じだ。高雄から離れるにつれて車窓から広がる風景は田園と工場に変わってゆく。ローカル線の駅はのんびりとした風情。冷房もそれほどきつくなくガタンゴトンと揺られ乍らゆっくりと臺南へ向けて走ってゆく。田んぼや畑は日本とさほど変わり無いのだが、椰子や芭蕉という南國らしい木々が異國風情を醸し出している。

 正午に臺南着。臺南の駅舎は日本統治時代に建てられた堂々たる建物で、ちょうど東京駅丸の内中央口を彷彿とさせる。いやJR横須賀駅のほうが雰囲気的には近いかもしれない。駅前から放射状に延びる道を適当に歩き出しそのへんの屋台で昼餉。若夫婦がやっている店で麻辣豆腐と米飯。この麻辣豆腐が辛いの辛くないのって、汗が一気に吹き出してくる。「孔子廟に行きたいんだけど、あとどれくらいですか?」と尋ねると若奥さんは「えーと、ちょっと待ってね、ねえねえ、この日本人が孔子廟に行きたいんだって」「ああ?孔子廟?どこだっけ」「西門公園のとこにあるでしょ」「そりゃ赤嵌楼じゃないのか」結局よくわからないという。なんだこりゃ、地元の人じゃねえのかな。まあいいや、ご馳走さまと店を出る。いいかげんな地図を頼りにどんどん歩く。ようやく孔子廟らしき赤い建物が見えてきた。

 臺南の孔子廟は基本的に東京は湯島聖堂の孔子廟と同じ造りだった。ただし湯島の孔子廟は黒を基調とした落ち着いた造りだが、臺南の孔子廟は赤、赤、赤、さすが支那風である。ぼおっと眺めているとカタコトの日本語を話すオジサンが話しかけてきた。「ここは孔子さまを祭っています。東京の文京区に孔子廟がありますね、この龍の飾りは皇帝を表わしています」ガイドのオジサンらしい。私が、湯島聖堂に友だちがいて何度も孔子祭の手伝いをしたことがありますよ、と言ったら喜色満面、俄然説明に力が入ってきた。ひとまずゆっくり見ますと言ってぶらぶらしていたら、いつのまにか背後から近づいてきて「これは孔子さまのお祭りに使う祭器です」「これは孔子さまのお祭りに使う楽器です」オジサンの顔をたててガイドしてもらうことにした。孔子廟のなかで幾つもの額が掲げられている。「これらは臺灣歴代の総統が奉納したものです。一番最初は蒋介石です」たしかに蒋介石に始まり息子の蒋經國、李登輝、現在の陳水扁まで歴代総統の額が掲げられている。お礼を言って外に出るとオジサンが門前に立つ大きな樹を指して「これは昭和天皇が皇太子だった頃に植樹したものです」と言う。昭和天皇お手植えの樹であらせられますか。昭和の子である私はありがたく眺めさせてもらう。

 また街に出て歩きに歩く。小腹が空いたので何か食べようと物色して蝦仁肉圓(蝦の蒸し団子)を食べる。皮がプリプリして美味しい。臺南の名物らしくあちこちに看板が出ていた。孔子廟近くのロータリーに國家臺灣文學館という白亜の建物があるので早速入ってみた。ここはかつて日本統治時代の臺南洲廳として建てられたもので、これを改修して國家臺灣文學館として生まれ変わったという。改修といっても元の建築はそのまま残し、外側をぐるりと囲んで新しい建物が建てられているという二重構造になっていて、中に入ると堂々たる煉瓦建築がきちんと保存されている。うーん、素晴らしい。臺灣文學の歴史展示を観て廻る。古代から現代に至るまでの臺灣文學史がよくわかるみごとな展示だった。実にセンスの良い展示で相当優秀な學藝員がいるとみた。臺灣は多言語國家なので、國語(標準語)、臺灣語、客家語、臺灣先住民族の各言語(アミ語、タイヤル語など)、日本語(!)の文學の朗読をヘッドフォンで聴くこともできる。此処は今のところ日本のガイドブックには掲載されていないようだが、実に見応えのあるミュージアムなので、臺南にお越しの際は是非見學されることをお勧めする。

 夕方になって腹も減ってきた。せっかく臺南に来たのだから噂の小北夜市で何か食べて帰ろうとバス停を探す。ところがバス路線が複雑に入り組んでいてどのバスに乗ったらいいのかわからない。時間があれば待つのだがとにかく高雄に帰らなくてはならない。いいかげん脚も疲れてきたのでタクシーで行くことにする。タクシーに乗ったらこの運ちゃんがいいかげんで、小北夜市に行きたいと言ったのになんだか違う雰囲気のところで降ろされた。駐車場らしき広い敷地に屋台がたくさん出ているのだが、なんとなく団地の夏祭りというかフリーマーケットのような雰囲気。うーん、こりゃガイドブックにある小北夜市じゃあねえぞ。腹は減るし地理不案内だし、しょうがないから適当にアタリをつけて歩き出したら、なんと1ブロック先に小北夜市が出現した。そうかここだったのか、とにかく近いところまでは来ていたのだな。巨大なアーケードの中に何十軒もの店が原色ギラギラの看板をギラつかせて呼び込みに励んでいる。さて何を食べようかと夜市をぐるぐる廻って海鮮料理の店に入った。炒飯、炒青菜、海蝦巻(臺灣風蝦天麩羅)、臺灣ビール。うーん、美味しい! ビールがウマイ! どうでもいいけど蝦天麩羅のタレが小皿に入って添えられている。醤油ではなく甘いソース(甜面醤か)で、緑色のペースト状の物体が添えられている。もしかして、、、ワサビだ。これが合わないこと夥しい。汗をかきかきハフハフ料理を食べビールを呑む。炒飯は米粒がほどよくパラリとほぐれ、炒青菜は塩味とニンニクが効いてビールに合う。天麩羅というよりは春巻だがツマミには最適。昨日の高雄の炒麺なんぞ比べものにならぬ。

 ふと見ると隣の席で若い媽媽(お母さん)と小孩子(子ども)が仲良く食事をしている。小孩子は隣のあやしいヒゲオヤジが気になるようでしきりにこちらを眺めている。目が合うとキャッキャッと笑って横を向くが、またおそるおそるこちらを眺めている。媽媽が、静かにしなさいとたしなめるが、そこはそれ小孩子のことである。言うことなんぞ聞きやしない。「ごめんなさいね(笑)」媽媽が笑って言う。「あなた日本人? そうですか、臺南には観光で? 臺南は暑いでしょう、この店は美味しいのよ(笑)、この子? 3歳になったばかりよ、やんちゃで困っちゃうわ(苦笑)、あたしも日本に行ったことあるのよ、友だちと北海道に行ったんだけど、日本は食費が高くて参ったわ(苦笑)、臺南に滞在してるの? そう高雄から来たの、高雄も暑いでしょう、夏の臺灣は凄く暑いのよ(笑)」話をしているあいだも小孩子はしきりに私の顔をみては喜んでいる。そんなに喜ばれると臺南に来た甲斐があるというものだ。買単(お勘定)を済ませて小孩子の頭を撫でると回らぬ舌で「再見!」媽媽に別れを告げ、流しのタクシーを拾って駅に向かう。

◆第三天◆ 

8月10日(水) バスが来ない! (高雄〜枋寮〜恒春〜墾丁)
 今日は朝餉をどうしようと考えつつ駅に向かっていたらモスバーガー発見。臺灣にはマクドナルドはもちろん、ケンタッキーフライドチキンもモスバーガーもある。セブンイレブンもファミリーマートも何処に行ったってある。驚いてはいけない。アメリカ人が日本に来て、どんな地方都市にもマクドナルドやケンタッキーがあれば吃驚するに違い無いからだ。今ではごく当然のように存在するファストフードもコンビニも、ほんの三十年前までは都市部にしかなかったはずだ。私の田舎に至ってはコンビニが出来たのはたかだか十数年前のことだ。それはそうと八十年代末期の北京にケンタッキーフライドチキンがオープンしたときは衝撃的だった。冗談ではなく社会主義超大國の中國が変化しつつある、という兆しだったからだ。まあそんなことはどうでもいいので、とりあえずモスバーガーに入って朝餉。マクドナルドに比べて割高なのは臺灣も同じだがその分高級感があるらしい。その証拠にマクドナルドに比べて子どもの客が少ない、というかいない。ちょっとすました若い娘などが目立つ。ぼんやりと冰珈琲など啜ってから自強号2053臺東行きに乗り込み枋寮を目指す。枋寮から先は路線バスに乗り換えて恒春に向かい、そこから臺灣南端のリゾート地である墾丁に向かおうという計画なのである。

 自強号に乗っている時間は1時間ほどで呆気無く枋寮に到着。プラットホームで自強号2053を見送り、あらためて周囲を見渡すとがらんとした田舎の駅。カンカン照りの駅前広場は白っぽく人影が少ない。うーん、こんなところから何か展開があるのだろうか? それよりバス乗り場は何処だろう? 不安が胸をよぎるが50メートルも歩かぬうちに呆気無くバス乗り場発見。ターミナルでウロウロしている私を不審そうに見ていた切符売場の小姐が「ちょっとあなた、何処まで行くの?」と声をかけてきた。「えーっと、恒春です」「119元」切符を買った私に運ちゃんが早く早くと声をかける。どうやら私が乗るのを待っていた様子。済まぬ済まぬと乗り込んだはいいが満席で狭い車内で立ったままバスは発車。外も見えずこのまま立ちっぱなしかなあ、と思っていたら暫くして客が1人降りていったのでよっこらしょと座る。車窓から海が見える。此処は臺灣南端のバシー海峡だ。さっきまでカンカン照りだった空が曇り始めて、海もやや鈍い鉛色に変化し始めてきた。それでも海岸には商魂逞しい海の家がぽつりぽつりと建っている。

 やがてバスは海口を過ぎて田舎町の恒春に到着。バスを降りるとにわか雨が降り出した。傘を射すまでもないほどだがそれでも小降りでもない雨。ちょっと見はちっぽけな街で、メインストリートが300メートルくらいだから、やっぱり小さな街なんだろう。適当な食堂に入って牛肉飯と鮮魚湯。これがまた不味かった。牛肉飯はまあいいとして、オバチャンが「恒春名物だよ」と勧めてくれた鮮魚湯が不味い。魚は泥臭いうえに砂糖が入っているらしくスープが妙に甘い。辟易していたら気の良さそうな兄チャンが「薬味いるかい?」と出してくれたのが何やら黄緑色の味噌らしきものの瓶詰め。うーん、これはもしかして、、、ワサビ。「これを入れると美味しいんだぜ」と言ってくれるが、やっぱり不味いものは不味い。墾丁行きのバスに乗ろうとバスターミナルへ行く。インフォメーションの小姐に「切符は、、、」と声をかけると「奥で聞け」と言う。素直に奥のカウンターのオジサンに聞くとバスが来たら行き先を言って乗れ、と言う。素直に入ってきたバスに乗ろうと運ちゃんに聞くと「これは行かないから次のバスに乗れ」と言う。暫く待って次ぎのバスに乗ろうとすると運ちゃんが「これは高雄行きだ」と言う。それから待てども待てどもバスが来ない。だんだん面倒臭くなってきたので流しのタクシーをつかまえて墾丁に行きたいと頼む。すると強面の運ちゃん「ああン? おめえさん、墾丁に行きてえだか、、、ほれ、あそこにバス乗り場があんべ、そこから乗りゃ行けるだヨ」と強烈に訛った國語で言う。いや、だからそのバスが来ないんだよ、だいたいあんたタクシーの運転手だろ、乗せてくれよ、と頼んだら漸く行く気になってくれたらしい。やる気あんのか? こんなことなら最初から恒春じゃなくて墾丁行きにしておけばよかったなあ。

 ともあれタクシーは一路墾丁に向かって走り出した。海沿いの道路を素っ飛ばしてわずか15分ほどで墾丁に到着。「あのなあ、おめえさん帰りはどうするだヨ、そうか枋寮まで戻るだか、そんじゃあなあ、ホレ、あそこに娘っコが立ってんべえよお、んだ、あそこがバス停だア、バスはなあ5時に来るだから、おめえさんはそれに乗ればええだヨ、ほんじゃあな」強面の運ちゃんだが気は優しい人だったようだ。人を見かけで判断してはイケマセン。砂浜に降りてみると観光客が海水浴を楽しんでいた。とりあえず岩場を散策しバシー海峡の水に手を浸してまた街に戻る。ふと看板を見るとそこには「ここは○○○ホテル宿泊客専用ビーチです」と書かれていた。なんじゃそりゃ。墾丁のメインストリートは両側に商店が立ち並んでいる。土産物屋に飲食店、ホテルや旅館が立ち並んでいる。もともとこの辺は南方ミクロネシア文化圏なので、アクセサリーもすべてハワイやグアムで買いましたと言っても通りそうなものばかり。タイ料理のレストランが何軒もあり臺灣とタイを人が行き交っていることがわかる。Tシャツ専門店がいくつもあるのでお土産を買おうと一軒の店に入る。若い小姐が経営しているようで墾丁ブランドと銘打ったオリジナルTシャツを多数販売しており、なかなかデザインセンスの良いものがたくさんあった。ここでTシャツを買う。さてそろそろ5時なのでバス停に戻ることにしようと歩き出したら、ポツリポツリと雨が降り始め、あっという間に土砂降りになった。バス停に駆け込んで、と言ってもちょっとした庇があるだけのバス停だが、暫く待っていてもぜんぜんバスが来ない。なんだろうなあ、この辺はぜんぜんバスが来ないなあ、、、するとタクシーの運ちゃんが声をかけてきた。

「おい、あんた高雄まで行かないか? 俺は高雄まで戻るんだが空車で戻ってもしょうがないからな、タクシーだと1000元は貰うとこだが、どうだ、安くしとくぜ。バスで行ったら500元はかかるがそれと同額でいいよ、バスよりもぜんぜん早く着くぜ」魁三太郎似の運ちゃんは早口でまくしたてると私に早く乗れ、と促した。面倒臭くなっていた私はさっさとタクシーに乗り込む。「いやあ、参ったなあ、高雄から長距離の客を乗せて来たんだけど、高雄まで戻る客がいやしない。空車で帰ってもしょうがねえからな、おまけに雨も降ってきやがるしよお、あんた日本人か、國語が巧いなあ、ああ?颱風? 違うよ、スコールだよ、ほらこの辺は全然降ってねえだろ? まあ高速に乗るまで暫くかかるから寝てたらどうだい? 目が覚めたら高雄だ」疲れが出て居眠りをした私が目を覚ますと、運ちゃんは口笛を吹き乍ら高速道路を素っ飛ばしていて、辺りはすっかり夕暮れになっていた。「おお、もうすぐ高雄市内に入るぜ、どうだ早いだろう? であんた何処で降りるんだい? あああそこか、よしわかった、もう少しだからな」やがて見覚えのある通りに入ったかと思う間も無くホテルの前に到着。厚く礼を言って500元払う。「いやあ、ありがとう、こっちこそ助かったぜ、ほんじゃあな」部屋に戻って荷を降ろし、ホテルのそばのシンガポール料理店で羊肉カレーと肉骨茶という牛肉の固まりがゴロンと入ったスープの夕餉。南方系の風貌のオバチャンが「あんた日本人か、へえ、國語が巧いねえ、高雄は初めてかい? そうかいそうかい、もうホテルは決まっているのかい?」もう決まっていると言うとオバチャン、ポケットティッシュを取り出して私にくれた。ホテルの広告が載っている。「ここは安いし綺麗だよ、明日からここに泊ったらどう? いやいや、あたしの親戚じゃあないよ(笑)、あたしはこのホテルの前で朝飯の屋台を出しているのさ」じゃあ今度来た時はここに泊りましょう、と世辞を言っておく。後でよくよく地圖を見ると駅からずいぶんと離れた不便そうな場所にあった。安いホテルなら駅に近いほうが便利だよ。

◆第四天◆
8月11日(木) 憧れの臺灣プロ野球初観戦 (高雄市立歴史博物館〜高雄市立電影圖書館〜高雄県立澄清湖棒球場)

 朝から高雄駅に行き明日の切符を買おうと思ったが、切符売場の兄チャン曰く「明日の切符はもう無いよ、でも明日来ればキャンセルが出るだろうから、明日の朝もう一度来なさい、もしキャンセルが無くても無座票(席無し切符)を売ってあげるよ」まあとにかく今日は買えないということだから、とりあえず予定どおり市内散策することにしよう。ずんずん歩いて行くと市立棒球場(野球場)が見えてきた。おおこれが臺灣棒球場だ。中には入れないので周囲から写真を撮っていると、駐車場の奥にあるグラウンドの扉が全開。職員の影も見えないのでずんずんと入ってみる。おお棒球場だグラウンドだ。芝生と土の球場でスタンドの雰囲気も相俟って、なんだか日本の地方都市の県立野球場の雰囲気濃厚。今日はここで野球の予定はないのだが今夜、郊外の県立棒球場で中華職業棒球(臺灣プロ野球)の試合があるのだ。よおし、今夜はいよいよ臺灣プロ野球観戦だあ。市内を流れる愛河に沿って河川敷公園が続いている。河沿いに建つ高雄市立歴史博物館で高雄棒球風雲特展という特別展示が開催されている。おお、なんたる偶然、野球の神様のお引き合わせだ。早速入ってみる。

 高雄の野球は日本統治時代に始まる。当時日本では中等學校野球(現在の高校野球)、東京六大學野球全盛時代だったので当然臺灣にも野球が伝えられ、高雄でも小學校を中心に野球熱が盛んになった。やがて1945年の日本の敗戦後、日本統治時代の名称だった野球は「棒球」に変更された。それからの高雄および臺灣棒球は社会人チームが次々と結成され各地で熱戦が繰り広げられた。1960年代に入るとリトルリーグが活発になり、1970年代には世界選手権で圧倒的な強さを見せ、臺灣全土を熱狂の渦に巻き込んだ。社会人チームの強さも世界的に有名になってゆき、こうなっていくと次第に職業棒球(プロ野球)結成の気運が高まってきた。その頃、呂明賜(読売ジャイアンツ)、郭李建夫(阪神タイガース)といった選手が、日本プロ野球に移籍して大活躍したことも拍車をかけた。そして1990年に発足した中華職業棒球(CPBL)も当初は臺灣全土を熱狂の渦に巻き込んでいったが、放映権に絡む熾烈な利権獲得競争や野球賭博事件でファンが離れていくという暗い時代もあった。それでもオリンピック金メダル獲得など、臺灣棒球のレベルの高さは世界的に知られるようになった。2リーグ制から1リーグ制への移行も簡単にはいかなかったが、2001年にようやく現在の1リーグ制が実現し、臺灣職業棒球は新時代に向けて新たなスタートを切った。現在臺灣職業棒球は興農牛、兄弟象、統一獅、中信鯨、誠泰COBRAS、La New 熊の6チーム。(かつては三商虎という臺灣のタイガースが存在したのだが、1990年代のゴタゴタの末、なんと解散してしまった)このうち高雄をフランチャイズとするチームはLa New 熊(La New Bears)である。La New ってのはなんだろうと思っていたのだが、後日街を歩いていたら靴のメーカーであることが判明。帽子のマークをよくよく見ると靴をモチーフにしたものだった。現在、日本プロ野球を退団して臺灣職業棒球に活路を見い出す選手も少なくない。かつて阪急ブレーブスのドラフト1位で将来を嘱望された野中徹博(投手)が、プロではとうとう1勝もできずクビになった。その後臺灣に渡ってリリーフエースとして活躍し、テスト生として再び中日ドラゴンズに復帰し、漸く初勝利を挙げたことがあったなあ。今では何人もの選手が臺灣で活躍しているが、わけても中込伸(元阪神タイガース)は兄弟象の先発陣の一翼を担っている。テレビの中継でベンチに座っている中込を見たけど、タイガース時代よりも肥っていて相撲取りみたいな腹になっていた。だいじょうぶか?

 腹が減ったので四川食堂で昼餉。炒飯、麻婆豆腐、イカの唐辛子炒めを食べたがさすがに辛くて美味しかった。再び街に戻って歩き出す。炎天下、愛河から吹いてくる川風がとても気持良い。川沿いに高雄市立電影圖書館という建物発見。電影で圖書館ということはこれは是非入ってみなければ! こじんまりとした建物で1階にはナント國際映画祭のパネル展示、2階は閲覧室らしいが許可が無いと入れないようだ。3階に上がるとここはミニシアターだった。市立でこんなライブラリーがあるなんてたいしたものだなあ、と感心し乍らぼんやりしていたら、優しそうなオバチャンが話しかけてきた。「日本からいらしたんですか、それじゃどうぞ、こちらにお入りください、いえいえ映画の上映は夜からなので今は平気ですよ、あらあなた國語がお上手ですね、え! あなたも圖書館にお勤めなんですか! あらあらそれじゃあ閲覧室はご覧になられましたか? 御案内します、こちらへどうぞ」荷物を地下のロッカーに預けてから2階の閲覧室に案内される。閲覧カウンターのオバサンたちに「この方は日本の圖書館員なんだから閲覧させなさい」などと言っている。小さなフロアに圖書と雑誌が並べられ、中央部分には映像視聴室があって老若男女の市民がさまざまな映画を視聴している。良い環境だ。そうこうしているとオバサンが入館用紙らしきものを持ってきていろいろ記入しろという。なんだか大変なことになってきた。ただの通りすがりなのでそんなにお手を煩わせるつもりなぞ毛頭ない。困ったなあ、と思い乍らもこういうときは流れるままにまかせるのが中國人社会の鉄則。下手に遠慮すると相手の面子を潰すことになりかねないからだ。オバサンは用紙を持って閲覧カウンターのオバサンたちとああでもないこうでもないと話している。切れ切れに「規則が」とか「旅行者でしょ?」とか言う単語が耳に入ってくる。ただの通りすがりなんだけどなあ、とぼんやりしているうちにようやく話がまとまったようで、オバサンが私を手招きして「お待たせしました、はいこれをどうぞ」と言って渡してくれたものは、なんとなんと高雄市立電影圖書館の利用カードだった! 「これであなたはいつでもこの圖書館を利用することができます。期限は永久ですからいつ来ても良いんですよ(笑)」いやはやこんなことまでしてくれるとは、と三拝九拝して感謝する。

 思わぬ好意に感謝して圖書館を辞す。さてそろそろ棒球場に行かねばならぬ。今夜のゲームは郊外にある高雄県立澄清湖棒球場で行なわれることはすでに確認済みなので、さてまたぞろ流しのタクシーを拾って行くことにしよう。ところが今日のタクシーの運ちゃんは今まで出会った運ちゃんのなかで最も強烈なインパクトがあった。タクシーに乗り込むと運ちゃんが私のほうを振り向いて「何処に行く?」と尋ねてきた。この運ちゃん、寝不足なのか目は血走り口は血まみれのように真っ赤、ちょっと吃驚して「澄清湖棒球場に行きたい」と言ったら「おお、そうか、今日は棒球があるんだよな」と車をスタートさせた。口が真っ赤なのは檳榔(ビンロウ)のせいだ。モノの本によれば檳榔とはヤシ科の常緑樹。果実を割り石灰をまぶしてキンマ(コショウ科の植物)の葉に包んだもの。これを噛むと麻薬的な効果によって爽快な気分になる。常用すると口の中から唇まで真っ赤になる、とある。臺灣では街のいたるところで檳榔を売っている。比較的年輩の方が常用するらしく、檳榔を噛んでいる若い人はほとんど見かけない。噛んだ後は道端にペッペッと吐き出していて、これがまるで血でも吐いているかのよう。美観を損ねるということや、常用すると口腔癌の遠因になるという理由から、最近は煙草とともにあまり好意的にはみられていないらしい。それでも街のいたるところに檳榔売りの屋台や店があることを思えば、長いあいだの習慣というものはそう簡単には根絶できないようだ。檳榔のことを知っている私ですらときおりギョッとすることがあるのだから、知らない外國人がみたらそりゃ吃驚するだろうなあ。しかもこの運ちゃん、チンケな井川比佐志似の親爺だった。想像してみてください。目を血走らせて口を真っ赤に染めた井川比佐志。

 タクシーは市街を抜けて郊外へ向かい次第に山道に入ってゆく。澄清湖は大きな湖でその周囲が自然公園になっているのだ。やがて棒球場が見えてきた。井川比佐志に礼を言ってタクシーを降りる。おおこれは昼間見た市立棒球場とは桁違いのスタジアムだ。チケット売場に行ってみるとまだ早いのか閉っていたが、それでも熱心な球迷(棒球ファン)が数十人が開門を待っていた。チケット販売など、たぶん日本と同じようなシステムなのだろうが、勝手がよくわからないのでそのへんにいるオジサンに尋ねてみた。「チケットはここで買えばいいのですか? 何時頃開きますか?」「そうだよ、うーん、たぶん5時過ぎには開くと思うよ、あんた日本人かい?」「そうです、日本から臺灣棒球を観に来ました。ところで『主隊』というのはホームチームのことですか?」「そうだ、La New 熊だよ、熊は高雄のチームなんだ」「じゃあ『客隊』というのはビジターですね」「そうさ、興農牛(興農Bulls)は昨年の優勝チームなんだ、でも今日は熊が勝つよ、なんたって僕は熊迷だからね(笑)」待つこと暫し。ようやく開門である。チケットを買ってスタジアムに入る。おお野球場だあ、日本と同じだあ。シートノックのカーン、という打球音や球場内に流れるBGMが聞こえてくる。ワクワクするなあ。ひとまずグッズ売場に走って熊と牛のグッズを購い、ついでに球場弁当と臺灣ビールを購って客席で腹ごしらえ。南國の熱気がスタジアムに充ちている。夕空に打球が上がっていく。グローブを持った少年たちが嬉々としてプレーボールを待っている。応援団がベンチの上に陣取って応援の準備に余念がない。これこれ、これなんだよなあ、ドーム球場なんかじゃ絶対味わえない雰囲気。うーん、ビールがウマイ! 

 La New 熊対興農牛(臺灣の新聞風に言えば「熊牛之戦」)プレーボール。前半は投手戦でちっとも点が入らない。熊隊の先発はサウスポーの呉偲佑で、ストレートとカーブのコンビネーションが絶妙。牛隊の打者はストレートに押されてフライを打ち上げるかと思えば、カーブを引っ掛けてゴロを転がし凡打の山。対して熊隊の選手もヒットは打つのだが得点に結びつかない。熊隊の選手が打席に入る度にバックスクリーンで紹介される。選手ひとりひとりにキャッチフレーズがついていて「球神」とか「鉄腕」なかには「長城」なんてのもあって面白い。漢字の國だから当然なんだが「鉄腕」なんて日本のオールドファンにはたまらないんだろうなあ。客席は満員なんてことはなく内野席が7割ほど埋まり、外野席はちょぼちょぼと本塁打ボール狙いの客が座っている。2階席もあるのだが今日は立ち入りできないらしく中継カメラが数台あるだけだ。客は老若男女、やはり若者が多いようだ。何はともあれ応援団が面白い。日本のプロ野球のように太鼓にトランペット、球団旗を振り回し、外野席を埋め尽くす大応援団、というスケールにはほど遠い。それでも日本に倣っているのだろう、応援団員は4〜5人とこじんまりしているが、ベンチの上に太鼓を置き、応援団長が客席に向けて応援をリードしている。熊隊の応援団長は神経質そうな痩せた兄チャンで、ハンドマイクを片手に「加油、加油(がんばれ、がんばれ)陳峰民! 陳峰民!」「羅得利滋(ロドリゲス?)GO! 羅得利滋GO! 羅得利滋、羅得利滋GO!GO!GO!」などと声も嗄れんばかりに絶叫し続けている。牛隊の応援団長は肥ったユーモラスな兄チャンでこちらは比較的のどかに応援している。何言ってるかわからないがときどきジョークも発しているようで、何か言う度に応援団がゲラゲラ笑っている。うーん、なんだか楽しい応援風景だ。日本の強制的な応援団よりはずっと好感が持てるぞ。後半に入ってようやく熊隊のスラッガー林智勝が3点本塁打、若き勇士陳峰民が2点本塁打、5点をリードした熊隊が呉偲佑の3安打完封で勝利した。熊隊の勝利に地元高雄のファン大喜びのなか、私はスタジアムを後にした。さてここから流しのタクシーをつかまえてホテルに帰らなくてはならない。暗い夜道をとぼとぼと大通りまで歩く。

 ホテルに帰ってテレビをつけニュースを観る。スポーツニュースで棒球の結果を報告しているのだが、当然メジャーリーグや日本プロ野球の試合結果も報告される。漢字の國なので用語がいちいち音訳されているのが面白い。たとえば日本プロ野球のセントラルリーグは「中央連盟」、パシフィックリーグは「大平洋連盟」といい、また順位表では略称が使われている。曰く阪神、中日、巨人、西武、、、とわかりやすいのもあれば欧力士(オリックス)、養楽多(ヤクルト)といった音訳、いちばん笑ったのが直訳の場合。軟體銀(ソフトバンク)、火腿(日本ハム)。軟體銀なんてまるで水銀みたいだし、火腿に至ってはハムだぞ、ハム。まあそうだけどさ。またメジャーリーグは「美國棒球大連盟」、アメリカンリーグは「美國連盟」ナショナルリーグは「國家連盟」だ。このへんはわかりやすいが、これが球団名になるとさらに面白い。紐約洋基(ニューヨーク・ヤンキース)、紐約大都會(ニューヨーク・メッツ)、舊金山巨人(サンフランシスコ・ジャイアンツ)、克里夫蘭印地安人(クリーブランド・インディアンズ)、蒙特楼博覧會(モントリオール・エクスポズ)、奥克蘭運動家(オークランド・アスレチックス)、亜歴桑那響音蛇(アリゾナ・ダイヤモンドバックス)、安那漢天使(アナハイム・エンゼルス)、、、慣れるとなんてことはないが、英語に慣れているわれわれから見ると一瞬考えてしまうのである。まあ、これは中國語を學ぶうえでの重要なポイントのひとつで、いちいち漢字を追っているうちはなかなか上達しないのである。大事なことはヒヤリング。

◆第五天◆ 

8月12日(金) 颱風とともに北上! (高雄〜臺東〜八堵〜基隆)
 7:00チェックアウト。すっかり高雄を堪能してしまった。それはそうと今日切符を買わないと移動できないのである。急いで駅に向かい窓口で臺東行きの自強号の切符を買うことができた。よかったよかった。しかし臺東までは座って行けるが、高雄から基隆、臺北方面への直通路線は無いので、臺東で基隆行きの切符を買って乗り換えなくてはならない。臺東から基隆はかなり距離があるのでもしも無座(座席無し)だったらちょっと大変かもしれない。ま、なんとかなるでしょう。自強号臺東行き2051に乗り込み高雄に別れを告げる。アデュウ! バイバイ! 出発する頃は曇り空だったが枋寮を過ぎるあたりから篠突くような大雨になった。スコールなんてもんじゃない凄い雨である。車窓の風景なんぞよく見えないくらいだ。3時間ほどで臺東站到着。さてここで勝負だ。今までは幸運にも恵まれて切符を買い損ねたことはなかったのだが、、、窓口に並んで基隆行きの切符をくれ、と言ったら残念、売り切れだよ、と言われてしまった。しょうがないので無座でもいいからちょうだい、と言って手に入れる。そうかあ、無座かあ、5時間半はかかるんだよなあ。しかしここで臺東に一泊する余裕は無いのでとにかく今日のうちに基隆まで行かなければならぬ。そうと決まれば腹ごしらえだ。

 臺東は原住民の街である。待合室にはあきらかにポリネシア、ミクロネシア系の風貌の人たちがたくさん座っている。國語やあきらかに民族言語らしき言葉も聞こえてくる。「弁当! 買弁当」雨の中、駅前の屋台で原住民らしい小姐が声を張り上げて弁当を売っている。弁当を買って何処で食べようかと考えていたら小姐が「あそこのテーブルで食べていいよ」と言う。どうやらこの売店の専用席らしい。お礼を言ってテーブルに座る。ここから少し先に池上という駅があって、ここの池上弁当は臺灣でも指折りの名物弁当として有名なのだ。池上米というのは臺灣随一のブランド米だそうで是非とも食べてみたいと思っていたのである。臺東の駅で売っていた弁当も池上米を使った弁当である、という旨の説明書きがあった。さっそく蓋を開く。モチモチとした炊きたての池上米のうえに牛肉排骨、鶏肉、叉焼、そぼろ、茹で卵、かつお節、沢庵漬け、生姜がこれでもかと載っかっているという豪華版。今まで食べた弁当のなかで最高に美味しい。しかしまあ炊きたてのホカホカした駅弁なんぞ、日本ではついぞ食べたことがない。これだけでも臺灣弁当の魅力に取り憑かれてしまう。

 13:00自強号八堵行き1056出発。相変わらず雨は激しく降り続いている。途中までは空いている席に座れたのだが、途中で家族連れがどやどやと乗り込んできたので席を明け渡す。椅子と椅子の間のちょっとした台に腰をかけて持参の『僕の昭和史』を開く。窓の外はずっと雨が降っていて景色を観るどころではない。それでも車窓から見える風景は氾濫しそうな河川と飛沫を上げる大平洋である。前述のとおり臺灣の冷房は強烈なので無理な姿勢で5時間半の冷房攻撃はかなり堪える。熱いお茶が呑みたい。自強号は花蓮、蘇澳、宜蘭と臺灣北部に入っていく。雨は止む気配を見せず外は夕闇に包まれていく。そろそろ身体が冷え冷えになって、早くこの列車から降りたいと音を上げ始めた頃、自強号1056は乗り換え駅の八堵に到着した。やれやれ。列車を降りると雨が降っていて気温は下がっているはずなのに、それでも暖かいと感じてしまう。それくらい冷房が効いているのである。わが自強号1056は更に臺北を目指して走り去って行き、私は薄暗い八堵站のホームをゆっくりと歩いて基隆行きのホームに移動した。工事中らしくあちこちに資材が放り出されているホームに辿り着くと、基隆に帰る客なのか数十人が思い思いに話をしたり煙草をふかしたりしている。しとしとと降る雨、田舎街なのか灯の少ない市街、ようやく闇の向こうから列車の灯が近づいてきた。基隆行き普通電車に乗り込んで十数分、ようやく港町基隆に到着だ。

 基隆の街に降り立つとさすが港町、たくさんの人たちが雑踏し賑やかである。ほっとしたら猛烈に腹が減ってきた。ふとみると目の前に食堂がある。ここだここにしよう、、、良い匂いに誘われてよろよろと近づいて行く私。ここは臺灣でよく見かける、好きなおかずを選んで食べることができる食堂。日本のほかほか弁当みたいな容器にご飯や好きなおかずを注文してだいたい50元〜70元くらい。東玻肉、炒めキャベツ、炒青椒、麻婆豆腐、、、雨のそぼ降る港町で食べる食事はしみじみと美味しい。ご飯を食べ終わるとさて今夜の宿探しだ。港町をとぼとぼと歩いて安宿を探そうと思っていたのだが、いいかげんくたびれてきてめんどうになってきた。今日と明日はここ基隆泊りなので少しは良いホテルに泊ってもいいだろう。それに高雄4泊でかなり宿代を浮かせることができたしなあ。二十代の青年バックパッカーじゃねえんだしあまりケチってもなんだから、よおしガイドブックに載っていた中級ホテルに決めた。フロントの小姐に2泊したいと言ったら、1泊朝食付き2300元の部屋を1900元にしてくれた。多謝。この値段でこの設備だったら日本ならもう少しするだろうなあ。さてここで旅の疲れを癒そう。テレビをつけたらニュースでしきりに颱風のことを放送していた。なんだ、今日の悪天候は颱風だったのか。しかも私が通ってきた臺東から花蓮の被害が甚大で、河川が氾濫し家が流され土砂崩れが起きて、いやはや大変なことになっているではないか。鉄道事故に遭わなくてよかったなあ。少し休んでから廟口夜市を散策。時おり小雨の降る天気だというのになかなかの人出。水餃子など少々食べてからホテルに戻る。

◆第六天◆ 

8月13日(土) 基隆の寅さん (基隆〜九分〜瑞芳)
 ホテルの地階でバイキング形式の朝餉を貪り喰い街へと出かける。今日は九分(※地名:正しくは「にんべん」に「分」)へ行ってみようという魂胆である。かつて九分は金山としておおいに賑わった街。金を掘り尽くした後は寂れる一方だったが、侯孝賢監督の名作【悲情城市】(1989)のロケ地として一躍有名になり、今では週末ともなると臺北辺りから観光客が押し寄せるという。観光地はあまり興味が無いのだがまあせっかく基隆まで来たのだから一度は行ってみよう。フロントの小姐に九分に行くのだが、、、と言ったら、バスターミナルまで行かずともすぐそこの臺灣銀行前のバス停から乗ればいい、と教えてくれた。教えられたとおりにバス停に行ってみると、九分に行くのであろう観光客らしい若い男女が何人も待っていた。ほどなくバスが来たので乗り込む。バスは市内の細い露地を抜け次第に郊外へと走っていく。この辺は港のすぐ後ろに山が迫っていて、ほどなくバスは山道に入る。あっという間に周りの風景は山また山に変わり、さっきまで臺灣有数の港湾都市にいたとは思えない。しかし高台から海を眺めることができてやはり海の近くにいることを実感できる。バスは瑞芳という街を抜けて九分に向けて走る。愈々九分が近くなってくると道路はやたらと急カーブが多くなってくる。七曲がりなんてもんじゃない、七十曲がりといったほうが適当、それくらいぐるぐる曲がり続ける。しかもかなりのスピードで、いくら走り慣れてるとはいえだいじょうぶなのか。運ちゃんは運転席の窓から橋のたもとにある食堂の姐チャンに声をかける。「帰りに寄るから弁当頼むぜ!」まるで井伏鱒二の小説の世界である。やがて前方に九分の街が見えてきた。山の斜面にへばりつくようにいくつもの家々が建っている。九分のバス停でぞろぞろと客が降りていく。私もいっしょに降りる。

 週末の午前中とはいえすでにたくさんの観光客で賑わっている。ふーん、ここが九分か。ただでさえ斜面にへばりついた街の狭い露地が、そのまんま浅草の仲見世状態になっていてこりゃ凄い混雑だ。取りあえず端から端まで歩いて人のいない露地、つまりここの住民の生活圏に入り込む。歩いている人はほとんどいない。今じゃ観光地として大賑わいだが寂れていた頃はきっとこんな感じだったんだろうなあ、と思えるくらいの静かな街だ。九重町という小洒落たレストランで昼餉。それほど美味しくもない香辣牛肉麺に炒青菜で250元ってな高いな。まあ高級化を狙っているんだろう。またひとしきり仲見世を素見して昼過ぎに九分を後にする。バスが来たので乗り込んだら途中で運ちゃんが「このバスは基隆には行かないぜ」と言う。はて、行き先表示には基隆って書いてあったじゃないか、と言ったら運転席の前から小汚いボール紙の板を取り出して「見ろ、このバスは瑞芳行きなんだ」おいおい紛らわしいことするなよ。でも瑞芳で基隆行きに乗り換えればいいんでしょ?と聞き返したら、そうだというので慌てることなく椅子に腰掛ける。瑞芳駅前で降りて基隆行きのバスに乗り換えるが、バスを待っているあいだに行き交うバスを注意して見ていると、たしかに行き先表示とは異なる手書きの板をフロントガラスのあたりに置いて走っているバスが目立つ。いいかげんだなあ。そういえば臺灣でバスに乗るときにたいていの客が「このバスはどこそこへ行くか?」と運ちゃんに尋ねていたなあ。必ずしも行き先表示を信頼してはいけないということなんだな。いいかげんだなあ。まあこれでひとつ勉強になりました。

 いったんホテルに戻ってちょっと一眠りしてから再び夕方の街へ出かけた。港町らしく活気に充ちていて市内の大きな市場には海産物がこれでもかと言わんばかりに売られている。デジカメで基隆の犬を撮影していたら、街のあちこちで紙銭らしきものを盛大に燃やしている光景に出くわした。なんだろうなあ、と思って眺めていたら警察の制服を着た兄チャンがつかつかと近寄ってきた。「あなたは日本人か?」と言うので「そうだ」と答える。「これは何を燃やしているのか?」と尋ねたら「拝拝(お参り)だ、中元節だからね」と言う。そして「だから写真を撮ってはいけないよ」と注意された。そうか、拝拝の写真を撮っていると思われたのか。はいはい、宗教に対しては失礼なことをするつもりはありません。しかも警察の兄チャンに真顔で注意されたらそりゃ従います。人の流れに身をまかせ基隆の路地裏をあっちへウロウロこっちへウロウロ。そして今夜も廟口夜市に足が向いてしまうのであった。昨夜は小雨が降っていたのだが今夜はよく晴れていて気分が良い。しかも颱風の影響かいささか涼しい夜風が心地よい、といっても街の温度計は30度を表示しているから日本だったら熱帯夜なんだよな。すっかり臺灣に馴されている私。見てたら美味しそうだったので蟹のあんかけスープと油飯の屋台に座る。このふたつの取り合わせが絶妙でもう美味しいことこのうえない。うーん、これは美味しいなあ。油飯というのはつまりは粽の中身だな。うーん、美味しいなあ。丼で食べたいくらいだ。今日は歩き回って腹が減っているからどんどん行くぞ。お次は一口吃香腸(ひとくちソーセージ)を食べる。焼きたての美味しそうなソーセージが一口サイズに切られていて、好きな数だけ買えばいいというシステム。一個5元。5〜6個も食べればじゅうぶんだが、焼きたてでジューシーで実に美味しい。新鮮なマンゴージュースをストローで啜り乍ら次の屋台。こんどは魯肉飯と猪肉湯だ。臺灣に来たら魯肉飯を食べなくちゃなあ。基隆の魯肉飯がこれまた美味しい。いくらでも入ってしまいそう。うーん、さすがにお腹いっぱいだ。

 夜市には小吃だけではなく衣料品や玩具、時計、CD、携帯電話など様々な屋台も出ている。さすがに日本人から見たらヘンテコなものもあるが、総じてちゃんとしたデザインのものが多い、ような気がする。とはいえ夜市、日本で言えば夜店の屋台だからパチモンも多い。夜市の一画から賑やかな売り声が聞こえてくるので近寄ってみると、耳に心地よい塩辛ダミ声のオヤジが棒でバンバン机を叩き乍ら啖呵売の真っ最中。途中から覗いたのでなんだかわからないが、電化製品らしきものをしきりに売っている。落しどころであちこちから手が延びて飛ぶように売れていく。うーん、凄いなあ。さあ次は何だ、サクラは誰だと腰を据えてじっくりと見ていると、こんどは目覚まし時計を取り出した。オヤジの言葉はコテコテの臺灣語なので何を言っているのか私にはさっぱりわからない。しかしオヤジの動作やしぐさを見ているうちに、だんだん何を言っているかがわかってきた。

「さあさあ、この目覚まし時計はそんじょそこらの目覚まし時計じゃあないよ、お兄さん疑っちゃいけないね、銀座は白木屋というデパートで、紅(べに)白粉(おしろい)つけたオネエチャンに、ちょうだいくださいと言えば1000円、2000円はするシロモノだ、それを今夜は特別に800円でお分けしましょう、しかしまだまだ高いと思われちゃあこのアタシの男がすたる、ねえ、お立ち会い、それじゃ御当地のみなさんにはさらにお安く700円でどうだ! え? まだまだ? ちょっと待ってよお兄さん、これでもアタシは鼻血も出ないくらいなんだよ(笑)、よっしゃ、それじゃあ650円、よおし600円でどうだ! もうこれ以上は勘弁してちょうだい(爆笑)」

「ねえ、この便利な包丁を見てください、ただモノを切るだけじゃあないんだよ、ここが栓抜き、ここが皮剥きだ、ねえ、包丁でモノを切るのは当たり前、たいへんなのが研ぐことだ、ねえ、素人がきちんと研ごうと思ったら大変だよ、それがほら、こんな簡単に研ぐことができるんだ、ねえ『アニキ』ちゃんと見てる? いいかい、みなさんの中に『サクラ』はいないよ、それは保証する、ねえ『アニキ』(と、目の前の客を指差し)、あたしとあんたは知り合いかい?(笑) 違うだろ、じゃあそこの『アニキ』、あんたとあたしは親戚かい? (笑) 違うだろ? さあお立ち会い!」

 単語ひとつまともに聴き取れないのだが、それでも絶対こういうことを言っているに違いないのである。ときどき「アニキ」だの「サクラ」といった日本語が交じる。もう現地の語彙として通用するらしい。うーん素晴らしい伝統藝能だ。たっぷりと堪能させていただきました。良い気分で夜風に吹かれ乍らホテルに戻る。

◆第七天◆ 

8月14日(日) 都会は疲れる (基隆〜臺北)
 朝餉をたいらげ10:00過ぎの普通電車で基隆を後にする。基隆、良い街だったぜ、あばよ、などと渡り鳥でもあるまいにくだらぬことを呟き乍ら、桃園行き普通電車はガタンゴトンと快調に走り出す。あっという間に港は見えなくなり、車窓の風景は山あいを抜けてだんだんと郊外に移ってゆく。30分ほどで電車は臺北站に着いた。改札を抜けると臺北站の巨大な地下街に出た。相変わらず臺北地下街は広過ぎて何だかワカンナイ。階段を幾つも登ったり降りたり、通路を右に左に歩いて漸く地上に出た。よく晴れた臺北の熱気が肌にまとわりつく。さすが臺北、人も車も雑踏も他の街とは桁違いだ。さてと今宵の宿を決めて臺灣最後の夜をどうやって過ごそうか。実を言えばもういい加減くたびれていて、今すぐにでも日本に戻りたい気分なのである。必要な部分だけ適当に破って使い倒したガイドブックを引っ張り出し、臺北の経済的飯店(ホテル)をいくつかピックアップし、最も近い地区にある宿を目指す。西門という日本で言えば原宿のような、若者で溢れている街の路地裏にその宿はあった。フロントでチェックインを済ませ部屋に入る。うーん、安っぽいなあ。まあいいや。ここまで来れば後はもうフライトに間に合うよう空港に行けばよいだけだ。フロントで空港までのバスについて尋ねる。「臺北站のそばに空港行きのバス乗り場があるよ、バスは10分おきくらいに出ているよ、運賃は、えーっと何元だったけ? そうそう120元だよ」多謝。

 ふらふらと街に出て適当な食堂で昼飯を食べようと街を彷徨う。日本資本らしいラーメン屋があった。そういえば今回はモスバーガーやマクドナルド以外は純臺灣食堂にしか入っていないなあ。臺灣流の日本のラーメンはどんなものか試してみよう。店に入ると臺灣人の若い店員が不慣れな日本語で「イラシャイマセー」と言って迎えてくれた。超辣坦坦麺(激辛タンタンメン)というのを食べてみる。思ったほど辛くないがとりあえず腹は充たされたので満足。勘定を払って店を出ると、また店員が不慣れな日本語で「アリアトザイマス」 まあいいんだけどね。昼過ぎの臺北の街中は名所旧跡でもなければあまり面白くない。もうすっかり観光気分も薄らいでいるので、ほとんど惰性で移動しているのが正直なところ。だらだらと歩いているうちに公園が見えてきた。ふうん、二二八和平公園かあ、そういえば昨年来たときは臺灣省博物館が改装中で入れなかったなあ、、、そうだ! 博物館に行こう! 目標ができた途端に意気揚々と公園に向かう。

 日本統治時代の荘厳なバロック建築の建物が博物館として生まれ変わっている。漆喰の壁、巨大な石柱、丁寧なレリーフ、黒光りする階段の手すり、、、雰囲気満点。今期の展示は『地圖臺灣(Taiwan in Maps)』 地圖好きの私としては願ってもない展示だ。中世から現代に至るまでの地圖上の臺灣をテーマにした、実に見応えのある展示で楽しくなる。地圖がたくさんあって嬉しいな。ミュージアムショップにてグッズをいくつか購う。もうこれで今日の観光はほぼ終わったようなものだ。そうだ、まだ誠品書店に行ってなかった。臺北を拠点にして臺灣全土の主要都市に展開される誠品書店はその優れた品揃えとハイセンスな店鋪ですっかり気に入っているのである。ちょうど80年代のパルコブックセンター、現在のリブロやブックファーストみたいな感じかな。端から端まで見て廻り宮部みゆきの『理由』中国語版なぞ購う。すっかり暗くなってしまったので何か食べてから宿に戻ろう。もうどうでもいいや、と西馬拉雅印度餐廰という印度料理店に入る。やる気のなさそうな印僑が作るラムカレーを食べて夜の街を歩いて宿に戻る。最後の晩餐が印度カレーか、それにしても臺北は人が多くて疲れるなあ、、、今回は田舎ばっかり巡っていたせいだろう。なんだか臺灣の田舎が気に入ってしまったな。

◆第八天◆ 

8月15日(月) 臺灣の朝は鳥葬で始まる(嘘) (臺北〜中正国際機場〜成田)
 7:00起床。忘れ物のないように帰国の準備をする。航空券、パスポートなど確認。テレビをつけたらワイドショーで鳥葬の特集をやっていた。ぼんやりと観ていると、朝っぱらから司会の女性がコメンテーターと鳥葬について盛り上がっている。文化人類学者がホンモノの大腿骨の笛、人骨念珠、頭蓋骨の鉢をスタジオに持ち込んで嬉々として説明し、司会者もいちおう「ちょっと気持悪いですね〜」などと言い乍らも、そのくせぜんぜん平気そうに楽しんでいる様子。朝っぱらから屍体をバラバラにして切り刻んで鳥が食べやすいようにして、なんぞと盛り上がっている。凄い世界だ。

 9:00にチェックアウト。1時間ほど街を散策していると吉野家があった。昨年は狂牛病騒ぎで臺灣にも牛丼は置いてなかったのだが、入ってみるとなんと牛丼があった! 臺灣では解禁なのか? よくわからんがとにかく食べてみる。おお、牛丼だ。 でもなぜかアイスティーがセットで付いてくるのが臺灣流。バスターミナルに行き空港までのチケットを買い待合室で待つこと暫し、ブルルン、とやって来たバスに乗って臺北を後にする。疲れが出たのか居眠りしているうちに中正国際機場第二ターミナルに到着。チケットカウンターでチェックインを済ませ、ボーディングパスを受け取り、ずっしりと重くなったリュックを荷物カウンターに預け、空港内をウロウロしたり喫茶店で珈琲を呑んだりしているうちに搭乗時刻が迫ってきた。ポケットの小銭を使い切るために自動販売機で黒松コーラを買ってみる。まるでうがい薬のような味。うーん、不味い。午後2時離陸。帰国したら立ち喰い蕎麦を食べたいぞ。

 19:20成田到着。入国してみたら成田は雨が降っていた。東京駅で天麩羅蕎麦を食べて帰宅。

TOP/流れ者の物語目次