145.20MHzグループの創成と発展
JE1LHE局・田村征一氏(黒磯市)とJF1ARM・星野正亘氏にお願いして書いて頂きました。(編集部)
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JE1LHE田村氏
1972年(昭和47年)8月頃、私共の仲間JF1KNJ局・蓮見久一氏(黒磯市)が栃木県、茨城県、福島県県境の八溝山(やみぞさん)に登った時に横浜市港北区のJR1HPA局・荒川雅夫氏と交信し、早朝145.20MHzでDXを楽しむ事を約束したとのことで、私(JE1LHE)の所に連絡がありました。これをクリックすると八溝山周辺拡大地図を表示します
早速早朝JR1HPA局を呼び出し、初めて145.20MHzで交信をしました。
当時私は144.36会の一員でしたので、7エリア各局に145.20MHzでも早朝DXが出来ますので是非参加して下さいと呼びかけをしておきました。
JR1HPA局は東京、神奈川を中心に参加を呼びかけたそうです。その中にJF1ARM局・星野正亘氏もいたと思います。

JF1ARM星野氏
1972年(昭和47年)頃JR1HPA局・荒川雅夫氏が開拓した145.20MHzでの7エリアとのQSOは「おはようモーニンググループ」と称した。この頃、2メーターは各周波数でXXXグループとか・・・メンバーとか言い合い、その勢力を誇示し拡充を図っていた。
145.20MHzグループのメンバーは皆ざっくばらんで2メーターのFMで、誰でも、GPでもJCC100は取れますよ! と呼びかけ仲間は急激に伸びた。そしてJCC200の特記ナンバーにコールサインを連ねたのも楽しい想い出である。
JE1LHE田村氏
その後145.20MHzも数多くの参加者でにぎやかになり、一度顔合わせをやろうと思い各局と相談の結果、JA7TMW局・鈴木行正氏(白河市)、JA7XXB局・高野英夫氏(郡山市)と私の3局が幹事で1973年(昭和48年)秋、那須高原大丸温泉で初顔合わせを盛大に開催することが出来ました。当日郡山市の大和無線KKの協力で展示即売会も行いました。

参加某氏
JE1LHEが幹事局、7エリアはJA7XXBほか各局、JA7TMW局も参加して賑やか。東京からはJR1HPA局、JE1VXR局 などが参加、LHEが女中さんにかわって飯つぎ。ホテル前に雪があったことなども印象に残る。

JF1ARM星野氏
1975年(昭和50年)、会長がJR1HPA局からJE1NIL局・三上進氏に移ると共にJARLに特殊クラブ、東京145.20MHzグループとして登録し、会費を取らない、そしていつでも声を出した局長さんが仲間ですよ、を合言葉に運用した。
この頃同じ145.20MHzで運用していたレークサイドグループ、千葉グループ、壬生ハムクラブ、府中グループなどと友好的な話し合いを繰り返す中で統合して行き、更に発展を続けた。7エリアに続き、2、3エリア、0エリア「りんどう会」の皆さん、0エリア「新潟の皆さん」とQSOの範囲が広まるに合わせてJARL登録の名称も
145.20MHzグループと改訂した。各エリアの局に垣根無くひたむきに呼びかけるグループの積極的な活躍は、台東区の砂町グループと並びJARLからも評価され浅草の公会堂で表彰された。

行ってきた各種イベント(順不同)
1.全国大会(懇親会、総会、ジャンク市、フォックスハンティング等)1976年稲城大会の模様はモービルハム誌76年6月号に掲載された。
2.忘年会、新年の集い
3.会員証発行
4.感謝状発行(郡山自衛隊、JARL栃木県支部長、会員22名)
5.横断幕製作、会印作成、会名印作成
6.新聞発行(創刊号はここをクリックするとご覧になれます)
7.名簿作成
1986年がもっとも多く計917局、1エリア602局、2エリア133局、3エリア1局、7エリア87局、9エリア7局、0エリア87局、。因みに1999年現在計139局、1エリア94局、2エリア6局、7エリア22局、9エリア1局、0エリア16局である。
編集部注:1999年、年間のQRV、グランド、電子メールでの実質活動会員は70名足らずであり一時の隆盛期に比べ寂しい限りである。2002年の30周年記念事業をテコに元会員、休眠会員の復活、新入会員を望む次第である。
8.テレカ作成
9.その他
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