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筆者の鈴木貞継氏は3月26日逝去されました。 謹んでご冥福をお祈りいたします(編集者) |
ノーザンタイランドへようこそ(第3号)
| ヤオ族 今月号も山岳民族の宝庫、タイ最北端県チェンライから山岳民族のヤオ族(中国語では瑤族)を紹介させていただきます、ヤオ族のルーツは中国の四川省を中心に湖南省、貴州などが起源といわれていますが、漢民族などからの圧迫により、雲南省を経てベトナムやラオス、ビルマ(現在のミャンマー)などに分散し、1920年代の前半にタイの北部メーンホンソン、チェンマイ、それとチェンライ県の当時は未開発だった山岳部に移住してきました、現在のタイ国内には160カ所の村に約28,000人のヤオ族がタイの国籍を有してタイ人として暮らしています。 宗教は前回のアカ族と同じくアミニズムの影響を強く持った中国の道教が基本になっているそうです、そのためかタイ国内に多くいる多くの山岳民族のなかでも最も中国文化を受け継いでいるようです、ヤオ族は名前の表示も中国式で中国語の読み書きが出来る人が今でも多くて、容貌さえも中国人に似ています、ヤオ族の女性は大人も子供もタイの気候風土に不似合いな赤い襟巻きのような物を衣装に縫いつけて田畑の作業も、街に出ての買い物もしています。私の住むチェンライ県メーチャン市から車で30分ほど行った山間部にヤオ族のパドゥア村があります、村は坂の途中にあって観光客目当ての藁葺き屋根の小さな店が連なっています、そこではヤオ族が得意とする手作りの刺繍製品が所狭しと並んでいます、テーブルクロスやクッションカバーなどが主な製品です、店によっては動物の角や骨を彫刻してキーホルダーや首飾りの土産物など売られています。このパドゥア村では日本人に対して好意的です、村長さんから聞いた話ですが、長い期間に渡って日本の笹川財団からの基金が援助されて、医療に関しては日本から医者まで派遣してもらい乳児の死亡率が下がり感謝していると云っていました。 上の写真はヤオ族の少女です、山岳民族を訪ねる旅を計画される方で質問などある方には情報など提供いたしますので E-Mail: oxd@loxinfo.co.th 鈴木貞継、まで連絡ください。 仏教とタイ 仏教が深く根を下ろしたタイ国。日本も仏教国といわれるが、仏教への向かい合った姿勢は大きく異なる。だが、特定宗教が人々の精神生活に大きな影響を持つのは古今東西共通だ。タイは国家宗教としてのての仏教をどう受け止めているか。夜が白々と明けてくると、タイの国では何処でも見かける光景だが、静かなろじのあちこちから、黄色の僧衣(Jee worn)をまとった僧たちが、托鉢の鉢を小脇に抱えて家並みの間をゆったりと歩く。サワディーカップ (ご機嫌よう)、快い響きの挨拶でタイの人々の一日が始まる。タイの歴史を語るときにはスコータイ王朝(1238年)をタイの夜明けと考えるのが常識とされている、この時代にクメール文化から学んだ文字に改良を加えて、現在のタイ文字を作り上げた。 仏教を国家宗教と定めたのもこの時期である、今のスリランカから指導僧を招き、以前からあったヒンズー寺院を仏教寺院に替えていった。同時に上座部仏教(テラワーダ小乗仏教)を説いて、仏陀(釈迦)の教えを広めていった。その教えはスコータイ王朝からアユタヤ王朝(1350-1767) トンブリ王朝(1767-1782)を経て、現在のチャクリ・バンコク王朝(1782- -) まで国民の間に広く、そして深く浸透している。 この項の仏教とタイは来月号にも紙面をお借りします。 ちょっと面白い話 最近は面白い話に飢えているとのE-Mailを頂きました、そこでバンコクで聞いたタイ人から見た外国人別のインプレッションと美女写真。 ご覧になりたい方はここを押して下さい
バーツ経済圏の領主、通貨の切り下げなどあったものの、まだまだインドシナ半島にあっては、見捨てたものではないタイ、その首都バンコクで某ジャーナリストが集めた外国人に対する評価。
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| 担当:145,20グループ タイ国チェンライ県在住 鈴木 貞継 Suzuki Sadatsugu |