News From Northern Thailand(No.10)
JULY 1999(No.10)
第1号         10 11 12 最終号
筆者の鈴木貞継氏は3月26日逝去されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします(編集者)

ノーザンタイランドへようこそ(第10号)

SIAM
サイアム(シャム)です。この呼称を皆様はご存じですね。そうです現在のタイ王国。
1939年まではこの国の正式な国名でした。この国名が変わるきっかけを作ったのは1932年のクーデターでした。この時代はラマ7世が王位にあり、絶対君主制の中で政治は動いていましたが、当時パリで民主思想に接したタイ人留学生たちが絶対君主制に疑問を抱きクーデターを起こし、この無血革命でタイも英国式の立憲君主国へと変身しました。政権は軍部と文民が併存、この軍部の指導者ピブンは1932年のクーデターで重要な役割を果たして第二次世界大戦終了までタイ国の政治に大きな影響を与えました。ラマ7世の後を受けたラマ8世も戦後暗殺されて現在のラマ9世が即位されました。1941年、マレー(マレーシア)とビルマ(ミャンマー)で連合軍を挟んだ日本軍に対し、ピブン政権は日本軍の進軍を許し結果的にはタイを占領させました。ピブン首相は英米に対して日本との同盟関係を裏付けるために戦争を宣言しましたが、当時の駐米タイ国公使(プラモート)は宣言の伝達を拒否して、タイ国内のレジスタンス達の後押しをする形になり、ピブン首相を退陣させました。1945年にはプラモート首相が誕生しましたが、その後も軍部の権力闘争が1973年まで続きました。1973年は記憶には一万人もの大学生が真の民主化を求めて国立タマサート大学に立てこもりましたが軍部の力で多くの犠牲者を出し、学生達は制圧されました。しかし流血を好まない王様と他の軍将軍によって制圧にあったた軍部は国外に追放され事態は収拾され、その後も右翼政権と民主化運動家との衝突は繰り返されましたが1980年プレム首相の誕生はベトナム戦争以後の経済的な安定と段階的な民主化に貢献して、1988年、チャチャイ首相に交代しました。
今回はいきなりタイの近代の大まかな出来事について書きました。驚かれたでしょう。この様な記事は本来なら第一号に書くべきでしたが、タイ北部の記事に固執して肝心なことを忘れていました。気が付いたのは数ヶ月前でしたが機会を逸していました。
今月は大まかにタイを紹介したいと思います。
国土と人口:タイ国民の数は5360万人ほどです。増加率は年1.3%位で推移しているようです。タイ国は象の頭の形に似た地形をしています。面積は51万4000キロ平方キロ、南北1860キロ、南はマレーシアと国境を接し、北東部はラオス、東南部はカンボジア、北西部はミャンマーと四方を陸地でつながっています。
気候:タイはモンスーン型の気候で、暑期(3月〜6月)雨期(7月〜10月)そして乾期(11月3月)と大きく三つに分けられていますが、今年などは4月の半ばから雨が降り出して6月初旬には毎日のようにスコールの洗礼を受けていました。タイの一番暑い地域は東北部で摂氏39度にも達することが一年を通じて数回有りますが、チェンライやチェンマイ、メンホーソンでは日中の暑い時間帯でも32度を超えることは多くはありません。乾期になると12度くらいまで下がることもあります。この時期には長袖のジャンパーが必要になります。したがって一般的な旅行シーズンは北部を除けば11月から翌年2月下旬までがベストでです、しかし中には3月4月の一番暑い時期がタイらしい気候と云い、その時期を好まれる方も居られます。
経済:80年代から順調に推移した経済成長率は平均10%を越えていましたが、1995年頃には日本経済に依存していたタイは日本のバブル崩壊の影響を受けて下降線をたどり、不況の中に突入、そして1997年には通貨の切り下げで不況に対応、今年になって経済も若干ではありますが復活の兆しを見せ始めました。日本経済が徐々に回復基調になってきたと云う事でしょうか?
タイ政府観光局(TAT)の発表によると年平均の観光客は500万人。観光客の数の大半はアジア人で、マレーシアが一番多く、次ぎに日本人となっています。最近はチェンマイやチェンライの観光地で台湾や香港の中国系団体客が観光バスを連ねて来るのが目立ちます。数年前までのバンコクでの日本人観光客の姿を彷彿とさせます。最近の日本人の旅行スタイルが変わって来たのか、大型団体の観光客を見かけることは少なくなりました。私の住むチェンライでは日本人の観光客を見かけることは稀で、ほとんどの観光客は欧米人を中心に前記の台湾、香港の方達です。チェンライには中国系タイ人や中国国民党の移り住んだ村などもありますので、それも中国系の方が来る要因かも知れません。日本人の少ない一番の要因は労働者の休暇に対する考え方、昔からの会社に滅私奉公する姿勢が美徳と考えられていて、会社側も労働者も長い休暇を取ることに抵抗があるようですね。某一流会社に勤めている友人曰く「一週間の休暇?そんな長い休暇取ったら会社に戻ったときに席が無くなっているよ」ですって。バンコクに時々出かけますが日本人観光客も結構来ていますね。欧米人のように長い休暇を取って、タイ北部にも足を延ばして下さい。参考ですが一番長いのがドイツ人。平均12泊です。日本人は一番短い。平均4日です。
ゴールデントライアングル   このゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)何が黄金をさすのか。筆者には未だに解釈できていません。それはともかくアヘンが始めて中国に持ち込まれたのは13世紀、アラブ商人によってでした。当時はアヘンは医薬品として珍重され、中国南部(雲南省)に住む多くの山岳民族たちは国に税金を払うために栽培の容易なケシを作り現金収入を得ていた。第二次世界大戦後、山岳民族の多くがビルマ(現ミャンマー)と中国での迫害を逃れてタイやラオスに移動してきたが、その時にアヘンも一緒に持ち込むことになった、ケシの栽培が盛んだった1960−70年代にはベトナム戦争に来た米兵の手によって世界市場に広めるきっかけを作った。以来、様々な政治勢力やアウトローと呼ばれる人達の介入で成長してきたのが、ケシの栽培地ゴールデントライアングル。タイ、ミャンマー、ラオスの三国は中国から流れ来るメコン河を挟んで隣接し、この国境が隣接していることと各国の首都から離れていて官憲などの目が届きにくい事なども違法なケシ(アヘン)栽培を容易にしたのかも知れません。もっとも官憲とは中央官憲の意味であって、地方の官憲や軍隊などはその利権を吸い続けたのかも知れません? 麻薬と言えばクンサー、麻薬王。彼も1989年にタイを追われてミャンマーに逃げ込みミャンマーの政府軍などを舞台に交戦しながら国境沿いの山岳地帯を移動していたが、4年前にミャンマー軍と不可解な合意で投降し現在はミャンマー領内で暮らしている。しかし残念なことに現在でも医療用などと合法を装ってアヘン商人は暗躍していることは事実です。旅行中にもタクシーやトクトクの運転手などから大麻や他の麻薬などを持ちかけられることがありますが、絶対に手を出してはいけません。旅行中は開放感から深く考えることもなく気軽に手を出してホテルに戻ったところで警察官に踏み込まれて逮捕され、裁判後にタイの刑務所に服役している日本人や他の外国人が大勢居ます。タイには密告制度があります。大麻や麻薬を持ちかけた本人が警察に客を密告します。そして密告報酬を得ることが出来る制度です。マレーシアやシンガポール、タイにも麻薬取締法は厳しく終身刑はもとより死刑の判決も多く出されています。外国人に対しても特別な扱いはありません。


ちょっと面白い話

街でよく見かける風景:自動車を運転中に交差点が近くなってくると、前方を走っている車がハザードランプを点滅させる光景に出くわすことが度々あります。最初は何事があったのか?仰天して私もブレーキを踏んで様子を伺う。何事もなく前方の車は交差点を通過、暫くして前方の自動車が再度ハザードランプ点滅、また私もブレーキ。最近は驚くことも無くなりましたが、このハザードランプの点滅させるのは、右でもない左でもない、直進の意味でした。
大工さんの道具:大工さんや日曜大工で使う鋸(ノコ)や鉋(カンナ)ですが、日本では言葉の上でも、鋸は挽く(引く、曳く、轢く)どの漢字を使うか知りません。私は引くと解釈していました。鉋は掛けると思いこんでいます。タイではノコもカンナも全て押す。はじめてタイで買ったノコで木を切ってみましたが、上手く行きません。引く作業を押す作業に替える単純な作業なのに。カンナも同じです。以前からアメリカではノコは押して切ると見聞きして知っていましたが、まさかタイでもアメリカ式だとは考えてもいませんでした。買ってきたノコを見たらMade in Sweden, そこで暇に任せ外国にいる友人達に問い合わせたら、引く形は日本だけ。新しい発見でした。 (私は考えてみたら日本のノコでも真っ直ぐには切れないし、カンナも掛けられない)

265/8, Banmai, T.Maekham, A.Maechan, C.Chiang Rai, 57240, THAILAND
鈴木 貞継
 
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