Rodon Journal Correspondent Report
Rodon in London
魯鈍的倫敦見物記
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Rodonジャーナル Vol.195


 30.Jun.1999.
 


国会議事堂(ウエストミンスター宮殿)  − Houses Of Parliament −

テムズ川河畔に建つゴシック様式の建物が、議会制度発祥地イギリスを代表する国会議事堂だ。
正式名称はウエストミンスター宮殿。
部屋数は1000以上、テムズ川に沿った長さは300メートル。
南北に塔があり、南側がヴィクトリア・タワー。北側は「ビッグ・ベン」の愛称で有名な時計塔だ。
この場所に宮殿が建てられたのが11世紀半ば。
隣接するウエストミンスター寺院で戴冠式を行った王が、住まい兼議会場として建設した。
1529年にヘンリー[世がホワイトホール宮殿へ移るまで、王宮として使われていた。
1834年には大火でウエストミンスター・ホールを除き、ほとんどを消失。
初期の議場となっていたところで、現在は下院玄関ロビーになっている。
当時ヨーロッパ最大の広間だったウエストミンスター・ホールは、歴史的裁判の場になったり、
クロムウェルの首が25年間さらされたりもした。
消失後は建築家チャールズ・バリーが再建に当たり、1870年にゴシック建築の建物が完成した。
第二次大戦で一部損失したが、往時の姿に復元され現在に至っている。



さて、ヒギンズ作品中で国会議事堂内のシーンがあるのは、
ナチの秘密文章回収劇を描いた1993年作『サンダーポイントの雷鳴 - THUNDER POINT』だ。
ショーン・ディロンと手を組んだファーガスン准将が、ウエストミンスター宮殿のテラスへ現れる。



庶民院は、時にロンドンでもっとも高級なクラブと呼ばれることがあるが、そのおもな理由は、各種施設の充実にある。飲食施設について言えば、上院である貴族院とあわせて二十六に及ぶレストランやバーが、政府の補助金を受けて営業しているのである。
どの店にもいつも順番を待つ客の列ができており、警官が混乱が起きないように整理している。客は見学者だけでなく、議員と面会の約束をしている有権者もいる。ただし、誰であろうと並ばなければならないので、ファーガスンとディロンも列についてゆっくりと前に進んでいった。

(中略)

二人は議員に面会しにきた人々が待っている中央ロビーに入った。人が大勢たてこんでいる中をファーガスンはどんどん歩いていき、ロビーの反対側から廊下に出て、階段を降り、ようやくテムズ川に面したテラスへの出入り口に着いた。
ここにも大勢人がいた。グラスを手に酒を楽しんでいる者もいる。左手にはウエストミンスター橋が見え、対岸はアルバート河岸通りである。テラスの手すりにそって、丈の高いヴィクトリア朝風の屋外灯がずらりと並んでいる。床の敷物は緑色だが、少し離れたところで赤に変わっており、くっきりとした境界線ができていた。
「なぜ色を変えてあるんだ?」ディロンがきいた。
「庶民院ではすべてが緑色なのだ」ファーガスンが答えた。「カーペットも、椅子の革張りも。これに対して貴族院は赤。あっちの赤い部分は、貴族院の領地ということだ」
「やれやれ、イギリス人というやつは、心底、階級区分が好きなんだな、准将?」


                      『サンダーポイントの雷鳴−THUNDER POINT』(黒原 俊行:訳 早川書房) 
 



アルバート河岸通り( ALBERT EMBAKMENT )からテムズ川越しに眺めた国会議事堂( HOUSES OF PARLIAMENT )
右端の時計塔( BIG BEN )横から架かるのがウエストミンスタ橋
写真手前にある艀は、船のガソリンスタンド



「ウエストミンスター宮殿」正面にたつクロムウェル像
OLOVER CROMWELL 1599-1658
(撮影:1999年9月)



ビッグ・ベン  − Big Ben −

ロンドンといえばビッグ・ベンの愛称で有名な時計塔だ。
名前の由来は諸説あり、当時の工事責任者のニックネームからという説が有力だとか。
塔の高さは95m、時計の直径7m以上。
1859年5月31日に13.5tの重量がある鐘が鳴らされて以来、15分毎に鳴る小さな鐘ともども、
毎時ロンドンに時を告げている。
曲はヘンデルの「メサイア」のアリアをアレンジしたもの。
この時計塔と対をなしているような塔がヴィクトリア・タワー。
高さ104mの塔に納まっているのは議事録だ。


「パーラメント広場」から見上げた「ビッグ・ベン」
(撮影:1999年9月)



午後6時50分。テムズ川から眺める「ウエストミンスター橋」に灯りがついた
ゴシック様式の建物には、背後の高層ビルがどうも無粋だ



BUT, SO WHAT ?

取材秘話

ロンドンへ来たら「ビッグ・ベンは見たか?」と、云うんじゃない。
「ビッグ・ベンを聞いたか?」と、ロンドン子はいうらしい。聞かなきゃ話しにならんと・・・・
で、この鐘の音を聞いた時、「あ、学校のチャイムとおんなじだ!」と思ったワケ。
そう、あの「キンコンカンコォ〜ン」っていうヤツ。きっとビッグ・ベンの真似だったんだね。
でも、メロディーを奏でているのはビッグ・ベン本体じゃなく、後に続く低音の「ゴォ〜ン」と時刻の回数分鳴る方が、本当のビッグ・ベンということらしいのだ。
だからどうしたって〜話しなんだけどね。



ウエストミンスター橋  − Westminster Bridge −

長い間テムズ川に架かる橋は「ロンドン橋が落ちる」という唄にあるロンドン橋だけだった。
二番目に架かったのが、このウエストミンスター橋だ。
1750年11月に完成。
富くじによって財源を得たので、世間から「愚か者の橋(フールズ・ブリッジ)」とあだ名された。
それゆえ「ロンドン橋が落ちる」をもじり、「ウエストミンスター橋がまた落ちる」とも唄われた。
現在の橋は建設からちょうど100年後の1854年に架け替えを始め、1862年に完成した。




記者のようにこの辺りをそぞろ歩いたのが、前章で少し登場してもらったスペンサー。
ロバート・B・パーカーの『ユダの山羊』では、こんな感じだ。



 時計を見た−八時五十分。六時間引くと、ボストンは三時十分。スーザンはカウンセリングの講義に出ているのだろうか、と考えた。たぶん、毎日あるのではないだろう。しかし、夏はあるのかもしれない。ウエストミンスタ橋を少し歩いて行って、川を見下ろした。ザ・テムズ。驚いたな。ボストンのチャールズ川のほとりにまだワンパノウアグ族のインディアンしかいなかった頃、テムズはこの町の中を流れていたのだ。下の左側に、観光船の乗客が乗り降りする台がある。

(中略)

シェイクスピアはこの川を渡ったのにちがいない。グローブ劇場は、向こう岸にあるような、ぼんやりした記憶がある。あるいは、かつてあった。なんとなく、もはやなくなっているような気もした。


                             『ユダの山羊−THE JUDAS GOAT』(菊池 光:訳 早川書房)



AND NOW↓

取材秘話

不思議な懐かしさを感じて可笑しくなった。
「やあ! ちょっと写真撮ってくれないか」
この国へ来て、初めて聞くアメリカ英語だった。
ボストン訛っていうヤツだ。
「オーケイ。 ケアド・ミーラ・フォルチャ!」
「何んだって?」
「なに、十万の歓迎という意味のアイルランド語だよ」
「アイルランドへ行ったのかい?」
「いや、嵐でカンザスへ飛ばされたことはあるけど」
その男は、破顔しながらミノルタのコンパクトカメラを手渡した。
ウエストミンスター橋上の、カウンティー・ホール( COUNTY HALL )真横あたりだ。
ここからビッグ・ベンを背景に、写真へおさまろうというつもりらしい。
ファインダーを覗くと、髭こそはやしていないが丸顔で、小太りの体型が著者近影とそっくりだった。
シャッターを押した瞬間、画面を緑色のフォードのバンが横切ってしまった。
「もう1枚。クルマが通ったッ!」
2枚目を撮り終え、カメラを渡すと彼が云った。
「あんたも撮るかい?」
私のカメラを持った彼は、構図の注釈をしながらシャッターを押した。
「サンクス。ところで、スペンサーっていう友達はいる?」
「ノウ。なんでだ?」
「いや、ちょっと知り合いに似ていたもんで」
男は少し怪訝な顔をした。
「それじゃぁ、良い旅を」
「あなたも」

私が2回目にシャッターを押した時も、ファインダーの中を赤い2階建てバスが横切ったような気がしたが、黙っておくことにした。
出来上がった写真を見たロバート・B・パーカー似の男は、どんな罵り言葉を吐いたのだろう。