「不死」(後編)
甘利君
おかしなお願いをしたまま突然いなくなってしまって、本当にごめんなさい。あのときはなるべく早くあの部屋を出ないといけなかったので、詳しく説明している暇がなかったのです。今、ようやく少し時間が取れたので、この手紙を書いています。
私はこれから、すべてのいきさつを隠さずに話します。それは、私が消えた理由、そして甘利君にあんなことをお願いした理由を知ってもらうためです。
私はずいぶん長く、人に言えない秘密を持って生きてきました。それは別に悪いことじゃないから、ほんとなら秘密にする必要はないし、現に両親をはじめごく近しい何人かの人たちには話したことがあります。でも、誰も本気にしませんでした。無理もありません。私の言うことを信じたら、彼らには普通の生活が営めなくなるからです。だから私は、このことは二度と誰にも言わないことにして、なるべく人と関わりを持たずに暮らしてきたのです。
甘利君、あなたはいつか、生き物たちに呼ばれてる気がすると言いました。私にはそれがとてもよくわかります。なぜなら私には、身の回りの物の呼びかけが聞こえるからです。私は物と話すことができるのです。
物心付いた頃から私は、箸や茶碗や食卓や座布団や、箪笥や冷蔵庫や、洗濯ばさみやハンガーや、父親の眼鏡や母親の化粧品や、そういった身の回りのありとあらゆる物たちと親しく話をしていました。物と話す、といっても、経験のないあなたには想像が付かないでしょう。物が声を出すわけではありません。たとえば私が時計に注意を向けると、時計の考えていることが私の心の中に直接響いてくるのです。同じように、私の考えていることも向こうに直接伝わるようです。物の考えというのはとても単純で直截で、人間の言葉とは全く違います。物は何かを隠したり、嘘を付いたりすることは決してありません。だから、それは話をするというより、互いの心を開いて見せ合うような、とても親密な関わりなのです。
物といっても、動物や植物、自然にある石や岩などは、私に話しかけてくることはありません。人間の手で作られた物に限るのです。たとえば、枯れ枝は語らないけど、割り箸はおしゃべりです。
どんな物にとっても、いちばん鮮やかな記憶は、作られて世の中に出てきたときの場面です。たとえばおみやげの木彫りの人形は、一日中座布団に坐って小刀を器用に操っている穏やかな顔の老爺のことを、そしてお風呂場の洗濯機は、ぴかぴか光る大きな機械がそこら中で忙しげに動いている広い工場のことを、私に語ってくれました。幼い私はそれを聞いて、見たこともないさまざまな場所のことを想像しては、胸をときめかせていました。
それは私にとってあまりに当たり前のことだったので、両親やほかの人たちも同じだとずっと信じていました。それなのに母親は、私が友達になったばかりのお菓子の袋やおもちゃの箱などを平気でごみ箱に捨ててしまうので、私はいつもかわいそうだと泣いて母親の腕にすがりついては、「変な子ねえ」と言われていました。
両親は私のことを、感受性の強すぎる子だと思っていたようです。物たちから聞いたおもしろい話を大喜びで両親に語って聞かせても、気のない返事が返ってくるだけでした。しだいに私は、周りの人たちが自分ほど熱心に物たちの言葉に耳を傾けないことに気づいていきました。しかし、物と話すこと自体については、それが私にとってあまりに自然だったので、ほかの人たちが誰もその能力を持っていないと悟るまで、ずいぶん時間がかかりました。
小学校に行くようになっても、私は教室の机や椅子や黒板と話すほうが楽しかったので、人間の友達はできませんでした。人間は意地悪で、何を考えているかわからないから嫌いでした。休み時間にはほかの子供たちを避けて、一人で校庭の遊具たちと話をしました。中でもお気に入りだったのは、校庭の隅に半分埋め込んであった大きなトラックのタイヤでした。彼は体が大きくて、心の中に響いてくる声も荒っぽかったので、私は最初おびえていましたが、そのうちとても優しくておもしろいことがわかりました。彼は私と仲良くなると、自分が日本中を走っていた間に見た珍しいものごとをいろいろと話してくれました。私が一心に聞き入っていると、決まって意地悪な男の子が走ってきて、タイヤを踏みつけたり蹴飛ばしたりします。踏まれて折れ曲がったタイヤは、痛みと屈辱に黙って耐えています。それを見て私が泣き出すと、男の子は邪悪な喜びに目を輝かせるのでした。
三年生の夏休みに、私は一人で叔母夫婦の家に泊まりに行きました。この叔母は母の妹で、私立の学校の先生でしたが、紙細工が趣味で、人に教えたりもしていたようです。それで、うちにもこの叔母が作った花や動物などの細工物がいくつかあったのです。
ほとんどの物は、それを作った人や、長く使っていた人の人柄を、何らかの形で映し出します。私は叔母が作った紙細工の花や動物たちと話していて、彼らからとても自由でおおらかな雰囲気を感じ取っていました。そういうわけで、叔母自身とは一回か二回しか顔を合わせたことがないのに、私はこの叔母に好意を抱いていました。
叔母は想像したとおりの気持ちのいい人でした。叔母は私に紙細工の手ほどきをしてくれ、私が初めて作ったつたない花を見て、ひどく感心したようにこう言いました。
「ふみかちゃんは、すごいねえ。初めてなのに、まるで花が生きてるみたい」
それを聞いて、私は叔母ならば自分のことをわかってくれそうな気がしました。そこで私は、「秘密だよ」と前置きして、私と物との関わりのことを詳しく叔母に話しました。
叔母は真剣な顔で私の話を聞いてくれ、途中でいくつか質問を挟みました。話が終わると、叔母は私の目を覗き込んでこう言いました。
「ふみかちゃん、大事なことを教えてくれてありがとう。そのきれいな気持ち、大人になっても忘れないでね」
私はそれを聞いて、話してよかったと思いました。
私が家に帰ったあと、叔母は私の両親に手紙を書きました。その中で叔母は、私が語った話を詳しく書き記し、私がそれを空想として楽しんでいるのではなく、現実と信じていることが心配だ、一度専門の医者にみせた方がいいだろうと助言したらしいのです。
それからしばらくして、私は白い大きな建物の中に連れて行かれ、銀色の細い眼鏡を掛けた柔和な表情の女の人と話をしました。ずいぶんいろいろなことを話したようですが、詳しくは覚えていません。だんだん話が核心に近づいてきて、私は鉛筆や消しゴムが話すのが聞こえる、と認めました。すると彼女は、ちょっと首を傾げるようにしてこう尋ねました。
「それは、あなたが聞こえるように心で思っている、ということ? それとも本当に声が聞こえるの?」
私は直感的に、これは大事な質問なんだと悟りました。ここで答え方を間違うと、私はこれからずっと仲間外れにされるだろうと思いました。それで、実際に感じていたこととは正反対に、「たぶん、そう思ってるだけだと思います」と答えました。
家に帰ったあと、父が母に「何にしろよかった。知能なんて平均よりずっと進んでるらしいぞ」とささやくのが聞こえました。
そのときから、私は意識して仮面を被って生きるようになりました。物と話しているところは決して人に見られないようにしました。そればかりか、一人でいるときでも、なるべく物たちからの呼びかけに耳を塞ぐようにしました。それはこの上なくつらいことでしたが、この世の中で生きていくためにはしかたがないのだと自分に言い聞かせました。
私はうわべだけの友達を作り、学校の勉強もし、いい子を演じ続けました。登校の途中でファーストフード店の前を通ると、大きな半透明の袋に入ってたくさんのカップやストローが捨ててあります。中には一度も使われていないものもあるのです。私にはその一つ一つの溜め息やすすり泣きが聞こえます。なぜ私を捨てる、何のために私を作った、と。私はそれに耳を塞ぎ、何も気づかなかったように友達と笑い合いながら道を急ぎます。
あるとき、家族で映画を見に行ったことがあります。最後のほうに、犯人の車がパトカーに追われて、崖から転落して炎上するという場面がありました。映画でいくら人が死んでもそれは嘘ですが、物が壊されるのは本当です。その車は全速力で走りながら大得意でした。私にはその無邪気な喜びがはっきりと感じ取れました。それが一瞬あとには、断末魔の叫びを上げながらばらばらに引き裂かれて燃え尽きていったのです。私はその場面をスローモーションで見せられました。私は吐き気をこらえながらふらふらと立ち上がり、周りの客たちに目をひそめられながら、映画館の外へよろめき出ました。
私は世の中を呪っていました。自分の都合で次々と物を作り出し、その気持ちに気づきもせずにさっさと壊したり捨てたりする人間など、一刻も早く滅びてしまえばいいと思いました。そんな生活が中学を卒業するころまで続きました。
高校に入ったころから、私の心に少し変化が起き始めました。街を歩けば相変わらず電柱やポストや看板などの声が聞こえるものの、以前ほどは気にならなくなって、いわば無関係な群衆のざわめきのように感じられました。このままだんだんと物たちの言葉も聞こえなくなって、普通の人になってしまうんじゃないかと思うと、少し寂しい気もしましたが、同時にどこかで安堵も感じていました。
あやのさんと出会って部活動にひっぱりこまれたのもそのころです。それは私にとって新鮮な体験でした。物以外の相手と初めて多少なりとも心が通ったような気がしたからです。自分から積極的に関わっていくことはなくても、ただみんなの中にいて、見回せばそこに自分を受け入れてくれる人たちがいるというのは、とても心が休まることでした。あのころが私の人生でいちばん人間らしい時期だったと思います。だから、甘利君を含めて、部の人たちにはとても感謝しています(河原のバーベキュー、楽しかったね)。
高校を卒業してしばらくしてから、私は母親と大喧嘩をしました。きっかけは、私が箱に入れてしまってあった小さいころの思い出の品々を、母親が勝手に捨ててしまったことでした。その中には、幼いころの私の特に大切な友達だった、鉛筆削りや、おもちゃの指輪や、外国製の竹のペーパーナイフなどが入っていたのです。最近でこそ取り出して話をすることもほとんどなくなりましたが、その箱が身近にあるだけで、幸せだったあのころの自分と今の自分とを結びつける手段が残されているような気がしたのです。
それが、私の留守をねらって闇討ちのように捨てられたと知ったときの絶望。しかも母親は、部屋が広くなってすっきりしたでしょうと、何かいいことでもしたような顔つきで、私がなぜそんなに怒るのか理解できない様子でした。私が決して母親を許そうとしないのを見て、私のことを異常だとまで言ったのです。
そのとき私は、過去にこの母親が、私の願いも聞かずに大勢の友人たちを私から引き離したこと、そして日頃から物に対して飽きっぽく、まだ使えるものでも簡単に捨てては新しいのを買ってくることなどを思って、もうこの人とは一緒に暮らすまいと心に決めました。
私は家を出ると宣言し、自分でアパートを見つけて一週間後に引っ越しました。
一人になったことは、私にとって大きな転機になりました。もう人目を気にしなくてもよくなったからです。実家から連れてきたお気に入りの物たちとの間に、私は昔のような親密な関係を取り戻しました。
街を歩いていると、さまざまな物の声が聞こえます。持ち主に大切にされている自動車、誇りを持って仕事をしている看板や自動販売機、そういった物たちは幸せです。でも、不幸な物もたくさんいます。たとえば道端に捨てられた空き缶や袋、読み捨てられた雑誌、壊れた傘。私はそういった物を見ると、そばにしゃがみこんで言葉を掛けずにはいられません。捨てられたばかりの物は、ひどくおびえています。時がたつにつれて、それは絶望と諦めに変わります。私はそんな彼らを見ているのに忍びなく、自分の部屋に連れ帰ってしまいます。彼らは生き返ったように喜び、全身で感謝を表します。こうして、私の部屋は街から持ってきた物たちでいっぱいになっていきました。
私はこのとき初めて知って驚いたのですが、物たちの間にはかなり広い横のつながりがあるらしいのです。捨てられた物を私が救って歩いているという噂が、街の物たちの間にたちまち広がっていったのでした。
たとえば、ある家の軒下に止めてあるオートバイと私は顔見知りになっていましたが、ある日挨拶を交わしたあとで、オートバイがこう言うのです。
「実は頼みがあるんだ」
「なに」
「ほら、そこに隣のうちの窓が見えるだろ」
「うん」
「つい昨日まで、その窓辺に俺の友達がいたんだ」
「ふーん」
「金髪の、きれいな顔した人形でね」オートバイは少し照れていました。「毎朝ここから挨拶すると、にこっと笑って返事するんだ。それを見るのが俺の生き甲斐でね」
「へーえ」私はほほえましく感じました。
「それがさ、今朝見たら、いないんだ」
「どうして」
「噂じゃ、古くなったからって家の奴らが捨てちゃったらしい。代わりに花なんか生けてやがる。俺は、死んだ花の顔なんか見たくねえよ。あいつの笑い顔が見たいんだよ」
オートバイは泣き出しそうでした。
「あいつ、裏のごみ捨て場で泣いてるってさ。もう少ししたらごみ集めが来て、連れてかれちゃうんだ。でも俺には何もしてやれない。それで、あんたのことを思い出したんだ。あんたは偉い人で、身よりのない物を助けてくれるって話だから……」
「わかった」私はうなずきました。「必ず助けてあげるよ」
そんなことが何度もありました。やがて私の部屋は、四方の壁際に天井まで物が積み上がり、真ん中にかろうじて寝る場所があるという状態になりました。それでも私は、自分が救った物に囲まれてこの上なく幸せでした。毎晩、物たちの感謝の囁きを聞き、自分が生まれてきた意味はこれなんだと感じながら眠りにつきました。
ある日外出から戻ると、部屋の前に二人の男性が立っていました。一人はアパートの大家、もう一人は私の父親でした。同じアパートの誰かが、部屋をごみでいっぱいにしている住人がいると大家に通報したのです。大家は窓から部屋の状態を調べたあと、私に直接話す代わりに、保証人である父親に連絡しました。自分の部屋をこんなにしてしまう女と一対一で話すのは、気味が悪かったのかもしれません。
私に鍵を開けさせて二人は部屋を調べました。大家の真っ赤な顔と、父親の蒼白な顔を、私は人ごとのように眺めていました。これが私と物たちにとってどういう結果になるか、そのときの私にはよくわかっていませんでした。
やがてトラックが呼ばれ、部屋の中の物が運び出されました。そのときようやく私は何が起きようとしているかに気づき、運転手に駆け寄って止めようとしました。すると父親が近づいてきて、後ろから私の両腕を痛いほどきつくつかみました。振り向いた私は、今まで見たことがないほど途方にくれた痛々しい父親の表情を見ました。私は動けなくなりました。
私が救ったたくさんの物たちは、全部まとめてごみ捨て場に運ばれていきました。彼らの悲痛な叫びが聞こえないように、私はきつく目をつぶって下を向いていました。私のささやかな幸せも誇りも、一瞬で崩れてしまいました。
この出来事のあと私は、心の中で二つの誓いを立てました。二度と自分の力を信じないこと、そして二度と幸福になろうと思わないことです。
私は別のアパートを見つけて引っ越しました。いつかあなたを案内した部屋です。この部屋には、生きていくために必要な最小限の物しか持ち込まないことにしました。一度手元に置いた物と別れなければならない悲しみは二度と味わいたくなかったからです。
空っぽの部屋で暮らすことにもすぐ慣れました。街を歩いていて捨てられた物に出会うと、私は近づいて慰めます。時には、相手の気持ちが落ち着くまで何時間もそばに付いていることもあります。でも、自分の部屋に連れ帰ることだけは決してしません。ただ、見捨てられた物たちに寄り添い、その苦痛を少しでも和らげることだけを、これからの人生の目標にしようと決めたのです。
ここまでが過去のいきさつです。さて次には、私に最近起きた、そして甘利君も巻き込むことになった、あの事件の顛末を書かなければなりません。
新しいアパートに引っ越して間もなく、私はあの公園を見つけました。私はよくあそこに鳥の声を聞きに行きました。鳥の声は私にとって全く意味のない音なので、どこにいても聞こえてくる物たちの囁きを逃れて頭を空っぽにするのに都合がいいのです。
あるとき、あまり人が行かない隅っこのベンチの前を偶然通りかかって、そこに一台の自転車を見つけました。
「あのボケナス」と自転車は呟いていました。「こんなところで俺に一晩過ごさせやがって。雨でも降ったらどうするつもりだ」
「どうしたの」と私は彼に尋ねました。
「昨日からここで待ちぼうけ食わされてんだ。ところであんた何だ」
「あなたの力になりたいの」と私は答えました。
「そんなら、教えてくれ。あいつはどこにいるんだ。いつ俺を迎えにくるんだ」
しかし私は、チェーンが外れていること、鍵も掛けず、スタンドも立てずにこんな隅っこに灌木に埋もれるように置いてあることから、彼は捨てられた可能性が高いと思いました。
自転車は私の考えを読み取って、ひどく興奮しました。
「そんなばかな! あいつは俺なしじゃどこにも行けないはずだ。チェーンが外れたくらいで俺を捨てるはずがない! ただ迎えにくるのが遅いだけだ」
捨てられたばかりの物は、こういうふうに現実を受け入れられないことがよくあります。時がたつにつれてだんだんと彼らも、自分がもう必要とされていないことを認めざるを得なくなります。私はそういう例をいくつも見てきました。
「とにかく、落ち着いて、もう少し待ってみましょう」と私は自転車に言い聞かせました。
その日から私は、時間を作ってはたびたび自転車のそばに行きました。何日たっても持ち主が姿を現さないので、自転車は次第に動揺していきました。彼は私に当たり散らし、今すぐここへ持ち主を連れてこいと命令しました。そんなことはできないと言うと、彼は激昂しました。
「あんた何のためにここにいるんだ。俺を助けるためじゃないのか!」
物は持ち主の人柄を反映すると前に書きました。自転車のこんな自己中心的な性格は、持ち主から受け継いだものかもしれません。自分が捨てられたことを悟ったら、おそらく彼は持ち主を強く恨むでしょう。そんな気持ちで最後の日々を過ごすのはかわいそうです。自転車を助けることのできない私は、何とかして彼の気持ちを落ち着かせてやりたいと思いました。
今思えば、私はまた自分の力を過信していたのです。ついこの前あんな誓いを立てたばかりなのに。
甘利君、あなたが現れたのはそんなときでした。
あのとき私は、いきり立つ自転車をなだめていたのです。私があまり愛想よくなかったとしても許してください。だって、あなたにちょっとでも注意を向けると、自転車は罵詈雑言を浴びせるのです。そっちを向くな、おまえは俺のためにここにいるんだ、忘れるなと。
あのときはさすがにやりきれなかったので、あなたに誘われたのをきっかけに、自転車の制止を無視してその場を離れてしまいました。
翌日自転車のそばに行くと、彼は沈黙していました。「昨日はごめんね」と謝りましたが、答えはありません。私は黙って坐っていました。そのうち彼がぽつんと言いました。
「俺、捨てられたんだな」
私は答えられませんでした。こんなときの物の気持ちを慰める言葉なんてこの世にはありません。いつかは通らなければならない道で、しかたがないと私は思いました。少しでも彼に力を貸したくて、私はできるだけ自分の心を彼に開きました。
そのとたん、悲痛な呻きが心に流れ込んできました。
「俺はゴミになったんだ。ここで雨ざらしにされてじわじわと腐るんだ。いや、どこかへ持って行かれてばらばらにされるんだ。俺は死ぬんだ」
私は涙を流しました。トラックで持ち去られた物たちの叫びが心に蘇ってきました。彼らの苦しみはそのまま私の苦しみでした。息が止まりそうでした。
「あいつのせいだ。あいつが俺を置き去りにしたからだ。復讐したい。あいつに同じ苦しみを味わわせたい。暗いところに置き去りにして、雨風にさらして、じわじわと腐らせて、なぶり殺しにしたい。絶対に許さない。どこまでも追いつめて、必ず殺す!」
私はこれまでに何度も、なぜ自分だけが物と話すことができるのか、そもそも神経も感覚もないはずの物がなぜ話しかけてくるのかといったことを考えてみました。哲学や脳の本を眺めてみたこともありますが、答えは見つかりませんでした。
でも、そうして本を読んだり考えたりしているうちに、自分なりに思いついたことがあります。それは、私は物の記憶の再生装置なんじゃないかということです。
人が物を使っている間に、物にはさまざまな変化が刻まれていきます。それは物の記憶と言ってもいいでしょう。でも、物には考える手段がないので、普段はその記憶は物の中に化石のように閉じこめられています。しかし、私のような特別な感受性を持つ人間が近づくと、カセットテープがプレーヤーに入ってスイッチが押されたように、あるいはプログラムがコンピューターに読みとられて動作するように、その記憶が私の心の一部を借りて動きだし、物の心が生じるのではないでしょうか。
そう考えれば、物の言葉が直接私の心に響いてくる理由がわかります。いわば、私という同じ部屋の中で、二つの心が衝立ごしに話をしているようなものだからです。
しかし、それだけでは説明できないこともあります。今言ったことが正しければ、私が近くにいない限り、物は半分眠っているようなもので、ただ受け身に記憶を蓄えていくだけでしょう。でも、あのオートバイは、毎朝窓ごしに人形に挨拶するときのうきうきした気持ちを語ってくれました。そのとき彼に感情がなければ、そんな記憶が生じるはずはありません。それだけでなく、私が物たちの話から感じ取った世界は、とても私一人の心では担いきれないくらい、時間的にも空間的にも広大なのです。
そこで私は、さらに大胆なことを考えました。実はあらゆる人が、自分では知らずに物の再生装置の役割を果たしているんじゃないか。あのオートバイは、毎朝彼にまたがる持ち主の心を借りて、人形にあこがれる気持ちを育てていたんじゃないか。そうやって、あらゆる時代にあらゆる場所で、物たちは身近な人間の心を密かに乗っ取り、自分たちの世界を築き続けてきたんじゃないか。
だとすれば、私は特別な感受性があるわけじゃなくて、ただ自分の中の物の心に気づけるだけだということになります。普通の人の心は頑丈な壁で仕切られていて隣の声が聞こえないのに、私の場合は薄い衝立一枚でよく聞こえるというわけです。
もちろん、これはただの空想で、何の証拠もありません。ただ、そう考えれば、私があのときなぜあんなふうになってしまったかも、少しは理解できるのではないかと思うのです。
私は、自転車の復讐心に共感してしまったのです。そんなことをしてはいけないとわかっていながら、自転車の持ち主を罰したいと思ったのです。もしかしたら、以前助けた物たちが捨てられてしまったときに何もしてやれなかった無念さが、心の底で私を動かしていたのかもしれません。とにかく、そのとき私の心は自転車の心と溶け合い、自転車の願いは私の願いとなりました。私たちはいわば、衝立をはねのけてじかに抱き合ってしまったのです。
その日から、私はどこにいても自転車と心が通じるようになりました。夜となく昼となく、自転車は私に苦痛と不安を訴え、怒りをぶつけました。少しでも彼を慰められるのは復讐の話だけでした。空想の中で自転車は、ありとあらゆる手段を使って持ち主を苦しめ、虐げ、なきものにしました。そういうことを考えるときだけ、彼は苦しみを忘れられるようでした。私もまた、少しでも彼の心を慰めたくて、そんなやりかたじゃうまく行かない、こうすれば……などと提案したりしました。
でも、そのときは決して本気じゃなかったんです。だって、持ち主がどこの誰だか私は知らなかったんですから。自転車の単純な記憶からは住所や名前まではわかりません。持ち主に会いさえしなければ、どんなに恐ろしい計画を立てようと私には実行しようがないわけです。だから私は安心して、ゲームのようなつもりで自転車の空想につきあっていられたのです。
それなのに、偶然にも私は持ち主に会ってしまったのです。自転車の記憶にその姿が鮮明に焼き付けられていたので、見たとたんにわかりました。それがあの、ゲンマロでした。
私は心がしんとするのを感じました。会ってしまった以上、もうゲームではすまない。急に復讐が現実の問題になったのです。とにかく、彼のことをもっとよく知る必要がありました。
あなたはゲンマロのことをまやかしものだと言いましたが、彼の自転車とずっとつきあってきた私も、彼は見かけ通りの人ではないだろうと感じました。でも、自転車を通して見た像だけですべてを判断することはできません。
私は彼に興味を持ったふりをしました。あなたは気が付かなかったかもしれないけど、最初に彼と会ったあのとき、一緒に歩きながら私は、公園の隅のベンチにいつもいるから会いに来ないかと囁いたのです。
それには一つの心算がありました。そこは彼が自転車を捨てた場所です。彼は当然それを覚えているはずです。彼が自転車に対して後ろめたさを感じていたら、ベンチには来られないでしょう。もしそういう気持ちが少しでもあれば、彼を許せるかもしれないと私は思いました。
でも、それは空頼みでした。翌日早速彼はベンチにやってきて、自分が捨てた自転車を平気な顔で眺めながら、太平楽に世間話を始めました。その間、彼には聞こえなかったでしょうが、自転車は半狂乱で彼に哀願していたのです。俺を連れて帰ってくれ、頼む、何でもするから、と。ゲンマロがまったく自分に関心を示さないのを見ると、自転車は悪鬼のようになり、そいつを殺せ、今すぐ殺せ、と繰り返し私に命じました。
でも私は、本当にゲンマロが復讐に値するのかどうか、最後の最後まで慎重に見きわめようと思っていました。ほんの少しでも、彼が自分以外の存在への配慮や思いやりを示してくれていたら、私は思いとどまったかもしれません。でも、彼は私の目の前で草履を投げ捨て、得々として壁に穴を開けた話をしました。すべてその調子で、彼にとって周りのものはみんな自分の「人生の目的」のための道具にすぎないようでした。
しかし、常識的に考えれば、ゲンマロがそんなにひどい罰を受ける理由はありません。自転車に対する仕打ちだって、そもそも自転車に心があることを彼は知らないのだから、責めるのはお門違いでしょう。
私の理性はそう言うのですが、一方で自転車の苦しみを二六時中共有している私の心は、彼をこのままのうのうとさせておくことをどうしても許さないのです。復讐すべきか、やめるべきか。私は幾晩も眠らずに悩みました。
実は、それより少し前から、自転車のことに劣らない大きさで私の心を占めていた問題がもう一つありました。それは甘利君、あなたのことでした。
公園のベンチで再会してから、あなたに会うのがとても楽しみでした。あなたは人間だから物のように心を開き合うことはできないけれど、あなたといると黙っていてもとても心地いいのです。私は、一人になってから、自分は物の世界に属するのだから、他の人間と親密な関係になることは一生ないだろうと考えていました。でも、あなたを見ていると、物と人をどちらも大切にすることだってできないことはないように思えるのです。そのためには、こちらの少しの思いやりと、相手の少しの理解があればいいのです。あなたとならそれができそうに思えました。
そう、私は二つめの誓いも破ったんです。あなたと幸せになりたかったんです。
でも、ゲンマロに会って、事態は全く変わりました。もし私が復讐をするとしたら、あなたを巻き込んではいけません。結局、あなたとは縁がなかったのだと思いました。
ところが予想外なことに、あなたはゲンマロに嫉妬しました。そのときまで私は、あなたの気持ちに気づいていませんでした。いや、気づこうとしなかったのかもしれません。自分を傷つけないために、人が自分に関心を持つなんてあり得ないと思おうとしていたのかもしれません。
自分とゲンマロとどちらを選ぶかとあなたが尋ねたとき、私は自分の未来を決める分かれ道が目の前にあるのを感じました。人を選ぶか、物を選ぶか。自転車を心から閉め出し、復讐に背を向ければ、あなたと手をつないで歩いていける。それは心が震えるほどの誘惑でした。でも、その道を選べば、私は二度と物たちに対して曇りなく心を開くことはできなくなるでしょう。いや、物たちのほうで心を開いてくれなくなるかもしれません。何より、自転車はすでに私の一部となっていて、その気持ちに背くことは自分で自分の腕を切り離すくらい難しいことに思われました。
私は選べませんでした。するとあなたは、私の部屋に行きたいと言いました。あの空っぽの人間離れした部屋に。私はあなたにあの部屋を見せようと思いました。あなたがそれを受け入れられないなら、あなたの方へ行く道は自然に閉ざされます。もしあなたが問いただすなら、そのときはすべてを打ち明けようと思いました。その結果、復讐ができなくなってもいい。私にはもう自分で自分の行く先を決める力がないから、何か抵抗できない大きな力に決めてほしかったのです。
部屋に入ったあなたは、結局何も聞かずに去りました。そのことは全然、恨んでなどいません。あなたにとってもそのほうがよかったと思います。とにかく、私の行く道はそれで決まったのです。
それから幾日か雨が降り続きました。私はその間、毎日自転車のそばに付いていました。冷たい雨は容赦なく自転車を錆び付かせていきます。私もまた傘も差さずにずぶ濡れになりながら、自転車の体をずっと撫で続けていました。
「死ぬってどういうことだ」自転車がぽつりと尋ねました。
「何も感じず、何も考えなくなることだよ」と私は答えました。
「本当か。知ってるのか。いいかげんなことを言うな」自転車は弱々しく悪態をつきました。
「なあ、本当に何も感じなくなるのかな」しばらくして自転車は言いました。「そうならいいんだけどな。苦しいのは嫌だ。こうじわじわと体中が錆び付いていくのはとても苦しいんだ。こんなのがずっと続くんなら、俺、耐えられないな」
そのとき突然、曲がり角からゲンマロのまん丸な顔がひょいと覗きました。彼はしばらく私の方を見つめていましたが、やがて角を曲がってやってくると、傘を差したまま私のそばにしゃがみこみました。
「どうしたんです、こんなに濡れて。何かあったんですか」
私はぼんやりとゲンマロの顔を眺めました。自転車はもうわめきたてる気力はないようでしたが、無言の強い憎しみが心の中に痛いほど感じられました。
ゲンマロは私の方に傘を差しかけると、自分も体を寄せてきました。
「何か悩みがあるのはわかってるんですよ」とゲンマロは囁きました。「さあ、話してごらんなさい」
そのとき不意に私は、不思議な懐かしさをゲンマロに対して覚えました。行き場のなくなった心が、いっとき暖かい夢を見たがったのかもしれません。私はゲンマロの胸に擦り寄り、小さな声で言いました。
「あなたの部屋に行きたい」
ややあって、耳を寄せていた胸の中から「いいですよ」とゲンマロの深い声が響いてきました。「今すぐ、行きましょう」
「今はだめ」私はとっさに冷静さを取り戻し、心の中で計算しました。復讐の準備には一日あれば十分なはずでした。
「あした、あしたの晩、私をゲンマロさんの部屋に連れてって」
「もちろん、いいですとも」
ゲンマロの声は弾んでいました。それを聞きながら私は、ゲンマロの顎の下から自転車に勝利の合図を送りました。
翌日、私はすべての準備を整えると、ゲンマロと待ち合わせて駅前の地下にある居酒屋に入りました。私はすっかり酔ったふりをしました。ゲンマロはずいぶん遠慮のない態度を取りましたが、私は平気でした。目の前のことが映画のスクリーンに映っているようで、現実感がありませんでした。
居酒屋を出てから、ゲンマロは私を案内して歩き出しました。私は心の中で、もう少し、もう少しで望みがかなうよと、繰り返し自転車に呼びかけました。やがて、ゲンマロは古びた木造のアパートを指さしてここだと言いました。「ほうら、よく見ると、あのあたりに穴を塞いだ形跡があるでしょう。悪事の証拠です」と彼は囁きました。
私はゲンマロと一緒に部屋に入りました。それからのことは詳しく書きません。すべては予定されていたかのように簡単でした。
誰にも見られずにそこを出た私は、高揚した気持ちで歩きながら、「終わった、終わったよ」と心の中で自転車に呼びかけました。「よかった」微かに自転車が呟いたように思いました。しかし、そのあと何度呼びかけても、自転車の答えはありませんでした。それだけでなく、今までずっと私の中にとどまっていた自転車の気配が、すっかり消え去っていました。復讐が終わると同時に、私と自転車とのつながりも切れてしまったかのようでした。私はひとりぼっちでした。
部屋に戻って扉を閉めたとたん、激しい衝撃が私を襲いました。まるでビデオテープを巻き戻したように、ゲンマロが床にくずおれる場面が鮮やかに目の前に映ったのです。それは幾度も幾度も繰り返され、意志の力では止めようがありませんでした。私は息もできずに玄関にうずくまりました。このままではどうかなってしまうと思いました。
それは確かに私がしたことでした。その事実の意味が初めて私の心に沁み通りました。これが夢で、目が覚めれば罪のない自分に戻れるなら。でも、どんなにもがいても現実は現実なのでした。
重い荷物を持ち上げるように身を起こすと、私はこれからすべきことを考えました。道は一つしかないように思われました。残っている気力を奮い起こして、私はあなたに電話しました。
ずっと前から私は、もしいつか自分がこの世から消えることがあったら、まるで最初からいなかったように、跡も残さずに完全に消えたいと思っていました。そのための具体的な方法もいくつか考えてあったのです。
私は夜明けとともに急いで部屋を出ると、ずっとあこがれていたある遠い場所に赴くために列車に乗りました。こんな目的で行くことになるとは思ってもいませんでしたが、こんな目的ででもなければ一生行く機会はなかったかもしれません。いま、その土地で私は、前から考えていた一つの手段を実行に移そうとしています。あなたがこれを読むころには、すべてが終わっているでしょう。
最後に、甘利君、お願いです。どうか、あなたに預けた物たちを大切にしてやってください。いま着ている服とこれを書いている鉛筆を除けば、あの部屋で私が手元に置いていた物はあれだけです。彼らは物静かで控えめですが、私がいちばんつらいときの友人であり、慰めであり、支えでした。
あの晩、私は彼らに別れなければならなくなったことを告げ、一つ一つ手で撫でてから袋にしまいました。そのとき、いつも無口な歯ブラシが、こんなことを言ったのです。
「人はいつか自然に死ぬけれど、物は壊されないかぎり死にません。私たちのようなありきたりの物でも、運さえよければ、千年でも二千年でも保ちます。あなたのこと、私たちはいつまでも忘れませんよ」
それを聞いて私は、自分の存在も全く無意味ではなかったと知り、少し気持ちが軽くなりました。
さようなら、甘利君。いっときの幸せをありがとう。私のことは忘れて、楽しく暮らしてね。
もしかしたら、この手紙、書かないほうがよかったかもしれない。でも、もう書いちゃったから出すことにします。
私を許して。
長井 文香
俺は手紙の束を机に置いて呆然とした。ああ、俺は何てひどいことをしたんだ。ふみかさんを破滅に追いやったのは俺だ。でも、こんなことが誰に想像できたろう。後悔しようにも、いったいどうしたらよかったのかすら見当が付かない。ただわかるのは、俺が何一つ見えていなかった大馬鹿者だということだけだ。
それから何日か、俺はベッドの上でのたうち回り、ときどき起き出しては手紙を隅から隅まで読み返した。そのうちにだんだんと現実感がなくなり、やがてこれは全部冗談ではないかと思いついた。実はふみかさんはゲンマロと駆け落ちでもして、今ごろどこかで一緒に俺のことを笑っているんじゃないか。
そう思いだすと、もうそれ以外にないという気がした。こんな途方もない話を真に受けて悩んでいたのが、ばかばかしく感じられた。向こうもきっと、俺が本気にするとは思わなかったに違いない。びっくりした?とか何とか、そのうち連絡があるだろう。
俺は毎日郵便受けを覗いて手紙を探した。手紙がないとそんなはずはないと思った。あれは全部うそ、ごめんね、元気でやっていますと必ず言ってくるはずだと思った。
そんなふうにして半年が過ぎた。俺は大学をまた全部しくじり、とうとう諦めて就職することにした。
寮に入るために荷物をまとめていると、ふみかさんから預かった紙袋が出てきた。しばらく忘れていたそれを見たとき、俺は一瞬捨ててしまおうかと思った。俺をかついだまま手紙一つよこさないような人のものを、いつまでも大事に持っている必要があるだろうか。
しかし、結局捨てないことにした。なかったことにするにはあまりに貴重な経験だと思ったからだ。ふみかさんが今どこで何をしていようと、俺はこの思い出をずっと大切にしていくだろう。
あのとき以来初めて俺は袋の口を開け、中身をそっと机の上に出してみた。櫛、歯ブラシ、湯呑み、皿、タオル。そこにはふみかさんの体温がまだ残っているような気がした。
櫛に髪の毛が一本絡みついていた。かつてはふみかさんの一部だったそれを、俺は指に巻き付けて取ろうとした。
ところが、それは取れなかった。どんなにひっぱっても、いっかな櫛から離れなかった。まるで櫛が放すまいとしているようだった。
ふと歯ブラシを見ると、柄に深々と歯形が刻まれていた。俺は不審な気持ちで何度もそれをためつすがめつした。前に見たとき、この柄が象牙のようになめらかだったのを覚えていたからだ。
今度は湯呑みを手に取ってみた。すると、縁に薄赤く唇の模様が残っていた。しかし、彼女が口紅などつけていたはずはない。皿を見ると、固い磁器の表面に、まるで蝋に捺したようにくっきりと五本の指の跡が印されているのが見えた。そして、タオルには丸い顔の輪郭が染めたように鮮やかに浮き出していた。どれも最初の時には確かになかったものだ。
この稀代な事実を前に、俺はしばらく放心した。ようやくその意味に気づいたとき、胸の奥に鋭い痛みが走った。
ああ、ふみかさん、ふみかさん。あの手紙はすべて本当だったんだ。彼らは約束を守った。持ち主のことをいつまでも忘れないため、自分自身に思い出を刻みつけているんだ。
俺はそのとき、物と話すことができたらと心の底から願った。
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