| 中国の真実 |
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| 中国の実像 |
| 中国のイメージとは何だろうか? |
| それは年齢、世代によっても、性別によっても様々だろう。ある世代では広大な大地、悠久の歴史と文化、圧倒する建造物。それらに憧れたり、ロマンを感じたりするだろう。又、一時は中国の毛沢東による革命に希望を持った世代もいるだろう。あるいは世界三大料理の一つと言われる食文化である中華料理に感動する者もいるだろう。 数千年の時を費やし作り上げた文化や島国日本とは違う広大な大陸の風景に魅せられることはごくごく自然なことだと思う。 |
| しかし、それらが一つの実像だとすると、それとは別のもう一つの実像がある。 それらを中国の光と影と表現すれば良いのか、表と裏と表現すれば良いのか、又は多面多臂の仏像の前の顔と後の顔とでも表現すれば良いのか適切な表現が見つからないが、つまりどちらも中国と言えるものだ。日本人は過去、この一面については散々、見聞きして来たわけだが、分りづらいもう一面を理解しなさ過ぎている。 |
| 日本は好むと好まざるとに関わらずこの隣人と過去から現在、そして未来と関わっていかざるを得ない。それには前述した一つの実像だけでないもう一つの実像を掘り下げて見る必要がある。近年、負の問題として日中間には様々な摩擦がある。それらには表面的なものではない、根のようなもの、コアの部分がある筈だ。そこを捉えないと中国の本質が分らない。その分らない儘で、今日まで日中関係は来ているのではないか。 |
| この中国の本質を捉えるには二つの考え方がある。つまり、中国人とは?という捉え方と中国とは?という捉え方だ。 先ず、その手がかりとして本文にもあるようにキーワードを取り上げてみた。 そしてこれを考えるに当たって遺伝子レベルで民族を捉えようとは考えていないし、遺伝子レベルで考えるべき問題ではないと思っている。しかし、ある特定の風土に生まれ育つことが民族を形成する重要なファクターだとは考えている。 |
| 中国人とは? |
| ここではもちろん膨大な人口を持つ国の人間を全て同じとすることは間違いで、地域による特徴や都市、農村間での違い、個別の性格の違いなど有るのは当たり前だが、概ね共通した特質を探ってみたい。 |
| 先ず、その中国人との歴史を思想を含め簡単に見てみる。 漢民族は黄河中下流域にある平原が発祥地で、『史記』などの史書には出てくるが、実在した確証のない夏(か)王朝(紀元前2070年頃〜紀元前1600年頃)、考古学的に実在が確認されている最古の王朝、殷王朝(紀元前1600年頃〜紀元前1046年)周王朝(紀元前1046年頃〜紀元前254年)へと続く。しかし、本来の漢民族と言われる民族は三国時代前に滅亡しており、その後は残っていても混血されたハイブリッドな民族である。そして、モンゴル人の元朝、満州人の清朝を経て中華人民共和国へと至るのである。 |
| その底流にあるとされる思想が、その様々な民族による異なる王朝の出現、滅亡の繰り返しの中で作られた文化差別主義である中華思想(華夷思想)である。学説では春秋時代に中華思想は形づくられたとされる。この中華思想は中華(中国)が世界の中心であり、最も価値のある文化、思想を持っており、漢民族以外の異民族の独自文化の価値を認めず、東を東夷(とうい)、西を西戎(せいじゅう)、南を南蛮(なんばん)、北を北狄(ほくてき)とし「化外の地の民」とみなし教化の対象としていた。 現在、中国では中華思想は無いとされるが、政府の政策の中や一般中国人のアイデンティーに意識的、反無意識的、あるいは無意識に結びついているのではないかと思える。 |
| さて、その底流にあるものが表出するとどのような現われ方をするのだろうか。 元々、中華思想というものは科学的な根拠も無い優越意識であるわけだが、精神構造的に劣等意識が強まれば強まるほど頭を持ち上げてくるものだ。少し極端に言えば、自分が全ての中心で優れていて、他人は人間として扱わなくてよいという考え方が、劣等意識の度合いによっても増幅してくるものだ。 そして、殺伐とした歴史の中で育った中華思想を持つ者からは自己中心的な発言や、行動が現れ、相手には責任を押しつけたり、相手に非があるとして自分の非を認めない。価値観的には拝金主義という実利が一番大切なものとなる。そして当然、社会そのものがこのような意識で動いているわけなので、相手を疑い信じないという性格が多くの者に形成されたのではないだろうか。そのような不信に囲まれた社会を中国人は作り、そして現在の中国人はその様な中で生きているのではないだろうか。 |
| 中国とは? |
| 現在の中国は国共内戦に勝利した中国共産党によって1949年に毛沢東により建国された社会主義国家、中華人民共和国である。 国家主席は毛沢東(1954年〜1959年)の後、劉少奇(1959年〜1968年)、宋慶齢・董必武(1968年〜1972年)、董必武(1972年〜1975年)、李先念(1983年〜1988年)、楊尚昆(1988年〜1993年)、江沢民(1993年〜2003年)、胡錦涛(2003年〜 )と続いている 1991年に74年間続いたソ連型「社会主義」体制が崩壊した。しかし中国ではそれ以後も共産党による一党独裁体制を維持している。 世界最大の共産主義国家でありながら、「社会主義市場経済」と称し、実質資本主義とも言える社会主義との混合経済体制を行っている。 政治体制は一党独裁だけに言論統制がされ、人権に対しての意識も希薄で毛沢東時代においては大躍進政策で少なくとも2000万人の餓死者を出して政策は失敗に終わった。しかもこの権力の回復を目的に行われた権力闘争である文化大革命では、期間中の行方不明者を含めた虐殺数は数百万人から約1000万人(異説では3000万人)と言われている。 |
| 1949年には「チベットを解放する」との毛沢東の掛け声で人民解放軍がチベットに侵攻し、防衛するチベット軍を排除し、その後チベット人を虐殺し、自治区化して今もなお同化政策を行っている。 なお、1988年から1992年までのチベット自治区最高責任者であった胡錦濤は弾圧を評価されて国家主席への階段を登っていった。 |
| 又、東トルキスタンは清滅亡後、民権政権により独立を宣言したが、漢人科挙官僚によって掌握されていた新疆省政府は、中華民国への合流を表明、その後は1949年の中国共産党による中華人民共和国の成立により統合されその支配下に組み入れられた。1955年には新疆(あたらしい領土という意味)ウイグル自治区とされた。 その後、原爆の実験場にさせられ、被爆の被害を受けたり、江沢民による農民蜂起鎮圧や政治犯とされ多くの人々が虐殺された。 現在、人口は漢族の入植によりウイグル族を上回っているとのことである。 |
| 1989年6月4日、第二次天安門事件(六四天安門事件)で胡耀邦追悼に集まった民主化を求めるデモ隊の知識人や学生や市民を人民解放軍が殺害をした事件でありケ小平が弾圧指示をしたと言われている。 死傷者は数百人から数千人の間と言われるが中国政府の隠蔽がある為、明確ではない。 |
| この他、周辺諸国とは領土問題(資源問題)を中心として中華人民共和国の成立後、 朝鮮戦争、台湾・金門島攻撃、中印戦争、中ソ国境紛争、中越戦争を起している。 |
| これらのことを総合すると |
| これらのことから、易姓革命そのものの中華人民共和国成立以来、「革命は銃口から生まれる」の言葉に従うように武力による威嚇を用い行使をし現在まで来ている。 また、捏造をしてでも相手を批判し、自らの正当性を主張し相手を抑えようとする。 今また資本主義的に経済の発展をさせているが、一党独裁の共産主義を捨てることなく、不透明さを持ったまま軍事費を大幅に増やし、周辺国に脅威を与え続けている。 |
| この様に見てくると、中国においては元々あった中華思想と唯物論である共産主義を持った共産主義体制とは非常に相性が良かったもののように思える。但し、それが一国内で完結しているのならまだ構わないが、周辺諸国を侵食し、被害をもたらしている現状は看過出来るものではない。 日本や日本人は不正義に加担するようなことをせず、その本質をしっかり見据えて相対していかなければならないと思う。 |
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