福田康夫(ふくだ やすお)
(1936年7月16日 ― )
東京府東京市生まれ。自由民主党衆議院議員。内閣総理大臣。自由民主党総裁。元沖縄開発庁長官・内閣官房長官・男女共同参画担当大臣・内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)。町村派(旧・森派)
有名な言葉 『相手が嫌がることをしない』(解釈:中国や韓国の嫌がることはしないという意味)
          『失敗しない最良の方法は何もしないことだ』
          『私は自分自身のことは客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです!
 
エピソード
福田政権の成り立ち
新五人組み(青木幹雄元官房長官 森喜朗元総理大臣 中川秀直元幹事長、野中広務元幹事長代理。それに福田康夫)による密談で決定したと言われている。
この新5人組は、安倍総理が辞任表明をした2007年9月12日の翌日の9月13日の夜に集まった。ここで、福田擁立が確約され、翌14日は、8派閥が福田支持をすることになった。この密談により福田政権が成立したと言われている。
これらのことから派閥談合の昔の自民党に戻ったとも言われている。
 
2001年(平成13年)排他的経済水域内で海上保安庁の巡視船に追尾され、20mm機関砲での攻撃を受けた後、自爆沈没した北朝鮮工作船の事件(九州南西海域工作船事件)での沈没北朝鮮工作船引き上げを当時の福田官房長官はためらった
理由は技術的な難しさを言いつつ、中国の意向を気にしている気配が感じられた。この後、中国側が黙認する事を確認した後、ようやく引き上げに言及した。
 
2001年(平成13年)4月の台湾の前総統、李登輝が病気治療のための来日の内輪話として台湾側でビザの申請書提出を日本の外務省本省は受理していないと発表。官房長官であった福田も「申請は行なわれていない」と記者発表した。これに対して李登輝は台湾での会見で「日本政府は嘘つきだ」と非難した。この李登輝前総統の病気治療のための来日に反対したとされるのはこの福田康夫元官房長官河野洋平元外務大臣、そして官僚の槇田邦彦元アジア大洋州局長である。
 
靖国神社問題では2001年12月、内閣官房長官としての私的諮問機関として「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」を発足させた。
 
2004年5月(平成16年)の上海総領事館職員自殺事件での事件揉み消し疑惑有り。
 
2004年4月、1976年11月から1990年2月までの5年8ヵ月間の国民年金保険料の未納が発覚。これにより小泉内閣の官房長官を辞任。
 
2005年11月の超党派の議員連盟「国立追悼施設を考える会」の設立総会に参加。
 
2007年、1996年と2003年福田康夫が支部長を務めた自民党群馬県第4選挙区支部が朝鮮籍の会長と韓国籍の親族が全株式を保有する群馬県高崎市のパチンコ店経営会社から計20万円の寄付を受けていたことが発覚した。
政治資金規正法は、外国人や外国人が株式の過半数を持つ企業から献金を受けることを原則禁じており違反には禁固などの罰則があるが、既に時効(3年)が成立している。
 
別名 「問責総理」 「ムッフン」または「フフン」
 
「国立追悼施設を考える会」発起人
「北京オリンピックを支援する議員の会」副会長
 
貢献度  S級(性格的にこつこつと疑問の残る内政、外交を地道に積み重ねた長年の功績により)
 
発言など
2002年9月、小泉総理の北朝鮮訪問時、北朝鮮の伝えてきた拉致被害者の安否に関して、福田官房長官は生存とされた家族と死亡とされた家族とを別々にして報告しようとした。被害者家族を分断するが如き行為に対し、被害者家族が一緒の場で報告してほしいと訴えると、「黙って聞きなさい。あなた方の家族は生きているのだから」と言い放った。
 
そしてこの小泉総理北朝鮮訪問に際し、拉致被害者が小泉総理と面会を希望したが、「心静かな状態で首脳会談を行なうために、家族とは会わないほうがよい」と言って、会わせなかった。増元照明氏はこれまでも福田官房長官に不信感を持っていたが、この件では「私はあなたを信ずることができない」と発言した。
 
また、福田康夫官房長官は2002年の蓮池薫さん等が帰国した折、「一時帰国だから北に帰らなければならない」と主張した(この件は後に本人否定)。
総じて国民生命財産に対する保護意識に疑問を持たれるような拉致問題に冷淡な態度を通している。
拉致問題では外務省の外務省アジア大洋州局長(当時)の田中均の働きに関しては「田中はよくやった。パーフェクトだ」と評価した。
 
2003年6月の「スーパーフリー事件」についての「太田誠一衆議院議員の集団レイプ事件の元気がある発言」にオフレコでの「そういう格好しているほうが悪いんだなど」と発言し、女性の人権に反する発言として非難を受ける。
これに対して「今言われるような発言はしていないし、私の真意と全く違うということだけは重ねて申し上げておきます」と否定。
 
2006年4月、小泉純一郎首相の靖国神社参拝について否定的発言。
 
2007年9月、「村山首相の時代に首相が言ったことだから、正しいものだと考える必要がある」と述べ「村山談話」を踏襲。
 
2008年発覚の「中国製冷凍ギョーザによる中毒事件」に関して2008年2月29日、毒物混入経路が不明のまま中国公安省が開いた「中国国内での毒物混入可能性は極めて低い」という事実上事件の幕引きを図る会見について、「中国は解決に非常に前向き」と評価した。
 
2008年、中国産毒入り餃子事件の際、中国当局がタミドホスの中国内における混入を否定した会見に対し、警察庁長官が記者会見で「看過できない」と反論しているにも関わらず、「中国捜査当局は日本と共同して、しっかり調査したいと言ったのではないか。非常に前向きだ」とコメントをしている。
この「他人事」の姿勢からは5歳の女児が一時は意識不明の重体に陥った事実に対し総理大臣として危機意識が微塵も感じられない。
 
2008年9月1日首相辞任表明。
 
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