内宮、外宮の名の由来は「中心と外」だと言われています。
しかし、外宮は市役所や駅の近くにあり、内宮は伊勢市の街の端にあります。
<地図>伊勢市の地図
神祭りでも『外宮先祭』と言うほど、外宮の方が優遇されています。
外宮がある地は古代の度会郡高田郷の近くですが、
すぐ隣に箕曲郷があります。
箕曲は「みの」「みのわ」と読まれます。
東京都台東区や豊橋市に三ノ輪という地名がありますので、
箕曲は三ノ輪、つまり三輪であったと思われます。
三輪とは、出雲神を祀る大和一の宮大神(みわ)神社のある地名であり、
そこは登美(とみ)とも呼ばれていました。
近くに『外山』と書いて「とみ」という地名があります。
外宮の祭神豊受大神の別名はウカノミタマ神で、出雲神スサノオの子です。
大神神社の祭神も同じくスサノオの子です。
外宮とは外(山)宮、つまり大和一の宮の分社という意味です。
内宮は、その外宮に対して後世に名付けられたものです。
『延喜式』という書物に、神宮の神官が恩詔を受けるときの作法が載っています。
神官は大神を拝した後に、北に向かって天皇(平安京)を拝めとありますが、
「ただし外宮は西に向かって拝め」と書いてあります。
外宮の西の方向にあるのは、大和一の宮大神(みわ)神社です。
江戸時代まで内宮へは、どうしても外宮の前の道を通らずには行くことができませんでした。
外宮とは、内宮に行く者を阻止するための関所です。
外宮は21代雄略天皇の時代(5世紀)に丹波国から移されたと言われていますが、
境内の高倉山の上にある古墳が築造されたのは6世紀中頃です。
神宮を見下ろす位置に、死者を葬る古墳の築造が許されるはずもありませんから、
外宮が立てられたのはそれ以後であり、
『続日本紀』に「多気大神宮を度会郡に遷された」とある698年12月29日です。
その多気大神宮とは、多気郡多気町仁田の佐那神社であったと思われます。