天皇は誰一人伊勢神宮に訪れていません。
明治5年、天皇が初めて伊勢神宮を訪れました。
<地図>伊勢神宮内宮 三重県伊勢市宇治浦田町
この時、現在の五十鈴川手洗い場の鳥居の所まで、民家が立っていましたが、
宇治橋の手前まで立ち退かせて境内を広げました。
それまでは、外宮の方が内宮よりも大きかったかも知れません。
昭和二十年代まで参拝客数も、伊勢市駅前にある外宮の方が、
交通の不便な内宮よりも上回っていました。
なぜ伊勢の地に神宮を立てたのか、その理由が不明です。
伊勢に神宮を立てたのは「うましくに伊勢」だから、と言うのが表向きの理由です。
『日本書紀』(720)には、そう書いてあります。
歴史家は東方進出の基地であったと言っています。
しかし、ヤマトタケル尊が東国遠征の前に、伊勢神宮にいる伯母に会いに来ていますが、
『日本書紀』は「よぎりて(寄り道して)」神宮に来たと書いています。
遠征前に基地に来ることを寄り道とは言わないはずです。
伊勢は太陽信仰の聖地であったからだとも言います。
しかし、内宮の東には朝熊山、西には鼓ヶ岳がそびえており、日の出の遅く日の入りが早い場所です。
南にも山があります。
それに北に立つ神殿を拝む人は、南の太陽に背を向けることになります。
そのような太陽信仰などあるはずがありません。
いつ立てたのか記録が残っていません。
『日本書紀』(720)には、神宮は11代垂仁天皇の時代に立てられた、と書いてあります。
『古事記』(712)は、いつ立てたとは書いてませんが、10代崇神天皇の皇女が伊勢神宮に仕えたと記しています。
『古事記』と『日本書紀』の記述がくい違っています。
しかし、41代持統天皇が692年に伊勢と志摩を訪れていますが、
その時天皇が神宮に寄られたという記録が残っていません。
そこで、この時もまだ神宮が無かったのではないかと考えられます。
天皇家を祀った内宮よりも、出雲神を祀った外宮の方が上位にあります。
神祭りはすべて内宮よりも、外宮が優先的に行われます。
内宮の祭神は皇祖天照大神であり、外宮の祭神は食事の神豊受大神です。
この豊受大神は出雲神スサノオの子です。
内宮と外宮の関係を見る限り、天皇家の先祖神よりも、出雲神の方が上位にあります。
伊勢の街の家屋は、みな出雲大社と同じ入り妻造りで、玄関に一年中注連飾りを飾ります。
その注連飾りの御札には、『蘇民将来子孫家」』と書いてあります。
蘇民将来とは出雲神スサノオを祀った人の名前です。
伊勢市の注連飾りには、内宮の天照大神ではなく、外宮の豊受大神を祀るという意味があります。