私の好きなヨーロッパの街 No.2
ろまねすくの『私の好きなヨーロッパの街』の第2弾は、どうしても世界文化遺産にも登録されて
いるチェコの南ボヘミアの古都チェスキー・クロムロフになってしまいます。以前にニフティの会議
室に連載し、現在はFEUROのライブラリーにテキストで収録されている「ろまねすくの東欧の旅」
によって、写真もお見せできるHTMLとして作り替えました。
チェスキー・クロムロフ

切り通しを挟んで高いアーチで支えられた二層の連絡橋。チェスキー・クロムロフ城。
今回の東欧の旅で私が一番期待していたのは、このチェスキー・クロムロフでした。…といっても、
前からどんな所だということを知っていたのでは有りません。昨年秋の海外旅行に、行く先をかねて
から一度は訪れてみたいと考えていたチェコ・スロヴァキア、ハンガリーに決めて、手続きを済まし
てからのことですが、1992年の九月上旬のNHK衛星放送で、チェスキー・クロムロフの城館の庭園
でのコンサートが有ることを知り、その模様を見てからかなり私の期待のヴォルテージが上がってし
まいました。
テレビ・カメラは夜の池越しに、池畔に突き出してこしらえられたステージの演奏を写してくれて
いるのですが、ステージから池を隔てた対岸に客席があり、池面には舳に灯火をつけたボートが何艘
か浮かび、水音を立てないように静かに動いています。たしか演奏していたのは、ヘンデルの「水上
の音楽」と「王宮の花火の音楽」だったと思いますが、なんと演奏会の雰囲気にマッチしたものだろ
うか、と感心していました。
また、「王宮の花火の音楽」の終了と同時に、池の畔から花火が夜空に打ち上げられるなど、しゃ
れた演出にも心を奪われたものでした。
そんな訳で、バスがブルタヴァ川の畔の駐車場に入って、なだらかな坂道を城に向かったときには、
どんな素敵なところだろう、と胸をときめかしていました。
添乗員の伊藤さんの解説によりますと、お城の中を見学するより、中世の時代に迷い込んだような
町並みをゆっくり歩く方が、値打ちがあるとのことです。チェスキー・クロムロフはヨーロッパでも
有数の歴史保存都市で、プラハから遙か上流にあたるブルタヴァ川が大きくS字状にカーブして、台
地にようになったポリープを二つ抱え込んだような地形の、その一方にチェスキー・クロムロフの城
(Statni hrad a zamek)があり、もう一方にスヴォルノスティ(Svornosti)広場を中心とする旧市街が
あります。
13世紀から連綿と続いている町ですが、歴史的に重要な時期は、ロジェンベルク家の支配下にあっ
た16世紀と、シュヴァルツェンベルグ家に支配されていた18世紀で、周辺の南ボヘミアに大きな影響
を及ぼした、と言われています。
また、ドイツとの国境に近いこの町は、かってナチス・ドイツに占領されたいわゆるズデーデン地
区の一部だったという「暗い歴史」があります。が美い町の景観はあくまで明るい光に満ち、暗い歴
史の一片も感じさせません。
バスが駐車した川沿いの広場には、お隣のルーマニアからやって来たというテント張りの店が、七、
八軒刺繍を施した布地やみやげ物を商っていました。
坂道を登る途中、見上げると断崖の上に城の建物が聳え、坂道が切り通しのような隘路に差しかか
るところには、二つの岡の上の城郭を結ぶ連絡橋のような二層の建物があり、切り通しには連絡橋の
部分を支えるために、4層の石積みのアーチが造られています。南フランスのプロヴァンス地方で見
たポン・デュ・ガールの水道橋を、うんと幅を狭めた…という風情でした。じっくりカメラを向ける
余裕がなさそうなので、一応の見学コースを終えてあとの自由時間には、ここまで戻ってきて良い撮
影ポイントをつかみたい、と思いました。
四層アーチの切り通しをくぐると、それまでのゆるやかな坂とは、様相が一変して、少々きつい山
道になります。山道の曲がり角に、寄棟づくりの赤い屋根、年代を感じさせる建物がありましたが、
現在は使われていないらしく、扉は固く閉ざされたまま。
鋳鉄細工のアーチ門を入ると、ちょっとした広場になります。ここからの町の眺めが抜群。眼下に
ブルタヴァ川が流れ、流れに抱かれた丘の頂上に15世紀に建造された聖ヴィータ教会の高い尖塔を中
心として、赤い屋根の歴史的建造物群が取り巻くように広がっています。この門を入ったところの広
場のテラスから眺めると、遠くは低い山並に囲まれ、深く切れ込んだ谷を流れるブルタヴァ川、段丘
のような地形の市街地が、一目で見て取れます。

城内に通じるアーチ門の上には、石を刻んだ紋章があります。たしかシュヴァルツェンベルクの紋
章は双頭の鷲だったとおもいますので、それと全く違ったこの紋章は、2世紀ほど古いロジェンベル
ク家の紋章でしょうか。紋章学、図像学にうとい私には分かりません。この城の古い部分は 13世紀
後半のゴシックと、14世紀にルネサンス様式で建て直された部分があるそうです。幾つかのアーチを
くぐって中庭に出ます。第1の中庭で、ここには古い様式の装飾やアーチの部分が残っています。余
り広くない、建物に囲まれただけの石畳の中庭で、3層の建物の壁面は、茶褐色の石積み。古い様式
の出窓が突き出していたり、二層目から上の壁面には、横向きの楕円の枠の中、あるいは装飾アーチ
風の中に、かなり剥げかかったフレスコ画が見てとれました。

クロムロフ城の 重厚な石壁の第1の中庭(二枚)
←第2の中庭
城館の内部には入らずに、第二の中庭も通り抜け、外に
出て、旧市街の方に歩いてゆきました。橋を渡って旧市街
に入りますと、城の上から見た地形どおり、なだらかな石
畳の坂道が続きます。どの建物も、ドイツの木骨組みの家
並みが続いているといった特に変わった特徴があるように
も、見えません。家々のファサードの様式も、壁面の色合
いも1棟、1棟違ったたたずまいですが、それでも全体と
しては、中世の匂いの漂う町に感じます。ある路地の角に
は、佐伯祐三画伯が描くパリの裏町のカフェの様に、風情
のある店構えですが、煉瓦壁の上に塗った漆喰が剥がれ落
ちていて、かえって古都らしい雰囲気を醸し出している建
物もありました。

旧市街の街角 スヴォルノスティ広場
中央に聖人像の立っている噴水のあるスヴォルノスティ広場は、余り広いものではありませんが、
場所が旧市街の中心にあるだけに、市内をあてもなく散 策し、再び戻ってくるには良い場所です。
ここにもルーマニアからの出稼ぎらしい屋台店が数軒みやげ物などを並べていました。(上の右側
の写真)
しばらく広場で時間を費やしたのち、ぶらぶら町並みを見ながら聖ヴィータ教会へ。後期ゴシック
建築の教会堂で、中には入りますと、肋骨窮窿(リヴ・ヴォールト)は、クリーム色でコテゴテした
装飾もない、あっさりした壁面から天井にかけて簡素な網の目を広げています。突き当たりのアプシ
スには、重厚な祭壇があり、マーブル模様の浮き出た大理石の洗礼盤の上には、てっぺんに十字架の
ついた大きな青銅製の蓋が被せてありました。聖母子の像のある礼拝堂、木製だが金色の金具の装飾
と聖人、天使たちの彫像飾りのみごとな説教壇、赤大理石の柱の下部にほどこされた聖人像のレリー
フ等々、壁面の飾り気のなさに比べて、あまりにも落差が大きいのです。
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聖ヴィータ教会の ▲聖堂内部 ▲洗礼盤 ▲説教壇
なおも市街の面白い建物を探し探し歩き回り、再び広場に戻ってきました。そこで買い物をしたい
という同行者、気儘に歩き回りたい仲間があるので、暫く自由時間を取ります、というので私は何人
かの仲間と、城の2層の渡り廊下を支える4層になった石のアーチの写真を撮りに行くことにしまし
た。ところが城に渡るブルタヴァ川の橋の近くまで来ますと、大勢の観光客たちが一心に川を見下ろ
していました。何事だろうと橋のあたりを見ますと、二人の女子学生の乗ったボートが転覆していた
のです。
女子学生はズブ濡れになりながら、何とかボートを岸辺まで引っ張ろうとして大変。それを、誰も
助けに行こうとしないのは、浅い川なので大丈夫だろうと、ただ成り行きを見守っているだけのよう
でした。
再び、バスの停まっている広場から、城に向かうなだらかな坂道をのぼってゆきました。今度は独
りきりのカメラ取材なので、二、三歩歩いては二つの丘の建物を繋いでいる二層になった渡り廊下と、
それを支えている四層の石のアーチを仰ぎみながら、ゆっくり撮影ポイントを探します。遠くから長
焦点のレンズで撮るか、近づいて16ミリのワイド・レンズで高さを強調したものにするか、考え、考
え、右に寄ったり左にいったり・・・どうにか、十枚ほどフィルムに収めました。
このチェスキー・クロムロフは、また悲劇の舞台であった、という事を添乗員の伊藤さんから聞き
ました。14世紀にこのあたりをも支配していた当時の神聖ローマ帝国のカール四世(カルロス四世・
在位1347〜78年)の息子、ヴァーツラフ四世は暗愚な皇帝だったと言われていますが、妃の個人的
な相談役だった後の聖ネポモックを、王室の秘密をうかがう不届き者として、残忍にも舌を抜いたあ
げくブルタヴァ川に投げ落として、殺害してしまったとのことです。
(どうも専制的な君主、王様には度はずれて残忍な人が多かったように思えますね)
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