

01190/01192 HAC01341 Romanesque 「北欧……夏の名残に」 (1)
( 4) 95/09/06 17:07
『北欧……夏の名残に』 (1)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇旅立ち 1995年 8月19日 天候 晴れ。京都駅午前七時の気温は 30度。
・・・・・・・・・ ヘルシンキまでのフライト ・・・・・・・・・・・
KIXからの旅は二度目。昨年の秋には時間的余裕があったので、物珍し気に構内各階を見て回りましたが、今回は九時の集合時間にかつ
かつの八時五十二分着の「はるか5号」だった上、当初、11時発と聞いていたフィンランド航空の出発が、ロシア側の航空管制の都合で20分
繰り上げられたため、真っ直ぐ集合場所の四階Eカウンターに駆けつけたまま、すぐライフティ・チェックを受け、出国手続き、ブラブラする余裕
なんてありませんでした。
出発ゲートは48番ゲート。ウイングシャトルに乗って終点の南ウイング先端駅でおりたところ。
「ありゃー、後から乗り入れたフィンランド航空は、こんな端っこかぁ」
KIXでの午前九時の気温は もう32度。 ゲート前の待合室で搭乗案内を待っていたとき、すぐ前の椅子に座っていた同行者の夫妻のダンナさ
んの方が、私に声を掛けてきた。
「失礼ですが、あなたは京都二中44回生の高橋君ではありませんか?」
「・・・(どこで分かったのだろう?)ええ、そうですが」
「私は同窓のFです。名簿を見たときから、もしや、と思っていたのですが。やはり・・・・。同窓会の記念誌の編集ご苦労さまでした。大変だった
でしょう。お蔭で懐かしく読ませてもらいました。」
とのこと。私は同窓会の席上で皆に頼まれて、原稿、資料、写真を同窓生たちから集め、半年がかりでB5判 276ページの記念誌を今年の6月
に作り上げたのでした。ちょうど昭和20年3月に卒業してから50年、そして太平洋戦争が終結してからも50年・・・・・ という節目の年でしたので、
表題も『卒業後半世紀、終戦後半世紀』としたのでした。
今は山口県の防府市に住んでいるというF君と、ここで出会ったのも半世紀ぶりということになります。奇遇と言うべきなんでしょうね。
私たちの乗ったフィンランド航空 AY917便 はほぼ定刻の 10時52分テイクオフ。
機種は MD11。 ヘルシキンまでの距離= 7,739Km 。所要時間= 10時間42分。私は幸いにして窓際の席だったので、どんな経路で飛行する
か、どんな景色が眼下に展開するか、フライトの状況を楽しめました。通路に天井から吊りさげられたモニターには、フライト・コースが刻々と画
像で示されます。
フィンエアーの座席は、日航機やエアーフランス、BAなどより、膝の前の余裕が約15cmほど広く感じられます。このたった15cmの余裕は、長
時間座っている場合、思ったより楽な感じです。その上、お隣さんが他の席に変わったので、まるでラクチン。
まっすぐ近畿地方を横断し、中国東北部、モンゴル、ロシアを縦断すれば短距離なのだが・・・・と思いながら見ていましたが、フィンエアーは兵
庫県を横断すると、舞鶴上空を通り、北陸地方を北上、新潟・佐渡あたりで、成田国際空港からのルートと合流し、日本海を渡ってシベリアに入
りました。
沿海州の海岸線が良く眺められ、海岸線から内陸に入るとすぐシホテリアニ山脈を越え、窓から見下ろす風景は果てし無く続くタイガの様相に
変わります。まだ雪は来ていません。
やがて、べったりとした雲に下界が閉ざされ、昼食がすんだあと2本、映画を見たあとは、もうウラル山脈あたりまで来ていました。
同機はサンクト・ヘテルブルグ上空を通過するコースになっていましたが、この辺りも一面の雲の絨毯。しかし、フィンランド湾に差しかかった頃
から次第に雲が切れかかり、見事な雲の整列が私の目を奪いました。団々の千切れ雲が、まるで碁盤の目全体に置いた白石のように、視界いっ
ぱい規則正しく並んでいます。
サンクト・ペテルブルグを過ぎたあたりから、飛行機はゆっくり高度を下げて行きます。
いよいよヘルシンキ・ヴァンター空港に近づいたとき、びっしりと湾口あたりを埋める群島が見えました。ああ綺麗だ、と慌ててナップザックから
カメラを取り出そうとしたのですが残念。機は内陸に入り、森林と畑の市松模様、緑と美しい家々のおりなすモザイク模様となり、15時10分、ヴァ
ンター空港にランディング。
関西国際空港も(時間的なものでしょうか)旅行者の人影は前回よりも少ないようでしたが、もうここもシーズンオフでしょうか、人影はちらほら。
入国審査の所も短い列でしたし、バゲージ・クレームのところにも人影はまばら。バゲージの出てくるまでに、1500$を両替。
出迎えのバスで今夜の宿、ラディソンSASホテルに直行しました。
ヴァンター空港を出たところの温度は、午後三時半で 22度。茹だるような京都の夏から比べると、まるで天国。飛行機を下りる前に鞄からブル
ゾンを出して着込んだので寒くはありません。
・・・・・・・・・ 第一回おわり・・・・・・・・・・
HAC01341/Romanesque
01191/01192 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・・夏の名残に」 (2)
( 4) 95/09/06 17:10
『北欧・・・・・・夏の名残に』 (2)
北欧4カ国とフィヨルドの旅
◇ホテル周辺 1995年 8月19日(つづき) 天候:晴れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・・・・・ ホテル周辺の散策 ・・・・・・・・・・・・・
私がいつもWAS社のツァーを使うのは、
(1) 朝の出発がムチャに早くないこと。八時出発、九時出発が半々くらい。
(2) ホテルにチェックインする時間も、たいていは三時、四時ころと早く、部屋でトランクを受け取ったあと、夕食時間まではかなり
余裕があり、夕方の景色の撮影の時間がたっぷりあること。
(3) バスで次の目的地まで移動する途中でも、トイレ休憩で30〜40分あり、コーヒーを飲んだり、周辺をぶらぶら歩けること。
(4) 同じくバスで移動中、景色の良いポイントではバスを停めて、10〜15分の撮影タイムを取ってくれること。
このゆとりが何とも言えず、寛がせてくれます。
今日も、五時前からカメラバッグを肩に下げて、ホテル周辺のウォツチングに出かけました。
地図で見ると、ラディソンSASホテルは、中央駅やアテネウムス美術館、一番の繁華街エスプラナーディ通りなどのある市街中心部
からやや西方に位置しています。どうせ明日は市内観光がありますので、先ずは足慣らしに、ホテル周辺を歩いてみることにしました。
まず、表の通りに出て、周辺を見回してみます。大きな道路にはさまれた三角形の地所に、外面にガラスを多用した近代的な建物が、前
の空間に三角の1辺を開いた形で建ち、前の空間は大きく一部を囲ってカフェのテラスになっています。
Runebergsgatanという広い通りの向かい側には、地下鉄の駅があり、その向こうは大きなバスプール。まず、その辺りから歩き始めまし
た。土曜日のせいか、人影はごく疎らです。手始めに、西の方角のワン・ブロックを廻ってみましたが、さして見所もない一画。次に、
バスプールの北の2ブロックほどを歩きました。ビジネス街のように四角い建物が並んでいたところですが、やはり人影も疎らで、中心
から離れた寂しい印象。バスプールに面したビルの横で、一人の青年が石段にぺちゃんこのナップザックを置き、ローラースケートをし
ていましたが、走り廻るでもなく、狭い範囲でターンを繰り返したり、5段ほどの石段をターンしながら飛び下りたりを黙々と繰り返し
たり。・・・・・・暗い、暗い印象。ガールフレンドに振られたか、待ちぼうけを喰らわされたか、という風。
ビルの1階にあった一つのスーパーをぐるりと歩いてみただけで、ホテルに帰りました。
さあ、実質的な観光は明日から。
---------- 私のメモより --------------------------------------
○フィンランド
位置=スカンジナビア半島の付け根にあり、スゥエーデン、ノルウェイ、ロシアと国境を接する国。北部は北極圏に位置する
ラップランド、南はバルト海に浮かぶ無数の島々が連なる多島海地域。
そしてフィンランド人々が自国を「スオミ(湖の国)」と呼ぶように、33万8000平方キロ(日本の約0.89倍)の国土に
は18万7888の湖と、21万9793平方キロに及ぶ広大な森が広がります。
人口=500万人(94%がフィンランド語、6%がスウェーデン語を話す)
人口密度=15人/平方キロ(日本は324人)
宗教=プロテスタント・テル派が87%
自然=森林65%、湖沼10%、耕地 8%
主な都市=ヘルシンキ及び首都圏 人口 100万人
タンペレ 人口 17万人
トゥルク 人口 16万人
ロヴァニエミ 人口 3万人
サヴォンリンナ 人口 3万人
ケミ 人口 3万人
○ヘルシンキ(フィンランドの首都)
位置=北緯 60度08分 東経 25度00分
時差= ―7時間(夏時間 ―6時間)
人口= 49万人(首都圏を除く)
----------------------------------------------------------------
本日の夕食 ホテルのレストランにて
前菜 サーモンのテリーヌ
メイン 仔牛とポークの料理
デザート ケーキ
日程の都合で森と湖の国、ラップランドの国・・・フィンランドに来ていながら、首都ヘルシンキのみ。その上、実質的な観光は一日だ
け。次回には是非、森と湖のたたずまいとラップランドも訪れてみたい、と痛切に思いました。
・・・・・・・・ 第二回おわり ・・・・・・・・
******* HAC01341/Romanesque *******
01208/01212 HAC01341 Romanesque 「北欧-----夏の名残に」(3)
( 4) 95/09/07 10:40
『北欧-----夏の名残に』 (3)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇ヘルシンキ市内観光 1995年 8月20日 天候:快晴
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・・ トラムに乗って ・・・・・・・
本来、今日の午前中はフリータイム、昼食後に市内観光が設定されています。ここが初めての所でなければ、喜んで「バイバイ!」とばかり、
カメラ片手に飛び出して行くところですが、北欧は初めてなので、
「今日の午前中はフリータイムということになっていますが、ご希望の方は
市内をトラムに乗って一巡しませんか」
という添乗員の木村さん(女性)の誘いに乗っかることにしました。ご希望の方は・・・・ということでしたが、結局は全員が午前九時ロビーに集合。
こんな所も私がWAS社のツァーの好きな所。市電、地下鉄、バ近郊電車などを使ったフリータイムの小旅行に誘ってくれることが多い
のです。その場合、切符の購入も各自に方法を説明してさせられます。海外旅行初心者の場合でも、経験になり、自由旅行に踏み切るとき
にも大いに参考になると思います。
○ヘルシンキ中央駅にて
ホテルから中央駅へは、昨日の夕方歩いたばかりのバスプール横の道を通り中央駅前の広場に到着。このヘルシンキ中央駅は国内各線の始発駅
であると同時に、特にシベリア鉄道の終着駅としても知られています。
駅の横手や道路の一部は工事中でゴタゴタしていましたが、1904年に公募された設計コンペで1等賞を得たエリエル・サリーネンの設計で作ら
れた駅舎は、49メートルの時計塔、くすんだ緑黄色の屋根、濃い焦げ茶色の壁面・・・・・・まるで中世の教会建築を思わせる造りで、決して巨大な建造物
ではないのですが、重厚な風格が感じられます。
入口の両脇には四体の、大きなランタンを提げた花崗岩を刻んだ巨人が立っています。
広場の前にはトラムの軌道があり、さっきからしきりに市電が行き来していますが、折角、中央駅の前に来たのだからと、構内にも入ってみること
にしました。流石、中央駅だけあって往き来する人々の数も多いようです。キオスク、カフェなどを眺めてプラットホームにも出てみました。出発を
待っている列車も三つほどのプラットホームに見えます。
木村さんに教わって二時間券を購入した私たちは、二輌編成のトラムに乗車、刻印機にチケットを差し込んで時間を打刻しました。トラムは左折二
度、右折一度しながら、狭い街路を通ってゆきます。
○南 港
添乗員の木村さんに、通りに面した建物の説明を受けながら、車窓から町並みを眺めます。南港が見えてきたところで、木村さんが、
「この辺りで一度降りて見ましょうか」
の声、再び左折したトラムは右手にたくさんの船が停泊している湾が眺められます。そこは広々とした岸壁で、右手の方に今日の夕刻乗船するシリア
ラインの巨大な白い船体が見えています。
皆は思わず岸壁の端に走りよって、シリアラインの船にカメラを向けていました(無論、私も)。向こう側の岸壁にも大きなフェリーが停泊しており、
ライバル会社のヴァイキングのロゴが大きく描かれています。
この辺りから見る南港と背景のヘルシンキの街景は素敵です。大小様々な客船、遊覧船、ランチが係留され、賑わっています。昨日の夕方、ホタルの
周辺で感じた人影の少ない寂しさがウソのよう。
細長い「コ」の字形の閉じた方を上(前方)にすると、突き当たりの一際大きな白い、宮殿のような建物は大統領官邸とか。庶民の台所と直結する露
天の食料品マーケットが真ん前とは、面白い対比ですね。
官邸の向こう側には大聖堂の大きなドーム屋根の塔が見えていますし、右手にはロシア正教(プロテスタントが圧倒的に多いフィンランドでは、ロシ
ア正教の信者の数は1%強しかありません。それにしては大きい)、タマネギ形の塔のは上にさん然と金色に輝く十字架が立っています。
広場の右手には六本の旗を建てた市庁舎の青みがかった建物がありました。
また、埠頭のマーケット広場の手前には、まるで博物館の縮尺模型のような煉瓦造りの建物はなんと、食料品の屋内市場とか。時間があれば覗いてみ
よう。
私たちは、四方の景色に眼をやりながら、ぶらぶらとカウパトリ(マーケット)広場に向かいました。
------- 第3回おわり -------------
********* HAC01341/Romanesque *********
01247/01247 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・夏の名残に」(4)
( 4) 95/09/10 18:07
『北欧・・・・夏の名残に』 (4)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇ヘルシンキ市内観光(つづき) 1995年 8月20日 天候:快晴
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・・・・トラムに乗って(2)・・・・・・・
○カウッパトリ(マーケット広場)にて
広々とした(つまり何もない、人影も少ない)埠頭をぶらぶら歩き、屋内市場の横を通って、カウッパトリという青空マーケット広場に出ました。
ここの岸壁には遊覧船らしい小型の船がひしめいています。それら遊覧船の事務所らしい小屋とアイスクリーム屋さんが岸壁に沿って建っています。
先程、トラムを降りて出た岸壁から眺めた大統領官邸が、傍に寄ると一層威厳があります。マーケット広場は添乗員の木村さんによれば、日曜日に
はやっていない・・・・・・はず、でしたが、ちゃんと広場いっぱいに屋台の店を広げていました。業種によって棲み分けが出来ているらしく、西寄りには
野菜・果物を商う屋台が並び、赤、白、緑と色分け鮮やかなピーマン、ブロッコリー、青菜、人参、ジャガイモなどの野菜が山積みされ、プラム、リ
ンゴ、バナナなどの果物も売られています。木村さんの話によれば、北欧のうちスカンジナビアの国々では、耕地面積の少ないこと、気候の厳しいこ
となどにより、野菜の栽培がごく限られ、これらの殆どは輸入に頼っている、ということです。
東寄り(野菜ゾーンの約三倍ほど)は、観光客目当ての屋台ばかり。手作りの指人形(店番しながら、せっせと指入れの部分を毛糸で編んでいる)、
素朴なデザインの木製品、チャチなペンダントやブローチ屋(日本でも、休日で閉まっているビルの前で店を広げているバックパッカーの旅費稼ぎを
見かけますね。あんな類い)、ヨーロッパのどこでも見かけるスーベニールを打っている店、・・・・北国だなぁ、と思わせるのは毛皮の帽子やハーフ・
コートを売っている店など。
一軒、一軒冷やかしていたらきりがありませんが、それでもツァー同行者たちは、それぞれ心づもりの人に土産代わりに買っていたようです。
○ショッピング・ストリート・・・・・エスプラナーディ通りを歩いて
さて、次は有名なエスプラナーディ通りを歩いて見ましょうか・・・・・・ということになりました。マーケット広場の西の端に立ちますと、電車軌道の
ある広場の向こうに、ウスプラナーディ公園を挟んで、ゆるやかな上り勾配の二つの通りが有ります。
向かって右側が、フィンランドが誇るガラス、陶器、木工製品などの有名店が並んでいるショッピング・ストリートのエスプラナーディ通り、左側
はエテラエスプラナーディ通り。真ん中の緑地は逍遙路になっていて、カフェテリアや小さなステージがあり、そこではコンサートなんかも行われる
と言います。感じとしては、札幌の大通りのような所ですが、規模はずっと小さいようです。
電車軌道を渡ると、「バルト海の乙女(Havis Amanda)」と名付けられた噴水と四匹のオットセイに囲まれた若い女性の像が立っていました。こちら
から眺め上げると、体を半ばよじって、こちらを向き、左手を下顎に軽く触れている魅力的な裸婦像です。
私たちは、右側のエスプラナーディ通りを、陶磁器のハックマン・ショップ・アラビア、木工品のアーリッカ、ガラス製品のアイ・ショップ、ブテ
ィックのマリメッコ、手芸品のヘルスキーなどのウインドウを覗き込みながら歩いてゆきます。
幸いにして(^^;)今日は日曜日なので、有名店は軒並みにお休み。で、もし店が開いていようものなら、ウインドウ・ショッピングでは飽き足らず
にご婦人方は店内に入り込み、何人かは行方不明になったり、時間が大幅にずれこんでしまうとひろでした。
エスプラナーディ公園と両側の通りが終わったところは、マンネルヘイミン通りという斜めに走る大きな通りにぶっかります。そこで、
「ついでに中央駅まで歩きましょうか」
ということになり、「三人の鍛冶屋」の銅像の前を通って、ぶらぶら中央駅まで歩き、そこから、地下鉄に乗り、たった1駅のKAMPI駅まで乗り、
午前11時、いったん部屋に帰りました。
今日の夕方にはヘルシンキ港から、フェリー「シリアライン」に乗船し、スゥエーデンのストックホルムまで行ってしまうので、添乗員の木村さんは、
「皆さん、お部屋に帰られましたら、大きなトランクは、明日の観光を終わってホテルにチェックインするまで、バスに積んだままになり、開けられ
ません。洗面道具、寝巻など、それまでに必要なものは必ず手荷物の中に入れておいてください。
積み込むトランクは、11時15分までにお部屋のドアの外のところに置いてください。別のバスでストックホルムのホテルまで送りますので。次の
集合は12時にロビーです。」
・・・・・・ 第四回おわり ・・・・・・
NiftyServe ID=HAZ01341/Romanesque
01296/01313 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・夏の名残に」(5)
( 4) 95/09/15 14:07
『北欧・・・・・夏の名残に』 (5)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇ヘルシンキ市内観光(つづき) 1995年 8月20日 天候:晴れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・専用バスに乗って(1)・・・・
もう、ヘルシンキの市内観光に行ったつもりになっていましたが、午前中の自由時間にホンノお散歩した程度。マーケット広場とエスプラナー
ディ通りを覗いただけ。
これからが、本当の(?)観光です。12時にロビーに集まった私たちは、専用バスに乗り込みます。このバスは、私たちをヘルシンキ市内観光に
連れていってくれたあとも、シリアラインに乗り隣国スウェーデンでの2日間の観光が終わるまで、付き合ってくれるそうです。
正午現在の気温、26度
ホテルをチェックアウトし、バスに乗りますと現地ガイドのカズミさんというフィンランド人と結婚してヘルシンキにもう20年も住んでいるとい
う女性が乗り込んできました。本当にヨーロッパのいずれの国にも、こうした日本女性は多いものですね。
○テンペルアウキオン教会
ホテルを出発して、最初に立ち寄った所は、テンペリアウキオン教会。もうこの旅に出る前にガイドブックで予備知識を持っていましたので、岩山
をくり抜いて造られたというドーム状の教会を見ても、さほど驚きませんでしたが、確かに一風変わった建物でした。「ロック・チャーチ」と呼ばれ
るこの教会は、周囲の岩を壁状に残して彫り下げた上に、総ガラス張りで 100本の梁が放射状に銅製のドームを支える構造になっています。
梁とドームの中程をぐるっと取り巻いているガラス窓がかもし出す印象は、とてもモダンな様式、デザインの建物。その形状から想像できるように、
とても音響効果が良いので、音楽会場としても有名だということは頷けます。
1969年に、スオマライネン兄弟よって設計によって完成されたといいます。
○オリンピック・スタデアム
次はすぐ近くにある1952年に開かれた第15回ヘルシンキ大会のメインスタジアムとなったところ。ここの中の見学はないらしい。向こうの方に、白亜
のスタジアムと高さ72メートルの塔が立っていました。「ヘルシンキではオリンピックタワーに登って・・・・」と出発前に、岩瀬組長さん宛のレスで書き
ましたが、果して時間があるだろうか。ヘルシンキでの宿泊はたった1日。帰国寸前にも飛行機の乗り継ぎの時間に2時間半のフリータイムがあります
が、果して、ここまで再度来られるかどうかは分かりません。
スタジアムへの入口に、ヘルシンキ・オリンピック大会で、マラソンを始め9個の金メダルを祖国にもたらしたパーヴォ・ヌルミのブロンズ像が、大
きなスライドで走っている姿で立っています。
○シベリウス公園にて
オリンピック・スタジアムからシベリウス公園までは、バスであっと言う間。ゆるやかな傾斜の芝生の向こうに、ガイドブックで見慣れたパイプオル
ガンを模したモニュメントが見えています。
空は真っ青に晴れ上がり、真綿のような千切れ雲が浮いています。芝生の小道をゆっくり上がって行きますと、まず、口径の異なる様々なステンレス・
パイプを寄せ集めて構成されたモニュメントの右手前に、フィンランドが誇る世界的な作曲家シベリウスの顔の高レリーフだけが、岩の上に乗っかって
いました。小さな首なら、
「なんだ、晒し首みたいで」
という所でしょうが、晴天の光を反射して艶やかな金属色のシベリウスの顔には威厳があり、まるで祖国の行方を見守っているようでした。
このモニュメントは、女流彫刻家エイラ・ヒルトゥネンの作です。近寄ってみるとシームレスに見えたパイプも、場所によりギザギザに縦に切り込ん
だものもあり、単調さを避けた作者の工夫が見られます。
下から覗くと、晴れた空に輝く太陽の光で、また違った趣を感じさせるものでした。作者ヒルトゥネンはこのモダンなモニュメントの構成で、シベリ
ウスの何を表現したかったのでしょう。
フィンランドの国民主義作曲家として、人々から敬愛されているヤン・シベリウス(Jean Sibelius 1865〜1957)は、初めヘルシンキ大学で法律を学
んでいましたが、まもなく音学院に転じ、M・ヴェーゲリウスから作曲の指導を受け、卒業後は給費生としてベルリン、ウイーンに留学しました。この
間、祖国の民族叙事詩として知られている「カレワラ」に心を打たれ、国民主義的な作曲家になろうと決心したといわれます。
帰国後、1893年から母校で教鞭を取るかたわら作曲した「クレルヴォ交響曲」で認められ、1900年に作曲、初演した交響詩「フィンランディア」は熱
狂的な支持を受け、大成功を収めました。しかし、当時フィンランドはロシアの支配下にあったので、民族意識を煽るものとして演奏が禁止されていま
す。
フィンランド(フィンランド語では Suonen Tasavalta)は、12世紀から1805年まではスゥエーデンの一部であり(今でもスゥエーデン語も公用語のひ
とつで、いろいろな標識もフィンランド語と並んで、スゥエーデン語も併記されています)、その後は1917年12月6日に独立するまでは、帝政ロシアの
支配下にありました。フィンランドが近代的独立国家となったのは、ほんの78年前だったのです。シベリウスの「フィンランディア」が国民の熱狂的な
支持を受けたのも、こういった背景があったからだと思います。
「で、・・・・」
と、思い出して、フィンランドの人と結婚してもう20年余という現地ガイドのカズミさんに尋ねてみました。
「フィンランドで活躍されている館野泉さんの、こちらでの人気はいかがですか?」
「ええ、すごい人気ですよ。毎年催されている音楽祭も年を追って盛んになっていますし」
とのこと。
また、北欧4カ国のうち、デンマーク、スゥエーデン、ノールウエイの3カ国は、揃って王政を敷いた王国であるのに対し、フインランドのみ共和制。
また言語も他の3カ国の言葉がゲルマン系であるのに対し、フィンランド語は、現在のフィンランド人の祖先が紀元一世紀に、この地で住み始める以前
は、ラップ人のみが、あちこちに住んでいたのみで、紀元前4000年〜3500年頃ボルガ河流域に住んでいたフイン=ウゴル語族の一部が紀元一世紀頃から、
ラップ人を北に追いやって、7〜8世紀頃に南部一帯に住み着いたのが、フィンランド人の歴史・・・デ、当然、言葉も東方系のウラル・アルタイ語属
です。
・・・余分な感想を差し挟んでしまいました。 旅の観光の時間に戻りましょう。
シベリウス公園は、シベリウスのモニュメントを覗けば、余り広大とも言えない単なる緑地です。しかし、奥深く入り込んだ湾に面し、市民たちが子
供連れでゆっくり過ごすことの出来る公園でした。
私たちは市内のレストランで少し遅めの昼食を取ったあと、シリアライン乗船まで市内観光を続けます。
・・・・・・・ 第五回おわり ・・・・・・・
by Romanesque (Nifty-serve ID=HAC01341)
01299/01313 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」 (6)
( 4) 95/09/15 15:53
『北欧・・・・・夏の名残に』 (6)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇ヘルシンキ市内観光(つづき) 1995年 8月20日 天候:晴れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・ 専用バスに乗って(2)・・・・・
午後の市内観光も、テンペルアウキオン教会、オリンピック・スタジアム、シベリウス公園と3カ所が終わったところで、ようやく昼食。ヘルシン
キ中央駅でバスを降り、駅前のビルを地下に降りた <<Villi Vu(:)ni>> というレストランで、
前菜 野菜サラダ
メイン 鮭のソティ、暖野菜の付け合わせ
デザート アップルパイ
というメニュー。あっさりしていて日本人向け。食べ終わったところで再び迎えにきた専用バスで、市内観光の続きです。
○大聖堂
バスが停まったのは、一段高みに聳えている大聖堂前の広場。三角の屋根を四本の円柱で支えるギリシャ神殿風のファサード。中央に聳える明るい青
色のドーム。ドイツ人カルル・エンゲルが設計し、1830年に着工し、1852年に完成したたこのルター派のヘルシンキ大聖堂は、本当にヘルシンキのラ
ンドマークとしての貫祿十分です。
また、その前に広がっている元老院広場に石畳の空間が、何とも言えません。中央には、ロシア皇帝アレクサンドル二世の像が立っています。体制が
変わると以前の支配者の像などは引きずり下ろされるのが常ですが、二世は未だ胸を張ってそっくり返っています。
この広場を取り囲んで、貴族会館、ヘルシンキ大学、同図書館などがあり、行政の中心というより文教地区のようです。大聖堂への幅広い石段を上り
つめ て振り返りますと、向こう側の建物の上にたくさんの大小様々な船が停泊している港が見えました。
○ウスペンスキー大聖堂
大聖堂から出ると、こんどはマーケット広場から良く眺められたロシア正教のウスペンスキー大聖堂に廻りました。石造りのヘルシンキ大聖堂とは、
がらっと変わった古風な煉瓦造りの建物です。青緑色のドームの上に、金色に光る玉葱形の塔を乗せたロシア教会ではお馴染みの恰好ですが、こちらか
ら見ても他に五、六本の塔を突き出しています。それだけに、建物は複雑に入り組んだ形で、得意な印象です。
昨年の旅でプラハその他で、イコンを飾ったギリシャ正教会をいくつか見ましたが、ロシア正教ではどうでしょうか。是非、内部を見てみたかったの
です、扉が固く閉ざされていて、中には入れませんでした。残念!
○マーケット広場でシリアラインの乗船時間待ち
今日、午前中のフリータイムのときに来たマーケット広場・・・・カウッパトリは相変わらず観光客で賑わっていました。
「もう一度みたから、何も買うまいと思っていたのに。・・・」
と新しいビニール袋を下げていた人たちもいました。
小1時間ぶらついた所で迎えのバスがきて、さあ、いよいよシリアラインでのバルト海クルーズです。
16時30分、シリアラインの「シンフォニー号」にチェックインしました。
・・・・・・・ 第六回おわり ・・・・・・・
by Romanesque (Nifty-serve ID=HAC01341)
01327/01353 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」(7)
( 4) 95/09/17 14:11 01296へのコメント
『北欧・・・・・夏の名残に』 (7)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇シリアラインの「シンフォニー号」に乗って No.1 1995年 8月20日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・いよいよシリアラインだ・・・・・
専用バスで埠頭に着きました。遠く、マーケット広場から眺めても迫力のある白い船体が眼の前に聳えています。日本のフェリーでは、大阪南港から鹿
児島県の志布志まで「サンフラワー号」に乗ったことがありますが、まるで大きさが違います。一万(?)トン級と六万トン近くの国際航路船では比較に
ならないのは当たり前でしょうが。
乗船するにも、2階建ての通路のスロープを辿って、船員に迎えられようやく船内に足を踏み入れました。今回の北欧では、ノルウェイのフィヨルドに
一番期待を掛けていますが、FlyingCat さんの「シリアラインのサウナ・・・うふふ (^^) 」は、かなり強烈でした。とたんに、今回の旅への第二位にシリア
ラインが浮上。そのシリアラインに今、足を踏み入れたのです。持ち込みのバッグの中には、しっかりと水泳パンツが入っています。
乗船して、船の中程に行くと、そこは建物で言えば七階に相当するところ。アトリウムのように、高い天井まで吹き抜けの通路・・・・というより、板張り
の道路のようで、両側にはレストランやスーベニール・ショップ、ブティックから皮革製品の専門店まであるショッピング・ストリートになっています。
通路の真ん中に休憩用のベンチもあります。
その中程に "i"があり、そこで割当られた部屋のカード・キーをもらって、取り合えず部屋にいきます。今日の夕食はスモーガスボードと予告されてい
ました。さあ、本場のバイキング料理!
部屋に行く前に、ここのインフォーメイションでドルT/Cの両替をしておきました。明日、ストックホルムの港に着きますと、すぐ出迎えのバスで観光
に行きますので、幾ばくかのスウェーデン通貨がたちまち必要になります。
この船は真ん中の通路が天井まで吹き抜けのアトリウムですので、各階の船室は、その両側に分かれており、七階から上は両側の行き来はできません。そ
れで、全部、後部の左右それぞれに2〜3基づつのエレベーターがありますが、左右のフロアーを間違えると、自分の部屋を探してウロウロする羽目になっ
てしまいます。
私に割り当てられた部屋は10階の 10461号室。10階でエレベーターを降りると、広いエレベーター室があり、その左右に2列ずつ廊下が続いています
(計4本の廊下)。廊下の両側に客室が並んでいました。慎重に掲示されていた見取り図を確かめ、10461号や〜いと探してゆき、廊下の中程で発見。部屋
に入ってみると、なんと海側。オーブラボー!
船室の窓から外を眺めると、ちょうど湾の向かい側に、マーケット広場でもみたVIKING LINEの船がいました。シリアラインの船は白鳥のよ
うに真っ白な船体ですが、ヴァイキング・ラインの船は、下部が赤く塗装されていて、そこに白抜きで「VIKING LINE」と描かれていました。
船室はマサカ、スゥイートルームじゃあなし、普通わたしたちがツアーで利用している4ツ星クラスの豪華さには遙か及びませんが、私の部屋10416号
船室で説明しますと、ドアを入ったすぐ右側はシャワー室、荷物置きの台、細長い作り付けの棚。左側には衣装ロッカー、大きな鏡のついたデスクと椅子、
ベッドが並んでいて、船窓もかなり大きいので、外の眺めも満足できました。
まだ出航、そして夕食のタイムまで一時間はあります。先ず、ざっと探検しておこう、とカメラだけを持って上部デッキに出て、小さな教会らしい建物
や、白い家などと、ヨットハーバーがある、小島の幾つかや、ヘルシンキ市街を眺めながら一巡しました。
さあ、夕食までに、一通り、シリアライン「シンフォニア号」のガイドをしておくことにします。
△船室階の略図
===================================================================
(七階にはデッキあり)
___________________________________________________________________
| | | | | | | |
| | | | | | | |
~~~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~ ←廊下と両側の客室 客室→ ~ ~~
____ __ __ __ __ _ _ __
| | | | | | | |
| | | | | | エレベーター室 | |
~~|~~|~~|~~|~~|~~| |~~|~~
| | | | | | | |
~~~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~ ← 廊下と両側の客室 客室→ ~ ~~ ~
____ __ __ __ __ _ _ __
| | | | | |■■|■■ | |
| | | | | |■■|■■←エレベーター 2基 | |
================================================| |===============
七階の店舗の並んでいるプロムナード(天井まで吹き抜け)
================================================| |===============
| | | | | |
(上と対照的に同じ造りになっています)
・・・・・・・・・ <<シンフォニア号>> のご案内 (1)・・・・・・・・・
(1) 全長 203メートル (2) 全幅 31.5メートル
(3) 総トン数 58、376トン (5) 乗客定員 2,852名
(6) 最大速力 22ノット (7) 部屋数 986室
●インフォーメイション 七階デッキ(乗船時の入り口と同じ階)
両替:フィンランド・マルカ→スゥエーデン・クローネに両替可能。トラベラーズ・チェックを現金に代える場合、チェック1枚につき500円
ほどの手数料がいります。ここでの両替は現金の円、ドル、フィンランド・マルカを両替することをお勧めします。ただしコインは両替
できませんので、もし余っている場合は船内の買い物で上手に処分する手もあります。
● 買い物 :ショッピングでは、フィンランド・マルカ、スゥエーデン・クローネはそのまま通用しますし、その他の紙幣(ドル、マルク、フラン等)
クレジットカードも使えます。ただし、レストラン、バーでは、フィンランド・マルカとスゥエーデン・クローネだけしか使えません。
免税店 七階プロムナード中央付近 Noblesseアクセサリー、バッグ、セーターなど
免税手続きは不要、税抜きの価格です。
六階デッキ アルコール類、チョコレート、タバコなど
● 郵便 : ポストはインフォーメイション・カウンターの横にある黄色い箱。切手は七階プロムナードのドラッグ・ストアで購入。(日本へのハガキ
1枚 3.5フィンランド・マルカ)
● ボーディング・カード:ボーディング・カードに部屋の鍵が挟まれています。免税店で買い物をする場合、ボーディング・カードの提示を求められま
すので、プロムナードの散策の時には携帯すること。
(私の部屋番号は、10416 ですが、その表示数字の意味は、
10 = 部屋のあるデッキ階数
4 = 部屋に近いエレベーターの番号
16 = 部屋番号となっています。)
・・・・・・・・・・・・・この項つづく
・・・・・・・第七回おわり・・・・・・
by Romamesque (Nifty-serve ID= HAC01341)
01347/01353 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」 (8)
( 4) 95/09/18 21:34
『北欧・・・・・夏の名残に』 (8)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇シリアラインの「シンフォニー号」に乗って No.2 1995年 8月20日
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
・・・・・・・ <<シンフォニー号>> のご案内 (2)・・・・・・・
●次に階層について(断面図)
→ 船首方向
___________ ___________________
|Stardust | | |
_________|_________| | 操舵室 |
|Sunflower| |______________________________|_________________|
| Oasis |12| Promenade Deck |12| \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
Cabins |11| Cabins |11|Cabins |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
Cabins |10| Cabins |10|Cabins |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
Cabins | 9| Cabins | 9|Cabins |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
Cabins | 8| Cabins | 8|Atlantis Bar |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
Caffe & Bar| 7| Promneade,Shops,Restaurant & (i)| 7|Casino & Disco|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
Buffet | 6| Tax Free Maxim Marco Polo | 6|Conferrens |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄Center ̄|
Cabins | 5| Drivers in | 5|Caracalla Bath|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
Garage | 4| Garage | 4|Garage |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
Garage | 3| Garage | 3|Garage |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
Cabins | 2| Cabins /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄
船 底 (器械室) /
================================================================
Cabin は別として、他のエリアを各階層別にご案内します。(下手な図ですが、上記をご参照ください。
●七階
○インフォーメイション・デスク(24時間オープン)
クルーズ・プログラム、セーフティボックス、市内観光申込み、ポスト、両替
○プロムナード
ショッピング & レストラン・アーケード
全長:143m, 幅:8m, 高さ:18m
[店舗] Happy Lobster シーフード・リストラン 18:00 〜 22:30
(座席の予約は出来ません)
Bon Vivant 雰囲気のあるレストラン、ワイン・バー
19:00 〜 23:00
Trattoria-Promenade イタリアンスタイル・ファーストフード・レストラン
朝食&ランチ 07:00 〜 16:00
夕食 18:00 〜 23:00
ナイト・スナック 23:00 〜 04:00
Atlantis Palace インターナショナル・ショー&ダンス・レストラン (七〜八階)
ミッドナイト・ショー:入場無料
アトランティス・カジノ&4種類のバー(ルーレット、ブラック・ジャック、スロットマシーン)
カジノ・バー 18:00 〜 02:00
バー 18:00 〜 03:00
ショー・レストラン 20:00 〜 03:00
Seaside Cafe パン & コーヒー 16:00 〜 20:00
Seaside Bar 食前酒 & カクテル・バー
17:00 〜 19:00
Pub Maritium ハブ 17:00 〜 01:00
Perfumes & Cosmetcs 香水、化粧品(男性用・女性用)
18:00 〜 23:00 07:00 〜 09:00
Shop Noblesse 洋服、スカーフ、ネクタイ、ハンドバッグブレスレット、宝石、ギフト商品
18:00 〜 23:00 07:00 〜 09:00
ドラッグ・ストアー 旅行必需品、日常雑貨、お土産品、電気製品、CD、切手、新聞、キャンデー、サンダル、ジュース、アイスクリーム
07:00 〜 23:00
Toy Shop 子供用おもちゃ 18:00 〜 23:00 07:00 〜 09:00
シリアランド(子供用プレイルーム)
ビデオの洞窟、すべり台、ボールシー、保育室、ご両親用ポケットベル
07:00 〜 22:00
●六階 Buffet Symphony 伝統的なスカンジナビアン・ビュッフェ・レストラン
テーブルセッティング(夕食)第1回 18:00 〜
第2回 20:30 〜
朝 食 07:00 〜 09:30
座席の予約(プロムナードにて) 16:00 〜 17:30
Maxim a la Carte ア・ラ・カルト・レストラン
夕 食 18:00 〜 23:00
朝 食 07:00 〜 09:30
座席の予約(プロムナードにて) 16:00 〜 17:30
免税店 Taxfree shop 酒類、タバコ、菓子
18:30 〜 23:00 07:00 〜 09:30
会議場 大会議場 (570名収容)、小会議室(25部屋)
09:00 〜 21:00
●五階 Caracalla Bath (団体予約のない場合)
男性用・女性用・グループ用サウナ、ローマ風浴場、泡風呂、バー・サービス 日 〜 木 16:00 〜 21:00
金 〜 土 13:00 〜 22:00
●十二階 Sunflower Oasis サウナ
男性用サウナ、女性用サウナ、プセイベート・サウナ、ファミリー・サウナ、トルコ風サウナ、泡風呂、ソラリュウム、マッサージ、
ヘアーサロン、バー・サービス
月 〜 木 07:00 〜 09:00 金 〜 日 13:00 〜 22:00
料金: 30FIM or 47SEK (1時間30分、バスタオル付き)
水着レンタル 6FIM or 9.5SEK
マッサージ(要予約 → TEL: 内線 6238) 体の片面 30分 110FIM (170SEK) 両面 60分 180FIM (280SEK) クレジット・カードOK
●十三階 Stardust ドリンク、カラオケ、ディスコ 18:00 〜 04:00
朝 食 07:00 〜 09:30
ようやく、ざっと船内の施設、サービスの案内を終わりました。関係のない方には、さぞかし退屈きわまるものだったと思います。資料として、どうかご
勘弁ください。
次回から、まともな旅行記に戻ります。
・・・・・・・ 第八回おわり ・・・・・・・
by Romanesque (Nifty-serve ID= HAC01341)
01374/01399 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」 (9)
( 4) 95/09/22 17:06
『北欧・・・・・・夏の名残に』 (9)
北欧4カ国とフィヨルドの旅 by Romanesque
◇シリアラインの「シンフォニー号」に乗って No.3 1995年 8月20日
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・・ さあ、サウナに入ろう ・・・・・
今日は五階のサウナは団体の予約が入っていてダメらしい。水泳パンツを穿いて12階に向かいました。
Flying Cat さんが「ウフフ」といった、シリアラインのサウナとはどんなものでしょうね。日本国内での温泉地で何度かサウナには入った経験はあるも
のの、本式のフィンランド式サウナは初体験。日本でのサウナは電熱式。ガイドフックには、
「サウナの始まりは紀元前のはるか昔、フィンランド人の起源まで遡るとか。一体誰が発明したのか、そんなことは全く不明だが、 フィンランド人が
遠い昔からサウナをこよなく愛し続けたことだけは確かだ。
日本でもサウナは根強い人気を持っている。ところがここのサウナは日本のサウナとは少し違うのだ。フィンランドのホテルにはサウナがあるのが普通。
体を冷やすプールも少し上等のホテルなればある。サウナの中には「焼け石」があり、木の桶と杓子が置かれている。桶の中の水を「焼け石」にかけると、
ジョワーと立ち昇る高温の水蒸気で体がカーッと熱くなる。熱くなった体を冷たいプールの中へドップーン。これを何回か繰り返す。ホテルでは水着を着
用して入る。
しかし、本当のサウナはフィンランドの郊外の森と湖の畔に建つ小さな小屋なのである。小屋の中で薪が焚かれ、石が焼かれ、そばには水を入れた桶があ
る。ぬるま湯になっているこの水で、体を洗い洗髪もする。彼らにとって、サウナは風呂なのだ。白夜の光が仄かに差し込む小屋の中で、ゆっくり体を蒸し
ながら、白樺の小枝でバサバサと体をたたく。そして湖へ思いっ切りよく飛び込むのである。これを一度体験したら、もうあなたも本場の虜になることだ
ろう。」・・・・・・と、昭文社のエリアガイド「北欧の旅」に出ていました。
でわ、でわと、夕食後30分ほど休憩したのち、着替えのバンツと水着だけを抱えて、いそいとエレベーターで12階に上がりました。 本場のサウナとは。
・・・・・・・ どんな出会い(?) があるのだろう。・・・・・
12階でエレベーターを降りたホールから、それらしい所に歩いて行きますと、板床の廊下があり、突き当たりぐらいにドアが有ります。そこまで行って
のぞくと、どうやらジャグジー・バスのようでした。
「こりゃ違う」
と、引き返しかけますと、左手すぐに受付のような、銭湯の番台のような、あるいは劇場の切符売り場のような・・・・窓口があり、<ハハーン、ここだな>
と思い、料金30フィンランド・マルカを差し出すと、ロッカーの鍵とタオルを貸してくれました。
窓口のかぐ隣のドアを入りますと脱衣場。真ん中にロッカーが背中合わせになった島があり、その周りの通路にもずらっとロッカーが並んでいます。服
を脱いでハダシになり、バンツを水泳パンツに穿き代えている間にも、いかにも北欧人といった雲つく大男が、水泳パンツも穿かずにサウナから出てきて、
汗をタラタラ流しながら、歩き回っています。
こちらは北欧人の体格に圧倒されながら、ロッカーに鍵をかけ、鍵についたゴム紐の輪を足首にはめます。思わず幼少の頃、通ったことのある日本の銭湯
の場面を思い出してしまいました。
床は体を拭かずにウロウロしているので、ビチャビチャ。狭い廊下の左手に、サウナ室らしいドアがありましたので、開くと、ただならぬ熱気が
まともに顔面に吹きつけてきました。
「ワー、こりぁ熱い!」
と、びっくりしながら、なかに入ると、ドアを中心に、両側に2段になった板の階段があり、正面に焼き石を入れた箱があります。誰もいない左側の下段
に腰をかけますと、向こうには、3人ほどの裸体が見えています。素っ裸の若者たち。
すぐさま逃げ出したくなるほどの高温です。ここに比べると日本の電熱式サウナなんぞは、生易しいもの。五分と辛抱できそうにありません。しかし、向
こうの大男たちの手前、早々に逃げ出すわけにも行かず、襲ってくる熱気に耐えるだけ。
向こうの下段に座った男が、手にした白樺の葉付きの枝で、ときどき床に置いたバケツの水を含ませて、焼き石桶に掛けています。その度に、熱気がモワ
ッと襲ってきます。ブラブラさせた男たちは、何か世間話に興じながら、私より先に入っていた男まで、いっこう退散しそうにありません。
ひとりでも退散してくれたら、こちらも逃げ出しやすいのに・・・・と胸算用しているのに。・・・・・
しかし、どこまで我慢する気か、3人の若者(推定年齢20歳代くらい)は、何時かな出る気配がないので、とうとうこちらの方が夢中で飛び出す羽目
になりました。
先程の窓口の前を通り、ガラス戸を開けると、そこにはチャチな旅館の露天風呂くらいのバスがありましたが、水着を着た30歳代のお母さんが、3歳
と5歳くらいの娘と一緒に入浴していて、私の入る余裕はありません。1段と高くなった所のジャグジー・バス。先程の3人とは別口の若者が2人はいっ
ています。圧倒的な体格の差にプレッシャーを感じましたが、汗を流すにはここしか無いので、片隅に体を滑り込ませました。
湯は本当にぬるま湯ていど。底から細かい泡が出ています。下の湯に入っていた姉妹が、スッポンポンで石段を駆け上がってきては、何回も繰り返し石
組のトンネルの滑り台でお母さんの入っている下の湯に滑り降りて遊んでいます。
あの、焼けつくようなサウナのほてりが、やっと覚めましたが、二度と繰り返し入る気にはならないので、ロッカーで着替えると、鍵とタオルを窓口に
返し、部屋に帰りました。
・・・・・・ 第九回おわり ・・・・・・
by Romanesque (Nifty-serve ID= HAC01341)
01377/01399 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」 (10)
( 4) 95/09/23 11:16
『北欧・・・・・夏の名残に』 (10)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇群島のあいだを縫って、ストックホルムに入港 1995年 8月21日 天候:晴れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
さあ、昨夜は何時に寝ついたのか分かりませんが、日頃7時半にしか起き出さない私が、海外旅行となれば、まず、五時前にはごそごそ起き出して、窓の
シャッターを上げてみましたが、まだ夜の気配が全天を占めていて、仄かに東の方の水平線が赤らみ、夜明けの兆候を見せているのみ。恐ろしく凪いだバル
ト海をシンフォニー号は滑るように進んでいます。
○ストックホルム群島の夜明け
5時10分。 遙か彼方の海上にポツンと灯台。快晴。
いつもにまして今朝の私には、期待が膨らんでいます。ストックホルムの外に広がるストックホルム群島のあいだを縫って・・・・という情景に。ガイドブッ
クの記載によりますと、「フィンランドからの船は、総数2万4000 という群島を縫って入港」とあります。
これは是が非でも見てみたいと思っていましたので、もう五時前にはぱっちりと眼が開いてしまいます。しかし、船窓から外を見ても夜の明け切るには、
まだ早かったようでした。
洗面と身仕舞いをすますと、カメラ片手に12階の遊歩デッキに出ました。未だ夜の気配ですが、西・・・・ストックホルムの方向の水平線が、心持ち明るん
で来ています。
まだ群島までは距離が有るようです。シリアラインよりやや小型の客船が、同じ方向に進んでいるのが見えました。
昨夜は、六万トン近くある大きな船体のせいか、ベタ凪だったからか、バルト海は凪いだ瀬戸内のように殆ど揺れを感じませんでした。
早暁の洋上は流石に寒い。セーターを着込んではきましたが、船首のほうの一段と高いアッパーデッキに上ると、吹きつけてくる海風は真冬並みです。
しかしもうアッパーデッキには、私同様、ストックホルム群島を見ようとしているのでしょうか、ヨーロッパ人とアメリカ人の先客がいました。
5時30分。 そうこうしている内に、ストックホルム群島の外縁にかかってきたようです。 まず、初めての島が近づいてきました。空もずいぶん明るんできていま
す。樹1本生えていない、ただの平たい岩礁です。すぐ幾つかの岩礁が現れてきます。ちりめん皺のようなさざ波。
ようやく松らしい樹が繁った島が幾つか見え始めた頃、振り返ってみると、東の水平から太陽が昇ってきました。まばらだった島影が、密集した群島にな
ってゆきます。大きい島のあいだに、小さな島。だんだん海というより、水道といった航路となり、前を行く船の上半分が島の緑の中に見えるようになりま
した。その頃から、デッキに上がってくる人も多くなります。
もう、夏の別荘としているのか、島ごとに小規模のヨット・ハーバーや、自家用ボートの桟橋を備えた家らしいものが見えるようになりました。
この群島は一様に平べったく、山というものが見当たりません。カメラには立体的な構図が見当たらず、岸辺の岩礁の変化にレンズを向けるばかり。島と
島のあいだが狭く、航路の幅は赤いフローティング・ブイの標識すれすれです。
「ここで夏を過ごす人々は、電気や水はどうしているのだろう」
という疑問がわき上がってきます。
六時半には部屋に戻って、七時からの朝食のためレストランに出かけました。昨夜ほどの品数ではありませんでしたが、今朝もバイキング料理。
8時45分に乗船時に、手続きをした7階プロムナードの前に集まり、下船の準備。
ストックホルム港には、定刻 9:00 に入港。ヘルシンキからストックホルムに入港、下船するまでパスポート・チェック一度もなし。
・・・・・・・ 第十回おわり ・・・・・・・
by Romanesque (Nifty-serve ID= HAC01341)
01393/01399 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」 (11)
( 4) 95/09/25 17:00
『北欧・・・・・・夏の名残に』 (11)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇ストックホルムの市内観光 (1)1995年 8月21日 天候:晴れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ストックホルムでの予定は、今日の午前中に市内観光、午後からはフリータイム。明日はほぼ一日、ストックホルムの北の方、シグティユーナとウプ
サラの観光となっています。
・・・・・市庁舎・・・・・
シリアラインから降りるとすぐ、迎えのバスでメーラレン湖畔の市庁舎へ。鉄道線路を越えると、四角い塔の建つ市庁舎前の広場に着きました。「歩き
方」によれば、「20世紀の名建築」といわれる云々と書いてありましたが、初めて見参した印象は、外壁の煉瓦の色合いは落ちついた雰囲気ですが、ドイ
ツの都市の市庁舎のような外面の飾りはなく、高い塔のある城砦といった印象でした。
ラグナル・オストベリという建築家の設計で、1912年から建造に取りかかり、1923年に完成した新しいものですが、解説によりますと「ナショナル・ロ
マン様式、北欧中世風のデザインで、ヴェニスの宮殿の影響も受け、市庁舎というより宮殿か古城を思わせるたたずまい」と、また、「106mの塔、全体
を覆う赤煉瓦の質感、ゴシック風の窓、ピザンチンスタイルの輝かしい金色の飾り、さまざまな様式を取り入れながら、見事な調和がとられていると書い
ています。
中に入るまで、「何処があ・・・・」という気分でしたが、門を入って中庭のよ
うな、あるいは高いガラス張りの天井まで吹き抜けのアトリウムのような大広間・・・・ブルーホールに出ますと、本当にガラッと印象が変わります。
この大広間の周囲も赤煉瓦造りですが、閉ざされた空間というだけで、何か違った趣です。真ん中あたりで、アメリカからやってきた観光客の一団が、
ガイドの周りに集まって熱心に説明を聴いていました。
正面右手に二階に上る大きな階段が見えています。
このブルーホールは、12月20日に開催されるノーベル賞受賞者の祝賀パーティの会場として使われていることで有名な外、音楽会やいろいろな式典にも
使われている、と私たちも現地のガイドさんから聴きました。
さて、二階に上がりますと、太い木の梁がずらっと平行に並んだ天井の広間です。このような天井は、古くからやっている由緒あるレストランだとか、ヨ
ーロッパ各地の城砦でもよく見ることがあります。木地むきだしの飾り気のない天井から、城砦、城館などの精緻・豪華な金を多用した装飾性豊かな天井ま
で。
北欧は初めての体験ですので、よく分かりませんが、この部屋はヴァイキング・ルネサンス様式だとのことです。この間は市議会の会議場として使われる
ところとのこと。
また、古いゴブラン織のタペスリーの壁面に掛かった小部屋があり、市民たちの結婚式場に使われているところ、というのもありました。
もう、二階に上がって、下のブルーホールを四分の三も回ったでしょうか。次に入った大広間は「黄金の間」だとか。周囲の壁面に 1,900万枚もの金箔を
張り、その上に女神のような絵が描かれていますが、見方によればモダン、また違った見方では稚拙とでも表現したくなる装飾画でした。青灰色の基調に僅
かな色彩をひそませた感じで、ともするとキンキラキンになりそうな金箔張りの壁面を落ちついた雰囲気に変えています。この絵は金のモザイクで描かれた
「メーラレンの女王」というものらしいのです。メーラレンといえば、バルト海とメーラレン湖の間に散在する大小14の島からなるストックホルムでは、交
通上重要な水路にもなっている湖です。
その謂われもガイドさんから聴いた気がするのですが、窓からの景色をカメラに収めるのに夢中になり、メモ出来ませんでした。
・・・・・・・・・ 私のメモより ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スゥエーデン
位置・面積 北緯55度20分から69度04分の北極圏に至る、南北1600キロもある細長い国で、東西は三分の一にも 満たない 500キロ、45万
平方キロの国土の54.7%が森林に覆われ、8.6%が湖沼、人口の密集する地域は僅か5.7%。
人口 総人口は 800万人ほどで、首都ストックホルムに140万人、第二の都市ヨーテボリに70万人、第三ノ 町マルメに45万人が住ん
でいるという。
ストックホルム
北欧のヴェネチアと称されるストックホルムは、バルト海とメーラレン湖に囲まれた島々の上に造られた街で、1523年にグスタヴ・ヴァーサ王
によって首都と定められて以来発展し、殊に18世紀後半から急速に発展してきたといいます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
市庁舎の外に出て、メーラレン湖の湖畔がまるで宮殿の庭園のように美しいのに、一同、歓声を上げて思い思いに走り出しそうになりました。添乗員の木
下さんや、ガイドさんは、
「まだ、午前中に行くところがありますので、集合時間を決めて置きましょう。10時半、10時半・・・でいいですね。表の広場のバスに、10時半までに集
まってください。」
と声を嗄らしていました。
メーラレン湖畔に石造りの柵と遊歩道があり、そこまでは噴水もある緑の芝生。湖畔の湖面に降りる石段のところには、裸婦の石像も立っています。こ
れもメーラレンの女王でしょうか。大きな河とも見えるメーラレン湖の静かな湖面の向こうには、左手に鉄道、地下鉄、クルマの橋が三重にかかり、数分
おきに電車、列車が橋を通過して行きます。
四角い塔の上にごく小さなエッフェル塔のようなものを乗せているのは、手元の地図でみると、リッダルホルム教会でしょう。湖畔の遊歩道を辿りながら
の眺めは、なんとも美しく、なんとものどかで、何時までいても飽きません。
決められた10時半にはバスに戻り、次の市内観光に向かいました。
・・・・・・・・ 第十一回おわり ・・・・・・・・
by romanesque (Nifty-serve ID= HAC01341)
01400/01402 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」 (12)
( 4) 95/09/26 17:45
『北欧・・・・・夏の名残に』 (12)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇ストックホルム市内観光(2) 1995年 8月21日 天候:晴れ 気温:25度
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・ ヴァーサ号博物館 ・・・・・
次に訪れたのは「ヴァーサ号博物館」。市庁舎からはほぼ運河沿いに走り、ユールゴーズ橋を渡って、全島が緑の公園のようなユールゴーデン島に入り、
緑の中をほんの少し走ると、二つの建物のあいだの広場に着きました。大きなクラシックな建物のほうは北方民族博物館で、私たちが目指したのは、平たい
小さめの、なんの変哲もない建物。ここがヴァーサ号博物館ということです。
玄関を入っていったところに、ドーンと大きな時代がかって黒光りしている木造船がありました。1956年にストックホルム湾を調査中の海洋考古学者アン
デース・フランツェーンによって、海中より発見された戦艦ヴァーサ号とは、スウェーデンが強大な勢力を誇っていたグスタフ2世アドルフ王の統治下にあ
ったころに建造された木造の巨大な戦艦で、ドイツ30年宗教戦争のとき、1628年8月10日に王宮近くの埠頭から処女航海に向けて出発しましたが、まだスト
ックホルム湾を出ないうちに突風に見舞われて、水深30メートルの海中に沈んでしまったという不遇の戦艦です。太平洋戦争のとき、いざ出陣というときに
アメリカの潜水艦攻撃を受けて瀬戸内海に没した戦艦大和に似た運命を辿った
のですね。
引き揚げられたのは1961年で、保存状態が良かったため、海底に散乱した千数百の木片をパズルのように組み合わせ、急激な乾燥による新たな亀裂の防止、
カビ発生防止措置などを施しして、復元を行ったとのことです。
私たちがテレビなどで見ることのある沈没船は、海草や貝類に覆われてしまった姿ばかりですが、バルト海は氷河から流れ出す河水で、海水の塩分が気水
ほどに薄められるので、船喰い虫による被害や、海草、貝類の付着が少ないので、木造船でも崩れが少なかった・・・・ので、復元が容易だったそうです。
全長 62m、最大幅 11.7m、マスト最上部までの高さ 50m、排水量 1300トン、帆の面積 1200平方メートル、乗組員 437名 は、17世紀の木造戦艦としては、
かなり巨大なものといえます。
目の前には、黒光りしている船体があります。入口から入った床からは、甲板から下の船体があり、ずらっと並んだ大砲の窓。見上げると、二階の回遊歩
廊がちょうど甲板あたり、マストの上部は遙か高い天井に伸びていました。
一階をぐるっと一回りして二階に上がりました。二階の歩廊から見ると、華麗な船尾の彫刻が間近に見られます。ヴァーサ王や戦士たちの彫刻などが 180
体も船全体に施されていました。
ホーッ、なるほど。ヴァイキングの国だけあって、大したものだね、という呟きと嘆声。全くもって・・・・と感心して外に出ました。
外に出ると、先程バスを降りたときに眺めた風格のある北方民族博物館が見えています。ここユールゴーデン島へは、ヴァーサ号博物館だけを目当てに来
ましたが、この島全体が総合レジャーランド兼博物館のような島です。
中央にドンと、「スカンセン」という30万平方メートルの広大な敷地を有する野外博物館があり、その中には、
1600年代の農家
オクトプスゴーデン スコーネの農家
木造の鐘楼
セグローラの教会
ダーラナの農家
ムーラゴーデン
スコーガホルム邸宅
メイポール
などの野外博物館としての展示があるほか、動物園、バラ園、登山鉄道、レストラン等の施設があります。1891年にオープンしたこのスカンセンは、スゥエ
ーデンの人々にとって <心の故郷> とでも言うべき場所だといわれています。
ヴァーサ号博物館を出発して、ユールゴーデン島を出たバスは、ガムラスタンという旧市街にある王宮の辺りまで行き、そこで下車。徒歩で街の様子を眺
めながら昼食に向かいました。もうすぐ、王宮の前で衛兵交代がある筈ですが、それを待っていては、午後からの予定に差し支えますので、王宮を横目で眺
めながら・・・・通り抜けるつもりでした。
ところが所が、突然、ラッパの音と共に騎馬隊や交代要員の衛兵が行進してきたからたまりません。
ツァー様ご一行連中は、カメラ、ビデオを振りかざして一斉に衛兵の進んでくる方向に駆け出してしまい。添乗員の木下さんや現地ガイドの女性の制止も
聞かばこそ。・・・・・・ (^^;;
結局、交代式の終わるまで見ていて、30分の予定遅延。
昼食は、丁度、市庁舎とメーラレン湖とバーンヒュース湾を繋ぐ運河を隔てた向かい側、観光船乗り場あたりに係留されている帆船をレストランに改造し
た "MALADROTTNINGEN" で。
レースのカーテンの掛かった船窓から、メーラレン湖の風光が眺められ、なかなか雰囲気のいいレストランでした。メニューは、
サラダ
白身魚のソテーと温野菜の付け合わせ
ケーキ
という、比較的軽い物。
今日の午後は自由行動ですが、皆揃って木村さんの誘いに乗り、郊外のドロットニングホルム宮殿に出掛けることになっています。その前にまず今日のホ
テルにチェックインです。
・・・・・・ 第十二回おわり ・・・・・・・
by Romanesque (Nifty-serve ID= HAC01341)
01460/01470 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」 (13)
( 4) 95/10/02 22:26
『北欧・・・・・・夏の名残に』 (13)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇ストックホルム・フリータイム(1)1995年 8月21日 天候:晴れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・フィアール・ガータンの見晴らし台にて・・・
ホテルに入る前に、もう一か所予定がありました。WAS社のパンフレットでは、「フィアールガータン展望台にご案内いたします」と書かれていたので
さぞかし、見事なストックホルム市街の俯瞰が見られるだろうと期待していたのですが、添乗員の木村さんの説明では「展望台」という言葉がなく、「見晴
らし台」でした。そこは、サルトシェーン湖に沿ったセーデルマルム島の道路で、道端の寄せて停まったバスから降りてみると、確かにスルッセン駅や一段
下の道路、フェリー桟橋などセーデルマルム島側の向こう、サルトシェーン湖の彼方に市街が展望できました。しかし、視点が低く、とても景色を俯瞰する
までにはゆきませんでした。
・・・ ホテルにチェックインして ・・・
チェックイン・タイムに合わせて今日の午前中に予定の市内観光をしてしまった訳。で、昨日ヘルシンキのホテルを出たときから、バゲージとは別行動で
した。
今日の宿は、スカンディック・クラウン・ホテルといって、市庁舎や中央駅あるいはデパート、商店街などのあるストックホルム中心街から、国会議事堂
のある小さなヘルゲアンズホルメン島と、王宮や大聖堂のある旧市街=ガムラ・スタン(周囲2キロほどの小さな島)を経て、その南のセーデルマルム島に
渡ったばかりのところに在ります。
「あ・・・なんだ、こんなちっぽけなホテルか」と、広場から見た外観で内心ちょっとガッカリしましたが、回転ドアを押してロビーに入ると、存外にモダ
ンな建物です。外国人(私たちから見て)団体も、次々と出入りしている様子です。どうやら、スーデルマルムス広場に面した建物の、長方形の短辺を見た
ので「小さい」と感じたのかも知れません。中の設備や構造では、なかなかのものの様でした。
ただちに部屋割りがあり、午後のフリータイムには、現在、王室の居城とされているドロットニングホルム宮殿に行く集合時間が迫っていましたので、ヘ
ルシンキで別かれて以来のトランクを確認しただけでカメラと交換レンズ、フイルムの入ったカメラバッグを持ってロビーに急ぎました。
・・・地下鉄とバスに乗り、ドロットニングホルム宮殿へ・・・
スカンディック・クラウン・ホテルは、交通の要(かなめ)の様な位置に建っています。すぐ前のスーデルマルムス広場には、地下鉄「スルッセン」の駅
があり、2系統の地下鉄が走っています。
私たちは、スルッセンの駅で添乗員の木下さんに習いチケットを買うと、18番、あるいは19番線に乗ればいいとのことで、取り合えず、
「このクルマに乗りましょう」
という木下さんの指し示した車両に乗り込みました。地下鉄電車はすぐ地上に出て、ホテルからも良く眺められた橋を渡り、最初の駅が旧市街のガムラ・ス
タン。地下鉄を降りるのは13番目の駅だということで、駅に着く毎に、「あと幾つ」と数えるところなんか、小学生の遠足そっくり・・・・と内心、苦笑い。
地下鉄はストックホルムを形成する島々のあいだの、幾つかの川のような湖を鉄橋で渡ります。窓の外の景色は、次第に近郊住宅地から、郊外の景色に移
り変わっていきます。
10番目の駅アルヴィークに着くと、何と、私たちの乗った地下鉄はここが終点とか。一斉に下車する地元の人々を追って、私たちも慌てて下車。どうやら
私たちが乗った車両は、アルヴィークまでの19番、27番、あるいは28番線だった様子。
ものの10分も待つと、終点までの18番の電車が入ってきて、あまりタイをロスすることもなく、目的の Brommaplan の駅に到着。さあ、ここからはバスで
す。ここでは地下鉄の駅が高架になっていて、駅の外には幾つかの方面行きのバス・プールになっていました。
地元の人に確かめ、また、バスのドライバーに「ドロットニングホルムに行くのは、このバスでいいのですね」と念を押して乗り込みました。ヨーロッパに
来ると、何処でも大きな最新鋭の大型観光バスで廻りますが、私たちの乗ったローカルの路線バスは、「田舎のバスはオンボロバスで・・・・」という唄を思い
出してしまったほどのもの。八月も下旬になるとシーズンも終わりで、観光客の数も減ってしまうのか、観光客はストックホルムからメーラレン湖を観光船
で来るのか(帰りには、私たちも観光船で、と予定していました)、バスの乗客たちは、地元の人々らしい雰囲気の人ばかり。
バスは両側に林のように緑の多い直線の、気持ちのよい道を15分ほど走ったでしょうか。湖と湖を繋ぐ水道のような水路に差しかかりますと、対岸にドロ
ットニングホルム宮殿らしいものが、見えて来ました。
橋を渡りきったところで下車すると、緑の岸辺を歩いて宮殿に向かいました。
・・・・・・・・ Romanesque のメモ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ドロットニングホルム宮殿
ストックホルムから西に約10キロ。ローヴェン島のメーラレン湖畔にあるドロットニングホルム宮殿は、現在、国王一家の住居となってい
て、国王はここからストックホルムの王宮に通勤(?) していられるが、フランスのベルサイユ宮殿を模して、建造された夏の離宮。もともと、16
世紀の初め頃、既に王族の庭園が在ったが、宮殿としての建造が始まったのは1662年、若くして未亡人となったカール10世グスタフ王妃ヘド
ヴィグ・エレオノラの時代。
18世紀までの間に増改築が繰り返され、内装は18世紀のもの。フランス、イタリアの宮殿建築の影響を受けたバロック様式風の建築で、「北
欧のヴェルサイユ」と称しているが、ヴェルサイユ宮殿を模したものではない。
(この項、何冊かのガイドブックより)
・・・・・・・・・第十三回おわり・・・・・・・・・・・・・
by Romanesque (Nifty-serve ID= HAC01341)
01472/01472 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」 (14)
( 4) 95/10/03 11:41
『北欧・・・・・・夏の名残に』 (14)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇ストックホルム・フリータイム(2) 1995年 8月21日 天候:晴れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・・・・・ドロットニングホルム宮殿とフランス式庭園・・・・・
現に国王の住まわれている住居を見学できるなんて、初めての体験です。それは門を入るときに、左右に衛兵が立哨しているのを見て実感しました。ヨー
ロッパのいろいろなツァーに参加すると、必ずと言っていいほど、日程に入ってくるのが大聖堂と宮殿、城館です。しかし、ヴェルサイユにしろシェーンブ
ルン宮殿にしろ、ほとんどが、かって王様の住んでいた・・・・・・ものでしたが、今回のドロットニングホルムはれっきとした現住居です。それもつい最近・・・・
1983年からだといいますから、つい10年余り前からのこと。(未だ貴族の末裔が住んでいるという城館はたくさん見学しましたが)
中に入って、公開されている部屋を巡りましたが、「まあ王宮というものはこれ位のものだろう」と感じたのは、一段と深い建築様式や内部の装飾、美術
品、歴史についての知識の浅さだったかも知れません。
現在は三階建て、220室 あるなかで、公開されているのは二階、三階の一部だけです。私の見て廻った上での感想は、何処の宮殿もどこかヴェルサイユに
似通ったものだなぁ、でも華麗さでは本家本元には及ばないものだ・・・・というくらいのものでした。
ヴェルサイユの大広間・・・・鏡の間にも窓と窓の間の壁面に描かれていた「だまし絵」風の装飾が、ここでは、あちこちに多用されているように感じました。
一見、ストッコ風の漆喰装飾に見えて、実はだまし絵風の描かれたもの・・です。
帰国してのち、資料の整理がてら、北欧建築について貧弱な蔵書を調べてみましたが、西洋建築様式史(美術手帳・増刊)、西洋建築入門(森
田慶一・著、東海大学出版会)などを開いてみましたが、北欧に触れた記述はありません。北ヨーロッパとか北方ルネサンスという項目でも、せ
いぜいフランス、北ドイツ、ベネルックス三国どまりです。
旅から帰って、自分の目で見てきたものは、一体どういうものだったかを反芻するのも、大きな楽しみのひとつです。どなたか、良い解説書が
あれば、ぜひ、お教えください。
一回りしたのち、庭園に出ました。テラスに立って眺めますと、目の前にいわゆるフランス式庭園といわれる幾何学的に構成された庭園が広がっています。
真ん中に広い通路があり、通路とその左右の台形の芝生を縁取るように、短く刈り込まれた植え込み。広い風景の中央に噴水。庭園を取り巻くように緑の深
い森が広がっています。中央の広い通路は森の中まで伸びているようです。
しかし、左右の広がりはヴェルサイユやシェーンブルンの庭園には、遙かに及びません。テラスから広い石段を降りて、取り合えずブラブラと中央通路の
尽きるところまで歩いてみようと思いました。
人影が少ないだけ、シーズン中のヴェルサイユやシェーンブルンにない、のどかな雰囲気です。
100mほど歩いて宮殿の方を振り返りますと、柔らかいクリーム色の宮殿の建物が何とも言えずいい眺めでした。権勢ばらず、奇をてらわず、落ちついた雰
囲気です。
庭園中央の噴水までの倍を歩きますと、煉瓦造りの壁が通路の両脇にあり、壁面を水が流れ落ちていました。滝の感じを表したものでしょうか。中央通路
はなお奥に続いています。左右は滝の壁面と同じ高さの庭。
突き当たりまであるいて、足の向くまま右手に折れますと、こんどは巨木の並んだ中の逍遙路になっています。時間もだいぶ経ったことだし、巨木の林
の道をもとに引き返すことにしました。
右手には先程通った庭園が巨木の幹のあいだに見えています。
集合場所は帰りに乗るストックホルム行きの船着場。湖岸の草地をブラブラメーラレン湖を眺めながら歩いて行くのは、いい気持ちです。船着場は、ここ
に来るときバスで渡った橋の近くに見えています。間違いようもありません。思い思いに庭園を散策していた連中の姿もありました。
桟橋のすぐ近くのキオスクで、乾いた喉を潤し、みやげ物などを漁っていたとき、予定していた船の姿が現れないので聞きにいっていた添乗員の木下さ
んが、戻ってきて、
「今はストックホルムとドロットニングホルム間の船は運行していないというんです。」
とのこと。まだ8月も20日過ぎなのに、もう観光シーズンは終わったというのでしょうか。
また、301号 の田舎バスに乗り、地下鉄に乗り継いでホテルに帰ってきました。
・・・・・・・第十四回おわり・・・・・・・
by Romanesque (Nifty-serve ID= HAC01341)
01512/01512 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・・夏の名残に」(15)
( 4) 95/10/05 15:32
『北欧・・・・・・夏の名残に』 (15)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇ストックホルムのホテルにて 1995年 8月21日 夕方 天候:晴れ
ホテルに帰着したのは午後6時ごろ。チェックインしたときには、すぐさまドロットニングホルム宮殿に出かけるというので、ろくろくヘクシンキ以来の
トランクにも手をつけるいとまなく、部屋の点検もしていませんでした。
で、5007号の部屋に帰って、改めて眺めてみると、窓からの眺めは悪いし、シングルベッドの狭い部屋だし、重症ニコチン中毒気味の私にとって我慢なら
ない禁煙マークの標識が立ててあるわ、浴室を見るとシャワーしかない。
すぐさま、添乗員の木村さんの部屋に電話をかけて来てもらいました。
「木村さん。飛行機も最後尾から2列目の喫煙席をお願いしたでしょう。それが禁煙の部屋なんて。皆とえらく離れたところの部屋だなあ、と思っていた
のに、部屋は狭いわ、禁煙で、おまけにシャワーだけなんて。
今度のツァーの料金の他に、10万5000円の追加部屋料を払ったのに、どうしてこんなに待遇が違うんですか?」
と詰め寄りました。いささか大人げない不満でしたが、船旅に続く観光で少し疲れていたせいもありました。
木村さんは、
「禁煙の件はホテルに言って、タバコを喫っていいことにして貰えますが、部屋の狭いのは我慢していただくとしても、・・・・シャワーしかないのは、会社
としての契約条件と違いますので、すぐ、部屋を換えてもらいましょう。」
とフロントに交渉され、結果は私にとって素晴らしい眺めの部屋を与えられることになりました。
角部屋の大きな窓からは、眼下にガムラ・スタンとメーラレン湖の風景が広がっています。左手から視界の真ん中にかけて鉄道線路と、中央駅の方に通じ
ている大通りの橋、右手前からは絶えず電車が往き来する地下鉄の橋・・・・が遠近法の見本の様に、湖上に逆V字形を作っています。
遠景は、左から市庁舎の四角い塔、リッダーホルム教会の尖塔、少し小さいクララ教会の尖塔、大聖堂の塔のドームが見えています。
また、傾きかけた夕陽に染まった市庁舎やガムラ・スタンの建物。メーラレン湖のさざ波。・・・・・・ 今まで泊まったことのあるヨーロッパのホテルの中でも、
最高の眺めでした。ちょっぴり、ゴネ過ぎたかな・・・・という気恥ずかしさもありましたが、終わり良ければ、全て良し・・・と、勝手に考えることにしました。
夕食から帰ってきて見た、窓からの夜景は更に素晴らしく、まだ西の空にほんのりと明るさの残っている空には、横にたなびく雲が二筋、三筋、シルエッ
トになった尖塔にかかり、その彼方の地平は僅か紅紫の残映が見えます。メーラレン湖の水面は未だ空の色を映して、濃いブルーですが、ガムラ・スタンの
建物はすべて、黒々としたシルエット。地下鉄の車両のあかりが、橋の上を動いて行きます。大通りの橋はクルマの通行が多いので、ヘッドランプの白光の
帯とテールランプの赤い帯が絶え間なく続いています。
そうです、ストックホルムは、北欧では人口134万人のコペンハーゲンに次ぐ人口67万人の大都会でした。
今日の夕食は、
前 菜 ニシンのマリネ
メインディッシュ ポーク・フィレ、トマトのグリル、ロースト・ポテト
デザート フルーツサラダ
でした。
・・・・・・・・ 第十五回おわり ・・・・・・・・
by Romanesque (Nifty-serve ID= HAC01341)
- FWORLDA MES( 4):【ヨーロッパクラブ本館】 (欧州全般) 95/10/06 -
01540/01566 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」 (16)
( 4) 95/10/08 17:37
『北欧・・・・・・夏の名残に』 (16)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇ストックホルムからの小旅行 (1)
1995年 8月22日 天気:快晴 朝の気温 20度
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あまり精進が良いとも自覚していないのに、まだ快晴の日々が続いています。今日はホテルを9時に専用バスで出発し、ストックホルムから北西40kmにあ
るシグテューナと、北66kmのところにあるウップサーラへの小旅行です。
ホテルの前を9時カッキリに出発しましたが、やはりストックホルムは大都会。ガムラスタンを抜け、中央駅を迂回して線路に沿った道までて渋滞がひどく
大変でした。
線路の向こう側は川のような幅のバァーンヒュース湾ですが、まるでヨットハーバーに使われていると思うほど、両岸にびっしりとヨットやボートが係留さ
れています。手持ちの地図でルートを追っていましたが、川の向こう岸はクングスホルメン島で、僅かなあいだにもう幾つもの島に跨がったストックホルムだ
と実感させられます。
やっと市街地を通り抜けてルートE4に入りますと、麦畑と小さな森が景色を点綴する・・・・なんの変哲もない田園風景の中の道になりました。平坦な景色で
すが僅かに低い丘もあります。 森の樹々はトド松に似た樹やドイツ唐檜などの針葉樹が大部分、それに時折、白樺の白い幹が混じっています。
家々の敷地内には、葉っぱはまだ緑ですが、もう赤く熟れた実をたわわにつけたナナカマドや、色づき始めた小さなリンゴの樹があり、東北か北海道の片田
舎を走っているような気分もしました。
また、このあたりの家々は壁が白と茶色にコントラスト豊かに塗り分けられたものが多いのも、このあたりの特徴でしょうか。
北欧にやってきて、初めての田園風景は気持ちの良いものです。
10時、ストックホルムから小一時間走って、やっとシグテューナに到着。メーラレン湖畔の小さなおとぎ話が似合いそうな村のたたずまいです。湖岸から少し
上がったところにメインストリートが通っていて、街道沿いの小宿場町さながの家並みが続き、ゆるやかな湖岸からの傾斜地に緑に包まれた家々があります。
私たちを乗せてきた専用バスは、最初にシグテューナの概要が掴めるよう、町の中を一回りしてくれました。ただの空き地のようなバスプールで下車。
★・・・・・ シグテューナにて ・・・・・★
私たちがやって来た、この小さな美しい、のどかな町は、スウェーデンでも最も古い町の一つで、「聖なるシグテューナ」と言われていますが、ここが11世紀
の初めにキリスト教徒としては初めての王オーロシフ・シェートコーヌングによって築かれた町とのことです。
WAS社のパンフレットでの謳い文句は、「後期ヴァイキングの遺跡と初期キリスト教の遺跡を訪れます」。また、ブルーガイドのガイドブックでは「キリス
ト教がヴァイキングの神々を征服しつつあった11世紀に始まった」と、この町の歴史を綴っています。
さあ、小さな町を散策気分で、歩いて見て廻ります。
ゆるやかな草地の中の小徑を上って行きますと、右手には12世紀に建造された勾配の急な三角大屋根のサンクト・マリア修道院の教会が、ファサードの向かっ
て左手に尖塔小屋根の塔を見せて建っています。
左手には、廃墟となった12世紀のサンクト・ペールス教会の跡があります。廃墟は四角い塔の形と、屋根の落ちてしまった石壁だけが残っています。なんとか
荒れ果てた内部も覗いてみたいもと、と思いましたが、施錠して中には入れないようになっていました。でも、兵どもの夢のあと・・・・の風情がなかなか良いもの
でした。
周囲は森といったものでは有りませんが、葉の色の濃い樹が所々に立っていて白い石壁の廃墟とは良くマッチしています。廃墟の周辺に墓地がありますが、き
れいに掃除してあり、花も植えられていて、カラッと明るい感じです。
サンクト・マリア教会の方に廻ります。ファサードには、余り装飾らしい装飾はありません。煉瓦壁で、窓の形から後期ロマネスクに似ていますが、バラ窓の
あったらしい所は、ポッカリと空いていて、白い漆喰で塗り込められているのは崩れた後の修理でしょうか。
アプシスには、上部に聖人の一代記を表したものらしい、素朴な線画を色彩ガラスで埋めたようなステンドグラスがあり、その下に3連祭壇がありました。
中央に磔刑のキリストと、左右に二人ずつの聖人らしい像。開閉できる左右には、それぞれ3人の聖人像が、金箔を張り詰めた背景の前に立っていました。そ
れらの聖人像は、マイセンなどの磁器人形のように可愛い感じです(なにか威厳や悲壮感に乏しいのです)。八角形の説教段の腰板は、それそれれに聖人像を配
し、見事にレリーフで飾られていました。
さて、団体での見学はこれまで。
「これから一時間ばかりフリータイムを取ります。小さな町ですから迷うことはないと思います。お買い物でも、お写真でも自由に」
との添乗員の木村さんのご託宣で解散。皆は思い思いの方向に散って行きました。
写真のいいアングルを探しながら、バスを下りた湖岸付近の向かっていますと、田舎町の公会堂のミニチュアのような建物がありました。これが、世界最小の
木造タウンホールで、なんと、なんと1744年に建造されたもの。青い傾斜の急な屋根、白い壁、草地に面して小さなステージがあり、手すりが巡らされています。
ステージの横に、折り畳まれたパイプ長椅子が、たけかけられているので、このタウンホールが今でも町の人々の催しに使われている「現役」なのだなあ、と感
じいりました。もちろん、250年 という歳月を感じさせないほど、美しく塗り直され、手入れが行き届いていました。
この町にやってきたときバスで通った、メインストリートにでました。この通りはスゥエーデン最古のタウンストリートといわれる Staragaton です。この町
のインフォーメイション近くの路地を、湖の方に下りてゆくところに、「ブラウンおばさん」というカフェテリアがあります。入口にブラウンの田舎っぽい洋服
を着た等身大のおばさんの人形が、看板代わりに立っていました。白いブラウスに足首まであるふっくらとしたブラウンのスカート、ズキンと肩掛けもブラウン、
まるで戦時中の防空頭巾そのもの。
全体が昔の農家の造りそのものです。入口を入ったところ、庭の端に大きな銅製のヤカンがぶら下げてありました。両手でも持ちきれないほどの大きさですか
ら、これも看板代わりでしょう。
立木の繁った狭い裏庭の所々にテーブルを置き、テラスにしていました。屋内にも喫茶店なみのテーブルセッティングはしてありますが、誰一人いません。皆
屋外の樹のしたのテーブルについて、ゆっくりコーヒーを楽しんでいるようです・・・・というか、雰囲気を楽しんでいるようでした。
何度もここを訪れている木下さんと、現地のガイドの女性は、
「ここの手焼きのクッキーは、おいしいわよ」
と別注文の飲み物と一緒にとったクッキーを私たちにも勧めてくれました。100年あるいは200年も前の建物ですが、中を覗いてみると、きれいに塗り直された
白壁と1枚板の大きなテーブルの周りに木製の椅子が置かれ、テーブルの上にも窓辺にも花の鉢が飾られ、さっぱりとしたたたずまいです。
ゆったりと一時間を楽しみバスに戻ると、次の町ウップサラを目指しました。
・・・・・・・ 第十六回終わり ・・・・・・・
by Romanesque (Nifty-serve ID= HAC01341)
『北欧・・・・・・夏の名残に』 (17)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇ストックホルムからの小旅行(2)1995年 8月22日 天候:晴れ
★・・・・・・・ オールド・ウップサーラ ・・・・・・・★
メーラレン湖とは縁が深いようです。昨日、ストックホルムの西方にあるドロットニングホルム宮殿に行ったときも、宮殿はメーラレン湖の畔にありストックホルムから船
で(あいにく私たちが訪れたときは、オフシーズンのためか休航していましたが)出かけられますし、北の方にあるシグテューナもメーラレン湖畔のあるオールドタウンで
す。
地図でみますと、この大きな湖はあちこちに触手を伸ばしたアメーバーのよ うな形です。これも日本の湖沼と、氷河の後退期に形作られた北欧の湖沼群と
の違いでし
ょうか。
バスの停まっていたところから、すぐ近くにも、小規模ながらヨットハーバ ーがあり、白鳥のような小艇がもやってありました。
バスはシグテューナを出ると、暫く田園風景のただ中を走り、ウップサーラ の町を通り越して、なお北東に向かいます。
「先に、旧ウップサーラで昼食をとります」
とのことでした。
旧ウップサーラ(ガムラ・ウップサーラ)までは、10分ほどで到着。バスの停まったところからは、並んだ三つの古墳が見えています。高さはあまり有りませんが、なだらか
に築かれた小山は優美に裾をひろげて、3基の古墳がまるで京都の双ケ丘の一の丘、二の丘、三の丘・・・・風に連なっていました。
西暦500年代、600年代の王族の古墳とかで、三つ並んだ真ん中が父 AUN、そ の東・・・・つまり、バスプールからやって来て右の方に見えるのが、子 Egil、 左手が 孫
Adils の墳墓といわれています。日本の古墳は建造当時から、樹々 を植え込んでいたか、どうかは知りませんが、今、私たちの見ることのできる古墳、陵墓の大部分は堀
をめぐらし、鬱蒼とした樹々に覆われ ています。が、ガムラ・ウップサーラの古墳は、芝のような短い草には覆われているものの、 樹一本なく、丸裸。で、余計になだらかな、
柔らかい印象なのでしょう。
ここガムラ・ウップサーラは、農村そのもので、他に見るべきものも有るよ うに思えませんが、四世紀から六世紀にかけては政治と宗教の中心地だった所 だそうです。
私たちは、三人の王の墓のすぐ隣にある「ODINSBORG」というレストランで、
昼食を取る予定になっていました。王墓に隣あった小高い丘の上に、松などの樹々に包ま
れた ODINSBORG は、こんな辺鄙な所に似合わず、2階建てのレスト ラン。
二階への階段の踊り場に、北欧の伝説に欠かせない妖精トローンが、木こり
のような服装で髭もじゃらの姿で、私たちを迎えてくれました(等身大の人形) 昼食の席に
つくとすぐ、木村さんが、
|
「ここの名物は、伝統的なスゥエーデン料理のミートボールですが、この地 方独特のビールも、よろしかったら飲んでみて下さい。蜂蜜入りの変わっ
た味のビー |
と説明してくれます。
昼食のメニュー 前菜 ニシンのサンドイッチ何処であったか忘れましたが、凄く塩っぱいニシンを食べた記憶があって、恐る恐る食べてみると
案外マロヤカな味でした。
メイン ミートボール
スゥエーデンの伝統的な家庭料理ということでしたが、特に変わった味とは感じませんでした。
デザート ダイオウのパイ
大王とは古墳の王に因んだネーミングでしょうが 普通のアップルパイ
サテ、蜂蜜入りのビールとは?・・・・実は、私は下戸で飲みませんでしたが、飲んべえたちの印象では、ちょっと甘い感じがするビールと言うだけのビール
だったようですが、
ジョッキが牛の角製で、口には銀製の輪が嵌められています。沖縄でしたか、円錐形の底に穴が開いた杯で、飲み干さないとテーブルに 置けないものがありますね。あれと同
じで角の形ではカラにしないと、置くこ とも出来ません。酒豪だった(?)ヴァイキングたちの発想でしょうかね。
昼食を終わるとバスに戻って、いよいよウップサーラへ出発です。スキーシーズンに、小林典雄さんがヨーロッパ各地のスキー場情報をアップされていま したが、その情報ソ
ースがインターネットを通して、ウプサラ大学のWWWから採っていたと記憶していますが、そのウプサラです。どんな所なのでしょう か。楽しみです。
・・・・・・・ 第十七回おわり・・・・・・・
『北欧・・・・・・夏の名残に』 (18)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
★・・・・・・・ ウップサーラにて・・・・・・・★
ガムラ・ウップサーラを 12:50に出発して、半時間、元来た道をたどり 13:20にウップサーラに到着。一番に目につくランドマークは、やはり北欧で一番の高さ(120m) をもつ大
聖堂の尖塔でした。見学は先ずこの大聖堂から。聖堂前の広場はそう狭くもないのですが、ファサードから仰ぎ見る大聖堂の尖塔が、余りに高いので、同行者たちは全景を撮
ろうと必死になっても、中々納まらないようです。私は16mmの交換レンズを出すまでもなく、24mmで下から尖塔までフイルムに収めることが出来ました。
●リンネ博物館
初めに案内されたのは、街道からちょっと入ったところの、静かな通りに面したリンネ博物館。塀の門を入ると、クルマが何台か停められている広場で、その向こうが植物園
になっていました。リンネ博士は21歳の折りにウップサーラ大学に医学生として来て以来、植物学の研究に没頭し、1741年に植物学の教授となり、植物の分類学の基礎を確立。
1778年に亡くなりましたが、彼の住んでいたところが博物館として公開されています。私たちは館内には入りませんでしたが、1300種の植物が栽培されているという庭園を見て
廻りました。八月下旬で草花の少ない時期で、庭園の面積も余り広くないので、余り見栄えがしません。
その上、あいにく私は植物、草花に詳しくないので、評価のしようがありませんでした。今や金満ニッポンでは、観光資源になる贅沢な水族館やフラワーガーデンがあちこちに
雨後の竹の子のように出来ていますので、狭いところに沢山、雑然と植えられている植物庭園は、感心しようも有りません。 まあ、言えば知識の貧弱な私にとって「ブタに真珠」
の類でしょう。(^^;;;
●大聖堂
ウップサーラは六世紀からの古都で、ヴゥイキングが信奉した神々を追放しキリスト教が進出して以来、ここを中心としたウプランドに集まり住んだスゥエーデン人発祥の地と
されています。大司教区が置かれ、この大聖堂も 150年の歳月を費やして1435年に完成、献堂されたものです。
しかし当時は大司教区が創設されて以来、カソリックが信奉されていましたが、16世紀の宗教改革の嵐が吹き荒れた時代は閉鎖されていたといいます。
今、ここに到着して、下から見上げている大聖堂のファサードのエントランスは、両脇に聳えている煉瓦造りと堂々とした四角い塔のあいだにあり、大きな尖頭アーチ、その上
のバラ窓、四角い塔の上に聳えている青銅の尖った小屋根がシンメトリックな姿で、威厳を表していました。
十字交差部にも、青銅の尖塔が鋭く点を指しています。
しかし折角、完成した青銅も1702年の火災で焼け落ち、1880年の大改修で現在の姿になったといいます。
内部は、リブアーチにも壁面にも、白色あるいは彩色ストッコ装飾が施された豪華な造りですが、一際目につくのは、16世紀の英雄グスタフ・ヴァーサ王と二人の王妃、息子
たち夫妻の眠る石棺でしょう。四方に先のやや細くなったオベリスク形の柱を立てた大理石の台の上に横たわる、グスタフ王と王妃の彫像。足元には天使が群れ、台の足元
側にはグスタフ王の事蹟を讃えた文章が刻まれているようです。他に、四隅に濃い茶褐色の円柱を建てた台にも、息子夫妻らしい彫像が横たわっていますし、もう一つの祭壇
にも、柱の無い台に金色の天使像のリレーフが刻まれ、上にグスタフ王の一族が眠っていました。
●フップサーラ大学本館
次に向かったのは、ウップサーラ大学の本館。大聖堂から道を隔てて向かい側、ほんの近くにありました。目と鼻の先といった感じです。道から少し入って
グスタヴィアヌム
(Gustavianum)の建物の横を行くと、芝生の広場があり、真ん中に銅像が立っていました。大学の創設者の像(?)あるいは、1887年まで大学本部だったグスタヴイアヌムを建
てた国王グスタヴス・アドルフスの像(?)でしょうか。写真に夢中になっていて、ガイドさんの説明を聞きのがしました。
現在の大学本部は、僅か高いところにネオクラシックの堂々とした建物に変わっています。
グスタヴィアヌムは1663年の建造で、現在、解剖学の講義室、古代エジプトの遺産を展示する博物館、北欧の遺産を展示する博物館等になっています。
八月下旬の今は夏休みの最中でしょう、ほとんど学生の姿は見かけません。堂々とした現在の本館の中に入ると、大きな広間。大理石をふんだんに使用した重厚な広間は、
私たち以外に人影のない分、中を満たしている空気が、創立芋史の重みを感じさせます。得体の知れない圧迫感とでも言いましょうか。
ところで、ウップサーラの大聖堂と大学とは、本当に目と鼻の先です。スゥエーデンにキリスト教が入ってきたのち、ここウップサーラに大司教区が置かれましたが、1273年に
大司教はウップサーラに移り、1435年に巨大なゴシック様式の大聖堂が建造され、時の大司教ヤコブ・ウルフソンの後押しによって、1477年にウップサーラ大学が設立された
という経過。いきおい大学は教会の支配下にありましたが、宗教改革により大聖堂は閉鎖され、後押しされていた大学も目立った活動も有りませんでしたが、18世紀に植物学
者リンネが出て、スウェーデンの学問の中枢となったと、ガイドブックに紹介されています。
大学は創立時には、神学、法律、哲学、医学の4学部でしたが、現在ではそれに薬学、人文、社会、理学が加わり、多数の研究所も設立され、堂々とした総合大学になって
います。また、1901年にノーベル賞が創設されて以来、スウェーデン人の受賞者19名中、7名がウップサーラ大学の教授だそうです。
大学本部を出て、ウップサーラ城に向かいましたが、本部前の芝生の広場の小径のあちこちに、妙な石碑が立っています。そのいずれにも、古代文字のような模様が刻ま
れていました。二世紀頃を起源とする「ルーン文字」というものらしいのですが、いかなる民族に関係が有るのでしょうか?
TBSブリタニカによると、初期青銅期時代(前1500年以降)の「岩石の彫刻に太陽崇拝や豊穣を祈る儀礼があった」そうですし、似ているような感じもします。文字の起源につ
いても同書では、地中海周辺に起こった文明と黄河・揚子江流域に起こった古代中国についてしか記述がありません。
●ウップサーラ城
次に案内されたのは、ウップサーラ大学からはすぐ近くの丘の上にありました。一口に「城」といっても、外敵の襲来に備えたゴツゴツとした石を積み上げた城砦から、華麗な
フランス式庭園をそなえた城館までいろいろ有ります。が、ウップサーラ城は丘の上に位置し、大砲を周辺に向けた城砦の色合いが濃いものです。この城は1540年代にグスタ
フ・ヴァーサ王(スウェーデンでは、あちこちでヴァーサ王の名前に出くわしますね)によって建造され、1757年に現在の姿に改修されたといいます。
このあたりのスウェーデンは、見渡すかぎり平坦な風景が広がり、城からの眺めは遠くまで見通せそうです。城の正面には美しく刈り込まれた庭園の彼方に小さな離宮のよ
うな建物が、鬱蒼とした樹々に囲まれて見えます。植物園だとか、宮殿付属の庭園だとか、ガイドブックにより違っています。北の方に廻ると、先程、見学した大青銅の二つの
尖塔がランドマークのように聳えていました。
この城は現在、ウップランド地方の知事公邸として使用されており、もと国連の事務総長として活躍されたハマーショルド氏もこの町の出身といいます。
私たちが歩いた限りでは、そう大きな都市とも感じられませんでしたが、これでも人口が20万を越えるスウェーデン第三の都市であり、またイタリアのボローニャ、パリと並ぶ
世界最古の大学都市だと聞いては、古都京都の住む私もヘェーッと感心せざるを得ませんでした。
・・・・・・・・・・これにてウップサーラの見学は終わりました。再びバスに揺られて、ストックホルムへの帰途に着きます。でわまた。
・・・・・・・第十八回おわり・・・・・・・
『北欧・・・・・・夏の名残に』 (19)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇再びストックホルムの街にて 1995年 8月22日 天候:晴れ
★・・・・・・・・ 夕暮れの街にて ・・・・・・・・★
14時40分、ウップサーラを出発して一路田園風景の中を走り、ストックホルムの市街に入ったのは、もう午後四時前でした。
市内に入ったとき、
「皆さん、お買い物もあるでしょうから、ご希望の方はお買い物に便利なセルゲルス広場で降りて頂きます。帰り道は分かりやすいところなので、多分、大丈夫だと思います。
お疲れの方は、このままバスに乗っていただければホテルまで参ります」
と添乗員の木村さん。
で・・・・NK(エヌコー)デパートや商店街に便利な地点、セルゲル広場で全員下車し、木村さんにホテルへの帰り道の目印や、ショッピング・ポイントの説明を聞いて、全員、
喜々としてという感じで散って行きました。私たちのグループの平均年齢は約60歳というところでしょうか。また、海外旅行経験の平均回数は15回から20回というベテラン揃い
なので、誰一人として心細さそうな顔をした人はいません。
ガムラ・ウップサラのレストランで、ハチミツ入りのビールを牛の角製ジョツキで飲み、すっかりそのジョッキが気に入ってしまったH氏は、ぜひ牛角製のジョッキを買うんだ、
と張り切って街角に姿を消しました。
私はヨーロッパに出たときには、教会建築、美術の氾濫にいささか疲れたときには、マーケットを覗いたり、デパート、スーパーなどをゆっくり歩き回って、その土地の人々の
常に使っているもの、食べている物を見ることにしています。
どこへという当てどはなかったのですが、木村さんの説明に出たNKデパートに先ず行ってみようと歩き出しました。
下車したセルゲル広場という所は、第一印象として、ひところの新宿や渋谷あるいは池袋などの「副都心」のように感じました。高さの揃ったビルに囲まれた広場は、相当に
広い面積。中央にヨーロッパで良く見る彫像ではなくて、高い、モダーンな柱状のものが立っている噴水があり、道にまよったときにはいい目印になるなあと思いました。
NKデパートは、外見上とくに変わったところはない、海外の大都市ではごく普通の大きなデパートでした。建物の真ん中にある吹き抜けの周りを、七階から眺め下ろしますと、
かなりの広さのアトリウムの周囲に作られた回廊が、一つの街角をなしているように眺められました。
メンズの衣料品売り場、台所用品や雑貨売り場などを冷やかしながら、エスカレーターで最上階まで登ってから、何も買わずに外に出ました。
この界隈では、二つ私の好奇心を刺激するものに出会っています。
一つは、広場の街角の一角に、3メートル四方のショーウインドウのような四面ガラス張りの建物があり、短パンを穿いて大きくあぐらをかいた少女のブロンズ像が、真ん中
に鎮座しています。なかなか端正な容貌で、上半身ははだか。乳房はなくポッチリとした乳首が、やや脹らみかけているという年頃。誰か地元の有名な彫刻家の作品でしょうか。
もう一つは、周りの街路から一段低くなった広場で、片側2面は広場へ降りるための石段か、時によっては中央で行われるイベントの観覧席のようにも見えます。対する面
は、街路の下に続く広い通路になっているようです。地下鉄駅への通路のようにみえます。それよりも、私の目をひいたのは、広場のフロアの模様です。濃いブルーグレイと白
の石を組み合わせて、ウロコ模様になっていました。それが北欧らしいのか、なにかスウェーデンの特徴が伺われるのかわかりません。しかし、他では見られない空間造形、
都市風景を作っているように感じられました。
カメラを肩に、ぶらぶら歩きもそろそろ疲れてきたので、歩行者天国になっているドロットニングガータンをホテルの方向に歩き出しました。買い物をするつもりはないので、
ウインドウ・ショッピングもいい加減。途中、ビルの前で、ギターを抱えてロシア民謡を歌っている男がいたので、少しの時間、歩を止めて聞いていました。誰一人立ち止まる人
がいないのに、俯き加減でギターを掻き鳴らして歌っています。よく聞くと「モスクワ郊外の夕べ」。
ショスタコーヴィッチの「森の歌」を日本で初演した紫明混声合唱団にいた頃は、よく、ロシア民謡も歌っていたものでした。聞いているうちに、胸の中深くしまっていたあの頃
・・・・昭和三十年代の青春の日々が突然蘇ってきて、思わず傍らで一緒に歌っていました。
ソヴィエト崩壊後の、彼の辿ってきた時間が思いやられて、小銭をギターケースの中に投げ入れ、ド・スヴィダーニャと挨拶して、立ち去りました。
国会議事堂の石のアーチを二つ潜り、ストーラニィガータンに出て、あちこちの路地を出たり、元に戻ったりしながら、ストックホルム・スカンディック・ホテルに帰り着いたの
は午後六時過ぎ。
いったん部屋に戻ったあと、カバンは部屋に置き、カメラ一台だけぶらさげてホテルの周辺の散策。
夕食は午後七時、ホテルのレストラン「CAMLA KEN」にて。
前 菜 ちしゃ、カリカリに焼いたベーコン、リンゴのサラダ
メイン 川魚のピカタ、サンドマメ、ライス添え
デザート チョコレート・ムース
コーヒー
アップル・ジュース
・・・・・・・・第十九回おわり・・・・・・・・
『北欧・・・・・・夏の名残に』 (20)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇ストックホルムから旅立ちの朝 1995年 8月23日 天候:快晴
☆・・・・・・・・・・ 大聖堂 ・・・・・・・・・・☆
今日は、13日間の旅行日程の五日目。北欧2カ国目のスゥエーデンから3番目のノールウェイに移動する日です。航空機の搭乗予定の12時40分までには、かなりゆとりが
あるので、例によって木村さんから、
「もし、よろしかったら徒歩で大聖堂の見学に行きませんか」とのお誘いがかかりました。もちろん、全員が希望。
ヘルシンキ以来、もう五日間も快晴が続いています。日本にいた頃から通算すると三週間、晴れっ放し・・・・ということになります。せっかく旅に出て、毎日、毎日がぐずつい
ていればうっとうしいもので、天候に恵まれるということは快適な旅の必須条件でしょうが、氷河期からの岩盤に覆われ、表土の薄い北欧の国々では、小雨の影響はいかが
なものでしょう。
昨日、ストックホルムからの小旅行で、北郊のシグテューナ、ガムラ・ウップサラから大学都市ウップサラと廻り、農村風景の中をバスで走ってきましたが、今年の作物の出
来はあまりいいとは言えないそうですし、通りすがりの見た田園、森林の樹々は続く渇水で、心なしか葉の色が変わりかけているようにも見えました。北欧諸国は農産物の大
部分を、ヨーロッパ始め世界各地からの輸入に頼っているそうですが、やはり度を越えた小雨は影響があると思います。
九時にホテルのロビーに集合した私たちは、ガムラスタンのほぼ中央を南北に走っている細い通りを、王宮ま近くにある大聖堂に向かいました。昨日歩いたメインストリート
から一筋はずれただけで、観光とは縁の薄い生活道路の臭いがしてきます。私の泊まった部屋からも良く眺められた尖塔のあるドイツ教会を通り過ぎ、証券取引所のあるス
トール広場を越えて、大聖堂の前までやって来ましたが、まだ時間が早く、扉は閉まったままです(9時30分開扉)。
ここはストックホルム最古の教会で、何度となく増改築が繰り返されてきて現在の姿になったそうですが、最も古い部分は13世紀中頃のもの。歴代のスゥエーデンの王たち
は、ここで洗礼を受け、戴冠式を催し、結婚式を挙げたということ。やはり大したものらしいです。現国王のグスタフ16世とシルビア王妃との結婚式も、1976年にここで執り行
われたそうです。
ファサードの眺めは、何気ないものでしたが、一歩中に入ると流石、美々しさ、荘厳さはたいしたもの。柱から天井に至る肋骨窮窿(リブヴォールト)は身廊真ん中のカマボコ
型天井で、装飾的な模様を作っています。アプシスの祭壇のうしろのバラ窓には、両手を広げたキリスト(「荘厳のキリスト」あるいは「栄光のキリスト」という印象)が中心の円
にあり、周囲の12の小円には十二使徒らしい肖像があります(違っているかも知れません。なにしろ高いところにあるもので (^^;;; )
「悪龍を退治する聖ジョージ像」は、この大聖堂の一番の見物とかで、しっかりと眺めました。甲冑に身をかため、剣を振り上げたセント・ジョージの騎った馬の両脚は、仰向
きに倒れた悪龍を一挙に踏みつぶそうとしています。愛馬につけた鞍や装具もきらびやかです。足元には悪龍の犠牲になった人々の倒れた姿や髑髏が転がっています。
王冠をかたどった天蓋や、天使を散りばめた説教壇もキンキラキン。民衆を畏怖させ、進行させるための道具だてでしょうか。文盲の多かった中世では、こうした図像、彫刻、
荘厳さを演出するための装飾が大事だったのでしょう。
・・・・・・・・ 第二十回おわり ・・・・・・・・
01752/01768 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・・夏の名残に」(21)
( 4) 95/10/29 11:33
『北欧・・・・・・・夏の名残に』 (21)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇三番目の国、ノールウェイの首都オスロへ 1995年 8月23日 天候:晴れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆・・・・オスロへの空の旅・・・・☆
いったんホテルに帰ってチェックアウト。バスで空港に向かうことになりました。
「今日の昼食は松花堂弁当です」
と木村さん。私自身はイッタン日本を離れると、全くと言っていいほど日本食にはこだわりません。それよりも、日本では味わえない本格的なそれぞれの国
の味覚のほうに期待する方です。
しかし、久しぶりの日本食も「悪くないなぁ」とは思い、「ただの日本食ではない。松花堂弁当とは、どんなものだろう」と期待していました。始めは、
どこかの日本食レストランで食べるのだろう、と考えていましたら何と、文字通りの弁当を木村さんがバスに積み込んでいるではありませんか。松花堂とく
れば、中が四つに仕切られた漆塗りのお重・・・・と想像しますね。
ところが、ストックホルムのアーランダ空港(なんだか、オウムのホーリーネームのような名前ですね)にバスで到着すると、トランクの積み下ろしと、
ポリのゴミ袋に入れた弁当と味噌汁を慎重に下ろして、運ばねばなりません。
お節介にも、弁当の運搬とみんなへの配分を手伝ったのはいいのですが、袋を開いてみると、ホカホカ弁当並みのペラペラな弁当箱。おまけに運搬したの
がゴミ袋入りときては、中身が偏ったり、ひっくり帰っていて「開けてびっくり玉手箱」状態です。
私の分を開いてみると、仕切りによって区分されていた中身が、ゴチャゴチャに入り混じり、とうてい松花堂弁当の趣じゃあなく、どこかに捨てられかか
った残飯同様になっていました。
「飛行機の乗ってからでも、待合室ででも食べてください」との木村さんのご託宣ですが、これじゃあ恥ずかしくて機内で開く気がしません。みんなもロビ
ーで食べ始めましたので、私も残飯同然の弁当に取りかかりました。もう、皆もすっかり諦め顔で弁当の処分に取りかかっています。
これも、気のものでしょうね。松花堂どころか、日本食の弁当を食べているという気分は失せてしまいました。
アーランダ空港 12時40分発 AY-793便
オスロ・フォーネブ空港 13時40分着
東京ー大阪間と大体同じ、約1時間のフライトで到着しました。
☆・・・オスロ市内観光(1)・・・☆
到着するとすぐ、市内観光。オスロには一泊しかしない予定なので、観光は残念ながら、これから夕方までの時間だけとなります。関西国際空港で出発直
前に貰った資料でも、予定では、
オスロ市内観光
ヴイキング船博物館
フログネル公園
としか、書いて有りませんでした。しかし、何時でもオマケのように、時間の許す範囲でいろいろな場所に連れていってくれるので、オスロでも予定外のど
んな所に案内してくれるのか楽しみです。
●フォルメンコーレン
先ず訪れたのは、なだらかな小山の斜面に作られたフォルメナコーレンのオリンピックの会場にもなったジャンプ台でした。1952年に開催された冬季オリ
ンピックのジャンプ競技に使われた場所です。1892年以来、3月の日曜日に毎年催されるホルメンコーレン・ジャンプ大会で知られています。
最近こそスキーのノルディック競技で、日本勢がメキメキと頭角をあらわし、特にジャンプと距離が組み合わされた複合競技では、常勝の勢いですが、ノ
ルディックという言葉が表すように、かっては、スキーで飛翔し、山野林間を駆けめぐる競技として、ノールウェイでは国民的なスポーツとして世界に君臨し
ていたものです。
バスから降りて見上げると、なだらかな上昇曲線を優美に描いている90メートル級のジャンプ台が、青空に突き刺さるように伸びていました。海抜412mの
ところに、更に高く聳えています。
高さ 56mのエレベーターで展望台に登ると、眼下に滑走台が奈落に飛び込むような急角度で下に向かい、K点の下あたりは雪がないのでプールのように水
を湛えていました。下から見上げたときは、優美に見えたジャンプ台の曲線も上から眺めると怖いくらいです。札幌の大倉山のジャンプ台は何度か訪れまし
たが、樹々を背景とする斜面から発進するのと、何もない天空に突き出たジャンプ台の上から発進するのでは、感じ方がだいぶ違うのではないでしょうか。
下に降りてスキー博物館をざっと眺めたあと、バスでちょっと走り、愛犬を
伴った国王オーラフ五世の銅像を見てから、次に向かいました。
・・・・・・・・第二十一回おわり・・・・・・・・
by Romanesque (NIFTY-serve ID= HAC01341)
01769/01769 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・・夏の名残に」(22)
( 4) 95/10/31 10:25
『北欧・・・・・・・・夏の名残に』 (22)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇三番目の国、ノルウエイの首都オスロにて 1995年 8月23日 天候:晴れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆・・・・オスロ市内観光(2)・・・・☆
●フログネル公園
フォルメンコーレンからバスに乗って着いたところは、緑の森の中にぽっかり開けた空間。遠くの方には、中央にオベリスクのような高いモニュメントを
聳えさせた一角が眺められます。
そうです。ここが一度は訪れたかったヴィーゲランの彫像で構成された「フログネル公園でした。もう亡くなって15年ほどの歳月が流れましたが、知人の
染織工芸家M氏が三度目の訪欧に北欧旅行を選び、帰ってきたM氏から見せてもらった写真にこのフログネル公園があり、ヴィーゲランの彫像の印象が強烈
だったからです。
バスの停まったところから、幅の広い、ゆるやかな石段を降りてゆきますと、まず四角い広場の中央に、人体がリング状に連なったモニュメントがありまし
た。「人生の輪」と言われているそうですが、なにしろ制作者のグスタフ・ヴィーゲランが自身の作品についての解説を一切拒否していたと言いますから、
「人生の輪」も関係者が勝手に付けた呼び名かも知れません。私は直観的に、「輪廻」という言葉が脳裏に浮かび上がってきました。
ガイドブックによると、私たちは専用バスで来たので駐車の都合で、反対側からアプローチしたようです。「人生の輪」の前で、現地ガイドの女性からグ
スタフ・ヴィーゲランについて、およびこの彫刻公園の成り立ちについて説明を受けたあと、思い思いに見学に散って行きました。
アドルフ・グスタフ・ヴィーゲラン(Adolf Gustav Vigelant)
1869〜1943 については、私の持っているガイドブックにも、詳しいことは記述されていません。ブリタニカ国際大百科事典にもヴィーゲランの項
目はありませんし、三省堂のコンサイス外国人名事典の記述も、「ノルウエイの彫刻家。ロダンとゴシックの影響を受ける。オスロのフログネル公園に
は、半世紀にわたって制作した 150点以上の「記念噴水像群がある。
・・・・と、素っ気ない四行だけ。
1921年、ヴィーゲランの全作品の所有権を得たオスロ市は、かねてからのヴィーゲランの作品構想を知り、その計画に必要な敷地と材料を彼に提供し、準
備した・・・・ということです。
いま私の眼前に広がる広大な眺めは、敷地面積32万3700平方メートルもあるとてつもない広さであり、ここに半生を捧げたヴィーゲランの作品数は 192点、
刻まれた人物像は 650体という大変な数です。
さて、「人生の輪」の位置から、三段になった石積みの壇の眺めは、まるで贅沢なぼち。中央にオベリスク然と立っている円柱は、Monolitten「モノリッ
テン」と呼ばれる、高さ17メートルの御影石に刻まれた 121人もの老若男女で構成されたもので、人の一生を13年の歳月をかけて作られたものです。
ヴィーゲランの創作のテーマ「人間の一生」のメインテーマでしょうか。
さて、基壇の上に上がってみますと、あるわ、あるわ。父母に慈しまれている乳児から始まって、やがて兄弟が生まれ、兄弟が増え、少年・少女期の仲間
たちの群像、青春時代、やがて結婚して子供を産み、老いた父母を養い、自分自身も中年から老年期に差しかかって行く・・・・その一生を御影石に刻んだ群像
がモノリッテンの周囲の台上に刻まれ、私たちに無言で人生の意味を考えなさいと提示されているように見えました。
人物の彫像といえば、大多数が一人の人物が多いように思う(私の偏見かも知れませんが)が、モノリッテン及び周辺に配置されたたくさんの彫像は、人
数はいろいろながら、全部、群像として表現されていることです。その姿態は日常生活のある一瞬を切り取って表現したように、さまざまな形で動きを感じ
させる群像だと感じました。
中央軸の大きな門と、小さな門が幾つかあり、それぞれに鋳鉄の枠の中に、柔らかい線でテーマに沿った老若男女の群像(小さな門扉は一人の像)が、模
様になっています。私の好みとしては、御影石の群像はそれなりの迫力はあるものの、門扉の人物像の方が、描線が際立っていて好きです。
また、門扉の人物像の彼方に、緑の多い、広い風景が透けて見えるのも新鮮な感じがしました。こうした建築装飾の鉄細工は、ロンドンのバッキンガム宮
殿の門扉装飾や、ドイツ語圏内の各地で見られる見事な絵看板、宮殿の垣などでいろいろと見ましたが、ここフログネル公園に勝るものはないような気がし
ます。
再びモノリッテンの有る壇から、石段を降りると(つまり逆コースなので、正面の入口の方に近づくと)、噴水を囲んでいる基壇の周りには、レリーフで
刻んだ「人間の一生」が有りました。同じモチーフで制作されたレリーフながら、こちらの方が老衰や病に侵されて死期を迎えている人々の表現、葬られて
骸骨と化し、さらに多くの時間が経過して骸骨さえも散乱してしまっている状況がきわめてリアルで、ゾッとします。しかし、ここでは死と生が繋がってい
て輪廻転生が示唆されている分、救いがあるかも知れません。ヴィーゲランの制作意図あるいは本音はいかがだったのでしょうね。
噴水の周りにも、樹と人体が渾然とした彫刻がありました。噴水からは正面入口に向かう広い道があり、道の両側には、今度は群像でなく、一体一体の彫
像が立っています。その中にはフログネル公園のランドマークのような1体の子供の像がありました。何が不満なのか地団太を踏んでいる少年像です。
もっとゆっくり一体一体を眺めたかったのですが、晴天に恵まれた今回の旅で、初めての雨が降り出しました。こぬか雨だろうと多寡をくくっていると、
ついに本格的な雨となり、正門脇の建物に逃げ込む羽目に。
小降りになったところで、私たちを待っていたバスに乗り込み、次の目的地ヴァイキング船博物館に向かいました。
・・・・・・・・第二十二回おわり・・・・・・・
(つづく) by Romanesque (NIFTY-serve ID= HAC01341)
- FWORLDA MES( 4):【ヨーロッパクラブ本館】 (欧州全般) 95/11/01 -
01777/01777 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」 (23)
( 4) 95/11/01 15:22
『北欧・・・・・・・夏の名残に』 (23)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇三番目の国、ノルウエイの首都オスロにて 1995年 8月2日:天候 曇り
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆・・・・・・・オスロ市内観光(3)・・・・・・・・☆
●ヴァイキング船博物館
北欧、と言えばヴァイキング。まるで呪文かキーワードのように頭に浮かんできますね。ストックホルムでもヴァーサ王に因んだ名前のヴァイキング船が
発掘されて博物館に展示されているところを見ましたし、今度はズバリ、ヴァイキング船博物館です。
農業資源に乏しく、魚介類以外の食料は温暖な他国に求めなければならない北欧の諸国としては、漁労のためにも、食料の交易乃至は資源を得るための道
を求めるについても、海洋民族になるしか無かったのだと思います。
ガイドさんの話では、フィンランドはウラル山脈のあたりまで、主としてロシア方面に進出し、スウェーデンは黒海沿岸へ、ノールウエイのヴァイキング
たちは、英国、フランスから、ずっと南のスペインあるいは地中海沿岸まで漕ぎ出して行ったとのことです。
ヴァイキング船博物館は、オスロの中心からすると、オスロフィヨルドの奥手に入り込んでいるフログネル湾を挟んだ位置に有るビグドイ半島にあります。
博物館というと、大きな石積みの建物を想像しますが、少し大きめの平屋のような建物でした。ストックホルムで見たヴァーサ号博物館は、17世紀に建造さ
れた王様の名を冠した堂々とした戦艦だったので、細かい装飾が施され、船首の飾りも見事でした。
しかしオスロで見るヴァイキング船は、九世紀の建造とあって、この八百年の歳月の差は大きなもの。中央に安置された船体のオーセバルグ号は、一番大
きな船体でしたが、見たところ手漕ぎのボートの巨大なもの、という印象。船首と船尾の大きく反った、黒光りのする船体には何も装飾らしいものは見当た
りません。35人の漕ぎ手と帆を使って、外洋に漕ぎ出し、沿岸諸国の人々を恐れさせた、ということが、まるでウソのようでした。
このオーセバルグ号は、50年ほど使用されたあと、ある婦人を埋葬するための棺として使われたとのことです。
博物館はまるで教会の建物のように、十字形の構造になっていて、奥の中央に一番大きなオーセバルグ号が置かれ、教会なら翼廊にあたる場所に、あとの
2艘が置かれています。
その1艘、ゴクスタ号はやや小振りで32人の漕ぎ手で航海したもの。 やはり棺桶として使用されたもの。もう1艘のトゥーネ号は船首、船尾とも腐敗がひ
どく、船底の部分だけが辛うじて残っていました。
私たちが、西洋風のコース料理に対し、ビュッフェ・スタイルの料理をヴァイキングと呼びならわしていますが、フィンランドでは「ヴォイレイパポイタ」
スゥエーデンでは「スメールゴースブード」と呼んでいます。ノールウエイでは「コールドボード」または「スモーガスボード」です。
食料事情の厳しかった北欧では、燻製や塩漬けなどで大切な食料の保存に気を使っていたのでしょうね。今ではレストランのヴァイキング料理では、ホッ
トミートなども出ますが、昔は貯蔵してあった冷たい食料を出してきてテーブルに並べ、つつきあって食べたのではないか、と想像します。
話は食べ物の方に逸れてしまいましたが、北海、大西洋、地中海の沿岸諸国の人々が恐れた海賊ヴァイキングも、食糧を確保するための北欧の人々の必死
の営みだったに違いありません。ある時は交易の商人として、あるときは飢えに迫られて海賊に変身したのでしょう。
フランスのノルマンディーにノルマン人の名を留め、やがてはコロンブスよりも早くアメリカ大陸まで足跡を残した彼らの船が、前世紀に発掘されて、い
ま、私たちの眼前に黒い船体を見せているのです。
●コンチキ号博物館
学者の中には白い巨塔に閉じこもって、世間とは無関係のように研究に没頭するというタイプと、対照的にフィールドワークで何かを実証しようとするタ
イプがあり(・・・・と勝手に頭の中で決めつけていますが、中間タイプもいろいろあるでしょう)、はるかな有史以前に、中南米のインディオが筏を仕立てて
太平洋を渡ってポリネシアにたどり着いた、という仮説を確かめるための快挙(あるいは暴挙)のニュースが、世界の耳目を集めたことがありました。
その主人公が、動物学者トール・ヘイエルダール氏。彼と五人の仲間が、筏に乗って太平洋に漂い出したのが1947年。 ペルーから8000kmという気の遠くな
るような距離の大海原を、101日間かけて風任せ、海流まかせで船出をしたという壮挙でした。
途中いろいろアクシデントもあったようですが、どうやら仮説の可能性は実証できたようです。
そのコンチキ号が、でんと館内に居すわっていました。軽いバルサ材を組で大きな帆を張り、どこかの原住民の掘立て小屋を乗っけたような筏船が、窮
屈そうに館内に展示されています。
一隅には、その壮挙を示す写真や解説図版が並べられています。コンチキ号という名称は、日本人なら、お祭り囃子の「コンコンチキチキ、コンチキチキ」
がすぐ脳裏に浮かんできそうなネーミング。しかし、これはポリネシア語で、「太陽の息子」という意味らしいのです。ヨーロッパの人々には何を連想させ
るフレーズでしょうね。
また、コンチキ号とは別に、古代エジプトの紙に使われたパピルスという葦で組まれた「ラー2世号」も飾られていました。コンチキ号の成功ですっかり
有名になったヘイエルダール博士が、22年後の1969年にパピルスの葦船「ラー1世号」を作って、今度はエジプトのピラミッドとインカの石の文明に共通点
を探る目的で、モロッコから南米への文化の伝播道を漂ったということで進発したものの、5000kmの所でハリケーンに遭遇、あえなく難破してしまい、翌年
懲りずに「ラー2世号」で大航海に乗り出した・・・・という船です。
こちらは、筏船のコンチキ号に比べ、束ねたパピルスで作られた船体は、見た目にも優美に映ります。「アッ、日の丸だ!」と勘違いしそうなほど、帆の
ど真ん中に描かれた赤い丸・・・・それは、「RA」ラー・・・・つまり船名の太陽を表したものでした。
コンチキ号博物館を出ると、側にはヨットや、古風な帆船が係留されている小さな埠頭でした。フログネル湾ごしにオスロの中心街が眺められます。
・・・・・・・・第二十三回おわり・・・・・・・・ (つづく)
by Romanesque (NIFTY-serve ID= HAC01341)
- FWORLDA MES( 4):【ヨーロッパクラブ本館】 (欧州全般) 95/11/02 -
01816/01816 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」(24)
( 4) 95/11/04 15:04
『北欧・・・・・・・夏の名残に』 (24)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇オスロでのホテル 1995年 8月23日 天候:薄曇り
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
チェックインしたオスロでのホテルは、ツァーでは珍らしく市街の中心といって良いロケーションでした。西に行けば突き当たりが王宮、東に向かえば中
央駅・・・・というカール・ヨハンスガーテという大通りに面し、向かい側は国会議事堂。近くには国立劇場、国立美術館、歴史博物館、オスロ大学、オスロ大
聖堂・・・・といった塩梅です。こんないい所に、たった1泊とは、トホホホホ。
泊まることになったグランド・ホテルは、ノーベル賞の受賞者の宿泊するホテルとしても知られています。せめてムンク美術館もみた〜い、と思っても、
もう夕方だし、明日は真っ直ぐ北上してフィヨルドとなれば、泣いても、笑っても時間がありません(もう一度こなけりゃ)。
●歩行者天国の繁華街をお散歩
そろそろ歩き疲れて、脚が重くなっていましたが、せめて、この界隈なとみなけりゃと、部屋にトランクが運ばれてきたのを確認すると、カメラ片手に出
かけました
ホテルの向かいの歩道に4人の騎馬警官がいます。さつそく、こちらからパチリ、横断歩道を渡って、しつこくパチリ、パチリ。北欧の人々は背が高いの
で背筋を伸ばして、馬に跨がっている姿は粋ですね。
さて、左を見れば王宮、右手には繁華街。まあ時間があれば王宮へも行くことにして、繁華街から中央駅まで歩いてみることにしました。私が歩き出すと
間もなく、先程の騎馬警官も蹄の音をカツ、カツと鳴らしながら、悠然とパトロールを始めるではありませんか。
ワンブロックくらい歩くと、もう歩行者専用道路になっていて、交差点の真ん中まで観光客や野次馬の群がる中で、パフォーマンスをやっている男がいる
かと思えば、道端でひっそりと抱えたギターを弾いている、一昔のヒッピーめいた男もいます。
買う気もないのに、ブラブラとウインドウ・ショッピングしながら、幾つかのブロックを過ぎると、大聖堂の前に出ました。ノルウエイの国教のルター派
の大本山ということですが、創建は1699年に創建されて以来改装を重ね、創建当時のものは説教壇のみということです。現在の姿は19世紀半ばのもの。
残念ながら、時間が時間でしたので、内部の見学は出来ませんでした。境内にはカフェ・テラスのように、テーブルを並べてありましたので、夕暮れどき
のコーヒータイムでゆっくりしようと、入ってみました。
教会堂の横に、別棟らしいものがあり、コーヒーはそこで淹れているようで、しばらく待たされました。
大聖堂を出ると、オスロ中央駅までは僅かな道のり。大きな広場の正面に三階建ての黄色いビルがあり、中央駅かな、と思いましたが人々は隣の近代的な
全面ガラス張りの建物に向かっていきます。見るとOslo Sentralstasjon と建物の上部に表示がありました。黄色い建物は一昔前の駅舎でしょうか。
もと来た道をホテルまで引き返しましたが、もう、脚が棒。部屋に帰るとベッドに暫く倒れこんでいました。
●ホテルのダイニングルーム
私たちが泊まることになったこのグランド・ホテルは、1874年に開業したオスロでも最高の伝統の格式を誇るホテルで、近頃流行りのアメリカ式の豪華な
近代建築や最新式設備を持ったものではありませんが、雰囲気は最高です。屋数は 275室ですが、部屋もゆったりとしていました。前にも述べましたが、ノー
ベル賞の受賞者が宿泊するホテル。
七時にロビーに集合し夕食。このホテルのメイン・ダイニングルームは「グランド・カフェ」と呼ばれる有名なレストランで、ムンクなどのクリスチャニ
ャ・ボヘミアンと称される芸術家集団のメンバーの溜まり場だったということです。私たちは幸いにもこのホテルを有名にした壁画の前の席に案内され、ゆ
っくりムンクやイプセン等も登場人物として描かれている壁画を鑑賞する事が出来ました。
前菜 マリネとスモークサーモン
スープ コンソメ・スープ
メイン ビーフステーキ ベークド・ポテト、ハーブ・バター添え
デザート ケーキ
サア、明日からは、今回の旅行のメインステージ、ノルウエイのフィヨルドを四泊五日かけて廻る旅です。北緯62度までの旅は、かなり冷え込みそうです。
下着から換えて、フィヨルドの旅に備えましょう。
・・・・・・・第二十四回おわり・・・・・・・ (つづく)
by Romanesque (Nifty-serve ID= HAC01341)
- FWORLDA MES( 4):【ヨーロッパクラブ本館】 (欧州全般) 95/11/04 -
01930/01943 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」(25)
( 4) 95/11/13 15:27
『北欧・・・・・・・夏の名残に』 (25)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・by Romanesque
◇いよいよフィヨルドに向かって(1) 1995年 8月24日 天候:晴れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日のバスでの行程は、今回の旅行でも一番長いので、いつもより1時間の早発ち。モーニング・コールは6時30分で、ロビーに集合し8時には出発。
今朝の気温は20度と温かいのですが、はて?今夜の宿のある北緯62度近くのゲイランゲルでは、何度くらいになるのでしょうか。
予め、フィンランドの地図をコピーして、辿る道筋にマーカーペンで色付けして置きました。景色や道路標識で通った道を確認するためです。
市街を出外れてE18号からE16に分岐するあたりから、市街あるいは隣接する近郊地の風景から一変して、田園風景もしくは山野の風景になりました。こ
のあたりでは、山野といっても標高の高い山々の姿はなく、まだ低地と丘といっ眺めです。時々あらわれる林や木立には、ドイツ唐檜やトド松のような針葉
樹と樺の樹が混じったものです。
今年の日本は雨量が少な気味ですが、ここノルウェイでも降雨量が異常に少ないようで、広葉樹の葉の色づきが紅葉のためでなく、水分の不足で枯れかか
ったような色合いに見えました。
いくら精密な等高線が施された地図を見ても、地形は想像できても、風景までは見えてきません。樹林の色合い、下草のもよう、山の斜面に露出した土の
有り様、岩肌と植生、時々現れる家々の感じ・・・・などは実際目で見て、ああ、日本では見られない厳しい北国の風物だなあ、と感じるのです。
地図をひろげて見ると、スカンジナヴィア半島全体に、鋭い爪で引っ掻いた傷跡のようなフィヨルドや湖沼群が見られますね。フィヨルドの原型は河谷で
洪積世に氷河の浸食で深くえぐられて、海水の侵入を受けて形成されたそうですが、海と繋がっていない内陸の湖沼も同様にして出来たのでは、と思われま
す千切れた河川のように細長く散在しています。
●テュリーフィヨールド湖畔
オスロを出発して30分足らず過ぎ、高速道路のゲートを通り過ぎて暫くすると、初めての湖・・・・テュリーフィヨールデン湖が左手に見える畔に出ました。
ノールウェイで5番目の広さをもつ湖です。この湖は他の河のように細長い湖と違って地図ではHの字を膨らませた形をしているように、広い眺めでした。
湖を囲むなだらかに低い丘。ぽっかり浮かんでいる二つの島と突き出た半島も緑の樹々に覆われ、穏やかな感じです。旅行社の日程表には「荒涼とした地
方を走ります」と書いてありましたが、まだ、その入り口にも達していないのでしょう。
●スペリエン湖畔
右手にも小さい湖が現れ、HONEFOSSの町を通り過ぎた頃、やはり左にスペリエン湖が姿を見せました。ここは延々と続く河畔を走っている気分です。あま
り広葉樹はなく、ツンツンと梢を空に突き出している針葉樹ばかりの風景です。
スペリエン湖の北端にあるNESに、九時半ころ到着。ここで第一回のコーヒーブレイク。Veikroerというドライブインで休憩。今の天気は上々
ですが、昨夜にでも雨が降ったのでしょうか、駐車場のあたりには水たまりが出来ていました。周辺を歩いてみると、ナナカマドの実がほぼ真っ赤になり、
葉も幾分色づき始めています。
●バグナ渓谷
NESから更に北に向かいます。いままでの広々とした視野の中を走ってきたバスは、この辺りから左右を低い山に挟まれた地域になりました。NESか
らFAGERNESの間は、Bagna渓谷と呼ぶようです。
BAGNA通過 10時27分
AURDAL通過 10時40分
FAGERNESには11時ころ到着。ここで昼食の予定です。
●ファーガネス
あたりに町らしいものが何も見えません。大きなストランダフィヨールデン湖に面して、フカーガネス・ホテルというすばらしく大きなリゾートホテルが
建っていました。
ファサードは横に長い三角屋根の所々に切妻を配した4階建てのホテルで、植え込みの間の通路を入ってゆきますと、右手にハ゜ーキング、その奥に白い
ビーチパラソルの下に白いテーブルが並んだカフェ・テラス、ロビーを通り抜けて裏に出ますと、所々に立木のある広い芝生の庭。白い木の柵の向こうには
ストンダフィヨールド湖が陽光の光を反射して、まぶしく輝いていました。
11時からここで昼食の予定ですが、まだ十分時間に余裕が有りましたので、私たちの一行は思い思いに、その辺りを散策しています。ホテルの裏庭の湖岸
には小型の水上機がもやってありましたし、一隅には八角系の華やかな四阿(あずまや)もあります。窓という窓はゼラニウムで飾られ、あずまやの周囲に
は白いガーデンセットが置かれています。
岸辺から50メートルほど沖の小島には、白い木の橋で渡れるようになっています。湖水の中から勢い良く水を噴き上げている噴水も見えます。
リゾート・ホテルの道具建てとしては、何から何まで揃っているようでした。
昼食は、
スープ
ビーフステーキ ポテト・サラダ添え
デザート
という簡単なものでしたが、肉は柔らかく、スープの味も上等。でも、なによりも湖畔の眺めが素晴らしいもので、気分的にゆったり出来ました。
天気なので、だいぶ北上したにもかかわらず、気温は18度。風もなく快適なひととき。
「出発は12時ですから」
という木下さんの言葉に、食後も同行者たちは周辺のスーベニールショップを梯子して、しきりにみやげ物を物色していました。
●ロムまでの景色
ファーガネスを出ますと、ストランダフィヨールデン湖畔に沿って伸びているE16号線から右にそれて、51号線に入ってゆきました。バスの左右に幾つも
の湖水が過ぎて行きます。それぞれの湖水の蒼い色合いが、心なしか寒々とした気配を見せてきます。遠くの余り高くない山の所々に、残雪が現れてきまし
た。もう北緯61度は越えています。
Beitosto(:)len 13:10
Bygdin 13:35
Bygdinの近くでカメラストップ。左手に見えていたBygdin湖を通り過ぎたところで、右手にVinstri湖が遠く広がっています。周辺は
樹ひとつない岩山が聳え、いよいよ荒涼とした風景になってきました。右手の道端に30頭ばかりの山羊が放牧されています。何頭かの山羊が、バスから降り
立った私たちの方に近寄ってきましたが、大部分は「どうせ冷やかしだろう」という風にソッポを向いています。
14:15 レモンショー湖畔のドライブインでトイレ休憩。14:40 出発。51号線がVagavatn湖畔に沿って走るE15号に突き当たり左折、目指すロム
には、15時20分に到着しました。
・・・・・・・・ 第25回おわり ・・・・・・・・ (つづく)
by Romanesque (NIFTY-serve ID= HAC01341)
02015/02028 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」(26)
( 4) 95/11/19 12:08
『北欧・・・・・・・夏の名残に』 (26)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇いよいよフィヨルドに向かって(2) 1995年 8月24日 天候:晴れ→薄曇り
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●ロムにて・・・・・スターブ式教会
ロムにバスが到着する寸前から、今回の旅に出る前にガイドブックで見て いた、特徴のある形をした木造のスターブ教会を眼にとめていました。広い駐
車場には、もう季節外れなのか、駐車しているマイカーも数えるほどしか有り ません。教会の方に歩き出しましたが、丈の高い樹々のために下部が遮られて、
特徴のある屋根の上部の尖塔しか見えません。門に近づくにつれ、尖塔の真下 の三角の破風と重なった屋根が姿を現してきます。
折戸のような簡素な門をくぐって、初めて全景が見えました。第一印象は、 タイの寺院そっくりだなあ・・・・というもの。中に入る前に横手にも廻り、墓地
のあたりからも素朴な感じのする木造の教会を眺めてみました。一見してタイ の仏教寺院に似ているなあ、と改めて思ったのは、屋根の端々に、まるでシャ
チホコのように、鳥の嘴に似た飾りがついていたからでした(屋根の端が反り 返っているように見えたのは、鳥の嘴のような飾りのせいでした)。
内部は、ただ素朴、簡素としかいいようのないもの。イタリアの聖堂のよう な精緻、豪華な飾りは一切見当たらない・・・たが不思議に明るい雰囲気でした。
墓地には、もっと明るく・・・・光燦々。 ゆったりと配置された墓石の周辺は芝 生の新鮮な緑が敷きつめられ、色とりどりの花も供えられています。
ここロムのような木造のスターブ式教会は、かっては全国で三千カ所もあっ たそうですが、現存しているものはただの二百カ所とか。ここはどう見ても木
造二階建て、高い尖塔を入れてやっと三階。しかし、地方には五階建ての堂々 としたスターブ式教会も残っているとのことでした。
此処までの途中でも、道路脇の小さな家の屋根にぼうぼうと草が生い茂って いるのを見ましたが、ここロムでは大きな屋根にもいっぱい細い葉っぱの草が
繁っていました。
木村さんの説明によりますと、これは新築したときから屋根に草の種を播い て成育させたものだそうです。この辺りはもう北緯60度を越える極寒冷地、瓦
葺きでも気温の低下や、雨水に凍結などでひび割れするかも知れませんね。そ んな時でも草屋根では大丈夫なのでしょうか。または家屋の保温効果でもある
のでしょうか。
近頃は日本の茅葺き屋根でも、職人が少なくなり、また人手も集まらないの で、葺き替えの時が来るとカラートタンなどに代えてしまい、安っぽい農村風
景になってしまっています。・・・・そんな事を思い出してしまいました。
一応の見学を終えてまだ出発予定時間までに、課なり余裕がありましたので、 付近の散策に廻りました。スターブ式のロム教会の駐車場に入ってくるとき、
バスで渡った橋の下には、周辺の山々からの水を集めた流れが、かなりの激流になっています。
その流れの別な場所には、木造の趣のある橋が架かっていたりして、のんびり出来る村でした。
地図で見れば、もうすぐ今日の宿泊地、ゲイランゲルです。スカンジナビア観 光局で貰ったパンフレットで、今回の旅のメインのノルウエイについてまとめ
てみます。
■私のメモ
▼ノルウエイの国土
ノルウエイは、ヨーロッパ大陸の北に位置する北欧5カ国のひとつです。東はスウェーデン、フィンランド、ロシアと国境を接しており、西はノル
ウエイ海と大西洋に面しています。北はバレンツ海、南は北海です。
ノルウエイの総面積は 386,958平方キロメートル(日本は 372,312平方キロメートル)ですから、ほぼ同じくらいでしょうか。最近は埋め立てが
盛んですから、あるいはノルウエイを追い越しているかもしれませんけどね(^_^)
ノルウエイの国土は南北に細長く、30%以上は森林、河川、湖沼が占めています。国土の半分以上は山岳地帯です。
▼国民 人口は約400万人。約3万人がサーメまたはラップ人という少数民族です。サーメ人の大部分は北極圏に住んでいます。
▼首都 人口50万人のオスロ。
▼政治 議会制度にもとずく立憲君主制。現在はハーラル5世が元首。
▼経済 ノルウエイは世界でも有数の、国民所得の高い国。北海の海底油田、天然ガスが大きな経済基盤になっており、その他の主な産業は、水産
業、パルプ製紙業、木材、鉱業、製造業、海運業。
▼歴史 九世紀には、広範な地域にわたって小規模ないくつもの集落が徐々に形成されました。西暦 900年頃、ハーラル美髪王が国を統一して最
初の統治者になりました。中世においては、ノルウエイのヴァイキングがイングランド、フランス、アイルランド、アイスランドなどの地
に植民しました。
1380年から1814年の間、ノルウエイとデンマークは一つの王国を形造っていましたが、1814年、ナポレオン戦争の後に、ノルウエイは独
自の憲法を採択し、スウェデンとの連合に踏み切りました。
1905年、ノルウエイとスウェーデンは平和裡に連合を解消し、ノルウエイは再び独立国となり、今日に至っています。
お復習いはここまで、再びバスに戻り、ゲイランゲルに向けて出発。天気さ え許せば、ゲイランゲル・フィヨルドの絶好のビューポイント、ダルスニッパ
の展望台に立ち寄る予定です。
ただ気掛かりは、今日まで六日間、お天気つづきでしたのに、ロムに着いた あたりからそろそろ雲が厚くなってきており、ダルスニッパまでお天気がもつ
かどうかが心配です。
・・・・・・・・第二十六回おわり・・・・・・・・ (つづ く)
by Romanesque (NIFTY-serve ID= HAC01341)
02082/02538 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」(27)
( 4) 95/11/25 11:31 コメント数:1
『北欧・・・・・・・・夏の名残に』 (27)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇いよいよフィヨルドに向かって(3)1995年 8月24日 天候:曇り時々小雨
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●ダルスニッパ展望台にて
ロムを出て走り始めると、いよいよ周囲の景色が、WAS社の日程ガイドに ある「荒涼」とした風景になってきました。景色から緑が消え、氷河の後退期
に削られた荒々しい岩肌が、時折の小雨に濡れて冷たい金属的な色彩を帯びて きます。幾つか氷河に削られた窪地に鈍色の水を湛えた湖沼を通り過ぎ、冷え
冷えとした Djupvatnet 湖畔を走る15号線から右手の坂道に逸れ、バスはぐんぐん高度を上げて行きます。
こうした経験は、オーストリアを周遊したとき、ヴェルター湖畔のペルチャ ッハを発って、南からハイリゲンブルートを経て、グロースグロックナー峠を
越えて以来のことでした。(あの時も天候は荒れ気味でした)
大きなU字谷の向かい側の山々が、競り上がってくるようです。その頂に万 年雪が凝り固まった氷河が見えています。崩れおちた氷河の末端が見えていま
す。私たちは下車に備えて、ありったけの服やスエーター、コートを重ね着し ています。バスの中まで、冷え冷えとしてきたようです。
到着したダルスニッパ展望台は、小さなピークに作られた、ちょっとした広 場で、展望台といっても、それらしい建物がある訳でもありません。
添乗員の木村さんに従って、展望台の端まで行きますと、木村さんの指さす 方角に、奥の奥まで細く入り込んだゲイランゲル・フィヨルドが、遠くに見え
ていました。
「晴れていれば、もっと鮮やかに見られるのに・・・・」
と思うほど、フィヨルドは強く湿気を含んだ空気で霞み、重たく黒く被さった雲の色を映して、色彩を失っていました。
寒い! 気温は摂氏五度以下になっています。
谷底を覗き込んでみますと、暗い灰色の岩盤を敷きつめたような地面の凹凸 の間に、小さな幾つもの池があり、その間を道路がS字状のカーブを描いたい
ます。ここには、人影一つない荒涼とした風景が、何万年、何十万年か昔のま ま凍結し、時間も凝固してしまっているようでした。
ダルスニッパ展望台から降りてDjupvatnet湖畔の国道に出ます。暫く走ると あの展望台から俯瞰した氷河に削られた跡の生々しい岩盤の世界にさしかかり
ました。そこにも小さな池があり、道の分岐に倉庫のように見えたレストラン があり、トイレ休憩。あたりには1軒の民家も見当たらず、ただ観光客だけを
相手の休憩所みたいなものです。ダルスニッパの展望台では、8月だと言うの に時ならぬ気温で、思いっ切り冷えたため、何をおいてもトイレに駆け込まな
ければなりません。
再びバスに戻ると、展望台から遠望したゲイランゲル・フィヨルドへの急な カーブの連続する下り道。半分ほど下ったところで、バスは路肩に寄ってスト
ップ。そこは、ゲンランゲル・フィヨルドの展望ポイントで、一番いい景色だ と木村さん。カメラ片手にわらわらと私たちは、路肩に駆け寄ります。
「ここが、よくポスターなどの写真を写すポイントです」・・・と。
ダルスニッパでは、まるで21ミリの広角レンズを通して眺めたような広い景 色を堪能しましたが、いかんせん、フィヨルドは距離があり過ぎ、雨模様の彼
方に小さく望まれるだけでしたが、ここ、フリーダールスコーヴェからは、鈍 く空の色を反射しているフイヨルドが真下に眺められ、まばらに点在する建物
もはっきりと見えました。
ダルスニッパでは、随分長い時間いたように思えましたが、17:00から17:20までのたった20分間だけでした。
ゲイランゲル・フィヨルドの岸辺近くまで下って、今夜の宿ユニオン・グランデに到着したのは18:15。
民家二軒、ホテル、みやげ物店50軒、人口200人の村、まるで湖畔の寒村の うなたたずまいのゲイランゲルでは、全村の人々がホテルで働いているのでは
ないか、などと考えるほどでした。その上に、北極圏まであと僅かという極寒 地では、営業も五、六月ころから九月ころまでしか出来ないだろうと思います。
本日の夕食は、ビュッフェ・スタイル。もう何度こういった食事だったでし ょうか。ちょっと飽きてきた気分です。明日からはケイランゲル・フィヨルド、
ノールフィヨルド、ソグネフィヨルドと、フイョルドの世界を巡る旅です。
・・・・・・・・第二十七回おわり・・・・・・・・ (つづく)
by Romanesque (NIFTY-sreve ID=HAC01341)
- FWORLDA MES( 4):ヨーロッパ クラブ 旧館(A) -
02166/02538 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」(28)
( 4) 95/12/01 14:24 コメント数:1
『北欧・・・・・・・夏の名残に』 (28)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇フィヨルドをめぐる旅(1) 1995年 8月25日 天候:小雨 気温:18度
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●ゲイランゲル・フィヨルドからの短いの船旅
今朝は、フェリーの時間の都合で、いつものWAS社のように比較的ゆっくりとした出発とはならず、ホテル出発は7時15分。
フィヨルドの末端の町ゲイランゲルにはたった一晩寝ただけで、フェリーで ヘッレシフトに向かいました。日本でも冬場になると、日本海側では天気の悪
い日が多いようですが、ノルウェイの中部フィヨルド地方でも、大西洋からの 湿気を含んだ風が吹きつけるので、雨が多いのだろうか・・・・と考えます。本当
は、抜けるような青空の下でのフィヨルドの景観を楽しみたかったのですが、 まあ、雨に煙るフィヨルドもいいかも知れません。
フェリーの発着する岸壁には、行き先のちがう小さな船が一隻客待ちをして いましたが、あまり乗船客もないまま出帆。入れ違いに、私たちの乗る白い船
体のフェリーが入ってきました。フィヨルド観光の大型船でなく、近距離間の フェリーらしく、まあ五千トンもあるでしょうか。出港は7時40分。
いったんは船室に入りましたが、窓のガラス越しでは始まりません。すぐ、
大きな荷物は船室に残して、カメラだけを持ち、甲板に出てみました。小雨が 降っています。眺めが良くて、しかも濡れかたが少ない、一番良い場所は、甲
板から一段高い上部デッキで、操舵室の僅かな庇の陰で、すぐカメラ片手の人で満員になります。
ゆるゆると航跡を曳きながら進むフェリー。両岸は高さ何百メートルかの断 崖がフィヨルドに雪崩落ちるように聳えています。が、フィヨルドの幅が大き
いので、さして圧迫感はありません。雨模様なので、断崖の中腹あたりに低い 雨雲が、横に一筋たなびく、といった様子でかかっていました。
出港まもなく、左の岸壁にも、右手の岸壁にも切り立った断崖の頂上あたり からフィヨルドに落下する滝が幾筋も、見えてきました。一筋だけの細い滝、
「六姉妹の滝」(・・・・と聞いたように思いますが)は、六筋の細い滝が並んで水しぶきを上げていました。
雨に煙る岸壁
糸を引くように、頂上から流れ落ちる幾条もの滝
煙るようにたなびく雲の帯
静かな水面
物音の一切絶えた静寂の世界
黒々と雨に濡れた断崖の岩肌
停滞したように静かな水面
低くまで降りてきている濃い灰色の雲
陰鬱なようで、思いがけず明るい感じなのは、
それらの景色全体が、上に薄くホワイトの絵の具を掛けたような小雨のせいか
景色のスケールが大き過ぎるせいでしょうか
これがフィヨルドの世界かと、だんだん雨に濡れそぼって行きながら、つくづくと実感しました。
フェリーは、両側にゲイランゲル・フィヨルドを間に対峙している崖を見な がら暫く航行してから、T字形になった水路に突き当たり、左手に航路をとっ
た。地図で見ても、フィヨルドは海岸線から陸地に入ると、幾つも枝分かれし ています。さっき左折したT字形の水路を右折すると、やがてトールフィヨル
ドとなって、幾つもの島を抱えながら大西洋に出ています。
左折した水路は、短いフィヨルドの分枝で、突き当たったところがその末端、ヘッリシルトの町でした。
そこからはバスに乗換えて、フィヨルド地帯を徐々に南下しながらの旅にな ります。バスはフィヨルドの入江を右に見ながら少し走ったあと、陸地に入っ
てゆきました。
どれも似ているようで、何か違った湖畔の風景の中をひた走り、やがて、国 道から逸れて、だんだんV字谷のように両側に山並みが迫ってきます。渓流に
沿った道になり、突如、両側の緑の山並みの間に遠く、白く光る雪山が現れました。
「あれが、ブリクスダル氷河のある山です」
と添乗員の木村朗子さん。
バスが、山の斜面の一角を拓り開いたような広場に止まりました。レストラン兼みやげ物店が1軒あるだけの広場です。
「さあ、自動車はここまでです。ここからは馬車に分乗して、ブリクスダル 氷河を見にゆきます」・・・・と木村さん。大きな荷物はバスの中に残して、ひと
まず、レストランのある建物に入りました。
・・・・・・・・ 第二十八回おわり・・・・・・・・ (つづく)
by Romanesque (NIFTY-serve ID=HAC01341)
*****************************************************************************************************************************
ここから以降には、旅行記を読んだワールド・フォーラムの会員から寄せられたメッセージが時々入ってき
ます。それらのメッセージは紫色のフォントで、私・・・Romanesque からのレスは茶色で表示します。
02190/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:「北欧・・・・・夏の名残に」(28)
( 4) 95/12/02 19:46 02166へのコメント コメント数:2
Romanesqueさん、はじめまして。
パソコン通信をはじめてまだ1カ月の初心者で、
発言するのも初めてなので、ちょっと緊張してます。(^^;
フィヨルドをめぐる旅(1)を読ませていただいて、
おもわず心臓がばくばくしてしまいました。
私も今年の夏、北欧4カ国を1カ月かけて一人旅してきたので、
そのときのことが思い出されてしまって・・・
フィヨルド観光のコースは、ほとんど同じなのではないかなー、と
思います。
なんだか、初心者で要領がよくわかってないのですが、
思わずコメントをしてしまいました。
つづきを楽しみにしています。(^^
02191/02538 VZI00337 EDDIE RE:「北欧・・・・・夏の名残に」(28)
( 4) 95/12/02 20:26 02190へのコメント コメント数:1
はじめまして! 石川さん!
なにをいう私もパソコン通信初めて一ヵ月もたちません。
パソコンを買ったのが11/4
なのですが文字化け、漢字間違いなんのそのどんどん書き捲っています。(^^;)
習うより慣れろ!ですよ。(ほかの人には迷惑かもしれない。)
北欧ですか!以前一回デンマークに行きました。今はオランダにいた友達がデンマークに帰ったのでいつでも行けば案内してくれるはずです。
(ただしデンマークだけですけど
(^^;)
でもスカンジナビア航空(私達はSASと呼ぶ)のサービスはいいですよ!(^^)
私のランキングではトップクラスに入ります。(何を書いているんだ!(^^;))
ストックホルムはどうでしたか?行って見たいのです。
感想をお待ちしております。
P.s
乱文、お許し下さい。
EDDIEより
02193/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:「北欧・・・・・夏の名残に」(28)
( 4) 95/12/02 22:22 02191へのコメント コメント数:3
こんにちは。はじめまして、EDDIEさん
私はパソコンを買ったのは半年以上も前なのですが、
今までずっとほっぽらかしにしてました。(^^;
使い方がわからなくて・・・
SASには乗ったことがないので、今度ぜひのりたいです。
私はキャセイで台湾、香港、ドイツを経由してストックホルムまで
20時間以上かけて行きました。(^^;
なんせ、貧乏旅行だったもので・・・
ストックホルムは、とてもとてもとても!いいところです。(^^
私は今大学3年なのですが、卒業後スウェーデンへの留学を希望してます。
あくまで「希望」なのですが。(^^;
もし、留学できなくてもスウェーデンにはまた絶対行きたいです。
とにかく、とてもいいところなので、ぜひ行かれるといいと思います。
(なんだか、感想になってないですね・・・ごめんなさい。
でも、私は言葉では表せない感動をたくさんしました。)
えっと、最後になってしまいましたが、コメントありがとうございました。
初めての経験で、すごくうれしかったです。
02194/02538 VZI00337 EDDIE RE:「北欧・・・・・夏の名残に」(28)
( 4) 95/12/02 22:46 02193へのコメント
EDDIEです。
なんか恐縮しますね!
ストックホルムいいですね!(^^)
留学希望ですか。アメリカなんかと違って受け入れ先が少ないので大変だとは思いますがぜひがんばってください。(^^)
留学したらストックホルム案内してくださいね。(^^)
私がストックホルム(スエーデン)に行くのにはまだ時間がかかるのです。(^^;)
キャセイも評判いいんですよ!日本人スチュワーデスもかなりいるのでこちらも試してみたらいかがですか?
なんかコメントになっていないですけどよろしくお願いします。
EDDIE
02201/02538 GHC00776 岩瀬 Re*2:「北欧・・・・・夏の名残に」(28)
( 4) 95/12/03 11:20 02193へのコメント
--->石川 さとえさん,おはようございます(今起きたぞ〜)
》SASには乗ったことがないので、今度ぜひのりたいです。
そんなに色々と乗った事はないんですが,SASは欧州に行くのに便利で
サービスもいいのでマイレージに入って,極力使うようにしてます。(^^)
ご飯は選べないけど美味しいし,放送の選曲も悪くないし(でも何年経って
もあまり変わらないのが多い),スタッフも(女性はおばさんばっかで少し
残念だけど)お茶目な人が多いし。
評判の高かったVSより上って感覚です(個人的です)。
》ストックホルムは、とてもとてもとても!いいところです。(^^
いいっすよね〜。私も大好きです。\(^O^)/
再度,訪れたい街の一つです。
行かれた時は,お一人でしたか? 北欧は治安がいいので,余計な事に気を
使う必要が無いってのも有り難いですよね。
【北組】(仮)組長 Tadashi-WETTON-Iwase
02211/02538 BXC05622 ひよ RE^2:「北欧・・・・・夏の名残に」(28)
( 4) 95/12/04 07:09 02193へのコメント コメント数:1
石川 さとえさん、はじめまして、ひよと申します。
>SASには乗ったことがないので、今度ぜひのりたいです。
>私はキャセイで台湾、香港、ドイツを経由してストックホルムまで
>20時間以上かけて行きました。(^^;
私も来夏北欧旅行を考えているのですが、エアラインの選択をどうしようか考
えています。私は石川さんより10歳以上もお姉さんですが、相変わらず貧乏旅
行から脱することができません。あ〜あ、30も過ぎれば少しは優雅な旅ができ
るかと思っていたのに‥‥ ヨーロッパへはアジア系キャリアしか使ったこと
がなく、かつそれで結構満足しています。来年はヨーロッパ系でも比較的安い
サベナなんかを利用してみようかと思っているところです。
石川さんは今年の夏1ヶ月北欧旅行をされたとのこと。
私もその程度の日程を計画していますが、どのようなルートでまわられたので
すか? ノールカップまで足を運ばれましたでしょうか? 沿岸急行船にはお
乗りになりました?
おっと、いきなり質問攻めで失礼いたしました。
今一生懸命北欧の勉強をしているところなので、ついつい‥‥
スウェーデンへの留学実現するといいですね。
これからもヨロシクお願いいたします!
☆★ BXC05622/ひよ ☆★
02220/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:RE^2:「北欧・・・・・夏の名残に」(28)
( 4) 95/12/04 21:51 02211へのコメント コメント数:1
ひよさん。はじめまして。どうぞよろしくお願いします。(^^
エアラインの選択、難しいですよね。
私はただ単に値段で選んでいますが・・・・(^^;
私が今年の夏北欧へ行ったときは、往復のチケットだけ取って、
あとは何も決めないで行ったんですね。
いきあたりばったり、その日暮らしでした。
だからあまり効率的なルートではありませんでした。(^^;
えーと、まずストックホルムから始まって、ウプサラ、レクサンド、レットヴィーク、
ムーラ、コペンハーゲン、オーデンセ、オスロ、オンダルスネス。
ここまでは、すべて列車で移動しました。
オンダルスネスからベルゲンまでは、バスとフェリーで。
その後、もう一度オスロ、ストックホルムまで列車で移動して、
ストックホルムからヘルシンキまでは、フェリーで渡りました。
そして、またストックホルムまで戻って、日本へ帰って来たのでした。
残念ながら、ノールカップまでは行けませんでした。
でも、ノールカップまで行ったという人に何人か会いましたが、
皆さんよかったと言ってましたよ。
私も、行きたかったですー。
とても楽しい旅ができ、実はお話したいことはたくさんあったりするので、
よろしければ、また聞いてくださいね。
02244/02538 BXC05622 ひよ 北欧旅行
( 4) 95/12/06 07:02 02220へのコメント コメント数:1
石川さん、こんにちは。
>エアラインの選択、難しいですよね。
>私はただ単に値段で選んでいますが・・・・(^^;
あ、私もです、ハイ。
>とても楽しい旅ができ、実はお話したいことはたくさんあったりするので、
>よろしければ、また聞いてくださいね。
え〜、そんなこと言っちゃうといっぱい質問しちゃうぞぉ!
ふふふ‥‥
お巡りになったルートから察するにシリアン湖周辺がお気に入りですか?
ガイドブックなのではスウェーデンでももっとも美しいと言われているところ
なんて書いてありますが、いまいちイメージがつかめないんです。何か楽しい
お話がありましたらお聞かせいただければ嬉しいんですけど。
あ、これじゃあまりにも漠然としていますね。えっと、じゃあ‥‥
シリアン湖周辺で泊まるばあい、どこがお薦めでしょうか?
2・3日の滞在でもある程度満足できるかなぁ‥‥
とにかく行きたいところがいっぱいあるので、候補地をしぼることから始めな
いとルートが決められないんです。1ヶ月やそこらじゃ本当に限られた場所し
かいけませんからね。
別段急ぎませんので、気が向いたらで結構です。
ぜひ北欧のお土産ばなしを聞かせて下さい。
☆★ BXC05622/ひよ ☆★
02248/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:北欧旅行
( 4) 95/12/06 13:44 02244へのコメント コメント数:2
ひよさん。こんにちは。
シリアン湖のあるダーラナ地方は、スウェーデンで最も美しいと言われている
だけあって、本当に心が洗われるような(なんてありきたりの言い方になって
しまいますが)美しいところでした。
観光地っぽい雰囲気はあまりないので、のんびりと自然を満喫できると思います。
(あまり説明になってなくて、ごめんなさい)
泊まる場所についてですが、私はユースを使っていたのでそれ以外のことは
わからないのですが・・・
レクサンドのユースは、ガイドブックにもよくのっていますが、お薦めです。
私が1カ月間いろんなところを泊まった中で、一番きれいなところでした。
(ホテルを利用していないので、ということですが)
あと、レットヴィークでは、ユースがいっぱいだったため、そこで紹介してもらった
プライベートルーム(一般家庭の空いている部屋を借りるような)に泊まっていました。そこの家族の方には、とても親切にしていただいてちょっと
だけホームスティ気分が味わえました。
あまり参考にならないかもしれませんが・・・・(^^;
2.3日の滞在でも、十分満足できるのではないかと思います。
日が長いので、1日が長いような気分だし・・(あまり関係ないか・・(^^;)
これから行かれるなんて、うらやましくなってしまいます。(^^
どこに行こうか考えている時って、一番楽しいですよね。
それでは、また・・・
02251/02538 BXB04704 泉真人 シリアン湖
( 4) 95/12/06 23:35 02248へのコメント コメント数:1
いしかわさん こんにちは
ついでに、といってはなんですが、おそらくこれを読んで下さる
であろう、岩瀬(北組)組長ごぶさたしてます。
泉 と申します。 私はしばらく前に岩瀬さんに北組入会を許され
ながら北欧には1回、8年前に初めての海外旅行で行ったきりなので
コメントすらろくにできなかった者です。
さて、今回はシリアン湖の文字に惹かれて出てきました。レトビック、
レクサンド、何かいい地名ですね。石川さんは、夏といっても何月に
行かれたのでしょうか? ダーラナ地方は夏至の頃に有名なお祭りが
あるのですよね?
私が行ったのはレトビックで、当時出来たばかりのユースに泊まり
ました。('87年の8月末)本当はストックホルムからレクサンドへ
日帰りの予定で荷物もストックホルムに預けてきたのですが、時刻表
を読み違えており、当日帰る列車がないことに途中で気づき、ユース
があるレトビックに泊まったのです。(そのときはまだレクサンドに
はユースはなかったような・・)
特にすることもなく、陽のあるうちはシリアン湖を見てぼーっと
過ごしました。
私がシリアン湖に行きたかった理由は、大好きな女優さん(日本人)
が主演したテレビドラマが、北欧の、特にその辺りを舞台にしていた
からです。原作の本も一時期売れたようです。ちょっと恥ずかしいの
で女優さんの名前は書きません。
最終回では、その女優さん扮する主人公が湖で自殺することになり
ます。原作とTVではこの場面がちょっと違いましたが。
と、まあ個人的な理由でシリアン湖に惹かれて行ったのですが、
結局レクサンドには行きませんでした。
レクサンドの様子などを、教えていただけると嬉しいのですが。
>岩瀬組長へ
こうやって、たまには顔を出すのでクビにしないで!
** BXB04704/泉真人<12/06 22:50> **
02254/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:シリアン湖
( 4) 95/12/07 02:07 02251へのコメント コメント数:1
はじめまして。泉さん。
よろしくお願いします。
私がダーラナ地方へ行ったのは、7月の末から8月の初め位でした。
ちょうどお祭りの終わった直後だったようで・・・(^^;
私もシリアン湖を見て、ぼーとしてました。(笑)
今思えば、なんて贅沢な時間を過ごしていたのだろう・・という感じです。
泉さんの大好きな女優さんというのが、とても気になってしまう私です。(笑)
そういう理由で行くというのも、なんだかいいですよね。(^^
レクサンドも、静かでとてもいいところでしたよ。
スウェーデンに住むならこのへんがいいな、などと思いながらふらふらしてました。
特になにがあるわけでもないんですけどね。(^^;
とても心が落ち着いたのを覚えています。
私の住んでいるそばに、Rattvikという名前のお店があります。
北欧の民芸品などを扱っているお店なのですが、
見つけたときは、おおっ、と思いました。
小さいけど、とても雰囲気のいいお店です。
02284/02538 BXB04704 泉真人 北欧の民芸品店
( 4) 95/12/09 11:33 02254へのコメント コメント数:1
いしかわさん RESありがとうございます。
レクサンドも静かでいいところですか。 でも今頃はおそらく
寒いのでしょうね。
ところで、Rattvikなる民芸品店はどのあたりに在るのですか?
8年前の旅行ではその後は南に下るため、北欧で土産を買うと
1) その後の旅行に重くなったバッグを背負って行かねば
ならない。
2) 物価の高い北欧で土産を買って後々、お金が足りなく
なるのが心配。
と考えて、土産らしい土産は買わなかったのです。 帰ってから
ちょっと後悔しました。
北欧の民芸品店でいいものがあれば、と思ってました。
今の私だったらカードで買って、送って貰うことをするのですが。
** BXB04704/泉 真人<12/09 11:15> **
02285/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:北欧の民芸品店
( 4) 95/12/09 12:31 02284へのコメント コメント数:1
こんにちは。泉さん。
Rattvikというお店のことですが、
えっと、民芸品店というほどのところでもないんですけどね・・・(^^;
住所でいうと、新宿区西早稲田だと思います。
早稲田大学の側にあるのですが・・・
泉さんはどちらにお住まいなのですか?東京の方ですか?
もし、お近くならもうちょっとくわしく説明したほうがいいでしょうか。
私も、旅行の時はほとんど買い物ができませんでした。
(泉さんと同じような理由で・・・)
行く先々で買った絵はがきだけが、大量にあります。(^^;
02290/02538 BXB04704 泉真人 民芸品店の場所
( 4) 95/12/10 00:00 02285へのコメント コメント数:1
コメントありがとうございます。
私は実家が横浜なので、東京ならば帰省したときにでも行って
みます。お店の場所は、だいたいの位置を教えていただければ
探してみますが。
>>行く先々で買った絵はがきだけが
結局、これが一番荷物にならない記念品なのかもしれませんね。
** BXB04704/泉 真人<12/09 23:46> **
02291/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:民芸品店の場所
( 4) 95/12/10 01:50 02290へのコメント
こんにちは。泉さん。
お店のことなのですが、営業時間(よくお休みなんです)や、くわしい場所など、
後ほどまた、ご連絡いたしますね。
(じゃあ、このコメントの意味は何?と聞かないで・・・(^^; )
横浜からだと、ちょっと遠いかもしれませんが・・・
02270/02538 BXC05622 ひよ RE^2:北欧旅行
( 4) 95/12/08 07:20 02248へのコメント コメント数:1
石川さん、さっそく有り難う!
まだ行くと決まった訳じゃないですけど、石川さんのおっしゃるように旅の計
画を立てているときほど楽しいことはありませんよね! で、私は一年中あー
でもないこーでもないと悩んでいるのです。
>シリアン湖のあるダーラナ地方は、スウェーデンで最も美しいと言われている
>だけあって、本当に心が洗われるような(なんてありきたりの言い方になって
>しまいますが)美しいところでした。
おお! そうですか! 仕事忙しさにそろそろ心が汚れてきたところ。
イタリアで命の洗濯をしてきたばかりなのに‥‥
>あまり参考にならないかもしれませんが・・・・(^^;
そ〜んなことありません!
北欧はホテル代が高いので、ユースホステルやプライベートホームのお世話に
なることが多いと思います。ただ、夫婦での旅行ですのでドミトリーはちょっ
と、ですから、できればユースでも二人部屋を利用したいと考えています。
>レクサンドのユースは、ガイドブックにもよくのっていますが、お薦めです。
ふむふむ、お薦めですね。
また何かありましたら、ヨロシクお願いします。
(まだよく勉強していないので、なかなか絞って質問ができない‥‥)
☆★ BXC05622/ひよ ☆★
02274/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:RE^2:北欧旅行
( 4) 95/12/08 21:42 02270へのコメント コメント数:2
ひよさん。こんにちは。
そうですかぁ、ご夫婦でのご旅行でしたか・・・
(うらやましさを、隠しきれない私。(^^; )
一人旅もいいけど、旅の感動をわかちあう人がいるって、
やっぱりいいですよね。
02275/02538 GHC00776 岩瀬 Re*2:RE^2:北欧旅行
( 4) 95/12/08 22:40 02274へのコメント コメント数:1
--->石川 さとえ さん
》一人旅もいいけど、旅の感動をわかちあう人がいるって、
》やっぱりいいですよね。
いや,一人の方が,判断や失敗,感動や後悔を自分で全て受け止めるから
そういう意味では充実しますよ〜。
..... と言って無理やり自分に納得させるのであった。(^_^;)
しかし趣味の違う人がいたら,突然「あ。楽器屋だ。入ろう」なんて
出来ないからなぁ(^_^;)
↑ストックホルムで最初に入ったのがCD屋。次が楽器屋だった(笑)
いつでも一人旅 Tadashi-WETTON-Iwase
02276/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:Re*2:RE^2:北欧旅行
( 4) 95/12/08 23:20 02275へのコメント
こんにちは。岩瀬さん。
うーむ、なるほど。そういう考え方もありますよね。(^^
私も気の向くままに、ふらふらしてしまうので、
長い間、人と一緒には行動できないかもしれない・・・(^^;
でも、ときどき「この感動を誰かに伝えたいよぉ」と思うのでした。(^^;
P.S しかし、結局次の旅行も一人で行く予定だったりします・・・
02294/02538 BXC05622 ひよ RE^4:北欧旅行
( 4) 95/12/10 09:06 02274へのコメント
石川さ〜ん!
>そうですかぁ、ご夫婦でのご旅行でしたか・・・
>(うらやましさを、隠しきれない私。(^^; )
わわわ、それを言わないで‥‥
実は8番会議室でいじめられているのですぅ。皆さんが思うような「夫婦」と
いう意識があまりない私は、つい簡単にこの言葉を使ってしまうのですが、
のろけたり自慢しようなんて気持ちはさらさらないんですぅ。
もしその様に読めたらゴメンナサイね。
>一人旅もいいけど、旅の感動をわかちあう人がいるって、
>やっぱりいいですよね。
だからこそ二人で出かけているんですが、実際感動を共有しているかは怪しい
ところです。いや、一人旅も良いものですよ。ちょっとでも気を使わなければ
ならない人と旅をするぐらいなら、一人旅の方がずっといいと思います。
要は楽しく過ごせることが第一ですよね!
02204/02538 HAC01341 Romanesque ようこそ! 石川 さとえさん
( 4) 95/12/03 17:51 02190へのコメント
Re: 「北欧」石川 さとえさん
Romanesque です。旅行記を書いていて、一番うれしいのは、Res が付くこ
とです。ありがとう。
石川さんも[ほとんど同じコースなのではないかと・・・・]を回られたのです
ね。何月頃でしたでしょうか。私は八月の十九日から北欧に出かけましたが、
ヘルシンキ、ストックホルム、オスロなどでは、朝が20度前後、真昼で24度ば
かり、京都の暑さにうんざりしていたので、ルンルンで旅していました。が、
フィヨルド地方ではぐんと気温が下がって、セーターを着込み、防寒用のコー
トを着てもダルスニッパでは、ブルブル震えていました(天気があまり良くな
かったせいもありますが・・(--;)・・)
>>パソコン通信を初めてまだ1カ月の初心者で、
すぐ慣れますよ。心配いありません。EDDIEさんも、他の方々もおっしゃって
いるでしょう。
SASのサービスはいいですよ。・・・・という発言もありましたね。私は日本と
ゲートウエイのヘルシンキの間と、ストックホルム→オスロの間はフィンランド
航空(フィンエアー)で、ベルゲン→ストックホルムの短距離だけSASでした。
アッという間のフライトでしたので、SASのことは良く分かりません。
フィンエアーは、日本からヨーロッパを結ぶ最小時間だと聞きました。
関西国際空港→ヘルシンキ 10時間25分
ヘルシンキ →関西国際空港 9時間30分
(20時間かけて行きました・・・・ウーン 気絶しそう (^^; )
「北欧・・・・夏の名残に」の残りを、石川さんの期待を裏切らないように、しっ
かり書かなくっちゃ。がんばります〜ぅ。
Romanesque (NIFTY-ID= HAC01341)
02271/02538 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」(29)
( 4) 95/12/08 12:04
『北欧・・・・・・・夏の名残に』 (29)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇フィヨルドをめぐる旅(2) 1995年 8月25日 天候:曇り時々雨 気温:18度〜10度
●ブリクスダールの氷河へ。
ブリクスダールの広場には10:40到着。天候のためか、他に観光バスは1台も 姿をみせず、隅っこにマイカーだけが7、8台駐車していました。
ここから奥へは自動車では行けない、という広場は、氷河への舗装されてい ない地道の右手は川の彼方に、一筋の滝がかかっている山々の連なりが、生憎
の雨で中腹にたなびいている雲とともに眺められます。
広場は、山の斜面を削ってならしただけで、左手は山の斜面。その前に七、 八台の馬車が待機していました。私たちは3人ずつ馬車に分乗します。乗り込
む前に、ごわごわしたフード付きの雨合羽を渡されて着込みます。(カナダ旅 行のおりに、ナイヤガラ瀑布見学のとき、「霧の乙女号」に乗船したときに借
りた水煙よけの雨合羽そっくりの青いゴム引きのものと同じだあ、と思い出しました。)
七台の馬車は乗り終わった順に出発。始めはゴトゴトと緩い下り。幾つかカ ーブを曲がった所で、高さ15メートルほどの滝があり、道にかかった橋はま
ともに滝の水しぶきを受けています。ナールほど、頑丈な雨合羽はこのときの ためなのだ、と納得、フードをしっかりと被り、合羽の前をかきあわせて、橋
に差しかかります。かなりのしぶきがかかります。橋を通り過ぎて、振り返る と次の馬車が水煙の中を通りかかったところでした。
すぐ、ヘアピンカーブ。そこからは、かなり急な上り坂。二頭の馬の喘ぎが きつくなります。山の斜面にそった道を二十分も走ったころ、バスが止まった
広場より、かなり小さな広場に出ると、馬車はここまで。後は徒歩です。
登山路と同じで、急な斜面のアップ、ダウンがあります。踏みしめて行く岩 根は、雨に濡れて艶やかな青い色をしていますが、大きな一枚岩には氷河によ
って削られた無数の引っかき傷がついていました。
日頃の運動不足がたたって、喘ぎ喘ぎ、ようやっとの思いで氷河の末端に出 ました。後背の山はすっかり雲に隠れ、崩壊し続けている氷河の荒々しい断面
だけが姿を見せています。広い滝壺のような水面には、崩れた氷河の氷がいく つか浮いています。滝壺と違うのは水しぶきもなく、水面が穏やかなこと。
白い氷河の裂け目だけが青。崩落はたまにしか起きないのか、物音もありません。
ここブリクスダル氷河は、北東かな南西にかけて走る大きなヨステダルスブ レン氷河のごく小さな末端の一つにしか過ぎません。それでも、日本では想像
外の世界です。氷河といえば、何度か訪れたスイスでも、ツェルマットからゴ ルナグラードに上がった時に見たゴルナー氷河、テォデュル氷河、ツムット氷
河、ユングフラウヨッホに登山電車で登ったときに見たヨーロッパ最大の22キ ロの長さをもつアレッチ氷河・・・・なども見ています。
しかし、どこもかしこも公園のような眺め、綺麗な街から手近に行ける氷河、 緑いっぱいの草地アルプのたたずまい。そうした所で便利に眺められる氷河は
ただアァ綺麗!で済んでしまうところがありませんか。
バスの終点から馬車に乗り、急な登攀路を歩いて登り・・・・その挙げ句、視界 の中に現れてくる氷河には、言葉では言い表せない原始の荒々しさがあります。
フイルム2本に周辺の景色をおさめ、元来た道を戻り、45分という約束で待 っていてくれた馬車でバスの停まっている広場まで帰り着きますと、いざ昼食
です。
昼食は12時30分から。
スープ
鱒のソテーとサラダ
パンケーキに木苺のクリーム添え
コーヒー
こんな山奥での食事としては上等な方でしょう。食べ終わってなお、出発までに半時間ほどの余裕があり、13時50分にバスに戻って出発。もと来たV字渓
の道を辿り、開けたU字渓、氷河の跡に水を湛えた湖、峠への登り道・・・・の繰り返しが続きます。
・・・・・第 二十九回おわり・・・・・・・
02301/02538 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」(30)
( 4) 95/12/11 10:51
『北欧・・・・・・・夏の名残に』 (30)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇フィヨルドをめぐる旅(3) 1995年 8月25日 天候:曇り時々小雨 →時に晴れ間
●ソグネフィヨルド畔のバレストランドまで
ブリクスダール氷河から、中腹に雲のかかった山、雲を貫くように流れ落ち る滝などを眺めながら、オルデェヴァネット湖畔の道を走り、インヴィークフ
ィヨールドの畔を走る60号線に出ます。このあたりが、ソグネフィヨルドの最 奥部になります。暫くフィヨルドの景色をバスの窓越しに眺めていました。
14:45頃、ユトヴィークでノルトフィヨルドに別れを告げ、盆地のような田園風景の中を走り、やがて峠路への登り。15:00 一山越えて Byrkjelo を通過。
15:20 ヨールステル湖畔のシェイ(Skei)に着いて、二時間半ぶりのトイレ休憩。たっぷり30分間の休憩なので、ホットチョコレートで寛ぐことが出来ま
した。
15:50 シェイを発って、一路ヨーステル湖畔に沿い、60号線と岐れて1号線走り、Moskogでその1号線とも分かれ13号線に入ります。再び小さな峠越え。
雨もどうやら熄んできました。16:37 眺めのよいハウケダール湖を遠望するロールピークでカメラストップ。再び15分ほど走ったニーストーレンでも、カ
メラストップ。ボルダーレンの峡谷の眺めが素晴らしいポイントでした。
17:45 背後に残雪を頂いたソグネフィヨルドの小さな支流(?)のように枝 分かれしたエセフィヨルドの入口に位置するバレストランドに到着しました。
今夜はここのクビックネス・ホテルに泊まります。
ここまでに一体、幾つの峠を越え、幾つの氷河湖の畔を走ったでしょうか。 天候のせいもあるでしょうが、曇天の下の山並みは青みがかった緑、鏡のよう
に静かな湖面は、淡い青から深い群青までの青味ばかりのトーン。蒼い天地の中、風景の中を旅してきたような気分でした。
バレストランドの町は、通りも建物も洒落た、落ちついたたたずまいですが、 人口の少ないためか、淋しいくらい静かです。湖畔に建つクビネックス・ホテ
ルは、芝生の湖岸に向けて五つの切妻を見せている三階建て、両翼は四階建て、 白亜に塗られた壁面・・・・が、いかにも周辺の青い世界に溶け込んだ風のリゾー
トホテルです。
●バレストランド
部屋のキーをもらって、トランクが届くとすぐカメラを肩に、ホテル周辺の ロケーションを見て回りました。公園の中のような道路、生け垣のある家々は
煉瓦色の屋根、白い外壁、前庭の植え込みなど、まるで別荘のような感じの建 物。湖岸の町役場の前を通り過ぎたところにあった教会は、坂道の中程に建て
られているせいか、こちらにファサードと反対側の円いアプシスを見せている ので、まるで客船の船尾を眺めているような感じ。アプシスの円い窓の列の上
に、ちょっと凹んだ窓の列があり、また、その上に小さな円い塔が乗っかって います。その向こうには、少し高い尖塔があります。
よくよく見ると、窓という窓のガラスは、ステンドグラス。
ファサードに廻ってみますと、三重になった切妻の破風がこじんまりとした 素朴過ぎるほど素朴な姿。教会全体の外壁は焦げ茶色に塗られた木造で、切妻
の縁や扉の上のタンパン部分、扉のアーチの一部が黄色で洒落た感じでした。
タンパンの部分には「Sant Olaf Kirke」「1897」と記されています。建造は百年近く前なのですね。
中に入ってみました。ヨーロッパ人らしい青年と少女のカップルがいるのみ。 円塔のドームの構造も、二列の柱から上に伸びるリブも、祭壇の上の大きなア
ーチも・・・・すべて白木の木造で、装飾らしいものはアプシスの両手を広げたキリストの画像だけでした。
全体の感じとしては、ロムの町で見学したスターヴ式の教会と同じでしたが建築年代が新しいだけ、何か明るい堂内。
外に出て斜面を登って、上から教会を見下ろすと、いっそうスターヴ式ではないかという印象が強まってきました。
湖畔に沿った道から、ソング・オブ・フィンランディア、ソグネクラフトや 警察まで同居している瀟洒な白い建物の裏に廻ってみますと、入江といった感
じのソグネフィヨルドの真ん中あたりに、フィヨルド巡りの白い客船が停泊していました。
白っぽい灰色の空に、黒い雲の帯がかかり、より黒々とした対岸の山々。鈍 く空の色を映しているフィヨルドの水面・・・・そんな背景の中に、通俗な表現で
すが白鳥が翼を休めているような客船は、まるでノルウェイの観光ポスターの ように、様になっていました。1万トンほどの船でしょうか。水深の関係で直
に接岸できないように見えます。
夕方の散歩のひとときを終えてホテルに戻り、午後7時からビュツエ・スタ イルでの夕食。フィヨルド地方を一路南下した今日のバスの旅も終わりました。
明日はベルゲンまでです。
・・・・・・・・ 第三十回おわり ・・・・・・・ (つづく)
by Romanesque (NIFTY-serve ID= HAC01341)
02316/02538 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・夏の名残に」(31)
( 4) 95/12/13 14:43
『北欧・・・・・・・夏の名残に』 (31)
北欧四カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇フィヨルドを巡る旅(4) 1995年 8月26日 天候:曇り、時に晴れ間
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●バレストランド〜ヴォス
朝の気温は16゚Cほど、空気もすがすがしく気持ちがいい朝です。朝食前に昨 日のコースから少し足をのばして、バレストランドの町を歩いてみました。空
には相変わらずべったりと雲が出ていますが、あちこちに雲の隙間があって、 陽光も射し、天候の回復の兆しが見えているような気がします。19日にヘルシ
ンキに着いてから、24日にオスロを出るまでは、快晴続きでしたが、ノルウェイを北に登るに連れて天候が悪くなり、北緯61度を越えたあたりから、雲にす
っかり覆われ、時々小雨の天候になっていました。
昨日、フィヨルドの真ん中に投錨していた白鳥のような白い客船は、この朝も静かに白い船体を浮かべています。
改めて瀟洒な白いホテルの建物を外から眺めますと、よくもまぁ人口たった 七百人くらいの町に、クビネックスホテルのようなこんな大きなリゾートホテ
ルやペンションがあるものだなあ、と感心するほど。しかも高緯度のフィヨル ド地方では、年間の営業日数も限られるのに、と思いました。
バレストランドのホテルを9時15分に出発。今日は再びフェリーでソグネフ ィヨルドを渡りますが、水深の関係で大型船が接岸できないバレストランドか
ら、隣町のドラグスヴィークまで行き、乗船することになっています。
すぐ近くの対岸に見えているドラグスヴィークですが、ソグルフィヨールド から小枝のように出ている(入り込んでいる)短いエセフィヨルドをぐるっと
廻って行かねばなりません。
ドラグスヴィークのフェリー桟橋には、9時30分到着。9時50分出航予定の フェリーの姿はまだありません。二つ桟橋があり、もう一つの桟橋にはやや小
型の黒っぽい船体の定期航路船が横付けになっていましたが、たいした数の船客が乗り込む風もなく、出航して行きました。
それからものの5分ほどして、ゲイランゲルフィヨルドのときより少し小型のフェリーが入ってきて、乗り込み、9時50分出航。ソグネフィヨルドのクル
ーズもたっぷり楽しめるかと思っていたのですが、フィヨルドを斜めに横断するほどの短い航路で、30分ほどもかからずにヴァンクスネス着。
ヴァンクスネスをバスに乗り換えて10時10分発、ルートE16をヴォスに向け て走り出しました。しばらくフィヨルドに沿って走り、やがて上り坂が続き、
ソグネフィヨルドを見下ろすポイントで写真ストップ。
ちょうどそのポイントには、二つの脚立を並べた上に板戸のようなものを置 き、薄っぺらいプラスチックの容器にプラムを盛って売っている姉弟がいまし
た。肩までの金髪、小太りの姉ははにかんだような微小を浮かべた12歳見当、 ちょつとムスッとしている弟は8歳くらいでしょうか。観光バスがフィヨルド
眺望のためよくストップするので商売になるのでしょう。私たちも仲間も、何 函か買って食べていました。思ったより甘くて良い味。
フト見ると、10メートル位離れた所にワゴン車が停まっていて、姉弟の祖父 母らしい人影がこちらを見ています。姉弟や商品の運搬と監視を兼ねている具
合でした。
バスは益々高度を上げ、やがて残雪が斑模様に残っているヴィックの峠に差 しかかります。次に写真ストップした所には、羊がたくさん放し飼いされてい
て、観光客慣れしているのか、観光客ずれしているのか、バスが停まって降り てゆくと寄ってきます。奈良公園の鹿のように、強引に袋を引っ張ったり、ポ
ケットに鼻面を突っ込むようなはしたない行為はしませんが、餌を求めて擦り 寄ってくるのは、奈良の鹿並みでした。残念ながら私たちには鹿煎餅もパンの
耳も持っている筈はありません。
バスはまだまだ高度を上げてゆきます。寒々とした水を湛えている湖畔を通 り、平坦な高原を行く塩梅。フィヨルド地方に来てからいつも感じていた事で
すが、地形が遠い昔、中学校時代に習った地理の概説で「壮年期台地」という 言葉を思い出しました。壮年期台地がやがて川に深く削られ、底深くコロラド
川が流れているグランド・キャニオン、峡谷のみ深くて地平は平坦な姿。
ノルウェイのフィヨルド地帯も、氷河で深く削られて海水が浸入しフィヨル ドが形成されたのと、良く似た地形に思えます。大陸の衝突やプレートの圧力
で盛り上がる造山運動で出来、峻険に山峰の重畳と連なるヒマラヤやスイスア ルプスなどとは、違った光景があります。滝は日本のように、V字谷にかかる
ものではなく、山頂の高みから垂直に糸を引いてフィヨルドに落ち、フィヨル ドの両側の崖の上には、高原風の起伏が広がっているように見えました。
そんな平坦な道を行きますと、小さなトンネルがあり、抜けると風景は一転 してごつごつした岩山と残雪ばかりの荒涼としたものになります。写真ストッ
プでバスから降りると、フィヨルド地方に初めてやっときた日に登ったダルス ニッパ展望台なみの寒さに震え上がりました。気温は多分五度以下でしょう。
トンネルに入る前の女性的ななだらかな風景とはうって代わり、荒々しさ。斜度45度以上の岩壁を削ってつけた道が、うねうねと続いています。
やがて、急な下り坂にかかり、緑の峪を下り、小さな、しかし水量の多い滝の傍を通過し、ツィンネの滝まできました。
・・・・・・・第三十一回おわり・・・・・・・ (つづく)
by Romanesque (NIFTY-serve ID= HAC01341)
02379/02538 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」(32)
( 4) 95/12/19 15:39
『北欧・・・・・・・・夏の名残に』 (32)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇フィヨルドを巡る旅(5) 1995年 8月26日 天候:曇り時々晴れ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
●美しいリゾートの街 ヴォスまで
○ツヴィンネの滝
「もうすぐ養老の滝・・・・ツヴィンネの滝に着きます」
と、添乗員の木村さん。
<ン? 何なに・・・・養老の滝だと? まさか岐阜県じゃああるまいし?> バスは険しい氷雪の山々を抜けて、遠くに山影の見える田園風景の中に出てき
ました。気温もぐんと上がったようで快適です。
ツヴィンネの滝はルート16号から少し脇道に入ったところにあります。ツヴ ィンネの滝は、疎らに木立の並んだ平坦な丘から3筋ほどの滝が流れ落ちてい
ますが、すぐ大きな岩棚に二つのせかれて幅を広げ、不規則な階段のような岩棚を逆V字形になっています。
添乗員の木村さんから用意の紙コップを手渡され、
「1杯飲めば10年は長生きすると言われています・・・・」
そこで、同行者の一人が、
「2杯飲めば20年ですか、そして3杯飲めば、死ぬまで長生きですね」
と、まぜ返します。
四角い石を積み重ねたような斜面を登ってゆきます。手近なところでコップ に水を汲んで早速飲んでいる人、滝水の流れを避けながら、かなり高い所まで
登ってゆく人、さまざま。ヨーロッパでも大陸の方は、オーストリアを除いて は余りおいしい飲める水には出会いませんが、スカンジナビア半島では、日本
と食堂と同じように水道の水が飲めるようです。
その中でも、ここツヴィンネの滝の水は、口あたりの滑らかさ、爽やかさは 日本の山岳の中でも汚染の心配のない高山の渓流や、名水百選で有名な湧水の
ように、冷たくておいしい水でした。「若返りの滝」の効果は、まず、追跡出来ないでしょうがね。
ツヴィンネの滝を12:00 に出発。再び山道に入り、下り坂にかかった所でカ メラストッブ゜したとき、ここでも放し飼いにされていた羊たちがいて、バス
から降りる私たちを見ると寄ってきて、餌をくれ、という風に頭をすりつけてきました。
○ヴォスの街
Vossの街に入ったのは12:15ころ。まず昼食というわけで、Vangsvatner湖畔のフライシャーズ・ホテルの駐車場へ。灰色のウロコ状の屋根、白い壁、
横長の棟に、中央のやや大きな三角の破風を軸に、寄せ棟屋根の塔屋や小さな 三角破風が左右対称になった、いかにもグレードの高いリゾートホテルと言っ
た造りのホテルで、バレストランドの瀟洒なホテルを少し大きくしたようなホテルです。
中にはいると、真ん中のロビーからの湖の眺めが素敵です。対岸までの距離 は約百メートルくらいしか有りませんので、なだらかな緑豊かな風景が、額縁
に納まった風景画のように眺められます。
ホテル・レストランでの昼食は、お定まりのようにビュッフェ・スタイル。
食後には一時間近く時間の余裕がありましたので、カメラだけ持って(他の荷 物はバスの中)ホテル周辺を散策。眺めのよい道路と湖畔に面した方と反対側
の、なだらかな丘の斜面に向いた所にエントランスがあり、すぐ前は列車の線路に面していました。
線路を跨いでいる陸橋に上がってみますと、ホテルのすぐ隣がVoss駅。 跨線橋から周囲の風景をカメラに収めていますと、オスロ〜ベルゲン間のフロ
ム線の列車が、かなり頻繁に通っているように感じました。五両編成の列車が 到着し、また発車して行きます。異国で眺める鉄道の発着風景は、他の国々か
らの観光客も含めて、人々の・・・・様々なドラマを抱えた・・・・現在進行形の人生の姿が想像できて好きです。
このVossという街は、夏はフィヨルド観光の基地となり、冬はスキー客 で賑わうリゾートの街です。穏やかな湖を抱いた静かな、人口は六千人ほどの
ところ。
●裏見の滝
「ウラミノタキ」・・・・・と音にすれば、「恨みの滝」・・・・ と脳裏にイメージ が勝手に湧いてきて、「さては、そこで誰かが殺されたのかな」と怖いイメー
ジになってしまいますが、日本の各地にも、滝のかかっている岩がオーバーハ ングしていて、滝の裏側まで歩いて行けるところなんですね。
さて、Vossを1時45分に出発した私たちは、今まで辿ってきたE16号線の道路を少し戻ったところで右折し、E13号線に入りグランヴィンの方角に向
かいました。穏やかな山間の道です。シェルヴェの滝が坂道の途中から見えま した。右側には日本であれば、さぞかし「屏風岩」とでも名付けられそうな断
崖の連なる山が現れます。
グランヴィンは、13時56分に通過。この小さな街は、エドゥワルト・グリー クが愛してやまなかった所で、近くのロストフースに暫く滞在し作曲に没頭し
たところだそうです。
ハルダンゲル・フィヨルドの奥、グランヴィン・フィヨルドに沿って暫く走 った所で、目当てのスタンダールの滝・・・・裏見の滝に到着。E13号線から少し
入った所という記憶だけで、バスさんにアナタマカセでしたので、今もって村の名前は記憶していません。
ただ、ヨーロッパ式桃源郷のような、のどかな田園の景観が低い山裾に包ま れて広がっていました。バスの駐車したあたりに、何軒かの建物があり、他の
家々は散在しています。
道から小さな流れに沿った道の山側に、ごうごうと音を立てている滝が見えています。水量は豊かでしたが、30メートル位の高さの滝は特に変わっている
ようにも見えません。しかし、草地のゆるやかな登り道から、滝の横の崖道に さしかかりますと、体重オーバーの我が身には少し応えてきました。
滝を真横に見て、斜面を伝って行きますとすぐ滝の裏に出ました。洞窟の入 口に滝が懸っているようです。水の簾越しに、のどかな田園風景が透けて見え
ています。向こうの方が広く開けているので、絶景かな! 絶景かな!
スタンダールの滝で本日の観光予定はすべて終了。あとは、ただベルゲンを 目指すだけです。えんえんとハルダンゲル・フィヨルドを左に見て飽きるほど
走り、Norheimsundからはハルダンゲル・フィヨルドと別れ、二つ のフィヨルドの間に突き出した大きな半島の横断になります。日本の中国自動
車道も顔負けのトンネル続きの道でした。
もう着くか、もう着くか・・・・うんざりするほど走って、ようやくベルゲンが目の前近くだと分かったときは、ホッ。
17:30 ベルゲンの宿、SASラディッソン・ホテルに到着しました。
・・・・・・・・第三十二回おわり・・・・・・・・ (つづく)
Romanesque (NIFTY-serve ID= HAC01341)
02432/02538 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」(33)
( 4) 95/12/25 17:20 コメント数:1
『北欧・・・・・・・・夏の名残に』 (33)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇ベルゲンにて (1) 1995年 8月26日 天候:晴れ 気温:18度
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
フィヨルドの奥にあるヴォーゲン湾を包むように市域が広がっているベルゲ ンの地形は、長崎湾にとても良く似ています。歴史のある港町の風情がなんと
も言えません。後ろに緑の濃い山があり、瀟洒な建物が這い上っている様は、関西に住む私には神戸に似た印象も受けます。
私たちの着いた今夜の宿、ラディッソンSASホテルは、ヴォーゲン湾の奥 に広がる市街の入口近くになります。ベルゲンフースと呼ばれる、石垣をめぐ
らせた中世の城跡が湾の入口にあり、広場を隔ててすぐもうホテル。山側には12世紀に建てられたベルゲン最古の建造物・・・・白い石造りの聖マリア教会があ
ります。
ベルゲンはフィヨルドの首都と呼ばれているように、フィヨルド観光の基地 として本当に便利なところにあります。ことに観光客がよく訪れる南部フィヨ
ルドを探訪するには位置的に優れています。
と同時に忘れてはならないことは、長年、ハンザ同盟都市として、北方ヨー ロッパの海運、商業、文化の中心地でもあったことです。今でも三角屋根を並
べたかってのドイツ人商館は、その面影をとどめています。
西暦1070年にオーラフ・ヒッレ王が町として開いて以来の、九世紀にわたる歴史があり、現在でも人口22万人を有するノルウェイ第2の都市です。 といっ
ても、日本第2の都市のようにゴミゴミしていませんし、緑の豊かな美しい町です。
私たちは、部屋割りも終わり、ベルボーイがトランクを部屋まで運んできて くれたのを確認すると、もう、夕食の時間ですが、
「夕食後は、ケーブルカーでフロイエン山に、夜景を見に行きませんか」
という木村さんの誘いに、大いに期待していました。
夕食は、
前菜 小エビとメロンのカクテル
メイン サーロインステーキ、赤ワインソース
デザート カスタードキャラメル
●フロイエン山から見たベルゲンの夜景
9時にホテルのロビーに集合。ホテルから出ると、聖マリア教会をぐるっ回り、海岸通りから一筋山手の Obregaten通りへ出て、東にぶらぶら歩いてゆき
ます。途中、大きな三角屋根の連なる旧ドイツ人商館の裏手に出ます。道なりに辿ってゆき、フロイエン山のケーブル駅。
標高 320メートルの山頂まで、わずか6分で登ってしまう小さなケーブル。 でも、公園のように整備された山頂の見晴らし台に立つと、眼下に遮る物のな
いベルゲンが一望できました。
まだ、完全に暮れきってはいません。市街地は目一杯に電灯の光が溢れてい ますが、空の色を映したフィヨルドの水面はまだ明るさを保っていますので、
百%の夜景には程遠い景観です。
それだけに、七つのフィヨルドと七つの山に囲まれたベルゲンの地形は鮮や かに、眼前に展開していました。ベルゲン湾の奥にかたまっている市域、長く
突き出した半島は電灯の光に覆われています。その彼方のフィヨルド・・・・、そ の対岸のほうも、山の麓に市域が広がっています。左手の方にも水面が広がっ
ています。
三脚を持ってきていなかったので、カメラを柵の手すりに固定して、ヘルゲ
ンの夕景を4、5枚撮影。
みるみる空が暗くなってくると、電灯の光は輝きを増し、百万ドルか一千万 ドルかの夜景に変わってゆく様は、そろそろ夜寒が身に染みるのも忘れ眺めて
いました。
再びケーブルで麓に下り、皆は思いおもいに散策がてら町を見ながらホテルには10時40分頃帰着。
明日はまるまる一日ベルゲンの市内の観光です。
・・・・・・・・第三十三回おわり・・・・・・・・ (つづく)
Romanesque (NIFTY-serve ID= HAC01341)
02450/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:「北欧・・・・・夏の名残に」(33)
( 4) 95/12/28 00:16 02432へのコメント コメント数:2
Romanesqueさん、こんにちは。
毎回楽しみに読ませていただいています。(^^
今回はどうしても一言だけ、言いたかったので・・・
ベルゲンの夜景についてです。
私も本当に感動しました。
うまく言葉にできませんが・・・
随分長い時間、その光景から目が離せずにいました。
・・・というだけのことなのですが。(^^;
続きを楽しみにしております。
また、くだらないコメントをしてしまうかもしれませんが(^^;
よろしくおねがいします。
02460/02538 VEG02311 まあパパ RE~2:「北欧・・・・・夏の名残に」(33)
( 4) 95/12/29 07:05 02450へのコメント コメント数:2
初めまして、#02450 石川 さとえ さま。
石川 さとえ さま経由、#02432 Romanesque さま、初めまして。
そして、4番会議室の皆様、最近混ぜて頂いた まあパパ です。
>>ベルゲンの夜景についてです。
>>私も本当に感動しました。
同様です。4年前の夏に行って来ましたが、しかし、上がっていったら
ガスがかかってきて夜景が断片的にしか・・・。天気が良かったら・・・
上り最終で上がって、その、折り返し下り最終で下りてきました。乗客は
登りは私達のツアー有志と、個人で夏期に解放されている大学の寮を渡り歩
きながら旅行していた男性、下りはプラス上の駅の職員さんでした。
ハンザ同盟最盛期を偲ばせる、傾いた商館の並んでいる港沿いの町並みが
懐かしいですね。下りてからケーブルで一緒だった彼を交えてパブで深夜ま
で飲んだくれていました。住んでも良いと思う町がいくつかありますが、そ
の町の中のひとつです。
どうも失礼致しました。
VEG02311 まあパパ
02463/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:RE~2:「北欧・・・・・夏の名残に」(33)
( 4) 95/12/29 13:24 02460へのコメント
まあパパさま、初めまして。
コメントありがとうございました。これからもよろしくお願いします。(^^
今まで私の周りには、北欧へ行ったことのある人はほとんどいなくて、
なかなか北欧の話ができなかったのですが、この会議室にお邪魔して、
同じ風景を見た方、同じ感動を味わった方(感動の仕方は皆違うと思いますが)
とお話ができて、とてもうれしいです。(^^
「住んでも良いと思う町」ということについてですが・・・
以前までは「外国は旅行するもの」と、なんとなく思っていたようなところが
あった気がするのですが、北欧へ1度行ってみたら自然と「ここに住みたい」
という気持ちになりました。(ストックホルムに住みたいよぉ)
自分がこんなに好きになれる場所を見つけられるとは・・と思ってしまった。(^^;
02472/02538 BXC05622 ひよ RE^2:~2:「北欧・・・・・夏の名残に」(33)
( 4) 95/12/31 06:40 02460へのコメント コメント数:2
まあパパさん、石川さん、そしてRomanesqueさん、横から失礼いたします。
ベルゲンの夜景は素晴らしそうですね。
来年、北欧旅行を計画している私としては、すかさずチェックでございます。
夏のヨーロッパでは夜景を楽しむには相当遅くまで街をふらふらしていなけれ
ばなりませんが、北欧は特にそうなんでしょうね‥‥
> 上り最終で上がって、その、折り返し下り最終で下りてきました。
まあパパさんが登られた最終というのは何時ぐらいのことなのでしょう?
ちゃんと暗くなるまで動いているんでしょうか‥‥
北欧のことは勉強不足で、まだ良くわかっていません。
みなさんの楽しい話題でどうぞ盛り上げて下さいまし。
☆★ BXC05622/ひよ ☆★
02509/02538 HAC01341 Romanesque RE:Re^2:^2^2「北欧」ひよさんへ
( 4) 96/01/07 22:59 02472へのコメント コメント数:1
Romanesqueです。遅くなってすみません。
フロウエン山へのケーブルは、「地球の歩き方」では、朝6時から夜中の24時までとなっていますが、本当に本当でしようかね。
私が降りて来た時は、22時を過ぎていましたが、まだ沢山の人々がのんびり夜景を眺めていました。時は夏、冬はどうするのでしょうね。
romanesque
02530/02538 BXC05622 ひよ RE^4:^2^2「北欧」ひよさんへ
( 4) 96/01/08 23:24 02509へのコメント
Romanesqueさん!
旅行記、毎回楽しみにしているんですよぉ。
専用のクリッピングルームを作って保存させていただいております。
「ふむふむ、な〜るほど」と感心するのみで、なかなかコメントを付けさせて
頂くには及ばない自分がちょっと寂しいです。
> フロウエン山へのケーブルは、「地球の歩き方」では、朝6時から夜中の24時まで
けっこう遅くまで動いているんですね。安心しました。
私、青い夜景が大好きでして。普通は「青」の時間帯はあっという間に終わって
しまうので、つまらないんですけど、北欧ならず〜っと青いような気がして、
すごく楽しみです。後は晴れてくれることを願うのみ‥‥
ところで、万が一ケーブルカーが終わってしまったら、徒歩で下山することって
できそうでした? だったら、時間なんか気にしなくってもいいですよね。
飽きるまで夜景をながめていられる‥‥
ああ、本当に北欧旅行は実現するのかなァ。
☆★ BXC05622/ひよ ☆★
02517/02538 QWH02450 石川 さとえ RE:RE^2:~2:「北欧・・・・・夏の名残に」(33)
( 4) 96/01/08 03:25 02472へのコメント コメント数:1
こんにちは、ひよさん。
遅くなってしまって申し訳ないのですが、
「ベルゲンの夜景」について一言・・・
私は「Bergen Vandrerhjem Montana」というユースに泊まって
いたのですが(「歩き方」にものっています)、このユースの
庭(?)から夜景がとてもきれいに見えました。(^^
(山の上のほうにあるんです。ベルゲン駅からバスが出ています。)
私も知らずに泊まっていたのですが、ロビーにいたらなぜかみんな
外に出ていくので「なんだろう」と思って出てみたら・・・・
ここなら時間を気にする必要もないし、おおっこれは穴場だ、
と思ったのですがいかがでしょうか・・・・(^^;
私はドミトリーに泊まっていましたが、ツインもあるようです。
(受付のおにーさんもかっこよかったし・・・って関係ないですね。(^^; )
02531/02538 BXC05622 ひよ ベルゲンの夜景
( 4) 96/01/08 23:24 02517へのコメント
石川さん、こんにちは!
なるほど、山の上にユースがあるんですね!!
教えて下さってありがとうございます。
あ、でもぉ‥‥ 港からみた夜景ってのも撮影してみたいんです、実は。
夜もふけちゃうと帰りのバスなんて動いてないでしょうしね‥‥
う〜ん、悩むなァ
☆★ BXC05622/ひよ ☆★
02470/02538 HAC01341 Romanesque Re:『北欧』・・・「ベルゲンの夜景」
( 4) 95/12/30 23:15 02450へのコメント
■石川 さとえ さん (#2450)
こんにちわ? こんばんわ??
ずっと読んでいただいて、ありがとう。やっと南フィヨルド地方の中心ベル
ゲンまでやってきました。ノルウエイの他の町々も他のヨーロッパ各国とは一
味違った魅力がありますが、とりわけベルゲンの美しさには感激しました。
ベルゲン湾沿いのブリゲン通りに、2筋か3筋細い小路があって、中に入っ
てゆくと、ドイツ商人が仕事場や倉庫として建てた、木造、三角屋根の建物は
函館の金森倉庫のように興趣に富んだ眺めで、奥には工芸家のアトリエなどが
あり、一筋山側から見ると、また風景はガラッと変わって、三角屋根を積み重
ねたような造形的な面白さがあります。
あなたの同感!というレスで、たちまち頭の中に、ベルゲンのあちこちが浮
かんで来ました。
次回には、市内の観光、散策、トロンハイムのエドワルト・グリークの記念
館などを書く予定です。
(・・・・・・が、年末の大掃除や、新たにインストールした
Netscape Navigator
Photo Finish
E/J(英文和訳ソフト)
などの設定作業や、マニュアルなどに手間取り、どうやら第34回は越年しそ
うです (^^;;
石川さんも、活発にあちこちで発言されていますね。本当に FWORLD は楽し
い会議室です。
■まあパパ さん (#2460)
初めまして。あなたもベルゲンに相当の思い入れがありそうですね。「住ん
でもよい」と感じられる所とは、単に見所が多いというだけではなく、ふと通
った小さな通りにも落ちついた情感が感じられたり、人々に親しみを覚える出
会いがあれば、冬が少々厳しくても、住んでみたい、生活してみたいと思うも
の。
まあパパさんの北欧の思いでも伺いたいものです。
今後ともよろしくお願いします。m(__)m
1995年12月30日 Romanesque
02481/02538 HAC01341 Romanesque 「北欧・・・・・夏の名残に」(34)
( 4) 96/01/03 17:21 コメント数:1
『北欧・・・・・・・・夏の名残に』(34)
北欧4カ国とフィヨルドの旅・・・ by Romanesque
◇ベルゲンにて(2) 1995年 8月27日 天候:曇り 後 快晴 朝の気温11度
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「始めは処女の如く、終わりは脱兎の如し」という言葉がありますが、何時 のヨーロッパ旅行の時でも、始めの三日間くらいは、時間の流れがすこぶる遅
く「まだ二日目か」と驚くほどです。しかし、旅の日程も終わりに近づきます と、時間の流れは急加速してアッという間に帰国の日が目の前に迫ってきます。
今日は北欧九日目。そぞろ浮足立ってくる気分ですが、折角一番楽しみにし てきたベルゲン散策の日です。後の日程のことは忘れて、一日目一杯楽しみた
いものです。
予定表を見ますとベルゲン在住の日本女性ガイドさんの案内で、
*午前中
市内観光
作曲家グリーグの家
ブリッゲン(ベルゲン湾に沿った旧市街)散策
*午 後
自由行動
となっています。
午前九時、ロビーに降りると、赤いスーツ姿のガイドさんがもう待機していました。私たちの顔が揃ったところで彼女は、
「おはようございます。ベルゲンのお天気は晴れの確率が3分の1といわれていますが、今日はそのお天気の日にあたり良かったです。半日ですが、
皆さんに美しいベルゲンの街をお楽しみください。さあ出掛けましょうか」
添乗員の木村さんとの打合せも済んだらしく、親しげな様子。
私たちがの乗り込むと、バスはホテルと隣の13世紀に建造されたというホー コン王の居城だった高い城壁との間を右折、石造りの聖マリア教会をぐるっと
半周して右折、湾岸のブリッゲンの通りと平行して山側を走る通りに出ました。
すぐ右手に旧ドイツ商館の建物群が、三角屋根を積み重ねたように眺められ ます。バスは昨夜登ったケーブル駅のところで右折し、細長いベルゲン湾の最
奥の海岸通りへ。ベルゲン市民の台所・・・・魚市場があります。喜劇作家ルード ベック・ホルベルトの銅像が立っている広場を過ぎ、ホテルから見て対岸の通
りに入ると、フェリー乗り場のある埠頭や海運事務所の建ち並んだ広い通りを 走り、ノルウエイの誇る国民的作曲家エドワルト・グリーグも洗礼を受けたと
いうヌイイ教会を過ぎると、半島の突端にある水族館の前をぐるっと回って、 半島の西岸にでると、今度は別の湾を隔ててラックスウォーグ半島を望む道路
に入りました。
一応の見所を踏まえながら、バスの窓からのベルゲン観光です。今日の午後 は自由行動なので、各自、観光あるいは散策の予定を立てる目安になります。
*アマリエス女史の銅像
*正面にヘクリック・イプセンの銅像が建つ国民舞台(劇場)
*グリーグの銅像が立っている市立公園、花とロココ風の優雅な装飾のアズマヤ、湖岸に野外音楽堂(一見、シドニーのオペラハウスに似ていましたが、
随分ちゃち)
*カソリックのセントポール教会
*総ガラス張り壁面のコンサートホール(5月にはベルゲン国際音楽祭が開かれ、ベルゲン交響管弦楽団と内外の演奏家が出演)
*ベルゲン大学は白い建物で、現在、1500人の学生が学んでいるノルウエイでは国立3大学のひとつ。
*アルミ張りの外壁の4層の建物は、科学技術センター(HIB)
*ロープ工場だったというのは、湾岸に沿った道路に面した細長い黄色い建物は、今何に使われているのか聞き漏らしたが、不況で工場閉鎖になった
町工場のような 感じでした。
*西日の射している小高いところの広大な敷地にある建物ガレムハウゲンは、国王が買い取り、皇子が学生の頃、住んでいたところ
などをバスの窓越しに眺めながら走りました。
●トロールハウゲンのグリーグの家
「では、これから少し郊外に出て、皆様が<劇付随音楽ペールギュント>な どの作曲家として良くご存じのグリーグの家に参ります」
と真っ赤なスーツのガイドさん。
バスは、ベルゲン湾を挟んでいる二つの半島から、更に次の半島に移り、商 工業施設など見当たらない静かな住宅地域に入ってゆきます。進行方向右手に
もう一つのフィヨルド湾の光景が時折眺められます。
やがて、空き地といった恰好の広場に停まり、
「ここからは、歩いて頂きます」とガイドさんが、先にたって歩き始め、私たちも後を追います。
「歩き方」には、「グリーグの家は、市の郊外にありバスで15分、HOP 下車。バス停から散歩道を歩いて20分」
と案内しています。植え込みの繁った生け垣に沿った道です。本当に20分も歩 いたのでしょうか。突き当たりに、現代風の建物が見えてきました。上部は採
光のためガラス張りで、下は白い壁に "EDVARD GRIG MESEUN Troldhaugen"の 文字があり、エントランスには三角の平屋根が突き出しています。
ここで、ひとわたりグリーグの生涯を写真で眺め、パンフレットなどを貰います。
スカンジナヴィアの国民主義音楽の大家エドワルト・グリーグ (1843〜1907)はここベルゲンの生まれで、ライプチッヒ音学院に学び、ドイツ・ロマン派の
F・メンデルスゾーン、R・シューマンに傾倒しましたが、1964年にリカルド =ノールドラークを知り、その影響で国民主義音楽の創造を志した・・・・という
風に聞いています。イタリア旅行の後、1867年にノルウエイ音楽アカデミーを設立。
ピアノ協奏曲イ短調(1869)や、ペールギュント組曲などで、わが国の音楽 フアンにも親しまれていますが、晩年は、ドイツ、イギリスでの自作の上演以
外には、ここトロールハウゲンの湖を見下ろす作曲小屋での仕事に過ごしていたそうです。
Tシャツ、音楽テープなど、いろいろなスーベニールを売っていましたが、 まずは見学。小高いところに、周りを芝生と花壇をめぐらせたビクトリア朝風
の白い建物があります。あまり大きくはありません。私たちの目には典型的な 二階建て洋館といった風情です。グリーグ夫妻が生活していた当時の雰囲気が
よく伝わります。
外に出て、細い道を下ってゆきますと、グリーグの等身大の銅像が路傍にあ り、その下に作曲小屋が見えています。更に下ると、一間限りの作曲小屋。中
には入れませんので、ガラス窓越しに額をガラスにくっつけて室内を眺めまし た。反対側の明るい窓辺に大きな木製のデスクと背もたれの丸い椅子。左手に
は煉瓦を積んだ壁面にくっつけてアップライトのピアノ。ピアノの上にはメト ロノームと一輪挿しの花瓶。鍵盤の上には蝋燭立てが左右に付いています。電
気照明の無かった時代のピアノはこんなものでしょうか。
楽譜が開いて置かれていましたが、窓からの覗き見では、どんな曲なのかは見えません。広さは20平米ほどでしょうか。
作曲小屋の脇をさらに下ると、フイヨルドの畔にでます。やや曇りかげんに なって来た空の色を映して、波もなく穏やかな水面が広がっていました。グリ
ーグも作曲に倦んできたとき、フトその景色に目をやったことでしょう。
また、元の道を引き返し、グリーグ夫妻の墓の方を目指します。グリーグの 奥さんとなったニーナ・ハーゲルーブーは彼と従兄妹どうしで、ニーナが18歳
のとき再会し、1864年のクリスマスの時に婚約、67年に結婚。しかし、双方の 家族たちは音楽家としての彼に経済的不安を持ち、誰も結婚式に出席しなかっ
たといいます。
また彼女は声楽家としての名声も得るようになり、私たちも良く知っている 歌曲「君を愛す」「茶色の瞳」などグリーグ歌曲の良き理解者、演奏家として
も知られるようになっています。
その二人の墓というのが、そそり立つ岩壁の中程に、井桁形に組まれた石が それだというのです。いかにも冷たそうな、寄りつき難い場所です。
また墓所への途中、二つが繋がったような草屋根の平屋がありました。これ がコンサートホール「トロールサルーン」。斜面に立っているので、まさかこ
れが!とびっくり。建物内部は白木造りで収容人員200人とは!
再びミュージアムに戻り、グリーグの肖像の入ったTシャツと、テープを購入しました。演奏時間は15分ほどの、いずれの曲も一部分の抜粋。背景にベル
ゲンやフィヨルドの風景が流れます。
1. ピアノ協奏曲イ短調
レイフ・オーヴェ・アンスネス/ピアノ
ベルゲン交響楽団
2. ソルファーゲルとオルメコンゲン
エヴァ・クナルダー/ピアノ
3. 山の王の宮殿で(ペール・ギュントより)
CSSR国立交響楽団
4. 弦楽四重奏曲ト短調 第四楽章「フィナーレ」
ノルウエイ弦楽四重奏団
5. 愛せよ(ハウグトゥッサより)
マリアンネ・ユーヴィク・セーポー/ソプラノ
クヌート・アルブリット・アンデルセン/ピアノ
6. 組曲ホルベルクの時代から「プレリュード」
ノルウエイ室内交響楽団
「人生は不思議だ。民謡のようなもので、その旋律が長調なのか短調なのか、人は知らない」・・・・とグリーグの語った言葉。海外での音楽学生のときの望
郷の念にかられた時、最愛の娘アレクサンドラを亡くしたときの絶望的な悲しみ、 妻との不和・・・・など、栄光の陰で味わった様々な辛酸が、語らせた言葉。
通りすがりの旅人は、彼の名声と栄光ばかりしか見ないが、グリーグの音楽が 私たちの胸に響くのは、単なる才能の問題ではなく、彼の過ごした一生が響
きの中に籠もっているのではないでしょうか。
また地道をぽくぽくと歩いてバスに戻り、旧市街のほうに戻りました。
・・・・・・・・第三十四回おわり・・・・・・・・ (つづく)
by Romanesque (NIFTY-serve ID= HAC01341)
02483/02538 KFD00727 みっきい RE:「北欧・・・・・夏の名残に」(34)
( 4) 96/01/03 23:26 02481へのコメント コメント数:1
Romanesque さん、あけましておめでとうございます。
シベリウスの時にコメントを付けさせていただこうかとも思ったんですが、
まあグリーグも読ませていただいてから、と待っていたら、年を越してしまいました。
相変わらずの大作ですね。
今回の旅行記は出発の時に同窓の方に会われた話から、Romanesque さんの
人間味みたいなものがいっぱい出ていて、北欧のことが良く分からない私でも
とても面白く読むことが出来ます。
特にホテルの部屋を変えてもらう話が面白くて、状況を想像して、吹き出し
てしまいました。
みっきい
02486/02538 HAC01341 Romanesque 明けましておめでとう・・・みっきいさん
( 4) 96/01/04 11:25 02483へのコメント
****** 明けまして おめでとう・・・みっきいさん *******
お元気でしたか。昨年はひどい年でしたね。幸い、京都に住む私は1月15
日の明け方、ドーンという音と共に3回ほど突き上げるような縦揺れに、びっ
くりして飛び起きましたが、「京都震度5」というニュースにもかかわらず、
本棚に詰め込んだ書籍が落ちて散らばったり、いい加減に掛けてあった額が落
ちた程度で済みました。
しかし、同窓生の阪神間に住んでいた六人は、半壊一人だけ、あとの五人は
軽度の被害だけで済んだようです。
「北欧・・・・・夏の名残に」も35回まで書き込み、後5回くらいでネタが尽き
るのではないかと思います。グリーグ記念館で買ったビデオテープには、日本
語版のパンフレットが付いていて、彼の生涯が詳述されていたのですが、あま
り細かいことまで書いても・・・・と、大部分は省きました。
みっきいさんの今年のご予定は?
私は一応、「バルト3国とポーランド」にしようか、と考えています。しか
し四度目のスイスもいいな、思い切ってザルツブルグ音楽祭にしようか、と贅
沢に思い悩んでいるところです。
では、みっきいさん、今年も