Log (Apr 2004)

■2004年4月30日(金)  ─ 欽ちゃん?金ちゃん! ─

 唐突ではあるが、徳島製粉の「金ちゃんヌードル」を
 ずっと「欽ちゃんヌードル」だと思っていたことが発覚した。

 嘘だと言ってよ欽ちゃん。

 実にどうでもいいことだが、
 20年以上信じていただけに、地味にショックだ。

 「金ちゃんヌードル」は全国区だと思うのだが、もし東海地方ローカルだったらすみません。


 そういえば、「欽ちゃん」こと萩本欽一の姿をテレビで見るのも、今や仮装大賞くらいになった。

 今の10代にとっては、「欽ちゃん=仮装大賞の人」という図式が完成しているのだろう。
 「欽ちゃんの時代」なんてものは、もう20年近く昔に終わっている。
 俺にとっても「欽どこ」なんて、かなり忘却の彼方だ。

 欽ちゃんにとって最後の砦でもある仮装大賞ですら、冠に名前はあれど実質はお飾りに過ぎない。
 その存在としての透明さは、ある意味滑稽でもあり、物悲しくもある。

 番組のシンボルであるところの「欽ちゃん」は、
 同じくシンボルであるところの「欽ちゃん走り」でステージ上を動き回る。

 仮装大賞の真の大賞は、「欽ちゃん」の仮装をした萩本欽一なのかも知れない。

 視聴者は、そこに確かに「欽ちゃん」の存在を確認する。
 しかし、それは「萩本欽一」ではなく、限りなく透明な「欽ちゃん」という記号。
 もしくは、過去に見た「萩本欽一」の残像。

 それは、あたかも「欽ちゃんヌードル」のような想像の産物でしかない。

 ***
 おまけ。

 明日は別プロジェクトのヘルプのため、岐阜羽島まで休日出勤。
 結構大変なことになっているらしく、作業終了予定時刻は未定。

 何でそういうことを前日に言うかな。


■2004年4月29日(木)  ─ 徒然と。 ─

 ***
 「菅直人の国民年金未加入。」

 脇が甘いとしか言いようがない。
 「あしたのジョー」並みのノーガード戦法か。
 逆に、見事にKOされた感じ。

 「未納三兄弟」というのも、うまい表現ではないと思う。
 いかにもおもねっているようで、見え透いた表現だ。
 今さら「だんご三兄弟」でもないだろう。
 政治的手腕はともかく、菅直人のセンスの底は見えた気がする。

 こんなのが、年末には流行語大賞にノミネートされるかと思うと、今からげんなりだ。

 ***
 ゴールデンウィーク初日は、一日中寝て過ごした。
 明日は出勤だが、やる気が出ないんだろうなあ。

 そういうときに限って、サーバの障害が起きたりするのは何でだろう。

 ***
 みかん。


■2004年4月28日(水)  ─ 上司を使え。 ─

 自分と比較して、職位があまりに高い場合は別だが、
 基本的に、上司は仕事をする上での道具の一つだと思う。

 自分の仕事を円滑に進めるためなら、直属の上司だって使う。
 俺は、自分だったら部下に持ちたくないタイプの部下だ。

 一方的な上意下達だけでは問題があり、
 ボトムアップのアプローチがあってもいいはずだというのが、俺の持論。

 俺とリーダーの関係は、割とそんな感じだ。
 7歳上のリーダーにタメ口をきくあたりに問題を感じないでもないが、
 それでも仕事は回っているので結果オーライ。

 逆に、後輩とリーダーの関係は完全な上意下達の関係。
 後輩がリーダーと話すときは、「これでもか」というくらいバカ丁寧な敬語口調。
 過剰な敬語を使う結果、傍で聞いていても何が言いたいのか分からず、
 結局意思の疎通ができていないのが致命的ではある。

 前の会社は、主任レベルの役職者も含め、ほとんどの社員が20代だった。
 そのため、あまり上意下達の企業風土に晒されてこなかった。
 それはそれで、よかったのかも知れない。


 「言われたことをする」のが仕事ではなく、「自分で考えて作業をする」ことが仕事なのだという考え方。
 その作業のためなら、上司を使うことすら厭わない考え方。

 それが、前の会社で身に付けて、現在役に立っている(?)数少ない仕事術だ。

 新しいパソコンが来た。 (フレッシュマンの皆さんへ。こういう上司の使い方は間違っています。)


■2004年4月27日(火)  ─ 『死の壁』。 ─

 朝晩の通勤電車で、養老孟司氏の『死の壁』を読んでいる。

 あとがきで、「『バカの壁』の続きのようなもの」と本人も書いているが、確かにそんな感じだ。
 『バカの壁』や『養老孟司の<逆さメガネ>』なんかと、書いていることの本筋は大差がない。
 その辺りは、口述した話を書き起こすという方法によるのかも知れない。

 確かに「死」を主題にはしているが、タイトルにある「壁」は、とって付けたような印象を否めず、
 永 六輔の『二度目の大往生』にも似た、
 いかにも「二匹目のドジョウを。」という編集者のあざとさを感じる。

 どうせなら、前作からは「バカ」の方を継承して、
 『バカの死』とかにした方が、とかどうでもいいことを考える俺もあざとい。

 途中で少し散漫になる印象はあるし、全面的に賛同はしないが、
 分かりやすく、読者が納得できるように書かれているし、それなりに考えさせられた。

 ベストセラーになるのも頷ける。

 ***
 おまけ。

 食欲がなかったので、
 昼飯はメロンパン1個にした。
 よく確認せずに購入したら、小倉あん&生クリーム入りで、
 午後は○○、思いっきり胸焼け。

 絶妙なハーモニー


■2004年4月25日(日)  ─ 電子自治体の胡散臭さ。 ─

 >><総務省>「電子自治体」統合を計画

 この手のシステムでよく聞かれるのが、
 「転居や出産の際、1回の電子申請だけで、煩雑な手続きが一挙に完了する。」など、
 国民の利便性とかいう、一見もっともらしい言説なのだが、
 そんなに頻繁に転居や出産なんかしないだろう、といつも思う。
 また、それが自治体の業務遂行の負担になっているとは思えない。

 実際に、どれだけの経費が削減できるのか。
 セキュリティも含め、整備・運用にどれだけの税金がかかるのか。
 もし情報が漏洩した場合はどうするのか。

 そういう前提となる情報を広く公開することもなく、
 「こんなシステム作りたいから予算をよこせ」というのも乱暴な話だ。

 1回の申請で、あれもこれもと変更されるのも、逆に怖い。

 国民の利便性を大義名分に掲げてはいるが、結局は国民の側を向いていない気がする。
 総務省が、予算枠を縮小されるのを嫌がって、ムリヤリぶち上げた構想のような感じ。

 いかにもコンピュータのことを知らない、役人の考えそうなシステムだなあと思った。

 よく考えてみたら、俺、住基ネットすら利用したことないな。

 ***
 私信:
 ※ヒラメとカレイの見分け方。
  目が上にくるように置いたとき、向かって頭が左になるものがヒラメで右になるものがカレイ。

 というわけで、あれはカレイのお造りでした。

 教育テレビ的。


■2004年4月24日(土)  ─ ファーストフード店にて。 ─

 ファーストフード店で、会計の際に5千円札や1万円札で支払うと、
 店員同士で「5千円札入ります。」みたいな確認をするのを見かけるが、
 あれの意味が分からない。

 今日の夕飯はファーストフードで済ませるか、と某フライドチキン店に入ったものの、
 ちょうど夕食の時間帯だったこともあり、店内は戦場のような忙しさ。
 バタバタと注文に追われていた。

 数分待たされた後、自分の番になったので注文をする。

 千円札がなかったので、仕方なく1万円札で支払ったのだが、
 1万円札を受け取るやいなや、いきなり後ろを振り返ると、
 鬼の形相で忙しく紙袋に商品を詰め込んでいる同僚の脇腹をツンツンと突き、
 顔を上げた同僚の鼻先で1万円札をピンと広げた。

 ・・・変な感じだ。

 オーダーを捌く手を止めてまで、お札の確認が必要なのか。
 それは確かに、マニュアルにのっとった行動なのだろうが、
 ただマニュアルに沿っているだけで、何も考えていないように思える。
 少なくとも今はそんな状況じゃないだろう、と小さく突っ込みを入れる。

 一瞬一瞬、状況に応じて判断して行動できなければ、
 円滑に物事を進めるのは難しい。


 しかし、もし支払われたのが2千円札だったら、
 俺も思わず同僚に見せずにはいられないんだろうなあ。

 最近、トンと見かけないな、2千円札。

 2000円札。


■2004年4月22日(木)  ─ 一世風靡セピア。 ─

 >>鈴木亜美ウルトラCD文芸春秋から発売
 >>AOLがネットスケープの復興を計画中

 何とも一世風靡セピアなトピックス。
 「負け組の再挑戦」というのは、中高年ウケしそうな要素だ。

 どちらも、メジャーへの返り咲きは難しいんだろうなあ。
 正統派たりえない場所からのリスタート。

 一度積み上げた実績が崩れてしまったとき、
 もう一度積み上げるための労力は、一度目とは比べ物にならない。
 まず、地ならしにするのに時間がかかる。

 そして、固定化してしまったパブリックイメージを拭い去るのにも、
 膨大な時間と労力が必要だ。

 現状ではどちらも苦戦が予想されるし、
 マスコミが取り上げるのも今だけかもしれない。

 ドラスティックな変化など、そうそう起こるものではないが、
 芸能界もコンピュータの世界も、流動的で何が起こるかは分からない。

 長い目で見ることが重要なんだろうと思う。

 いっそのこと、一世風靡セピア並みに別のジャンルに転向してもいいかも知れない。

 いっそのこと。


■2004年4月21日(水)  ─ ふと。 ─

 「ネットスケープナビゲータ」と「ネットスケープアリゲータ」って似ているなあ。
 と、ふと思った。

 そんな、何にもなかった一日。


■2004年4月20日(火)  ─ mistake A for B。 ─

 飲み屋やファミレスで、スーツの上着を脱いで席を立つと、
 必ずと言っていいほど店員に間違われる。

 ワイシャツにスラックスという出で立ちは、確かにそれっぽい。
 しかし、周囲のサラリーマンにも似たような格好をした人は大勢いる。

 その中で、俺だけが呼び止められたり、
 手を上げて合図されたり、手招きされたりするというのは、
 俺の持つ雰囲気か何かに原因があるのだろう。

 間違われる側も気まずいが、間違えた側もかなり気まずそうだ。

 「アラ、やだ。ごめんなさい、バイトの子かと思っちゃって・・・。ほほほほ。」

 ・・・これでも28歳です。
 フォローのつもりなら、せめてチーフとか言ってください。

 はふー。


■2004年4月19日(月)  ─ お仕事のこと。 (おまけ付) ─

 今の職場では、協力企業の技術者にも入ってもらって開発をしている。

 そのうちの一人が、どうにも自分勝手だ。

 自分の意見が取り入れられないと、露骨にふて腐れる。
 自分の意に沿わない面倒な仕事は、
 ウダウダと屁理屈をこねて、やらない方向へと持って行きたがる。
 終いには、「やる意味がない」とか言い出す始末。

 それはお前が判断することじゃないだろうと咽喉まで出かかったのを、ムリヤリ飲み込む。

 はっきり言ってしまえば、幼稚。

 プログラムはそれなりにできるのだが、
 開発を任せて上がってくるのは、一人よがりというか、
 他の人にはメンテナンスできないような、本人曰く「美しい」プログラム。

 一言で表現すると、
 「興味のあることなら、喜んで余計なことまでやりますが、
 やりたくないことは絶対やりたくありません。」という人種。
 この業界には、結構多いのかもしれない。
 そういうスタンスで、今まで数々の会社を渡ってきたのだろう。迷惑な話だ。

 別に好き嫌いで仕事をするつもりはないが、
 好き嫌いで仕事をしてもいいなら、間違いなく一緒に仕事をしたくない相手だ。

   ガラスのように脆く、壊れやすい仮面。
   人は素顔を隠して、それを被る。

 恐ろしい子・・・。

 ・・・月影先生、俺にも『紅天女』を演じられる日は来るかしら。

 ***
 おまけ。
 ビバ、生八橋。

 週末に京都に行ったオペレータさんから、お土産として生八つ橋をいただく。
 京都か、いいなあ。

 生八つ橋には、どこか雅びやかなイメージがあるが、
 「ヘルシア緑茶」のお茶請けになってしまうと、雅もへったくれもない。


■2004年4月18日(日)  ─ クローン猫。 ─

 >>クローン猫、世界初販売 米企業、ビジネスに批判も

 可愛がっていたペットを失う悲しみは、理解できなくもない。
 人それぞれ、悲しみを癒す方法は様々であってもいいとも思う。
 しかし、クローンを得ることで喪失感を埋めるというのは、どこか納得しかねる。

 それは、ペットロスの悲しみに正面から向き合っていないような気がする。
 ペットと過ごした時間や思い出は唯一無二であって、
 たとえどんなに姿が瓜二つであっても、取り戻すことはできない。
 短絡的に取り戻そうとする行為は、目的を見失って迷走しているようにしか見えない。

 単に姿形を愛しているなら、それでもいいかも知れない。
 しかし、それは愛玩にも値しない自己満足だと思う。

 逆に、クローニングで生み出された猫が不憫だ。
 きっと、飼い主の記憶に残るイメージと常に比較され、ありのままを受け入れてもらえない。

 生命は生まれるものであって、作り出すものではないというのが率直な印象。
 絶滅危惧種の保存のためとか言うならまだしも、
 個人の精神的充足のためにクローン技術を用いるというのは、どこかおかしいと思う。

 しんみり。


■2004年4月17日(土)  ─ モーニング娘。の拡大再生産。 ─

 Jポップのカウントダウン番組を見ていたら、モーニング娘。がランクインしていた。

 10秒ほどプロモーションビデオが流れたのだが、
 そこに映るメンバーの、名前どころか顔すら知らなかった。

 画面の下のテロップに「モーニング娘。」と書かれていなければ、
 「最近デビューした新人アイドルグループです」と言われても、きっと納得していた。

 かつてそこにあったと思っていたものが、既にそこにはなく、
 別な場所にそれは存在していると人は言うのだが、妙な違和感を感じる。
 俺の知っているモーニング娘。は、過去完了形のモーニング娘。なんだなと感じた。

 そもそも、モーニング娘。には実体がないような気がする。
 いや、徐々に実体が失われていったと言った方が感覚的に近いか。

 語弊を恐れずに言うならば、
 「モーニング娘。のメンバーに加わりたい」という女の子の憧れの受け皿として
 拡大再生産され続けているだけ、という印象を受ける。

 それを非難するつもりもない。きっと需要はあるのだろう。
 しかし同時に、セールスの面では単純再生産、もしくは縮小再生産され続けている印象もある。

 エンタテイナーの無理な拡大再生産は、エンタテイメントの縮小再生産に繋がるのかも知れない。

 ・・・俺は、いつ頃からエンタテイメントに夢を見なくなったのだろうか。


■2004年4月16日(金)  ─ 情報処理試験について、徒然と。 ─

 ***
 4月上旬は当初の予想以上に忙しかったので、資格試験の勉強は捗っていない。
 今日の今日まで、受験票に貼る証明写真のことすらすっかり忘れていた。

 昼休みに証明写真を撮ったのだが、
 最近のインスタント証明写真は侮れない。
 まるでプリクラのようだった。

 まず音声案内があり、撮影したらディスプレイに画像が表示され、
 気に入らなかったら撮り直しまでできる。

 さらば、数百円払って人前に出すのも憚られるような証明写真を撮った日々。
 こんにちは、技術革新。

 資格試験や履歴書用の写真なら、「はくり紙をはがしてシールのように貼れる」くらいの
 インスタント証明写真があってもいい気がした。

 ***
 情報処理技術者試験には、なぜか前時代性を感じてしまう。

 それは、「情報処理」ということばの持つデジタルなイメージと、
 「HBの黒鉛筆又はシャープペンシル」、「鉛筆削」、「定規」といったアナログさとの
 ギャップが引き起こすものなのだろうか。

 マークシート方式の微妙な古臭さがそうさせるのだろうか。

 それとも、実務とは関わりの薄い、学術的な設問に対するアンチテーゼなのだろうか。

 技術は日進月歩で進んでいくのに、
 旧来の技術の枠組みの中で知識をこねくり回しているようで。

 試験会場で問題冊子を開くたび、一瞬、どこか冷めた目をした自分を感じる。

 消すとき苦労する。


■2004年4月14日(水)  ─ 大河ドラマ。 ─

 >>NHK「義経」はアイドル大河ドラマ

 世間一般で、大河ドラマがどんな風に受け入れられているのかは知らないが、
 とりあえず、俺の中では蜃気楼に浮かぶ城郭のようなイメージ。
 ぱっと見は重厚そうなんだけど、実態がないというか、そんな感じがする。

 それとも最近では、日曜日の20時台にNHKで放映しているドラマのことを総称して
 「大河ドラマ」と呼んでいるのだろうか。
 大河ドラマの定義について、考えさせられる。

 別にどんな題材で、誰をキャスティングしようが構わないのだが、
 大河ドラマにはいろいろと腑に落ちない点がある。

 NHKは、大河ドラマの伝統を重んじて、存続することばかりに気を回した結果、
 逆に伝統を守れなくなっているような気がする。

 大河ドラマをやめるという選択肢だってあっていいはずなのに、
 それでも頑なに制作を続けるのは「受信者の皆様のため」というよりは、
 己が面子のためのように思えてしまう。
 それは紅白歌合戦にも言えることなのだが、どこか使命感すら感じる。
 内向きの使命感。内向きの盛り上がり。

 伝統を守ることは大切だが、守る意味を見失ってまで守る伝統に、俺は価値を見出すことはできない。
 迎合に迎合を重ねた末に、何が残るというのか。

 視聴率の高低がコンテンツの善し悪しと直結するとは思わないが、
 たとえ「義経」が高視聴率を記録しても、きっと俺の記憶には何も残らない。

 もしも低視聴率を記録したら、「それ見たことか」という記憶を深く残そうと思う。

 感染源。


■2004年4月13日(火)  ─ それってどうなの。 ─

 >>キムタク 宮崎アニメで声優初挑戦

 宮崎駿のアニメ作品でいつも不思議なのは、声優経験のないタレントを起用する点だ。
 『となりのトトロ』の糸井重里あたりから違和感を感じているのだが、
 年々、その違和感は増すばかりだ。

 物語がいくら素晴らしくても、演じる人間のスキルが低ければ興ざめだ。
 エンタテイメントとして、画竜点睛を欠いているような気がしてしまう。

 逆に、著名な声優でガチガチに固められた映画を好まないのかも知れない。
 新しい血が入ることで、作品に化学変化でも起こると思っているのかも知れない。
 しかし、「ハウル=美青年、日本を代表する美青年=木村拓哉」という起用理由は、
 真偽の程は分からないが見当違いだ。
 話題を先行させようという魂胆が透けて見える。

 結局、誰が演じようが『ハウルの動く城』の国際的な評価は変わらない気がする。
 木村拓哉の評価が国際的に高まることも、恐らくないだろう。
 評価する人間は、きっと吹き替え版を見るか、字幕しか見ないだろうから。

 国内、もしくはアジア向けのパフォーマンスだと思うと、何か気分が萎える。
 小手先の話題作りよりも、作品のクオリティで勝負して欲しい。

 回復中。


■2004年4月12日(月)  ─ 飛ばねえブタ。 ─

 先週末で仕事にひと区切りついた。
 それでもまだ安心はできないのだが、峠は越えた感じがする。

 そんな気が緩んだ週末、風邪をひいた。

 今回の風邪はノドにくる風邪らしい。ついでに少し熱っぽい。
 何かもう、森山周一郎みたいな声。

 ブタモオダテリャキニノボル

 響声破笛丸料エキス顆粒A飲んで寝ます。


■2004年4月11日(日)  ─ まんまとやられた。 ─

 残業中につまむ非常食が切れかけていたので、スーパーに買いに行った。

 チョコレート系は引き出しの中で溶けてデロデロになるし、スナック系はキーボードが汚れるので、
 だいたい個包装のクッキー系を買うことが多い。

 そして、ふと目に飛び込んできた、あのクッキー菓子。

 1986年のマリリン。

 稀少動物だの、アリスだの、ディズニーキャラだの、
 フィギュア付きの菓子には見向きもしなかった俺ではあるが、
 この手の路線には食指が動いてしまった。

 前のシリーズが70年代ポップスで、あまり馴染みがなかったので安心していたのだが、
 80年代ポップスは直球ど真ん中だった。

 思わず手に取ろうとする右手と、「メーカーの思惑に惑わされるな」と制止する左手。
 神の左手、悪魔の右手。
 いい年こいた大人が、食玩の前で葛藤。

 ・・・結局、購入した。
 懐かしがるだけでは、何も生まれないと頭では理解していても、
 身体が言うことをきかなかった。
 他のラインナップは割とどうでもよかったが、「1986年のマリリン」にしてやられた感あり。

 オマケが欲しくて菓子を買うという構図は、
 ビックリマンやプロ野球チップス、仮面ライダーチップスの例を引くまでもなく、
 20年以上前から続く系譜だ。

 手を替え品を替え、懲りないメーカーと、飽きない消費者。
 このイタチゴッコは、いつまで続くのか。

 とりあえず、俺は次の波までは思惑に乗ってもいい気がする。


■2004年4月10日(土)  ─ 親と子。そして、いのち。 ─

 >>長時間TV、言語に遅れ=1歳半、3倍近い格差も−日本小児科学会が提言

 「テレビゲームが青少年に与える影響」とかも含め、
 この手のレポートはいつも眉唾だと思う。

 『だからテレビを見せてはいけない』とか『暴力的なシーンがあるゲームは規制すべきだ』とか、
 短絡的で、とても根本的な解決にはなりそうにない結論ばかり。

 人間に限らず、動物の子供は親や兄弟との関わりを通して社会性を獲得していく。
 一人で長時間テレビを見せても、
 その分抱いてやったり、話し掛けてあやしたりすれば構わないのではないか。
 提言にも、少しはそういう言質がないではなかったが、スタンスが違う気がした。

 テレビを見せるのを止めても、スキンシップがなければ同じことで、
 「子育てに無関心な親」を「長時間のテレビ視聴」でカムフラージュしているに過ぎないように思う。
 問題をすりかえているような気がしてならない。

 全てを何かのせいにして、責任をなすりつけてしまうのは楽だ。
 それは、時にセンセーショナルでもある。
 しかし、世の中はそんなに単純ではない。

 最近、「親子の絆」を信じられなくなる痛ましい事件が多い。
 塾に行くのを嫌がっただけで子供の首を絞めて殺してしまったり、
 泣き声がうるさいと言って、虐待してしまったり。

 親になること。
 それはきっと、俺なんかが思っているより、ずっと大変なことなんだろう。

 しかし、親と子の絆を刹那の感情で断ち切ってしまうのは間違っていると思う。
 どんな言葉で取り繕っても、賛同はできない。

 「親子」、「家族」。それは一番小さな社会の単位。
 社会である以上、ひとつやふたつは問題を内包しているかもしれない。
 いかに向き合うか。それが大切なのだろう。

 春に、同僚に赤ちゃんが生まれた。
 すごい嬉しそうで、既に親ばかだなあと思いながら見ている。

 親になること。
 それはきっと、俺なんかが思っているより、ずっと嬉しくて楽しいことなんだろう。

 親にも言われる。


■2004年4月9日(金)  ─ 独楽。 ─

 回るのをやめれば、独楽は倒れてしまう。
 泳ぐのをやめれば、マグロは窒息してしまう。

 かつては、俺にもそんな何かがあったような気がした。

 これが無かったら、これをやめてしまったら、
 生きていくことさえできないと思える、何か。
 それほどに、がむしゃらになれるもの。

 ある日、俺はそれを失っても生きてはいけると知ってしまった。
 あるいは、自分の限界が見えてしまったのかもしれない。

 それ以来、きっと俺という独楽は回転を緩め、ゆらゆらと惰性に任せて揺れている。

 いっそ倒れてしまえば、状態として安定するのかもしれない。
 いっそ倒れてしまえば、楽なのかもしれない。

 今の仕事は、徒労も多いがそれなりに楽しいし、
 今の職場も嫌いじゃない。

 些細な不満を挙げればきりがないが、どれも本当に些細で。
 時間は目まぐるしく過ぎ去っていくのに、感覚として緩慢で。

 このまま緩やかに止まってしまうんじゃないかと、ときどき不安になる。
 春は、心惑う季節。

 お疲れモード。


■2004年4月8日(木)  ─ 気になるラジオはBBC。 ─

 仕事が切羽詰ったとき、
 鬱になる人もいれば、躁になる人もいる。
 俺は、忙しさの程度にもよるが割と後者だ。

 仕事に忙殺されているときほど、鼻歌なんか歌っていることが多い。

 普段は鼻歌なんか歌いもしないというのに。
 何らかの精神的防衛機制なのだろうか。

 しかし、鼻歌は無意識に歌ってしまうものなので、
 本人も思いもよらない選曲をしていることがあり、驚く。

 今日の選曲は、パフィーの「渚にまつわるエトセトラ」。
 懐かしいというか、何と言うか。
 自分でもその微妙なセレクトに戸惑った。

 しかし、曲調といいシュールな歌詞といい、
 妙にナチュラルハイな疾走感漂っていた今日の俺の精神状態には
 ピッタリとマッチングしていたような気がする。

 リズムがハジけて、お仕事モード。

 今週いっぱい、お仕事モード。

 気になる・・・。


■2004年4月7日(水)  ─ 助けて、ドラえもーん。 ─

 あんなこと、いいな
 できたら、いいな
 あんな夢こんな夢いっぱいあるけど

 みんなみんなみんな叶えてくれる
 不思議にあっけなく叶えてくれる

 「リストを自由に出したいな♪」
 「処理の時間を短縮してほしいな♪」
 「こういう場合はボタンを押せないようにしてほしいな♪」

 『はい、残業だ〜。』

 あんあんあん、ちっとも終わらん、プログラム。

 イモジャネエ。


■2004年4月5日(月)  ─ デラックス野球盤。 ─

 雑誌の背表紙に、エポック社の野球盤の広告が掲載されていた。
 野球盤とはまた懐かしい。

 「消える魔球」とかあったよなあと思っていたら、まだあるらしい。
 俺が野球盤で遊んでいた頃から、約20年は経過しているというのに、
 未だに野球盤といえば、「消える魔球」。
 スタンダードと言えなくもないが、進歩がないような気もする。

 出塁した走者が盗塁できる盗塁機能とか、
 新機能を付けようという動きは、ここ20年一度もなかったのだろうか。
 それとも、俺の知らないところで
 そういうバージョンを作ったが売れなかったのか。

 野球盤には、懐かしい70年代のにおいがする。
 逆にそういう懐古の要素がなければ、今さら楽しめない玩具ではあると思う。
 プレステ2のリアルな野球ゲームと比べると、どうしても子供への訴求力に今ひとつ欠ける。

 「消える魔球」も、当時としてはなかなかキャッチーだったと思うが、
 今にして思えば「消え」ていない。
 野球は詳しくないのでよく分からないのだが、
 球が打者の前で沈むのなら、シンカーとかフォークとか、
 そういう類なのではないだろうか。


 最近、ファミコンのソフトが復刻したりと、
 マーケティングのメインターゲットは何かと30代前後だ。
 野球盤の広告もそういう時流に乗っているのだろうか。

 「旧きを温ねて、新しきを知る。」

 たまには懐古も大切だとは思うが、
 ただ懐かしがるだけでは何も生まれない。

 復刻希望。


■2004年4月4日(日)  ─ 100年後。 ─

 ドアにはロックが掛かっている。

 既に役所には申請書を提出してあった。
 軽く、ドアノブを握る。

 ドアノブは指紋を認識するようになっており、
 握ると自動的に中央のコンピュータに接続され、認証が開始される。

 指紋の情報から、個人に割り当てられたIDが検索され、
 それに紐づく個人情報がシステム上に読み込まれる。
 名前、生年月日、住所、これまでの利用履歴、信用情報。

 認証が終わると、行き先・申請理由・滞在期間といった申請情報が読み込まれ
 「行き先」情報がシステムにセットされる。

 ..SUCCESS.
 SYSTEM-ALL-GREEN.

 「カチャリ。」

 小さく短く、鋭い音が響いた。
 ドアのロックが外れたのだ。
 「さあ、行こうか。」


 それは、鮮やかな桃色の扉。
 面倒な手続きさえ踏めば、どこへだって行ける扉。

 ***
 ドラえもんの道具には、夢がある。

 本当にあったら、楽しいだろうなあと思う。
 しかし、「タイムマシン」や「どこでもドア」が出回ったら、間違いなく社会が混乱するはずだ。
 夢に技術が追いついたとき、それは容赦ない現実に変わる。

 ・・・技術屋の発想、官僚の発想。
 夢の実現を阻むのは、技術の壁ではなく人の壁なのかも知れない。

 藤子・F・富士夫さんごめんなさい。
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 タケコプター?世界最小の1人用ヘリコプター 「GEN H-4」 : エンジニアリング・システム株式会社


■2004年4月3日(土)  ─ 就職について、徒然と。 ─

 今日は休日出勤だったのだが、帰りの電車でスーツ姿の女の子を見かけた。
 土曜日だというのに、就職活動だろうか。

 自分が転職経験者だからというわけではないが、
 「定年まで1つの会社で働くのが当たり前」という風潮は年々薄くなっている気がする。

 ソフトウェア系の会社だと、会社自体が若いから
 古い企業体質があまりないのかも知れない。


 就職すると、そこから何かが変わるような、もしくは、
 そこから自分の何かが固定されてしまうようなイメージもあるが、
 基本的に何も変わらないと思う。

 俺は、単に会社と長期の雇用契約を結んだだけだと思っている。
 雇用関係にある以上、ある程度は会社の命令にも従うけれど、
 会社のために身を粉にして尽くすつもりはない。

 ・・・きっと、俺は出世しないんだろうな。
 まあ、そういう上昇志向のベクトルに、あまり興味はないからいいのだが。


 「仕事を通して自己実現」なんて、陳腐な面接用の常套句。
 「やりたいこと」を実際に仕事にしている人なんて、ほんの一握りだと思う。
 いつまでも、同じ仕事ができるなんて保障も、どこにもない。

 何も考えずに就職を決めることを奨励するわけではない。
 ただ、就職に関して悲観したり、焦ったり、深刻になったりする必要はないと思う。

 たかが、就職。たかが、通過点。
 とりあえず就職してみることで、何かが見えてくるかも知れない。
 その結果、転職することだってあるかも知れない。

 そのとき選択するのも、決断するのも、結果を受け入れるのも、すべては自分。
 それが「自分らしく生きる」ということだと思う。

 俺もオッサンだなー。


■2004年4月1日(木)  ─ エイプリル・フール。 ─

 ボーナスの明細〜♪

 ウチの会社は、4月にボーナスが支給される。
 本日、明細をもらった。

 さて、何を買おうか?

 新しいミニコンポも欲しいし、
 春夏もののスーツも1着新調したいなあ。
 気になってたCDやDVDも、この際買ってしまおうか。

 仕事しつつも上の空。
 頭に思い浮かぶのは、欲しいと思っていたあんなもの、こんなもの。
 夢は果てしなく広がる。

 それなのに、なぜだろう。
 心に不安の影が忍び寄る。
 月に群雲、花に風。

 何かを忘れている気がする。大切な、何かを。



 ・・・騙された。

 今日一番のぬか喜び。

 これが世に言う、エイプリル・フールというやつか。
 今年も見事に騙された。

 ・・・ついでに言うなら、今年は車検だ。



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