Log (Dec 2005)

■予約キャンペーン。

 ローソンに行ったら、
 節分の丸かぶり寿司の予約キャンペーンが始まっていた。

 まだ年すら明けていないというのに、気が早いことである。

 クリスマスケーキやおせちに比べると単価が安い分、粗利は少ないように思うが、
 「予約」という形で一定量の需要を確保することで利益を確定させるというのは
 賢いやり方なのかも知れない、といつも思う。

 商売上手。

 ところで、恵方に向かって無言で巻き寿司を食べると願い事が叶う、
 というのが丸かぶり寿司の触れ込みではあるが、
 2ヶ月以上前から予約してまで成就させたい願い事とは何なのか。

 そういう、中長期的視野に立ったスケジュール管理能力は見習いたいところである。

 まあ、中長期的視野に立ったところで、
 他力本願であるという事実に変わりはないわけだが。


■アジェンダ。

 会社で打合せをしていたのだが、向こうの担当者がやたらと
 「アジェンダ」という単語を連発するのが気になった。

 「議題・行動計画」という意味であることは何となく理解していたのだが、
 横文字を多用することで、何か意味のあることを言ったような
 気になっている人っているよなと思う。

 まあ、あまり人のことは言えないが。

 というか、実はそういう意味で気になったのではなく、
 アジェンダ、アジェンダと繰り返し聞いているうちに
 何かそういう名前の遺跡ってなかったっけか、とふと思ったのだ。

 アジェンダ遺跡。
 シルクロード辺りにありそうな感じである。

 後でちゃんと調べたら「アジャンタ遺跡」だった。
 アジャンタの石窟寺院。
 そういや、そんなのもあったな。

 干支一周ぶりくらいか。

 当たらずとも遠からずといったところであるが、もっと根本的な部分で大きく的を外している。


■トイレ用芳香消臭剤。

 トイレ用芳香消臭剤のCMは、
 タレントがトイレの中でくるくる回っているイメージがある。

 くるくる。

 「広がる香り」を表しているとは思うのだが、
 トイレの中で恍惚としながらくるくる回るというのは、
 日常生活ではなかなかあり得ないシチュエーションである。

 あのCMが何の疑問もなく受け入れられているのかは分からないが、
 一旦気になったら、違和感なしには見られなくなってしまった。

 「所詮はトイレ用」という現実から目を背けていないかと問いたくなるあまりの浮世離れっぷり。

 カメラのアングルが回り込むならまだしも、
 カメラ位置固定でタレントがその場で回転しているのだ、しかもトイレで。
 回っているヒマがあったら用を足すべきだろう。

 まあ、汚れの落ち具合ならばある程度はテレビでも伝わるが、
 香りや、揮散の度合いといった目に見えない効果はテレビでは伝わりにくいことは理解できる。

 しかし、それを補うための表現がタレントの回転なのだとしたらイメージが貧困である。
 中学生の創作ダンスか。

 「ニオイを香りでごまかさない」というのは最近よく聞くCMの謳い文句ではあるが、
 そのかわりに何だかよく分からないイメージでごまかされているような気がする。


■年賀状。

 やっと年賀状の印刷が終わった。

 何だか大変な作業を完遂したような書き方をしているが、
 デザインさえ作ってしまえば、あとはプリンタ任せの作業ではある。

 パソコンとプリンタが普及したことで、
 年賀状作成の全体的な作業量はかなり軽減されている気がする。

 ところで、年賀状と言えばお年玉賞品であるが、
 毎年毎年、何だかあまりぱっとしない印象を受ける。

 「お年玉付郵便葉書お年玉賞品の変遷(最高等級)」で見ることができるが、
 初期の賞品は「三丁目の夕日」の世界である。
 白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三つを「三種の神器」と呼んでいた時代だろうか。
 高価な庶民の憧れ。

 それに対して、最近の賞品は
 デジカメ・DVDレコーダー・薄型テレビを指して「新三種の神器」と呼んだりもするが、
 かつての「三種の神器」ほどのインパクトやありがたみはない。

 これが「一億総中流」ってことなのだろうか。

 しかし、「わくわくハワイ旅行」というのはどうなのか。
 さすがに「海外旅行=ハワイ」という図式は古いだろう。「憧れのハワイ航路」か。

 賞品を選ぶセンスが、昭和で止まっているような気がする。

 手紙出さないし。


■ファービー。

 クリスマス商戦真っ只中のデパートの活況にあって、
 どうしても気になってしまうのが山と積まれた「ファービー」である。

 どこに行ってもわらわらと売られている、ファービー。

 商品である以上、消費者に訴求する風貌であるに越したことはないはずだと思うのだが、
 あの風貌は何か勝算があってのことなのだろうか。

 一部では好評を得ているようでもあるのだが、
 あのアメリカナイズされた風貌にはどうあっても馴染めない。

 これは前にも書いたことがあるような気がするが、
 人形の目に瞼や睫毛を付ける外国人のセンスはどうかと思う。

 USA Ver.

 目や口のパーツが肌色で妙にリアルなせいで、
 毛足の長いマスクを被ったマスクマンを見ているような錯覚すら覚える。

 ファービーにしても、あの瞼と睫毛さえなければ、
 あの独特の虚ろさも、ガチャピンくらいには薄らぐはずである。

 そう考えると、もしかしたらガチャピンはアメリカ人受けのするキャラクターかも知れない。


■リストレスト。

 安物のぷにぷにしたリストレストを使っていたのだが、
 何かの拍子で外の膜を破ってしまった。

 以前からあの中身が少し気になっていたのだが、
 ベタベタした鳥もちのようなものだった。

 中身

 安物買いの銭失いとはこのことだなと反省し、住友スリーエムのミニジェルを買った。
 さすがにそれなりのお値段をとるだけあって、モノがしっかりしている。
 そして、見れば見るほど透明である。

 ブルーのミニジェルを買ったのだが、
 中に魚やイルカの模型なんかが入っていたらお洒落でいいかも知れない。
 ローズなら花、グリーンなら葉っぱとかが入っていてもいい。

 ゾウリムシやミジンコ、ミトコンドリアや細胞核の模型が入っていてもいいかと思ったが、
 やっぱりそれはちょっと嫌だ。

 嫌リストレスト。


■医学部御用達?。

 書店でたまたま見かけた、
 「語源から覚える解剖学英単語集シリーズ」が面白い。

 シリーズは4冊刊行されており、それぞれ
  「骨単」
  「肉単」
  「脳単」
  「臓単」

 ノリの軽さと内容の乖離が甚だしくて、いい。
 覚えるつもりがなくても、見ているだけで結構楽しめる。

 雑学好き。

 医師を志す学生はこんなネイティブすら知らないような英単語を
 覚えなければならないのだろうか。

 高校時代、懐かしの「出る単」ですら途中で投げ出したことを思うと、
 こんなマニアックな英単語を覚えることの苦労は計り知れない。

 医学部の偏差値が高い理由を、今さらながらに理解する。


■パーティバーレル。

 近所のケンタッキーフライドチキンの店を覗いたら、
 クリスマスイブのパーティバーレルの予約が既にいっぱいであった。

 いつの間に、ファミリー層のクリスマスディナーにおけるデファクトスタンダードに踊り出たのか。
 ドル箱である、パーティバーレル。

 まあ、クリスマスディナーと言われて、
 ぱっと頭に浮かんだイメージがそのまま具現化したようなものだし、
 予約が殺到するのも分からないでもない。

 しかし、よくよく考えてみると、アメリカのクリスマスの定番は七面鳥である。
 クリスマスにチキンを食べるというのは、
 もしかしたら日本独特の、ケンタッキーによる草の根レベルの啓蒙の賜物なのかも知れない。

 さすが、創業者にサンタクロースのコスプレをさせるだけのことはある。

 ところで、パーティバーレルなんて一度も買ったことがないので知らなかったのだが、
 こんなに豪華なものだったのか。

 残業中に、ウィンドウの向こう側にある豪華な料理と温かな雰囲気を眺めていると
 何だかマッチ売りの少女にでもなったような気持ちになってくる。

 放火魔ではない。


■クリスマス菓子。

 清閑院 ホワイトクリスマス詰合せ

 侘び寂び?

 デパ地下で見かけた、和菓子で作ったクリスマス菓子。
 TVチャンピオンの「和菓子王選手権」の最終ラウンドに出てきて、
 見事に優勝を逃しそうな感じである。

 シャンパンよりも抹茶が似合う、何とも渋いクリスマス菓子。
 クリスマスケーキをディズニーランドとするなら、日光江戸村のようなポジションか。

 正直、どこをターゲットにしているのかがよく分からない。

 子供受けはまずよくないだろうし、お年寄りが買うとも思えず、
 OL層を意識しているにしては量が多い。

 「和菓子でクリスマス」というパラダイムシフトに果敢に挑戦するその意気やよし
 ・・・と意気込みを買いたいところではあるが、時代の先の先を一人で突っ走っていやしないか。

 そもそも、和菓子でクリスマスというコンセプトに無理があるような気もするが、
 いっそのこと、この路線を開拓するのも悪くないかも知れない。

 次は、バレンタインデーに期待したいところである。


■九九。

 半年ほど前から習い事に通っているのだが、
 そこの生徒の小学生と、講師の先生が話をしているのが聞こえてきた。

 「わたしねえ、九九も言えるんだよ!」
 「へー、すごいねー」
 「5の段まで、息継ぎしないで言えるようになったんだよ!」

 興奮気味に、さも得意げに話すのが見ていて面白い。

 ・・・小学生らしいといえば、小学生らしいベクトルではある。
 大人になると、なかなかそういうベクトルで努力はしない。

 行為に意味がないということが経験的にやる前から理解できてしまうし、
 それが何にも繋がらないということも簡単に予測できてしまうからであろう。

 「息継ぎなしって、ジャック・マイヨールか。」とか思ったりもしたが、
 子供の成長にとっては、「できる」ということ、
 また、それを認めてあげることが大切なのかも知れない。

 大人になると、できるだけ無駄のない最短コースを取ろうと考えるようになるが、
 無駄のない最短コースが必ずしも最善のコースではない場合もあるのかも知れない。

 今の自分には、子供の頃と比べて可能性が限られている分だけ、
 無駄に思える行程が多く感じられてしまうのだろうか。

 ・・・とか何とか、後付けで小難しいことを並べてみたが、
 結局のところ、子供の自由な発想には勝てないというのが正直なところである。

 ***
 九九といえば、昔「九九の歌」があったような気がして、検索したらこんなページが。

 笹山朝生 九九の歌 九九ソング

 覚えられるのか。

 探していたのとはかなり違うが。


■大根。

 茨城県で、赤ちゃんが座っているような形をしたダイコンが見つかったらしい。

 イマジネーションの翼を広げ過ぎだろう。

 最近のダイコンの、変な形に育ったり、アスファルトから生えたりという振舞いには、
 思春期を迎えた中学生で言うところの非行の前兆に近いものを感じる。

 ダイコンに何があったのか不安になってくる今日この頃である。

 このダイコンが近所で「御利益があるのでは」と話題になり、
 なでたりして拝む人もいるとの報道なのだが、
 「鰯の頭も信心から」とは言え、この平成の世の中にそんな人が本当にいるのか。

 何だか『まんが日本昔ばなし』っぽいシチュエーションである。
 常田富士男の声で「おらぁ、こっただデェコン初めて見ただあ・・・」とか言って欲しい。

 この場合、ナレーションが市原悦子なのは言うまでもない。

 しかし、こういう奇跡、または超常現象を顕現させるアイコンは
 欧米だと「血の涙を流すマリア像」が多いというイメージがあるが、
 日本の場合、何故ダイコンが多いのだろうか。


■図解雑学シリーズ。

 本屋でブラブラと書籍を物色していたら、図解雑学シリーズのコーナーが目に留まった。

 俺の中での図解雑学シリーズの認識は、
 「インターネットの仕組み」や「LANが分かる」レベルの図解で止まっていたのだが、
 ほんの数年の間に何だか凄いことになっていた。

 『数論とフェルマーの最終定理』
 『宇宙137億年の謎』
 『時間論』

 ・・・どこへ行くんだ、図解雑学シリーズ。

 疑問。

 学術的に高度な内容を扱ったかと思えば、
 その隣には『銀塩写真』・『剣豪列伝』などが並び、
 この節操のなさはあれだ、デアゴスティーニのようでもある。

 中には図解する意味があるのか疑問なものもあり、
 「図解」として括るのは、服に身体を合わせるような無理矢理さを感じたりもする。

 軽くゲシュタルト崩壊である。

 しかし、ここまで来ると、
 何だかもう森羅万象は図解雑学シリーズによって図解可能なのではないか、
 「人生、宇宙、すべての答え」は"42"ではなく「図解雑学シリーズ」なのかも知れない。
 そんな錯覚さえ覚えてしまう。

 『図解雑学 人生』とか。

 きっと、本当に欲しい答えはそこには載っていない。


■商業書道。

 俺は初耳だったのだが、「商業書道」と呼ばれるものがあるらしい。
 広告に使用される「書」を指す用語で、店舗の看板・商品のロゴなどに使用されているそうだ。

 「上坂祥元 書工房」商品ロゴのページ

 改めて言われてみれば、確かにどこかで見たことがあるような気がするし、
 こういう需要があるのも頷ける。
 恐らくスキマ産業であろうが、良質な鉱脈ではあると思う。
 「商業書道」という名のフロンティア。

 今さら書道を始めるのは腰が引けるが、
 こういうカリグラフィーのようなデザイン要素のあるものなら始めてみたい気もする。

 ロゴひとつとってみても、商品ごとに書体を変えたり、
 バランスを考えているのが分かり、技術レベルの高さはひしひしと伝わってくる。
 しかし、こうやってロゴだけ並べられると、
 書道の時間にふざけて「勝訴」とか「無罪」とか書いた半紙を見ているようにも感じる。

 ちなみに、俺は「よかいち」とか書いた世代である。
 featuring 榊莫山。

 複数パターン用意しているのか。


■豪華絢爛。

 スーパーで「ジャイアントポッキー 豪華絢爛」というのを見かけた。

 全体。

 ぱっと見、お仏壇に供えてしまいかねないデザインである。

 そんな極楽浄土感溢れるパッケージであるが、
 何が「豪華絢爛」足らしめているかというと、金箔が入っているのである。

 拡大。 「金箔=豪華絢爛」という図式。

 まだどこかでバブルを引き摺っているのか、グリコ。

 最近のポッキーは、ポッキーデコレやムースポッキーは別として
 「きなこ」や「黒胡麻」といった質素な素材のイメージが強かったのだが、
 ここに来ていきなり金箔である。

 室町文化でいうなら、“東山文化”の次に“北山文化”が来てしまったような感じか。
 ある意味、応仁の乱である。

 何はともあれ、開封してみる。

 金箔。 豪華絢爛?

 ・・・北山文化が来たと思ったら、東山文化が無理しているだけだったような拍子抜け。
 景気回復局面には未だ至らず、という感じである。

 銀閣寺を銀箔で飾り立てたかったが、財政難で断念せざるを得なかった
 第8代将軍足利義政の気持ちが、何となく分かったような気がする。


■I wanna be a ポスター。

 名古屋市放置自転車追放ポスターコンクール

 名古屋市にお住まい、またはお勤めの方ならば、
 もしかしたら地下鉄の駅構内や吊り広告で見かけたことがあるかも知れないが、
 小中学生が描いた放置自転車追放のポスターである。

 いつも見る度に、最優秀賞に選ばれた一番左のポスターの、
 髪の毛や服のシワの描写におけるアニメ・漫画的表現が気になる。

 学校の教師やらお役所やら法人やらというのは、
 もっとコンサバで、拙い写実性を持った絵柄を好むという思い込みがあったせいだろうか。

 「え、こんな漫画っぽい表現でも最優秀賞なんだ。」という驚きだけがそこにある。

 どうも既存の記号をなぞっているだけで、オリジナリティの欠片もないように感じてしまうのだ。
 小ぎれいにまとまっている以外に、評価すべきポイントを見つけられない。

 俺が小中学生の頃は、
 図工や美術の課題にアニメ・漫画的な表現を持ち込んだら怒られたものだったが、
 時は流れてそういうのも許される時代になったのか。
 「許される」と言うより、最早「認められる」と言った方がいいのか。否定から肯定へ。

 期せずして

 財団法人がアニメ絵のポスターを最優秀賞にするというのは、
 俺にとっては割とエポックメイキングな出来事である。

 ベルリンの壁が崩壊したときと同じくらい衝撃的、と書くと、
 何だかベルリンの壁崩壊がどうでもいい出来事であったかのようでベルリンの壁に失礼か。



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