崇台寺のページ


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おしらせ

<花祭り>終わる
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<行事案内>
1月9日(日曜)新年会が行われました。その模様。

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寺族のニュース

12月4日から25日まで当山の跡取り(管理人の弟)が伝宗伝戒道場(加行:ケギョウ)を受けております。
場所は京都の浄土宗総本山知恩院です。うちの住職が勤めるお寺です。
この寒い時期に頭を丸め勉強、修行をしています。
がりがりに痩せた弟の事ですから寒さに耐えられているか、厳しい修行に絶えられているか
家族みんなで心配しておりますが、そろそろ行が始まってから10日目。今のところリタイアしたという、連絡は入ってこないので、がんばっている事でしょう。

この加行を無事終了したら崇台寺の跡取りとしての資格がいただける?わけです。
弟が帰ってきたら、住職も少しは安心して知恩院の仕事に従事できるでしょうね。


一昨年の加行の様子です。(華頂12月号より)

12月25日無事加行を満行いたしました。
最後の日は、寺族や寺の檀家総代に出向かえてもらうのが一般的らしく、崇台寺も檀家を代表して鈴木さんと原さんそして坊守が京都知恩院まで出向いて頂きました。
京都では住職も加わり、4人で弟を迎え浄満祝いをしていただいたそうです。
筆者自身はその場に居合わせておりませんのでこの続き、詳しくは弟に執筆してもらおうと思います。そのうち公開する予定なので、しばらくお待ち下さい。・・・ここまで書いて疲れちゃったわけでは決して、断じてありませんよ〜〜〜〜ほんとに。


左:総代さんお二人と住職と弟・・・右:両親と弟


住職の帰山予定


毎月3日(水)13時半より  別時念仏会

毎月3日に、別時念仏会を開いております。
是非ご参加ください。



浄土宗 宗歌「月影」(法然上人御作)

つきかげの
いたらぬさとは

なけれども
ながむるひとの
こころにぞすむ


浄土宗の教え

浄土宗の教えは、すべての人々を迷いと苦しみの世界から救いとろうとする『阿弥陀仏のご本願』を信じ、ただひたすらに南無阿弥陀仏と、お念仏を称えることによって、生死を越えた、永遠なる真実の世界である極楽浄土に生まれることを目的としています。
わたしたちは、一人の力で生きているのではありません。多くの人々の
おかげと自然の恩恵を受けながら、阿弥陀仏に見守られて生かされていることをまず自覚しなければなりません。
お念仏は、いつでも、どこでも、誰でもが唱えることの出来る行いです。深い反省(懺悔)の中に、お念仏を唱え続けていく事により、この迷いや苦しみの多い世界においても、阿弥陀仏の大きな無限の力に支えられ、生かされている喜びを味わい、明るい安らかな毎日(光明摂取の生活)を送り、真実の人間の姿にと向上し、やがてはお浄土へと往き生きること(往生浄土)が出来るのです。


崇台寺について

岳嶋山 光岳院 崇台寺
(がくとうざんこうがくいんそうたいじ)の由緒


開基年  寛永16年(1639年)

開山は上州沼田城主真田信之公の三男真田了憶和尚である。
和尚は徳川三代将軍家光公の台命をあずかり、島原の乱直後、高力忠房公に随伴来島し、この地に境内堂宇の寄進を受け、乱後初めて「戦死英霊怨親平等」の大供養をし執行した。忠房公室、「まのの方」は真田信之公、小松前夫妻の長女、開山上人の姉である。小松前は「をすみの方」とも称し、徳川家康公の養女として真田家に嫁した。(実父は本多忠勝)
それらの由緒により、将軍家歴代の位牌所、真田家祖先の菩提所、高力家一門の回向所と定められ、家康公、秀忠公、秀忠公室於江与(家光公の生母)等将軍家ゆかりの霊牌、ならびに真田家高力家の霊牌を奉安した。
寺号「崇臺寺」は将軍家康秀忠御二方の戒名の中より一字宛を選んだもので、をすみの方の尊号「光岳院」を院号としている。寺紋は徳川三つ葉葵、及び真田六文銭である。



本堂

山門


キリシタンの墓



浄土宗崇台寺檀信徒信条

一、私たちは、大聖釈尊の教えを仰いで、中道を歩み、感謝と奉仕に努めましょう。

一、私たちは、法然上人の教えをいただいて、お念仏を唱え、誠実と反省につとめましょう。

一、私たちは、同信同行をつのって、互いに助け合い、社会の浄化と福祉につとめましょう。


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