〜forever with you〜
〜私が愛したマシン〜




HONDA CIVIC PRO
仕事での「我が相棒」
96y〜02y





 
最後の別れの日の記念撮影。7年間12万キロ走り続けたシャトルよ、ありがとう!!
『 シビック・プロとの出会い』
 ずっと仕事の相棒として共に働き続けてくれたシビック・プロ(シャトル)が、今回の異動(02.4月)により、私のもとから離れていった。7年近く苦楽を共に分かち合ってきた「友」というべきこのクルマに惜別の念と共にこのページを手向けたい。

 私は新人として配属されてから一貫して営業職に就いてきた。営業は事務職と違い、一日として同じ繰り返しの日はなく、毎日何かしらの「出会い」や「発見」があり、それが楽しくてやりがいのある仕事だった。
 私は生まれ育ったヨコスカがとても好きだし、広く捉えると海や山に囲まれた美しい「神奈川」という地元に愛着を感じているのだと思う。そんな街を好きなクルマに乗って、彼方此方に出かけることの出来る仕事がとても性に合っていた。
 何気ない街の風景の街路樹に季節の移り変わりを感じながら、人々・街・自然・・・そんな全てのものが好きだったから、今までがんばってこれたのだと、ふと思う。


運転席より。自分好みに色々と手を加えている。トロのおどけた顔が渋滞でも癒してくれる。
  配属して初めてあてがわれたクルマは、古ぼけたブルーバードのバンだった。相当年季が入ったクルマで老体にムチを打って走っているのが、かわいそうに思えたくらいだ。しかしそのブルを私自身がホカ(廃車)してしまう事件を起こす事になる! 今までロクに整備してない事が遠因と思われるが、トルクコンバーターが壊れてしまったのだ。営業先の逗子で初めR(リバース)が逝ったので、仕方なく「左手法」で迷路のような住宅地を切り抜け、次にL(ロー)も逝き発進が困難になって、後ろからクラクションを鳴らされる始末。何とか営業所まで戻ったが、後日修理にかなりの額が掛かる為、廃車にすることが決定した。
 シャトルとの出会いはここから始まる。(前置き長かったなぁ)





台形の特徴あるリアビュー。スクエアでトールボーイスタイルが余裕のある室内空間を生み出している。いわばミニバンの先駆的モデルである。ホンダはM・M思想(メカミニマム・マンマキシム)によって設計され、E/gルームなどは異様にコンパクトなものが多い。(よって整備性が悪いデメリットも生まれている)

『 購入までの道』
 廃車にした責任を感じて(全然感じていなかったけど…)当時の愛車だったアコード・エアロデッキを営業車としてしばらくの間、徴用していた。ポルシェ並の低いシートと信じられない位長いドアがとても営業向きではなかったけれど、我が愛車の代用なのでとても快適だった。
 事の成り行きで次期営業車の購入を任された私だが、一つの野望を持っていた。それは「商用車臭」のしないクルマを選ぶという事だ。商用バンの代名詞といえるカローラ・バンなんてもっての他、ADバンなどももちろんNGである。兎に角、この手の文字通りビジネスライクなクルマは夢も希望もへったくれもなく、コストダウン命による素っ気無い内外装は、クルマ好きの私にとって仕事のやる気を萎えさせるのに十分だった。
 そこでと前々から気にしていたクルマがこのシビック・プロ
である。当時のホンダ車に共通するヨーロピアンテイスト溢れるエクステリア、ロングルーフをストンと切り落とした独特のスタイリング、全体的に角張っているが適度にRの効いた曲線はとても営業車には見えなかった。それもその筈、このシビック・プロは乗用車であるシビック・シャトル(EF5)をベースにして作られた商用車だからである。つまりトヨタや日産が商用車をベースに乗用車を売り出している(カローラバン⇒カラゴン / ADバン⇒ウイングロード)のに対して、ホンダは全く逆の手法を取っているからである。
 ホンダはあまり商用車を手がけないので、貧乏臭い商用車のイメージが皆無である。そして自動車会社としては比較的若い会社である事と共にチャレンジ・スピリットを忘れない社風が、スポーティーで都会的なセンスの良いイメージを醸しているといったら言いすぎだろうか?(ホンダヲタクですから、俺)


1.5リッター、91馬力を発生させるD15型エンジン。フィールは雑だがタフネスなエンジンである。見ての通りキャブ仕様だ。
 車種が決まり、上司も口八丁手八丁で納得させた。後は上からの指示で稟議を起こすだけである。しかしここまで来て、思いがけない事態に直面する事になる。上がコスト削減の為、軽自動車にせよ! と言ってきたのだ。
 ウチの会社はそんなに大きくないから予算は限られている。だからシャトルも中古で捜して、やっと良い個体に巡り逢えたのだ。それは本田技研が社内用に使用していた、言わばメーカー直々の放出車だった。走行は3万を数えていたが、内外装共に美品で非の打ち所がない出物だった。加えて言うなら4ナンバー商用車の中古流通は殆んど無いと言ってよい。それは購入したらツブすまで使用される為、中古市場に出回らない性格のクルマだからだ。
 メンテナンスの行き届いた『本田技研』が使用していた由緒正しい(?)このシャトル・・・私はこの滅多にないチャンスを逃したくはなかった。
 私は必至に小型車と軽との安全性の違い、耐久性、ランニングコスト(逆転の可能性のシュミレーション)などを説いたレポートを提出し説得した。ここまで来ればもはや意地である。

 その想いが叶って、シビック・プロが納車された時の喜びといったら、自分のクルマの様に感じたものだった。



ヨーロピアン調のエクステリアが良くわかるアングル。今は没個性化した詰らないクルマばかりのホンダだが、昔は伝統的にバタ臭いイメージのクルマが多かった。

『 シビックの個性』
 納車されてまず、廃車されたブルより滑らかなエンジンフィールに酔いしれた。今から見ればとてもがさつでフィールの悪いエンジン
(後のDOMANI等では相当リファインされている)であり、エンジンが自己主張をするホンダ車の中では、比較的大人しい存在である。このD15型エンジンはまったきの実用型で、名作エンジンの多いホンダ車の中では影が薄いが、美点として実にタフネスであり、定期的なメンテさえ怠らなければ、20万〜30万キロは余裕で走りそうである。エンジンの耐久性に於いては全幅の信頼をおいており、現在12万キロを走ってもエンジンは絶好調で、何の陰りも見せていない。

 またこのモデルは今時珍しいキャブ仕様となっている。外気温、油温、アクセル開度、回転数などあらゆるデータを演算し、噴出量を決められる電子制御(フェーエルインジェクション)に比べて、パワーや取り扱いでは見劣りするが、アクセルをガバっと開けたときの吸気音の豪快さはとても気に入っていた。またキャブ車の取り扱いを知らない人が乗ると、調子が悪くなって戻ってくるのも特徴である。

 足回りは前輪スタビライザー付きの四輪ダブルウィッシュボーン(驚!)である。サスペンションにF-1と同じ構造のダブルウィッシュボーン
(鳥の胸骨に似た二股上のアームが、上下に二本付く形式。コストは掛かるが、バネ下重量が軽減される)を採用するあたり、とてもホンダらしい。ハンドリングは実用車としては、スポーティーでクイックな味付け(当時のホンダ車の特徴だった)がされており、コーナーを曲がるのがとても楽しいクルマである。多くの営業車が前輪ストラット、後輪リーフリジットという構造(板バネの方が積載性や耐久性に優れる)の中で、四輪ダブルウィッシュボーンを採用するのはホンダぐらいだと思う。ウチの営業の使用目的がハードに重量物を運搬する事ではないので、運動性重視のダブルウィッシュボーンは利点である。が、これも乗用車ベースで商用車を造らなければならないホンダのお家の事情が隠されていると言えよう。

 この頃のホンダ車は一般的にボディー鋼性がヤワいと言われているが、シャトルはこれに当てはまらず、10年近くたった現在もシャキっとしている。ちなみにホンダ車はサンルーフの装着率が高く、それもボディーがヤワい原因に加担しているようである。(エアロデッキは乗っていて怖いくらい、ヤワいクルマであった)

 以上、このシビックのスペックを見るとターンシグナルがエンスー好みのクリアホワイトだったり、大抵簡略化(4ナンバーでは)されるリアコンビランプやガーニッシュが乗用車並に付いていたりと、個性的なホンダ車の味が良く出ているクルマだと思う。


当時のカタログより転写。エンジン命のホンダであるから、説明に熱が帯びる実用車でありながら最大トルクが4千回転で発生するあたり、高回転型のホンダエンジンらしい。

 『modifyed Ey4』
 購入した時から自分専用車だったのと上司がクルマに疎いのをいいことに色々と手を加えて楽しんでいた。
 まずラジオしかない車内環境をカセットデッキとスピーカーを付ける事で解消した。またプアなタイヤ
4ナンバーは細身のLT[ライトトラック]規格のタイヤが義務付けられており、乗用車のタイヤでは車検に通らない。よって車検時のみLTタイヤに戻してやる必要がある)をインテグラのアルミとロープロファイルタイヤに換装し、横々(横浜横須賀道路)のタイトなハイスピードコーナーバトルでも負けないグリップを与えた(笑) やっぱし営業の基本は早く行って早く戻る、空いた時間は「ヒルネ」ですから・・・。
 これらは解体屋さんから自費で購入したもので、この他にも定期的なオイル交換はもちろんの事、E/gコーティングやイリプラグなど、なるべく見えないところのモディファイを心掛けていた。
 本当は腰痛にならないレカロのメディカルシートにモモステ、ローダウンなどもしたがったけど、既にこれでは社有の営業車ではないですね。流石に上司も気付くと思います。(爆)


『 最も「濃い」付き合いをしたクルマ』
 営業は一日中外に出でいる仕事なので、シャトルと接している刻も長い。私にとってこのクルマは、移動手段だけではなく、オフィスであり、レストランであり、寝室でもあった。移動しつつ合間に車内で事務作業をして、食事、休憩等、まさに寝食を共にした相手なのである。特に習慣化した車内で過ごした「お昼寝」は、月日に換算すると一ヶ月近くに及ぶのではないだろうか。緑溢れる公園の日陰にクルマを止めて、一時の休息や散歩をする事を私は好んでしていた。

 私の日常の中心にいつも居たシビックは、所有するアルファロメオや過去のエアロデッキなどに比べても一番愛着を感じ、最も愛情を注いだクルマに間違いないだろう。恐らく後にも先にもこんな深い付き合い方をするクルマには出会えないと思う。

 私の異動により新たな後任者が運転しているであろうが、ここまで大事にしてきたシビックを大切に乗って欲しいと切に願っている。(02/4/29記す)
長い間ご苦労様でした・・・


[追記 03/1/7]

 今朝方にこんな夢を見た・・・
夢の中で綺麗な女性が、「貴方が作った整備マニュアルは、とても役に立っていますよ」と話しかけてきた。

 やがてこう囁いた。「ご安心なさい。貴方の乗っていたシャトルは引き取られて、今後はお弁当の配達で活躍します」と。

 昨年12月頃、総務の人から営業車は全てリースに切り替えられることを知った。そしてシャトルも廃車の運命にあると・・・
 社有車であるから会社の決定に一社員が反対してどうなるものでもない。私は4月にシャトルの担当から外れてから、今まで大切にしてきたのだから、これ以上情をそそげる人はいないと気持ちの整理をつけようと考えていた。

 年が明けてシャトルの事を忘れかけていた今朝、夢を見たのだ。
夢を見たあと瞬間的に目が覚めた。明け方の夢は正夢といわれる。動悸が高鳴り、不思議な夢に何か意味があることを感じた。
そしてこう解釈したのだ。

「私が作った整備マニュアル」が役に立っていると言ったのは、今までシャトルをよく整備したことへのお礼の言葉。

「お弁当の配達で活躍する」と言ってくれたのは、私の悲しんだ気持ちに対する思いやりの言葉。


そう、多分、囁いた女性は誰かというとシャトル自身が人間の姿を借りて、私の前に現れたのだと思う。

そしておそらく、この日を最後にシャトルの生涯が幕を閉じたのだと。
 
 
 (了)




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