熊野エクスプレス  KumaX
限定70部 03年4月19日 
                自由に語ろう12号

■熊野エクスプレスは東京発の不定期メールマガジンです。「熊野フォーラム シングタンク21」という熊野出身のマスコミ人のグループが中心になり、新宮出身のライター森本剛史が独断で誌面を作っています。
 熊野の話を真ん中に置いて、熊野→世界、世界→熊野のコミュニケーションができたらなと考えています。都市に住む熊野人を勇気づけ、さらに熊野在住者とネットでつないで共通の場を作りたいと思っています。
 編集部に送られてきたメールは本人に無断で転載しますので、ご了承下さい。
                          編集・発行人 森本剛史
  **********************************************************************
■編集長の独り言■
▼4月7日から1週間、プレスツアー5社相乗りの取材でスリランカに行ってきました。いやあ、暑いのなんの、朝10時のプールサイドで42度もありました。スリランカの旧国名はセイロン。紅茶の名産地で、やはり安くて美味しかったですね。カレーも辛くて美味でした。そして仏教国として有名で、仏歯寺という釈迦の歯を祀っている寺があるほどです。
 ここんとこ、私、東南アジアの仏教国の取材が多く、昨年末にラオスとカンボジア、一昨年タイとベトナム、3年前にミャンマーに行きました。けっこう坊さん通になりました。ほいで、スリランカの町を歩いてみると、ほかの仏教国と比べると坊さんの姿が少なく意外な感じがしました。ガイドに聞くと「坊さんは寺でじっとしている」という話でしたが。ほんまかいのう。
 出発時成田では、あの新型肺炎の影響で月光仮面のような大きなマスクをした観光客がけっこういましたよ。出発客の3割ぐらいでしたかね。私はマスクは持っていきませんでしたが。空港のセキュリティチェックも思ったほど厳しくなったですね。
▼作家新宮正春さんの歴史エッセー「歴史のなかの熊野」を今号から連載します。熊野出身でも、あまり地元の歴史についてはよく知らないのが実情です。誰にも分かるように新宮さんに歴史を語っていただきます。第一回目は「丹鶴姫の怨念(1)」です。皆さん、これを熟読玩味して熊野通になってくださいね。
▼遅ればせながら、ビデオでNHKのドキュメンタリー「96歳・生涯舞踏家 大野一雄故郷に舞う」を見ました。これは2月27日にオンエアされた番組で、熊エプ読者のNHKディレクターの渡辺孝さんが作った(構成)ものです。いやあ、よかったです。歳をとって惚けてきても舞台に立ち音楽が流れてくると、手と身体が自然に動きだす。舞踏家のすさまじい芸術家の執念を見た思いです。渡辺さん、次の仕事は?
▼かず坊センセの提案の「ばちきりたいシリーズ」に参加したい方、どんどんメールください。
**********************************************************************

我がらの新宮弁講座 6(番外編)

「熊エプ紙上にみえる新宮弁拾い読み」と「ばちきりたいシリーズ」提案について   講師 城かず坊

 予定を変更して、熊エプ紙に散見する新宮弁を、講座風にみていきたいと思います。周辺用語は次回にお送りします。悪しからずご了承下さい。
 冒頭にナンですが、「やだ」と「わだ」については前回分析を試みたところ、編集長より、「ゆーたわだ」・「YUTA WADA」を語源として、「和田勇太」をペンネームにしたらどうやろという提案をもらいました。今、考えてます。「そうやだ」の「SO YADA」から「矢田 聡」いうのもどうやろかと、思案しているところです。

 さて、新宮弁ウオッチャーとしては、熊エプ紙上に登場する熊野言葉に無関心ではいられません。心を揺さぶられた「記事」に、少しふれてみたいと思います。
1) 「くろにえる」・(青木英輔さん)
 私も「くろにえる」はユニークな標準語と思っていました。そうではないと知って、「そうやったんか」と新宮弁講師としては悲喜こもごも、複雑な思いでした。東京でこの言葉を使う機会はありませんでしたが、もしあれば「くろにえちゃってサー」とか言って、「??・・」に遭っていたかもしれません。そう思うと、ちょっと笑かす思いです。
(*小生も標準語とばかり思っていました)
 
 新宮出身者の、東京での失敗談にこんな話があります。
 映画館の切符売り場で、「あのー、ツンでますか?」と訊いたら、「はぁ?」と聞き返されたので、とっさに「いや、混んでますか」と身を翻し、事なきを得たそうです。
 「“つんでいる”は標準語や思たぁた。オレ、知らなんだゲー」といっておりました。昭和45年(1970年)頃の話です。
2) 「チチイレ」・(上野一夫さん)
 これには衝撃で身体がグラグラ揺れました。素朴で単刀直入。熊野の何かを感じましたヨ。シンプルイズベストを再認識すると共に、「こんなんアリかよ」とも思いました。常識やぶりです。(*「チチイレ」とは配達される牛乳瓶を入れる木箱のこと)
 新宮弁講師としては、「『海の熊野』が持つ縄文的特性・おおらかさ」であると、わかったようなわからんような事を言って、したり顔をしておきたいと思います。あの辺のおいさん、おばさんの姿が目に浮かびそうです。いや、ビックリでした。
3) 「ひしくるを三輪崎限定と思っていた」・(小芝繁さん)
 ひと山越えたら新宮市という三輪崎でさえ、新宮に行くと使わなんだ言葉があったのかと、ある種の感動を覚えました。
 私のウチは、新宮まで10も20も山を越えなあかん、いわゆるひとつの川丈筋。新宮の都会の人は、「奥」と総称して差別していました。「奥様」や「奥の院」は敬語風表現ですが、ただの「奥」は差別用語です。ハハッ。(ひがみやるデ)。
 尤も、「奥」の人も新宮に移り住むと、今まで住んでいた地元のことを、結構すました顔で「奥」と呼んでいましたから困ったものです。
 「奥」には、新宮では使わなんだ言葉がまだまだあります。海岸筋にも封印された言葉があったんかと勇気づけられて、これからも眠れる熊野語を発掘していきたいと思います。(*そやさか、私、最近は「熊野川上流階級」と言っています)
4) 「紀陽銀行とやり合った熊エプ新宮支局長」・(森本祐司さん)
 紀陽銀行と丁々発止、渡り合った森本さんのやりとりに何かを感じました。そのクライマックスシーンをちょっと再現してみましょう。
森本さん 「紀陽さんとこの100%ミスですよね(とクールに標準語で迫る私)」
 支店長  「まことに申し訳ありません」
 森本さん 「紀陽さんにとってラッキーやったんは、私がその筋やなかったことやの      (と新宮弁に切り替える)」
 この場面に目が留まりました。新宮弁原理主義者の私としては、標準語には批判的であらねばならないかもしれませんが、世の中そんな単純なものではありません。理解できるものが大いにあります。
 「21世紀に直面する新宮弁の現実的苦悩」とでも言いましょうか。このやりとりに、私は思い出した事があります。
 

「ばちきりたいシリーズ」

A) 実は、私がUターンしていた2年間の川丈時代のときのこと。新宮社会保険事務所の横柄さとノラリクラリについカチンときて、新宮弁で押し通すべきところを、不覚にも九重弁と東京弁が交錯して言いまくったったことがあります。
 関西人とやり合うときは東京弁で、東京人とケンカするときは大阪弁で・・・。つい、やってしまうんやだの・・・。ここに新宮弁の今日的苦悩とジレンマがあります。
その後、新宮社会保険事務所からつけられた勤務先の健康保険証の記号・番号は、「東くそ」というものでした。「東」は東牟婁郡の「東」。「く」は熊野川町の「く」か?。「そ」はさて何でしょう。行く先々の病院で窓口をうならせたのは言うまでもありません。(その後、さすがに変更されたようです)
 28才の鈍感な私は「そういうものか」くらいにしか思ってませんでしたが、あれは所長の意趣返しに違いないと、その後思いなおしました。記号・番号を変更したのが状況証拠でしょう。「ばちきったたらよかった」と思った次第です。(紀南の人ではなかった気が・・・)←(*紀北の奴に違いない! ウラナリみたいな奴か)

B)もひとつ、新宮弁講座からますます離れますが、東京での大学受験のときのこと。
 行きは寝台夜行列車「那智号」(当時)。帰りはワケありの名古屋乗りかえ。(前置きが長くなりますが聞いて下さい)
 座席指定なるモノがあることを知らなかったうとすけは、夕刻品川駅に行って・・。
私  「新宮まで切符ください」
係員 「那智号は満席ですが、座席指定券はお持ちですか」
私  「エッ、持ってないけど・・」
係員 「では、乗れません」
私  「ガーン!」

 指定券なしでも乗り込む裏ワザがある事などその時は知らずに、必死になって時刻表をながめました。東京ー大阪間の夜行鈍行列車「銀河」を探し出し、11時ころまで駅ホームでひたすら「銀河」を待ちました。(笑わんといてぇよ)
 喫茶店もパチンコも知らない少年の目の前を「那智」号が通り過ぎて行きます。この時ほどこの列車に飛び乗り、「脱北」ならぬ「脱東」、いや「脱京(?)」したいと思ったことはありませんでした。
 酷寒の多摩川を渡り、名古屋に脱出したのは早朝6時。
 団体旅行の東北のおばあさんがくれた、でっかいおにぎりはうまかったです。それと、品川駅で目にしたラッシュアワーの光景は異常なものでした。
    (ここからです言いたいのは。少年にはさらなる落とし穴が・・!。)
 国境警備員、いや人身ブローカー、いや某駅員に「紀勢線のホームはどこですか」と訪ねたら、何と、「紀勢線の始発駅は亀山で、名古屋駅には紀勢線の乗り場はにゃー(ない)。亀山までは関西線。紀勢線は亀山から出とるでにゃーミャー」とのたまうではありませんか。本当のことですが悪質極まる物言いです。もう、悪いヤツばっかりや。
 疑問に思いながら関西線各駅停車で亀山まで行って、さて始発電車はと待ってたら、名古屋駅から準急「?号」がやはりやって来て、やっと新宮に亡命成功したことがありました。(*新宮駅で記者会見したか?)
角刈りでラッパズボンの新高3年生をハメた、悪名高き国鉄名古屋駅(当時)のこの職員と、新宮社会保険事務所の所長は、私が「ばちまわして」やりたい二人です。
 和賀さんー森本さんにつられて、永い封印をといてつい喋ってしまいました。どなたか一言いいたい方は、「ばちきりたいシリーズ」ということでいかがでしょうか。つないで下さい。
 今回はなんど興奮してしまいました。頭を冷やして講座はまた次回ということで、皆さんすみませんがご勘弁を・・・。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆消息迅速◆
●津越由康さん/東急電鉄勤務。新宮市堤防町出身。この4月から五島記念文化財団で「オペラ」と「美術」の若手育成の担当になりました。(*がんばってくださいな)
●小竹正美さん/アルプス電気北京支店長。新宮出身。おつとめを果たして無事帰国(*長い間お疲れさんです)
★★★★★★☆☆☆★★★★★★☆☆☆★★★★★★☆☆☆★★★★★★☆☆☆
◎その時、熊野は動いた◎ 
■温故知新宮1■         作家 新宮正春
 この12号から、新宮出身の作家新宮正春さんの「歴史のなかの熊野」というエッセイを連載します。全体タイトルは論語の「温故知新」から取りました。「古きを温(たず)ねて、新しきを知る」という意味ですね。この「新」に勝手に「宮」を付けて「温故知新宮」としてしまいました。「歴史を勉強し直して、もっと我がらの郷土のええとこを知ろう」というわけです。孔子さん勝手に改変してごめんなさい。
丹鶴姫の怨念(1)
 熊野川べりの城山(新宮)には、いまでも頑丈な石組みが残っていて、かつて白亜三層の天守と多聞櫓を持っていたという丹鶴城の偉容をしのばせる。
 いまは城にあがる道がすっかり整備されて登りやすくなったが、私が小学生の頃(千穂小学校)は道らしい道もなく、崩れかけた石垣の上の平地は雑草に覆われていた。
 沖見城ともいわれたこの丹鶴城には、日暮れになると美しいもののけ姫が出るという話が伝えられていて、私などは度胸試しのためにわざと夕方、陽が沈むころに登ったものだった。
 作家佐藤春夫さんも「わんぱく時代」のなかで、丹鶴城のもののけ姫に触れているが、城の天守台跡あたりの祠から、緋のはかまに十二単衣を着こなした姫が出てきて檜扇で招くという話がまことしやかに伝えられていた。
■丹鶴姫と黒兎■ 
 あでやかな衣装をまとった丹鶴姫には、日が暮れてから外に出てくる黒い兎がついていて、その黒兎に道を横切られる子はほどなく死んで丹鶴姫のそばに行かねばならぬ、という言い伝えもあった。
 黒兎は、もののけ姫の忠実な使わしめなのだ。
 蘭沢(いのぞ)に棲む大蛇に魅入られた美少女オイノが森の奥に誘い込まれて底なしの蛇の穴に飲み込まれたという伝説は、子供のころよく聞かされたが、丹鶴姫の場合は子供がつい誘いに乗りそうな黒兎というところがいい。
 私が古老から聞かされたのは、黒兎を従えた丹鶴姫の祠は本丸跡の東南側、薄暗い小路をへだてた小さな丘にあり、その丘の茂みのなかに古びた五輪塔が残っていたという話だった。
 しかし、天守台跡や二ノ丸の窪地にところどころにえぐられたような穴があったが、あちこち歩き回っても私には祠や五輪塔は見つけることができなかった。
 速玉神社の「神宝館」には、熊野詣でにやってきた中世の女人たちが寄進した金銀箔を張った檜扇があるが、十二単衣を着た丹鶴姫も、あんな檜扇で人をさし招いたのだろうか。それにしても、黒兎を使って祠に子供を呼び込むというのは尋常ではない。
 茂みのなかでひっそりと朽ち果てつつある古い祠、それに使わしめの黒兎には、鳥羽上皇が熊野詣をしたころ、殿上人たちの間ではやった「穴黒々の黒主かな」という舞い囃し言葉を連想させるものがある。
 これは、乱舞の席で囃されてもなかなか芸をしない者に対してしびれを切らした一座の者が、「けしからんぞ」と、囃した囃子歌だというが、公卿や女官たちと接触があった丹鶴姫も、あるいはこの囃子歌をうたっていたかもしれない。

■源義家と「立田の女房」との出会い■

 八幡太郎義家といえば、武家の棟梁であり、源氏の総帥でもあったが、その孫にあたる源氏の嫡流が源為義だ。
 「吾妻鏡」によれば、この為義が院の熊野御幸に検非違使として随行したさい、第一五代熊野別当長快の娘で「熊野の女房」とか「立田の女房」とか呼ばれていた娘と結ばれた。彼女は生地の新宮で一女一男を産んだ。女児が丹鶴姫で、為義の十男になる男児が十郎義盛、後の行家だ。
 しかし、この「立田の女房」は、熊野別当長快の娘ではなく、熊野三山の巫女だったのではないか、という説をたてているのが郷土史家の下村巳六さんで、その著書「熊野の伝承と謎」のなかで、「私は疑わしいと思う。源為義の子、丹鶴姫や行家などを産んだために、別当の養女となったのかもしれない。その素性は巫女だったのではなかろうか、とも思う。平清盛と厳島神社の巫女と関係が深く、それがあの有名な平家納経の素因となったといわれているが、そうしたことは当時ありえたことだったからである」と書いている。

■「立田」は「たたら」?

「立田」は「たたら」と音が似通うし、「丹」は古代、朱の原料となる丹ではなく「丹青」として砂鉄を指したのだそうだが、丹鶴姫の丹はその血筋が採鉄にかかわるもの、すなわち「たたら筋」ではないか、というのが下村さんの推論だ。
 そういえば神武天皇の皇后である媛踏鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメノミコト)も「たたら筋」という説がある。「古事記」では比売多多良伊須気余里比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)となっているが、どっちにしてもタタラヒメなのに変わりはない。
「立田の女房」が為義の夜の伽の相手となって懐妊し、別当の養女となったかどうかは別として、成人したその娘丹鶴姫は第一八代熊野別当湛快の妻となって男児を産んだ。それが後に第二一代別当となる湛増だ。
 天皇、あるいは上皇という旗印のもとに源平いずれかの武家勢力を味方につけて権力の座につこうとする公卿たちの画策、そのおどろおどろしいパワーゲームに踊らされたのが、湛快・湛増父子であり、丹鶴姫だった。(この項つづく)
**********************************************************************
   ◎愛情あふるる読者、毒者からのメールです   ■北浦雅子さん/和歌山市在住のライター。新宮大好き人間です。
 
 熊エプ11号、早速読ませてもらいました。めちゃくちゃおもろい!!!
「紀陽貧坊」物語も新宮弁講座も最高!!
やっぱり新宮人、魅力的やなぁと思います。(でも、やっぱりヘンやで。新宮人)
普段、紀北人は嫌い。だって人間がちーせぇよ。和歌山市なんかいっこもおもろないで、とあっちこっちで言いまくってる裏切り紀北人の私ですが、こんだけ熊エプで紀北をクソミソカスに書かれると、お腹かかえて笑いながらも血が騒ぐ。そのうち『紀北人の逆襲』というタイトルで一本書いちゃると心に決めた次第です。
(*ええぞ、ええぞ、その心意気。「紀北人の逆襲」の原稿、待ちやるさかの)
 ────────────────────────────────────
■和賀正樹さん/文芸春秋出版部次長。新宮市三本杉幼稚園出身。

 祝!十号。森本編集長、毎回、力の入った編集、ありがとうございます。例のクイズの答えです。佐藤春夫は法政大学の校歌を作曲していましたね。正解?(*ピンポン)  神宮に六大学野球を見に行くと、早稲田の応援団はこうやじっていました。
 「学生、注目! どうして法政の校歌は2番までしかないのか」「どうしてだ?」と学生が応える。「それは、3番まであると、長すぎて法政の学生にはとても覚えられないと佐藤春夫が心配したからだ!」ワッと涌く観客席。よき師、よき友、集いて学べりという法政の校歌は本当にいい。早稲田よりも、はるかに深い内容をやさしく伝えています。しかし、ほんとうに2番までしかないのです。
 ちなみに、文春の社歌も春夫作。千代田区歌もそうです。千鳥が渕、英国大使館前の舗道には春夫作の区歌の堂々とした石碑が建っています。ついでに国歌もつくってほしかったのう。
(*法政の校歌は僕も好きですよ。今でも歌えます。私、立教出身なんですが、立教の応援歌「セントポール」の前ふりで「早稲田バンカラ、慶応はニヤケ、法政、明治はこれまたボンクラよ〜センポール、サンシャイン〜」というのがあります。最後に和賀君に告ぐ! ほかの質問にも答えなあかんで。作家森村誠一の奥さんの旧姓?etc)
 ────────────────────────────────────
■川島昇さん/南米はコロンビアのボゴタ在住。都市計画の専門家。お燈祭り歴あり、熊野川カヌー下りの体験あり。
 
 KumaX 11号 を有り難う。
「言うたわだ」の国際語化運動、コロンビアでやってみましょうか。
表現を一つ真似しただけでは、新宮弁の普及までは行きませんが。
「うとすけ」は初耳だけど、罵倒されているのは音声感言語学的に分かる。相手の口調、形相で外国人でもビンと来るでしょう。ニッコリ穏やかな表情で「うとすけー」とは言わないでしょうから。(*いやいや、言う場合もあるで。それは愛情込めて柔らかく言う。同じ言い方に「あほやだぁ」もある)
「言葉は武器」と以前、森本編集長も言っていましたが、こちらの国では命の問題でもあります。強盗に入られて、「手を挙げろ!」と言われたのに、意味が分からずマゴマゴしているうちに撃たれちゃった人がいます。ではまた。
(*地球の裏側からのメール、ムチーシ増ス・グラー謝ス。Noborito, queremos tu ensayo sobre la vida de los Colombianos. [コロンビアの日常生活のエッセイを送ってくれるよう、たのんます])。
===========================================================================
我がらの海外旅行(JTB「Travel & Life」誌から転載)
◎連れもて行こら4 ボツワナ(2)   by 森本剛史 
南アフリカ共和国の北部に位置するボツワナ。
鉱物資源が豊富で、特に良質なダイヤモンの産出国として有名だ。
日本ではまだ馴染みの薄い国だが、欧米人の間では旅行通好みのリゾートとして知られている。「最後のアフリカ」と言われるように、ボツワナの魅力は野生の動物の種類が多いこと。ゾウの数の多さはアフリカでも有数だ。
東アフリカとは一味違った、野生の魅力をたっぷりとお知らせしよう。

    
   ■■■ ライオン、カバが遊びに来るロッジ■■■

 ボツワナの東北部、リニヤンティ動物保護区には8つのロッジが点在している。私たちが宿泊したのはキングス・プール・ロッジ。サバンナの中に忽然と姿を現した、ワイルドでゴージャスなロッジだ。名前の由来は、スウェーデンの国王がハネムーンでハンティング・サファリにこのエリアを訪ね、気に入ったことによる。ロッジの目の前が、リニヤンティ川の支流がせき止められた細長い沼で、25匹ものカバが生息している。ロッジに居ながらにして、カバを観察できるのだ。
 チェックインするときに、ガイドのブランドンさんからこんな注意を受けた。
「このロッジはサバンナの真ん中に建っていますので、ゾウ、カバ、ライオンが自由に行き交います。だから夜8時以降、ロッジ内を歩くときには必ずスタッフと行動を共にして下さい」。さすがアフリカのロッジである。
 私は今までに300を超えるホテルやロッジに宿泊したが、ライオンなどが遊びにくるロッジなんて初めてだ。確かに、ロッジの前の池にはカバが棲んでいて耳と目を出してこちらを見ているし、部屋の周辺にはゾウの糞があちこちに落ちている。沼の向こう側は隣国ナミビアで、広い草原が広がっている。そこにゾウやライオンが生息していても何ら不思議ではない。私はスタッフの言葉が正しいことに気づき始めていた。

■カバがすぐ下に!

メインロビーでのディナーを終えた後、スタッフのガード付きでコテージに戻った。取材時、南半球に位置するボツワナは冬の季節で、日中は28度くらいあるのだが朝夕はわずかに5度。下弦の月がナミビアのサバンナの上に輝いている。野生の気配。草原の上を吹いてくる風には生命の息づかいが聞こえるような気がした。
 朝3時半。ブウ、ブイブイ、グウグウというカバの鳴き声に起こされた。耳を澄ますと、草を噛っている音がそれに混じる。鳴き声からして4頭ぐらいいるのだろう。しばらくすると、そのうちの一頭が部屋のすぐ下に生えた樹木をかきわけながら、がさがさと陸に上がってくる音がした。枕元にカバが! 今カバと同じ場所にいて同じ時間を共有していると、私は至福の時間を堪能した。これを「野趣あふるる」と言わずして何と表現する?
**********************************************************************
次号は「ゴルゴ13」も愛読する13号

●出版元/森本剛史事務所
goh.morry@nifty.com

 Home

旅好堂
http://homepage3.nifty.com/ryokodo/
e-mail : goh.morry@nifty.com