熊野エクスプレス  くまの特急
限定70部   03年3月14日  キューバしのぎの9号!

■熊野エクスプレスは東京発の不定期メールマガジンです。「熊野フォーラム シングタンク21」という熊野出身のマスコミ人のグループが中心になり、新宮出身のライター・森本剛史が独断で誌面を作っています。
 熊野の話を真ん中に置いて、東京→熊野、熊野→東京、熊野→世界、世界→熊野のコミュニケーションができたらなと考えています。都市に住む熊野人を勇気づけ、さらに熊野在住者とネットでつないで共通の場を作りたいと思っています。
 編集部に送られてきたメールは本人に無断で転載しますので、ご了承下さいね。
                          編集・発行人 森本剛史
  **********************************************************************
■編集長の独り言■
▼パソコンのワープロソフトがおかしくなってしまいました。平仮名から全然漢字に変換してくれないんです。そこでOSとワープロのソフトを入れ換えました。1日かかりました。熊野エクスプレスのメールアドレスももう一度作り替えました。いやはや。ソフトを入れ換えたので、今回誌面がおかしいと思いますがご了承ください。
▼新宮のうどん屋の大将・栗須さんから、実に読みごたえのある大論文がメールで送られてきました。タイトルは「熊野鎖国論」。いやあ、面白い。みなさん興奮して、かつ大笑いしながら読んでみて下さい。そういえば、方言講師のかず坊も、以前自分で「熊野新聞」を発行し「熊野独立論」の論陣を張っていました。今度、対談でもやってもらおうかぃの。
▼城かず坊さんの「我がらの新宮弁講座」は大人気です。今回は仕事が忙しく、原稿書けんと「ひしくって」いました。次回に期待しましょう。今、全国的にみんな方言に注目し始めているようです。昨年流行った曲「大きな古時計」を秋田弁で歌うZO ZO(ズーズー)バージョンが注目を集めています。本家よりずっといい。じっくり聞くと優しくて語りかけるようで、何やフランス語のようです。たとえば「でっけくて背の高げ、古くせ時計っこだば、我が家の爺っこの時計っこ・・・」。どや、かず坊センセ、これの熊野バージョンをぜひ作ってくれよ。新宮弁で歌う「大きな古時計」は多分、南米の片田舎のスペイン語に聞こえるのではないかと推測しています。そいいえば、センセが新宮弁で歌う「港のヨウコ、ヨコハマ」は絶品やったです。
▼熊エプ9号のタイトルではないが、またキューバはええとこですよ。首都ハバナの街並みは旅人を刺激する何かがあります。映画「ブエナビスタ ソーシャルクラブ」を観ましたか? ギタリストのライクーダがキューバの老ミュージシャンを探してバンドを再結成させるまでのドキュメンタリーで、ベンダースが監督でした。おじいちゃん達が元気でチャーミングなこと。あのように歳を取りたいなと思わされます。ビデオ屋にも置いているのでぜひ観てください。ハバナの街並みが感動的です。
**********************************************************************
◆熊野の春が始まりました◆        原 水音
 
 昨日もすぐ近くの北山村を走っていると、渓谷を流れる水の色がもう明るい光をふくんだ春の色に変わっていて、うれしくなって車を止めて渓谷を下りて行きました。
巨大な太古の亀のような大岩のくぼみに身を任せて、ゆうらり悠々、ぼおっと水音に浸っていると、ここがどこで、今がいつなのか忘れてしまいました。熊野の森羅万象に心躍らされ、岩に、木に、名もなき谷川の美しい水に、至福をいただいて暮らすありがたい毎日です。ついつい、木に、滝に向かって手を合わせてしまいます。
 向かいの山の桜たちも、枝の先から薄紅色にもやいできました。まだまだ小雪の舞う日もありますが、もう蕗のとうも天ぷらにして戴きましたし、畑も菜の花の黄でいっぱいです。もうすぐ山桜が咲けば、熊野の森は一年でいちばん美しい花浄土になります。わくわくしています。
巨大な太古の亀のような大岩のくぼみに身を任せて、ゆうらり悠々ぼおっと水音に象に心躍らされ、岩に、木に、名もなき谷川の美しい水に、至福をいただいて暮らすありがたい毎日です。ついつい、木に、滝に向かって手を合わせてしまいます。
 まだまだ小雪の舞う日もありますが、もう蕗のとうも天ぷらにして戴きましたし、畑も菜の花の黄でいっぱいです。もうすぐ山桜が咲けば、熊野の森は一年でいちばん美しい花浄土になります。わくわくしています。

●原水音さん/奈良県十津川村玉置川に移住した、かづら工芸作家原秀雄氏の奥さん。夫婦でかずら工房を営む。著作は「奧熊野かずら工房」(夫婦で共著)芳賀書店。秀雄さんは川崎出身で、カリフォルニア山中、屋久島などで自然農法を実践。水音さんは歌手・声楽家。
 ★★★★★★☆☆☆★★★★★★☆☆☆★★★★★★☆☆☆★★★★★★☆☆☆
我がらの海外旅行◎連れもて行こら1 バリ島    by 森本剛史
 今号から不定期に編集長の旅日記「連れもて行こら」シリーズを連載します。今までに回った80カ国の中か気に入った国のレポートを載せます。原稿はすでに雑誌や新聞に掲載したものです。
◆音の格闘、竹管爆奏
芸能の島バリ島。その州都デンパサールから約80キロ、ジャワ島が見えるバリ西部に位置するヌガラには、ジェゴグと呼ばれる重低音の竹のガムランがある。ヌガラ周辺に生える7種類の竹だけを使った楽器演奏なのだが、ムバルンという2つのグループが競演するという演奏形態がすごい。相手の演奏を壊すように邪魔をしながら演奏するというスタイルだ。いろんな国の音楽を聞いたが、鳥肌が立った民族音楽はこのジェゴグが初めてだ。
この楽器は8本の竹で構成された単純な構造で、木琴のように竹を打ち鳴らす。15人が1チームで楽器の数は14台。最も低音の楽器のいちばん大きな竹は長さ3メートル30センチ(直径18センチ)もあった。

 私たちが聞いたのはスアール・アグン芸術団のサンカラ・アグン村チーム対プンダム村チームの音のバトルだった。前者は青い民族衣装なので青組、後者は黄色の衣装なので黄組と便宜的に呼んでおこう。スアル・アグンもリーダーのスウェントラさんはこう語る。「演奏する場所、時間帯、空気の流れによって微妙に音が違います。太陽が沈んだ後がベスト。いちばんいい演奏場所はこのヌガラです。ここで聞くジェゴグには目に見えないタスクが宿っていますから」。気温26度、湿度40%の時が最適の環境らしい。
両チームがそれぞれ神への祈りの音楽「トゥルトゥガン」や「神への報告」を演奏した後、青組が演奏を始めた。気持ちよい竹の響きがまわりを包む。人間の脈拍と同じような心地よいスピードだ。淡麗であり豪奢である。20分の演奏の後、攻撃してこい、というリーダーの合図に、待機していた黄組が演奏に加わった。
今までの青組の音を聞いて、今日はどういう攻めかたでいくか十二分に対策を練ったに違いない。青組のトッキリ、トッキリという規則的な音に、黄組がセンカ、センカ、ワッセワッセ、ダンダン、トッキリと仕掛けていく。相手の音を消しながら自分たちの強力な音を載せていくのだ。挑発と撹乱。段々ペースが速くなってくる。お尻にズンズンと響いてきて爆音が背骨を駆け上がる感じだ。手に持っているコップの水が振動で揺れているのがわかった。鳴いていた蝉があまりのパワーに恐れたのか急に鳴きやんでしまった。 
複雑であり単純、単純であり複雑。たった4つの音階で構成されているにもかかわらず、音が波立ち、うねり、強力な磁場を形成していく。音が凛とした端正さで私を包み、私のまわりで渦を巻きながらどんどん加速していく。
演奏者たちは機械のように正確に楽器を叩く一方で、目はうつろに中空を見すえ、体を揺すり、時々ヤッーとか気勢をあげる。重低音がチェロのようにも聞こえるし、男性コーラスのようにも、あるいは津軽三味線のようにも聞こえる。両チームの竹管から叩きだされた青、黄色の゛おたまじゃくし″が空中で入り乱れ、お互いもつれ合い、格闘をおっ始めている。これは音のバトルだ、格闘技だ、プロレスだ、と思わず叫びそうになった。
青組のリーダーは「どうだまいったか」という一瞥を黄組に向ける。「なんの、なんの」。ますますバトルは激しくなり、エネルギーに満ちた音は天空の彼方に飛び出していくように思えた。
 ★★★★★★☆☆☆★★★★★★☆☆☆★★★★★★☆☆☆★★★★★★☆☆☆
特別寄稿   
       《熊野鎖国論》      栗須政志
●[栗須さんWHO?]●
 新宮市丹鶴町、昔の宮井書店の近くで「手打ちうどん まさ家」を経営。きつねうどんが美味しく、俳優原田芳雄さんも大ファンでお燈祭りに来たときは必ず立ち寄るほど。大将は反骨精神おう盛で、顔はいわば「はばい」系。だけど笑顔が素敵。一度大将の顔を拝むと、また会いたくなるから不思議大好きです。高田出身で根っからのアウトドアー派。新宮に行ったらぜひ一度大将に会ってみてください。この論文一回読むと2度笑うこと、保証します。
     **********************************************************************
                 ∞まずは口上∞
◆熊野エクスプレス8号をお送り頂き、大変楽しく、熊野人の偏屈さを改めて実感させられ正直ホッとしました。小生貧乏暇無しの上にワープロ等文明の利器に疎く、いざメールを送るとなると、一日はおろか二日掛りになる為に筆不精を広く訴えておりますが、熊エプの面白さにあえて駄文をしたためさせて頂いております。
 私は、現在52歳になろうとしておりますが、モノゴコロ着いた35歳頃、神の啓示か仏の教えなのか、空虚な頭の中に「熊野鎖国論」なるものが唐突に浮かび、これを広く地域の有識者実力者に訴えようと、酒を飲むたびに話すのですが、酔っ払いの戯言と一蹴され悔しくて更に深酒をする事の繰り返しでありました。
 ここに、「文明の利器なんぞと笑わせるな」と拗ねていたインターネットを通じ、広く我が境地を皆様方にお伝えする事が出来ると小躍りしている所存です。
                 ※熊野鎖国論※
東京をよーいドンで出発するとする。陸空手段を選ばなければ熊野より沖縄九州への方が早く着くのが現状。電車に乗ればリアス式海岸を縫うように走る為に、赤ちゃんじゃあるまいに、ゆりかごのような振り子式の電車で電車酔いする者にとっては拷問以外の何物でも無い。しかも大阪からも名古屋からも約四時間。
 熊野は知識人 反骨精神人輩出の地等と言われつつ、「よみがえりの地」「精神文化の地」等とおだてられ(紀州人は、おだてられやすい)、本州のオマケのような地域の性もあるが、国道42号線は「死に号線」と言われるように事故多発国道でありながら、実質30年前と変わらず (他所には、熊や狸しか通らないような高速道路がドンドンと建設されていると言うのに…)。
 ものが無いから精神だけを誇りにして生きてきた先人達のご苦労を思えば、一体いつまで日本国の一員でいれば、大人に成り都会に働きに行かずとも生まれ育ったこの地で生涯を暮らす事が出来るように成れると言うのか? 熊野人よ、もうそろそろ封印してきた先人より引き継いだ持ち前の反骨精神を発揮しようでは無いか。高速道路も電車も要らない。
 三重県は、紀伊長島のあたりで国道も電車も入らせない。にさかトンネルをコンクリートで塞いでしまいのだ。国道電車共に。奈良県は、先ず国道169号線大台の伯母峰トンネルを封鎖。国道168号線は天辻峠を封鎖。本宮と田辺との国道311号線は中辺路トンネルを封鎖。和歌山方面、国道42号線沿いは和深にて車・電車共にトンネルで封鎖。上記に囲まれた地を、《紀州 熊野国》として(日本国内独立自治区)とする。
(日本国内独立自治区)とは、日本国行政下ではあるが、左近言われている所の[特区]のごとく性格のものである。独立により陸路空路の往来は禁止され、交通手段は船のみとする。しかも人力風力に限られる。
《熊野国》内 車はトラックのみ個人所有を許可。乗用車は認めず。但し救急車・消防車は各地に配備する。
 独立地内のダムに関して、独立地内消費電力以上のダムは撤去し出来うる限り昔の清流に戻し観光資源とする(*ダムはムダちゅうことやね? 清流と青春、貸したエロ本は戻ってこない)
 炭を焼き昔のように輸出。モチロン焼き鳥屋等にも使用してもらう他、製鉄所の精錬時の温度調節に使うオガライトの代替品等其の用途範囲を広める。これを推し進める事により、雑木林の整備と山間部の雇用を拡大して山林の腐葉土による自然水の高ミネラル化を図る。この結果、清流に住む魚が増え、これもまた観光資源の一翼を成す。
 イスラムやヒンズーの如く日本国民の熊野三山への5年に一度の参拝を義務付ける。
《紀州 熊野国》への観光。熊野三山への参拝に際しては《紀州 熊野国》維持の為にやや高額の入国関税をお支払い頂く。年収の高低にかかわらず年収の4分1程度が、良いのではないかと思われる。年収の多い者は高額に成る為に、移住を希望する者が多数になる。《紀州 熊野国》への移住税を課す。(かなり高いぞ)
《紀州 熊野国》は不便だが、自然あふれる自然と清流と有機食料の地であり都会で、アクセク働いた金持、または高額年金受給者を率先して受け入れ、其の資金で安住の余生終の生活を送れるようにする。(任意の税金額にて高額な者ほど ドンドン奥山の自然豊かな地へ住む権利をお与えします。熊、狸、猿、鹿、猪、蛇、ブヨ、山鳥等などともお友達に成れます。都会では味わえない自然味でしょう)
《紀州 熊野国》では、頭髪は、カット禁止であります。
恐らく読者諸君の大半は、乏しい頭髪の悔しさ 悲しさ 一人月を仰ぎ見ながらのかつてのフサフサだった頃を偲ぶ言い知れぬ虚しい懐かしさを知る由もないでしょうが、本当に寂しいものです。掻き毟りたいほどに……。
 私はそういう者達の気持ちをかんがみこれを、解決し尚且つ貴重な熊野地域の特産品とする案を、この文を読まれる皆様に発表しますが、盗用される恐れが有る為、くれぐれも内密にされますよう重ねてお願い致します。
 頭髪をカット禁止にしカットしたくても出来ない苦しみを味わう事により、禿に憧れるようになり、禿は髪の毛の有る者をうらやみ、お互いの良さを認め合う事により争い事の無い平和な《熊野国》建設の基礎と成るのです。モチロン茶髪なんぞは獄門磔の刑に等しい罪になるのです。なぜか? これこそが、新熊野の特産品となるからです。伸ばした髪は、《熊野国》によって剃り取られ 鬱陶しかった本人は、ヤットあこがれていた禿になる事が出来、きっと心ウキウキの事でしょう。
 剃り取った髪は無駄に致しません。熊野特産のカツラに成るのです。技術開発費を投入して世界ブランドの商品に育てましょう。くれぐれもお願いです。 ヒ  ミ  ツ ですよ。
(*カツラのネーミングは一番高価なものから順に「九重の選択」「熊野毛出」「御頭祭」「髪倉神社」「健次頭酔」なんてどうでしょう? 輸出用には「Long Hair for Kumano Gods」(日本語表記は「熊野三山髪毛祈願」)、特に中国用には「偉大的熊野三山毛沢山」としましょう)

 嘗て話した連中には、まだこの《紀州 熊野国》鎖国論を理解するだけの能力が、熟成されていないどころか、バカにするような視線さえ投げかけて来たものですが、「熊エプ」のレベルの高い読者ならば、きっとご理解賛同頂ける事と信じて疑わないものであります。尚、今後の熊エプの更なる発展と《紀州 熊野国》鎖国論が、熟成されることを訴念致します。(*栗須大兄、なかなかのもんです。心から感動した!)

 **********************************************************************
 ◎読者からの愛情あふるるメールです◎

■和賀正樹さん/文芸春秋出版部次長。新宮市相筋出身。星林高卒。
充実の8号、ありがたく拝読いたしました。庄司沙耶香さん。3月2日のNHKで見ました。門外漢ながら、みごとのひとこと。小生も取手町の若林バイオリン教室に通っていたのですが。どこから見ても熊野のお顔。眉太く、頬豊か。嬉しくなってきました。
 ところで、神田神保町の古書店に佐藤春夫の短冊「つる引けば、実ふたつ揺れるなり からすうり」(うろ覚えです)など2枚が5万5千円で昨年から出ています。ああ、お金持ちだったらと思うのはこんなときです。(*和賀君よ、文芸春秋はそんなに給料悪いんか?業界では高給やと聞いていますけど)

■小芝 繁さん/新宮市三輪崎出身。父上、叔父さんたちは豪州のアラフラ海で白蝶貝のダイバーとして活躍した。東京在住。
編集長、かず坊さん、乾杯! 編集長の独り言、新宮弁講座、感謝!
 ぼくもその昔、どこかで「ほんまにお前すっこいど」言うたの思い出すのですが、相手は「こすい」くらいにしか理解しなかったでしょうね。ぼくら三輪崎では「はしかい」は、いい意味にもつこたような気いします。例えば、「あの子ははしかい子やでえ」といえば、「かんがたっている」とか「喧嘩っ早い」とかの意味であると同時に、「すばしっこい」とか「頭がいい」とか。なんか、ぼくの聞き間違いやったような気もしますが。次号も待ちやるデエ。
 ほんまにいつか新宮弁でひしくりたいよお。(*小芝大兄、ひしくりたい時には森本事務所までお電話ください。042ー767ー5491です)

■ 大下勝巳さん /社団法人日本広報協会理事。おやじの会「いたか」世話人、川崎おやじ連運営委員で、「おやじの会」運動の第一人者。共著に「余暇の新世紀」(遊戯社)ほか。新宮市田鶴原町出身。

 第7号の「編集長独り言」・・・「新宿の熊野十二社の『十二社』を、なぜ『じゅうにそう』と呼ぶのか、十二社とは熊野十二所権現だと思うのだが」について。 事の顛末、以下の通り。
新宿・熊野神社の卓上用「開運 熊野のぼり」には、新宿十二社熊野神社とあり、宮司の角印が押し(印刷し)てある。3、4年前に仕事で通りかかって立ち寄り、買ったもので、代金を払いながら自分は新宮出身なので熊野神社とは懐かしい、などと二言三言やりとりした。その中で、宮司らしいその人は、「先日新宮に行って来た、熊野神社の集まり(だか総会だか)があって・・・」と言っていた。そうか、今でもつながりがあるんだとその時思ったことを、「編集長独り言」を読んで思い出し、電話をかけてみた。

 「十二社」は「じゅうにそう」で、「じゅうにしゃ」ではない、と電話に出た人はキッパリ。では、なぜ「じゅうにそう」なのかを尋ねると、自分はここの者ではないのでよく分からないという。インターネットで得た情報をぶつけてみた。かつては「十二相殿(そうでん)」と言っていたのが後に「十二社(じゅうにそう)」と呼ばれよようになった。「相殿」から「社」に字は変わったものの、「そう」という呼び名が残ったのでは? 
 電話口の人は、それは違うと思うと言い、その理由を次のように説明した。「相殿とは、同じ社殿に二柱以上の神を合祀することで、“あいどの”ともいうが、十二社は合祀ではない」と。そう言いつつ、よく分からないので新宿区立歴史博物館で聞いてくれという。ほっとけず、電話をかけた。
博物館の学芸員は、自分もよく分からないが「新宿区町名誌」にこう書いてあると、読んでくれた。「十二所(じゅうにしょ)権現を祀り、じゅうにそうと読ませて『そう』に社、相、双、層、叢などの字を当てたが、今は『社』である」と。
では、「十二所」をなぜ「じゅうにそうと読ませた」のかを聞くと、それは書いていない、書いてないことは分からないという。行き詰まる。
 辞書でも引くかと、職場にある国語辞典の親玉みたいな日本国語大辞典(全10巻。小学館)で「じゅうにそう」を見ると「十二社」が出ている。「新宿区西部にある地名。応永年間(1394〜1428)に紀州熊野より勧請した十二所権現があり、地名もこれにちなむ。三業地として知られた」とある。三業地はこの際関係ないが。
というだけでは、どうも釈然としないので、神社本庁の広報部に電話をかけた。おーい、なんとかしてくれ! 電話に出た人は、よく分からないが東京堂発行の「神社辞典」にはこう書いてあると言う。「『じゅうにそう』は、『じゅうにしょ』の『しょ』がナマって、『そ』、『そう』となったと考えられる」。
あ、そう。ナマったですか。訛る。確か、新宮で、♪じゅうにしゃさまの、せのよいやさのせ・・と歌った記憶がある。「しゃ」が「そう」なったのであれば、しゃないかと(*座布団一枚!)。このあたりは新宮弁講座・城センセイのご卓見を拝聴したいもの。バトンタッチします。これで小生、じゅうにそうの呪縛から解き放たれる。飲みに行こっと。
追伸:他にちゃんとした調べ方があるとは思いますが、自宅の机にいつも置いてある「熊野のぼり」の縁で電話をかけたことから、以上のような経過をたどったことをレポートして、第7号で編集長が書いていた「だれか教えてくれ!」への返事とします。
(*木下大兄、お疲れさまでした。謝謝深謝。まるで推理小説で事件を解決していくような感じで面白かったです。新宮さんからもこの件に関してレポートが寄せられていますので、以下紹介します)
■新宮正春さん/作家。元報知新聞記者で巨人軍担当キャップ。名文記者として有名。長嶋監督の陰の仲人としてプロ野球界では知られている。野球のノンフィクションはお手の物だが、歴史物語の作家として注目を集めている。熊エプに熊野の歴史を連載していただく予定です。
・・・新宿の十二社はジュウニシャではなく、ジュウニソウと読むのか。というのが熊エプ7号「編集長の独り言」の中における編集長の疑問点でした。以下、分かったことを以下に記します。
 新宿十二社熊野神社は本郷村(中野区)にあった別当寺の成願寺とともに、中野長者といわれた熊野出身の豪商・鈴木九郎が創建したもので、応永10年(1403年)建立です。鈴木九郎は馬を商っていた有徳人でありました。熊野の神を三つまつって「三社権現」とか「三熊野神社」とする例は多いのですが、どーんと十二神もまつったのはいかにも豪気です。
 全国の各地にたくさんつくられた熊野神社(分社)の呼称は、同じ熊野が付いても、「十二社」と「十二所社」があります。新宿の十二社について、江戸時代の名所案内書ともいえる「江戸名所図会」には、「世人誤りて十二そうといふ。多景にして遊覧多し」とあって、どうやらどこかのそそっかしいのが「社」を「そう」と呼んでしまったらしいのです。
 十二社は、いうまでもなく熊野三社がそれぞれ上四社、中四社、下四社の計十二社あるあるからで、これを勧請した鈴木九郎には当時、関東で最大規模を誇った府中の大国魂神社の六社に対抗して、一気に倍付けしてやれ、という気があったのかもしれません。ちなみにこの鈴木九郎は、義経とともに平泉で討ち死にした田辺藤白の鈴木三郎重家の末裔と称していました。
 ところで、東京都北区の王子本町にある王子神社は、熊野神社の熱烈なファンであった関東地方の大豪族・豊島氏が、鎌倉時代に熊野権現の御子神の若一王子権現を歓請したもので、この神社の下を流れる石神井川を「音無川」(本宮の川)と呼び、対岸の台地を「飛鳥山」(阿須賀神社の阿須賀?)と呼んで、この一帯をミニ熊野の霊場にしました。だけど、現在の東京の半分以上、武州一帯を領地にしていた豊島氏は泰経・泰明兄弟の代(1477年)に太田道灌に攻められ、江古田原、沼袋、それに石神井で戦いますが、翌年に落城、とうとう滅亡してしまいました。
■青木英輔さん/広告写真家。新宮市出身。東京在住。
充実の熊エプ8号まさしく受信しました。
熊野川上流階級発信の新宮弁講座には、面白い事もさることながら、むかし(半世紀
前)に戻して貰う懐かしさも感じてます。
「すっこい」は我々「こっすい」とも言ってましたね。「あいつは、こっすいやっちゃねー」のように。また「はばい」も「あいつは、はばくったいことしーやる」のように使った記憶があります。
(*そういえば、「こっすい」と子供のころよく言いましたよね。「はばい」の派生語として「けばい」というのができたのでしょうか?)
それから、これは大学で東京に出てきてから大恥かいた方言を一つ。それは「くろにえる」です。打ち身などで身体にあざが出来る事(特に青あざ)。
まさしくその通りで、黒く煮える状態だから、標準語の言い回しだと常々思っていた
のが、いざ使ってみると、相手にキョトンとされて暫くたって大笑いをされたことがありました。その後は出来るだけ口にしないように気をつけてはいたけれど、時々使っては笑われていましたね。我が家の娘も中学、高校時代、これを使って笑われたことが何度かあったと。親の血をヒ〜く♪とはこのこと。
(*そうか「くろにえる」は標準語ではないんですね。知らなんだ)
さて本題、この「くろにえる」を正確に発音できる方、いらっしゃいますか。
毎年新高九回生同窓会をやってますが、なかなか正確な発音が出来ません。新宮から
来た人でも何度か口にするうちに終いにはわけが分からなくなってしまい大笑いです。一度シングタンクの会で発音教室をやってみませんか。
※ところで熊エプに登場しました渡辺 考ディレクター制作のNHK・TV 「大野一雄 故郷に舞う」観ましたよ。天才大野の晩年を追いかけて、感動を与えてくれました。最後のスタッフロールにささやかに渡辺ディレクタ−の名前も確認できました。(*渡辺さん、この青木さんが録ってくれたビデオで見させてもらいます)
※もう一方、これも熊エプで紹介された、熊野市役所三石さん出演のNHKラジオ放送も同じ日の午前中拝聴しました。まさに熊野の生き字引。熊野の情景、彼の熊野にかける思い入れがよくよく 伝わりました。(エライ人がおるもんやねー)
その内容は◎熊野詣の三本の路(伊勢から、奈良からそして熊野古道と)古道の石畳。いつの時代のものかまで判定できる博識
◎丸山の千枚田。昔は二千数百枚あったのが一時は八百枚程度まで減ってしまったが、今ではまた復活して千数百を数えるとか。その水も自然の湧き水を引いていると。 水を張った時、田毎の月が眺められるとも。
◎自然の一枚岩を信仰する花の窟の由来やその行事(二月二日、十月二日)気がつかない事柄を丁寧に語ってくれて驚きの連続でした。一度どこかで講演してもらいたいものです。
(*三石さんとは、多分3月17日からの三重県取材ツアーで会えると思います)
それから最後に一言。先日新宮に帰ったときに耳にしたこと。御灯祭りが盛り上がらない事の一つ。下りてくる上り子が殆んどたいまつの燃えカス
で下りてくるという事。山は火の海、下り龍とは昔の事。今では龍の流れどころか、パラパラとした火の流れしか見られない。開門が遅いため、たいまつが燃えすぎてしまい、肝心の流れ龍が再現できないのだろうと。上り子毎年盛況だが、見物側が一つ乗り切らないのはそこにあると、さる方のお話でした。いかがでしょう。
(*うん、それもある。しかし太鼓橋周辺での警察側の規制にも問題があると思うのですがねえ)

 
**********************************************************************
次号は充実の10号、乞うご期待

Home