ラオス 口の中の可愛いベイビー
By 小川裕子
じゅる、ざらっ、こりっ。
かつて体験したことのない食感が口いっぱいに広がった。この、前歯の裏にあたっているのは一体何なのか。恐る恐る指でつまみ出し皿に放ると、からんと涼しげな音をたてた。細く小さな骨。私はそれ以上咀嚼することも吐き出すこともできないまま、ラオスの強烈な洗礼に凍りついた。
ここ数年のアジア人気にもかかわらず、ラオスを訪れる観光客はごく稀だ。理由はいくつか考えれるが、ビーチリゾートとしての魅力がないというのが一番の要因だろう。ラオスは周囲を中国、ベトナム、タイ、カンボジア、ミャンマーの5カ国に囲まれた内陸国なのである。さらには免税店もなく、直行便も飛んでいないとあっては、一般の観光客がほかのリゾートへと行ってしまうのは当然といえば当然かもしれない。かくいう私も、旅が好きでアジアならタイもベトナムもインドネシアも行ったがラオスに行ってみようと思ったことはなかった。
ではなぜ今回ラオスを旅することになったか。理由は単純、ラオスにいる知人に一度遊びに来ないかと誘われたからである。この知人とは私の高校時代の恩師のこと
で、現在国際協力事業団(JAICA)スタッフとしてラオスで数学の指導法や教材開発に携わっている。海もないし不便そうだし、とはじめはラオスにおよび腰の私だったが、先生からのメールがきっかけで興味を持つようになった。
「昨夜はラオラーオという40度以上のお酒を飲みました」「ラオスの結婚式に呼ばれ一日中飲んでました」内容はラオス人の酒宴の様子をつづったものばかりだったが、田畑を牛が農耕する風景やメコン川に沈む夕日といった写真も添付されていた。そのどれもにラオスの熱く濃厚な空気が息づいていて、パソコンの前の私をラオスに向かわせたというわけだ。
薄汚れたTシャツにジャージ、ビーチサンダル。その格好といい日にやけ具合といい、空港で出迎えてくれた先生はまわりのラオス人と見分けがつかないほどだった。
驚く私に先生は両手を広げ、笑顔で言った。「よくも来たね」。同化するあまり日本語を忘れた先生のこんな第一声と共に、ディープなラオス旅が始まったのである。
●サラワンの高床式生活
この日先生と私が乗ったバスは、日本では考えられないほどのポンコツだった。時折すれ違う他の車両もスクッラップ寸前といった様子。中には、日本から寄贈されたのだろう、「ときわ保育園」「スクールバス」といった文字が車体にそのまま残っている。
塗装は色褪せ、ひび割れた塗料は指で触れると容易にはがれ落ちた。座席シートからはスポンジがのぞき、糸くずや食べかすが付着している。4月の今は乾期の最も暑い時期にあたり、ファンすらない車内は人々の体温と汗のにおいで満ちていた。少しでも涼をとろうと窓を開けようとするが、錆のせいか埃のためか、びくともしない。
ひとつ前に座る先生は、容赦なく舞い込んでくる砂埃にベースボールキャップを目深にかぶるしか手立てがなかった。窓の外には舗装されていない剥き出しの赤い大地。空へと伸びる熱帯の木々の生々しいほどの生命力。熱帯の生きものはどれも輪郭が明確で、存在感を強く感じさせる。
そんな景色を見続けることおよそ一時間半、サラワンにたどり着いた。サラワンは先生が暮らすラオス第二の首都パクセの北部に位置する。面積の半分以上が自然林で唯一の観光資源が滝という、大自然に抱かれた町だ。もしくは、物好きな欧米人バックパッカーも目的地としない辺鄙な田舎町という言い方もできる。今回私たちは、先生の同僚であるラオス人女性サムチャイが実家に招待してくれたため訪れたのだ。
「サバイディー(こんにちは)」迎えてくれたサムチャイは、ふっくらした頬に小さな丸い目、黒く長い髪を後ろで束ねている。初対面の私にはにかむ様子は、22歳
という彼女の年齢よりも幼く見えるが、その実一家の家事をとりしきるしっかり者である。服装は、Tシャツにラオスの伝統衣装「シン」というラオス女性の典型的なスタイル。シンは巻きスカートのようなもので、黒地の布に幾何学模様を描いている金糸が、太陽の光をほのかに反射している。
サムチャイの家は、ラオスの伝統的な高床式木造家屋だった。庭にはパイナップルやココナッツの樹木が生い茂り、熟れた果実の匂いが甘く漂う。木陰の下ではハン
モックが風に揺れている。靴を脱いで、いささか急な階段を上がれば、30畳ほどのスペースが寝室と居間にくぎられている。電気はあるがガス・水道はなく、煮炊きは部屋の一角の炭火の釜で、洗いものは軒下の縁側でするようだ。屋外のトイレはもちろんペーパーはなく、水は自分で汲んで流さねばならない。
室内にはインテリアと呼べるもの何一つないが、余計なものがない分涼しく感じられる。実際、入り口から向
かいの縁側に開けた戸口へと心地よい風が通り抜け、遠くの子供の歓声や鶏の鳴き声、木々の葉ずれの音を絶え間なく運んでくる。
小学生時代の夏休み、プール教室の後、家の畳で昼寝する時に感じた、手足がどこまでも伸びていくようなあの解放感。私はそんなことを思い出していた。この直後、
伸びた手足も思わずすくむ、一生忘れられないラオスの味に遭遇するとも知らずに。
●赤ちゃんタマゴ
それは、サムチャイが用意してくれた昼食にひそんでいた。献立はわらで編んだ籠に入ったごはんに焼き魚、そして殻付きの卵、という簡素なもの。
ここでサムチャイは私のために料理と食べ方を説明してくれた。「ご飯はカオニャオ、親指、人差し指、中指の3本で一口分を丸めて食べてね。魚はパー、うろこが残ってるから皮は残して。そして卵はカイルークよ」と。ちなみに「カイルーク」は「赤ちゃんタマゴ」という意味だ、とも言った。
赤ちゃんタマゴ?
そもそも卵が鳥の赤ちゃんなのだから、「頭痛が痛い」並みに矛盾したネーミングなのだが、ここはラオスだからそんな細かいことはどうでもいい。第一すごくラブリーな名前じゃないか。
そう思っていると、卵の食べ方をレクチャーすべく、サムチャイは卵を左手にとり、そして右手にスプーンを持った。
・・・なにゆえにスプーン?
よっぽど半熟状態なのだろうか、怪訝に見つめる私を前にサムチャイはカイルークを食べ始めた。
まず殻の先端部分をスプーンで割り、そこからあふれるどろりとした半透明の液体がこぼれないように口をつけてすばやくすする。そして殻を割ると。白身があるはずの部分に灰色の羽毛のようなものが密生しているではないか。さらに彼女が一口食べると、黄身にはうっすらと血管らしき筋が!
そう、「カイルーク」は孵化しかけの卵を茹でたものなのである。要するに、骨も羽も目も形成されてあとはしっかり骨格がかたまれば産まれちゃうよーん、的状態をいただこうという、とんでもない代物なのだ。
「これだけは食べたくなかったんだよね」
ぽつりと先生は言った。これまでもさんざんすすめられてきたが必死に避けてきたらしい。
私はあまりのグロテスクさに、のど元にこみ上げる熱いものを感じた。
そうこうしている間に、サムチャイは残り2つの殻をむきはじめた。遠慮する間髪を与えず、さあどうぞ、むきおえた卵を差し出て、サムチャイは優しく微笑んだ。戸惑う私たちに、「遠慮しないで食べなさい」サムチャイの隣に座ったおばあちゃんも、満面の笑みでうながしている。どうやら腹をくくるしかないようだ。
先生と私は互いを見てうなずいた。
そもそも、同じ人間が食べているのに私が食べられない道理はないのである。第一、よく見なきゃいいんだ、見なきゃ。目を閉じて、胃に入れば所詮ただのゆで卵
よ。・・・ああでもやっぱりだめ、黄色いくちばしを胸元にうずめるように丸めた姿が目に焼きついて離れない!!
ギブアップしようとサムチャイを見ると、おいしいわよ、と再び微笑んだ。おばあちゃんも天真爛漫に笑っている。
●おばあちゃんの元気の秘密
・・・私の口の中で何が起こったか。それは冒頭に記したとおりである。
その食感は、後日夢に見てしまうほど凄みのあるものだったので、ここで繰り返すことは遠慮したい。
それにしても赤ちゃんタマゴとはよく言ったものだ。あんなグロテスクなものに赤ちゃんだなんて、出会い系サイトで知り合ったキムタクと名乗る彼がいざ会ってみたら江頭2:50そっくりだった、くらいに詐欺行為だぞ! あまりのショックとやり場のない憤りで思考回路がすっかりショートした私。
先生は、その味を水に流そうとするかのようにお茶を立て続けに飲み干し、サムチャイは魚の皮をはがす作業にとりかかっている。
そしておばあちゃんは、「カイルークは栄養たっぷりだから、滋養強壮食なんだよ。だから私もこんなに元気」と言って歯の数本ぬけおちた黒く広がる口腔を大きく開けて、呵呵と笑った。
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