ANECDOTA 諸葛孔明の真実
小説、マンガ、ゲーム、映画、人形劇、はたまたスーパー歌舞伎にと、さまざまなメディアで人気の三国志。かくいう私も、漢復興のため奮闘する劉備と、それを助ける関羽・張飛ら豪傑の活躍に胸を躍らせたものだ。なかでも、抜群の人気を誇るのが劉備の名軍師、諸葛亮孔明である。神のような知謀を駆使して強大な曹操軍を翻弄する姿は爽快この上ない。
三国志最大のクライマックス、「赤壁の戦い」においても、孔明の知略は冴えまくっていた。圧倒的な曹操軍が中国統一をめざし南下する。対する劉備は弱小だが、孔明は巧みに呉(ご)の孫権を説得し、これと同盟を結ぶ。そして、長江をはさんで両軍は対峙する。孔明の秘策は火計、すなわち火で敵軍を屠(ほふ)るという作戦だ。着々と布石をうつ孔明、罠にはまっていく曹操。いよいよ決戦の時、孔明は天に祈り風向きまで変えてしまう。数十万の曹操軍は紅蓮の炎につつまれる。たまらず曹操は敗走するが、その先々に孔明の用意した待ち伏せが。結局、関羽が情をかけたためにとり逃がしてしまったものの、曹操の壮大な野望を打ち砕くことに見事成功したのだった。
と、これは小説『三国志演義』のお話。では正史である陳寿の『三国志』ではどうなのかと読んでみる。すると、赤壁で曹操をやぶったのは呉の名将、周瑜(しゅうゆ)となっていて、劉備や孔明が出る幕はない。
この例に限らず、四輪車に乗り白羽扇を手に指揮する孔明の姿は、『三国志』では一切見られない。さらに陳寿は、「連年軍勢を動かしながら成功しなかったのは、臨機応変の戦術が不得意だったからではないか」とさえ言っているのだ。
孔明ファンにとっては悔しい限りだが、では、真実の孔明の姿はどのようなものだったのか。陳寿は、こう書いている。
「国家のために働いた者には、仇であっても恩賞を与えた。法を犯す者は、身内でも罰した。罪に服して反省する者は重罪でも釈放したが、言い逃れようとする者は微罪でも処罰した。善行はどんなに小さくとも必ず賞したし、悪はどんなに小さくとも必ず罰した。かくして国民は皆、彼を敬愛した。厳しい刑罰にもかかわらず、誰も彼を恨まなかったのは公平無私だったからだ。まことに政治の何たるかを知っていた大政治家であり、管仲(かんちゅう)、蕭何(しょうか)に匹敵する。」
こういう話もある。蜀の丞相(首相)であった孔明も、その生活ぶりはいたって質素だった。彼は、皇帝劉禅(りゅうぜん:劉備の子)に次のように話したという。
「私は成都に桑800株、薄田15頃(けい)を持っています。これだけあれば子弟の衣食には事欠きませんし、この他に財産をたくわえて陛下の負託にそむくようなことはありません。」
孔明の死後遺産を調べたら、その言葉どおり、他に財産らしきものはなかった。
諸葛孔明の真の姿は、天才軍師ではなく、大政治家だった。そしてなによりも、劉備と蜀のために尽くした高潔な人格は、これからも多くの人々を魅了し続けるだろう。