ANECDOTA  マニ教 ー消えた世界宗教ー


 民族の枠を越え、広い範囲に多くの信者を持つ宗教を世界宗教という。現在では、仏教、キリスト教、イスラム教がそれにあたる。しかし、かつてスペイン・北アフリカから中国にまで広がる第4の世界宗教があったことは、ほとんど知られていない。その宗教が、マニ教である。

 マニ教の開祖であるマニは、3世紀、ササン朝支配下のバビロンに生まれた(時代としては、キリスト教とイスラム教の中間)。ササン朝の国教はゾロアスター教であったが、マニの両親は厳格なユダヤ教徒だったらしい。24歳のとき、マニは精霊から啓示を受け、教祖となった。その後インドへ旅行し、仏教やヒンドゥー教の知識を得た。

 彼の経歴からわかるように、マニ教はゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、仏教といったさまざまな宗教の思想を取り入れている。そのため、アフラマズダ、アダム、イエスなど他宗教の用語がちゃんぽんになっていて教義は複雑きわまりないが、簡単にいえばヘレニズム的二元論であろう。まず、世界は光(霊的なもの)と闇(物質的なもの)からなっている。人間の肉体は闇の領域に属するが、光の破片も持っている。これを救い出すためには、光の領域に関する知識と禁欲的な生活が必要である。そのうち、イエスが最後の審判にあらわれる。光の破片はすべて救われて、光と闇は永遠に分かたれるという。

 さて、バビロニアにもどったマニはササン朝の宮廷で重用され、シャープール1世の弟を改宗させた。また、ローマ帝国への布教にも成功している。しかし、ゾロアスター教の祭司たちにねたまれ、投獄されて死んだ。277年のことである。

 以後、マニ教はササン朝ではすたれるが、その外へ急速に広がった。とくに、シリアからエジプト、北アフリカでは強大な勢力を誇り、長い間キリスト教に対抗し続けた。あのキリスト教最大の理論家アウグスティヌスも、若い頃はマニ教徒だったのだ。また、東では中央アジアの大国ウイグルの国教となり、「摩尼教」として中国にも多数の信者を得た。

 これほどの大きな宗教でありながら、不思議にも今ではあとかたもなくなっている。西方では、キリスト教がローマ帝国の国教になったために、弾圧されてなくなった。東方でもウイグルが崩壊し、イスラム教が伸びてくると衰え、13世紀頃消滅した。最後の砦であった中国では、福建を中心に秘密結社のようにして続いたが、15世紀には姿を消している。

 マニ教がなぜ消えたのか、理由は明らかでない。さまざまな宗教の要素を取り入れ、しかも布教のため自由に翻訳・解釈されたことが原因かもしれない。たとえば、中国ではマニ教を仏教や道教の一派のようにみせかけたりしていた。それでは教義も混乱するし、独自性も発揮しにくいだろう。

 ただ、マニ教自体は消えたものの、あちこちに影響は残っている。カタリ派などのキリスト教異端、はては現在の神秘思想にも、多くの共通点があったりするのだ。

 マニが著した教典(開祖自ら教典を書くのは珍しい)はすべて散逸し、マニ教には不明な点が多い。しかし、今世紀になって中央アジアの敦煌やエジプトから多数のマニ教文書が発見された。謎に包まれたその実体が明らかになる日も近いかもしれない。


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