ANECDOTA  16世紀の情報革命


 1517年10月31日、北ドイツの小都市ヴィッテンベルクで、神学教授ルターが『95ヶ条の論題』なる意見書を城教会の扉に打ちつけた。このことが、キリスト教世界をプロテスタント(新教)とカトリック(旧教)とに二分する宗教改革の口火を切ったことはよく知られている。

 それにしても、宗教改革は不思議な歴史的事件である。一介の修道士にすぎないルターが、なぜカトリック教会と皇帝カール5世の連合という巨大な敵に挑戦できたのか。そして、千年もの間あらゆる異端を葬り去ってきたカトリック教会が、なぜプロテスタントを抹殺できなかったのか…。

 この疑問にはもちろん、いくつもの答えが用意されている。カトリック教会の腐敗と権威の低下、新興市民層のニーズに合ったプロテスタントの教義、教会権力に対する世俗権力の反発、オスマン帝国の進出やフランス対ハプスブルク家といった国際情勢…。しかし、決定的なことは、ルターが「情報革命」の中心にいたという事実だろう。

 カトリック教会が異端との戦いにおいてつねに勝利をおさめてきたのは、挑戦者よりもはるかにすぐれたコミュニケーション・ネットワーク、すなわち、ラテン語という共通語と、全ヨーロッパに張りめぐらされた教会組織を持っていたためである。しかし『論題』発表の70年ほど前、グーテンベルクが発明した活版印刷術が、状況をまったく変えてしまっていた。

 ラテン語で発表された『論題』は、ただちにドイツ語に翻訳されて大量に印刷され、のちのルターの言葉によれば「あたかも天使ご自身が飛脚となったかのように、14日間のうちにはやくも全キリスト教会をかけめぐった」。そして、ドイツ中に大反響を巻きおこした。

 時代は「情報革命」に突入した。ドイツでは1520〜40年の20年間に、前の20年間の3倍もの本が出版された。なかでも『キリスト者の自由』『教会のバビロニア捕囚』『奴隷意志について』などルターの著作は、1518〜25年に販売されたドイツ語出版物の三分の一以上を占め、彼のドイツ語訳聖書は1546年までに430版を数えた。ルターこそ、史上初のベストセラー作家だったのだ。

 百戦錬磨のカトリック教会も、「出版」という新たな分野では防戦一方だった。ルターらプロテスタント側が俗語(英語、ドイツ語、フランス語など)を用いる圧倒的多数の読者をターゲットとしたのに対し、カトリック側はごく少数の知識人にしか読めないラテン語にこだわったのだから、それも当然であろう。当時のカトリック側がどんな心理状態だったかは、1535年、パニックにおちいったフランス王フランソワ1世が、すべての本の出版を禁止したことによくあらわれている(実現不可能だったことはいうまでもない)。

 印刷・出版という新しいメディアを駆使することで、プロテスタントは精神世界における主導権争いに勝ち残ることができた。このことは、情報化社会に生きる私たちに、いろいろなことを教えてくれている。


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