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記念すべき第1話はねぶたの基本偏をお話しましょう。
ご存知のかたもいると思いますが、「ねぶた」は大別すると、
1.ダシといわれるねぶた本体
2.囃子手を含む運行管理グループ
3.踊り手であるハネト
以上、3つのユニットがあります。
この3ユニットをまとめたのが、1個の運行団体であり、地方公共団体や大手有名企業が運営し、毎年20
前後の団体が「青森ねぶた祭」に参加し、勇壮な祭を演出しています。
戦前は青森市内の各町内会が、「ねぶた」を運営していましたが、戦後「ねぶた」が青森のメイン観光
イベントとして人気がではじめると、大手企業が「ねぶた」に参加するようになり、宣伝効果をねらった
投資により、徐々に大型化していき、現在の「青森ねぶた」になった訳です。
町内会が作る「ねぶた」も消滅したわけではなく、現在でもねぶた期間の前半では、「青森ねぶた祭」で
堂々と運行されています。
企業で出した「大型ねぶた」に比べ、「町内会ねぶた」は小さく迫力には欠けますが、昔ながらの手作り
の雰囲気はなかなかのもので、大型とは違った哀愁感があり、青森の人々からは「子供ねぶた」と呼ばれ、
親しまれています。
ねぶたには誰でも参加できると聞いてますが。
ねぶたの一番の特徴的な点は、自由参加にあります。ねぶたに参加する踊り手のことを「ハ
ネト」と呼んでいますが、「ハネト」は、ねぶたの衣装さえ着ていれば、基本的に自由に好き
な団体に参加することができます。参加するための許可や資格はありません。「ねぶた」はあ
くまでも、庶民のための自由な祭なのです。
県外から来て参加している人もかなりの割合でいます。既に「ねぶた」は青森の枠を超え、他
県にも浸透してます。
「ねぶた」の起原はいつごろから、どのような形で始まったのでしょうか。
かなり、昔からだと聞いてますが。
青森県内には、各地に「ねぶた」あるいは「ねぷた」があります。(人形の形をしているのが、
「ねぶた」で、扇型は「ねぷた」と解釈しても良い)その中でも「弘前ねぷた」が元祖といわ
れており、「ねぶた」の起原は、すなわち「弘前ねぷた」の起原になるわけです。
ただ、「ねぶた」「ねぷた」の発祥については、定説がありません。一番有名で信じられてい
たのは「坂上田村麿の蝦夷征伐」説ですが、現在ではそれも実証がないとされ、確かなものと
はいえません。
「青森ねぶた」に関しては、現在から約240〜250年前、享保年間の頃に、油川町(現在の青森市油川)
付近で、灯篭を持ち歩き踊った記録があり、それが青森市に広がったといわれています。
とにかく、「ねぶた」の歴史はかなり昔からつづいてる訳ですね。
古くから、現在まで、こんな祭が続いているのは、とてもロマンを感じます。
青森の人々はみんな「ねぶた」を愛しています。普段地味な青森の人間にとって、年に1度情
熱を注ぐことのできる舞台が、「ねぶた祭」です。
祭の前は、みんな血が騒ぐといいます。かすかに聞えるねぶた囃子、ハネトが身にまとう鈴の
音、夜遠くに見える「ねぶた」の淡い幻影、店先に吊るされてロウソクを燈した「金魚ねぶ
た」。これらに触れるたび青森の人々は、待ちかねた「ねぶた」に思いを寄せます。
まさに、血が踊り、熱い血潮が湧き出てくる感触に、いてもたってもいられなくなる季節が「ねぶた祭」な
のです。