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今年のねぶたはもう終わりましたが、僕は参加してきました。ねぶたのダシがとても大きくてきれい
でしたが、今回は「ねぶた」のダシについて教えてほしいのですが・・・。まずは、あんな大きな物
をどうやって作るのでしょうか。
材料は木材、針金、和紙等を使用しています。角材を使い大まかな基礎を作った後、針金でねぶたの
骨組みを作ります。骨組みの上から和紙(奉書紙)を1プロックづつ貼り付けて、明かりに明暗を付
けるため、ろう(ロウソクのロウ)と墨で模様を描き、染料で色を塗っています。できた本体を高さ
2メートルの台車にのせています。ねぶたには「ねぶた師」といわれる人がいて、その方々がねぶた
を作成しています。基本的にはねぶた1台に1人の「ねぶた師」がいて、顔や手などの重要な部分は
「ねぶた師」が自ら作り、他の部分は弟子や手伝いの方に指示しながら作成していきます。雪解けの後、春先には
作り始めているようです。
「ねぶた師」について教えてください。
ねぶたを作成者する人のことを「ねぷた師」といいますが、現役で大型ねぶたを作成している人は十
数人ほどいるようです。「ねぶた師」を専門に職業としている方もいますが、本業のかたわら副業と
してねぶたを作っている方もいます。
1年でねぶたは約25台くらい作成されますので、多い人では1人で3〜4台作ります。
ねぶたを作るためには、かなり熟練した技術と、芸術性の高い色彩感覚が必要です。誰でも「ねぶた
師」になれるわけではないのです。ねぶたは「ねぶた師」の芸術作ですから、作成した人の個性が強くねぶたに
反映されます。迫力のあるねぶた、色彩の美しいねぶた、どこか哀愁のあるねぶた等ねぶたにはたくさんの個性が
ひかり、芸術性の高さを見ることができます。「ねぶた師」は青森県の生んだ芸術家なのです。
ねぶたを作るには才能が必要なのですね。
そうです。「ねぶた師」はねぶたという芸術品を作る才能にたけた人達なのです。
有名な「ねぶた師」はどんな方がいるのですか。
昭和のねぶた名人として北川啓三氏がいます。彼はねぶたが大型化した戦後の昭和ねぶたの第一人
者でした。その後、昭和中期から後期にかけて佐藤伝蔵氏と鹿内一生氏が、それぞれ独自の作風で
ねぶたの質を高めたのです。昭和後期から現在は千葉作龍氏が品性のあるねぶた作りをつづけてい
ます。現在10数名いるねぶた師のほとんどは、このねぶた名人達の弟子です。彼ら名人達のねぶた
作りは脈々と現在まで受け継がれているのです。
私的な意見を言わせてもらえば、僕が物心ついた時には佐藤氏の豪快で動きのある作風が好きでしたが、現在は
千葉氏の色彩感覚と総合的なねぶた作りのうまさに憧れています。
千葉氏以外の現在のねぶた師の中では北村隆氏、石谷進氏も、「田村麿賞」(その年のねぶたに贈られる最高
栄誉賞、現在はねぶた大賞)受賞経験があり、うまいねぶた作りをしていると思います。若手では竹浪魁龍氏が
元気なねぶた作りをしています。
ねぶたは単なる出し物でなく、芸術性の高い作品で、しかも、それを作るねぶた師は洗練された能
力の持ち主であるということが良くわかりました。
単なる出し物でなく、作り手の思いのこもった作品であるからこそ、青森の人々はねぶたに愛着を
もっています。
ねぶた期間中は、地元の観覧者はあのねぶたは良いできだとか、良くないとか批評する人も少なく
ありません。みんな、ねぶたが好きで昔から毎年ねぶたを見続けているため、そんな事をつい口に
だしてしまうのです。
ねぶた祭が終わった後、ねぶたはどうなるのでしょうか。
青森のみんなが大好きなねぶたですが、そんなねぶたも祭が終わると、一部、民間企業や地方団体
に買い取られていくねぶた以外は、すぐ壊されてしまいます。ねぶた師だけでなく、みんなが短い
夏の終わりを感じる寂しい瞬間です。