二宮忠八翁のページ
二宮忠八という名前をご存知でしょうか。実は私も香川県で生まれ育ちながら、日本で初めて飛行機模型を作った人ぐらいのところで正直あまり知らなかったのです。クラブが仲南町に移転したこともあってチョッとぐらいは知っておこうかと思い調べてみると驚きです。世の中に天才とよばれた人が数多くいますが、まさにこの方も稀代の天才とよぶにふさわしい方ではないかと・・・
(文中敬称を略させていただきます)

ライト兄弟の初飛行に先駆けること十数年前、日本にも何とか空を飛べないものかと考え研究を重ね、それを具現化した人がいました。それがこの二宮忠八という方なのです。
 その具現化したものとは下の写真のカラスの形をした模型飛行機です。なんだ模型か、といわれるかたもおられると思います。今日日、模型飛行機なんか子供でも作って遊んでるぞ、と。しかしながら、二宮忠八が生まれた(1866年)当時、人間が作ったもので空を飛ぶものといえば凧か竹とんぼ(熱気球はすでにあった)ぐらいのもので、現代のような翼を持った飛行物体などどこにもなかったでしょう。
 人類が空を飛びたいという夢はかなり古い時代からありました。テレビなどで時々目にする映像として、ダビンチの構想した飛行装置を真似、自動車のようなもの上にらせん状のパラソルみたいな物をつけ地面でどたばた跳ねているものや鳥の翼のようなものを両腕につけ羽ばたきながら崖から落ちていく人など。これらの映像は、今飛行機があたりまえのように空を飛ぶ時代の私たちから見れば、なんと稚拙な、そしてコミカルなものと映ることでしょう。
 しかし私たちにとって当たり前、常識などといわれること(飛行機に限らず)のすべては、幾多の先人たちの英知と努力と犠牲の上に成り立っているものであると言えます。

 海外ではライト兄弟をはじめ、グレン・カーチスなどにより航空機界の黎明期を迎えようとしていたこの時代に、まさに時を同じくして日本にもこのような人物がいたことが不思議でたまりません。ちなみに、ライト兄弟の長兄と二宮忠八は1才しか歳が違いません。


 ※この模型は二宮忠八のご子息である二宮顕次郎氏が仲南町に寄贈されたものだそうです
 さて、二宮忠八は兵役中、演習の帰途にこの仲南町の樅の木峠において、カラスの滑空する様を見て飛行の原理を悟ったとあります。
 このとき忠八は、カラスが翼を止め滑空するときに進行する方向に対し翼がすこし上に向いていて、これが下向きの抵抗を生み空気中を滑走できるのではないかと考えたようです。この時点では揚力を得るための翼断面構造までは至っていないのではないかと思いますが。

 忠八は若いとき、故郷の八幡浜において「忠八凧」なるものを考案し販売したことがあるようで、空気の抵抗力について身についたものがあったのではないかと想像させられます。

 これは現在、仲南北小学校に保管されている、二宮忠八がはじめて飛行に成功したカラス型飛行機模型の模型(あれ?)です。
 この模型からわかるように、いかに鳥の形を真似たとはいえ、主翼は揚力を得るためのキャンバーと安定性のための上反角を持ち、水平尾翼ならびに先頭垂直翼(カラスの頭の部分)、ゴム動力とはいえ推進力をプロペラによって得、離着陸のための車輪を持つという、レシプロ飛行機に必要な要素がすべて盛り込まれています。


株式会社YOSHIDA製 カラス型飛行器
岐阜県美濃市常磐町2428番地
 これは忠八のカラス型飛行機をモデルにして作られたゴム動力模型飛行機です。
 仲南町の二宮神社を取材に行ったおり、隣接する道の駅で販売されているのを見つけました。構造的には忠八の機体の特徴をよくつかんでいると思います。ただ、忠八の模型は主翼とゴムの張ってある推力線とがほぼ平行であるのに対し、この模型では角度がついています。しかし、別の忠八の同模型の写真ではカラスの頭がこれほど上を向いていないものがあります。おそらく(あくまで推測ですが)この模型は実際に飛ばしてみたことがあるのではないかと思います。このての飛行機は非常に軽量(ちなみにYOSHIDA製モデルは26g)ですので風や飛ばし方によってはうまく飛びません。その結果、墜落した際頭が上を向いたのでは・・・・。
 さて、忠八の機体は手投げで約6メートル上昇し約35メートル飛んだそうです。どんな飛びをしたのか興味のあるところですが、この保管されている貴重な模型を実際に飛ばすわけにはいきません。こちらのYOSHIDA製モデルで検証してみました。

 まず、組み立てですが、重要なのは主翼の製作です。キャンバー(翼の歪曲面)を正確に取り上反角も説明書どおりにします。主翼はゴム止めで位置を変更できますので、動力を使わず何度かグライドテストを行い重心位置を決定します。頭を突っ込まず、またピッチングもしない位置にセットします。
 翼の位置が決まったら、実際の飛行です。ゴムを三重コブができる程度に巻き、ほぼ水平方向にリリースします。この機体は前述のように推力線に対し主翼が約15度の仰ぎ角を持っていますのでゴムの駆動力が十分なうちはグーっと上昇し、その後グライダーのように滑空状態になります。説明書には向かい風でリリースするようにと書いてあります。これはラジコン機でも同様の離陸の基本ですが、この機体の場合は向かい風でリリースすると上昇角がつきすぎて機速が死んでしまいます。むしろゆるい追い風状態のほうが機速が失われず緩やかに上昇し滑空状態への移行がスムーズとなり結果、飛行距離が出るように思いました。
 もっともうまくいった場合で、高度は7〜8メートル、距離は約50メートルといったところです。これより推察するに、忠八の機体は仰ぎ角が少なく、また竹とんぼを組み合わせて作ったプロペラの効率はあまり高くなかったと思われますので、この機体よりはもっと滑らかな飛行軌線を描いてゆっくりと飛んだのではないかと思います。
  

 さて、二宮忠八はこのカラス型飛行機のあと、玉虫型飛行機の製作を行います。軍人であった忠八は飛行機というものが偵察や輸送、攻撃に有効であると考え、また実際の有人飛行機の製作は費用面から難しかったため、軍に飛行機の研究開発を何度か上申しますが、当時の上官に先見の明がなかったため採用されませんでした。そののち退役した忠八は私費を投じて研究を続けていましたが、新聞でライト兄弟の飛行成功を知り、飛行機の開発を断念したそうです。このとき、軍が忠八の意見を採択していたら今の現代は少し違ったものになっていたかもしれません。(歴史に「もし」や「だったら」を考えても詮無いことですが)

 
これも同小学校で保管されている「玉虫型飛行機」の模型です

二宮忠八の偉業を讃えて、大正15年、仲南町樅の木峠に記念碑が建立された際の写真です。
今の二宮神社(京都、飛行神社の分社)。
中央の立像が二宮忠八翁です。

 クラブでは、現在このカラス型飛行機と玉虫型飛行機をラジコン化して飛ばす計画が進行中です。カラス型は電動で、玉虫型はエンジン機で製作が進行中!
さてうまく飛ぶことができるのでしょうか。これについてはまたHP上でレポートしたいと思っています。