【名探偵コナン】

■ベルが鳴るまで

作成日[1997/12/12]







ACT1 瑠璃亜

 それは風がうなり声をあげ、木々がその風になぶられるままざわざわと騒ぐ 夜のこと。
 今は誰もいない大きな屋敷に、電話は鳴り響いていた。
トゥルルル。トゥルルル。
 その電話は諦めを知らないと言うか何というか、すでにベルは二十回を越え ていた。
トゥルルル。トゥルルル。
 その屋敷には小さな図書館に見えるほどの本が、床から高い天井まである書 棚に埋まっていた。書棚に積まれた本は埃にまみれ、自分たちをいつもうれしそ うに読んでくれたご主人様がいなくなってしまったことを悲しんでいるかのよう に暗くくすんでいた。
トゥルルル。トゥルルル。
 よほど大事なことなのか、それともご主人をとても慕っているのか。
 ご主人の探偵ぶりに?ご主人自身に?
そう、本達のご主人は、日本警察の救世主とまで言われた名探偵だった。本達 はその救世主を育んだのは間違いなく自分たちだということを知っていたから、 ご主人をとても埃、いやいや誇りに思っていた。
 もっとも、そのせいでご主人は私生活ではオタクだの呼ばれていたが。
 だれに? あの毛利蘭と言う、娘に。
 毛利蘭と言う娘を本達は好きではなかった。蘭は「こんな物に囲まれて暮ら しているから新一がオタクになっちゃうのよ」と、いつも自分たちを悩ましげに 見ていた。
 しかし、蘭は本達が徹底的に嫌いになれない要素を彼女は持っていた。
 それは、ご主人の、工藤新一という名探偵のお気に入りだったから。
トゥルルル。トゥル。。
 電話のベルはまるでその本達の思いにびっくりしたようにそのまま、鳴らす のをやめてしまった。
 名探偵に思い人がいたことに、びっくりしたように。


「パパ。新ちゃんいないよ?」
 可愛らしく肩にかかった細い細い三つ編みを後ろにやりながら、中学生くら いの女の子が受話器を電話に戻す。電話が名残惜しげにチンと鳴る。
「変だな?こんな時間まで家にいないなんて。」
 傍らのソファーで新聞を読んでいた、紳士のような男性が答える。彼は工藤 優治。新一の父・優作の弟にあたる。優治は少し考えてから、いや、おかしくも ないか、と呟く。娘は父のその呟きを一言も聞き逃さなかった。
「どうして?」
 鋭く父を問い返してくる。どうやらこの娘は新一を必要以上に慕っているよ うだ。その娘の、妻に似た愛らしい瞳が鋭い剣幕になると、優治は少し驚いてキ ョトンとした。
「そりゃあ、瑠璃亜。新一君は日本警察の救世主とも言われる名探偵だぞ?今 頃綿密な捜査や、彼の名推理がこの時間リアルタイムに炸裂してるのかもしれな いじゃないか。」
「でも、最近新ちゃんテレビに出てきてないよねぇ?」
 瑠璃亜は少し憂いを込めた目をして、ため息混じりにそういうと、優治はに んまりとほほえんで、
「デートでもしているんじゃないか?ほら、ええと、蘭とかいう子と。」
というと、瑠璃亜はふいとそっぽを向いて、
「おやすみ」
と言い捨て、部屋に戻っていった。
 優治はふっと安心したように笑って、新聞をまた目の前に戻した。と、ふと 思い直したように目を新聞から離すと、ひとりごちる。
「そういえば新一君、最近マス・コミに出できていないな。一ヶ月後のパーテ ィの招待状はもう着いてると思うんだがなぁ。」
 優治はしばらく考え込んでから、再び新聞に目を戻した。
 一方、瑠璃亜はもうすでにベッドに潜り込んでいた。が、眠ってはいなかっ た。
「また、『蘭』なんだわ。」
 瑠璃亜はほどいた三つ編みをゆっくり梳きながらそういった。目は爛々と輝 いているように見える。
「いっつもそうなんだから。新ちゃんは。すぐ、『蘭』『蘭』って。私の方が 数倍、あの子より可愛いのに。」
 なるほど、確かにその子の背丈こそ小さいが、ぱっちり開いた目は魅力的で 惹かれる美しさがあった。それに透き通った肌に桃色の頬、薔薇色の唇、細く高 くあしらわれた鼻。彼女を見た者は、間違いなく将来を楽しみにさせるものがあ った。
「明日、新ちゃんのとこ行って来よう。どうせパーティがあることだって知ら ないかもしれないんだし。」
 瑠璃亜はそう決めると、急にすーっと胸の中がおさまった。それを感じて、 自分がどれたけ新一を想っているのかが分かって、瑠璃亜は少しほほえんだ。枕 の位置をなおし、安定したところで瑠璃亜は夢の中に入っていった。

「新ちゃん!」
 夢を、見ていた。今となっては、遠い昔の、夢。
「新ちゃん!こっちよ!早く!」
 蘭は。その声が嫌いだった。二つ年下のくせに、その妙に甘えたような声が 。
「『蘭』。何であんた来るの?あんた、カンケーない人じゃない?」
 新一がちょっといなくなると、こう。冷たい声と、凍りつくような視線。そ して、言い様のない憎しみを込めた声で呼ぶ、私の名前。
(あたしだって来たかったんじゃない。)
 蘭はその言葉を呑み込む。
(新一が誘ってくれたから。一緒に来ないかって、家に来てくれたから。)
「あの子とは、もう遊ばないからね。」
 蘭が涙をためて新一に言う。新一は少し困った顔をして、どうして?と言っ てくれたが、蘭はいえなかった。
 カンケーない人、だから。
そのときの蘭にとって新一の親戚でないと言うことが、何よりの引け目だった 。瑠璃亜は言ったのだ、私と新一は親戚で何をしても壊れる関係ではないと!
(新一は知らない。あの子がそんな子だなんて。言っても、信じてはもらえな い。)
(それに)
 ふうっと息を吐く。ためらいがちに、小さく。
(親戚の子の悪口なんか言ったら、新一は私と遊んでくれなくなるかもしれな い。)
 蘭は子供ながらにそれを心配していた。
 私のそばに、新一がいてくれなくなるかもしれない。


「蘭姉ちゃん!起きてよ!」
 ノックと共に、可愛らしい男の子の声が聞こえてくる。蘭は目を覚まし、時 計を見てげっと顔をゆがませた。7時35分!小学校の始業時間は8時10分だ から!
「ご、ごめんコナン君。すぐ行くから、待ってて!」
 蘭は素早く制服に着替え、椅子に掛けてあったエプロンを付ける。スリッパ を履いて、急いでキッチンに向かう。
「ご、ごめんね。コナン君!学校間に合う?」
「うん!朝御飯が間に合えば、ばっちりだよ!」
 コナンはちゃんと着替えて、ランドセルまで背負っていた。これは食べた後 、そのまま出ていけるようにするためなのだろう。
「よし!自分でパンを焼いてくれる?あ、あとミルクもね!卵はスクランブル ?目玉焼き?」
「目玉焼きぃ!」
「オッケー!」
 蘭はぱたぱたとキッチンにはいると、冷蔵庫から卵とウインナーを取り出す 。フライパンを下の戸棚から取り出すためにしゃがんだところで傍らにコナンが じっと蘭を見ているのに気付いた。
「コナン君?遅れるよ?」
 ぱたんと戸棚を締めて、フライパンをガスコンロの火に掛け、油を差し卵を 割る。ウインナーに包丁をいれ、固まりかけた卵から離してウインナーを落とす 。これでしばらくは放っておける。
「コナン君、そっちは終わった?」
「蘭姉ちゃん。泣いてたの?」
 コナンがミルクをコップにいれながら言う。
「え?」
「だって目に涙が。」
 蘭はあらためて目に手をやる。手の甲に乾きかけた涙がついてきた。
「あ、やだ、最近泣き虫だな、私。」
 蘭は隠すように涙を拭く。じっと蘭を心配げに見続けるコナンの頭にぽん、 と手をおくと。
「夢を見たの。ずっと昔の。」
「昔の?」
「そう。私たち、って私と新一ね、がコナン君くらいの時にね。」
蘭がコナンを椅子に座らせる。パンをトースターから取り出して、バターを付 けながら話を続けた。
「新一の親戚の子が来たの。瑠璃亜っていうとても可愛い子なのよ。そのとき のことの夢を見てね。」
 蘭は、はいとコナンにパンを差し出すと、コナンは受け取り、
「そのことで泣いてたの?」
と不思議そうに聞き返す。蘭は立ち上がってフライパンから目玉焼きとウイン ナーを皿によそってコナンの前に出した。
「そう。あまり好きな子じゃなかったからね。」
「ふうん」
「あ、このことは新一に内緒だよ?誰だって身内を悪くは言われたくないと思 うし」
「う、うん。分かった」
 コナンはパンとミルクと目玉焼きを順にぱくつきながら、その合間に返事を する。最後にウインナーを食べて、コナンは椅子から足を降ろした。
「いってきまーす!」
「気を付けてねー!」
 蘭はコナンが出ていくのを見送ると、ほっと胸をなで下ろした。ここから学 校まで走れば5分足らず。子供の足でも十分もかからないはずだ。
「さて、私も食べなくちゃ。」
 蘭はキッチンに戻り、また目玉焼きを焼きだした。

「なんでなんだ?」
 工藤新一こと江戸川コナンは学校への道のりを走りながら、ひとりごちた。 江戸川コナンとは、工藤新一が未完成の毒を飲まされて子供の姿となってからの 仮の名だ。しかし、このことは阿笠博士以外の者には秘密にしている。
「何で蘭があのときの夢を見て泣かなくちゃなんねえんだ?」
 コンクリートの地面を蹴立てて、何とか歩いている児童に追いついた。こう なるともう安心だ。間に合う時刻に出た余裕な子の集まりだから。
「うーん・・・。」
「おはようコナン君!宿題、やってきた?」
 ふと後ろを向いた歩美がコナンの横に寄り添う。
「ううん。学校でやる。」
(あんなもんわざわざ家で広げてられっかよ。おれ高校二年生だぜ!)
「間に合わないわよ?私だってあれ1時間かかったんだから。」
「うーん。大丈夫だと思うよ?」
「そお?」
 歩美はコナンを見つめてから、笑った。
「私もそう思うよ。」

「いってきまーす!」
 父・毛利小五郎と食事を終えた蘭が、元気よく家を出る。帝丹高校まで北に 歩いて15分程度。9時に始まる授業には余裕で間に合う。
『毛利探偵事務所』
 そこが、彼女の家でもあり、父の事務所であった。父・小五郎は昔刑事をや っていたが、突然探偵に目覚め(?)独立して事務所を開いた。母が家を出てし まい、家事全般は蘭がまかなうことになってしまったが、蘭は父を恨んではいな かった。むしろ蘭は父が誇りだった。父は自分のやりたいことを男らしく遂げて いるのだ、と。
 おまけに、この事務所はここのところ評判が良かった。前より依頼主が来る ようになったし、父の推理もだんだん鮮やかになっているようだ。
「きっとコナン君のおかげね。」
 蘭はこっそり笑う。そう、この調子が良くなった時期がコナンが家に来た頃 と同じ時期なのだ。蘭はそれをコナンのおかげだと信じていた。一時はコナンが 新一ではないかという疑いを持ったこともあったが、コナンが家にいるときに新 一から電話がかかってきたことでその疑いは晴れた。
(新一があんまり帰ってこないから、私ったらSFじみた想像までして。早く 、帰ってこないかなあ、新一)
 ふう、と一つため息をすると、不意に後ろから呼び止められた。
「『蘭』さん。」
 一瞬、蘭は夢の続きを見ているのかと思った。あの呼び方は世界広しといえ ど、この子しかいない。
「瑠璃亜、さん?」
 ゆっくり、できれば空耳でありますように!と言う願いを込めて蘭は振り返 った。すると、中学のセーラー服姿の女の子がちょこんと立っている。背丈だけ を見れば本当に、ちょこんという感じなのだが、顔を見ると全然違う。大きな瞳 に白く透き通った肌、口紅を塗る年齢でもないのに赤く彩られた唇は、何よりも その存在を相手に知らしめる効果があった。
「よく、分かりましたね。私のこと。まだ見てもないのに。」
 冷たくさげすんだ瞳と、凍えるような声。
(それが変わってないからよ。)
「ええ、何となく。久しぶりね、瑠璃亜さん。それより学校は間に合うの?も う授業は始まってるんじゃないの?」
「授業なんかより大切なことがあるのよ。」
 そういうと、瑠璃亜は鞄から一通の手紙を取り出す。
「これは新ちゃん宛に来た手紙よ。消印を見て。新ちゃんの家に五日間近くそ のまま郵便受けに入りっぱなしってことになるわ。」
 その手紙はエア・メイルだった。消印が六日前になっている。
「どういうことか説明してもらえる?あなた、新ちゃん何処にやったの?」
「ひっ、人聞きの悪いこと言わないで!新一は今大きな事件を追っててここに はいないわ!」
「それで、新ちゃんは何処に?」
「さあ、それは。」
 蘭が言葉に詰まったことをいいことに、瑠璃亜はなあーんだといい、さっと 蘭から手紙を取り返す。
「あなたにこの手紙を見せる価値はなかったってわけね!あーあ、時間損しち ゃった。」
「待って!その手紙は何?外国からってことは、新一のお父さん?」
 瑠璃亜はさっさと元来た道を戻りながら、ピンポーンと言った。小馬鹿にし たように手紙をひらひらと振りながら。
「教えて!私が新一に伝えるわ!」
 その蘭の言葉を聞いて、ちらっと瑠璃亜が流し目をくれる。
「伝える?新ちゃんの居場所も知らないあなたがどうやって新ちゃんに伝える って言うの?」
「たまに、ごくたまに新一は電話をくれるの。そのときに私が教えればいいん でしょ?」
「電話を、あなたに?」
(なによ!それ!まるで恋人みたいじゃない!)
 むかむかとする怒りを何とか抑えて、蘭のところに戻る。そして、決めた、 と呟く。
「え?」
「今日一日あなたのところにおじゃまするわ。新ちゃんの電話を待たせてもら うの。いい?」
「で、でも今日電話が来るとも限らないしそれに。」
(せっかく新一が私に電話をくれるのに!こんな子に邪魔されたくない!)
 そんな蘭の心を知ってか知らずか、瑠璃亜はにっこり笑ってこう言った。
「いいわよね?蘭さん?」

 ACT2 新一
「あー、くそっ!ガキになりきるのもひと苦労だぜ!」
 今日新一、いやコナンは突然学年対抗のサッカー選手代表にされ、遅くまで 残されたのである。小学一年生の帰りの割に、辺りは暗くなり始めている。帰り 道、コナンはサッカーボールを頭と足で弾ませて歩いていた。ふと、電話ボック スが見えて来る。
ぽん。ぽん。
 頭でボールを跳ね上がらせて、足の腿の上でボールをおとなしくさせると、 コナンは右のポケットを探る。薄いカードが手に触れると、コナンはにんまりと 笑った。
(よく考えてみると、これってラッキーじゃねえか?
 いつも“新一”が電話するとき、コナンである俺はこっそりあの蘭のいる家 を抜けなきゃならない。
 でも、今なら。
 難なく“新一”に戻ることができる!)
 ボールを手にして、早速電話ボックスにはいり、いつも付けている蝶ネクタ イ型変声器を、“新一の声”にする。
「あー、あー。よし」
 テレホンカードをいれ、蘭の家の電話番号を手慣れたようにボタンを押し、 呼び鈴を待つ。
トゥルルルル、トゥルルルル
「はい、毛利探偵事務所です。」
 確かにそう聞こえたのに。声が蘭の声ではない。しかし、女の子の声。
「あの、蘭は?」
「その声!新ちゃんね!私よ、瑠璃亜!」
 瑠璃亜?まさか、あの?
 蘭が夢を見たということで、新一はこの久しい親戚を難なく思い出せた。
「何でそこにいるんだ?瑠璃亜?こんな時間まで。」
「新ちゃんが電話するのを待ってたのよ!よかった!あのね、新ちゃん」
「わりーけど、蘭そこにいるんだろ?代わってくれねーか?」
「そんなことより新ちゃん。何処にいるの?ねえ、電話番号くらい教えて?」
 瑠璃亜はいっこうに代わろうとしない。昔からそこそこ我が儘なのは知って いたが、どうやらそれに磨きがかかったようだ。
 こんな時は瑠璃亜の用件をさっさと聞くに限る。
「瑠璃亜、俺になんか用か?」
「そうそう、新ちゃんのパパね、今度大きな賞を戴くことが分かったんですっ て!それで、あっちでその受賞パーティをやるらしいんだけど、今度のは大きい 賞だから、親戚一同総出で祝おうってことになってるみたいで、新ちゃんちにも その招待状来てるのよ?瑠璃亜、何となく新ちゃんがこのこと知らないような気 がして、蘭さんに聞いたら、新ちゃんったら、いなくなってるんだもん!」
「オッケー、分かった。そのことは俺から親父にいっとくよ。」
「え?新ちゃん行かないの?」
 鋭く聞き返す。瑠璃亜は工藤家の血を引く娘だけあって、やたらとこんなと ころが鋭い。
「うん、忙しいからね。さ、蘭と代わって。」
「待って、電話番号は?」
 新一はがっくりと肩を落とす。仕方なく、でたらめの電話番号を言う。
「いいか?瑠璃亜。もう用すんだんだから、早く家帰れよ。迷惑だろ?」
「うん、分かった。じゃーね、新ちゃん。今度電話するね!」
「切るなよ!蘭と代われ!」
「分かってるわよ。」
 ぶすっとした声が聞こえ、受話器がほかの誰かに渡される。奥で、お邪魔し ましたっ!っと、いらだたしげに声だけかけていく瑠璃亜の声。そして。
「新一?」
 蘭の、少しうわずった声。緊張しているような、疲れ切ったような。
「蘭?大丈夫か?」
「うん。平気よ。」
「悪かったな。あいつ、ちょっと我が儘だから、迷惑かけただろ?ごめん。」
 しばしの沈黙。
「ううん。そんなことない。大丈夫。新一こそ、事件の方大丈夫?危ないこと になんか、なってないでしょうね?」
 心配そうな蘭の声。無理もない。蘭は新一の顔をもうしばらく見ていないの だから。新一は胸が痛くなる。
「ああ。平気だよ。んじゃ、また電話すっからな。」
「ま、待って!私には、電話番号を教えてくれないの?」
 一瞬、きょとんとしてから新一は笑って答える。蘭は瑠璃亜のそばにいたら しい。
「あれはデタラメ。俺は、事件追ってて、一つのところにいないからな。」
 今度は蘭が、きょとんとしている姿が新一の目に浮かぶ。そして、笑い声。
「なあーんだ。ふふっ!じゃあね、新一。おやすみ。」
「うん、おやすみ」
 新一コナンはかしゃん、と受話器を戻すと、ふうっと息を吐いた。
 蘭が、自分のことを心配していることが痛い程良く分かる。分かるからこそ 、できるだけ電話をして蘭を安心させてやらなければならないのだが。
(電話をするたびに歯痒くなる。『新一』として、蘭のそばにいてやれない自 分が。早く早くもとに戻らなくちゃ。)

「その声!新ちゃんね!私よ、瑠璃亜!」
 瑠璃亜のその声に、蘭はびくっとした。まさか、本当に新一からかかってく るとは蘭も思わなかったのだ!
 瑠璃亜はその日の朝、蘭に言ったとおり事務所に一日居座り、かかってくる 電話という電話を素早くとった。幸か不幸か、瑠璃亜がまず“毛利探偵事務所” と言ってくれたので、依頼主を逃すことにはなかったから良かったものの、蘭は 終始落ち着かない気持ちだった。父もコナンも戻ってきていないこの家は、まる で自分の家ではないかのように心細い。瑠璃亜の存在感と威圧感がそうさせるの だろう。
 そして、極めつけにお目当てからの電話。嫌なことは重なるものだと、蘭は つくづく身に沁みて感じた。
 瑠璃亜は新一と思う存分しゃべると、蘭を呼びつけて受話器を渡した。メモ を見せつけるような手の位置をして。蘭は瑠璃亜の手にしたそのメモを無意識に 見てしまった。数字の並びが少し見えたのだ。
(新一の、連絡先!?)
 蘭は頭を後ろから思いっきり殴られたような感覚におそわれた。
(私には教えてくれたこともないのに。)
 重い頭を奮い起こして受話器を握りしめる。あの子に教えたのなら、新一は 自分にも教えてくれるはずだ、と何とか思おうとして。
「新一?」
 声が震える。うわずってしまう。泣いてしまう!
「蘭?大丈夫か?」
 新一の心配そうな声。蘭は思う。こんなつまんないことで新一に心配をかけ るわけにはいかない。
 そう、こんなことで蘭は弱音を吐くわけにはいかないのだ。なんといっても 彼は、日本警察の救世主とまで言われる名探偵なのだから。
 だから、蘭は元気を振り絞って言う。
「うん。平気よ。」と。
「悪かったな。あいつ、ちょっと我が儘だから、迷惑かけただろ?ごめん。」
 目頭が熱い。蘭は、今だけ、新一に顔が見られていないことに感謝した。ぐ っと涙をこらえ、心のわだかまりを解くために息を吸い込む。
「ううん。そんなことない。大丈夫。新一こそ、事件の方大丈夫?危ないこと になんか、なってないでしょうね?」
 思ったより、落ち着いた声が出せて蘭はほっとする。
「ああ。平気だよ。んじゃ、また電話すっからな。」
!焦って蘭は新一を引き留める。
「ま、待って!私には、電話番号を教えてくれないの?」
 新一の返事が聞こえない。言葉を失ってるようだ。
(? どうして?私には教えたくないの?)
 すると、笑い声とともに新一の声が言う。
「あれはデタラメ。俺は、事件を追ってて、一つのところにいないからな。」
 蘭がそれを聞いて、目を大きく見開く。急に肩の力が抜けたような、そんな 気分。
「なあーんだ。ふふっ!じゃあね、新一。おやすみ。」
「うん、おやすみ。」
 そういって、新一はさっさと切ってしまった。
がちゃっつー、つー、つー、
 蘭はしばらくそのまま耳のそばでその電子音を聞いていたが、やがて右手を 添えてそっと、まるで壊れやすいものでも扱うように受話器を戻した。
「おやすみ、私の名探偵さん」








■END


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