【ディアマイン】

■貰う喜び 与ふる幸せ

作成日[2002/2/9]







 まるで遊園地ひとつ分を飲み込んでしまえるかのような広大な敷地に、神殿のような豪奢な建造物。そこは堅固な塀に囲まれ、大きな門から建造物への入り口まで続く道なりには美しい花が植え込まれている。整然と揃えて植林された木々はもちろん美しく刈り整えられ、そこに点々とオブジェが計算されたように配置されている。そして、その中央には泉のように湧き出る噴水。虹色の光を天に輝かせ、惜しげもなく大量の水がちりばめられている。平凡な女子高生を送ってきただけの少女には想像もつかないような、どこまでもどこまでも豪奢な、家。
 倉田咲十子はこの、嫌味なくらい豪奢な家の住人になって一年になる。咲十子がこの建造物――家とは言わずそういいたくなるスケールなのだ――の主人、和久寺風茉の婚約者として迎え入れられて一年。それはつまり、その風茉とのお互いの距離を手探りながら少しずつ、だが着実に縮めていった後にも先にもない忘れられない一年だ。
 その一年の総決算とも言うべきイベントが今年初めの和久寺親戚一同のパーティだった。咲十子はそのパーティに出席し、和久寺グループ総帥たる和久寺風茉との婚約者として出席した。そのパーティを始め、その親戚たちに呼ばれたり、逆に挨拶に来られたりする会食が幾度となく続き、咲十子がようやく学校に行けるようになったのはもう一月の終わりだった。そう、咲十子は自分自身の役目を果たすべく学校を休んだ。咲十子は風茉の傍に居たかったのだ。風茉が一人でつらいことを背負い込まないように。

 咲十子が部屋でそんなことを思い起こしながら日記(兼家計簿)をつけていると、ドアがかちゃりと音を立てた。
「あー・・」
 可愛らしい声を上げながら、小さな小さな男の子が入ってきた。和久寺総家次男、寿千代(ひさちよ)二歳男子である。風茉にとっては、唯一の母親の忘れ形見だ。
「あら・・寿千代君・・どうしたの?」
「あー・・」
 潤んだ目をこすりこすりしながら、咲十子の傍によちよちと寄ってくる。咲十子は座っていた椅子から立ち上がり、寿千代を抱き上げた。
「んー・・」
「どうしたの?おねむかな?寿千代君」
 寿千代の口が突然くあっと開いたかと思うと、ふああぁと弱々しい間延びした声が聞こえてくる。どうやら相当眠いらしい、と咲十子はくすりと微笑むと、自分の部屋のベッドに寿千代を横たえる。ぽんぽん、とリズミカルに寿千代の肩を叩きながら寝かしつける。咲十子は寿千代に懐かれているせいかよくお昼寝を寝かしつける役に当たる。
 寿千代はしばらくくずくずと何かに抗うような声を上げていたが、しばらくすると寝息を立て始めた。咲十子はほっと安心して、座り込んだベッドから立ち上がった。
「今日は、と・・」
 咲十子はまたテーブルにつくと、開きっぱなしだった日記を見つめた。
 日記の最後にはここのところいつも同じ文が綴られている。

―――風茉君が帰ってくるまであと、○日・・。

「寂しい、な・・」
 くたっと体をテーブルに倒して、瞳を閉じる。

 風茉は毎年恒例となっている春の風邪を落ち着かせるとすぐにニューヨークに飛び立ってしまった。海外進出してる各社へ年度始まりの挨拶回りなのだそうだ。どうやら国内の仕事が落ち着かず、また体調を壊したこともありのびのびになっていた様子だった。
 それにしても、子供とは思えない過密スケジュールに、咲十子のほうが聞いているだけでくたくたになりそうだ。しかし、風茉はいつも通り、鋭い目をきりりと光らせて出かけていった。
「今回の出張はただの挨拶回りだからな。今度の土日には帰ってくる。浮気すんなよ」
 そういい捨てると風茉は咲十子にびっと指差した。咲十子が何かいいたげに頬を膨らませると、風茉が安心したように笑って車を走らせて行ってしまった。
「しないもん、浮気なんか・・」
 するわけ、ないのに。
 一人ごちた咲十子の言葉が聞こえるはずもなく、車はすぐに見えなくなってしまった。

「まだ、あのこと根に持ってるのかな・・」
 うとうととしながら、咲十子はうわごとのようにそう言う。家を出る間際に言った風茉の言葉に対して、咲十子は不安そうに眉を寄せて考えた。
 バレンタインの後に風茉はすでに一度海外出張に出かけている。そのときは九日間と出張にしては長丁場なものだった。そのとき風茉が予定より早く帰ってきたがために、運悪く咲十子に寄り添った九鉄の姿をみてしまったのだった。結局その誤解はほどなく解かれたのだが。
「〜〜〜っ・・根に持ってるというか、心配してくれてるのかな・・。多分」
 はぁっと息をつく。それにしても、風茉の顔を見てないというそれだけの事実が、こんなにも不安にさせる。落ち着かなくさせる。

 ちゃんとご飯食べてるかしら。夜眠れてるかしら。胃痛起こしてないかしら。お薬作って持たせてあげたらよかったかしら。ううん、鋼さんがいるんだからそんな心配しなくてもいいんだけど。だけど。でも。
 お願い。お願い。無理、しないでね。

 しかし、咲十子が実際そう思っていても、風茉は風茉で仕事は自分との戦い、そして和久寺グループ分家企業トップとの戦い、と風茉が言っている以上無理はするのだ。そうすることでしか和久寺グループ総帥としての威厳と風格を身にまとうことはできないと風茉自身が一番良く分かってるから。そして、その血筋と年齢に依存することなくその威厳と風格を身につけてみせると、風茉は自分に誓っているのだから。
 どうにもならないジレンマだと、咲十子は思う。
 風茉の体と精神的な面を咲十子が心配していて、そしてたとえそれを風茉が理解してくれたとしても、風茉はそれを鵜呑みにすることは絶対にできない。そして、咲十子に心配をかけていると知りながら、自分の立つ位置を不動のものとするためにひたすら仕事に励み、励み続けることでしか無能な分家の親父どもに知らしめる方法がないゆえに、体を苛むと知ってでも風茉はやり続けるだろう。
 思えば、風茉は生まれてからずっと強くあること、大人であることを当然のように扱われ続けている。
 つらいこと苦しいことを全部大人の仮面に隠して見えないようにして、精一杯大人であろうと努力に努力を重ね、結果、見事な頭脳と精神力で総帥の座に居座り続けている。

「・・風茉君・・」
 咲十子は、将来これからもずっとその重い和久寺の看板を背負って生きなければならない風茉に心を痛めずにいられない。しかし、風茉自身が決めたことである以上、咲十子はそれを哀れむべきではない。咲十子はこれから一緒に風茉と歩いていくと、つらいことも楽しいことも全部分け合って歩いていくと、決めたのだから――――。
「だから、せめて・・元気に帰ってきて・・」
 かたん、と音がした。
 咲十子はすでに夢うつつの状態で、起きるのも億劫な状態でテーブルに突っ伏していた。暖かな部屋にすうっと風が入ってきて、どうやらドアから誰かが入ってきたようだが、どうせ母親が娘の様子を見に来たのだろうと思って放っておくことにした。
 絨毯のこすれる音がして、誰かが咲十子に近づいてきている。頭の中に意識としては入ってくるのだが、如何せん暖かな部屋でご飯もきちんと食べた後とあって、どうにもならないほどまぶたが重い。起きようとする意思が、睡魔に負けてしまう。
「・・・」
 近づいた人影が意識的なものでは誰のものかわからない。
 しかし、咲十子の体温が一瞬にしてどくん、と跳ね上がった。自分の体の変化に驚いて、咲十子は睡魔からはっきりと自分を取り戻し、声にして叫んだ。
「風茉君っ!?」
「ぅわっ・・なんで分かったんだ!?」
 本当に風茉だったことに咲十子自身が驚く。目をしばたたかせ、風茉の顔をまじまじと見つめ、ぱぁっと顔をほころばせた。そんな咲十子の表情を見て風茉が花が咲いたみたいだ、と笑う。
「本当に風茉君?どうして?まだあと二日待たなきゃいけないって思ってたのに・・」
「超スピードで挨拶回りした。俺、咲十子がいねぇところで長居したくねぇもん」
 風茉がにっと笑ってそう言うので、咲十子は照れて赤くなった。
「あ、風邪もまだちゃんと治ってなかったのに・・大丈夫?」
 咲十子は心配して風茉の手を握り締める。風茉の手は熱もなく、風邪は落ち着いている様子だった。
「ああ。咲十子こそ・・うつってないのか?平気か?」
「平気だよ?・・なんで?」
「なんでって・・」
 風茉がそこで顔を赤くする。耳まで赤い。咲十子が一瞬不思議そうな顔をした後、あることに思い当たって、あ、と声を上げた。咲十子も風茉に負けず劣らずに顔を真っ赤に染めている。
 風茉の春の風邪の看病中、二人は思いを確かめ合うように唇を合わせたのだった。
「・・・」
「・・・」
 お互い赤くしたまま目をそらしているが、手だけはつながれている。ようやく会えた恋人の手を、二人はそうやすやすと離したりはしない。
 ひとしきり照れた後、咲十子が思い出したように風茉に問い掛ける。
「ね、風茉君。チーズケーキ好き?」
「あ、ああ。好きだけど」
 咲十子がそれを聞いて嬉しそうに笑った。
「今日ね、暇だったから作ったのよ。そろそろ冷えてる頃だから食べようか」
「ああ」
 じゃあ、と咲十子は日記兼家計簿を閉じて、立ち上がる。一旦寿千代を寝かしたベッドに行くと、寿千代を抱き抱えた。この部屋で放っておくのは咲十子は忍びないと思ったのだ。どうせなら鋼十郎に見てもらったほうがいいかもしれない。
「寿千代は寝てるのか」
「うん。鋼さんに見てもらおうかなと思って」
「そうか」
 ベッドに座って抱きしめる寿千代を抱きしめる咲十子は、まるで風茉の母親とは印象が違うが暖かな母性を感じて、風茉は咲十子のその暖かさが昔から大好きだった。
「咲十子」
「ん?」
「好きだから」
 風茉が言うときはいつも唐突で困る。咲十子はそう思いながらも、胸に生まれるひそやかな疼きが甘く心地よくて、思わず顔を赤らめた。
「俺、ずっと好きだから。これまでも、これからも」
「うん」
 やっとのように咲十子が頷く。思わず涙がこぼれそうになる。それくらい風茉の正直で誠実な言葉は、咲十子を一瞬にして幸せの境地に運んでしまう。いつもはもらってばかりの幸せ。けれど、これからはちゃんと。
「私も」
 意を決したように、顔を上げて咲十子は風茉を見つめる。風茉の手を握り締め、勇気を振り絞るようにぎゅっと握り締めて、小さな声で言う。
「私も、好きだから。風茉君のこと好きだからね」
 風茉が咲十子の言葉に嬉しそうに目を細める。その笑顔が見れたことが咲十子には何よりもまた嬉しくなる。もらうばかり。私はこの人に幸せをもらうばかりだと、改めて咲十子は自覚する。
「チーズケーキ、食べに行くか」
「うん」
 嬉しそうに微笑みあう二人がドアを開けると・・そこで二人が見たのは咲十子の母親と鋼十郎が顔を赤くして逃げるところなのでした。



■End.


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