【逆転裁判】

■哀しき研究者













――体が・・熱い。

――誰か・・誰か助けて。

――熱い・・熱い・・・・

――誰か助けて・・っ・・!









 綾里真宵は珍しく朝早く事務所に到着していた。

 成歩堂法律事務所――彼女の職場――は所長が一人居るだけであとは助手の真宵だけだった。事務所の鍵はそれぞれで所持している為、どちらが早く着ても問題ない。

 真宵は冷え切ったコートを脱いで、クローゼットに掛けているところだった。

 そのとき一瞬、妙な気配を感じた。

「あれ・・?」

 くるっと天井が回った。

 おかしな気分。頭の中が強制的になにかに支配され、手足の感覚がなくなっていく。

 見えるものも見えなくなってしまって、まぶたが閉じたのだと判るまもなく、真宵の意識は途切れた。



「うーさぶいっ」

 成歩堂は頬を真っ赤にしながら扉を開いて事務所へと入っていった。がっちりとした肩には白いものがきらきらと光っている。

 今年初めての雪だった。

 事務所の看板が出ていたので、成歩堂は真宵が先に事務所に到着していることが判っていた。

「真宵ちゃん、熱いお茶でも淹れてくれな・・うわ!」

 白いものを落としながら受付に入っていくと、カウンターの後ろの空間で人が倒れているのを見つけて、成歩堂は愕然とした。

「ま、真宵ちゃんっ!?」

 彼女の珍しい髪型、珍しい服装、見間違えるはずがない。助手の真宵だ。

 成歩堂は慌てて鞄とコートを受付のカウンターに投げ置くと、真宵を体を抱き起こした。

(なんだこの熱さ・・すごい熱だ!)

 成歩道はとにかくソファに寝かせることにした。ぐいと体を抱え、受付から奥の事務所のソファに真宵を寝かせる。仮眠用の毛布を引っ張り出して、真宵にぐるぐる巻きにした。

「ん・・」

「気が付いたかい?」

 ほっとした成歩堂が真宵にぎこちなく笑顔を見せた。心配で少し顔がゆがんでいる。

 真宵の方は朦朧とした瞳をゆっくりと成歩堂に向けた。意識がまだはっきりしないようだが、成歩堂の顔をようやく認識したらしく、そこでやっとにこ、と微笑んだ。

「わ、笑ってる場合かよ。なんでこんな熱があるときに仕事に・・」

 言いかけて、成歩堂はいや、と考え直す。真宵は一人暮らしをしている。つまり誰も監視されない状態で倒れるより、ここで倒れてくれた方がよかったのだと思い直した。

「何か食べれそう?」

 成歩堂が優しくそう声をかけると、真宵がゆっくり顔を振った。

 食べたくない、と掠れた声がそう言った。

(確かにこの熱では食欲も湧かないだろうな)

 成歩堂も言ったもののそう思った。しかし何か口にしないと、体力ばかりが落ちていくのだ。水分だけでも補給してもらわないと、と成歩堂が立ち上がると、真宵が声を掛けた。

「ま、って・・」

「真宵ちゃん?」

「あなたは、この人の恋人・・?」

―え。

―ええ?

―なんかその質問、ツッコむ所ありすぎないか?!

 今まで心配で一色になっていた成歩堂の頭の中が途端に混乱を帯びた。

「真宵ちゃん?質問、おかしいよ?」

 驚くのと、赤くなるのとが同時で困惑顔になってしまう成歩堂を見て、真宵がうっすらと笑う。

 その表情に、一瞬成歩堂に違和感が走った。

 酷く悲しげな、さびしげな陰のある笑顔だったのだ。真宵の表情として見覚えのない、笑顔。

―まさか。

―霊媒師の体を別の霊が乗っ取っているとかじゃ・・!

 綾里家の霊力は高いのだと、いつか真宵から聞いていた。綾里家は霊媒師の家系(それもその里では家元の家系)なのだそうだ。その証拠に、成歩堂は既に他界した先の所長である千尋が真宵の体に降りてくるのを何度も見ている。

 しかし、その笑顔は千尋のものでもないことが、成歩堂には判っていた。

「・・・真宵ちゃん、じゃ、ないのか?」

 おそるおそる、成歩堂はそう言うと、目の前の知っているはずの少女が知らない笑顔で返事をした。

「そう、私はマヨイさん、じゃないわ」

 血の気がさぁっと引いた。

 今まで真宵の降霊は千尋しかみたことがないし、儀式の手続きを取って別の人を後霊させる依頼も一度はあったが、事件が絡んで結局その儀式は行われなかったことが判明した。

 だから、真宵にとって千尋以外の初めての後霊が、何の手続きもなく、しかも霊媒師の知識があるはずもない成歩堂の目の前で行われたと言うことになる。

 成歩堂にとって、真宵自身の体は問題ないのか、そしてどうしたら元に戻すことができるのか、ということが皆目見当もつかない状況で、だ。

「真宵ちゃんの体を・・どうする気だ!!」

「・・ふふっ・・」

 見た目真宵でしかない少女は成歩堂から視線をずらすと、天井を見た。

 成歩堂は何かが喉に詰まったようにじっとして真宵でない人の顔を睨みつけていた。

 やがて、少女は名乗った。

「私は、柄真(エマ)。あなたは・・?」

「僕は成歩堂、成歩堂龍一」

 憤怒の念を隠そうともせず、不機嫌な声で成歩堂はそう言った。すると、柄真と名乗った少女は、そう、と言った。

「霧崎先生、知っているわね・・?」

 成歩堂はすばやく記憶を探った。何の事はない、先ほど「依頼があったが事件が絡んで後霊できなかった」という事件で殺された医者の名前だった。

 成歩堂は無言のまま頷いた。

「私は、あの人に殺された一人なの」

 これは、多少説明のいる内容である。

 少し前、霧崎という医者が成歩堂を尋ねてきた。彼の病院には悪評があり、医療ミスで14人もの死者を出したとの報道がされた。その原因がある看護婦の処置ミスと言うことになりかけたとき、その看護婦自身が交通事故に遭い死んでしまった。

 霧崎はその事故後も悪評が収まらないのに業を煮やし、死んだ看護婦を霊媒師に呼び出してもらい問い詰めたいということで、霊媒師の綾里真宵に白羽の矢が立ったのである。

 細かいことを省くとその霊媒の儀式で残された結果は二つ。

 霧崎は殺され、医療ミスは実際に看護婦自身のものだったということだ。

 おそらく真宵に今降りている柄真は、14人の一人なのだろう、ということが成歩堂の頭の中で予想がついた。

「君があの医者に殺されたことはお気の毒だとは思うよ。でも霧崎先生ももう死んだ。君が真宵ちゃんの体を乗っ取った理由はなんだ?」

「私は、生きなきゃならなかった。生きてやらなきゃいけないことがあったのよ」

 強い意思の光が柄真の瞳に宿ったのをみて、成歩堂は身構えた。柄真は体を起こして、成歩堂を睨みつけるように立ち上がった。高熱のせいか、彼女の体はふらついていた。

「私は、やりのこしたことがあるのよ。だから、この子を借りたの」

「・・・」

「成歩堂くん、少しこの子を貸して」

 柄真は成歩堂を睨みつけたまま、そう言った。その瞳の圧力には鬼気迫るものがあった。さすがに既に死んでいるのにわざわざ現世まで戻ってやり残したことを成し遂げようという霊の気迫は、すさまじいものだった。

 しかし、成歩堂も黙ってその頼みを受け入れられるような、そんな状況でもなかったのだ。

「僕はまず真宵ちゃんの許可も得ず体を乗っ取った君を心理的に許せない。それに僕はそんな勝手な申し出を僕は了解するわけにはいかない!」

 裁判所で異議を突き立てるときのごとく、成歩堂はその指を柄真に向かって突きつけていた。柄真はそんな成歩堂を見ても、ぴくりとも動かなかった。動揺の様子は全く、なかった。

 そんな成歩堂を見て、けだるげに柄真は下を向いた。そして息の漏れる音が聞こえた。噴き出したような笑いが聞こえた気がした。

「成歩堂くん、といったわね?」

「・・・」

「私はね、強行することもできるの。窓をぶち破ってビルを降りても、この体を動かしつづけるわ。きっとこの体はぼろぼろになるでしょうけど、そんなこと、私の知ったことではないわ。意味、わかるわよね?」

「っ・・!」

 意思は柄真でも体は真宵だ。真宵の体を引きずって駄目にしてでも信念は通させてもらうと、柄真はそういっているのだ。

 真宵を取り戻す方法が判らない成歩堂にとって、真宵の体だけは第一に守らねばならない。そして、そのためには柄真の条件を飲むしかない、と柄真は言う。

「これでもまだ、私のお願いを無視できる?」

「そ、その前に、話を聞かせてくれ。一体何を・・」

 咄嗟に成歩堂は時間を稼ごうと思った。お茶でも出すふりをして、真宵のいとこの綾里春美に連絡をとり、霊を追い出す方法をつかむことができれば、あるいは、とは思ったのだ。

 しかし、それを見透かしたように彼女は笑った。

「成歩堂さん、私時間を無駄にしたくはないんです。あなただって、早く真宵さんに会いたいでしょう?」

 よろよろと熱に浮かされた体で柄真は歩き出した。成歩堂はその姿を目で追っていたが、すぐにクローゼットから真宵のコートを取り、それを着て、をそのコートを渡した。

「ありがとう、成歩堂さん」

 その謝礼の言葉は、コートのことなのか、これからのことに対してなのか、成歩堂にはよくわからなかった。



 真宵の体は熱を帯びたままだった。直接触れなかったが、柄真は具合が悪そうだったし、震えてもいた。

 とにかく先に病院に行こう、と成歩堂は言いたくてしかたなかったが、この熱はもしかしたら柄真自身が持つものかもしれない、と思い始めていた。真宵はよく食べる健康優良児で具合が悪くなることなどほとんどなかったので、多分真宵の体調不良ではないのだ。

 乗っ取られた霊が発する熱では病院に行っても仕方ないかもしれない。だからこそ、柄真の用事をさっさと済ませて真宵を取り戻す必要がある。成歩堂はそう考えて、おとなしく柄真に従うしかなかった。

「行き先は?」

「霧崎医院よ」

「わかった」

 成歩堂は道端のタクシーをすばやく拾うと、乗って、と先を促した。柄真を後部座席に一人押し込め、成歩堂は前の座席に座った。それから後ろを向いて柄真に頼む。

「そのまま寝てて。頼むから」

 成歩堂は真宵の体に必要以上の負担をかけさせたくなかった。どうすればそれができるのか判らず、自分が歯がゆいばかりだった。柄真が大人しく言うとおりに横になってくれたので、成歩堂はほっと息をついた。

「霧崎医院までお願いします」

「え、前の?」

「そうです。お願いします」

 どうやら後ろの一人は病人らしいのに、廃業になった病院を指定する二人をタクシーの運転手は怪訝そうに見比べた。しかし成歩堂がそれ以上何も言わずにまっすぐ前を見ていたので、運転手は車を静かに発進させた。

 道のりの間、車は信号にほとんど引っかかることもなく目的の医院にたどり着く。

 タクシーの料金を支払い、成歩堂は先に降りる。ぐったりした柄真を支えるように車から引き出すとタクシーは自動ドアを閉じて、すばやく車をスタートさせた。

 事件の後、医院には警察が出入りしたため所々にテープが張られたあとがあった。だが、今ではその警官の姿もない。無理もない、事件は解決し、この医院は後継ぎもいなかったため、そこにあるのはただの廃屋だ。

「こっちです」

 柄真は成歩堂の腕に支えられながら、指を指した。成歩堂はゆっくり指差された方を歩き出す。柄真は医院の入り口ではなく、その建物と塀の間を指差した。裏口でもあるのか?という疑問を頭に浮かべつつ、成歩堂は柄真を抱えて歩き出す。

 案の定裏口が見えてきた。成歩堂はノブに手をかけたが、もちろん鍵が閉まっている。

「開けてください」

「鍵は?」

「もってません。だから・・」

(やれやれ・・扉を破るのはトクイ、とは言ったけど・・)

 なんだか真宵ちゃんが絡むと扉を蹴破ることばかりだ、と少々げんなりと思いながら、成歩堂は柄真に離れてもらい、何度かドアに体当たりする。2度、3度、4度目。ようやくドアが壊れたのは5度目だった。古い建物だったのでドアが木製だったのが幸運だったな、と成歩堂は思いながら柄真に振り返った。

「どうぞ」

「ありがとう」

 柄真はそういうと、今度は成歩堂の手を借りることなく室内へと入っていった。

 警察が家捜しをした後のため、あちこちに物が散乱していた。書類のきれっぱしとか、空のビンとか、ファイルのホルダーとかが床に散らばっていたり、邪魔になる椅子が全て脇に寄せられていたりで、もはやそこは医院だったものでしかない。

(まぁ、当然だろうけど・・)

 他愛もないことを考えながら、成歩堂は柄真の歩くあとを追った。

 柄真は医院のはずれの非常階段から地下に降り、その先の鉄の扉の正面に立った。

(さすがにこれは蹴破れないな・・)

 後ろで成歩堂が内心穏やかじゃない顔でその扉を見つめていたところ、柄真はおもむろに指を突き出して何かを操作し始めた。

(・・電子ロックか)

 成歩堂がほっと息をついたそのタイミングで、かちゃりと鉄の扉が開いた。

「どうぞ?」

「どうも」

 柄真が扉を開いて2歩進んだ後、思い出したように成歩堂を振り返った。成歩堂は憮然としながらも、柄真の言葉に返事をして歩き出した。

「ここは・・?」

 あれだけ一階が雑然として寂れた雰囲気だったのに対して、この部屋はまだ『生きている』雰囲気があった。

 整然と整えられた書棚の前には試験管が並び、隣には試薬のビンらしき物が並んでいる。テーブルの上には顕微鏡とおそらくは遠心分離機(小さい冷蔵庫のように見える。)など、ここは化学科の研究室のような空気を呈していた。そして、この部屋は明らかに1階のような埃っぽさがなかった。

「ここは私の研究室です。霧崎先生のお父上――霧崎伊瑛(イエイ)先生――は偉大な医学博士でいらしたんですけど、私はその弟子でした。この研究室も伊瑛先生から受け継いだものです」

「霧崎先生の患者だったのでは?」

「・・私そういいました?」

「いえ、言ってません」

 勘違いしたのは成歩堂が先だ。思い込みで柄真が霧崎先生の被害者だと判断したのは自分だった、と思い出す。

 でも、それでは「殺された」の意味が通じなかった。

「柄真さん」

「はい?」

 懐かしそうに部屋を巡りながら、試薬のビンに触れたり、書棚のケースを見たりしていた柄真は素直な表情で成歩堂に振り返った。

「この部屋、あきらかに矛盾を感じるんですが・・」

 成歩堂がそういうと、柄真はくすっと微笑んだ。

「ああ、弁護士さん、ですものね。ええ、どうぞ。お話ください」

 柄真は少し機嫌が良くなったようだった。自分をどうして弁護士と知ったのだろう、という疑問が一瞬脳裏をよぎったが、それが愚問であることに気づく。事務所の看板でも見たのか、今成歩堂の胸に光るバッチで判断したか、その両方かだ。いずれにせよ、それは今たいした問題ではなかった。

「この部屋、妙に寂れていないのが気にかかります。柄真さん、もしかしてこれまでも何度か誰かに憑依してここへ・・?」

 柄真は何気なくかたん、と書棚のケースを開いて、その中のファイルを一つ取り出し、ぱらぱらとめくりながら返事をした。

「ええ、あまりにも唐突に死を享受してしまったものですからね・・。終わっていない実験もあったり、片付けないと危険な試薬とかもありましてやむなく。ただ、マヨイさんの体を借りたのは初めてです。それまでは、別の方の、比較的霊力が強い方の体をお借りして・・でもやっぱり人によっては拒絶反応みたいなものも起こって来る途中で憑依ができなくなったりしました。大変だったんですよ」

 まるで世間話――柄真にとってはそうなのかもしれないが、その内容は一般的な世間話とはかけ離れている――を話すように歩きながら、柄真はそのファイルや試薬などをひとところにまとめ始めていた。成歩堂も手伝うことにした。棚に入っているファイルを取り、テーブルの上に積み上げている。

「そして、今度は真宵ちゃんの体を借りることになった。おそらくこの近辺では一番強い霊能力者でしょうからね。しかし、どうして今更?あなたはおそらくあの14人もの人が死んだ1年前の事件よりも前の、霧崎先生の被害者なのでしょう?」

「あら・・、すごいわ、成歩堂さん。私まだそれ、言ってませんよね?」

 柄真が驚いて目を丸くしているのを見て、成歩堂は目をそらした。

 真宵の姿なのに、言っている言葉や声が全く違う。機嫌はよさそうだが、やはり高熱の面影はまだ消えていない。そういう成歩堂の不安の断片を一緒くたにした存在を、成歩堂は直視しつづけることができなかったのだ。

「霧崎先生は1年前の医療ミスで業務上に支障をきたしていた。霧崎先生はその後1年間、逆に犯罪に手を染めないように細心の注意を払ったはずです。だとしたら、柄真さんはその後殺された可能性は低い。それに、あなたが先代の院長の弟子だというのなら、霧崎先生に恨みを買うタイミングとしてはもっと早くからあったでしょうからね」

「おみごとです、成歩堂さん」

 にっこりと柄真は微笑んだ。ぽん、と最後のファイルをテーブルの上に置いたところだった。成歩堂はそれを見て、残り少なくなった疑問の一つを口にした。

「部外者の人間が何度もここに入るのに、霧崎先生は気づかなかったのですか?」

「あの人はここの電子ロックの番号を知らないのです。・・ここのロックの番号を知りたがった。あの人が私を殺したのはそういう理由でした」

「・・・」

 成歩堂はそのことに気づいていたのか、柄真を一瞥しただけだった。ファイルをテーブルにまとめ終わったので、成歩堂は部屋の隅に佇んでいた。

「あのひとは、私にある高熱を出すウィルスを打って・・私は熱に浮かされたまま死に至りました」

――やっぱり、か・・。

 成歩堂は思った通り、どうやら高熱のまま死んだせいで、今も真宵の体が高熱を帯びているのだと思った。

「さて、最後の一仕事です」

 気を取り直したように柄真がそう言うと、成歩堂はゆっくりと歩み寄り、まっすぐに柄真を見つめた。

「ここを燃やすのですか」

「!」

 驚愕に見開かれた目を見て、成歩堂は答えを読み取っていた。成歩堂は首をゆっくり振った。

「何故ですか?素人的な私見ですが、ここにはもう危険な試薬もあるようには見えないし、放置しててもおそらく誰も見つけられないでしょう。運がよければ建物が壊されるときに発見されて、あなたの功績が認められる。いや、認められるほどの功績がここにあるのか僕にはわかりませんが・・どちらにしろ発見されあなたの努力が世に出る。それじゃぁ、駄目なんですか?」

「駄目です」

 きっぱりと柄真は言った。成歩堂が言った言葉を彼女はすげなく切り捨てた。

「私は世の中のために研究をしたわけではありません。私は、伊瑛先生のために、あの人のためだけにこの身を捧げて研究をしてきた。だから、この世という不浄の世界にこの研究結果が曝されるのがいやなのです!」

 そう言って、試薬の入ったビンを彼女はファイルの山に投げつけた。ビンは瞬時に割れて、ファイルの表面が試薬によって塗れて光った。暴走し始める柄真を感じ取って成歩堂が止めようとしたが、彼女はあらんかぎりの力で成歩堂を突き飛ばし、柄真は試薬のビンを割っては高笑いをしはじめた。

「じゃあ!なぜ死んでもこの部屋に来ていたのです!?」

 成歩堂は声を張り上げそう叫んだ。びくっとしたように、柄真が体を震わせると彼女の目は成歩堂の姿を捉えた。成歩堂はかまわず続けた。

「あなたは研究を続けた。かりそめの姿になってもどうしてもここを捨てられなかった。柄真さん、嘘はやめてください。それならば死んだときにあなたはこの研究室を捨てられたはず!不浄の世の中に伊瑛さんはもういないんですから!」

「・・・・っ」

 柄真が、今までずっと悲しみや微笑みにしか表さなかった彼女の表情が、憤怒の顔に変化した。憤怒の顔・・即ち真実を突きつけられそうになって、人間がつい表してしまう正真正銘の嘘のない顔だ。

「あなたは、先代なんかのために研究してたんじゃない。霧崎先生があなたの存在に気づくのをあなたはずっと待ちつづけたのでしょう!!」

「っ・・!!」

 柄真は鋭く尖った視線で成歩堂を睨みつけた。しかし、成歩堂も伊達に弁護士をしているわけではない。突き刺さるほどの痛い視線を浴びるのは今に始まったことではないのだ。

 堂々とした成歩堂の姿に柄真は根負けしたのか、柄真は成歩堂から視線をそらした。

「もうどっちだっていいわ・・けれど、私の神聖なる研究結果は誰にも触らせはしないわ!」

 高々に宣言し、柄真はとうとう簡易着火装置に手を伸ばした。着火させ、それ自体をファイルの山に放った。一瞬にしてファイルの山は火の山と化した。

「この火があなたのもとに・・届きますように・・」

 火の光を見ながら、狂気を含んだ柄真の顔はやがて穏やかな真宵の顔を取り戻していった。同時に、立つことができなくなった真宵の体がゆっくりと傾いだ。成歩堂は彼女の体を横抱きにしてテーブルから離れた。真宵の顔を見て、成歩堂はほっと息をついた。

――やっと・・会えたね。真宵ちゃん。

 火の勢いはとどまることを知らない。ここは木造が基本構造の建物であるから、天井を舐めた火は見る間に四方に広がっていく。真宵の体を抱きしめ、成歩堂はゆっくり立ち上がった。彼女だけは守らなければならない、そう思った。

 真宵を背中に背負い、成歩堂は部屋の入り口のドアまで戻った。ここは地下だ。少しでも地上階への火の周りが早かったら自分たちが焼けた梁につぶされてしまう。

「くそっ・・」

 成歩堂は鉄の扉を足蹴りした。かちゃっと鉄の扉が施錠されたのを後ろで感じながら、成歩堂は再び走り出した。黒い煙が背中に迫ってくる。熱気も近い。真宵に煙を吸わせないように今度は自分の胸に抱きなおし、できるだけ低い位置を保ちながら階段までできるだけ急いだ。

 階段にたどり着いて、低い位置を保つ意味もないと感じた成歩堂は、真宵を横抱きにしたまま階段を駆け上がった。階段を駆け上がりきったところで、どんっという爆発音のような音を聞いた。おそらく、圧迫された火の手があの鉄の扉を破ったのだろう。

「真宵ちゃん、もうちょっとだから辛抱してくれよ・・!」

 成歩堂はもう一度真宵を背中に背負って、目の前を覆いはじめる煙を睨みつけた。

 黒い煙は目の前を流れていく。今のところ、この建物で空気の出入りができるのは成歩堂が蹴破った裏口のドアだけのはずだ。つまり、煙の進行方向に沿って歩いていけば問題ない。

 成歩堂はすぐに足に力を入れて走り始めた。

「うっ・・げほっげほっ・・!」

 なんとか裏口のドアを抜けて、成歩堂は思わず新鮮な空気に咳き込んだ。霧崎医院の敷地は広く、奥のほうは緑地公園につながっていたため、そこまで必死に真宵を担いで歩いた。一面芝生が敷き詰められた公園で、成歩堂はやっと人心地がついてばったりと倒れた。

 ほどなくサイレンの音が聞こえてきた。近所の人が煙に気づいて通報してくれたのだろう。

「・・・全ては塵と化す・・か。柄真さん、あなたの望んだ通りになったよ・・」

 結局柄真は霧崎への想いを認めなかった。しかし、おそらく真実は成歩堂の言った通りだったのだろう。認めなかったが、否定もしなかったのだから。

 そういえば、真宵がまだ目を覚ましていなかったことを思い出す。成歩堂は真宵を起こそうと思って、何気なく呼んでみた。

「真宵ちゃん・・・?」

 芝生の絨毯に横たわった真宵は何の反応もなかった。成歩堂は血が逆流するような驚きを覚えたが、落ち着け、と自分に繰り返す。

「真宵ちゃん?」

 優しく頬を叩いてみても、反応がない。触れた頬の熱は下がっていたが、下がりすぎて冷たいという気がしないでもなかった。

「・・真宵ちゃん!?」

 声を上げて呼んでも、真宵はぐったりとした体をぴくりとも動かそうとしない。

――・・・っ!一体どうなってるんだ!?

 まさか、と思い、呼吸を確認する。

「・・息、してない・・」

 迷っている暇はない、成歩堂はすぐさま真宵の顎に手を掛けた。

 ぐい、と首を仰け反らせ、真宵の体を背中から支え上げる。気道の確保だ。

 真宵の唇を開き、自分のそれとあわせる。

 冷たさが伝わってきて、一瞬成歩堂の方が心臓が止まりそうになる。

――真宵ちゃん、息をして!!

 ふう、と空気を送り込む。真宵の胸が膨らんで、空気が通ったことだけはわかる。が、まるで人形のように、成歩堂が口を外すと入った空気を吐き出してそのままだった。

 もう一度、息を吹き込む。さっきよりも少し強めに圧力をかけた。すると、真宵の表情に変化が走った。眉間に皺を寄せて、苦しそうな表情が浮き出た。

「うっ、・・げほげほっ!」

「ま、真宵ちゃん!!」

「わぁっ?な、なるほどくん??」

 成歩堂は思わず真宵を抱きしめていた。安心して、ほっとしたあまり、無意識に喜びが手に出てしまったようだった。

「あれ?ここ事務所じゃないよね?なんで公園なんかに?今日はピクニック?」

 相変わらず能天気な言葉を吐いている真宵を見て、成歩堂は笑ってしまった。

「そうだね、今日はピクニックにしようか。顔も煤けちゃったしね!」

「ほんとだ!なるほどくん何で顔・・・あれ、もしかしてあの建物火事??」

 完全に困惑状態になった真宵に、成歩堂が言った。

「帰ろうか、真宵ちゃん」

「え、うん・・そうだね」

 混乱状態ではあったが、真宵は事務所で成歩堂が事の次第を話してくれるのだろうと思った。

 だから、大人しく頷いて二人は立ち上がった・・のだが、実際にその事情を二人が確認しながら話すことができたのはそれから3日後になった。その訳は・・。

「あー!!みつけたッス!!」

 公園で立ち上がった二人を見つけるなりイトノコ刑事がそう叫んでいた。

「何騒いでるんだろう?」

「なるほどくん、また知らないうちに恨み買ったんじゃない?」

「そ、そんなことない・・(と思うんだけど)」

「どうだかねぇ・・」

 真宵はそういって余裕の笑みをこぼしていたのだが、イトノコ刑事の言葉を聞いて二人は飛び上がることになる。

「放火魔の容疑で、二人とも緊急逮捕ッスよ!!」

「ええっ!?」



――事件から3日後。

 放火魔扱いされた二人の審理が終了し、二人はようやく家路につくことができた。もちろん、結果は無罪放免である。

「も〜・・あたしは全然記憶にないんだよっ!?なるほどくんはともかく、なんであたしまで逮捕されなきゃなんないの〜〜〜!」

 真宵がへとへとに疲れた顔をしてそう言った。実際、真宵は記憶がないのに今回の事件の主犯の汚名まで着せられたため、ひどく疲れた様子だ。何しろ取り調べからして、何も言いようがないのである。被告人の証言としても「あたしは憑依されて何も覚えていません」としか言いようがないのだ。これには検事も弁護側も頭を抱えてしまっていた。

「ま、まぁ・・この前の倉院の里の事件が前例としてあったから、幾分検察側も同情的だったし、なんとか無罪も勝ち取れたからよかったんじゃないかな・・。とはいえ・・毎度毎度ひやひやするよなぁ・・真宵ちゃんには」

「え、なにそれっ!?あたし!?あたしのせいなの?」

「違うの?」

 成歩堂が真宵を見おろしながらそう言うと、真宵ははぁっと息をついた。

「でも不服だぁ・・。今回のってあまりにも予想外と言うか、突飛と言うか・・」

「そもそもさ、なんで憑依なんてされたんだろうね」

 成歩堂がコートのポケットに手を入れながら空を見上げる。夕暮れ時の空は赤く広がっており、空の端の方では一番星が控えめに光り始めている。思わずシャバの空気はうまい、などと言ってしまいそうになるほど、今見ているこの空は赤から藍へのグラデーションが際立っていた。こういう絵を描けたら気持ちよさそうだ、などと今の話題とは全然関係ないことを成歩堂は頭の隅で考えていた。

「うーん。あれかな、霧崎先生の依頼で霊媒する話があったじゃない?」

「うん」

「結局やってないけど、それで縁ができちゃったんだよね、霧崎先生と」

「ふんふん」

「ついでにあの日あたし熱あったんだよねー確か」

「えっそうなの!?」

「そう。でも、意地になって事務所来ちゃったし・・なるほどくん、夜食にみそラーメンおごってくれるって言ってたから」

「え、そうだっけ」

「では、なるほどくん。これから導き出せる答えは?」

 真宵がびっと成歩堂を指差してそういうので、不意を突かれた成歩堂はうろたえた。

「わ、わかるわけないよ、そんなんで!!」

「えー!ちゃんと考えてよなるほどくんも!」

「僕は霊媒師のことなんか知らないよ!」

「もう!・・じゃあ、あたしなりの考えを言うけどね」

「うん」

 真宵がはぁーっと手のひらに息を吐いてから、話し始めようとしていた。寒いのか、と成歩堂は気づいて、コートのポケットに入れたままになった手袋を差し出した。真宵は嬉しそうに手袋をはめると、ぱんぱん、と無意味に手を叩き、羽目心地を確かめてから話し始めた。

「霧崎先生経由で縁のあった霊媒師のあたしが、たまたま熱があって、たまたま意地を張っていたことに柄真さんがシンクロして・・」

「ちょ、ちょっとちょっと!それってなんか論理的なのか、ただのこじつけなのか・・どっちかっていうと後者だけど・・なんかおかしくない??」

 真宵の見解のあやふやさは今に始まったことではないが、あまりにあやふや過ぎて成歩堂は思わずその説を言い終わる前に止めてしまった。

「だって、これ以外に考えられないもん。高熱で死んでしまった、そして絶対に霧崎先生への思いを認めず意地を張った柄真さんがどうしてあたしに入り込めちゃったか、なんてさ」

「こじつけの境地だな・・」

 あきれたように成歩堂はそう言ったが、真宵はそんな成歩堂を見上げて肩をすくめる。

「でも、解釈ってそういうもんだよね。あとから吟味する上でさ、納得できないから無理やりこじつけるの」

「ま、そういえなくもないけどね」

 真宵がもう一度手のひらにはぁーっと息を吐いている。手袋をしていてもなかなか手が暖まらないようだった。

「霊媒って自分の体と幽界への門が開いちゃってる状態だから、修行を怠ってるあたしの場合、それが開きっぱなしになってたのかもねー」

「そっちがまずいだろ!!」



 二人は歩いているうちに、いつのまにか商店街に入り込んでいた。

 商店街の奥に「成歩堂法律事務所」はあるが、成歩堂の自宅は商店街のさらに奥で、真宵の自宅は商店街に入る前に右折したところにある。二人はいつのまにか、家路につくつもりが事務所に向かっているようだった。

「ま、とにかく命に別状がなくてよかったよね。今回も」

「危なかったけどね!」

「ほんとほんと・・って・・・真宵ちゃん!?」

「ん?」

 真宵があまりにもけろっとした表情なので危うく聞き過ごしそうになった。だが、危なかった事を知っているってことは・・。

「あ、ああああのさ、真宵ちゃん?」

「なに?」

「もしかして・・覚えてる?」

「なにを?あ、ラーメンおごってくれるんだよね?」

「うん・・い、いやいやいやいや、その話じゃなくて」

「どの話?あ、わかった」

「え」

「トノサマンの映画付き合ってくれるんだよね??」

「あーうー・・まぁ、いいけど・・」

「やぁっとなるほどくんも、トノサマンのよさがわかってきたんだねー!!真宵ちゃんは嬉しいっ!うんうん」

「う、うん・・い、いやいやだからね」

「変なの。トノサマンの話してどうして顔赤くなるの?なるほどくん」

「〜〜〜・・」

「ま、いいや。寒いから早く事務所でお茶にしよ、なるほどくん!」



 勢いよく走り出した彼女の背を見て、成歩堂は一人息をついた。



――ただの人工呼吸に、なんだってこんなにどぎまぎしなきゃならないんだか・・。




■END


まだ認めぬかこの男・・。(笑)
←←TOPへ←目次へオマケ→
Copyright 2005 BY SAE




































●今回のオマケ
真 宵:こんにちは!綾里真宵です!
成歩堂:こんにちは、成歩堂龍一です。
真 宵:どうやら今回は公式コラムのマネに走ったみたいです!
成歩堂:気に入ってるからなーここの管理人。毎日大笑いしてるらしいぞ。深夜。
真 宵:なんか寂しい人だねー・・それ。
成歩堂:そんなこというなよ。いじけると厄介だぞ。
真 宵:別にあたしは困らないもん。
成歩堂:そうかなぁ・・(疑惑)
真 宵:どうしてそう思うの、なるほどくん。
成歩堂:ここの管理人ってさ。
真 宵:うん。
成歩堂:ヒロインいじめでもってるようなもんらしいんだよ。
真 宵:・・・ええっ!!それ、ちょっと、困るよ!一応あたし、逆転裁判のヒロインなんだよ!!
成歩堂:一応、って言っちゃうんだ。
真 宵:控えめに言っといた方がお客受けいいに決まってるからね!
成歩堂:(・・姑息じゃないか?それは・・。しかもここでバラシちゃってる辺りな真宵ちゃんらしいけど・・)
真 宵:で?どういうこと?ヒロインいじめって。
成歩堂:いや、今回の話もそうだったじゃない。実際。
真 宵:憑依されちゃってるもんねぇ。無意識に放火魔扱いだし。
成歩堂:(・・呼吸も止まっちゃったしな・・)
真 宵:でも、私おぼえてないから別にいいや。
成歩堂:ええっ!?そういう問題なの?!
真 宵:うん、だって、覚えてないもの怒れないもん
成歩堂:ま、そうなんだけどさ・・
真 宵:それにピンチになったのは私だけど、そういえばなるほどくんの方が大変だったみたいだよね、この話。
成歩堂:火の手の上がる建物から脱出だもんなー。普通の生活じゃありえない。
真 宵:本編でもそういうのがあるみたいだけどね・・?管理人まだやってなくて知らないみたい。
成歩堂:まだ3−3だしな。やってるの。結構根を上げてるらしいぞ。めんどくさくなってきたみたいだね。
真 宵:あと「甦る逆転」が気になって集中できないとか、ね。
成歩堂:どっちもやったことないんだから、落ち着いて順番にやればいいのにな。
真 宵:落ち着きがないからね、管理人。
成歩堂:あ、通知表に書かれたんだっけ?
真 宵:いや、それはないと思う・・って言ってたよ。
成歩堂:記憶常に曖昧だからなぁ、アテにならないな。証人だったら一番厄介そうだ、ころころ変わって。
真 宵:あ、でもそれタクシューみたいだからいいや、って微笑んでたよ。
成歩堂:そういう問題かよ・・。
真 宵:で、あたし思うんだけど。
成歩堂:うん。
真 宵:今回のハナシの苦労人ってあたしじゃなくて、なるほどくんだよね!
成歩堂:え。あれ?そうか・・そうなるのか。
真 宵:うん。だってあたしは記憶ないし。
成歩堂:・・!すると、ヒロインいじめって言うのはちょっと語弊があるね。
真 宵:なになに、お得意の矛盾発見したの?
成歩堂:管理人自身はヒロインをいじめていると認識しているみたいだけど。
真 宵:ふんふん。
成歩堂:一番苦労しているのは実際は、振り回される相方なんだ!!
真 宵:あーほんとだー!これこそ『異議あり!』ってトコだね。
成歩堂:言うタイミング逃しちゃったんだよ・・
真 宵:ま、それは書いている人の会話センスが悪いから。なるほどくんは気にしなくて大丈夫。半分くらいは。
成歩堂:半分かよ。
真 宵:常々なるほどくんつかみ難いって言ってるからねー管理人。
成歩堂:それは真宵ちゃんもだって言ってたぞ・・。
真 宵:変なのー。こんなに判りやすい性格なのになー。
成歩堂:ある意味、妙なキャラってことではわかりやすいんだけどね。
真 宵:ひどいっ!くらえ!体に悪そうな光線銃!!(カタカタカタカタカタカタ・・)
成歩堂:うわ!!やめろよ!本気で悪そうだから!


おわり。

←←TOPへ←目次へ